いのちおりblog - 本来の自分に還るために

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   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

タグ:生き方

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昨夜、下記記事を読みました。
そしてすごく腹立たしく思いました。

『人類全滅への道』
コロナウイルスとイナゴに対しての世界規模の「殺菌と消毒の嵐」で、地球の微生物と昆虫が
絶滅に向かうんじゃないかという話です。

人間側の現実問題として、最善の方法とは思ってなくても、目の前の状況をどうにかしなくては!と思うのはわかるし、行政や法の枠組みの中でそのようにしか動けないとか、利権のためとか、理由はいろいろあるでしょう。

でもそこを言っていてはきりないし、らちがあかない。

わかっているけどどうしようもないというところで、いろんなことが動いています。
それを止めるには、今までの価値観を覆すことが起こらざるを得なくなります。

人間が通常の営みを止めたことによって、大気汚染が減ったり川がきれいになったりしています。コロナウイルスの現死者数よりも多くの命が救われてるそうです。

ここで「新型コロナウイルスでたくさんの人が死んでるんだよ!」と言われたら、返す言葉はないです。

人道的な議論としては、「目の前の一人を今救うのか、未来の1000人を救うのか?」みたいな話になりますが、今それをしたいわけではありませんし、消毒するなと言いたいわけでもありません。


大気汚染で亡くなろうが、ウイルスで亡くなろうが、命は尊いものです。

でも同じように、昆虫や微生物や地球も尊い。
人間も ”同じもの” です。

「え?じゃあ、あなたはゴキブリと自分の親の命が同等だというんですか?」
と憤慨する人もいます。
そういう話をしているのではないです。

私だってゴキブリより親の命が大事です。同等に思えるほど悟ってません。
手も洗いますし、多少の除菌もします。


”同じもの” というのは、同じ生態系のバランスの中で生きているものという意味で。
同じ船に乗っている仲間みたいなもんです。
「宇宙船地球号」の乗組員です。

私たちは、地球という”生き物”に住まう微生物みたいなものです。
人類のために、地球や自然環境や他の生き物があるのではなく、私たち人類は地球という星に共存させてもらっている生物の一種です。

そういう意味では、草一本と同等です。

生態系や自然環境のバランスを壊すことは、自分の首を絞めていると同じです。
地球にとっては人間が最悪のウイルスと化しています。
そのツケはめぐりめぐって自分たちに返ってきます。
 
COVID-19はその警告です。
未だそれに気づかない私たち、あるいは気づいていても、その流れを変えることができない私たちはとても愚かです。
  
なにごとも7代先のことを考えて決めるというネイティブアメリカンの教え。
そのような考えを持たないと、人類が人類を滅ぼしかねません。

<ネイティブ・アメリカンの言葉>

「地球はあなたの両親からあなたへと与えられたものではない。あなたの子供があなたに貸し出したものだ。人は祖先から地球を継承するのではない。子供たちから借りているのだ」
 
「最後の木が枯れ、川が汚染され、最後の魚が釣り上げられてはじめて、人間はお金を食べることができないことに気がつくものだ」

「白い兄弟は、文明化するためにこの地に到着したが、それまで私たちは、刑務所も持っていなかった。なぜなら何の非行もなかったから。ドアに鍵することもなかったのは、泥棒がいなかったからだ。誰かが馬やテント、毛布を買う余裕がないなら、みなが分け与えた。文明という名の所有物に重要性を感じないほどシンプルな暮らしだった。お金の種類を知らなかったから、人間の価値も富によって決定などしなかった。もちろん、お互いを騙すことはなかったし、書面による法律、弁護士、政治家もいなかった。」
(引用元)
アメリカ先住民から学ぶ「10の教訓」。自然との共存、シンプルな生き方

  
人類にとって最悪のシナリオになる前に、上記の最後のパラグラフのような世界に向かっていくと私は思っています。次なる世界はそれに近いでしょう。
 
今は移行の過渡期ですが、最初のリンクの『人類全滅への道』の記事を読んで、ここまできてまだ人間中心主義なのかと無性に腹立たしくなってしまいました。

ウイルスやイナゴの嵐が来たら、駆除したい気持ちはわかりますよ。
でも大量イナゴにしたって、人間が生態系を崩したことに起因しているでしょうし。
  
人類が変わらないことには、いくら消毒しても殺してもワクチンが見つかっても、次々とまた新しい「何か」がやってくるでしょう。

それは人類が変わるか、滅亡するかの際まで続きます。
そこまで切羽詰まるより、この機会に人類が大きく変わることを望みます。
その進化のために起こっていることととらえます。

大気汚染を止めたり、大量消毒を減らしたりということは個人にはできません。
が、一人一人の意識が変わることがとても大事です。
それなくしては変革はあり得ません。

「現状維持 vs 変革」「正義 vs 悪」「敵 vs 味方」のせめぎ合いはずっと人類のテーマとしてあります。宗教的な争いや種族間の争いも、個人的な悩みも。

今は「ウイルス=人類の敵」の構図ですね。

自分にとって都合の悪いものは害だ、悪だといって、排除しようとするやり方では解決しない。
わかっちゃいるけどやめられない...。

今までの歴史を見ても、最後にはウイルスと共存することで両方が生き残っています。


人々の心の中にある「今のままではいけない」「今の世の中はなにかおかしい」という潜在的な思いの蓄積が臨界点に達し、創造的無意識が動き出して、今の現象を引き起こすきっかけになったと私は思っています。

だからこそ人々が今起こっていることをどうとらえ、対応していくか?で、今後の流れが変わっていくんだろうなと見ています。

あんまり悪いシナリオは感じてません(といってもしばらくはハードでしょう)。
ゆくゆくは上記のネイティブアメリカンの話にあるような信頼と分かち合いの世界に向かっていくだろうと思います。

そこに至るにはまだ時間がかかりますし、逆の方向も加速します。
この状況のなか、自殺したり、DVが増えたりということも海外では発生しています。
そちらには呑まれないようにしてください。


共存世界と、支配世界、破滅に向かう世界といくつかの道があります。

そのためには、その世界にマッチした自分である必要があります。
そこは自己責任です。

ただそれは今の世界にマッチするということではなく、
自分が願う世界にふさわしい自分になる」ということです。

あなたがそうなっていくほどにあなたの世界もそうなっていきます。

人と違っていいのです。
”大衆”とは違う方向を向きましょう。

あなたはどんな世界に行きたいですか?

まずは自分の心の中にその世界を育んでいきましょう。


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令和元年5月1日、即位後朝見の儀の天皇陛下の初のおことばがありました。

即位後朝見の儀の天皇陛下のおことば(令和元年5月1日)

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い御み心を御自身のお姿でお示しになりつつ,一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研鑽に励むとともに,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。  天皇陛下のおことば


私はこれを聞いた時、「象徴としての天皇とは?」と改めて思いました。
なぜなら、天皇陛下のおことばにその思いを見たからです。

象徴としての天皇とはどうあるべきか、具体的には決まってませんが、
おことばにあるように、上皇陛下と上皇后はまさに象徴としての生き方を体現されていました。

以前、天皇は「現人神」、つまり「この世に人間の姿で現れた神」でした。
明治憲法には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあります。

今は「象徴」です。
憲法第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の在する日本国民の総意に基く」とあります。

政治的な権力を持たないという意味も暗に含まれているでしょうが、
今回の天皇陛下のおことばには、象徴として生きる場合だけでなく、
「人としてのあり方」「どう生きるか?」の見本があると感じました。

・自己の研鑽に励む
・世界の平和と国民の幸せを願う
・いかなる時も国民と苦楽を共にする(常に国民を思い,国民に寄り添う)
・その強い御み心を御自身のお姿でお示しになる
・一つ一つのお務めに真摯に取り組む

研鑽(けんさん)は「学問などを深く究めること」です。
「自己の研鑽」となると、「学問などを深く究めるために、自らを磨いていくこと」になります。

自己の研鑽に励み、平和と幸せを願いながら、みんなと苦楽をともにし、
信念を持ち、やるべきことに真摯に取り組み、それらを身を以て表す。

簡単に言えば、「人の見本となれる人」ですね。

天皇は、日本国と日本国民を背負っているという重責がありますので、
一般人の比ではないですので、その覚悟が見てとれます。


以前よりは危険度は増したとは言え、
日本に来る外国人は、この国の安全さに驚きます。

財布や貴重品を落としても警察に届けられる。
自動販売機が壊されないまま町中にある。
災害時にも行儀よく並んでたり、暴動を起こさない、など。


「お天道様が見ている」という考えは今ではあまり通用しないですが、
私が子供の頃などはまだ生きてました。

人が見ていなくてもお天道様が見ている。

悪いことをするのはバチが当たりそうで気が引けました。

今から考えると、これは自分の良心との対話だったと言えます。
めぐりめぐって、自分がしたことは自分に返ってきます。

「自分を律する」とは、自分の中に
「お天道様」のような存在があることなのでしょう。
それが自分の「良心」だとしても。

キリスト教圏では、イエス・キリストがその役割を担っていますね。


昔は、ハレとケの境界がはっきりしていて、
人として超えてはいけない一線(タブー)がありました。

それを超えることは死よりも恐ろしいと思われていました。
つまり、鬼になるのは死よりも怖い、と。

この境界が消えてしまった今は、鬼のようになる人は増えたし、
漫画などでもその手のストーリーはわんさかありますね。

なぜこういう話をするかというと、天皇陛下の象徴としてのあり方が
日本人の「お天道様」になり得るからです。

今回の天皇陛下のおことばは、
言ってみれば「人のために生きる」という宣言です。
天皇たる存在が「民のために尽くす」と言っているようなものです。

上皇陛下と上皇后は象徴としてのそのお姿を見せてくださいました。

今回の天皇の真心のある利他心のお言葉は、ダイレクトに
日本国民の心に響いたのではないでしょうか?

天皇陛下のこのおことばをきいて、
「私もそのように生きていこう」と
心新たにされた方もいらしゃったでしょう。

こういうところは日本のすごいところだなと思います。

これを危ないと危険視する人もいますが、
日本の象徴たる存在がそのような姿勢で物事に取り組めば、国民も感じ取ります。
自分もそのようでありたいと自己の研鑽に励む人もいるでしょう。


また、上皇陛下が在位中、譲位の意思表示されたことは今までとは違う展開でした。

まわりに気を使って同じであろうとしがちな日本人ですが、
天皇が自分の思いをお伝えになられたことは新たな展開です。

「自分のやりたいようにしていいんだ」と
自己主張することを再認識した人もいたでしょう。

この先、天皇皇后両陛下がどのようなお姿を見せてくださるかはわかりません。

もし生きる指針に迷うようなら、生き方の見本として、
国の象徴として生きるお二人の姿を心に留めておくと、
元気が出るのではないでしょうか?

自己の研鑽に励むとともに,常に人のことを思い,人々に寄り添いながら,
倫理にのっとり、自分の責務を果たす

というところでしょうか。

自分がどういうゴール設定をしたらいいかわからなくて困っている人は、
このあり方を自分の仮ゴールにするのもありでしょう。

自分に恥じない自分でありたいです。
私も自己の研鑽に励みます。


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光陰矢の如し。

1月はあっという間に過ぎるでしょう。
ぼやぼやしていると、気づいた時には月末です。

「あら、今月、私は何をしていたのだろう?」
と思ってしまいます。

時間は貴重です。
お金より貴重です。

お金がなくてもどうにかなりますが、
時間がなくなれば、死を意味します。

私たちはまだまだ時間はあると思っていますが、
10分後に消えてしまわないとは誰にも言えません。

一瞬一瞬、今が最期と思うぐらいの勢いで
生きてみることが大事です。

つまり本気で生きる、ということです。

実際、いつも本気で生きている人はそういません。

余命宣告を受けた人とか、
人生の崖っぷちに立っている人や、
大きなビジョンの実現に向かっている人以外は、
それなりに適当に生きています。

今日を振り返ってみても、どこまで本気だったか?

ほとんどの人は心のどこかで、
明日も来年もあるから、と思っています。

きっとあるでしょうが、その心持ちでいると、
明日も来年も同じように思って
ズルズルと過ごしてしまいます。

生きる習慣を変えるには、決心と覚悟がいります。

今一度、「何のために生きるか?」
と見つめ直すといいでしょう。

目の前の損得勘定に左右されるのではなく、
残りの自分の人生を見据えて、何ができるのか、
じっくりと考える時間を持つといいでしょう。

今年、道をつけておくと、
来年はそれに向かって大きく動けます。

そのつもりで今年は過ごしてみてください。

今月はその第一歩。

自分の前の道がどこに向かうのか、
見当をつけておきましょう。

「和音」2019.1.1



本気で生きる。

本気というと、一生懸命、何かに打ち込むことを
思い浮かべる人は多いかと思います。

もちろんそれもありますが、
その一瞬一瞬を満喫する、
味わい尽くすのも本気と言えます。

今を味わい尽くす。

私はこれをモットーに今年を
過ごしてみようかなとふと思いました。

あなたの「本気で生きる」は、どんな風でしょうか?


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