いのちおりblog - 本来の自分に還るために

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   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

タグ:本当の自分

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人間の能力はすごいと思う。

「犬」を犬として区別するものはなんだろうか?と思う。

ひらがなで「いぬ」と書いても、カタカナで「イヌ」と書いても、
犬のイラストを見せても、写真を見せても、「いぬ」と音で発音しても、
実物の犬を見ても犬だと思える能力はすごい。

「そんなの当たり前じゃん」と思うかもしれないけど、
何を根拠にそうやってひとくくりにできるのか?

犬といっても、チワワもいれば、チャウチャウもいるし、
柴犬やドーベルマンやセントバーナードもいる。

毛が長いのもいれば、短いのもいるし、大きさもまちまち。

四つ足動物は犬以外にもたくさんいる。

その中から、これは犬、これは猫、これは狐、これはタヌキと
区別できているのはすごい能力だと思う。

字で書いた「犬」と、実物の犬が同じだと認識できる力は相当抽象度が高い。

鏡を見て、そこに自分が写っていると認識できる動物はそう多くないらしい。

そして、この能力は、10年前の私と、今日の私と、未来の私を
同じ人物と認識する能力を持っている。

60日?ぐらいで身体の細胞は全部入れ替わるらしいから、
肉体的にはすっかり変わっているわけだ。

でも同じ自分だと思っている。

過去の自分を目の前に出せと言われても、それは記憶の中にあるから出せない。
でもそれをしっかりと自分だと思っている。

小学校に通っていた自分と、子育てしている自分が同一人物だと意識することは
過去から未来へという時間軸の中で、一つの人物が継続して変化しているという、
自分という存在を認識しているから起こること。

過去の記憶がなくなれば、自分のアイデンティティがわからなくなるように、
私たちは過去の記憶によって自分を認識している。

でもその記憶が本当に自分が経験したものか、
いろんなものをつなげて、「自分」というフレームに入れて、
後付けで作られたものか、それはわからない。

犬を犬と認識するように、自分を自分と認識しているその基盤となっているルールが壊れれば、自分という存在の境界が曖昧になるか、新しい定義がなされるだろう。
猫か犬かわからない動物が出てくるかもしれない。

その一線を超えないように、意識が「これはこれ」「あれはあれ」としていることによって
個の認識があるのだろうが、今、そこが変わりつつある。

「自分は何者か?」と悩むより、「自分は何者になるのか?」と決めるほうがいい。

そうすることにより、新しいゲシュタルトが作られて、
自分という存在の組み換えが起きる。


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ふとしたことで気づきましたが、「アナと雪の女王」の主題歌の訳の違い。

私が最初観たのは、映画館での予告で使われていたこの動画。



見たのは映画の公開前でしたが、このインパクトは強かったです。
私はディズニー映画は子供の頃から動き方が好きではないですが、この歌詞とメロディはとてもよかったです。かなり英語の原文に近い訳です。
当時、FBやこのブログにも載せたと思います。

女性性の解放を歌っているようで、最後のシーンで、キャラがいわゆる典型的な女性の魅力を打ち出していたので、そこは疑問に思ったのですが。

その後、松たか子の歌う日本語バージョンがヒットしました。



私はこちらのほうはピンとこなく、あまり聞きませんでした。
上記の英語版(+和訳)を先に聞いて(見て)いて、そちらを気に入っていたせいだと思っていました。

今さらですが、なんでかがわかりました。
歌詞が違います。

歌詞を見ながらYouTubeで聞き直してみましたら、全然違うものになっていることに気づきました。

日本語の歌詞はアニメの口の動きに合わせて考えられたそうで、その自然な感じが良いとどこかで読みました。それなりの意訳はしかたないだろうし、そのように意訳した気持ちはわからないでもないです。すごくよく考えられていると思います。

でも、、、主旨が全く変わってしまいました。

最初の英語の歌の和訳バージョン版は、「人と違う自分を認めて受け入れて、私は私の道を行くわ」と、異質であることを受け入れて自分の道を行くことに決めるという既存の枠組みからの脱却と自由の獲得を現していると思います。

常識や一般論にとらわれず自分らしく生きることに決めて、これからの生き方を示唆するような内容、自分が関わっていた世界からの自立が描かれていると思いました。
また女性と自然との関係も示唆していると思います。

いろんな枠を強いられてきた人たち、とくに女性で共感する人が多かったと思います。


が、日本語バージョンは、そういうところを排除して、日本人らしい曖昧さで包み込んで、いい子ちゃん向けのきれいごとに仕上がってしまっています。

自分を抑えるのをやめて、ありのままの自分になって、自分を好きになって、自分を信じていくわ ♪

自分の心の悩みという範囲に留まり、ありのままの自分はすてきなのよと。

それはそれでいいのですが、原作の激しさや反骨精神はないです。

オブラートに包んじゃいましたね。
日本人の子供やお母さん向けにそうしたのか、他に意図があったのか、、、?


「ありのままの自分」が理想の自分のように聞こえてしまうのはそういうことかと思いました。

英語のほうでは、That perfect girl is gone.(理想の娘はもういない)と実際に歌っていますが、日本語バージョンでは、ありのままの自分がパーフェクトガールであるかのように、聞く人の心に刻まれちゃったように思います。

簡単にいえば、英語は「タフな精神でありのままの自分を生きる」ことをいい、日本語バージョンは「ありのままの自分になればステキになれる、幸せになれる」みたいな印象を得ます。

そこが一番違ってしまったところだと思いますが、この歌のキモの部分がこのように違ったのが興味深いと私は思います。

訳し方のことを言っているのではなくて、着眼点がずいぶん違っているということを言いたいんですが。

西洋の個人主義と、日本の全体主義の違いなのかもしれませんが、かたやアウトロー的、かたや優等生的な感じです。

既存の枠組みから外れて自由に生きるという話が、ありのままの自分らしく生きることがいいことなんだよと型にはめる方向になっているという違い。


この歌が日本で大ヒットしたのは、

抑圧された自分から解放されて本当の自分を生きたいと感じているからなのか?(本心はそうだと思うけど)

そうしたいと思っていたら「ありのままでいていいんですよ」と外部から許可を与えられたからなのか?

後者は、ありのままでいいよと言われたからありのままになるわ〜、とまわりが認めたからそのようにふるまっていいんだという風に感じます。
今の風潮や流行と一致したからOKなわけで、英語版の逆をいっているように思います。

その「ありのまま」はきっとまわりも認めるステキな人なのではないかな?

・・実際の「ありのまま」はそんなきれいごとではないです。


微妙な違いだけどこれは根本的に全然立ち位置が違います。

見比べれば比べるほど、日本語バージョンはきれいごとに見えてしまいます。

反体制的な私の見方かもしれないですけどね。
私としては原文に近いほうの訳を知ってほしいなと思います。


下記に二つの歌詞を載せておきます。
(英語版の和訳)が直訳に近いです。


(英語版の和訳)             (日本語バージョン)         

雪が山を覆う夜 足跡ひとつ残らない   降り始めた雪は足跡消して
隔絶された王国 私はその女王      真っ白な世界にひとりの私
風がうなる 心の嵐のように       風が心にささやくの
私の苦しみを 天だけが知っている    このままじゃダメなんだ

秘密を悟られないで           とまどい傷つき
いつも素直な娘で            誰にも打ち明けずに悩んでた
感情を抑えて 隠さなければ       それももうやめよう

でも 知られてしまった

これでいいの かまわない        ありのままの姿見せるのよ
もう何も隠せない            ありのままの自分になるの

これでいいの かまわない
過去に扉を閉ざすのよ

もう気にしない             何も恐くない
何を言われようとも

嵐よ 吹き荒れるがいい         風よ吹け
寒さなど平気よ             少しも寒くないわ

遠くから眺めると すべてが砂粒のよう  
怖れは遠く去り もう私を苦しめない   悩んでいたことが嘘みたいね
                    だってもう自由よ
怯えることなく 未知へと突き進む    なんでもできる   
善悪やルールに縛られずに        どこまでやれるか自分を試したいの
                    
私は自由よ               そうよ 変われるのよ 私

これでいいの かまわない        ありのままで 
風と空は私のもの            空へ風に乗って

これでいいの かまわない        ありのままで 飛び出してみるの
二度と涙は流さない           二度と涙は流さないわ

自分の道を行く             冷たく大地を包み込み
ここは私の王国             高く舞い上がる 想い描いて
嵐よ 吹き荒れるがいい                
                           
私のパワーが 大気と地に満ちる            
氷の図形のように 私の魂が広がる    花咲く氷の結晶のように
結晶となって 想いが形づくられる    輝いていたい

二度と戻らない             もう決めたの
過去はもう過ぎたこと

これでいいの かまわない        これでいいの
新しい夜明け              自分を好きになって

これでいいの かまわない        これでいいの
理想の娘は もういない         自分信じて

私の道を行く
輝く光を受けて             光あびながら
                    歩きだそう
嵐よ 吹き荒れるがいい                
寒さなど平気よ             少しも寒くないわ



英語の歌詞



さて、女性性を活性化するという不思議な護符「胞衣(えな)符」の配布がもうすぐ終了します。
無料符は27日まで、有料符は23日までの受付です。

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「本当の自分」って言うけど、
本当は「本当の自分」なんてない。

けど、

自分が本当だと思えば本当だから、
あるといえばある。


「自分らしく」って言うけれど、

その自分らしさってなに?
それは本当に自分らしいの?

と考え出すと、

ある状態が「自分らしい」と、
自分が思っていただけと気づく。


親に似た性格、育った環境、、、


でもそれはあなたそのものじゃないよね?

外付け、後付けされたあなた。


あなた自身が「自分」を定義している。

私はこんな性格、これが苦手、これが得意、etc…



今の自分がどうなのか、
今そんなことを考えても意味がない。

最高の自分は今の自分と同じようには考えないから。


最高の自分だったらどんな風に考えるだろう?
どんな風にふるまうのだろう?


今の自分が最高だったらどんな気分だろう?
いったい何をしているだろうか?

考えるだけじゃなく、感じてみようね!



全文はこちら→ メルマガ「プチ奇跡」no.412
(次号が出たら内容は変わります)


悦月のセッションについて

11/22 (土)京都で、マスターとなづなちゃんとトークライブします。

11/29 仙台で開催!「Change the World 〜世界を変えるコーチング〜」


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