
最近、細胞や生命の歴史や自然界の成り立ちなどをちょこっと調べていますが、
なぜそれをしているかというと、
人間の自我が発達した時代というか、人間の自我というものが、
自然界においては異色なもの、つまり自然界の新たな試みだったのはないか?
と思うようになったからです。
人間の歴史が始まって今に至るまで、
脳ができて、自我が生まれてこのかた、ここまで発展してきました。
自我が発達したことで、
人間は自分たちが哺乳類のトップの霊長類のトップだと思って、
地球は自分たちのためにあるような錯覚を起こしました。
それはエゴイスティックな自我がそう思わせているだけで、
それもまた自然界の仕組みの一つに過ぎなかったのではないか?
昨日紹介した本『植物は〈知性〉をもっている』には
このように書いてあります。
自然界に生命が存在するのは、捕食するものとされるものとの競争が絶えず作り出されるバランスのおかげだからである。つまり、こういうことだ。植物は捕食者の攻撃に対して、可能な限り防御行動をとる。それに対して、捕食者はたえず新しい戦略を編み出して植物を襲う。すると今度は植物が敵の新しい戦略に対抗して、さらに洗練された手段で応じる。互いに向上し続けていく終わりのないメカニズムの中にこそ、進化の引き金がある。地球上の生命が生存し続けていけるかどうかも、このメカニズムにかかっている。
より早く進化していくためには、このシステムを強化させる必要があったのではないか。
(ここで、なぜより早く進化する必要があるのか?という新たな疑問が湧いてきますが、
とりあえずそれは横に置いておいて...)
人間の自我という自己中心的な要素を持ち込むことで、他種間のみでなく、
同種内での競争を加速させることによって進化を促進した
ということが考えられるのではないでしょうか?
でも今、自我が暴走しつつあるので、この実験は終了に向かっており、
また新たな実験が始まろうとしています。
個体の我が強くなってしまうと滅びに向かいます。
絶滅した種を調べてみると、そういうのもわりとあるのでは?と思います。
人間の集合意識は、種としてそれはヤバいと気づいて、
自然界のもともとの仕組み、共生に今、向かい始めているんじゃないでしょうか。
それには細胞や植物のあり方がとても参考になります。
個の時代を終えて、創発の時代へ向かっているなあと思います。
同書より。
植物は、太古の昔から存在している生物だ。でも、コロニーとしてとらえるなら、植物は極めて現代的なものともいえる。「創発特性」という言葉をごぞんじだろうか?インターネットの出現によって可能になり、グループどうしのつながり(例えば、ソーシャルネットワーク)の基盤となっているテクノロジーの中心概念だ。これは「グループを形成することによって生み出される、元の構成要素(個人など)を超える特性」を意味する。この特性は、多くの個体が集まり、一つにまとまることによってのみ発揮される。集団の構成要素の一つ一つは、その特性をそなえてはいない。まさにミツバチやアリの群とそっくりだ。そうした虫たちは、コロニーとして互いに結びつくことではじめて、各個体の知性をはるかに超えた集団的な知性を示す。
ちなみに、この文章の前に書いてあることも面白い。
人間は「分割不可能」で、体を真っ二つにしたら、すぐにどちらの半身も生きていくことはできず、すぐに死んでしまうが、植物は切り分けても両方が生きていける。
つまり、「個=分割不可能」ではない。
植物によっては、株分けできるコロニーのようなもの(サボテンなど)ある、
と書かれています。
これもすごい話だと思いました。
接木とか、切った枝を土に挿しておくと芽が出るとか、株分けとか、普通にしていることですが、身体を切り分け、自分の分身ができると考えるとすごい能力です。
これより前に読んだ生物の本で、
トカゲなどがいかに切られた体を再生するか?の話を読んでました。
それを実験する研究者もすごいですが、どんな風に再生されるかを観察して、
その細胞を体の他の部分につけたら再生するのか?とか研究してました。
名前は忘れましたが、ある生物は、切り刻んだ分だけ全部個別に再生するという、
すごい能力を持ったものもいました。
つまり私を10等分したら、
全部から私が再生されて、10人の私ができるわけです。
そんな話を読んだ後で、この植物の話を聞いたので、
こりゃ、すごいと思ったわけです。
あなたが「個体」であることをやめ、分割可能な存在になったら、
死に対する概念も変わるし、生き方自体変わるでしょうね。
自然界は「個」の意識が薄く、全体の中のバランスが主となっています。
悟りたいとか、一体感を得たいという人の多くは、
実はエゴが満足できる一体感が欲しいのであって、
この自然界にあるような意味合いで
一体になりたいわけではないのでは?と思います。
自我がないようなものなので、
それこそ、『ブッダ』の話に出てくるうさぎのように、
「私を食べてください」と火に身を投じることができるかって話です。
私にはまだできませんねー。
そこまで「個」から自由になれるなら、分割可能な存在となり、
食われるのも厭わなくなります。
ある日、うちの猫が私の目の前でスズメをバクバク食べた時、
スズメのエネルギーが猫の中に入ったと感じましたが
すぐにゲゲーと吐き出して、さっきまでスズメの形をしていたものが、
目の前でゲロになっているのを見たことあります。(猫は消化が早いです)
スズメというエネルギーが猫に取り込まれ、ゲロになり、
それが土に埋められ、微生物の食べ物になり、
そうやってエネルギーが変化していきます。
スズメであったのもそのプロセスの一つでしかなく、
エネルギーは変化するけど、なくなることがありません。
変化し続けます。
と思うと、死はないですね。
自然界において「個」とか「死」が
どういう風な意味を持っているのかはまだ探索中ですが。
人間という枠から外れて、自然界を見渡してみると、すごいことが行われています。
人間もすごいですけど。
私たちも自然の産物です。
自然(あるいはもっと広義な宇宙意識みたいなもの)の実験は、
私たち人間を作り出し、自我を作り出し、螺旋は一周して、次は創発。
意識が作り出す情報の世界に舞台が移りつつありますね。






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