三上山奥宮から見た風景からいろいろと思うところあり、
気になった石山寺に行ってきました。

石山は何度となく電車の乗り換えで通り過ぎてました。
石山寺があることも知ってましたが、お寺にあまり興味のない私は素通りしてました。

が、今回行ってみて、ビンゴ!
すごく良かったです。ここはお勧めです。

石山寺というだけあって、まさに石の山にお寺があるって感じでした。
行ってみて、紫式部や松尾芭蕉が滞在して物書きをした理由がわかりました。

禅寺などとまた違った趣。
自然と人工物がうまくマッチした静かで心地よい空間です。

物書きをする人にはすごくいい場所に思えました。
しばらく滞在していると、インスピレーション湧きそうです。
宿泊所があれば、私もしばらく滞在してみたいですね。
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一番良かったのは八大龍王社。
この寺の他の場所とはまた違ったおごそかな空気感でした。

ここには龍がいるな...という感じ。
社の上の木の枝も龍っぽく。
昔、儀式が行われていた雰囲気ありました。

以前、同じく琵琶湖西岸の八大龍王が降臨したと言われる場所の探索に行きました。
その奥の山と雰囲気が似てました。
(参考:琵琶湖の龍を追って

この琵琶湖の南の地域は八大龍王との関わりが濃いようです。

三上山奥宮から見た時、生駒山あたりに流れが集結しているように見えました。
調べて見たら、生駒山に龍光寺という八大龍王総本山を見つけました。
やはりちゃんとあるんですね。そういうところには。

龍光寺は、御開祖 弘法大師 (空海)となっています。
空海は3ケ月間、石山寺に籠もって修行したと言われています。
近くにある立木観音にも弘法大師の逸話があります。
平安時代前期、山に光を放つ霊木を見つけられた弘法大師が瀬田川の急流で渡れずにいる所、白い雄鹿が現れて、大師を背中に乗せて川を跳び越えられ、霊木の前まで導き、雄鹿は観世音菩薩のお姿になられました。以来、この地は「鹿跳(ししとび)」と呼ばれています。
大師は自身が42才の大厄の年にあたっていたため、観音さまに導いていただいたのだと歓喜され、自身のみならず、未来永劫の人々の厄難・厄病を祓おうと発願し、霊木を立木のままに聖観世音菩薩を刻まれ、一宇の堂を建てて安置したと伝えられています。
大師はその後、高野山を開基されたので、立木観音は「元高野山」とも呼ばれています。
立木観音

昔、三上山頂上にも八大龍王の祠があったようです。
御上神社

三上山からのあの風景を見た私としては筋が通っているように思います。

石山寺のある石光山の隣に伽藍山があるので、そこにも登ってきました。
石山寺では龍のエネルギーが感じられましたが、
伽藍山はすぐ近くなのに、ごく普通の山って感じでした。

その後、俵藤太のムカデ退治の話に出てくる瀬田唐橋に行きました。
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ここから三上山は見えなかったように記憶してます。

なぜ瀬田唐橋と三上山なのか?

昔はこの橋は大事な拠点でした。
向こう岸に行こうと思えば、この橋を渡るか、琵琶湖か瀬田川沿いをぐるりと回るか、船で渡るかだったようです。

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琵琶湖の水はこの瀬田川だけが出口です。

琵琶湖は見慣れてましたが、いつも見ている大きな湖が
川になっていくところに出会うのは感慨深いものがありました。


石山寺と反対岸にある、唐橋近くの建部大社にもお参りしました。
近江國一之宮と言われ、古くからある神社です。

日本武尊が主祭神。
のちに大己貴命が権殿に祀られています。
ヤマトタケルの家臣や親族がたくさん祀られているのはなんか違和感を感じました。

八大龍王、日本武尊、大己貴命、ムカデ退治...

以前白山に登った時に、大蛇と大百足の出迎えに会うということがありました。
白山の蛇たち(後半部分)』

石山寺の八大龍王社で、3つの言葉(忘れてしまった)をいただき、
「岩の間」と閃いて、岩間寺にも行かねばな、と思いました。

調べてみたら、岩間寺は、加賀白山を開いた泰澄大師が
722年(養老6年)建立したことに始まるそうです。
だから岩間寺か、と思いました。

八柱神社からは熱いエネルギーが感じられました。
祭神:藤時平、融大臣、事代主命、市杵嶋姫命、素盞男命、豊玉彦命、櫛名多姫命

瀬田橋龍宮・秀郷社は、この時に気づかず、行きそびれてしまいました。
近くだったのに。

石山寺はまた行きたいので、その時、この社にも行こうと思います。

(自分の備忘録兼ねて書いてます)


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