いのちおり - 本来の自分に還るために

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タグ:令和

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新しい天皇、新しい元号、令和の時代が始まりました。
日々の暮らしは急に大きく変わるわけではありませんが、
それでも吹く風は若干変わってきています。

新しい御代となり、そのお働きはこれから見えてくるでしょう。
国民と天皇がひとつとなって新しい時代を作っていってほしいものです。(*注1[後述])

天皇という立場になられる人は、幼少の頃から
いずれは天皇になるからと大切に育てられます。

まわりから丁寧に扱われ、小さな頃から、
自分はそういう存在になるんだと認識し始めます。

ダライ・ラマや他国の王となるべき人たちも、
まわりからそのようになるからと教育を受けてきます。

環境がその人を形成していく良い例です。

皇后のように、一般人からそのような存在になるのと、
幼少の頃からそのように育てられるのでは、
そこに生じる葛藤は同じものではありません。

どちらにしろそのプレッシャーおよび責任感は計り知れません。

まわりから大切に育てられる人は、同じように
まわりの人を大切にしますし、自分をも大切にします。
それが当然だと思います。

しかし世の中にはそうでない場面が多々ありますので、
心痛め、どうにかできないものだろうかと考えます。

自分を大切にする自己尊厳の気持ちは、今の日本人の多くに欠けています。
自己肯定感が低い人が多いです。

しかし言い換えれば、それは自分のことばかり見ているからです。

もちろん環境の影響は大きいです。
自己肯定感の低い人たちの中で育てば、同じようにそうなってしまいます。

それが当たり前の基準となるので、その後の人生で
そこから抜け出すにはかなりの努力が必要となります。

しかし大義があれば、「自分は、、、」とは言ってられません。

「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」
天皇にならざるを得なくなったら、覚悟をして天皇という立場をとります。
そこに「でも、だって」は通用しません。

つまり「私」が入る余地がなくなります。
多くの人々は往々にして立場を取りませんので曖昧に過ごします。

「自分は何者だ」というのを、
会社員、母親、教師、学生、という立場においています。

それはそれで構いませんが、自己肯定感が増すような、
自己尊厳が得られるような立場になることを考えてみませんか?

「私はそうなる」と決めることでシャキッと自己尊厳が増すような。

漫画のワンピースで「海賊王に、オレはなる!」とルフィが言っています。
「オレは、海賊王になる!」ではない。

海賊王というゴールがあり、それに自分はなっていく。
自分がだんだんとその器になっていく。


「自分が何者であるのか?」

天皇はそれを自分では選べません。
その運命に抗わなければ、早いうちからその自覚が目覚めます。
そしてそのように振舞います。

ただ、「どのような天皇になるのか?」は自分で選ぶことができます。


あなたは何になりますか?

大半の人は、親や先生に言われたように、
大学行って会社に入って、みんな結婚するから自分も結婚して、
子供持って、老後は...と思ってますし、そのように生きています。

あなたが本当にそれを望んでいるのならいいですが、
与えられたからそれに甘んじるのだとしたら、

それでいいんですか?

この機会に考えてみてください。


「自分が何者であるか?」

今の時点でもあなたはそれを決めています。
まさに今のあなたのあり方がそうです。

バイトにがんばっている学生、子育てしているお母さん、
会社勤めをがんばっている君、スタッフを抱えている経営者、
自由をモットーに生きている人、いろんな人がいますが、
何かしら「自分はこういう人です」というものを持っています。

今月は今一度、それを見直してみてはいかがですか?


天皇陛下は「こういう天皇になる」と決められたことで、
これからそれに向かって自己研鑽に励まれるでしょう。

天皇の最初のお言葉には、象徴としての天皇のあるべき姿が書かれています。

あなた自身も今一度、自分を大切に思い、家族を大切に思い、
日本国及び世界のことを思った時、
自分は「何者になるのか」考えてみてください。

「自分は何者なのか」ではなく、「何者になるのか?」です。(*注2)


「自分はこれになる」とまず決める。
それに向かって進んでいると、「何になるか?」は向こうからやってきます。
そうなった時、「〇〇に、自分はなる」となります。

そうなったら、その〇〇を見て進めばいいのです。
どうやってそこにたどり着くかはちゃんと見えてきます。

が、その〇〇を見つけるまでは、いろんな人にあったり、
いろんな経験を積んだりする方がいいです。


今月は自己尊厳を高める工夫をしてみましょう。
自分を大切にするエネルギーはまわりの人をも魅了します。

もっと自己尊厳を持って、自分を見つめ直してみる良い機会です。

「和音(+悦月)」2019.5.1


令和になってから5月のメッセージを書き出しましたが、
最初に書き出したのを載せるのをちょい躊躇しまして、もう一回、書き出しました。
でも似たような内容だったので、ブレンドして一つにまとめました。

その編集時に自分の編集(自動でない書き方)も加わっています。1割程度ですが。


(*注1)

> 国民と天皇がひとつとなって新しい時代を作っていってほしいものです。

と書いてますが、上記文章は出てくるままを書き出したもので、他者視線です。
私としては「作っていってほしい」より「自ら動きましょう」としたいところです。

「誰かしてくれたらいいや」と人ごとのようにつぶやくのではなく、
自分は自分で向き合わねば、自分の世界は変わりません。

生き方の一つとして、

国や国民、あるいは家族、知人に対して、
象徴や見本になれる生き方をする、存在になる

というのもいいのではないかと。

この件については、また後日書こうと思います。


(*注2)

> 「自分は何者なのか」ではなく、「何者になるのか?」です。

最後は同じところにたどり着くのですが、最初はズレが生じます。

既存のセルフイメージから抜け出るために
「何者になるのか?」の設定が必要となります。


自分が本当にやりたいこと、なりたいものを見つけるには、
自己肯定感がそれなりに高くないと現れてきません。

自分の器を小さく見積もっていると、無意識に可能性をはじいてしまいます。

「自分が何になるのか?」を最初っからわかっている人は少ないです。

意識しようとしまいと、それを求めている人は、
人生歩んでいるうちにどこかで出会います。
「あー、これなんだな」と。

わからないうちは見当つけて、それに向かっていけばいいです。
その方向性は多分、まちがってないでしょうから。

「自分はこうなっていこう、これをしよう」と決めた時、
自己尊厳が増すのか、自己肯定感が下がるのか?

気持ちが下がる場合は、まちがった設定をしているのでしょう。
「本当はそれじゃないんだけど...」と心のどこかで思っているのでは?

「やる」と決めた後、できるかどうか怖くてびびったり、緊張するのはありですが、
本当にやりたいのかどうかで気持ちが下がる場合は再検討しましょう。

それはちょっとしたボタンの掛け違えで、
少し視点をずらせばOKになることもあります。


自己尊厳、自己肯定感を高めていきましょう。

そうすると、人に言われたからとか、人に認められたいとか、
そういう思いなしで、自分をどうすれば生かせるのか?だんだんと見えてきます。


自分を大切にする、人を大切にする。

両方はあんがいできてなかったりします><


偉そうなこと書いてますが、
自分にもすごく言えることなんで、襟を正す思いです。

では、新元号初月、素敵な5月となりますように!


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令和についての記事はこちらを → 「令和の時代

人間関係の変化が面白そうに思えたので、もうちょっと探索してみましたら、
人間関係の話というより人の成長の話となりました。



「令和」「れいわ」という音は、
女性の名前のように柔らかで優雅な響きがあります。

また同時に、冷めた、冷たい印象もあります。
「れい」は「霊、冷、零」を連想させます。

「れい」という音はつかみどころがないです。

「い」だけなら強い音ですけど、「れい」となると、
「れぃー」と流される感じで、霊のように本体が掴めない感じ。
口の中も踏ん張れないです。

「令」の漢字だと固いですが、この意は
もともとは神の意に従うことなので霊的です。(参照:「令和の時代」)

「わ」は柔らかい音で、「和」や「輪」のように◯、丸い印象です。
口は丸く開いて、下はどこにもつきません。

「零」は、ゼロ、0ですから、◯です。

「れい」にも「わ」にも、◯、円が含まれます。

円は縁。
めぐりめぐって、すべてはつながっています。


これらから推測すると、音から観ての話ですが、
「れい」→「わ」→「れい・わ」→「れいわ」の推移と見て。

最初は「れい」。

冷たい、クール、人は関係ない(どうでもいい、投げやり)、
感情不感(ロボット的)、熱しない、分離感、孤独感、という部分が強調されます。

実体がないような状態です。
自分を見失って、自分の世界に閉じこもっている状態か、
自分がなくなってしまっている状態。

シャボン玉が宙に浮いているような感じで、その境界は強くありません。

ここはまだ自我の葛藤の時期。
どこかでゼロになる臨界点がくるのでしょう(個人差あり)。

最初はマンションの個室に一人いるような感じだったのが、
だんだんと薄い(心の)壁に変わっていきます。

霊的なこと、見えない世界への関心が増します。
趣味の合う人、ビジョンやライフスタイルが一致する人など、
同じような価値観や世界観を持つ人がつながるようになります。


そして、「わ」。

分かる。解る。
実体を失った自分が違う世界、次元に気づく段階。

いろんなコミュニティ、グループ、集団に分かれます。
複数にまたがる人もいますし、流動的に動きます。


「れい・わ」は、
豊かな人間性を失っている自分に気づいて、その状態に耐え難くなり、
「どうにかしなくては」「このままではいけない」と思う人が増えていく段階。

だからこそスピリチュアルなものがますます求められるでしょうし、
生き方やあり方を教えてくれるものを求め、
魂に沿った生き方をしたいと思う人が増えるでしょう。


また、外側の人間関係もそうですが、バラバラになった自分の統合の時期。
「霊・和」。

自分の内面を再統合して、霊的に成長しようとし始めます。
この時期にいったん今までの自分を捨てて、リセットする人もいるでしょう。


「れいわ」は「霊和」。
自分が統合された状態。

冷めた感は、一人一人の自立心につながります。
人に依存しなくなります。

人は人、自分は自分、とその部分はクール。
必要以上に人目を気にしないし、振り回されない。

自分の意志をしっかり持っているクールさがあります。
和することもできるので、孤独ではありません。

別々な違う存在だからこそ、創発が起きることも知っています。
相手も自分も尊重しながら、必要以上に関わらない自立心と距離感があります。

ニュートラルで淡々としています。
常に俯瞰的視野を持ち、この物理世界は幻想だという認識があります。

霊的に和合されるので、魂レベルで動きます。
今世で自分がどう生きればいいかをわかっています。
飄々としながらも強い信念を持って進みます。


書いてみれば、「令和」に限らず、普通に言えることですね(苦笑)
でもこういう流れになるでしょう。

ポイントは、西洋の個人主義と日本の集団主義、これがうまく融合されること。

つまり、個人の自由をかなり尊重するけど、和することを忘れない。
和することを忘れないけど、個人を大事にする。
集団主義に溺れない。

理性的にはクールだけど、心は温かい。
そういう人が増えていくのでしょう。


元号が「令和」になったのだから、
日本全体がその流れからは逃れられません。

結婚や家族というシステムが大きく変わる可能性があります。

上記に書いたことがベースとなりますから、
人間関係全般が、ゆくゆくはもっと穏やかに、
つながりも淡白になっていくと考えられます。

淡白といっても、愛情はそのままありますが、
無償の愛に近くなっていて、個人を尊重する方向に向かいます。

今までは愛と依存がごっちゃになって、愛憎が生じていました。

個人個人の強いつながりに”依存”する傾向は減っていくでしょう。
結婚にしろ家族関係にしろ。
恋愛はいつの時代も同じかなという気がしますが。

結婚しなければならない理由がなくなっていくだろうし、
血縁関係のつながりもさほど重要視されなくなるでしょう。

結婚制度も家族制度も、良くも悪くも強制的なつながりが作られます。
大体は自発的な愛情を持ってのことですが、
理想の結婚、理想の家族像が掲げられることで、
様々な問題を生じさせています。

自立心が芽生えることで、そこにあまり癒着しなくなるでしょう。

これから見ると、令和の時代には、自我がエゴの域を脱して、
新たな段階に成長していくのでしょうね。

けっこう「インシャー・アッラー」な感じです。
神の意のままに、というか、エゴ意識よりも全体意識が主だってくるので、
長年続いてきた個体の「生き残らなければ、勝たねば」という本能的な働きが減ります。

霊的な時代になっていくと、生へのこだわり(死へのこだわり)への執着が減ります。

物理世界が主体ではないとわかっているし、
すべてはひとつの意識であると知っているし、
霊、零である自分を知っているというか。

この幻想世界をいかに生きるか?というところと淡々と進む感じ。

エゴ主体の世界ではなく、ゲームをしていることがわかっている感覚。
そういう空気感が広がっていくと、皆「この世は幻想だよね」となんか納得してしまう。

だからと言って、肉体を持って生きているのはこの物理世界なので、
好き勝手すれば、因果応報、自分に返ってきます。

そんな中で、淡々と達観して生きる人が増えていくでしょう。

もちろんそうなるまでにまだまだかかります。
令和時代はその橋渡しの時代で、本格的にそうなるのは次の元号からかもしれません。

令和時代に生まれる子供たちは、AIの発達も伴って、
バーチャルとリアルの融合がかなり進むでしょう。

時代は確実に変化していってますね。




本日ラスト!
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令和について書き下ろしてみました。


令和。
新しい元号は新しい流れの始まりです。

すべてのことは連動して起きています。
元号が変わる、天皇が代わられることは、時代の流れ的にリンクしています。

令和という響きは「れいわ」、柔らかい響きですが、
同時に「令」は「冷」を想起させ、「冷たい」「冷静」というイメージもあります。

また「令」は「礼」「零」「霊」も思い出させます。

「和」は「輪」「8」でしょうか。
「和」は「輪」ですから、円 → 0、ゼロ、零に繋がります。

ゼロと和。
「和」は和合、大和、和む、輪、ひとつになる、ハーモニー。
そのような意味合いがあります。

「令」は「礼」「令」となると、律令、礼儀、法令など、
人が作った決め事、ルール、という見方。

そして、零、霊につながるような、人智を超えたルール、
つまりは宇宙や自然の法則的なところ、とみることができます。

理性と感性、政治と人としてのあり方、
これらのバランスが問われる時代となるでしょう。

良い方向に進めば、政と人の暮らしが良い感じに和合していき、
悪い方向に進めば、政が和を仕切るかたちとなります。

令和の時代は、その融合の始まり、つまりは過渡期。

零、ゼロとなって、その後、和が訪れる。

臨界点に達して一越えする。
脱皮して新生するようなものですね。
国全体のそれと、一人一人のそれと。

表面上は「冷」でクールな感じかもしれません。

和はあったかい。令はクール。
変化は淡々と進んでいくでしょう。

今はまだ令と和の間の亀裂が埋まってませんが、
人々が二元性の枠にとらわれず、その向こうを見るようになった時、
次の時代がやってくるでしょう。


霊性の時代となり、人々が自分の魂に沿った生き方を求めるようになります。
「律」に関係している人たちが、その流れに一番出遅れるでしょう。

その頃には、和の精神が強くなっていて、自分の利益のためだけの行動はすぐにバレて、
人はその人を支持しなくなります。

「霊和」、霊性同士での和合、同じ価値観、世界観、ビジョンを持った人たちが、
自分たちの世界を創造し始めます。

各コミュニティ、グループがそれで成り立ち、自分らしい生き方を求めます。


今の価値観とずいぶんと変わっていきます。
自由を求める人には生きやすくなります。

令和は別な言い方をすれば、「ゼロになって和する」。
「和する」は「忘る」にも通じます。

自分が本来の状態、自分に立ち返って(ゼロになる)、自分を再統合する。

その過渡期の時代になると言えます。

外の話のようで、実は自分の内側の世界の話です。

自分の中のルールをいったん見直すというか、白紙に戻して新たなゲシュタルトを構築する、
新しい自分というか、本来のあり方に戻る、

その流れに合わせて、外の事象も起こっていきます。

意識レベルの話で言えば、個々であった自我がいったん解体に近い状態となり、
集合意識として再統合されます。

個という存在が、集合知の中のひとつのネットワークの中の点という認識に変わっていきます。

点が自分というより、そのネットワーク自体も自分であり、ミクロとマクロの視点を兼ね備えつつ、全体を創造していく共同創造の世界が待っています。

そのためには今までの古い意識体はいったん解体され、再構築されることになります。

しかしそれは淡々と進んでいくでしょう。

冷静に、感情的にならず、達観して対応していれば、何の問題もありません。

「和音」2019.4.17


ということでした。

「令」をコントロールのためのルールを敷く側、「和」を心のつながりとすると、
国と国民、理性と感性、エゴと無意識、男性と女性のせめぎ合いになるのかなと。

国側は「令を持って和する」にしたいのだろうと思いますが、
令和時代の後半には「霊を持って和する」になるだろうと思われます。

その前に「零となって忘る」過程があるでしょう。

いったんリセットして、新しく始める、ということですね。

震災による破壊も考えられますし、そうでなくても、
個人個人のレベルで、価値観や生き方がガラリと変わる人も多いでしょう。


白川静氏の「字統」によると、
「令」は、「礼冠を着けて、跪いて神意を聞く神職のものの形」だそうです。

政事(まつりごと)と祭り事(まつりごと)は同じ語源だと言われます。

本来、神意に従って政が進められるべきところが、
権力者の我欲によるところが大きくなってしまってますから、
そこもまた正されるべきところなのでしょう。

「令和」と聞いて私が最初に思ったのは、
令によって和したいんだろうな、ということでした。
法令に従うことが和すること、みたいな。

実際はどうかはわかりません。
私の偏見ということも考えられます。


どちらにしろ、すでに神意は働いているようです。

本来の意味が「礼冠を着けて、跪いて神意を聞く神職のものの形」であると、
本来の形に戻っていく方向に向かうと思われます。

それこそ万葉集から取ったという話につながります。

出典:「万葉集」巻五、梅花歌三十二首并せて序

[引用部分]
初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

[書き下し文]
初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。

[全体の文の現代文]
天平二年正月十三日に、長官の旅人宅に集まって宴会を開いた。
時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉の如きかおりをただよわせている。
のみならず明け方の山頂には雲が動き、松は薄絹のような雲をかずいてきぬがさを傾ける風情を示し、山のくぼみには霧がわだかまって、鳥は薄霧にこめられては林に迷い鳴いている。
庭には新たに蝶の姿を見かけ、空には年をこした雁が飛び去ろうとしている。
ここに天をきぬがさとし地を座として、人々は膝を近づけて酒杯をくみかわしている。
すでに一座はことばをかけ合う必要もなく睦(むつ)み、大自然に向かって胸襟を開きあっている。
淡々とそれぞれが心のおもむくままに振舞い、快くおのおのがみち足りている。
この心中を、筆にするのでなければ、どうしていい現しえよう。
中国でも多く落梅の詩篇がある。
古今異るはずとてなく、よろしく庭の梅をよんで、いささかの歌を作ろうではないか。

    万葉集とは?歴史と意味解説、有名な和歌一覧!|新元号「令和」の由来も


この情景は、これから私たちが目指すべきところというか、
向かっているところのように思えます。

とくにこの部分。
ここに天をきぬがさとし地を座として、人々は膝を近づけて酒杯をくみかわしている。
すでに一座はことばをかけ合う必要もなく睦(むつ)み、大自然に向かって胸襟を開きあっている。
淡々とそれぞれが心のおもむくままに振舞い、快くおのおのがみち足りている。


これからは、もっと好きなように生きる人が増え、
自由にやりたいことをする人が増えていくでしょうし、

男性原理の、頂点に向かうために争ったり競争し合う傾向が、
女性原理の、みんな一緒に仲良く円満に、という方向に変わっていきます。

多様性が当たり前になっていくので、
人は人、自分は自分と分けることができるようになります。

とくに日本は、人の顔色を見て振る舞いがちですが、そこも変わっていくでしょう。

自分の好きなことができていて、精神も安定していたら、
人のことにいちいち文句言いません。

「快くおのおのがみち足りている」です。

まだまだ変化の最中です。
過渡期にはいろんなことが起きやすいです。


「令和」は、音は柔らかいけど、冷めた響きもあります。

切り離され、冷めてしまった人々の心が、
和して心の豊かさを取り戻すまでのプロセスも
この言葉には含まれているでしょう。

一人一人がもっと自立して和するようになっていきます。

人は人、自分は自分、とその部分はクール。

別々な存在だから、ともにあることで創発が起きることも知っている。
相手も自分も尊重しながら、必要以上に関わらない距離感。

結婚や家族というシステムが大きく変わる可能性もあります。



「和」を「字統」で見ると、
「軍門で盟誓し、和議を行う意である。ゆえに和平の意となる。」

と意外にも、最初っから「和」なわけではないです。

考えてみると当たり前なのですが、
「和」を考えれば、同時に「不和」も出てきます。
「わ」であれば、「把、別、分、我、割」などもあります。

つまり、別々なものがあるから、和することができるわけです。

また、ひとつになることだけが和することではなく、
分かつことによって和することもあります。

コミュニティの時代と言われてますから、和という言葉が合うのでしょうね。

しかし「大和(大きな和)」として統合されるのではなく、
小さな和がたくさん、つまりネットワーク状につながって影響し合うかたちの和。

だから「霊和」。
響き合う時代ともいえるでしょう。


「令和」という漢字の形を見ると、バランスが「和」寄りで、少々落ち着きません。
縦書きなら悪くないですが。

「和」は安定した形です。
「令」は一本足で立っていて、左右アンバランスで右側に比重がかかります。
つまり、和に若干寄りかかる形となります。

「令」が先にあるので、令が先導するような印象を受けますが、
令は和に腕を差し出している。和と手をつなごうとしている図に見えます。

ここにも「跪いて神意を聞く神職」の姿が見て取れます。
男性原理が女性原理に耳を傾ける、助けを求めるかたちとも言えるでしょう。


一人一人が、自分自身で神意を聞いて行動する時代。

自分が自分の令であり、自分を律する人であり、
自分自身を忘る(エゴの自分を忘れる)ことで、自分自身を統合する(和する)。

多くの人々の精神性、霊性が高まる時代となるでしょう。

見えないもの、スピリチュアルなことへの関心も増すでしょう。
スピリチュアルというと世俗的な印象を受けますが、
全体的に霊性が高まっていく、魂レベルで行動する人が増えていきます。

つまりは、自分の本質的なところで生きる人が増えていくということ。

これまた、そこに至るまでは、自分がわからないとか、今の生活が、、、とか、
いろんな試行錯誤は行われるでしょう。


結論、なるべくしてなった元号なのかなと。
この元号になったこと自体が、霊和(神意が動いている)であると言えます。

時代の移行期には、まだしばらくはいろんなことが起きるでしょうが、
向かうは、先ほどの万葉集の文章に現れているところ。

「れいわ」という響きは、私にはつるっとしたゆで卵や、
何も置いてない白い皿みたいな印象です。

一皮むけるんでしょうね。脱皮というか、パラダイムシフト。

新時代の始まりはまもなくです。




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今更ですが、4月のメッセージを出した時に、追記も書き出していたので載せます。
と言っても、4月の話というより、それ以降の話です。




新しい旅の準備を整えましょう。
5月から新元号のもと、新天皇のもとに新しい時代が始まります。

「令和」という元号が決まりました。

礼に始まり、礼に終わる。
零に始まり、零に終わる。
霊に始まり、霊に終わる。

魂の時代の始まりです。

今までは、身、実(み)の時代でした。
これからは霊(ひ)の時代です。

元号が変わるということは、
いろんな組み替えが起きるということです。

と言っても心配はいりません。
それは成されるべくしてなされます。
自然な現象です。

霊の時代(霊性の時代と言っていいでしょう)になると、
稼いでなんぼ、というような現実的な豊かさは色あせていきます。

生き方、あり方に焦点が当たり、
生きることの喜びを見いだせる人が豊かな人となっていきます。

人とのつながりや、森羅万象とのつながり、「間」が重視されます。

今までは「個」が重視されて来た時代でした。

が、全体意識に移行する人が増えるに連れ、
「共同創造」つまり「共に世界を創り上げている」
という意識が高まっていきます。

「個」よりも「世界」の方が重要視されるようになっていきます。

今は、個々の人が世界と自分を切り離して、
世界は自分の外にあるように感じています。

が、それがだんだん「自分=世界」、自我という自分が薄れていき、
「創り出す世界(観)」が自分となっていきます。

自分の内側の世界が外側に反映しますから、
自分が自分の世界を想像している感は強まります。

そして自分が変われば、世界も変わっていくことをもっと理解します。

今までは自分は映画の中にいて、それが現実だと思っていたのが、
映画の外に出て、ストーリーを見ながら、その中にいる自分を感じながら、
その映画を制作していきます。

二つの視点を育んでいきます。

自分が作っていることをわかっている。
その映画自体が、自分を表現していることをわかってきます。

それは自己表現でありながら共同創造です。

なぜならそれをする自分はすでに、
エゴの自分の欲求からはだいぶん離れていくからです。

全体がどこに向かおうとしているのか?
どこをどう調整していけばいいのか?

そこは個々の意識が体験し、表現していきます。

が、もはや個を表現したいというより、
”創り出す世界” に興味が移っています。


「自分に何ができるか?」
「自分のやりたいことは何か?」

というよりは、
そういうことを考えなくてすむ状態にまで
自分を昇華していくことが大事です。

言葉にしなくてもわかっている状態。

そして目の前に来ることを淡々とこなしていく。

じわじわと沸き起こる充実感、歓喜。
それは生きている喜びです。

生きている、というより、存在している喜び、
自分の魂とつながっている喜び。

言葉にはしにくいですが、
「自分が自分である実感」とでも言いましょうか。

しかしこの自分はエゴの自分ではなく、
反対にエゴの自分が消えている状態です。

世界に存在することがあたりまえであるような、不思議な感覚。
存在する意義を問わない。

なぜならあなたが世界そのものだから。

目が目を見れないように、
世界となってしまった者に世界は認識できません。

それはまた、「新たな自我」として認識されます。

それは意識の進化です。

宇宙を含めた自己として存在を認識できた人は、
次なるステップに進みます。

共同創造の世界に入っていくと、
今までとは全く違った価値観になります。

そこにたどり着くまではまだ時間がかかりますが、
早い人はすでにその領域に達しています。

「和音」2019.4.2

霊性の時代(4月のメッセージ追記2)」に続く...


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