いのちおり - 本来の自分に還るために

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   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

タグ:下鴨神社

しばらく前に、滋賀県にある近江富士と呼ばれる三上山に登りました。
三上山は近江富士と言われるだけあってきれいな形です。

対岸からは、北斎の東海道五十三次の絵のように、
いつも三上山が対岸に見えるので気になっていました。
IMG_4218

三上山から見たら対岸にある志賀八幡宮、そこを通り過ぎて
山中にある樹下神社を通るラインは下鴨神社に到達します。
三上山、志賀八幡宮、樹下神社、下鴨神社は意図的に並んでいるようです。
(地図の星印右からの順)
スクリーンショット 2019-03-18 2.26.51IMG_4352志賀八幡宮の鳥居のちょうど正面には三上山が見えます。(写真の赤い矢印のところ)

志賀八幡宮の裏から山に向かう道があります。

その道は近江と京都を結ぶ昔ながらの道で、「山中越え(志賀越え)と言われたそうです。
崇福寺(今は跡だけ)、志賀峠を通って、山中町に入ると、樹下神社があります。
そこから京都の北白川の道に出て、その道に沿って行くと下鴨神社にでます。

一度このルートを歩いてみるのもいいかなと思います。
樹下神社までは無謀にもチャリで行ったことがありますが。


余談ですが、樹下神社を地図で検索したら、なんと琵琶湖沿いに8社もありました。
が、他地区にはないようです?スクリーンショット 2019-03-18 2.55.03

下鴨神社〜三上山のラインを東に行くとどうなるんだろうなと思ったら、なんと熱田神宮を通って富士山に至りました。
こちらはもっとズレがあると思うので、すごく大まかなラインになります。

なんかまた、いろんなヒントをいただいたなと思います。


話変わって、今回「オートマティック・ライティング講座」を京都市内で開催しました。
それが瀧尾神社の近くでした。

私が参拝した時、神社のもっと北のほうに何かあると感じました。
帰ってから地図を見たら、下鴨神社〜鞍馬、貴船がありました。

これを伸ばすと、鵜瀬(福井)〜串本(和歌山)ラインとなります。
この縦ライン、以前私が関わったラインだったので、そうきたか!と思いました。
(昔の関連記事:「自然と共に生きる」

3回目の講座は下鴨神社の少し北にある会場でしたので、下鴨神社に参拝しました。

そういう流れがあり、3回目の講座前には三上山に行っときたいと思ったので、
やっとこさ重い腰をあげたのでした。


「オートマティック・ライティング講座」は、いわゆる自動書記をできるようになろうという講座です。
これは、完全なトランス状態になって書くのではなく、しっかりと意識は持ちならが書きます。

自分が意識できている領域と、感じるけど言葉にならない領域、
そして気づいていない領域。

瀧尾神社から三上山に行くまでの流れができました。
その後、その流れを汲んで石山寺にもいきました。

またもや水関連ですが、琵琶湖周辺にも行くところがたくさんありそうです。

参加者の方もそれぞれメッセージが来ていたり、リンクする場所に赴いておられたりと、
何やら見えないところでつながりが起きているように感じます。

三上山に登った時の話を書きたいと思ったのに、前置きが長くなりました。
続きは次回に。

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節分の日の京都の下鴨神社の御真木神事です。
祝詞ビートがとても心地よく響き、炎が生き物のごとく燃えています。




御真木(みまき)神事がどういうものかよくわからないし、検索しても出てこない。

「御真木」で出てくるのは、御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえ)、つまり、崇神天皇。

崇神天皇の兄弟にあたる日子坐王(ひこいますのおう)については、以前記事にしたことがあります。  → 日子坐王

崇神天皇を調べていくと、興味ふかいことがどんどん出てきますが、今日は本題でないのでパス。



この神事を見ながら思ったこと。

世の中は全て情報だなあと思いました。
ただ私たちはその情報をほとんど言語にて理解しています。


「御真木」に含まれている情報と炎という情報がミックスされ、進行形で燃えていく。そして、下鴨神社の神主さんと、彼らが繰り返し唱える祝詞。

普通に見れば、神事で祝詞を唱えているというよくある光景に見えます。
けどここで繰り広げられていることは、見えている現象ではなく、その現象が引き起こしている見えないレベルでの影響。

それがなんなのかは知る人ぞ知るですが、本来、神事とはそういうものだろうし、祝詞や言霊もそういうものだと思います。

先日、共感覚は動的だという話を書きましたが、右脳言語もまた動的だなと思いました。

祝詞があげられ、御真木が燃えていく中でどんどんと情報が変化していっています。
過去から連綿と続いている情報が今この時、書き換えられていて、それにより未来も変わっていきます。


右脳にとっては、形も動きも音も、存在するもの全てが言語です。
言語なんだけど、言葉化されている言語ではありません。

右脳が感知する世界は、言葉化されていない情報の言語化(イメージや象徴としての)です。
そしてそれはリンクさせていくチカラがすごい。

見えるところによる情報と、見えないところにある情報と、
リンクすることによって現れる情報。

形があると形に惑わされるし、形がないと在ることに気づかない。

これからはそれを読み取れるチカラが必要になってくるなあと思います。
これまでの言葉としての言語が支配した世界から、再びシャーマン的な世界になっていくんでしょうね。


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