前回の記事の続きです。
遠隔ヒーリング時のイメージの話です。
もうひとつ面白いなと思ったことがありました。
一回目のイメージは、そのように糸をつかんだものの、
ずぶずぶと暗黒のコールタールのような水の中に沈んで姿が見えなくなるシーンでした。
(その後、他のパラレルワールドが現れましたが)
そうするうちに、もう一度、糸を垂らすこととなりました。
また糸を垂らすのですが、今回はその糸に触れるか触れないかの時に、
足下から突然、お花畑が広がり出し、あっという間に暗黒のコールタール海が
晴れた陽気のなかのお花畑に変身しました!
その瞬間にハッと私も気づきましたが、
救いの糸など必要ないのだと思ったとたん、
自分は地獄にいないと思うのか、自力で出れると思うのか、
出る必要などないと思うのか、何を思うのかはわかりませんが、
自分自身が ”地獄を天国にできる存在” だと気づいたんでしょう。
それで、あっという間にまわりがお花畑に変わったんです。
自分自身が "地獄を天国にできる存在" というよりは、
自分は "最初っから天国にいたんだ" と気づいた、
という言い方の方がいいのかもしれません。
この例えから説明すると、
私たちは通常、私たちが今いる状況からなかなか抜け出せないと思っています。
それがこのイメージではコールタールのような黒い液体として現れていました。
なかなか抜け出せないと思っているので、
他に助けを求めたり、自分を変えようとしたり、何かを学んだりします。
それが蜘蛛の糸、つまり、救いの糸です。
地獄にいる人たちは「助けてくれ」と思っているだけか、
自業自得だから出れないと思っているのか、出る気がないのか、
出ようと努力したけど出れなかったのか、、、
とにかくはそこにいます。
救いの糸がみえたとき、それは唯一のチャンスに見え、必死でそれを得ようとします。
一度それを見た人は、もしかするとずっとそれを探しつづけるかもしれません。
「あの糸が手に入れば、自分は助かる」と。
それも一つの希望だし、実際にそうかもしれません。
救いの糸をずっと探し続けることもできますが、
救いの糸を求めるということは、
「救いの糸でないと自分を助けることができない」
という制限に自分を入れることでもあります。
極端な話、まわりがお花畑に変化していても気づかない人は
ずっと上を向いて、糸が垂れてこないかばかりを気にしているでしょう。
なぜなら「救いの糸でないと自分は助からない」と思い込んでいるからです。
水のないところで溺れ死ぬようなものです。
世の中、常々変化しています。
ふっとそこから注意をはずしたら、目の前にヘリコプターがいて
手招きしてた、なんてこともあるかもしれません。
大鷲が飛んできて、その足につかまって脱出なんてこともあるかもしれません。
現実は小説より奇なり、なのです。
何かを求めるということは、その他をシャットアウト、
盲点を作り出すことになります。
ゴールに向けて、その他をシャットアウトすると効率よく進みますが、
その視野が狭すぎると、今度はチャンスを逃します。
救いはいろんな姿でやってきます。
しかし、外に救いを求めるのではなく、
自分の人生は自分の責任と思って前向きに行動することが一番の救いとなります。
(記事整理に伴い、過去記事を加筆訂正後、アップしています)
メルマガ登録はこちら! メルマガ登録
人気ブログランキング ぜひポチッとクリックお願いします!