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   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: メルマガ記事から

プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション】 2009.5.13. 第209号 改訂版

私は人に対して怒りの気持ちをもつのはよくないと思っていました。

腹が立ったり、むかついたりしたときは、自分の内面を見つめ、なにが起こっているのだろう?、何を投影しているのだろう?と見つめてから、自分の中心に戻り、その気持ちを消去していました。

しかし、「人に対して怒りの気持ちをもつのはよくない」ということもまた私の思考の枠だと、ある日気づきました。

人に対して怒りの気持ちをもってもいい、むかついてもいいんだ!

怒りを覚える自分を責める必要も否定する必要もないのだ。
ただ、怒りを持っている自分がいると知り、許せばいいのだ。
私はこういうことで怒りを感じるのだなー、と知ればいいのだ。

そんな自分もあっていいさっ。。。

怒っている自分は、いわば着ている服みたいなもので、
本体の自分は、その奥にいる別物だとわかればいい。

ふたつを別ものとしてみることができたなら、
本体の自分に移って、怒っている自分を眺めてみるといい。

「そうか、自分、怒ってるのねー」と怒っている自分を眺めてみる。
そうやって眺めることができたら、他の人にぶつける必要がなくなってくる。
なぜなら今の自分は、怒っている自分を眺めている自分だから。


まずは自分の考えの枠組みに気づくこと。
(上記の例では「怒りの気持ちを持つのはよくない」)

気づけば、その外に出ることもできます。

出れば、自分が背負っているものを見つめ直す作業ができます。
それがどのように人生に影響を与えているのかを知ることができます。

知れば、手放したいのか、そのままもっていたいのかを選択できます。


怒ること自体は悪いことではありません。
が、怒っているときは、わかってくれない相手を責め、そのようにふるまう自分を責めます。
怒りを感じている自分を受け入れることができれば、楽になります。

受け入れるというのは、怒りを爆発させてもよいということではなく、怒りを持ってもよいと自分に許可を与えるという意味です。
どんな感情でも、自分が持っていることを認め、受け入れることができたら、楽になります。

ここでいえば、怒りの感情を持ってもいいのだと自分に許したことですね。


息は吐ききれば、あとは放っておいても新しい空気が自然にからだに入ってきます。
押し入れの中にある長年使っていないものを捨ててしまえば、また新しいものをいれる余裕ができます。


私たちは、身体という押し入れにたくさんのいらないものを背負い込んでいます。また「意識」や「心」という引き出しにもたくさんのものを詰め込んでいます。

長年にわたって自分に詰め込んでしまったいらないものを思い切って捨てることで、新しい流れを取り入れることができます。

自分の引き出しに、どんな思いや感情がはいっているのでしょう?
古い思いでいっぱいにしていたら、新しい思いが入る余地がありません。

古い思いが「いやな自分」に関するものならば、なぜ後生大事にタンスにしまっておくのでしょうか?
さっさと出して捨ててしまえば、新しく「好きな自分」に関する思いや感情を新たにいれることができます。

いつまでも着古したぼろぼろの服を着たり引き出しにしまっておく必要はないのです。
さっさとぬいで捨てて、新しい服を身につけましょう。


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自分の内面の充実感により幸せを感じられるようになると、類友の法則で同じように幸せを感じている人を引き寄せるだろうと思うのですが、私の場合、反対に、自分が心地よく過ごせるようになると、なぜかつらい思いをしている人達がどんどん出現しました。

どんなに幸せを感じようと、死や病気、心労を避けることはできません。
自分がそうでなくても周りに起こりえます。

どんなに生活が充実し、幸せを感じようと、不幸は決してなくならない。
なぜなら、死がなくなることはないのだから。

仏教の話でしたっけ?

子供を亡くした母親が、どうにかしてほしいと仏陀のところにいきます。
仏陀は、「誰も人が亡くなったことのない家を探しなさい。見つかれば、子供は生き返るであろう。」みたいなことをいいます。
母親は必死で村中の家を訪ねて聞くのですが、どの家も必ず誰かが亡くなっています。
そこで母親は、人はいつか死んでいくのだ、と自分の子供が亡くなったことを納得します。

というような話がありました。

私、ちょっとこれに似た気持ちを味わいまして、

自分がいかに幸せを感じようと、まわりにある不幸はなくならない。
それがこの世界であり、人生なのだ。

と思いました。

2、3年前に気づきましたが、私は自分の幼少期に同じようなことを感じたらしいんです。

その時は、自分は無邪気な子供で幸せいっぱいだったのですが、ある日ある時、母が、兄が、あるいは他の人が幸せでないのに気づいたようです。

あれ?、みんな私みたいに幸せじゃないんだ、楽しいことばかりではないんだ、と思ったようで、そのとき私は間違った選択をしました。

それは、みんなが幸せでないなら、私一人幸せでいるわけにはいかない。
みんなに悪いから、私もみんなにあわせなきゃ。

そして、みなに幸せをあげる代わりに、
幸せを受け取ることを拒否してしまったんですね。

これは、この世の中、たくさんの人がしていることとと思います。

そしてツイッターでつぶやきました。8月10日に書いてます。

この世からは不幸は消え去らない。
それをふまえたうえで、本気で幸せになる覚悟があるか?
自分は心から幸せになると決意ができるか?
他の不幸を受け入れ、自分が幸せになれるか?
それができた時、世界は裏返る。


これをこのとき読んだ人はどう感じたかは知りませんが、
この言葉を書いたとき、そういう背景がありました。

どんなに世界が不幸になろうと、自分は幸福を選ぶ覚悟があるか?

ということですね。

今回、自分が幸せを感じている時に、そうでない人たちが続々現れてきたのは、もう一度この選択をするチャンスが来たのだと思いました。

やはり自分だけが幸せな思いをしていてはいけないという思いも出てきたし、もっと人のために何かしなくては、という思いもでてきました。

けれども、ラッキーなことにこの罠(課題)に気づきましたので、今回、私は幸せになることを選びました。

で、なにが変わったかというと、現状何も変わっていないし、また問題や悩みもでてきています。

でもそれらはすべてもっと幸せを感じるために起こっている「調整」なのだと思います。

もっと幸せになるために、自分の中にある不必要なものは捨ててしまわなくてはなりません。
そのためには経験したくないことも経験しなければならないかもしれません。

そしてその経験を通して気づきを得て、新たな自分に成長していけるのです。

そして、真の幸せは、

「楽しいことだけが起きる人生」ではなくて、
「すべてを受け入れて良しとできる人生」

なのではないかな?と思います。

どんなことがあっても幸せを感じることができる。
そのためには、死や病気や離別をも受け入れることができる。

この世で起こりうるすべてのことを受け入れることができて初めて本当の幸せに至るのかもしれませんね。
無償の愛とはそのことを言うのでしょう。

それには身ひとつとその心だけがあれば十分なんですね。

自分が生きている間にそこに至りたいものです。

メルマガ「プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション」 no.267 より抜粋編集。

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(メルマガ「プチ奇跡・・」2010.9.22.第267号より)

太礼道のmixiコミュニティで出た質問について書かせていただいていたら、文章長くなったので、こちらに新たに載せることにしました。

今まで何回も書いてきていることですが、この習慣がついたほうが良いと思うので、再び。


感情は、マイワールドだと思います。
つまり、自分の中の世界の話です。

人の言動のせいで、自分の感情がいらついたり、怒ったり、傷ついたりしているようですが、本当は自分の心が反応しているだけです。

自分の感情に正直であろうとすると、他人を傷つけたり、攻撃したりしてしまいそう、、、
けど、我慢して抑えるとストレスになる、、、

では、「正直である」ことと「感情を出す」をどう両立させたらいいか?

ということについてですが、

「正直である」というのは、自分の感情に気づいて、それを素直に感じてあげるということであって、その感情をそのまま人にぶつけてよいということではないと思います。

ぶつけたらぶつけたで、そのツケは自分に返ってきますね。

まずは自分の気持ちに気づくことが大事でしょうね。


夢を見ている状態と同じで、たいてい夢を見ている時は、夢を見ていると思わず、それが現実と思います。
夢から覚めると、さっきのは夢だったのか、とわかります。


感情が出ているとき、例えば、怒っているとき、
怒っている最中はそれに夢中で、「今、怒っている自分がいる」と気づいていない場合が多いです。

すでに気づいている人は、自己観察が一段階進んでいる人です。

あとになって、怒っていた自分がいたな、と思い、反省したり、自己嫌悪に陥ったり、また怒りを感じたりします。

が、自己観察のあとに、評価や判断はしなくていいと思います。


「あなたの言動で私は怒っている」という事実があるわけですが、
だからといって、あなたが悪いとか私が悪いとかではなくて、
「私はあなたの言動に腹が立った」という事実があるだけです。

自分も相手も責める必要もありません。
感情が出るのは自然なことです。

その感情に、いい悪い、自分のせい、相手のせい、などの価値判断をつけるのは自分です。
その自分に気づくことも大事ですね。


例えば、

1)怒っている。
2)怒っている自分がいる事に気づいた。
3)怒っている自分は嫌だなと思う。
3’)自己嫌悪を感じている自分に気づいた。
4)すぐ怒る自分はダメな奴だと思う。
4’)自分を否定している自分に気づいた。

1)は、自分が怒っている状態に気づかず、怒りのるつぼにいる状態。
このときは客観的に自分を見れてないので、感情に振り回されている。

2)は、自分の感情に気づいた状態。

3)は、その感情に反応している自分。

3’)は、3)の感情に反応している自分に気づいた状態。

4)は、感情に反応した自分を判断している状態。

4’)は、4)の判断を下している自分に気づいた状態。


すべて気づいた時点でOKなのですが、たいてい次に自分の判断は加えてしまいます。
それは、あなたの思考パターンのくせです。

3’)4’)は、自分が自分に下している思考に気づいた状態です。
自分の思考パターンのくせに気づけば、それをそのまま持ち続けたいか、変えたいか、選ぶことができます。

だいたいその思考パターンの裏には、満たされていない思いが潜んでいます。
そこがわかると、また一段自己探求が進みます。

反応している自分に気づいた時に、それに対してまた感情を反応させれば、その感情に対して1)〜4)のプロセスが始まります。

そうしてマイナスのスパイラルに陥ってしまうので、常に「・・・を感じている自分がいる」という視点を持つようにして、それに気づけば、その事実だけ受け止めるようにするといいです。

「・・・を感じている自分がいる」と知り、それに反応している感情に気づき、感情の落下をストップするようにすれば、すぐに自分の中心に戻ることができるようになります。


1)怒っている。
2)怒っている自分がいる事に気づいた。
3)相手が話を聞いてくれないから腹立つのだと思う。
3’)相手が悪いのだと思っている自分に気づいた。
4)私のことを大切に思うなら聞いてくれるはずと思う。
4’)私のことなんてどうでもいいから聞いてくれないのだと
   感じている自分に気づいた。

いろんなバリエーションができますね。


頭に血が上っているときは、なかなか冷静に考えられないでしょうが、
「私は今怒っている。いったい私の中で何が起こっているのだろう?なんで腹が立っただろう?」と思って自分をみていくと理由がみつかります。

怒りのスイッチみたいなもんですね。
そこにふれられると自動的にスイッチが入ってしまう。


自分の感情を見つめるクセがついてくると、
スイッチが入った時に気づくようになります。

スイッチが入ったことに気づけるようになると、その瞬間に「今、自分はなにに反応した?」と即、出来事を顧みることができます。

感情がぶれるスイッチがオンになったら、即自分を見て、ああ、これが原因だなとわかると、相手が悪いのではなく、自分がそれに反応しているだけだとわかります。
ただその感情を身体で感じて収まるのを待てばいいです。

最初はなかなか収まらないかもしれませんが、何度もしていると、だんだんぶれる幅が狭くなってきて、第三者的に感情を見つめる自分ができてきます。


出来事や相手はただの引き金に過ぎなく、すべての感情は自分の内から起こっていると知ること。
たくさんの自分の思い込みによって、目の前の現実に感情的に反応していると知ることが大事だと思います。

そこを見るようにすると、そのうちその元が見えてきます。
たいていそこには、「・・はいけない」という自分に課した制限や思い込みがあります。

その思い込みを手放し、自分を許せたら、その件について感情はぶれなくなります。

ということを続けていくと、自然と怒らなくなるように思います。

「ああ、そう、あなたはそう思っているんですね」と思うだけで、自分の感情に投影しなくなりますから。

他の感情についても同じことがいえます。

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先日、「テレビの洗脳について思い当たることがあれば書いてください」と投げかけましたところ、たくさんの方がコメントをくださりました。
日常的な洗脳に気づきましょう。

書いてくださった方々、ありがとうございます。
この記事のコメントを読んで無意識の影響を受けてるなと思うものがあれば、心に留めておかれると良いと思います。

真実だと思っている報道は、かなりコントロールされているらしいですので、そのままを受け取らないがよいかもしれません。

世界的に報道されているニュースなども裏で大きな力が動いている場合もありますから、一体何を信用したらいいか?と思いますね。
9・11同時多発テロのような大きな事件さえもそうですからね。

そういえば、いつぞやのインフルエンザの流行、
一気にみんなマスクして外出控えて、消毒液、、。
あれもかなり報道のあおりを受けていましたね。

テレビだけでなく、ファッション、書籍、婚活など、いろいろな分野でのあおりがあります。

健康法や健康食品などもそう。
報道されたとたん、どのお店でも売り切れ続出とか。

音楽やマンガ、小説、映画などは、そういう意図でないものも多いと思いますが、影響力は大ですね。

私は、中学、高校と大好きで何度も読んでいたマンガと、同じような人生を歩んでいる自分にある日気づいて、驚いたことあります。共感するから好きなわけだから、もともと通じるものがあるのでしょうが、自分で気づいていなかったところに、その影響力を感じます。

そう思うと、子供の頃に読む絵本やテレビアニメとか、かなり影響力があるのでしょうね。
童話などは元型的な話を取り入れているものも多いですから。

何を見聞きするかというのはとても大切ですね。

コメントにもありましたが、「自分で選ぶことができる」ということを忘れないでほしいです。
言い換えれば、「自分で選んでいるのだ」ということですね。

視聴者側が見なければ、当然、その手の報道はなくなります。
でもそううならないのは、皆が見るからです。
気づかずに見ている場合もあれば、文句を言いながら見ている場合もあります。
不安が多い人は見ないことをお勧めします。

テレビを見て、何を感じ、何を思うかは、他の誰でもなく、あなた自身です。

流行に乗っていないと、バカにされたり、のけ者にされるかも?と思って買いにいった、という行動をしたとしたら、それはあなたが報道に振り回されているのであって、テレビが洗脳するような報道をしたせいとは一概に言えません。
もちろん買いたくなるような誘導にはなっているでしょうが、それに引っかかるかどうかはあなた次第です。

上記の例で言えば、そのものが欲しいのではなく、「それを持っていなくてのけ者にされたら嫌だ」という思いから買いに走っているわけです。
自分のその心の動きは無視して、「これは欲しかったから買ったのだ」と自分に言い聞かせたとします。

みんなと同じものを持っているという連帯感が安心感を生み出すかもしれませんが、これをもってない自分では受け入れてもらえない、素の自分ではダメなのだという思いはふたをされます。

そういうことが積もり積もれば、、、

婚活でウソの自分になり切って結婚して、すてきな結婚生活を演じる自分にも気づかないで、はや数年。なんかおかしい、何かが違う、、、と思いながら、「あんたが悪い」とパートナーのせいにして、どんどんイライラが募る、、、

そういうひずみは少しずつ出てくるから恐いですね。

なんておどしているわけではないですが、もう、そういう風に生きるのはとても辛くなってくる時代に入ってきていると思うので、自分にできるだけ素直になって、うそをつかないようにしてほしいと思います。

今の自分ではダメだから人に合わせくては、、という自分から、そのまんまの私でいい、そのまんまの私を好いてくれる人たちと一緒にいるほうを選ぶ、とそちらのほうに移行していく方があとあと楽しい人生が待っていると思います。

テレビに振り回されないというのもそのひとつですね。
テレビでもよい番組もたくさんあるので、選ぶようにしたいですね。

(メルマガ「プチ奇跡」2010.9.3.第264号より抜粋)


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