いのちおりblog - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: メルマガ記事から

blogranking←ワンクリック・ワン波動アップ♪

昨日たまたま開いた以前のメルマガですが、今にもあてはまるように思うので載せます。
プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション】(2011.1.4.第277号)からの部分転載です。
================================

芋虫が蝶に変身するとき、さなぎになりますが、さなぎは中でいったん全部をドロドロにして、再編成していくそうです。
外から見たらじっとしていますが、中ではものすごいエネルギーが使われているのです。

今、地球にやってきているのもそんな感じです。
日々の暮らしは何も変わっていないようですが、エネルギー値がものすごく変わってきています。

本当に昨日と今日と明日、日に日に変化しています。
私たちはその流れに抵抗するのではなく、順応していかねばなりません。
でないと旧世界に取り残されてしまいます。

これはもうスピ系世界の話ではなく、現実にやってきていることで、もっともっと人類の意識をあげていく必要があります。

芋虫から蝶へ。
その間に起こることはけっして楽なことではかもしれません。
なんといっても地を這いつくばっていたものが空を飛ぶわけですから。
今までの概念や価値観をもったままだと対応しきれません。

柔軟になる必要があります。
新しい流れを受け入れていく必要があります。

もう、新しい世界へ移行し始めていますので、
できるだけ明るい方向に思いを持っていってください。

不安、恐れ、トラウマ、しがらみ、後悔、罪悪感等、
いろいろあると思いますが、この先は、

過去に目を向けるでもなく、
過去の出来事の影響から未来を見るでもなく、

すっかり自分は新しくなったのだと新しい人生を歩み出していると思って、過去のしがらみはすべて捨ててしまうぐらいの思い切った気持ちがベストだと思います。

今やってきているエネルギーは、もう次の時代のエネルギーとなっています。

内面浄化もまだまだ必要かもしれませんが、もう捨てて良いと思います。
気にしないということですね。

あなたはそのままでいいので、光を浴びてください。
光に当たっているとだんだんと過去の暗闇は忘却の彼方に消えていきます。

もうすでにそんな時空エネルギーになってきています。
早くそれに順応していっていただきたいと思います。

そのためには自分の中にある思い込みに気づいてください。

自分についている足かせは自分ではずせます。
なぜなら自分の思考が創った足かせですから。

ただ、自分で外せると思わないとはずせません
(↑ここ重要!)

外せると信じて光を思うだけでいいのです

もうそんな時代が来ました。

表面上の社会的出来事からはそうは見えないかもしれませんが、
内なる次元ではすでに私たちはそのようなところにあります。

あとは、それを選ぶか、旧世界を選ぶか、

それはひとりひとりの選択となります。

プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション


というのが今年1月だったわけです。
結局その切り替えがうまくできず、強制的に見直しをさせられる状態となり、今の現状がある、、、とみてもいいのかなと思います。

それでもまだ変わらないと、脅すわけではないですが、やはり同じように、もっと強制的にそれを見ないといけない状態がやってくる可能性があるわけです。

個人的なレベルでも、たくさんの人に影響を与える範囲でも起こりえます。

あなたが今までの世界と同じように生きるか、つまりエゴ思考に基づいて生きるか、それを思い切って捨てて、自分の全存在を受け入れ、光とともに歩むのか?

過去の出来事、経験は全く関係なく、今のあなたがどのような人であるか、どのような状態であるかも全く関係ありません。

今のあなたが何を感じ、思い、選択するか?
それがあなたの未来を創ります。

自分が現実と思っている世界は、限定された世界です。
他の可能性もたくさんあることに気づけば、欲しい未来を選び直すことができます。

今思っていることが本当に真実なのか?
それとも思い込みが作り出している現実なのか?
他の可能性はないのか?

要チェックしてみてください。


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking←ワンクリック・ワン波動アップ♪

メルマガ【プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション】2011.4.12.第289号より部分転載です。


国破れて山河あり。城春にして草木深し。

唐の杜甫の五言律詩「春望」の最初の一句です。
国が戦争で敗れようが、山河は変わらずあり、果てた城にも春が来て草木が茂る、という意味だったと思います。

私たちはこれからこの山河や草木のようにならなくてはいけないと思います。
なにが起こっていようと純粋なエネルギーを保ち、出来事に呑み込まれない自分、不動の自分を確立する必要があります。

不動の自分とは、なにがあっても透明純粋な状態を保てる人。
すべてが自分の心の創造物であり、自分自身がその創造に関与していることを認識して、全体視野と意識で見ている人は、必ず振り子が中心に戻るようにブレずに中心に戻れます。

これから自分の中のやましさ、罪悪感、怖れ等は次々に何らかの出来事として見させられるでしょう。
自分が見ないようにしたところで、外象として現れてくるのだから避けようがない。


以前、えんま大王の話を書いたことがあります。

いかに自分を受け入れらるか?という話です。
どんな自分であっても、です。

本気で懺悔できた人は解放されます。
しがみついていたものを手放せるんですね。
自動的に「許された」という思いに変化します。
自分で自分を許しているのですが。

この第9サイクルが終わる頃までにそれが終了しているべきなのだと思います。それは全然先のことではなく、今年10月28日です。


ブッダが悟りを得る前に菩提樹の下で瞑想をしていた時、たくさんのまやかしが悪魔や怪物やその他もろもろの現象として出てきたそうです。

けれどもブッダはそれを幻想と悟り、動じなかった。
その末、悟りに到達しました。

今、同じことが起こっています。
ただ、そのまやかしは悪魔や怪物ではなく、現実に起こっている(と私たちが思っている)こと。


光の世界、つまり地球が向かっている周波数領域に行くというのは、悟りを得た状態になるということなのかもしれませんが、楽々その状態になれるかというとそうではないところが三次元物質界です。

特に、罪悪感と怖れがネック。
そしてそれに伴う自己否定と責任転嫁。

今までもさんざんいわれてきたことですが、結局何かが起きないと人間変わらないようです。

ぐずぐずして自分から逃げてきた人は特にこれからしっかりと腹を据えてください。(もう何度も書いた気がしますが、汗)


被災された方々、特に津波に遭われた方々の中には、助けられなかったということでものすごい後悔や罪悪感を感じていらっしゃる方々も多いと思います。

が、それも乗り越えていかねばならない。
全体意識になれた時にはそれも意味あることと受け入れることができると思います。

何かが起きてからそう思おうとするのは難しい。
できれば何かが起きる前にその意識になっていていただきたいと思います。



人生を肯定的に受け取れる人とそうでない人と、この先愕然と差がついてくると思います。
どんな状況でも、楽観的に思える人と絶望の淵に立つ人とおられるでしょう。

今までになんらかの人生の危機から立ち直った経験のある人は今回も乗り越えていけるでしょう。

そのような逆境にあったことのない人にとっては、経験がない分、つらい過程になることと思います。それでも前向きに考えるようにして乗り越えていっていただきたいと思います。


自分が恐れの中にいるのか、希望の中にいるのか?

それは誰でもないあなた自身が選んでいます。

「あなたが見ている現実」をあなたが「現実と思ってるだけ」かもしれないです。

今はいろんな情報が錯綜しています。
何を自分が信じるか?は要注意ですね。



今回の原発問題は、ずっと見て見ぬ振りをしてきた
私たちの様々な問題をあからさまにしてくれています。

昨年までは個人規模ので抑圧やウソが暴かれてましたが、今は国家規模から世界規模に移ってきています。

これらは、分離思考による恐れ、自と他の関係において、自我(エゴ)が自分を守ろうとする恐れから起こっています。

原発問題も自分の心の中の現れと置き換えてみてください。

ブログにも書いていましたが、(「あなたの元気を発電する場所」)
壊れた燃料棒の放射性物質が漏れて海に流れている様子は、まさに中心が定まらなくて芯が通らず、生気エネルギーを無駄に漏らしてる私たちを象徴しているようです。

人を批判する前に自分は同じことをしていないか?とまず問うてみてください。

原発反対するのも、攻撃や怒りのエネルギーではなく、平和のイメージでもって取り組んでいきましょう。

不安が増すにつれ、自分の心をコントロールするのは難しくなってきます。
不安に陥っている自分に気づくたびに、深呼吸をしたり、心はできるだけ平安平穏になるように心がけてください。

感情が不安定になっている人は、エナジータッピングの動画を見ながらやってみてください。
不思議に落ち着いてくると思います。


────────────────────────────
■編集後記■

辛さや苦しさを経験するのもいやですが、そうなっている人を何もできずに見るのも辛い、と思っていたら、昨日答えが来ました。


「常に光を見ていなさい」


大きく変化する時には、既存の概念やシステム、価値観が崩れ去ったり、破壊が起きているように見えます。

でも何が起ころうとそれは新しい光の時代への準備。
膿だしは生み出し。
嵐のあとには必ず晴れる。

私たちの行く先には光がある。
自分の中でそれを失わない限りは大丈夫。
それがブレないということ。


ブッダがいかにして幻想を打ち破ったか。

彼は幻想より光を選んだのだ。
神聖なる社を自分のハートに保ち、光の存在となる。

というとスピ系っぽいが、霊性の目覚めた自分になるということ。

夢から目覚めれば新たな世界が始まる。


なにがあっても必ず!
目の前に光の道があることを忘れないで。

どんな状態になろうとあなたにも光は射している。

あなた自身も光の存在であり、
いつでもどこでも光を発することができる。

暗黒を感じたらどうか光を思い出して下さい。
自分が光の存在であることを早く自覚してください。

プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking←ワンクリック・ワン波動アップ♪

あなたの心の中に灯りをともして下さい。

小さな灯りでいいんです。
その灯りはずっとあなたの心の中にあります。

決して消さないように。

どんなことがあってもその灯りを保って下さい。


その灯りは、あなたの心を照らし、道を照らします。
歩き続けると、もっと道が見えるようになります。

どんなことがあってもその灯りを保って下さい。


でも覚えておいてください。

光が強くなるほど、影も濃くなります。

光と影は対なのです。


輝ける光をもっているあなたは、濃い闇を知っています。

濃い影を知っているあなたの中には、
輝ける光が潜んでいます。

光は輝くためにあります。
闇は光を封じ込めることも、輝かせることもできます。


どうぞあなたの光を解き放って下さい。
光を闇に埋もれたままにしないてください。

光を解き放てば、闇は闇として存在できます。

光が光として、闇が闇として
あなたの中に存在できます。

闇を解き放ち、光を解き放ち、
宇宙陰陽のダンスを踊りましょう。

その過程は楽ではありませんが、
それに向かったことを、あなたはきっと後悔しないでしょう。


「プチ奇跡」メルマガ 2009.11.25. 第233号掲載)
だけど記述は2006年。もしかしてすでにブログに載せてたかな?


自分に捧げる言葉(2)」からは、「プチ奇跡」メルマガから文章を選んでいるので、時々昔のメルマガの記事で載せたいものが出てきます。
メルマガの古い記事がたまにこのブログに載っているのはそういうことです。

自分に捧げる言葉」を購読してくれる方は、(1)から始めてくださいね。
そのように作ってありますので。

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・ワン波動アップ♪

プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション】 2009.5.13. 第209号 改訂版
(前回「あなたがあなたらしくあることを世界は歓迎している」からのつづき)

あなたは本当に自分のことを知っていますか?
自分のことは一番わかりにくい、見えにくいとよくいいます。
いらないものを捨てると、本当に大切なものが見えてきます。

自分もまた誰にも劣らぬかけがえのない大切な存在なのだと知ること。
そしてすべてのいきとしいけるものがそのような存在なのだと知ること。


人は誰でも良い面と悪い面があります。
まったく落ち度のない完璧な人などいません。

あなたがもし自分のことを責めているのなら、それはあなたが自分をいじめているのと同じです。

人にいじめられるととても嫌な気がしますし、悲しいし、くやしいですが、自分で自分自身をいじめていても、なぜか当たり前と思ってしまいます。
私たちは、自分で自分を痛めつけていてもなかなかそれに気づきません。


私たちの中には輝ける純粋な宝石があります。素晴らしい宝物です。
それは、私たちが生まれる時に宇宙が与えたもうたすばらしい贈り物です。

でも、私たちはいつのまにやらそれを忘れてしまいました。
ずっと心の奥深くにそれを潜めつつ、私たちは、外にその宝石を探しに出かけるのです。

なぜか人生はそういうからくりになっているようです。


私たちは、自分のことを今のままでは十分でないと見なして、「もっと良くなるには?」「もっと幸せになるには?」と模索し始めます。

いろいろな人に会い、教えを請い、いろいろな出来事を経験し、笑い、涙し、怒り、悲しみます。
そうやって傷つき、成長し、怖れを知り、愛を覚え、人として一人前になっていきます。

その過程は決して楽ではないかもしれません。
けれども何一つ無駄はないのです。

あなたが悶々と悩んでいたとしても、その過程の中には宝物を見つけ出すヒントが隠されています。
いったんあなたが自分の持っている宝物に気づき出すと、悩みは悩みでなくなり、それは宝を探し出す地図となっていきます。

私たちの魂は、輝く宝石そのものであった頃の自分を知っています。
なので、私たちは、そうでないまま生きている自分に対してふがいなさを感じます。

自分はもっとできるはずだ、自分はこんなんでないはずだ、
自分の人生はもっとよくなってもいいはずだ、
なにかがおかしい、こんなはずではなかった・・・
本当はもっと完璧であるはずだ・・・。


そのとおりです。あなたはもともと完璧だったのですから。
でもあなたは、今の自分のことを完璧と思っていません。
だから悩むのです。心配になるのです。不安になるのです。

でも、本当は・・・。


あなたは今のままで完璧なのです。
あなたの人生は何一つ間違っていないのです。

なぜならそれはあなたが選んだのだから。
あなたが自分で今の人生を選択したのです。
だから今あなたの目の前にはその人生があります。

あなたの願いはすべて叶っています。
どんなことでもあなたが願ったことは叶っているのです。

もし、あなたがそのことに気づき始めるのなら、
どんなに深い愛が今まであなたに注がれてきたかを知ることになるでしょう。
あなたがどんなに深い愛を持った存在であるかに気がつくでしょう。

あなたの人生にはなにひとつ無駄はないのです。
あなたは、そのままで完璧な存在です。
あなたはあなたのままでいいのです。

あなたは常に愛されてきたのです。
それを受け取るのをやめたのは、実は自分自身だったのだと気づくこと、

もっと深いところでは、自分自身がその大いなる愛の存在そのものであり、
それによってのみ動かされているということ、

それに気づき出すと人生が変わり出します。


悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking
↑幸せを人に伝えたい人〜ポチッと応援お願いします!
いつもありがとうございます m(_ _ )m

プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション】 2009.5.13. 第209号 改訂版

私は人に対して怒りの気持ちをもつのはよくないと思っていました。

腹が立ったり、むかついたりしたときは、自分の内面を見つめ、なにが起こっているのだろう?、何を投影しているのだろう?と見つめてから、自分の中心に戻り、その気持ちを消去していました。

しかし、「人に対して怒りの気持ちをもつのはよくない」ということもまた私の思考の枠だと、ある日気づきました。

人に対して怒りの気持ちをもってもいい、むかついてもいいんだ!

怒りを覚える自分を責める必要も否定する必要もないのだ。
ただ、怒りを持っている自分がいると知り、許せばいいのだ。
私はこういうことで怒りを感じるのだなー、と知ればいいのだ。

そんな自分もあっていいさっ。。。

怒っている自分は、いわば着ている服みたいなもので、
本体の自分は、その奥にいる別物だとわかればいい。

ふたつを別ものとしてみることができたなら、
本体の自分に移って、怒っている自分を眺めてみるといい。

「そうか、自分、怒ってるのねー」と怒っている自分を眺めてみる。
そうやって眺めることができたら、他の人にぶつける必要がなくなってくる。
なぜなら今の自分は、怒っている自分を眺めている自分だから。


まずは自分の考えの枠組みに気づくこと。
(上記の例では「怒りの気持ちを持つのはよくない」)

気づけば、その外に出ることもできます。

出れば、自分が背負っているものを見つめ直す作業ができます。
それがどのように人生に影響を与えているのかを知ることができます。

知れば、手放したいのか、そのままもっていたいのかを選択できます。


怒ること自体は悪いことではありません。
が、怒っているときは、わかってくれない相手を責め、そのようにふるまう自分を責めます。
怒りを感じている自分を受け入れることができれば、楽になります。

受け入れるというのは、怒りを爆発させてもよいということではなく、怒りを持ってもよいと自分に許可を与えるという意味です。
どんな感情でも、自分が持っていることを認め、受け入れることができたら、楽になります。

ここでいえば、怒りの感情を持ってもいいのだと自分に許したことですね。


息は吐ききれば、あとは放っておいても新しい空気が自然にからだに入ってきます。
押し入れの中にある長年使っていないものを捨ててしまえば、また新しいものをいれる余裕ができます。


私たちは、身体という押し入れにたくさんのいらないものを背負い込んでいます。また「意識」や「心」という引き出しにもたくさんのものを詰め込んでいます。

長年にわたって自分に詰め込んでしまったいらないものを思い切って捨てることで、新しい流れを取り入れることができます。

自分の引き出しに、どんな思いや感情がはいっているのでしょう?
古い思いでいっぱいにしていたら、新しい思いが入る余地がありません。

古い思いが「いやな自分」に関するものならば、なぜ後生大事にタンスにしまっておくのでしょうか?
さっさと出して捨ててしまえば、新しく「好きな自分」に関する思いや感情を新たにいれることができます。

いつまでも着古したぼろぼろの服を着たり引き出しにしまっておく必要はないのです。
さっさとぬいで捨てて、新しい服を身につけましょう。


悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking
↑幸せを人に伝えたい人〜ポチッと応援お願いします!
いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・ワン波動アップ♪

自分の内面の充実感により幸せを感じられるようになると、類友の法則で同じように幸せを感じている人を引き寄せるだろうと思うのですが、私の場合、反対に、自分が心地よく過ごせるようになると、なぜかつらい思いをしている人達がどんどん出現しました。

どんなに幸せを感じようと、死や病気、心労を避けることはできません。
自分がそうでなくても周りに起こりえます。

どんなに生活が充実し、幸せを感じようと、不幸は決してなくならない。
なぜなら、死がなくなることはないのだから。

仏教の話でしたっけ?

子供を亡くした母親が、どうにかしてほしいと仏陀のところにいきます。
仏陀は、「誰も人が亡くなったことのない家を探しなさい。見つかれば、子供は生き返るであろう。」みたいなことをいいます。
母親は必死で村中の家を訪ねて聞くのですが、どの家も必ず誰かが亡くなっています。
そこで母親は、人はいつか死んでいくのだ、と自分の子供が亡くなったことを納得します。

というような話がありました。

私、ちょっとこれに似た気持ちを味わいまして、

自分がいかに幸せを感じようと、まわりにある不幸はなくならない。
それがこの世界であり、人生なのだ。

と思いました。

2、3年前に気づきましたが、私は自分の幼少期に同じようなことを感じたらしいんです。

その時は、自分は無邪気な子供で幸せいっぱいだったのですが、ある日ある時、母が、兄が、あるいは他の人が幸せでないのに気づいたようです。

あれ?、みんな私みたいに幸せじゃないんだ、楽しいことばかりではないんだ、と思ったようで、そのとき私は間違った選択をしました。

それは、みんなが幸せでないなら、私一人幸せでいるわけにはいかない。
みんなに悪いから、私もみんなにあわせなきゃ。

そして、みなに幸せをあげる代わりに、
幸せを受け取ることを拒否してしまったんですね。

これは、この世の中、たくさんの人がしていることとと思います。

そしてツイッターでつぶやきました。8月10日に書いてます。

この世からは不幸は消え去らない。
それをふまえたうえで、本気で幸せになる覚悟があるか?
自分は心から幸せになると決意ができるか?
他の不幸を受け入れ、自分が幸せになれるか?
それができた時、世界は裏返る。


これをこのとき読んだ人はどう感じたかは知りませんが、
この言葉を書いたとき、そういう背景がありました。

どんなに世界が不幸になろうと、自分は幸福を選ぶ覚悟があるか?

ということですね。

今回、自分が幸せを感じている時に、そうでない人たちが続々現れてきたのは、もう一度この選択をするチャンスが来たのだと思いました。

やはり自分だけが幸せな思いをしていてはいけないという思いも出てきたし、もっと人のために何かしなくては、という思いもでてきました。

けれども、ラッキーなことにこの罠(課題)に気づきましたので、今回、私は幸せになることを選びました。

で、なにが変わったかというと、現状何も変わっていないし、また問題や悩みもでてきています。

でもそれらはすべてもっと幸せを感じるために起こっている「調整」なのだと思います。

もっと幸せになるために、自分の中にある不必要なものは捨ててしまわなくてはなりません。
そのためには経験したくないことも経験しなければならないかもしれません。

そしてその経験を通して気づきを得て、新たな自分に成長していけるのです。

そして、真の幸せは、

「楽しいことだけが起きる人生」ではなくて、
「すべてを受け入れて良しとできる人生」

なのではないかな?と思います。

どんなことがあっても幸せを感じることができる。
そのためには、死や病気や離別をも受け入れることができる。

この世で起こりうるすべてのことを受け入れることができて初めて本当の幸せに至るのかもしれませんね。
無償の愛とはそのことを言うのでしょう。

それには身ひとつとその心だけがあれば十分なんですね。

自分が生きている間にそこに至りたいものです。

メルマガ「プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション」 no.267 より抜粋編集。

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking
↑幸せを人に伝えたい人〜ポチッと応援お願いします!
いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・ワン波動アップ♪

(メルマガ「プチ奇跡・・」2010.9.22.第267号より)

太礼道のmixiコミュニティで出た質問について書かせていただいていたら、文章長くなったので、こちらに新たに載せることにしました。

今まで何回も書いてきていることですが、この習慣がついたほうが良いと思うので、再び。


感情は、マイワールドだと思います。
つまり、自分の中の世界の話です。

人の言動のせいで、自分の感情がいらついたり、怒ったり、傷ついたりしているようですが、本当は自分の心が反応しているだけです。

自分の感情に正直であろうとすると、他人を傷つけたり、攻撃したりしてしまいそう、、、
けど、我慢して抑えるとストレスになる、、、

では、「正直である」ことと「感情を出す」をどう両立させたらいいか?

ということについてですが、

「正直である」というのは、自分の感情に気づいて、それを素直に感じてあげるということであって、その感情をそのまま人にぶつけてよいということではないと思います。

ぶつけたらぶつけたで、そのツケは自分に返ってきますね。

まずは自分の気持ちに気づくことが大事でしょうね。


夢を見ている状態と同じで、たいてい夢を見ている時は、夢を見ていると思わず、それが現実と思います。
夢から覚めると、さっきのは夢だったのか、とわかります。


感情が出ているとき、例えば、怒っているとき、
怒っている最中はそれに夢中で、「今、怒っている自分がいる」と気づいていない場合が多いです。

すでに気づいている人は、自己観察が一段階進んでいる人です。

あとになって、怒っていた自分がいたな、と思い、反省したり、自己嫌悪に陥ったり、また怒りを感じたりします。

が、自己観察のあとに、評価や判断はしなくていいと思います。


「あなたの言動で私は怒っている」という事実があるわけですが、
だからといって、あなたが悪いとか私が悪いとかではなくて、
「私はあなたの言動に腹が立った」という事実があるだけです。

自分も相手も責める必要もありません。
感情が出るのは自然なことです。

その感情に、いい悪い、自分のせい、相手のせい、などの価値判断をつけるのは自分です。
その自分に気づくことも大事ですね。


例えば、

1)怒っている。
2)怒っている自分がいる事に気づいた。
3)怒っている自分は嫌だなと思う。
3’)自己嫌悪を感じている自分に気づいた。
4)すぐ怒る自分はダメな奴だと思う。
4’)自分を否定している自分に気づいた。

1)は、自分が怒っている状態に気づかず、怒りのるつぼにいる状態。
このときは客観的に自分を見れてないので、感情に振り回されている。

2)は、自分の感情に気づいた状態。

3)は、その感情に反応している自分。

3’)は、3)の感情に反応している自分に気づいた状態。

4)は、感情に反応した自分を判断している状態。

4’)は、4)の判断を下している自分に気づいた状態。


すべて気づいた時点でOKなのですが、たいてい次に自分の判断は加えてしまいます。
それは、あなたの思考パターンのくせです。

3’)4’)は、自分が自分に下している思考に気づいた状態です。
自分の思考パターンのくせに気づけば、それをそのまま持ち続けたいか、変えたいか、選ぶことができます。

だいたいその思考パターンの裏には、満たされていない思いが潜んでいます。
そこがわかると、また一段自己探求が進みます。

反応している自分に気づいた時に、それに対してまた感情を反応させれば、その感情に対して1)〜4)のプロセスが始まります。

そうしてマイナスのスパイラルに陥ってしまうので、常に「・・・を感じている自分がいる」という視点を持つようにして、それに気づけば、その事実だけ受け止めるようにするといいです。

「・・・を感じている自分がいる」と知り、それに反応している感情に気づき、感情の落下をストップするようにすれば、すぐに自分の中心に戻ることができるようになります。


1)怒っている。
2)怒っている自分がいる事に気づいた。
3)相手が話を聞いてくれないから腹立つのだと思う。
3’)相手が悪いのだと思っている自分に気づいた。
4)私のことを大切に思うなら聞いてくれるはずと思う。
4’)私のことなんてどうでもいいから聞いてくれないのだと
   感じている自分に気づいた。

いろんなバリエーションができますね。


頭に血が上っているときは、なかなか冷静に考えられないでしょうが、
「私は今怒っている。いったい私の中で何が起こっているのだろう?なんで腹が立っただろう?」と思って自分をみていくと理由がみつかります。

怒りのスイッチみたいなもんですね。
そこにふれられると自動的にスイッチが入ってしまう。


自分の感情を見つめるクセがついてくると、
スイッチが入った時に気づくようになります。

スイッチが入ったことに気づけるようになると、その瞬間に「今、自分はなにに反応した?」と即、出来事を顧みることができます。

感情がぶれるスイッチがオンになったら、即自分を見て、ああ、これが原因だなとわかると、相手が悪いのではなく、自分がそれに反応しているだけだとわかります。
ただその感情を身体で感じて収まるのを待てばいいです。

最初はなかなか収まらないかもしれませんが、何度もしていると、だんだんぶれる幅が狭くなってきて、第三者的に感情を見つめる自分ができてきます。


出来事や相手はただの引き金に過ぎなく、すべての感情は自分の内から起こっていると知ること。
たくさんの自分の思い込みによって、目の前の現実に感情的に反応していると知ることが大事だと思います。

そこを見るようにすると、そのうちその元が見えてきます。
たいていそこには、「・・はいけない」という自分に課した制限や思い込みがあります。

その思い込みを手放し、自分を許せたら、その件について感情はぶれなくなります。

ということを続けていくと、自然と怒らなくなるように思います。

「ああ、そう、あなたはそう思っているんですね」と思うだけで、自分の感情に投影しなくなりますから。

他の感情についても同じことがいえます。

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking
↑幸せを人に伝えたい人〜ポチッと応援お願いします!
いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・ワン波動アップ♪

先日、「テレビの洗脳について思い当たることがあれば書いてください」と投げかけましたところ、たくさんの方がコメントをくださりました。
日常的な洗脳に気づきましょう。

書いてくださった方々、ありがとうございます。
この記事のコメントを読んで無意識の影響を受けてるなと思うものがあれば、心に留めておかれると良いと思います。

真実だと思っている報道は、かなりコントロールされているらしいですので、そのままを受け取らないがよいかもしれません。

世界的に報道されているニュースなども裏で大きな力が動いている場合もありますから、一体何を信用したらいいか?と思いますね。
9・11同時多発テロのような大きな事件さえもそうですからね。

そういえば、いつぞやのインフルエンザの流行、
一気にみんなマスクして外出控えて、消毒液、、。
あれもかなり報道のあおりを受けていましたね。

テレビだけでなく、ファッション、書籍、婚活など、いろいろな分野でのあおりがあります。

健康法や健康食品などもそう。
報道されたとたん、どのお店でも売り切れ続出とか。

音楽やマンガ、小説、映画などは、そういう意図でないものも多いと思いますが、影響力は大ですね。

私は、中学、高校と大好きで何度も読んでいたマンガと、同じような人生を歩んでいる自分にある日気づいて、驚いたことあります。共感するから好きなわけだから、もともと通じるものがあるのでしょうが、自分で気づいていなかったところに、その影響力を感じます。

そう思うと、子供の頃に読む絵本やテレビアニメとか、かなり影響力があるのでしょうね。
童話などは元型的な話を取り入れているものも多いですから。

何を見聞きするかというのはとても大切ですね。

コメントにもありましたが、「自分で選ぶことができる」ということを忘れないでほしいです。
言い換えれば、「自分で選んでいるのだ」ということですね。

視聴者側が見なければ、当然、その手の報道はなくなります。
でもそううならないのは、皆が見るからです。
気づかずに見ている場合もあれば、文句を言いながら見ている場合もあります。
不安が多い人は見ないことをお勧めします。

テレビを見て、何を感じ、何を思うかは、他の誰でもなく、あなた自身です。

流行に乗っていないと、バカにされたり、のけ者にされるかも?と思って買いにいった、という行動をしたとしたら、それはあなたが報道に振り回されているのであって、テレビが洗脳するような報道をしたせいとは一概に言えません。
もちろん買いたくなるような誘導にはなっているでしょうが、それに引っかかるかどうかはあなた次第です。

上記の例で言えば、そのものが欲しいのではなく、「それを持っていなくてのけ者にされたら嫌だ」という思いから買いに走っているわけです。
自分のその心の動きは無視して、「これは欲しかったから買ったのだ」と自分に言い聞かせたとします。

みんなと同じものを持っているという連帯感が安心感を生み出すかもしれませんが、これをもってない自分では受け入れてもらえない、素の自分ではダメなのだという思いはふたをされます。

そういうことが積もり積もれば、、、

婚活でウソの自分になり切って結婚して、すてきな結婚生活を演じる自分にも気づかないで、はや数年。なんかおかしい、何かが違う、、、と思いながら、「あんたが悪い」とパートナーのせいにして、どんどんイライラが募る、、、

そういうひずみは少しずつ出てくるから恐いですね。

なんておどしているわけではないですが、もう、そういう風に生きるのはとても辛くなってくる時代に入ってきていると思うので、自分にできるだけ素直になって、うそをつかないようにしてほしいと思います。

今の自分ではダメだから人に合わせくては、、という自分から、そのまんまの私でいい、そのまんまの私を好いてくれる人たちと一緒にいるほうを選ぶ、とそちらのほうに移行していく方があとあと楽しい人生が待っていると思います。

テレビに振り回されないというのもそのひとつですね。
テレビでもよい番組もたくさんあるので、選ぶようにしたいですね。

(メルマガ「プチ奇跡」2010.9.3.第264号より抜粋)


悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking
↑幸せを人に伝えたい人〜ポチッと応援お願いします!
いつもありがとうございます m(_ _ )m

↑このページのトップヘ