いのちおりblog - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: メルマガ記事から

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ふたつのメルマガにて月1回、無料一斉遠隔ヒーリングを告知して行っていますが、
今日はその時の気づきの話です。

一つの遠隔は先月21日に、もう一つは今月10日に行いました。
どちらも「何も起こっていないような感覚」がありました。

思い出したのが「十牛図」。

いなくなった牛を探して見つけて戻る話ですが、
牛を「悟り」、童子を「修行者」に例えています。

以下、ウィキペディアからです。

十牛図は以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。

1. 尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。

2. 見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。

3. 見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。

4. 得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。

5. 牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。

6. 騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。

7. 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。

8. 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。

9. 返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。

10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。


伝 周文 筆:相国寺
55


8の「人牛倶忘」。

8 の絵は人も牛も景色も消えて、ただ円が書かれているのみです。
9 になるとまた風景が戻り、10では人がまた登場します。


今、時期的にそういうところだと思います。
2月半ばの今、2月のメッセージをもう一度読んでみてください。

そこに書いてある

『過去と未来をつなぐ橋渡し。それは過去に得たことを未来に活かすという意味で、自分が本当にすべきことを見つける道標となります。』

の部分。

今ちょうどそのかけ橋を渡っている頃のように思います。

悟りや自分を探して求めていた時期を過ぎ、それも自分の自我が作り出す世界の話だったんだと気づき、自分探しをするのをやめ、もっと根源的な自分の内から出てくるものを感じだしている

というところでしょうか?


(次回に続く)



この内容はメルマガ「コンシャスA」からの転載です。
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前回からの続きです。

「手放すのが怖い」を感じている時には、今までの状態に戻ろう、とどまろうとする心の動きが起こります。

今まで長い間、自分がこだわっていたことから解放されるのだから、そこから自由になれる時がやって来たのです。

でもそれは経験したことない未知の世界です。

そこで不安と怖れが現れて、「このままのほうが安全じゃ?」とつぶやきます。

すると自己価値を下げる心の動きが起きて、

それを得るに私はまだ値しない、
○○を手放してからでないと、、、
私にふさわしくない、
私は受け取る価値がない、、、

などいくらでも変わるべきでない理由を見つけてきます。

それは自虐的な快感を伴い、あなたにストップをかけます。


自分を過小評価したり批判したりすることは毎日起きています。
それに気づいたら、自己価値観を引き下げる自虐的快感に酔いしれず、
うっ!とこらえましょう。

この部分は自分以外の誰にもできません。
自分でするしかないのです。

自分を過小評価したり下げたりするのをぐっとストップしましょう。

自虐的な快感や悲劇のヒーロー/ヒロイン的快感を、うっとこらえて、
そちらには行かんぞと決めてください。

そして快感の方向を変えましょう。
つまり、そのうっ、ぐっとこらえること自体を快感にするんです。


「快感」という感覚自体は同じです。

あなたが自分をいじめて快感を感じるか、
今の状態から脱出するための挑戦を快感と感じるか、
幸せや楽しいことをして快感を感じるか、

何に対して快感を感じるかはともかく、快感、それ自体は同じです。

なので、自分が望む方向に向けて快感を感じてください。


その快感度をだんだん「うれしい、楽しい」という方向に向けていきましょう。
ある程度いくと、早く「うれしい、楽しい」状態になりたいと思って、さっさと今の状態を手放して次にいこうとします。


手放したいことがあるのなら、「・・になりたい」「なったらいいのに」と強く思うのではなく「こうなったらいいな」とそうなってからのことをイメージしましょう。

遊び感覚でいいですよ。
眉間にしわ寄せて、叶った状態をイメージしなきゃと、「う〜ん」とイメージしても意味ないですからね。

日頃から叶った状態や、叶ったあとのことをイメージしていたら、チャンスがきたら、「キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ !!!」とすぐに受け入れられます。


「そうはいっても、、、」という思いが首をもたげてくるのなら、あなたは手放して次の段階にいくより、まだ今の状態にいるほうがなにかしら好都合なんだと思います。
何度書いてもいいですが、理由はいくらでも出てきます(作り出せます)。

そこのところをよく考えてみましょう。


自分にとってはそういうところは盲点になってわかりづらいです。
自分ひとりでそれをしていくのはなかなかたいへんです。

対面セッションやエネルギーワークでそのサポートをさせていただいています。
1ヶ月集中エネルギーワーク「ゴールデンマトリックスコース」は23日まで早割価格です。残1名様のみ!
新しい段階に向かいたいあなたをサポートをします!

体験された方の感想はこちらです。

毎月の無料遠隔は、メルマガ「コンシャス・アウェアネス」でお知らせしています。この記事もメルマガから抜粋しました。

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手放したいんだけど、取り除きたいんだけど、
いざ本当に手放せる段階になると、

手放すのが怖い、
身をゆだねる、任せるのが怖い、

と感じてますか?

愛されたいとか、お金持ちになりたい、とずっと思いながらも、いざ無条件で愛してくれる人が現れたり、だれかが「100万円あげるよ」と言ったとしたら、あなたはすんなり受け取れますか?

いや、私なんて、、、。
きっと裏があるのでは?

なんて思ってすんなり受け取らない、、、ですか?


自分が手放したい状況が、いざ手放せる段階になると怖くなる。

それはなぜか?

「欲しい、なりたいという思い」=「手に入ってないから手に入れたい」

なのですね。


「手に入ってないから手に入れたい」という思いが強いあまりに、本当にそれが手に入った時やそのあとの状態を想像していないんです。

だから待ちに待った「手に入る」という瞬間が訪れたとしても、それに対して心の準備ができてなかった、、、ということになりかねません。

「まさか本当に手に入るなんて、、、」と動揺してしまい、
「まだ早い!自分にはムリ」とチャンスを逃がしてしまいます。

本当に手に入ると思っていなかったか、手に入るとしてももっと先だろうと思っていたのでしょう。

「手に入れたい」思いには入念ですが、「手に入る」ことに対しては手薄だった、ということです。

チャンスはあっという間に過ぎ去ってしまいますので、また次のチャンスがやってくるのを待たねばなりません。
せっかくチャンスが来ても、怖じけついてしまったらもったいないですねー。

なんのために今までがんばってきたんだか、、、。

そんなことにならないように、手に入れたい、何かを手放したい、変わりたいなどと思うのであれば、その思いに意識を向けるのではなく、望み通りになったあとどうなっているのか?そちらのほうを考えてみましょう。


続きはこちら。

メルマガでもいろいろ書いています。
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ついに10年間続いたメルマガ「プチ奇跡」の最後の配信となりました。

読んでくださってる皆様方、ありがとうございます。
応援して頂けるからこそ続けてこられたと思います。
感謝です!

10年かあ〜。いろんなことがありました。

書くことが得意でも好きでもなかったのですが、
書き出したらだんだん書けるようになりました。

自分で体験して気づきがあって、それをネタにメルマガにする
という流れが主流になりました。

「プチ奇跡」は終了ですが、新メルマガはすでに始まっています。
また心機一転、新たな気持ちで書いていきたいと思います。

これからもよろしくお願いします!

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ブログは最近、書いてないですね 
こちらもまた書いていきたいと思います。


悦月のセッション詳細

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長い間、配信していました「プチ奇跡」ですが、このたびまぐまぐの配信を終了します。

そして「いのちおり便り(無料)」と合体して、
コンシャス・アウェアネス ∞ conscious awareness ∞ 無限なる可能性へ!」(仮題)として新たに始まります。

まぐまぐは4月中旬あたりで配信終了する予定です。

今まで通り「プチ奇跡」メルマガの購読をご希望される方は、お手数ですが、新メルマガ購読のご登録をお願いします。

すでに「いのちおり便り」を受け取っておられるならば、登録されなくてもメールアドレスの移行はこちらでさせていただきます。

これからもまたいろいろと書いていきますので、引き続き、読んでいただけたらたいへんうれしく思います。

解除はいつでもできますからご安心を。

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3月20日から料金が変わります。19日までのお申し込みは旧料金です。


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コーチングでは過去は関係ないと言います。

実際、セッションの時に過去の話をあれこれ聞きません。
これは私が以前していたセッションとの大きな違いかもしれません。

過去の修復にエネルギーを費やすより前を見るほうが変化が早いです。
なぜなら前を見ることの中に過去の修復も含まれているのですね。

過去を癒してから未来を見るというのは過去と未来と二段階アプローチですが、未来思考ができてくると過去が気にならなくなっていきますから、一段階、お得です。
お得という言い方がいいかどうかは別として(笑)

人によっては、過去の問題を解決しないとこの先、良い人生が歩めないとか、今の自分を変えないとよくなれない、今の自分は過去の出来事が原因していると思います。

私も以前はそう思っていました。

とくに親との確執。


過去の出来事や体験が今の自分を形成していると思うのが通常です。

そのためにトラウマを癒し、過去に得た考えや思い込みを取り外し、違う認識を持つことで前に向かって進める、、、。

それも確かにそうですが、過去に原因を探ることで、その出来事をありありと思い出すことになります。

過去の臨場感があまりに強い場合、つまり現在も過去の出来事をありありと心の中でリプレイしていて強い感情を感じている場合は過去へのアプローチも必要になるかもしれません。


でも大事なのは今です。

今どんなことに臨場感を感じているか?

それが過去の体験であれば、今に生きてないです。


続きはメルマガ no.414にて
(最新号のみ掲載ですので、次号が出たら内容が変わります)


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「本当の自分」って言うけど、
本当は「本当の自分」なんてない。

けど、

自分が本当だと思えば本当だから、
あるといえばある。


「自分らしく」って言うけれど、

その自分らしさってなに?
それは本当に自分らしいの?

と考え出すと、

ある状態が「自分らしい」と、
自分が思っていただけと気づく。


親に似た性格、育った環境、、、


でもそれはあなたそのものじゃないよね?

外付け、後付けされたあなた。


あなた自身が「自分」を定義している。

私はこんな性格、これが苦手、これが得意、etc…



今の自分がどうなのか、
今そんなことを考えても意味がない。

最高の自分は今の自分と同じようには考えないから。


最高の自分だったらどんな風に考えるだろう?
どんな風にふるまうのだろう?


今の自分が最高だったらどんな気分だろう?
いったい何をしているだろうか?

考えるだけじゃなく、感じてみようね!



全文はこちら→ メルマガ「プチ奇跡」no.412
(次号が出たら内容は変わります)


悦月のセッションについて

11/22 (土)京都で、マスターとなづなちゃんとトークライブします。

11/29 仙台で開催!「Change the World 〜世界を変えるコーチング〜」


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札幌セミナーは10/26です! 早割は今日まで!
参加者にスペシャル特典つき!


10/27(月)に札幌で悦月の個人セッションがあります。
札幌では始めてです。次はいつになるかわかりません。
お近くの方はぜひどうぞ! → お申し込みフォーム

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今日は「プチ奇跡」メルマガ no.408からの転載です。


現在、苫米地式認定コーチたちと各地でセミナーを開催しています。

東京セミナーの時に「現状の外にゴール設定する」ことがとても大事だという話をしました。

「現状の外」は今の自分には見えません。
現状の自分がゴール設定をすると現状の中に設定しがちです。

今の自分には見えない現状の外のゴールをどうやって設定するのでしょうか?

そこでコーチの出番となりますが、コーチがゴールを教えるわけではありません。
クライアントが本当のゴールに向かえるよう働きかけをします。

本当のゴールがまだ見えてこないときは仮のゴール設定をします。
今の自分には達成方法がわからないぐらい大きいものがいいです。
ただし自分が本当にしたいと思うことのみで。

ゴール設定というと、目標に向かってがむしゃらにがんばらねば!というような一昔前の成功哲学的に思う人も少なくないでしょうが、

「自分が本当にしたいこと」
「自分が実現したい世界」

という風に置き換えてもいいと思います。


私たちが設定するゴールはまわりからいわれてきたことや常識の範囲内に留まりがちです。

本当に自分が欲しているのか、他から言われてきたことをそうだと思い込んでいるのか?
よくよく吟味してみる必要があります。


現状の外に仮ゴールを設定すると、スコトマがはずれ、今まで見えたなかったものが見えてきやすくなります。
あるいは、思いもしなかった出来事がやってきて、現状の自分を変化させることになります。


例えば、バンジージャンプを飛ぶことは現状の中です。

なぜならその場所に行ってチケットを買えば飛べますから。
どうやってそうしたらいいかがわかります。


バンジージャンプは知っていても関心がなく、「自分がバンジージャンプを飛ぶ」という考えを全くもってなかった人が、人に誘われて行くことになった場合、現状の自分が考えつかなかったことが目の前に現れたことになります。

自分が飛ぶことは思いもよらぬこと、つまり、スコトーマ(盲点)になって見えてなかったことになります。

もし高所恐怖症ならば、飛ぶことはその人にとって論外でしょう。

現状の外とは、普段の自分ならしないこと、思いつかないこと、それをすると自我が変わってしまうようなことです。

バンジーを飛ぶことはゴールではないでしょうが、自分では思いつかないことが舞い込んできたときはあえてやってみることをお勧めします。

やることを考えると、ドキドキして手に汗を握るぐらいのものがいいです。

無意識は顕在意識よりはるかに賢く先見の明があります。

今の私たちには点が散らばっているように見えても、無意識はそれらの点がどのようにつながって絵を描いているかを知っている視点から物事をもたらしてくれます。


今の自分にはわけがわからない、あるいは無駄に思えるかもしれませんが、あえてそれをやってみると、その向こうに、それまでは思いつかなかったようなご褒美が用意されているかもしれません。

新しい体験をするとスコトマがはずれやすくなり、認識が広がります。

強制的に変わらざるを得ない状況に追い込まれるよりは、自分から進んで変化に向かうほうがはるかに楽ですし、達成感もあります。

コーチングを受けると、変化への抵抗が減り、今までしなかったようなことでも自分の本当の望みに合致するなら、進んで向かうようになっていきます。


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前回の「アナと雪の女王」と「ミッキーのミニー救出大作戦」の話の続きです。メルマガでは全部まとめて書きました。

反対に、「そういう風に気にするのが大人であって、子供は無邪気にああいうのを楽しむんだよ〜」という考えもあると思います。

子供の無邪気な残虐性というか。

・・・でもやっぱり違うなと思います。

子供に無邪気な残虐性があるのは認めるけど、これは大人が作っているアニメだから、大人が子供に「それが正しい」と言っていると同じだと思います。

正統派であれば集団リンチしていいって感じでしたから。

自分の家族は自分で守るというアメリカらしい考えに見せながらも体制側に従わないとひどい目に合うよ〜って言っているような気もしました。

体制側にしてみれば、正義心を振りかざして国家のために働いてくれるような人材は扱いやすいと思います。
裏からの差し金でそういう風に作りなさいと言われたのだろうか?とも勘ぐってしまいます。今ではアメリカ国民もアメリカの起こす戦争が正義ではなかったと気づき出してますから。


ところで、私はもう15年ぐらい?家にテレビがない生活をしているので、あんまりテレビを見る機会がありません。だいたい1〜2週間に一回ぐらいどこかで見る機会がありますが、久しぶりに見るとニュースの毒々しさに驚きます。

殺人やら事故やらのニュースを見ながらみんな平気に朝ご飯や夕ご飯を食べているのか!?と思うと、慣れることの恐さにびびります。

私も毎日テレビをつけていたら、そのようなニュースに全然慣れてしまいます。「またか」ぐらいに思うだけでしょう。

毎日聞いていると慣れちゃうんですね。
実際、昔テレビがを見ていたときはそれとなく見ていましたからね。

でもたまに見ると、よくもこんなの平気で見ていられるなと気持ち悪くなります。

一番恐いのは、そういうことを素通りできる体質になることではないでしょうか?

間接的にそういう情報に慣れてしまうと、テレビのニュースでまた殺人かと思うのと同じように、気にならなくなります。

これが最大に拡大されると、ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンになってしまうのではないでしょうか。

数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った人です。
彼はユダヤ人に対して怨恨などなく、残虐な性格でもなく、任務だったから遂行したというだけらしいです。
彼にとって重要だったのは任務遂行であり、それが大量殺人でも、そこは問わなかったみたいですね。


ハンナ・アーレントが名付けた<悪の凡庸さ>、
『彼が20世紀最悪の犯罪者となったのは思考不能だったからだ。』

数百万の人々を殺すことも思考不能だったからこそできたことなのでしょう。

東日本大震災のような惨事では、場合によっては思考停止することが必要かもしれません。

が、日常のいろんな場面において、私たちの思考を停止させようとする作為がたくさんありますから、それに気づいて、そうならないようにすることが大事だと思います。


何が正しいかなんて、その人の価値観や時代の価値観でいくらでも変わります。
絶対的な真理を探す時代はもう終わったのではないでしょうか?

まわりに振り回されたり合わせたりということなく、おのれの心眼で物事を見極めたいですね。


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超瞑想法」(苫米地英人著)にわかりやすい話が書いてありました。

概要は、

東京のとある飲食店は、パスタやピザ、ワインなども出しているのでイタリアンレストランっぽく見えるそうですが、来る人はみな、そこがカフェだと知っているので、入ってきたら勝手に空いている席に着席するそうです。

ある日、著者がアメリカの友人たちと一緒にそこに行ったら、そのアメリカ人たちはそこをイタリアンレストランだと勘違いして、入口で立ち止まって、ホールスタッフが案内してくれるのを待ったそうです。

カフェがイタリアンレストランに変身したわけですが、その場所自体は何も変わっていません。

そのアメリカ人たちにとっての「カフェ」とはこういうところ、「イタリアンレストラン」とはこういうところという情報場からみれば、そこはイタリアンレストラン。

日本人とアメリカ人の「イタリアンレストラン」や「カフェ」に対する情報場が違っていたわけです。

情報場は過去の記憶(情報)によって生み出されますが、ちょっとした経験の差によって情報は変わり、場も変わってしまいます。情報場が変わることで、その写像である物理場も変わってしまいます。
物理空間の事象は何ひとつ変わっていないのに、情報空間の場の因果関係がちょっと変わるだけで、物理場は自由自在に変わってしまうのです。


詳しいことは本を読んでください。この本、おすすめですよー


これはもちろんカフェ、レストランに限ったことではなく、私たちの生活のあらゆる面において起こっています。

日常では、この話は「勘違いだった」で済まされることですが、同じ場所なのに人によって違うものになるということをあえて考えてみるとすごくおもしろい現象だなあと思いました。

そこがカフェだということを知らされた瞬間に、イタリアンレストランがカフェに変わるんです。

不思議だと思いませんか?

魔法使いが魔法の杖をくるんとひと回しすると、ア〜ラ、不思議、そこにはきれいなお姫様と馬車、みたいな感じですよ。

私たちは「そこにカフェが存在する」という前提を確固たる事実として受け入れていますので、場所が変わらなくても、「アメリカ人が勘違いした」で済む話です。アメリカ人にとっても「自分が勘違いした」で済む話です。

けど違う視点からみると、一瞬でイタリアンレストランからカフェに変化した(あるいは逆)という現象が起きたということになります。

情報や情報空間の場の因果関係が変われば、現実が一瞬にして変わるかもしれないということです。
出来事や場所や物や人そのものが変わらなくても。

私たちが現実だと思っていることは、みなそのようにしてそれぞれが受け取っています。

何かに対して自分がどういう情報をもっているかによって現実が違ってきます。

その情報を変えてしまえば、あなたがそうだと思っている現実が一瞬で変わるかもしれないです。
「イタリアンレストラン」という情報場が「カフェ」に変わったように。

例えば、

悪い人だと思っていたが、いい人だった。
嫌われていると思っていたが、向こうが恥ずかしがりやなだけだった。
本当のお父さんだと思っていたが、義父だった。
30歳だと思っていたら40歳だった。
男と思っていたら女だった。
家が貧乏と思っていたが、お金はたんまりあった。

などなど、日常でもいろいろありますね。

子供の頃、まわりから植えつけられた情報(悪く言えば「呪縛」ですが)を信じてしまったがゆえに、そのような自分になり、そのような人生を歩んでいる確率は大です。

頭が悪いのは、親にいつも「お前はばかだ」と言われつづけて、勉強をしなくなっただけかもしれないし、ばかだと思い込んだため、頭が回転しなくなったのかもしれません。

まわりの人たちもそれに気づかず、社会や国が求める人物像になろうと努力しているのが大半だと思います。

自分がどういう情報とつながっているのか、いちいち検討してみる価値はあると思います。

そのお手伝いをさせていただいています。→ セッション詳細


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6月のメッセージに共感された方がわりといらっしゃるようです。

ということはそう感じている人が多いということでしょう。

あれしなきゃ、これしなきゃと考え続ける左脳的マインドから、
ぼーっとしているようで、一瞬で虫を捕らえるような右脳的意識が目覚め始めていますから、今までのマインドからみたら、さぼっているか、停滞しているようにしか見えません。

それで今までのマインドはあれこれと悩み始めますが、
そうするとまた今までと同じ穴のムジナにはいってしまいます。

左脳的思考は論理思考ですから、データをもとに未来予測します。
時も刻々と刻まれていきます。
だから不安もたくさん出てきます。

極端な話、、、
子供の頃の30点のテストを持ち出されて、

「私はテストが30点だったからこれからが不安なんです。きっといい職にもつけないでしょう。」

という人がいたらあなたはどう思いますか?

そんな昔の話を今持ち出して、将来が不安だと言われても、、、
と思うと思います。

テストの点とこれからの行く末には何の関連性もないですが、
関連づけている人にとっては大アリです。

私たちはそういうことをよくします。

私たちの自己イメージはほとんど、子供の頃の親子関係を筆頭とする人間関係から作られています。
親、兄弟、近所、友人、テレビ、教育、、、


過去の出来事からデータを自分なりに分析して、
これはこういうことだという蓄積が今の自分を作っています。

自分で作り上げた自分のデータですね。
それを自分だと思い込んでいます。

それプラス、世間一般の常識など。

続きはメルマガで。(最新号のみ公開されます)


6月のセッション予定はこちら


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しばらく前に「神がいなくなった」という話をブログに書きました。
神という言葉を用いていますが、結局は自我の変化が一番大きいんだろうなと思います。

自我は全体から分離したものですから、全体を「神」的な存在と思って、自分は部分、つまり不完全なものと感じていたと思います。
だから、完璧や理想にあこがれ、それを目指してきました。

けれども今、そのエネルギーが弱まり、自分の中にすでに完全さがある、自分の外に全体があるのではなく、自分の内にそれがある、、、というより、自分はそのものであるという意識が芽生え出しているように思います。

「自分が神であることを思い出した」ということになります。

『「ない」の世界』から『「ある」の世界』に入ったといえるでしょう。

でも現実的な実感としてはまだまだ神レベルではないよ〜という話なんですが、すべて自分の中にあるってことですね。


でもおもしろいことに、その自分ってなんなの?と追求すると、思った以上に「自分」なんてものがなくて、究極「自分=宇宙」という答えになっていきます。

これがトーラス構造の由縁だと思いますが、すべて自分の中にあるけど、自分が思っていた「自分」は空っぽで、その先には広大な宇宙が広がっていたという感じでしょうか。

神がいなくなって私たちが神次元にきたというのはこういうことなのかもしれません。
もう「ひとつになる」なんて思考は必要なく、「ひとつである」のがあたりまえという段階に入ってきているように思います。

無意識領域でそうなってきていると思いますが、これが現実世界に現れてくる頃、「自我」の認識がずいぶんと変わっているかもしれないですね。

今月はそのほんの始まりなのだと思います。

全文はメルマガ「プチ奇跡」にて



しかしここで自我がある限り越えられないものがあることに気がついたが、その答えは前に出てた。
自我がそのレベルになったら、本当に神次元かもしれないです。

でも私たちの意識はそこに向かうんだろうナー。


メルマガ「いのちおり通信」もあります!


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東京の対面セッションは、29日(火)午前中です。
京都での対面セッションは25日(金)です。

お申し込みフォーム


春分以降、ずいぶんとエネルギーが変わり、楽になった人は多いんじゃないかなと思います。

しかし自己卑下、自己否定というところから抜け出せてない人もまだ多いようです。

それが強かった私でさえ、今はすっかり変わりましたので、自信をもって「大丈夫!」と言いたいです!
ただ自分への根気強い働きかけは必要になりますが。

簡単にいえば、自分が自分に対してそう思っているわけなので、それをやめればいいんですが、なかなかそうも問屋がおろさない。

私もそう思えるようになるまで長い年月がかかりました。

でもそこから出てみれば、もう少し高い視野から物事が見れるようになりましたから、結局自分が何に同意しているかなんだということがわかるようになりました。

いろんな思いが渦巻いてこんがらがっていて、自己否定はたいてい親の育て方から来るものだから、「自分がこうなのは、、、」と親を責めたくなるかもしれません。

が、誰かを責めている限りはその状態が変わることはありませんし、自分も成長しません。

自分は悪くないと思っているので、自分ではなく、相手を変えようとします。

そして、変わってくれない相手、わかってくれない相手へのフラストレーションはつのるばかりです。

そういうときは、相手のことをわかろうとしていない自分、変わろうとしない自分がそうしているのですが、自分を省みない限りはそれに気づくことはありません。


私も長年、親のせいにしていました。

確かに私のことを肯定してくれる親であれば、全然違った人生になったであろうとは思うけど、でも今こうしているのは今の親に育てられていろいろと苦悩した挙句の果て、ブレイクスルーがあってのことです。

今の親でなければ、このブログは存在していなかったでしょうし、私も違うことをしていたと思います。

今では親の視点がわかるようになっていますから、私はとんでもない子供だったんだなー(汗)と申し訳ない思いでいっぱいです。

まさかそんな気持ちになろうとは。
20代の頃なら想像もつかなかったです!

あの時は見えてなかったものが今は見えているってことですね。

それによって過去も変わります。

続きは明日配信のメルマガで。


自己否定のもとは親子関係です。
だから自己否定をなくすには自分の親への思いを変えるが一番。

もういい加減そこから抜け出したいよね、という人に!
一人でずっと考えているよりよっぽど変化は早いです。
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昨日配信のメルマガ「プチ奇跡」より。
 ↓ ↓ ↓

「3月のメッセージ」を載せました。

そこに出てきたこと。

-------------------------
過去の出来事を見直してどうにかしなさい、
メンタルブロックを見つけてはずしなさい、

という話ではなくて、ただそれに気づいて、
それがあるから進めないと思っている自分に気づいてください。

それがあるから進めないのではなく、
「それがあるから進めない」と思っているから進めないのです。
-------------------------

「それがあるから進めない」
と思っているから進めない...


うん、確かにそうかも。

それがあるから進めないって誰が決めた?


そう、自分。

自分がそう思っているから進めない。

あるいは、進まない。


もしかすると、本音は、進みたくない?


だから

「それがあるから進めない」

って思っているがいい?


それとも、

「それがあるから進めない」
って思うほうがやりがいがある?


チャレンジャーだねえ(笑)



本当は進む必要がないから、
行動したがらないっていうのもあるよね。


人にいわれていることだったり、
人の価値観に合わせなきゃって思っていたり、

それをするのが必要だと自分も思っているけど、
本当は自分のしたいことではない、、、かも?


そういうときって身体は正直に止まってしまう。

ムリをしていると、
身体に不調が出るかもしれない。

身体の不調は本心からのメッセージだから、
なにか自分の本音にウソをついているかもしれない。


自分が本当に心から楽になる方向に向かうと
身体も楽になっていくよ。

どちらが先かということはないから、
身体を先にゆるめてもいい。

身体も心もゆるゆるとしてくると、
本当のところが見えてくる。



物事を押し進めようとする時、
勇気と思い切りが必要な時は
思いきってジャンプするがいい。

ジャンプしてみれば、
たいていたいしたことなかったと思う。

怖いと思っていたのは
ジャンプしてなかったからと気づく。


本音ではしたくないことは
ムリして押し進めると身体が緊張するし、
ストレスがたまってくる。

それはきっと方向が違うんだろうね。


考えていると、
だんだんとしたがいいのかどうなのか、
わからなくなってくる、、、。

そんなときは考えるのをやめて放り出してしまおう。

しばらく忘れて違うことをしよう。



そうしていると、フッと答えがおりてくる。

きたら、もう迷わない、即行動!
(それをしないことを実行!もあり)

この時に必要なのがちょっとした勇気と思い切り。

思い切りは思いを切るのだから、
いらぬ思いはそこでガッチョーン遮断しちゃおう!

そして何も考えずにジャンプする!


今月はそれを3つぐらいするといいらしい。
そうしておくと数年後,飛躍的に変化しているらしいよ?


ちょっとドキドキしてみよう!

最初のひとつがジャンプできたら、
あとはもっと楽にできるよ。

最初のジャンプが一番怖い。
だから小さなジャンプを選べばいい。

一回飛んだら「大丈夫」ってわかるから、
次に飛ぶときはちょっとワクワク♪

それのくり返し。

今月はそんな風に過ごしてみようよ!


ということで、
ドキドキ楽しい3月をお過ごしください。

・〜・〜・〜・〜・〜・

ちょびっとドキドキしてみる? ヾ(*'▽'*)ノ
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残席1名さまです。


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見える世界ではいつもの毎日が営まれているようで、
見えない世界では刻一刻と変化が進んでいるのを感じます。

だんだんと「あるがまま」「今ここ」という状態が
当たり前の日常に浸透し始めているようです。


今の自分ではいけないという刷り込みをひたすら受け続け、
もっとできる自分になろうとがんばり続けた今までの社会。

もうそれはいいんだ、、、、。

な〜んだ、そのまんまの自分でよかったんだ。

というところにだんだんと着地する人が増えているようです。

それに伴い、この世界も、変わらなければならないというところから、
このままでパーフェクトだと気づく方向に向かっているように思います。


相変わらずいろんな問題がてんこもりの現代社会ですが、
それでもそれで完璧と気づくこと。

この世の中に輝きを見いだすこと。
汚濁の中の隠された慈愛に気づくこと。

この世界に隠された慈しみの心に気づくこと。

それらを通して、この世界がパーフェクトであると知ること。
また自分自身も今のままでいいと知ること。

集合無意識がこういう段階に入ってきたように思います。


そして、この度合いが深まれば深まるほど、
この問題山積のこの社会はいつのまにやらどこへやら。
皆が望んだ社会に変貌していく、、、。


人々が心の目を通してそのように物事を見るようになると、
そのような世界が現れてきます。

見えていることの裏に潜む本当の存在価値を見いだして祝福すると、
その人にとってこの世界はありがたき恩恵の世界となります。


良きも悪きも意味あってのこと。
どちらがいいも悪いもなく、存在すべく存在している。

その理由がわかってくると、
とてつもないこの宇宙の仕組みを感じ出して、
すべてがあるがままで完璧だということに気づいていくでしょう。


外に幸せや理想を求める時代はもう終わりつつあり、
今のこのままの状態にある幸せに気づく時代になりつつあります。

素の自分、素の世界に戻りつつあるといえるでしょう。

メルマガ第357号より


最近はまた眠い時が多く、ブログを書こうにも眠くて「また明日にでも、、」と思ってしまうこの頃です。


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もう何者にもならなくてもいい。
なにかになろうとしなくてもいい。

私は私。
私は私であればいい。


でも私って何者?
私に何ができるの?

もうそんなことも考えなくてもいい。
ただただここに在る自分を祝福しましょう。



あなたがあなただと思っているものは
本当はあなたではないのだから、

それに気づき、その仮面をはぎ取って、
ただただたたずんでみよう。


何者でもない自分になった時、
それでも存在しているのなら、

あなたは何者かにならなくても
すでに存在している。

存在理由を求めるのは自我だ。


すでに存在が認められているから
あなたは今ここにいるのだ。

だとしたら、誰がなんといおうと
あなたはそのまんまでOKなのだ。


争いがあってもOK。
トラブルがあってもOK。
ダメな自分でもOK。


そのすべてを慈愛で包み込めたとき、
新たな扉が開いているのを知るだろう。


メルマガ「プチ奇跡」第357号より)


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「究極のお茶会」 あと1名様!
場の精妙な波動のなかで最高のケーキと紅茶を飲みながら、ゆったりと魔法の時を共に過ごしましょう。


今日配信のメルマガから。
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今日は10日の新月であり,旧暦の元旦です。
2013年はこれから本格的に動き出していきそうです。

立春以降、心身不調の方がけっこういらっしゃるようです。
今ちょうど新しく始まっているエネルギーと今までの古いエネルギーとがせめぎ合っているような時期です。

新しい地に着いたけど、自分自身はまだ旧式思考。

郷に入っては郷に従え。
新しい地には新しいやり方があるので、今までのしきたりや慣習をもったままではいられません。

新しい地にあった生き方がこれから始まります。


マインドの話でいえば、
エゴの自分とその奥にあるあるがままの自分が葛藤を起こしている感じ。

エゴの自分は昔ながらの思考パターンを保持しようとがんばりますが、本心はもう新しい世界の幕開けにワクワクし始めています。

マインドは古い思考パターンから物事を見て、何かがヘン、どうにかしなければととまどいます。


エゴの恐れが強い人は、新しい変化を恐怖と受けとりますので、とてもおそろしいことが起きているような、自分が最悪の事態に陥っているように感じてしまうかもしれません。

今までの自分の人生はなんだったのだろうか?
私は何のためにがんばって生きてきたのだろうか?

と思い悩む人も少なくないと思います。
なぜならエゴが無力感を感じ始めているからです。

エゴにどれほど執着があるかによって恐れの度合いが違います。


すでにエゴと自分を切り離してみることができる人は、時々現れてくる古傷に行きつ戻りつしながらも、新しい地を歩きながら少しずつ適応していっているか、すっかり新地になじんで新しい感覚を味わっているか、、、。


この流れに全く気がついていないとエゴが慌てます。

もうすでに魂に沿った自分が現れ始めているのですが、エゴがそれに気づかなかったり、それを押し込めて、今までの価値観で成果をあげることを第一としていたら、ストレスになるような出来事がたくさん起こるでしょう。

そのまま魂に沿っていくとしても、今までの価値観と全く違うので戸惑いがちです。


「こうしなければ」と思う自分と、
もっと奥の「こっちだよ」と手招きしている自分。

その狭間で居心地が悪く、自分の中が二つにわかれ、どっちつかずでどこにもいけず、溝にはまって動けないような、、。

理性はちゃんとしろ!と言いますし、今までのやり方をとろうとします。

新しく現れつつある自分もあちら側から手招きしていますが、長年培ってきた思考癖が「お前はそちらに行くに値しないだろ」と耳元でささやきます。

そこでまた、「この問題をクリアしたら」「今の私が変わらなくては」と今の状態をどうにかしなくてはと思います。

そうなると同じ穴のムジナ。


なんにもしなくても、そのまんまでもあなたはあちら側に行けます。
呼ばれる方向にただ「はいはい」といけばいいんです、本当は。

でもなかなかそうできないのがエゴのこだわり。


どちらにしろ、あまり問題にとらわれず、静かに遊ばせておく感じで、そのうち答えが出るだろうと思っているぐらいがいいと思います。

どうにかしようと思えば思うほど、底なし沼にはまり込むようなもので、なかなか抜け出れなくなります。

今はそうするより、ただ眺めているだけの方がいいと思います。

抗わない、そちらの方に思考やエネルギーを注がないというのが最善の方法のように思います。


今まで私たちが生きてきた世界が、新しい世界の上にマントのようにかぶさっていて、今、誰かがそのマントをがさーっと取り除こうとしている感じ。

私たちは今までそのマントを現実と思っていたのですが、実はそれは本当の世界の上に覆いかぶさっていたんですね。

もうこの二重構造が現れ始めています。

今はどちらをも感じれる時なので、古い方と新しい方を行きつ戻りつしますので、変な感覚です。
ちょうどさなぎから新しく孵化してでてくるところ、と思ってもいいでしょう。

今までの自分(エゴの自分)を自分だと思っていたのに、その中から違う自分が沸々と現れつつある。


でもそれは、本当の自分、あるがままの自分になりたいと思っていたそれとはちょっと違うような?

だいたい、本当の自分、あるがままの自分というのは、理想の自分を思い描いている場合が多いと思いますが、実際はそうではないでしょう。

見たくない自分や自分のネックやトラウマ、そういうものもひっくるめてあるがままの自分です。

自分の中のいろんな要素が浮上して再編成を行なっているような変態に近い感じかと思います。

手持ち無沙汰な時を過ごしているような不思議な感覚。

人によっては一番痛いところが浮上してきているかもしれません。

時間の感覚もずいぶんと変わっていますので、それも含めて、もう異次元という感じですね。


新月からどうなるかな?と思いましたが、昨夜からまたシフトしたようで、今日はとてもいいエネルギーとなったと思います。よかったです。


せっかくの新月に旧正月です。
古い自分とおさらばして新しい自分を迎え入れる準備をしましょう。

今日、本当の自分、あるがままの自分とはどういう自分なのか、どういう風に自分が思い描いているのか?をはっきりさせてみるといいですね。

なりたい自分ではなく、自分がいつも何となく思い描いている自分像をはっきりとさせてみる、ということですね。

それを無垢な目で見ると、自分がいかに愛の人なのか、見えてくると思います。

それは世間がいう愛とは違うものかもしれませんが、どんな人でもその人なりの愛の表現をしているのです。


今日の新月のエネルギーは、私たちは何者か?という疑問への良い答えをもたらしてくれそうに思います。

自分もまた愛の人なのだと気づくことができたら、すばらしい癒しがやってくることでしょう。

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前回の記事「社会現象へのエゴの投影」からの続きです。


例えば、放射性物質への恐怖。

前にも指摘をいただきましたが、

自分の不安ばかりを見てしまう思考パターンが放射線以上に影響を及ぼしている可能性は大だと思います。

実は放射線が問題ではなく、その考え方が問題なのかもしれません。

今は、放射線物質という社会も認める不安があるので、いわば不安が正当化されたようなところがあります。

もしかすると311以前は、癌になる不安とか、失業、老後、失恋/離婚への不安など、別の不安があなたの心を占めていたかもしれません。

ならば、放射線や原発の問題がなくなってもきっと新たな不安の対象を見つけてしまうことでしょう。


もしかするとあなたは「不安になる」材料がない世界ではとても不安になってしまうかもしれません?

幸せの絶好調で「幸せすぎて恐い」というあれです。

前に書いた記事「すべてを受け入れて良しとできる人生」

「どんなに世界が不幸になろうと、自分は幸福を選ぶ覚悟があるか?」

とつながっていきますが。


苫米地先生がいわれる「コンフォートゾーン」(自分が慣れ親しんで心地よい状態)があるので、無意識に不安の総量はいつも同じに保たれると思います。

それは個人でもそうだし、社会全体でも同じでしょう。

それを意識的に変えた人はそこから抜け出ますが、そうでないなら、中身は引っ替え取っ替え、いつまでも同量の不安の海に生きることになります。

テストで60点がコンフォートゾーンの人が90点を取ったら、次のテストで30点を取って無意識にバランスをとってしまうそうです。


不安でなくても、例えば、悪者をやっつけたい欲求が人生の50%を占めているのが心地いい人は、そこを変えない限り、どんな状況でも50%の敵を作ることになります。

なぜならその状態が一番馴染んでいるわけですから。

例えば、夫婦の不和、アル中、借金。
常に同量の不安要素なり、危険度なり、幸せ量なりがあなたの人生を占めていると思います。

国民、あるいは世界人類の適量というのもあるでしょう。
それは集合無意識にしみていると思います。

今はそれ自体を変える時期にきていますから、混乱もするわけです。


最近は、原発や放射性物質問題に絡めて、統治階級層が国民を「衆愚/愚民」として扱っていないか?ということがだんだんと出てきているように思います。
今、世界中で起こっている問題にほとんどある部分かもしれません。


統制しないとなにもできない愚かな民と思う人たちや、大衆がそうなるような仕組みを作った人たちもよくないですが、そう思わせる大衆にも問題があると思います。

愚民状態がコンフォートゾーンになっていれば、社会を変えるのは難しい。


これは個人レベルでいれば、

「わたしはだめだ、わたしにはできない」と思っていること。
自分を卑下し、否定することは自分が「愚」であると認めていること。

また、大勢に従い、ただ流されて生きている人。
自分で考えることをしない人。

そういう国民がたくさんいれば、愚民と支配層になってしまいます。


愚ではなく、グー! Good !

ダジャレる話ではないですが、「愚民」より「グー民」でありたいものです。

「ムーミン(無民)」無/ゼロ・フィールドに目覚めた人、なんてのもいいかも、ね?


「無ー民」は、ここに書いてあることも越えて、無限の叡智につながっちゃってください。
そして最初の話に戻り、これからの世界についての建設的な会話と行動をどんどんとしていってくれると、ありがたいですねー。
ま〜、それも個人の選択ですが。



とここまで書いて、私はまたこの話の中にある思考の枠組みを見つけ出しては取り外す作業を続けたいと思います。
それ以前にセルフイメージの枠だなあ。行きつ戻りつです、、。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

下記の話がとても勉強になります。皆さんにぜひ聞いていただいたいです。

とくに陰謀説にはまっている人は聞いてみてください。
  ↓
「岡田武史・田坂広志 対話「人類の未来」(3)」


こちらは特に親御さん、先生などに。
 ↓
「神田昌典 目黒区教育懇親会における講演」


追記:
今回、マイナスの方のコンフォートゾーンの話になってますが、幸せ度が高いコンフォートゾーンもあります。
個々人のコンフォートゾーンが「苦」でなく「快」になると、国のそれもそうなるはず。

やはり国作りは一人一人の中にある王国作りからかなー。
ならば、そうなっていける土壌作りは?という話になっていくのかな?

どじょう、、、かぁ。


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最近、こちらからの配信メールが届きにくくなっているようです。
昨日まで着いていたのに翌日から来ない〜なんてこともあるようです。

特に「自分に捧げる言葉365日」「えなふことば」を登録されている方は、@kokorobi.com を受信許可設定をお願いします。


では本題です。

今日配信のメルマガ「プチ奇跡 第325号」からです。
前半後半に分けて載せます。

===========================
私たちが成功を恐れるのには、もっと大きな理由がある。
自分の力を恐れているのだ。私たちは、自分で思っているよりも
ずっと大きな力を持っている。自分の力を自覚してしまうことは、
決して快適なものではない。
それに、もっとずっと信じやすい文化的状況がある。
夢は実現しない、人生において与えられるものはそう多くはない。
私たちはあまりにもこうした考え方に慣れ親しんでいる。

「心を静かに燃やせー人生というゲームを心ゆくまで楽しむ方法」 
ピーター・マクウィリアムズ
===========================

先日、ある人が、「今は以前より思ったことが実現する速度が速くなっているから、どういうことを望むのか?どういう社会にしたいのか?ということをどんどんと話し合っていくと実現速度も速まる」といわれました。

私もまさにその通りだと思います。

現実的に行動を起こしていたらもっといいですが、実際的な行動を起こしていなくても話題にするだけでもそこに新しい息吹を生み出すエネルギー場ができていきます。

より多くの人が話題にすればするほど、その世界が実現しやすくなる、、、という時代だと思います。


今、原発や放射線についていろんな話があり、論議がされています。

それぞれの人の立場や状況が違うので正しい答えはないように思いますが、何を話題にしているか?というところは注意すべきところだと思います。


1年ぐらい前までは、自分の闇やエゴを手放そうとがんばっていた人は多かったと思います。

今は社会構造にそれが表面化しているように思います。

見えないエネルギー的な世界から始まった変革が今やっと、私たちが暮らす現実社会での出来事として現れていると思います。


例えば、原発は人間のエゴの象徴と言えます。

それは原発推進派のことを言っているわけではなく、原発や放射線の影響に関して反応している私たちみなに言えることです。

つまり自分のエゴを原発や放射線、電力会社、政府、陰謀説などに投影していないか?ということです。


これはひとつの視点からでしかないのですが、

個人個人の心の問題が社会現象に投影され、自分のそれを見る代わりに、社会事象や誰かのせいだと責任転嫁をして煮詰まっているように感じます。

もちろん大衆を虫けらのように扱い、私欲を肥やす人たちが悪くないといっているわけではないですが、誰が悪い、ああだこうだとと非難していても、自分の波動は上がらないよね? ということです。

ただ、本気で社会変革を起こしたいと思ってそうしている人たちはめざしたいところがありますから、きたるべき未来像を見ずに文句言ったり、不安がっている人たちとは違います。


いろんな状況の人たちがいらっしゃるので、一言でこうですとは言えませんし、中には本当に過酷な状況の方もいらっしゃいます。
そういう方々にはとても言えないことですが、心に多少の余裕のある人は考えてみてください。

なぜならそのところを見ない限りは、この先ずっとそれはついて回るからです。


少々、私のことを申し上げれば、私は原発反対ですし、大飯原発再稼働はシナリオ的に良くない方向に進む可能性ありとみました。

つまり、大飯原発再稼働によって、人々の意識の中に「これではいけない」という思いを呼び起こしやすくなり、それが新たな災害や混乱を生み出す可能性を秘めていると感じたわけです。

これは私がそう感じるという話で、そうなると言っているわけではありません。

もちろん、そうなる前に自分なりに内観をして、そうならないようなビジョンをもとうと思いますが。

自分の中にそういう可能性を見ているから危険を感じるわけで、それをなくせば何事も起こらない可能性の方が増します。


その可能性を減らすためにはどうしたらいいか?

私の場合、ただ内観するよりは、ブログに書くとか、ツイートするとかの行動が起こしたくなりました。その時に自分の心の動きを見つつ、動いていたのですが、自分の中の反骨精神が首をもたげたのに気がつきました。

私はアウトサイダー的なところがあり、体制や大勢に従いたくない傾向があります。
再稼働反対!と言うことで、自分のその欲求を満たそうとしていたわけです。

なるほどなーと思いました。


言い方を変えれば、「体制に反対したい欲求を満たすために、今の現象を創り出している自分がいる」とみてとれるわけです。

これはひとつの例ですが。


こういうことを書くとひんしゅくを買うかもしれませんが、

今の諸々の社会情勢に反対したり批判している人たちは、それをすることで、自分の心の中の満たされない何かを満たそうとしているのではないでしょうか?

人間の、現状に満足しない心の状態があるおかげで、文明は発達してきたので、それが悪いことだとは思いません。

が、自分自身のことを棚にあげたままでいいの? ということです。


後半は次回載せますが、先に読みたい人は、メルマガ「プチ奇跡」第325号を見てください。


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自分の昔のメルマガをたまたま見たら、こんな話がありました。
【プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション】2010.10.8.第269号にちょっと変更を加えました。

===========================
この世から不幸は消え去らない。
それをふまえたうえで、本気で幸せになる覚悟があるか?
自分は心から幸せになると決意ができるか?
他の不幸を受け入れ、自分が幸せになれるか?
それができた時、世界は裏返る。

http://bit.ly/dy6VMF
===========================

振り返ってみると、私もずいぶん成長したと思います。
まだこのメルマガを始めた頃は、自己否定いっぱいで、思いを変えていくと人生が変わるというのを知ってあがき出していた頃でした。

地道に思いを変え続け、いろいろと学び、人と出会い、おかげさまでずいぶんと人生気持ちよくなってきました。


ある霊能者の方にいわれたことあるのですが、「あなたは、ひとつひとつ経験して学んでいくことを選んできているので、遠回りだけど、自分で経験して知っていくしかないですね」と。

その時は聞き流してましたが、先日違う人にもいわれ、だんだんその意味わかってきました。


私のメルマガもブログもそうだけど、全部自分の経験値から出ているものだから、経験して身をもって知って理解するあり方をどうも選んできているらしいです。

ということは、面倒くさいことに、いちいち自分で経験しないと納得しない自分がいるわけです。


となると、うまくいかないことも当然起こります。

そう思って自分の人生見直すとなるほどなーと思います。

それが嫌なら、自分の頭のソフトの書き換えをすればいいのだけど、ツアーで海外回るより、自分の足であちこち行きたい人なので、ま、そういうことなのね。。。

ということで、今もいろいろ体験中です。


だんだんとしがらみから抜け出て、幸せに過ごす方法がわかってきたので、しばらくはずっと気持ちよく過ごしていました。

幸せだな〜と思えてありがたいのですが、そう思っていなかった頃と比べてなにが違うのだろう?と思うと、外の世界はそんなに違っていない。

私自身がリラックスして、不安が減っているだけかも?と思えてきます。


リラックスすることの大切さ、
宇宙に身をゆだねることの大切さ、

だんだんわかってきています。



ところで、自分が、自分の内面の充実感により幸せを感じられるようになると、類友の法則で同じように幸せを感じている人を引き寄せるだろうと思うのですが、

そうではなく反対に、自分が心地よく過ごしているとなぜかつらい思いをしている人達がどんどん出現しました。


どんなに幸せを感じようと、死や病気、心労を避けることはできないことを実感しました。
自分がそうでなくても周りに起こりえます。


どんなに生活が充実し、幸せを感じようと、不幸は決してなくならない。
なぜなら、死がなくなることはないのだから。

ということですね。


仏教の話でしたっけ?

子供を亡くした母親が仏陀のところにいくと、「誰も人が亡くなったことのない家を探しなさい。見つかれば、子供は生き返るであろう。」みたいなことをいうわけですね。

母親は必死で村中の家を訪ねて聞くのですが、どの家も必ず誰かが亡くなっています。

そこで母親は、人はいつか死んでいくのだ、と自分の子供が亡くなったことを納得します。

というような話だったと思います。


ちょっとこれに似た気持ちを味わいまして、

自分がいかに幸せを感じようと、まわりにある不幸はなくならない。
それがこの世界であり、人生なのだ。

と思いました。


本題はここからなのですが、

2、3年前のメルマガで書いたのですが、自分の幼少期に同じことを感じたらしいんです。

その時は、自分は無邪気な子供で幸せいっぱいだったのですが、ある日ある時、母が、兄が、あるいは他の人が幸せでないのに気づいたようです。

「あれ?、みんな私みたいに幸せじゃないんだ、楽しいことばかりではないんだ」と思ったようで、そのとき私は間違った選択をしました。


それは、みんなが幸せでないなら、私一人幸せでいるわけにはいかない。
みんなに悪いから、私もみんなにあわせなきゃ。

そして、みなに幸せをあげる代わりに、幸せを受け取ることを拒否してしまったんですね。



これは、この世の中、たくさんの人がしていることとと思います。

そしてツイッターでつぶやきました。
冒頭に載せている文章、8月10日に書いてます。

これをこのとき読んだ人はどう感じたかは知りませんが、この言葉を書いたとき、そういう背景がありました。


どんなに世界が不幸になろうと、自分は幸福を選ぶ覚悟があるか?

ということですね。


今回、自分が幸せを感じている時に、そうでない人たちが続々現れてきたのは、もう一度この選択をするチャンスが来たのだと思いました。

やはり自分だけが幸せな思いをしていてはいけないという思いも出てきたし、もっと人のために何かしなくては、という思いもでてきました。

けれども、ラッキーなことにこの罠(課題)に気づきましたので、今回、私は幸せになることを選びました。


で、なにが変わったかというと、現状何も変わっていないし、また問題や悩みもでてきています。でもそれらはすべてもっと幸せを感じるために起こっている「調整」なのだと思います。
もっと幸せになるために、自分の中にある不必要なものは捨ててしまわなくてはなりません。

そのためには経験したくないことも経験しなければならないかもしれません。
そして、その経験を通して気づきを得て、新たな自分に成長していけるのです。


そして、真の幸せは、

「楽しいことだけが起きる人生」ではなくて、「すべてを受け入れて良しとできる人生」

なのではないかな?と思います。


どんなことがあっても幸せを感じることができる。
そのためには、死や病気や離別をも受け入れることができる。


この世で起こりうるすべてのことを受け入れることができて初めて本当の幸せに至るのかもしれませんね。

無償の愛とはそのことを言うのでしょう。

それには身ひとつとその心だけがあれば十分なんですね。

自分が生きている間にそこに至りたいものです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


今、いろんな問題が浮き彫りにされています。
自分一人が良ければという価値観はもう終わりに近づき、つながりや分かち合いが重視され始めています。

けれど、今はまだ今までの延長で、つながりといえど、きれいごとの裏では損得勘定が動いている場合も多々あるように思います。

ここに書いてある話は自分勝手のように思えますが、本当に自分から幸せになる決心をした人は、幸せでないと感じる人の痛みがとてもよくわかると思います。

今の時期、そう決めることは以前より覚悟がいるかもしれませんが。


まじめに考えると重くなりますので、こんな風にお気楽に〜♪
 ↓



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