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あの暗い闇の中にいた頃を思い出してください。
あなたはその暗い闇の中でゆったりとくつろいでいました。
はるか昔のことです。
そのまどろみの中で、少しずつ目覚めていく過程で思ったことがあります。
「私は愛に生きよう、人々を愛し、生きとし生けるものが愛と調和の中で生きていけるように努力しよう」
このまどろみの中でははっきりと自我も他者との区別もないので、このように明確に言葉として認識していたわけではないですが、言葉で書くとこんな感じです。
この「愛」とは、他者がいて存在する愛、対象は人間でもそうでなくてもよいのですが、自分というものを感じない限り、愛を認識することはできません。
全体から離れ、「自分」を認識できるには、「自」に相対する「他」が現れてこないと「自」にはなりえません。
愛とは、その全体性、自と他の認識をしたうえで、両方ともがもともと全体の中でひとつであったことを知ること。
なぜ、全体(神と呼んでいいでしょう)が、自分を分割することにしたのか?
そこに愛と好奇心、冒険心とがあります。
「知りたい」という気持ちです。
それがこの世界を作っています。
そして、この「知りたい」は、あなたの元になっているものです。
「知りたい」という思いから、人々はいろいろなことを経験します。
あなたは「愛を知りたい」とこの世に生まれることにしました。
また、知ってそれを伝えたいと思って来ました。
三次元世界では、いろいろな存在の「知りたい」で構成されていますので、いろんなことがおきます。
必ずしもいいことばかりがおきません。
なぜなら、辛いことを知りたいと思う魂もあるからです。
嫌なことを経験することで成長したいと思っているのでしょうね。
それぞれの存在といえど、もともとは大宇宙存在から分かれたものですので、別々の存在ではないのです。
大宇宙のある部分は「これを経験したい」、また他のある部分は「これを経験したい、知りたい」と現れてきています。
それによってこの世は構成されていますが、だんだん「知りたい」が増えてきて、分裂する意識が複雑化してきて、大元の大宇宙の一部である自分とか、大元の「知りたい」という願いをすっかりと忘れて、そこにアクセスできなくなってしまいました。
源からカットされた(源を忘れてしまった)私たちは、バラバラになったまま、私たちが何者でなんでここにいるかもわからないまま、過ごしています。
大宇宙の「知りたい」という気持ちは、善悪もなければ、判断もないです。
どんなことも知りたいので、人間が悪いと思うようなことも「知りたい」ので、それが起こるに任せています。
「和音」2010.10.7
次回に続く・・・
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いつもありがとうございます m(_ _ )m
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はるか昔のことです。
そのまどろみの中で、少しずつ目覚めていく過程で思ったことがあります。
「私は愛に生きよう、人々を愛し、生きとし生けるものが愛と調和の中で生きていけるように努力しよう」
このまどろみの中でははっきりと自我も他者との区別もないので、このように明確に言葉として認識していたわけではないですが、言葉で書くとこんな感じです。
この「愛」とは、他者がいて存在する愛、対象は人間でもそうでなくてもよいのですが、自分というものを感じない限り、愛を認識することはできません。
全体から離れ、「自分」を認識できるには、「自」に相対する「他」が現れてこないと「自」にはなりえません。
愛とは、その全体性、自と他の認識をしたうえで、両方ともがもともと全体の中でひとつであったことを知ること。
なぜ、全体(神と呼んでいいでしょう)が、自分を分割することにしたのか?
そこに愛と好奇心、冒険心とがあります。
「知りたい」という気持ちです。
それがこの世界を作っています。
そして、この「知りたい」は、あなたの元になっているものです。
「知りたい」という思いから、人々はいろいろなことを経験します。
あなたは「愛を知りたい」とこの世に生まれることにしました。
また、知ってそれを伝えたいと思って来ました。
三次元世界では、いろいろな存在の「知りたい」で構成されていますので、いろんなことがおきます。
必ずしもいいことばかりがおきません。
なぜなら、辛いことを知りたいと思う魂もあるからです。
嫌なことを経験することで成長したいと思っているのでしょうね。
それぞれの存在といえど、もともとは大宇宙存在から分かれたものですので、別々の存在ではないのです。
大宇宙のある部分は「これを経験したい」、また他のある部分は「これを経験したい、知りたい」と現れてきています。
それによってこの世は構成されていますが、だんだん「知りたい」が増えてきて、分裂する意識が複雑化してきて、大元の大宇宙の一部である自分とか、大元の「知りたい」という願いをすっかりと忘れて、そこにアクセスできなくなってしまいました。
源からカットされた(源を忘れてしまった)私たちは、バラバラになったまま、私たちが何者でなんでここにいるかもわからないまま、過ごしています。
大宇宙の「知りたい」という気持ちは、善悪もなければ、判断もないです。
どんなことも知りたいので、人間が悪いと思うようなことも「知りたい」ので、それが起こるに任せています。
「和音」2010.10.7
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