いのちおりblog - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: カムナガラビリンス

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

昔、芸大でアートを学んでいたときの気づきですが、、、

アンリ・ド トゥールーズ・ロートレックといえば、
ポスターデザインで有名な画家。
この方、浮世絵からの影響を受けたそうです。

例えば、絵の背景や余白についての概念。

まずは絵を見てください。

1322547240_39IMG_0006


主役の人物がいて,後ろに背景があります。
これ、普段、私たちがあたりまえにしている認識の仕方です。

下の絵は、彼が浮世絵から学んだものが現れています。

アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック-メイ・ミルトン    images






上の絵との違いは何でしょうか?





これと似た気づきは、60年代に作曲家のジョン・ケージが、4:33という作品で表現しました。



下記はその意図をとても良く理解されていると思います。



日本人は普通にしていたことでしたが、西洋人にとっては、目からウロコの新たな視点/価値観の現れでした。

5月5日からまたエネルギーが大きく変化したのを感じてます。

ロートレックは紙上で気づき、ジョン・ケージは音で気づき、今、私たちは意識の領域でそれに気づく時にきています。

でもこの感覚はもともと日本人には馴染みあるものです。
ロートレックもケージも日本文化からその発想を得ています。

とはいえ、私も彼らの気づきに気づいた時にハッとさせられましたが。
現代人は西洋的認識感覚になっていますから。


さて、クイズです。
いったい何のことを言っているのでしょうか?

答えはまた今度。


昨日、メルマガ更新しました。


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

串本で太陽を釣る舞を修め、近畿十字を完成させ、三輪山で天地のラインも加えての三方十字形の結びがなされたと思ったら、5月に太陽に十字に極ができるらしいと知り、驚き! サインや象徴は侮れないと思いました。

太陽磁場、来月に4極化か

20120420-308834-1-N 20120420-308846-1-N


三輪山参拝後、雨が降りながら日がさして、最後は虹もでて、火と水の和合だなあと思いました。
が、山頂では、「龍はまだ『たま』を手にいれていない」「太陽は手に入れたが、収まるところに収まるのはもっとあと」とのことでした。

人が本来の自分に気づけども、「『それになる』のはもっとあと」ということでしょうか?

5月21日は金環日食ですねー。その頃、収まるところに収まるのかなあ?
そこあたりから始まるのかなあ?


21、22日は,東伯先生の富士方面の祭礼に参加させていただきました。
あいにく曇り空で富士山を見ることはできませんでしたが、神事中は雨に振られることなく、無事終了しました。
21日は新月でもあり、また新しい流れとなっていきますね。

富士山は龍脈が十字に交わるところだとなにかで読んだことあります。
近畿の十字、日本の十字、太陽の十字、、、地球の十字はどうだろう?


太陽の4極化についてあまり話題になっていないのが不思議です。
太陽からの影響が変化するでしょうから、いろんな変化がおこるのではないかな?と専門知識のない私には思いますが、実際どうなんでしょうね?

17〜18世紀も4極構造だったらしく、「マウンダー極小期」とかで寒冷化したらしい。下記が参考になります。
「ひので」による今回の観測の 意義と最近の太陽活動について

太陽風活動の低下で、宇宙放射線量が過去45年で約5%増加しているそうです。
太陽圏の磁場とプラズマの広がりが宇宙放射線を遮蔽して、地球に飛んでくる宇宙放射線の量が限られていたそうですが、太陽磁場が減少すれば、それほど宇宙放射線が地球に降り注ぐ量が増えるということになります。
人体やDNAなどへの影響が考えられると思います。


私の勝手な推測を当てはめて考えてみました。

二極化が四極化、、、物質とその物質を作り出している意識(あるいはエネルギー)の両方を意識する世界になっていくのでは?と思いました。

今までの世界は、自我(エゴ)、つまり肉体を持って考えているこの自分が唯一の自分だと思っていたわけです。

が、そのエゴを見ている自分がこれからは主流になっていく世界観が始まる(すでに始まっている)と思います。

よく映写機の話に例えられますが、今までは映像を現実と思ってみていたけど、映像を映し出している自分がいるということを認識し始め、今ここにあるのはその自分が作り出した映画(仮想現実)であるという認識が、この先どんどんと当たり前となっていくことと思います。

だから四極化。

人形劇に例えてもいい。

今までは人形が自分で、その劇が世界だと思っていた。
けれど、実は、人形を動かし、劇を構成していた人が本当の自分だった、
そしてその劇自体を眺めて楽しんでいる自分がいる、という構図。

自分の意識の仕方次第でどの視点にも立てる世界。


物質化している自分や世界と、物質化させている自分(意識)。

上記の四極化のイラストを見ると、N、S極が各ふたつ。

今の世界が確固とした自分/現実だと思っていたら、反対側にもあるよ〜ってな感じで。

顕在化したものと潜在的にあるものの両方をふまえた意識がこれから始まる、、太陽系だから、まず太陽から、、なんて単純に考えてしまいますが。


ようするに、今あると思っている世界は自分の意識が作り出している仮想現実の世界であるという意識を常に持って「現実」に対応していく世界が始まるということなのではないでしょうか?

「普段考えている自分、経験している自分」と「その世界を作り出しているのを認識している自分」。

後者の視点は創造者の視点です。
この世界、人生は、自分が作り出している劇場なのだと。

が、エゴで作り出しているわけではないので「自分が作り出している!」と考えると前者に戻ってしまいますから,その点は気をつけたいですね。

世界を創造している自分を認識しつつ、その世界を体験していく自分ということになるのかな?

でもその時には、「自分」という認識自体が変わってしまっていると思います。

その意識状態になれた人は、降り注ぐ宇宙線(変換したら「宇宙船」と出てきたけど、「宇宙線」を「宇宙船」とも置き換えられるかもなー)の影響で、新しい時代に適した人間に変容できるのかも?


つらつらと思いついたことを書いてみました。

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

前回の記事に「大飯原発が再稼働になると、、、」と書きましたが、どうもここ数日気になって何度も意識に浮上してきます。自分が書き降ろしたから気になるとも言えますが、内なる声と野生の勘が強くノー!と言っているように思います。

稼働して地震が起きて大飯原発に何か起きたら、、、ということではなく、大飯原発の再稼働を巡って、ひとつの分岐点がきているように感じています。
その懸念の方が大きいです。

北海道電力泊原発が5月5日に定期検査で運転を停止したら、日本国中の原発が全部停止するという時に再稼働させようとしている(た?)のですから、理性的に考えても、そのままではすまないだろうというストーリーは簡単に私たちの心に浮かび上がると思います。

私たちの本心はもう稼働させるべきでないとわかっていると思います。
けれども人によっては、エゴがそうはさせまいとがんばっているわけです。

枝野経産相が一体どっちやねん!?と思うほど微妙に言い方を変えているのは、多分、彼の個人的意見は脱原発ではないか?と思うのですが、立場上それを言うわけにもいかず、自分のできる範囲でがんばってくれているのではないかと思います。

と思って書き出し始めると、だんだんまたいろんなつながりが見えてきました。

「あんた方、本当に今の世界を変える気あんの?」というお試しが来ている気もしていますが、お試しが来ているということは、すでにいい兆し。これを乗り越えるとまたひとつ地獄が減るということになると思います。

5月5日に全原発停止というのも面白いなと思います。
そう、ここで稼働しちゃいけないんだと思います。

またマイストーリーになってすみませんが、4月3日、あの春の嵐の日、私は三輪山に登拝しました。「43で『黄泉』だねえと」一緒に登った人と話してましたが。

2009年、淡路島から始まった私の近畿十字の最後の結びがこの登拝でした。
今年311に串本出雲に行き、若狭からの縦ラインが完成して、最後がクロスの中心の三輪山でした。
三と1と1で、合わせると「日」。やっぱ太陽だと思いました。

43黄泉の日に、太陽を得た者(それも出雲出身)が三輪山に登る(日の出)という象徴。

串本で恵比寿が太陽を釣る、いわば、私たちが本来の自分を取り戻すという舞をして、三輪山で「結び」、「太陽が定位置に戻る」予定でした。

が、実際は「太陽を手に入れたはいいが、それが元の位置に戻るにはまだ時間がかかる」(象徴として現れているので、「本来の自分に戻る道筋はなったが、まだたどり着けていない」と解釈してください)ということがわかりました。
火の鳥の結びはできたが、飛び立つには時期早々だったみたいです。

けれども天地軸の結びはうまくいったらしく、二度にわたって雨が降りながら太陽が出るという現象があり、二回目は虹のおまけつき。
火と水の和合だなあ、よいサインをいただいたなあと感じました。

同日、小嶋さちほさんが綾部の熊野神社でワークショップをされていて、彼女は近畿の五芒星に関係あったらしく、同日に綾部と三輪山というのも何か意味があるかもねーなんてお互い話してました。

で、5月5日・・・5がふたつ。五芒星。
5というのは、10のちょうど半分。5+5=10、十、十字。
5は、2.1.2に分けることができる。

三輪山は十字の中心(いざなぎ神宮と伊勢神宮ラインだと明日香が中心です)。

・・・分岐点。

5は人間をさす数字でもある。
55、二人の人間。原発推進派と反対派。
GO!GO! いけいけサイン。さて、どちらへ?

近畿の五芒星も、私の近畿十字も縦ラインは若狭ー串本。
大飯原発は、若狭に一番近い原発。

だからよけい気になったのかも?

こういうとき、右脳はすごいなと思う。
左脳がこういうつながりを全く見ていないけど、右脳は気づいているから、私に警告をとばすわけだ。
それを拾って左脳でもって謎解きをしていくと、ちゃんとつながっていくんだな。

やはり、大飯原発が稼働するとしないとでは、パラレルワールド的に道が分かれるのではないか?と思います。といっても無数に可能性の選択肢はあるので、このふたつだけというわけではないですが。

稼働したら、「ほらね、やっぱり。いわんこっちゃない」というようなことが起きる可能性が大いに増すのだろうと思います。

これは確立と可能性の兼ね合いみたいなもので、多分、理性でもってきちんと心理的、エネルギー的に説明がつくものだと思います。私はそこまで説明ができませんが。

映画やドラマのストーリーを見ていると、これはこうなるなと推測ができるものは、元型的なストーリーの流れがあるからその展開が想像がつくわけで、それと同じことです。

私たちの集合意識の中に埋め込まれているパターンが作動し始めるので、その思考エネルギーが現実をそちらの方向にもっていってしまうということになるんだと思います。

稼働しなくても危機感はたくさんの人がもっていますから、何か起こり得る可能性はありますが、稼働したときに起こり得る惨事と比べると小さいだろうと思います。

何も起こらないに越したことないですけどね。

他のシナリオとしては、稼働することに決まったのちに国民が奮起して、そのおかげで改革が大いに進むというストーリーもありますね。

どうも今の様子では5月5日に再稼働はしない方向みたいですけど?

5+5=10。
10はひとつのククリ(+)だから、それがゼロから始まるのか、過去の続きになるのか?
と考えるだけでも、これは象徴として現れているのだなと思えますね。


前記事に的を得たコメントをくださった方がいらしたので、こちらにも載せさせていただきます。

『思いようによって変わってくるとは言いますが、今までの生活を変えたくない、家が、仕事が、ステータスが…という今両手につかんでいるものを手放したくないがために、「危険だと思わなければ大丈夫」というのは違うと思います。

それが内なる声・直感なのか、低次の自我・マインドの声なのかの見極めが必要なのかも。

内なる声・直感の声が聴こえたら、行動するしかないでしょう。耳を澄ましてみなくちゃです。間違っても耳をふさがないよう、ですね。』


内なる声をしっかりと聞き分けることが大切ですね。


PS.
ちなみに、先日の祇園の事故。これも気になっているのですが。
四条通りの四条は死上、死の上としたら、それに交わる大和大路。南北の縦ライン。ヤマト。ヤマトの王子?誰だっけ?
祇園、園は円。十字に○。

歩行者7人が死亡、11人が負傷。7=3.1.3 11=5.1.5
117は時報、9番目に小さい五角数。金星の自転周期は5832時間で、地球のおよそ117日分。
1991年1月17日に湾岸戦争が勃発。1995年1月17日に阪神大震災が発生。
711は、セブンイレブン?(笑)今年の7月11日は金星極大光度だそうだ。

金星が二回出てきた。
金星と言えば、鞍馬のサナトクマラ、、金星から来たといわれる。
Wikiによると、『地球の惑星ロゴス(地球の創造主、神)の、物質界における反映の任を司るために、「大いなる犠牲」として、1850万年前に金星からやって来た』『地上人類における秘教的イニシエーションは第5段階まで』と関連するようなことも書いてある。

サナトクマラ、、、猿田彦大神は、十字路に立つ先導者とも言われる。

18人・・・18という数。

日本の行く末は、死か、ミロク世か?

八坂神社の近くだし、中東での出来事にも注意が必要かも?

なくなった運転手,藤崎晋吾容疑者(30)。ここにも5が。
藤原だったら藤原家で、支配社会の死とつなげられたところでしたが。
藤崎だと富士が先? 富士の先とすると、御前崎市、浜岡原発のあるところだなあ。
富士山方面は今週末、東伯先生が神事をされるので、私も行くのですが。

おとといあたりから私は浅間山に行かねばならないかもなというアイデアがきています。

そういえば、今劇場で宇宙戦艦ヤマトが公開されてるなあ。

てんかんは、転換か?

どうもすべてがつながっている気がしてます。
完全に読み解けてないのが残念です。わかる人は教えてください〜。

と、今見たニュース(この記事は夜中に書いてた)で、『福島第1原発事故に伴い福島県南相馬市に指定された警戒区域が16日午前0時解除され、大甕(おおみか)地区にある国道6号の検問ゲートも解かれた。地元住民33人で編成する「見守りパトロール隊」と県警南相馬署などの約80人が出発式を行い、防犯・防災活動に乗り出した。』

大甕、6号、33人,見守り、、、。
またまたつながっていくなあ。

大丈夫だということみたいです。今この時点では。

先ほど、肘に三点,虫に噛まれたらしく,かゆい。
三角形に三つの噛みあとができてる。何度変換しても「神後」がでてきた、、、。
国産み17柱の神々のあと18番目の神から三次元に関わる神様になるそうな、、。

大飯は、オオゲツヒメや豊受大神を思い起こさせるんだけど。
大飯原発、、大飯の腹(でかい腹)から発生。生まれるのかな?
住所が大飯郡おおい町大島1−1。これもすごいな。

やっぱり55はゼロにならないといけないね。

と書いたら、『御前崎市長に石原氏』の記事。
10時10分ごろに事務所に姿を見せたって。
「当選したら任期中は再稼働に同意しない」とのこと。

私の知り合いの石原という人は「ゼロ」と呼ばれていたなあ〜。

最近、こういうシンクロがありすぎるぐらいある。
後半、ずらずらと書いていたら長くなってしまいました。

書いている間にとりあえずOKとなったようです。
ということを考えると、「自分が作り出しているんだろうな,この世界」って思えるね。

「ネームリーディング」をする時や「えな符」を作る時も最近はそのように、取り組んでいる過程がエネルギーワークになって自然に変化がおきていくよう、心がけています。

話が切りなく続いてしまいますね。
今月の注意期間(10日から18日頃まで)は無事抜けそうな?
これまた10、18かぁ。
念のため、22日まで特に注意が必要だと思いますが。

そうそう、5月に闇の勢力の人たちの一斉逮捕があるという記事がでてますが、私はよくわからないのですが、世間を騒がす事件があるのかもしれないと頭の隅においておいてもいいかもしれませんね。

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリックで自分に愛の一票を♪

さて、4月のメッセージはすでに出したのですが、どうもその前にこれを書いておかないといけないらしい、、、?

2月か、3月頃からずっと私にきていたことですが、何度もやってくる思いなので、そうか、ブログに書けということか?と思いました。ってか、アウトプットして手放したら昇華できていくのかな?ということと、また似たようなことを感じている人もいるかもしれないので、共有できたら、それもまた昇華できるのかもしれません。


ホントかどうかは知りませんが、自然界のことについて人間の尺度で見るのはちと違うということらしいです。

例えば、昔、西洋の民族学者が、いわゆる未開の地に入って、先住民族についての研究をした時に、自分たちの文化や思想を基準として考えていたので、無学の野蛮人というレッテルを貼ってしまいました。

だいぶん時も経ち、研究が進むと、学者の中には、自分たちの中にすでにある道徳観や価値観で判断しているのは片手落ちだと気づいて研究への取り組みが変わったようです。

今では、彼らは高度な精神世界をもっていると見直されていますね。


例えば、石やコンクリで家を造る文化から見たら、日本人は木と紙の家に住んでいるから、アフリカ人は牛の糞で家を造るから文化が低いと思う人もいたわけです。今はその判断は偏っているとわかりますけど。

また、聞いた話ですが、歯を磨いたことのない人がいて,その人は虫歯になったことがなかったそうな。でもまわりから「汚い」といわれ、磨き出したら虫歯ができ始めたそうです。磨かないことで、膜かなにかができて虫歯ができなかったのでは?とのこと。

もしどこぞの部族がそのために歯を磨かなかったとしたら?
その理由を知らなければ、私たちが彼らを不潔だと思うかもしれません。
でもそれは価値観の違いなので、こちらの価値観で判断するのは適切ではないことになります。


ということが、人間と自然界の間でも起こっているみたいです。

私は、現代人より自然界の方が魂的にははるかに進化していると思っています。

自然界は(ここで言う「自然界」は、自然界の魂や精霊なども含めた、目に見える自然界ではなく、潜象的自然界です)、もうすでに新たな時代に移行順応しており、もともとの状態にかなり目覚めつつあるようです。

が、現象界、つまり私たちが普段見ている世界では、ご存知の通りのありさまです。
でもこれは人間が見ている(生み出している)自然界らしいです。

自然界の本当の姿と、大半の人間が見ている自然界とにギャップがあり、そこでつらい思いをしているモノたちがいるようです。

自然界でも自分を見失っていたモノたちがたくさんいました。
それは長い歴史のなか、人間と同じように本当の自分を見失い、エゴの支配に牛耳られていたようです。

それは時の流れのなかで私たちの集合意識が選んだ選択であり、いいも悪いもないのですが、もうその段階は終了に近づいているので、だんだんと本来の自分を思い出し、目覚めていくモノたちが増えています。

その過程は人間のそれよりはるかに早く、大半がもう次の世界のエネルギーフィールドに到達している模様です。

やっと自分たちの上に乗っかっていた重しがとれたような感覚で、もとの自分を思い出し、自由になっていっているわけですが、人間はもっと後ろを追いかけていっている感じなので、足をひっぱっちゃうみたいです。

古傷を持ち出して「こんな風で痛かったろう」とつついているような感じです

でも人間は最先端を行っていると思っているし、地球の行く末は自分たち次第なのだと思っていたりします。

が、全然そんなことはないみたいです

地球の行く末ではなくて、自分たち人間の行く末ですね、私たちが心配しているのは。
それをはき違えている人が多いみたいです。

地球も自然界ももう次の型はできているので、そこに人間社会があるのか否かという感じかもしれません。

今、足をひっぱられている自然界の存在は、人間に近いところにいるモノたちなのでしょう。
やっと自由になれたのに「戻ってこい〜」と足を引っ張られる。
もうその役目はやめさせてくれと思っているらしい。


例えば、「許し」を体験しようと思うと、許す人許される人が必要になってきます。
何かを乗り越えようと思うと、乗り越えられない何かがあってこそ、乗り越えることができます。


これは全部、ストーリーなんですね。

誰かが何かを体験したいと思ったら、それに伴うストーリーと役者が必要になってきます。

それは魂のお約束事みたいに、こちらの世界に来る前に決めていることだとよく言われますね。そうなのかどうかは私は知りませんが、人間でない何かから、もうそれはやめようや、そこからはずさせてくれ〜、新しい世界にジャンプすりゃいいじゃん、という訴え?が私のところにずっと来てて、わたしもしんどい。。。

これまた、自分のエゴの声かと探っていくと、やっぱりそうでもあったのですが(汗)

ちと、ここは「和音」メッセージですが、

魂はすでに解放されて自由なのに、あなた自身が「そうではない、まだとらわれている」と思って、そこをどうにかしたいとあがいています。

そこを見るのではなく、それを越えたところを見なさい。

自分がすでに壁を乗り越えて、思いっきり自分らしくふるまって才能発揮している様子を。

あなたがそれを観て実践するとまわりもそのようになっていきます。
もちろん日本も、世界も。

なぜならすべてあなたの心の現れですから。
その点をふまえて、幻想から抜け出してください。


自然界は、過去のことや許しや罪悪感やそういうものを越えたところに座しているのに、人間がそこから抜け出せていなくて、自然界にもそれを投影しています。

また、挑戦する精神をもつことはいいことですが、「自分たちがどうにかしないと」とか「自分たちが変わらないと世界は、、、」「・・・ならないと世界は・・・」というストーリーも人間が好みがちですが、そのストーリーからもいい加減、卒業したらどうですか? とのこと。

それは自分で条件を付けているんですね。
「今の自分(たち)が変わらないと、、」(=今の自分(たち)ではいけない)という。

確かにそれは新しいものを生み出す原動力となりますが、必ずしも破壊や崩壊を通過しなくてもそちらに行く道はあるそうです。


映画としてはそのようなことがあるほうがスリルがあっていいですが、いい加減、そのストーリーから抜け出さないと本当に起こってしまいますよ、ということだそうです。

そのストーリーを作り出すことで、なにを得られると思っているのか? 
何を癒したいと思っているのか? 何を作り出したいと思っているのか? 
そこをきっちりとふまえる必要があるようです。

何度も言うように、

「自分がどんな未来を、創造しているか?」

何よりもそれが大事となります。


自然界はすでに既存のストーリーを越えたところにいるようですから、私たちも早くそれに気づいてそちらに向かう方が良いと思います。

そうするには、自分の中にその世界を見いだすしかないようです。

という話でした。チャンチャン


PS.
私たちが潜在的にめざしている次の世界は、エゴによる分離感に支配される世界ではなく、一体感が基盤となり、ネットワーク状につながりあっている世界であり、人間界と自然界もそのような関係の中で育まれる世界だと私は感じています。

人間の自然界に対する思いや考えはそこに大きく反映していくので、人間の考えがもっと自然との一体感によるものでないと、その世界構築への人間参加は難しくなります。

その世界構築は現在進行形で、潜象界のエネルギーフィードとして創造されつつありますから、私たちの意識変革が大事だということですね。

私たちが「・・しなければ、変わらなければ」と思うことが、変わらなければいけない世界(現状のような)を作り出してしまいます。

確かに現状のままではいけないのですが、「いいとかいけないとかを越えたところに在る」ことが大事です。

「こうならなければ」と考え出すと善悪の二元性の世界に没入するので同じ穴のムジナとなります。


そこのところが難しいところですが。



自然界からのアドバイスかもしれないなーと今、書いて思いました。
私のハイヤーセルフからのアドバイスかもしれませんが。

いつもながら外側の事象のようで、必ず自分の内面とリンクしているので、そこをしっかりと見極めたいですね。

ということで、私自身が自分をもっと認めないといけないんだな。。。
自己卑下はやめなきゃ、ね。


PS.
ここでは、自然界と人間という分類をしてるけど、本当は人間も自然物だね。

blogranking
↑自分を許して、ワンクリック(^^)v

物語は物語であれど、物語ではない。
時と場を得て物語が混ざり合い、新たな現実が作り出されていく。

人がそこに何かを観ずると、それが生じ、
感じ続けると,そこにいのちが吹き込まれる。

小さないのちは時を経て、やがて大きな流れを生み出していく。



3月20日春分の日、明日香祝戸荘&その付近にて、イナリコードセミナーと神事が行われ、火の鳥の再生の型示しがされました。

IMG_5964
IMG_6008
IMG_6051


こちらについて、「太礼道」をご覧くださいね。


その後、再び女性(性)のエネルギーが急浮上&変化してきているのを感じます。それはマイストーリーなので、別記事にしますが。

数年前、動き出した流れがやっとこれから現象化しそうな兆しです。
女性のエネルギーをいかに昇華していくかはそのまま大地の動きにも対応していくのだなと思います。
女性の集合無意識に変化が訪れそうです。

籠の中の鳥、火の鳥が目覚めつつあります。

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

少し前に、誰かのツイートで、大地震やテロが起こるかも?という話を紹介されていて、それを見て、ちょっとググってみたら、YouTubeで、3/20~23あたり危ないようなことを言っている動画がたくさんありましたが、実際に起こりましたね。イラク全土でのテロとメキシコでの地震。

エレニン彗星との関係で311を予測したという9Naniaさんの動画がわかりやすいですが、188サイクルについて説明されています。実際は188.5ちょいぐらいらしい?


陰謀説の人口地震だという人たちも、同じ188サイクルに目を向けているのが興味深いです。

カリフォルニアの地震予測は、地盤の関係で日本とカリフォルニアが鏡写しみたいになっていて同じことが起こるかもしれないと説明する科学者もいるようです。

と思ってみていたら、おもしろい動画を見つけました。
こちらも188サイクルについて説明されていますが、天体のサイクルだけでなく、地球上のレイライン・グリッドに当てはめたところがおもしろい。
日本のレイラインに興味のある私はぞくぞくしました

英語がわからない人は、6:30あたりから見てください。


1 + 8 + 8 = 17 > 1+7 > 8 という数字がでていましたが、これがなにか?と聞かれてもまだわからないですが、すごく興味を引かれます。とてもおもしろい。

18については前に書いたことあります。→ 18という数

大地震が起こった場所をつないで、このような図形ができるとは考えてもみなかったです。
ちょうどこの前の記事で、私も自分の軌跡をつないでみてました。
最近、タイミングよく情報が入ってくることが多くて驚きます。


日本では、あちこちの磐座、神社、山(ピラミッド?)などが図形を描いて配置?されています。

神社は人工ですが、もともとの信仰の対象が磐座や山のところはたくさんあります。
それが自然の仕業か、人工的か、あるいは両方かは定かではありません。
が、自然と関係しているのは確かです。

闇の勢力により大地震が人工的に引き起こされているという話もあります。
私の知識不足かもしれませんが、陰謀説を陰謀している人たちがいるように思います。あるいは、陰謀説のターゲットになっている人たちがわざとそうしてる可能性もあるかもしれません。

「THRIVE」(スライブ)の映画を見ている時にそう思いましたが、今回、この大地震の配置図を見てもそう感じました。

陰謀説を陰謀している、つまり陰謀説が広がるよう企てている人たちがいるように思います。(陰謀説を暴露しようとして広めている人たちはまた別ですよ)

もしかすると陰謀説は、もっと深い真実から目を逸らさせるために作り出されたシナリオかもしれません。

今の世の責任を「闇の権力」のせいにしようとしているのは誰(何)なのか?
あるいは、そうすることで今までのシステムを崩して世の中に大変革を起こそうとしているのは誰(何)なのか?

陰謀説でターゲットにされている闇の権力の人たちのもうひとつ向こうにいるのは? 黒に隠れている白?(こうなってくると味噌もクソも一緒で、白も黒もただ単にその役割を勤めているに過ぎないような気もしてきます)


話戻して、、今回この地震のレイラインを見て,頭に浮かんだのは日本のレイライン。
日本の地に密かに形作られている図形です。
日本にあるなら世界にあってもおかしくないです。

日本のそれと世界のそれが相似形になっていないか、あるいは相似形でないにしろ、なにかしらの秩序を持って相関性がないか?というところは調べてみる価値があるように思います。

多分、それは人体の各所にも通じていくと思いますが。

話がまたそれてしまいますが、日本の天皇はエネルギー的に日本列島の御霊(適切な言葉がわからん)と心身同一化されていると思います。それがいわば現人神であるということではないかと思いますが、象徴になられたあともそれは続いていると思います。

私の中でまだ腑に落ちないのは、天皇家が土着の民ではなく、大陸からやってこられた一族だとしたら、どうやって日本という島の御霊とそれほどウケヒできたのか? ここがまだわからない、、、。

天皇陛下のバイパス手術や胸にたまった水を抜く作業、、、バイパス手術は、私が「バイパスができる」を書いた日と近く、そういうことかと思いました。

胸に水がたまるのは、まさに津波で受けた被害や、注水で冷やさなければならない福島原発と同じ状況をご自身のお心で受け止めて、その痛みを感じられておられるからと見受けることができます。

病気は心から始まると私は思っているので、別に現人神でなくても、こういうことは当たり前に起こり得ることですが、私の勝手な憶測ですけど、天皇さまにはそういうお役目があるのではないかな?と思います。


私の近畿十字とカバラのそれとずれているということを書きましたが、この地震をつないでできるラインも似た感覚を感じます。

自然が作り出す比率や図形と人間が意図的に作り出すそれら。
日本の自然界と日本の天皇。
地球のグリッドライン、レイラインと古代秘儀や智慧。
地球の意識と人間の意識。

自然や宇宙の法則に人間の意識をうまく合わせるといい魔術になりますが、自然や宇宙の法則を利用して、我がものにしようとすると(つまりエゴによって)、最終的には破滅に向かいます。

ハリー・ポッターやその他たくさんの映画や物語で、善と悪の戦いのテーマは語り継がれています。
そしてそれらはほとんど「善」のサイドからの視点となっています。

が、もうひとつ離れたところから善悪両方を見る視点をもつと何が見えるのか?

この地震のレイラインをそういう視点で見てみるとおもしろいことがわかりそう、、、。

とりとめがなくなりましたが、ここらへん、もう少し思考を泳がせておきたいと思います。

関連情報を知っている人はコメント欄に書いてくださるとありがたいです。

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

前回の続きです。
これ関係の話を最初から読みたい人はこちらから→ 「太陽と磐座と女性」


以前、飯綱山に登った時に「烏天狗の本当の姿を知れ」とメッセージをいただき、ずっと探っていましたが、今回答えが出ました。

私流の理解の仕方ですが、

『恵比寿が太陽を受けとること=ヤタガラスが太陽に戻ること=○チョン。今まで、ヤタガラスは太陽の中にいなかった(籠の中の鳥)』という閃きから始まり、カバラの生命の樹を近畿に作った人たちもまた遠い昔に自らの地を失って日本に来た人々で、先住民や地霊と同じ思いがあるわけで、両者は同じものの裏表ということに気づきました。

この世界に埋め込まれているパターン=失楽園、エデンの園を追い出された記憶=全体から個への分離=本当の自分、魂を見失う。

ヤタガラスが太陽に戻るのは、本来の自分にもどることで、岩戸開き。

飯綱山の「烏天狗の本当の姿を知れ」メッセージは、めぐりめぐって「本当の自分の姿を知れ」ということだとわかりました。

ということで、今回の熊野で、恵比寿と太陽。
まだまだ話は尽きないですが、、、。


串本の出雲の浜の東の方向に通夜島という無人島があり、そこから日が昇りました。
出雲の海に沈んだ太陽は、夜を通って、太平洋側の出雲からまた顔を出すんですね。よくできています。

そして今回、流された蛭子が(というか私が流してますが)、恵比寿になって、太陽を手に入れるという筋書き。

誰がこのシナリオを考えたんだろう?(笑)
わたしは出発の1週間前にはまだ知らんかったぞ〜。

これは、日本列島(あえて日本とは書きません)の古えの地霊の復活、また自然と調和して生きていく時代の復活も意味すると思います。
それがたまたま311だったというのも偶然ではなさそうです。

私がこのカミ芝居に関わることになったのは、私の内面世界の調整でもあり、自然界とのやり取りでもあり、すでに成っているエネルギーをかたちに示すためのランドマークみたいなものだと思います。


また、出雲裏にあるこんもりした岩山みたいなのふたつに鳥居があるんですが、誰かのサイトにこれは夏至ラインに沿って並んでいると書かれていました。
串本の潮岬の方には太陽信仰のなごりを思わせるところがあるとのことですので、古代人はなにかしら知っていたのでしょうね。

舞をした串本の浜の岩ですが、出雲のいなさの浜の岩と形がよく似ています。

稲佐の浜 ←こちらは出雲のがいなさの浜の岩。

IMG_1242こちらが串本の出雲。この写真はちょっと向きがずれますが。






一番大事なことは、光を失った私たちが光を取り戻す時期だということ。

『この世界に埋め込まれているパターン=失楽園、エデンの園を追い出された記憶=全体から個への分離=本当の自分、魂を見失う。』の終焉が近いということです。


その後は帰りのバスまで時間があり、岬を6時間かけて一周して、やろうと思っていたことをしながら歩きました。
前半は歩き疲れてきて、途中くじけてバスに乗ろうかと思いましたが、やはりこの地に敬意を表して歩かねばとがんばりましたら、なぜか後半、歩くのがとても楽になりました。
後半になってから地と馴染んできた気がしました。

恵比寿舞は満足のいく舞ではなかったのですが、この歩きもしたことで、私がここに来たもうひとつの目的は達成されたみたいです。


そうそう、うちのトイレの週めくりカレンダー、、、串本から家に帰ってから次の週をめくったら、「元始、女性は実に太陽であった」という平塚雷鳥の言葉。思わずにやりと笑ってしまいました


京都の時は、十字ができると「マストが立ち、京都の方舟がなる」でしたが、今回の近畿十字は、「火の鳥がなる?/羽ばたく?/再生?」。火の鳥に続く言葉がはっきりしないのですが、ニュアンスは通じるかと。
「火の鳥の目覚め」が一番近いかなあ?

要するに、かごが開くということ。
かごの中の鳥がすぐに出てくるかどうかはまだわからない。
けど、開いたかごは開いたまま。
出るか出ないかは自分で決められると思います。

20日は明日香で飛鳥の示しが行われると思います。
そして私は次は三輪山か、、、。

十字のズレについてはもう少し探求する必要ありだな。多分これは、、、。

これまた串本から家に戻って、東経135度ラインから新しい文明サイクルが始まるという「ガイアの法則」という話を初めて聞いて、ほぅーと思いました。すでに話題になっている話みたいです。本が3冊出ているようです。

文明は約800年ごとに交替してて、新しい文明がもうすぐ始まるけど、それが東経135度ライン,日本の明石なのだそうです。近畿圏がそれに当たるらしいです。

近畿圏に生命の樹が隠されていることを考えると、それが作動し始めるのも近いと思うので、すべてはマッチするなあという気がします。
ちなみに近畿圏の生命の樹はひとつはなく、いくつかあるみたいですね。
ちょっとまだどれがどうだかわかりませんが。

ナスカの地上絵、、、にも鳥があったねー。

japanrayline5

自分の軌跡 +α をめっちゃいい加減だけど、つないでみたら図形ができあがってきた〜。





串本の潮岬に朝貴神社、潮御崎神社、潮御崎本宮神社とありますが、これ結ぶと直角三角形です。
多分どこかの直角三角形と呼応しているのだと思います。
潮岬本之宮神社は、私が若狭の若狭彦?(姫?)神社に行った時に、熊野の神社にお参りしたビジョンを見ましたが、それと同じ場所でした。
そのビジョンは三人だったんですが、実際は一人でした。
三位一体、本当の自分をを取り戻すという意味だったのでしょうか、、、?


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

さて、話が横道にそれましたが、「太陽と磐座と女性」から続いている話の続きです。

私にとって近畿十字の縦ラインは水関連でした。トリの串本は太陽(火)と水、両方でしたが。

丹生川上上社から始まりました。新たに記事追加したいところですが、明日から明日香に行くので、その前に串本行きに関する話を書きたいですから、興味のある方は過去記事を見てください

京都貴船神社や若狭鵜の瀬717京都元糺の儀弥山もそれ関係でした。

この「個人的メモ」は私にとっては流れがわかりやすいですが、マイ言語になってます。

若狭の鵜の瀬に二度目に行った時、串本の海でしなければならないことがあるとわかりました。鵜の瀬から真南に下がると串本があるんですね。
まさかそこに出雲があるとは思いませんでしたが、若狭の前に、「龍の背が立つ」ということで、出雲に行ってます。(すみません。リンクだらけになっていますが、今回マイ近畿十字ができあがるせいか、ここ数年のことが網の目のように関わっています。) 

その後、南は玉置神社まで行っていたのですが、なかなか熊野へのご縁がなく、そのまま保留していました。

今回、突然「あ、熊野行きが来た」となりました。これまた面白い運びとなり、今まで以上に偶然はないなと思えることの連続でした。

今回の串本行きは淡路島から始まったこの十字を完成させることになります。と思っていたら、実際はカバラの十字と少しずれてました。

その十字は伊弉諾神宮から伊勢神宮までみたいですが、私は舟木石上神社から伊勢神島までなので、その線だと明日香は通らないですね。三輪山を通ります。8kmぐらいの差みたいだけど。
確かに「太陽の道」を行った時、明日香は通らなかったです。伊弉諾神宮には行きましたが。

でも考えてみたら私は、カバラに関係ある十字や五芒星ではなく、「太陽の道」の三輪山を通る方でいいんですね。
でもこのずれも意味があるんだなーとここ数日思うようになってきました。ここにけっこう面白い謎解きがあるかも?です。
私の〆は明日香ではなく、三輪山になるかな? ということで4月に三輪山に登ってきます。


さて、今回の一番の目的は串本周辺の海ということはわかっていましたが、どの場所かわからない。
地図を見て探していると「出雲」という地名が串本の岬に。

出雲浦というところに朝貴神社があり、そのすぐ横に浜があるらしい。
調べていけばいくほど、といってもあまりネットには資料はなかったのですが、ここに違いないという思いが強くなりました。
実際行ってみたら、神社の裏がプライベートビーチみたいになっていて、人目も気にせずにすみ、バッチシな空間でした。

今回のことはおもしろいほど絶妙に仕組まれたとしか思えないこと多々でした。
数人で行く予定だったのが、一人で行くことになりました。
しかしそのおかげで、日の出前に着いて夕方に出発という釣り客用のバスを発見。それも私が行きたい浜のそばにも停まってくれるバス

「恵比寿舞を舞う?」ときていましたのが、これもまた絶妙な仕組みで、私が舞うようになる流れが上手い具合に作られていきました。

恵比寿舞は、恵比寿が鯛を釣って喜ぶところがあるのですが、東伯先生から「鯛は太陽のことである」と聞いていました。
恵比寿が自らの霊太陽を取り戻して大喜びするんですね。

前回、恵比寿舞を舞ったことについては「恵比寿さまの鯛のヒミツ」に書いてあります。

今回、当初の目的は恵比寿舞を舞うためではなかったのですが、その続きにもなりました。この流れは、諏訪、守屋山、鹿島へ行ったのとつながっていくのですが。いわば日本の十字(中央構造線と糸魚川静岡構造線)です。

今回たまたま夜行バスで行くことになって、日の出前に目的の浜に到着するとのこと。
気づいてみれば、今回、恵比寿は本物の太陽が釣れるぞ!となりました。
要するに、鯛を釣るシーンで、日の出を釣り上げる仕草をするということです。

初めて行く浜でしたので、ちゃんと海から日が昇るが見えるのか?
地図を見るとどうもそうらしいのですが。

でも私の中にはしっかりと日の出ビジョンがありました。
天候の心配は全くしていなくて、必ず太陽が出てくるとなぜか信じていました。

CIMG0790そしてまたふと気づいたことは、以前粘土で作ったものが蛭子みたいだと人に言われて、2009年に淡路島に行った時に、岩屋神社の前の海に粘土の蛭子を流してます。(これも象徴です)

神話では、イザナギとイザナミが交わって最初にできた子の蛭子が不具であったので海に流されます。それが恵比寿となり、もどってきたという逸話もあります。

十字の出発点の淡路島で蛭子を流した私が、終着点の串本で恵比寿舞を舞って本物の太陽を釣ることになるとは。

自分の自己受容のストーリーとも相まってしまいます。
あの頃から比べるとずいぶん成長したなあ〜と。
相変わらず原始的に体力はって歩いていますが(汗)


ebisu&sun太陽を釣っている恵比寿。傍目から見たら相当ヘンな人(笑)

長野県上田市の祭礼では、恵比寿舞の前後編両方を舞うことが恵比寿の復活のために重要だと思いました。その時、恵比寿は鯛を釣って喜びましたが、今回は本当の太陽を釣って喜ぶことになりました。

これは、直霊(なおひ)、本来の自分を取り戻して喜ぶことの象徴です。
自分も地霊もこの島の大地も。

元に戻る、元糺す。

その儀式だったんだなーと思います。

なので今回は、鯛の代わりに太陽を釣り、後半は鏡を持って舞いました。
太陽・・自らの光を取り戻し、太陽と鏡映しとなる。

ebisu4三種の神器の鏡の意味は「自霊拝」。自らの本質を神(霊光)として鑑みること。則ち自らの本質が本来は神(霊光)であることを悟るため、自らがその神(霊光)の姿に近付くための行法をいう。(by 東伯氏)


そんなことを考えていたわけではなかったのですが、次々と道が作られてそうなってしまいました。

続く、、、。


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリックでいらないパターンを崩そう♪

前回前々回からの続きです。


これからどんどんと高次元存在?からのチャネリングらしきことをする人はますます増え、いろんな文章がネットに出回っていくようになると思います。

その時に、その人が観ている未来、自分が観ている未来は何なのか?よくよく注意しください。

自分が惹かれるものには、必ず自分自身のストーリーが埋め込まれていますので、自分のストーリーを全体のストーリーとして混同しないようにしたいものです。

つまり、自分の内面統合ができていないことや自分が自分の心の闇を見つめていないことが、世界終末論や陰謀論として自分の前に現れているかもしれないというようなことです。

以前、自分が陥っているパターンがわかれば、、、という話を書きましたが、それに繋がっていきますね。

自分のストーリーが変わっていくことによって、全体のストーリーも変わっていきますので、そこに気をつけていればいいと思います。

自分がどういう世界を構築するために動いているのか?

いつも念頭においていてもいいと思います。


この世界の全ては仮想現実で、象徴で表されています。

目の前に起こっている出来事は表層部分で、いわば象徴なのですが、私たちはそれを「現実」としてみるようになっていますので、現実として経験して、物理的現実を実在するものと思っています。

見えない世界に限らず、この日常生活で起こっていることも、すべては象徴として現れています。

その裏に隠れているメッセージを受け取ることができると、真の理解がやってくるのだと思います。

夢解釈も同じことです。

それが私のいう「パターンを見つけ、くずす」ということかもしれません。


この「現実世界」と私たちが思っているものも、昔の人が妖怪が実在すると思っていたのとなんら変わらないレベルであり、「あると思っているからある」ということになります。

ある一定の情報を含んだエネルギーをそのように観て解釈しているわけですね。


そうなると、天使も龍も精霊も、この現実世界と同じように実在することになります。
また同時に、この現実世界も、天使や龍や精霊と同じように実在するかどうかわからない曖昧な世界とも言えます。

どちらも「エネルギーをどのように観ているか?経験しているか?」でしかないと思います。

シャーマンはこのところをよくわかっている人たちなのだと思います。



じゃあ、「自分」ってどこにいるの・・・?


考えてみてください。



・・・ということで、なるほど、ここに話がつながっていったか、、、。
指が勝手に動くままに書いてきたので、自分でもどこにたどり着くかよくわからなかったですが。


これからの世界は、共同創造、共に、あるいは、一人一人が、どういうストーリーを作っていくのか?ということがダイレクトに反映していくようになると思います。

どういうストーリーの中に今,自分はいるのか?」でもいいと思います。

観察してみてください。


参考に。→ 「宇宙の仕組み4」


串本の話は多分、次回ということで,続く、、、。
春分の日の明日香までに書いてしまいたかったのだが、、、。

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m


blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

前回「太陽と磐座と女性」からの続きです。

太陽の道のあと、今度は水の縦ラインとなりました。

いろんなことが象徴や言葉、ストーリーでやってくるのですが、それは見えない世界を私が理解しやすいように右脳がそのように見せてくれていると私は思っています。

私は現実的解釈をするほうです。
神獣や天使などを観たり、神様の声を聞いたりする人は、そこで起こっていることやエネルギーや内なる声を、その人が受け取りやすいように右脳が変換しているのだと思います。

昔の人が妖怪を観たのも、実際、そういうエネルギーを左脳が理解するためにはなにか形が必要だったのでしょう。

人間は全く見たこと聞いたことのない物事に接すると、必ず既知の何かと結びつけて理解しようと脳が働きます。

鵺(ぬえ)なんて妖怪は、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビ、胴が虎とか、背が虎で足がタヌキ、尾はキツネ、頭がネコで胴はニワトリとかいわれているようですが(http://ja.wikipedia.org/wiki/鵺)、そのように組み合わせることで、言葉で表せない気味の悪いエネルギーを理解可能に解釈したのだと思います。
妖怪退治など、浄化、除霊のアニメチックバージョンといえるかもしれません。

では、妖怪や精霊、高次元存在はいないのか?というと実際存在すると思いますが、この宇宙は仮想現実なので、一体全体なにをもって「実在」するか?といえば,その人が存在すると信じたらその人にとって実在するのだと思います。

実在するのは「情報を持ったエネルギー」なのだと思います。

だから同じエネルギーも人によっては、天使に見え、違う人には仏さまに見えたり、悪魔に見える人もいるかもしれない。


巨大ナマズが地震を起こすというのも、大地が揺れ動く地震という現象をただ単にそう描写をしただけではなく、実際に観じた人もいると思います。
それは「そのエネルギーを巨大ナマズとして観た」ということであり、科学的見地からみて、巨大ナマズの存在を証明できないというだけで妄想だとはいえないわけです。

そしてその人がそのナマズと話をして、ナマズが「・・の地に私を祀れば、地震を起こさないでおこう」と言ったとして、その人がその通りにしたら地震が起こらなかった、ということが起こったとしましょう。
そうなると、その後、土地の人はその神社にお参りして、ナマズ神にお願いごとをしたりするようになり、ナマズ信仰が始まるかもしれません。

ナマズと話をした人にとってはこのナマズは存在したわけです。
そして地震も起こらなかったら、そこに住んでいる人の中にも信じる人がでてくるでしょう。

実際に大地のエネルギーとの交換により、その人はなにかを感じたのでしょう。それを巨大ナマズとの対話というかたちで理解するほうがその人にとってはわかりやすかったのだと思います。
なので右脳がそのようにビジョンを与えたのでしょう。

またその人にとって、その地に祀るという行為が、その人の内的世界のバランスをより整えることになり(それは贖罪的感覚かもしれないし、自信と関係しているかもしれない,etc)、自己受容と安心感が増して、その内的エネルギーが地震が起こらない世界をその人に起こしている、ということもできます。


人によっては、同じエネルギーを「龍退治しなければ」と観る人もいるでしょうし、大地母神と観る人もいるでしょうし、怨霊を昇天させるとか、閉じ込められた地霊の封印を解かなくては、となるかもしれません。

それらは人それぞれのストーリーで、必ずその人の中にそれに呼応するエネルギーがあり、それがストーリーを生み出します。

だから自分がどのようなストーリーと関わり、創り出しているか?はとても大事になってきます。

ひらめきや直感は、ハイヤーセルフや高次元から来ると思いますが、それが自分の脳というフィルターを通るときにストーリーを作り出します。
ビジョンはストーリーにすぐに浸透されやすいと思います。

何を観て行動しているか? その前提となっているものがとても大事となると思います。


長くなったので、この話も二回に分けます。結局、話は横道にそれたな。。。

次回に続く、、、


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

先日311に行っていた和歌山の串本に絡んだ話です。
この話を書こうと思うと長くなりそうなのでやめとこうかとも思ったのですが、できるだけはしょって書きたいと思います。

今回のことは2009年の立春の日の淡路島から始まっています。
淡路島から伊勢の神島まで繋がっている「太陽の道」というレイラインがあります。
伊勢久留麻神社参拝時に「3/3までに太陽の道を伊勢まで行け」というメッセージを得た後、その上空で生まれて初めてUFOを見ました。

それは淡路島の舟木石上神社から始まり、伊勢の神島までの道のりでした。
神社にお参りすることになるかと思ったら、私が行ったのはほとんど磐座ばかりでした。

神社があるので、神社に神様がお祀りされているようで、実はたいてい自然信仰が隠れています。
山や磐座や巨木、川などが信仰の対象となっています。
それ自体というよりそこにおわす神霊といったほうがいいのかもしれません。

神霊といっても、人間的な神様というより,一種の神聖なるエネルギー場という感じでしょうか。
昔の人々は、そこで未知なる領域とエネルギー交換をしていたのかもしれません。

神社の形式はもともとの日本の信仰ではなく、昔、大陸から来た人たちのカバラ思想が日本に浸透したみたいですね。
この件については、自分の中で違和感を感じたり統合できたりを繰り返していますが、、、。


「太陽の道」を行く間、ずっと太陽と女性について考えることになりました。
それまでは磐座と女性の関係を考えたことなかったですが、しょっぱなの舟木石上神社が昔は女人禁制のところで、、、。

行ってみてわかったのが(といっても文献を見たわけではなく、感じたことですが)、この磐座信仰というのは、もともと岩を神様が降りる依り代として信仰の対象としていたわけではなく、岩とある周波数で響き合うことで宇宙のエネルギーを取り込むことができる装置だったと思います。

それが神様が降りてくる依り代と言われるようになったのでしょう。
ここで言う神様(カミサマ)は、エネルギーとして存在しているものだったと思います。例えば、雷(神鳴り、神成り/生り)のように。

特定の配置と、多分は、声とハートの波動と意図で共鳴させていたのであろうと思います。
それにより大地を肥やしたり、天候をある程度変えたり、、、。

反重力で岩を持ち上げて動かす技術もあったみたいですが、これは後日、本を読んで共感しました。(こちらにも少し書いていますが、この続きを書こうと思ってまだ書いてないなあ「何も起こらない完全なバランスの「間」2」

そしてその共鳴システムを司っていたのは女性。
共鳴してパワーを増大させるものですから、調和が大事です。
そういう文化があるところでは、支配するという概念はあまりなかったのでしょう。

私が舟木石上神社で感じたのは(あくまで感じたことであり、本当かどうかはわかりません)、そのパワーを支配したいと思う人たちが出てきて、血なまぐさいことがあり、関わっていた女性達は悪用されることを怖れ、岩が共鳴しないように配置を崩し、その方法も封印してしまったようです。

このようなことは各地であったでしょう。
この神社の横に女性の遥拝所があったのですが、ここは恐くて入れませんでした。無念な女性の念がまだつまりにつまってました。

という歴史を感じたのが、一番最初に訪れた神社だったということもあったのでしょう。
太陽と磐座と女性について考えながらの道中となりました。

そして、話はとばしますが、3/3 には無事、ゴール地点の伊勢神島に行くことができました。
ここは三島由紀夫の潮騒のモデルになった島だそうです。


さて、やはり最初から話が脱線してしまいました、、、。
全然串本の話がでてこないじゃん

ということで、次回に続く、、、かな?


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←新しい時代を作るためにワンクリック♪

IMG_1188

昨日は日の出とともに、串本出雲の浜で恵比寿舞を舞い、その後約13.5kmを歩いて岬を一周してきました。
そんなに歩くことはめったにないので、さすがに帰ったら爆睡。

これはマイストーリーですが、2009年立春の日にから始まった近畿の聖十字の完成となります。実際はこの図とはちょっとずれていて、伊弉諾神宮にも行ってますが、私は淡路島舟木石上神社から始まり、神島までの太陽の道ラインを行きました。

109
http://qwabala.omiki.com/qbl-1.html

計画したわけではないのに、明日香(飛鳥)がそのど真ん中にあり、20日にイナリコードが明日香であるのも面白い偶然の必然です。

私が企画したものでもないので、最初は自分とそう関係あるとは思ってはいませんでしたが、これもまた流れの中にあるべくしてあったものなのでしょうね。

飛鳥ではぜひ羽衣舞、、、個人的にはかごめの唄で遊びたいですが、さて、どうなるやら?

興味を持った人、ご縁を感じた人はぜひおいでください。
明日香巡りも合わせて、泊まりが楽しいと思います。
「講演会に参加」と言われたら、祝戸荘、一人でも宿泊できるみたいです。
そこでお会いしましょう。

今回の旅に関してもいろいろと書きたいことがありますが、今日はおいておいて。


さて、311から一年が過ぎました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
震災に遭われた方々の生活も一日も早く良くなることを願います。

私が強く強く思うのは、もう決めないといけないだろうということ。それは、

自然と共に生きるのか? 人間の欲と共に生きるのか?

決めないといけないだろうというより、もうすでに決まっているべきだと思います。
もちろん社会機構や経済システムの中で、仕事柄、自然に反した行動をとらざるを得ない人たちもいるでしょう。

でも少なくとも心の中では決めていいと思います。

自分の個人的な生活においては、少しでも自然と共に生きたいと願い、行動する。

そういう姿勢が必要だと思います。

それがない人は、これからの時代、、難しいと思います。
自然は容赦なく、そこを突いてくると思います。


・・・昨日、串本から戻り、今、気がつきました、、、。
昨日の串本出雲行きは、結果的にいろんなことが示唆されていたわけだけど、その通りになっているなと今、気がつきました。

私は自然サイドから語りかけていますね。
指が勝手にそう動くので、昨日の地霊たちからのメッセージなのか、、、。

これから先は自然と共に生きようと決めた人たちだけが生き残っていくのかもしれません。
自然と共に生きることに決めた人たちは、やはり心も自然と共に生きることができるような心構えを持っているか、そうなりたいと願っている人たちだと思います。

自然界を見ていると、人間の本来の生き方が見えてきます。
それをすっかりと忘れた私たちですが、再びそれを思い出すべき時になっています。遅すぎたと言っても過言ではないでしょう。

次世代、次々世代、100年後、1000年後、、、の子孫たちにどんな世界を残していきたいのか?




もう一度考えてみて、今日312から行動し始めましょう。
自然に反した生き方はもうあり得ないと思います。きっと生き残れない。

要するにこれは「ヌースフィア」の創造と関連しているのだと思います。

「人が自然を変容させる」は、3113BCから1987年までの歴史と定義され、「自然が人間の変容を評価する」は、1987年から2012年までの短い期間であると定義された。5番目の終了期「人と自然が合成する」は、2012年の歴史の周期の終わりから始まる。
ヌースフィアの理論と歴史


昨日がリミットだったのかもしれません。といっても「この日」というきちっとした期限ではないと思いますが。

今は多分、発動前のインターバル。
春分の日以降から発動開始、、、?

春分の日に,私は明日香(飛鳥)にいますが、それも面白い偶然です。
717元糺の儀では、水の十字が関係してましたが、今回は火と水の十字。
京都の十字は、「マストが立ち、京都の方舟が完成」でした(この方舟は京都地下水と関係があったと思います。ちょうど船の形。その後(前もだけど)白山につながっていきます)。

この時は人間が切断した大地の水をエネルギー的に結び直し。
今回の近畿十字は「火の鳥が羽ばたく」と来ています。
今回の十字は人間の魂の結び直しと地霊の復活。
そして、十字が結ばれ、明日香(飛鳥)へ。

籠の中の鳥が出る日も近い、、、。

これもまた私の個人的野生の勘ですので、ご自身でサニワをしてくださいね。
これはマイストーリーなので、イナリコードとは別の話です。たまたま(笑)そのような流れになったまでで。

串本に行く数日前から鹿島の龍の応援を得ている(という言い方をしますが)気がしていたのですが、二点を結んだラインが気になります。調べてみなきゃ。

以前行ったときの感じでは、鹿島神宮はすでに自然神と後から来た者たちが和合している状況だったので、すでに次世代のエネルギーになっていました。
それと関係あるのかな?

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

最近、自分に起きていること(感じていること)なのですが、経験している人も少なくないだろうと思うので書いておきます。


しばらく前から古い記憶が蘇ってきているように思います。
「底ざらえ」という言い方を以前の記事でしましたが、今月は大きな「底ざらえ」があると「3月のメッセージ」にでてました。

磁場減少に伴い、磁場層に蓄積されてきた想念エネルギーの解体が始まっているようだとも以前書きました。
12月からの「底ざらえ」で,私は身体も心も軽くなったのですが、今回は違うようです(今の私の場合は、ですが)。


思念層が解体されるにつれ、隠れ埋まっていた記憶の封印も解けつつあるでしょうし、宇宙の霊的エネルギーを遮断していた層も少しずつ薄くなって、高次元エネルギーがやってくる量も増えていると思います。

昔々の記憶、つまり、今世に限らず、自分は何者なのか?、なぜこの地球上に来たのか?、何をしようと思ったのか、ということなどが思い出されてきます。

ほとんど「やっぱりなー」と思うことばかりです。
本当にそうなのか、自分の意識が作り出している妄想なのかは確定しようがないのですが、どちらにしろ、自分の感情の深いところとつながっているのはわかります。


この世界で人間として輪廻転生を繰り返してきたとすると、まだ未達成、不満足なことがあるから輪廻転生を繰り返しているのでしょう。

古い記憶が蘇ってくるとともに、できていない部分やトラウマになった部分が蘇ってきます。同時にそこに見え隠れする愛や課題にも気づきますが、傷と愛の狭間で揺れ動く自分がいます。
今出てきてるということは対応する時期が来ているということなのでしょう。

最初は自分のものだと思っていましたが、同じような想念エネルギーが自分にどんどんとのしかかってきているようです。
同種同族の記憶なので共有していますが、自分の思いか他の思いかわからなくなってきます。自分にも同じものがあるから呼応共鳴しているわけですが。

思念層の解体が進むにつれて、消滅した想念エネルギーや違う場に行ったエネルギーもあれば、重しがなくなった分、行き場を求めて、この世界で浮遊し始めた想念エネルギーもあるようです。

また、私の記憶(今世に限らず)が蘇ることで、そういうエネルギー場にアクセスしてしまっている可能性もあります。

*ここでいう「想念エネルギー」とは、意志を持った存在の強い思い(たいてい報われていない)がその思いにとらわれて「念」となってどこかに留まっている状態のエネルギーを指します。

が、同時に、自分のことだと思いたくなくて、そういう話を作り出しているのかもしれない、というところもしっかりと吟味していく必要があります。
エゴは本当に巧妙ですから。


今、いろいろとしんどかったり、感情が揺らいでいる人は、同じような現象にはまっている可能性があります。

以前の記事にも書いたかもしれませんが(あるいはメルマガだったか?)、自分自身の思いや感情かと思っていたら、他者のそれを自分のと勘違いしていたというケース。

それは親や先祖の感情を引き継いでいる場合もあるし、集合意識から得ているかもしれないし、場合によっては憑移ということもあります。

今、幽界の揺らぎで、凝り固まっていたものが崩れて解体浮遊し始めている状態のようなので、自分の中にある想念にリンクする他者のエネルギーがあれば、磁石のようにあなたにくっついてしまうかもしれません。

自分のネガティブ想念に相乗効果を与えてくれるので(同じ念を持っているから)、それに気づかないままだと自分のネガティブな思いがどんどんと肥大しているように感じて大変だと思います。


私も自分の今の様子を冷静に客観的に観察していますが、感情はぶれますので、上り下がりしています。
自分のネックとなる部分にぴったしやってくるので心痛いです。

人間はもともと浄化装置ですから、見方を変えれば、自分に付着してきた念は自分次第で一緒に浄化できるチャンスでもあります。

それに呑まれないようにして、この機に心して自分の心の重さに引きずられずに、その思いを浄化して癒していってください。


自分の中心軸がとれてない人は、この解体&浮遊エネルギーに負けて、自分も同じように解体&浮遊していく可能性があります。

そういう人が増えていくと、肉体のある人が放つ想念エネルギーと肉体のない想念エネルギーの両方が浮遊し始めます。
これからどんどん増えていくと思います。

となると、グラウンディングと中心軸と中庸で不動の心ができていないと、かなりこれらに左右されることになります。

このブログでも他のブログでも、もうさんざん中心軸!不動心!と言われてきていますから、あとは野となれ山となれ、、、自業自得となります。

春分以降、ますます強まると思います。後の祭りにならないように。


なんていいながら、私も今けっこう振り回されています。
少なくとも客観的に見てる自分を失うことないので、つい感情的にはなってしますが、自分の思いの行方はしっかりと定めておきたいと思います。


311あたりはこの傾向が強くなるでしょうから、気持ちをしっかりと支えておく必要があると思います。

人間の想念がぐんと重くなると、大地下への影響も心配されます。
人間の想念のせいで、また地下の動きが微妙になるかもしれない、、、。

ということで、311、絶妙なる神仕組みに組み込まれて、私は地霊たちと串本の海辺で復活の儀を行ってきます。

たまたま先ほど見つけたこのサイトを見て、またいろんなことが繋がりました。→ 封印された地上絵


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

今までは物質と非物質の区別がはっきりしており、物質重視の世界でした。
特別な研究者や精神重視の世界を除いては、見えないエネルギーの世界(潜象界)にはあまり注意が払われていませんでした。

が、今、潜象界への扉が開こうとしています。
それは脳のある部分の活性化による影響です。

今まで知覚していなかった見えない「何か」が感じ取れるようになります。

地球に来る宇宙エネルギーの変化によるものなので、地球全体が影響をうけますが、それによる反応は多様です。

素直な人は問題なくそれに乗っかっていけますが、今(まで)の状態に固執しようとする人にとっては難儀な時期がやってきます。

これからは本当に柔軟であることが大事です。

この「エネルギー場への道が開通する」というのは、そのエネルギーを自由に使えるようになっていくということなので、自分がいかにそれを使っているのかを意識することが大事です。

なぜならみんな自分と同種の波動のエネルギー場に自然につながってしまうので、その状態で、その波動と同じ波動を出していれば、それがすぐ実現することになります。

自分の思い、感情が今まで以上に早く実現化されることになります。

オーダーの仕方をわかっている人、この力をどう使うか知っている人は有効利用していきます。
その人たちは自分の力をほとんど使う必要がないことをわかっていますし、宇宙の仕組みを信頼していますから、今まで以上に楽になっていきます。


  ーーーーーーーー    ーーーーーー
 | エネルギー場 | ー  |  自分  |    
  ーーーーーーーー    ーーーーーー
 
が今までの状態でしたが(と感じていましたが)、

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
|          ー ー ー   |
| エネルギー場  | 自分 |   |
|          ー ー ー   |
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

がこれからの状態となります。(ブラウザによっては四角がずれてるかも?)

つまり、宇宙のエネルギー場と自分のエネルギー場の境がなくなる感じです。

以前は自分の願いは外の世界にあり、自分の中にはないように感じていましたが、これからは自分が属している「エネルギー場」の願いが自分の願いになっているような感じがするかもしれません。

自分が意図することにエネルギーが従うのがよくわかるようになります。
ただこれをわかるのはまだ少数だとは思いますが。

これは、宇宙ー地球、右脳ー左脳、真我ー自我などの関係と同じです。
すべてシンクロしているので、その変化は同様です。

「バイパスができる」という感じです。

しばらくの間は「ふたつの場をつないでいる」という感覚ですが、そのうち前者が主流になり、後者はそこに包まれるようなかたちとなります。
つまり前者の意志が後者の意志となっていくということです。

個は分離意識から全体意識となっていきます。
そのプロセスがもうすぐスタートします。

「和音」2012.2.13

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

前回「自我の崩壊と既存世界の崩壊1」からの続きです。

記事を書いている時にたまたま「自我崩壊」で検索して出てきたサイトが、偶然ながらもとても適切なのでリンクを張っておきます。

『「キレる」のメカニズム』

この↑ページ最後の方に、「自我が崩壊すると、まるでマグマのように地殻(自我)からこころのエネルギーが地表に噴き出し始めます。」と書いてありますが、このページに載っている図をみても、何やら地球とその周辺の層みたいです。

4_5kireru-meca_fig3
http://www.kyoto-be.ne.jp/ed-center/sodan/cp4/4_5kireru-meca.htm

39-14
http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kenmin/ao-kendo/39.html


地球の周囲にある磁気圏と呼ばれるシールドは、太陽風が注いでくるのを遮断しています。

02
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-01-06-02


「キレる」のメカニズム」に書いてあることと照らし合わせると面白いのですが、子どもは自我を守り、傷つかないようにするために、つっぱったり、攻撃したり、逃げたり,無視したりといろんな方法で自己防衛をします。子どもに限りませんが。

それでも自分を守れないと、神経症や心身症などになります。
それ以上の圧力がかかると、自我崩壊が起こり、人格障害,自殺などがおこります。


人間の自我が自分を守るために自然に反して行ってきたことは、もしかして宇宙レベルで見ると、子どものつっぱりのようなものかもしれない、、、

それが防御フィールドを作り、宇宙エネルギーを跳ね返していたと言い換えられますね。
それは子どもが傷つくまいと自己防衛しているのと同じ。

人間が宇宙エネルギーをまともに受けられるように精神も身体構造も成長していなかったので、それは必要ではあったのでしょうが、そのまま防衛し続けていると、神経症、心身症になり(すでにたくさん存在してます)、それ以上の圧力がかかると、自我崩壊、,,人間で言えば、精神に問題をきたし、地球で言えば、天変地異が起きるということになるでしょう。

自己防衛にエネルギーをかけすぎて自己崩壊寸前ということです。
今の世界情勢みたいではありませんか。


地球にいろんな天災がおきるのは、これと同じようなメカニズムではないでしょうか?
地球の天変地異は、人間の「自我の死」と同じ現象なのだと思います。


人間の話で言えば、自我崩壊をして再起不能になる人と、自我崩壊が起きることで新しい自分になれる人といると思います。

「自我の死」は本当は自我の幻想であり、「傷つかないように自分を守る必要はない」と気づくことができたら自由になれます。

傷つきたくないからと殻を作っているのは自分です。
その状態から世界を見ると恐ろしく見えます。
外に出たことないと檻の中の方が安全に思えます。

自我を最後の最後まで手放すことができないでいると、圧力が強くなればなるほど、恐れも抵抗も増し、絶えきれず崩壊することになります。

「自我の死」を経て、自我支配から自由になった人はわかると思いますが、自我が手放せたあとは、より大きなパワーや恩恵を感じて、今までいかに小さな箱の中に自分を閉じ込めていたかに気づかれたと思います。

天変地異や終末論がいわれていますが、これは自我が自分を守っているときの状態とよく似ていると思います。

「これを手放したら自分は崩壊する」と恐くてたまらなくしがみついている状態です。

既成の社会基盤が崩れたら、天災が起きて今の生活がなくなったら、死んでしまったら、、、

すべて自我の恐れから始まっています。


自分の内面でそこを越えた人はあまり恐さを感じていないと思います。

また,そのような人が増えれば増えるほど、先ほどの図の「つっぱりりガード」(地球磁場)の部分がゆるみます。

すると、刺激・圧力(宇宙エネルギー)を抵抗なく受け入れることができ、私たちを新しく自然な流れで変容させてくれると思います。
地球もゆるやかに変容していけると思います。

注射を受ける時に力を入れて踏ん張っていると,鍼も入りにくいし,痛いです。力を抜いて針が入ってくるのを受け入れると、まだましです。

「自我の死」が起こる前はすべてが崩壊して死んでしまうように思えるのだとわかっていれば、激動の時期となったとしても、その激動は自我サイドから見た幻想であり、その後はすばらしい世界が待っていると希望を持つことができます。


この見方を適応してみると、

「自我の死」が起きても、世界は崩壊しない。死なない。→新境地へ行ける。

天変地異が起きても、世界は崩壊しない。死なない。→新天地へ行ける。
                          ↑
ただし自我(エゴ)支配から自由になった人のみとなるでしょう。
なぜなら彼らは天変地異さえも幻想であるとわかっているからです。

自分自身の内面がそのまま地球の動きと連動しているのだなーと思います。


バシャール〜『現実は鏡に映ったリフレクション』



キーシャ〜「ただ愛であること」予言カンファレンスにて


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

「地球と人間の入れ子状意識空間」の補足です。


「自我の死」という言葉があります。

自我が死ぬわけではないですが、それが起こる前は、あたかも自我が崩壊して死んでいくように感じるのでそう名付けられているのだと思います。

それを経験された人はそのことがよくわかると思います。
いかにも「自我の死」という感じです。

過去記事でも何度もそういう話を書いていますが、すぐに見つかったのがこの2記事でしたので、載せておきます。まだあると思います。

エゴと仲良くなろう
大いなる源(ソース)につながる

母親の胎内から生まれ出てもしばらくは、赤ちゃんは自他の区別なく、一体感の中にいますが、自我が芽生え出す頃になると、母親と自分は別な存在であることを知り、自と他の区別を認識します。

全てと一体であった状態から、個として目覚めるわけです。

この時に全体から離れたという分離感を得ます。
これが自我の中心部分となり、消滅(死)への恐れが生じます。

自我がなければ、自分を認識しません。
個としての自分がなければ、個としての死もありません。

本来、この分離感は、消滅への恐怖ではなくて、自己表現やそれぞれの個性や体験を楽しむという方向に行くべきだったのでしょうが、いつのまにか自我に目覚めることが死や孤独への恐怖にとって代わり、生存への渇望、所有欲、支配欲などがでてくるようになってしまいました。

そして私たちは、毎日、考え事をしているこの自分(自我)が自分自身そのものだと信じてきました。
自我の恐怖は自分がなくなることですから、自我は自分が不必要になることのないように必死で自分を守ります。

「自分」を必死で握りしめているのが自我なんですね。
そのためにあらゆることを自分の力でコントロールしようとします。

それを手放すともっと大きな世界が広がっていますが、手放したことがないからそれがわからず、手放したら崩壊すると信じています。

「わかってほしい」「認めてほしい」「愛してほしい」と思う私たちの気持ちはみんな自我(エゴ)の気持ちですね。

でももともと全体とひとつであるのだから、わかる必要もなければ、認める必要もなく、愛される必要もない、、、なぜなら、もうすでにそうだから。

これがわかるには、自我が自分を保とうと必死で握りしめているものを手放さなければなりません。
自分が握りしめているものを手放して初めて宇宙遊泳の楽しさがわかります。

この1〜2年、これに直面した人は多いと思います。
自我(エゴ)のコントロールから自由になると、恐れや不安が行動の原動力になりません。
自分の内なる声に忠実に恐れなく進みます。

自我を手放す前は、本当に世界が崩壊するような恐怖を体験された方もいるでしょう。
実際、自分や人生が崩れ去ったように感じた人や、人生最大の危機に陥った人もいらっしゃることと思います。

しかし立ち直った際は、今まで以上に自由で解放された自分を発見され、その後だんだんと人生がより楽しく豊かになってこられたと思います。
お手上げ状態で全託したという人の中には、奇跡が起きた!という体験をされた方も少なくないでしょう。

(また長くなってしまったので次回に続く)

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

前回のつづきの部分です。

地球と人間の脳も相似象であり、人間の脳が左脳、右脳と分かれているように、地球の大陸も分かれており、西洋と東洋という思考体系にそれは現れています。

また、人間の自我意識(左脳)と右脳のバランスが今まではアンバランスで、左脳優位世界であり、それは西洋文明、男性社会に現れていました。

今、左脳から右脳のほうに移行し始めていますが、それに伴い、男性社会の終焉、西洋的唯物主義の終焉となってきています。

が、右脳は左脳のように「区別する」ということをせず、トータルで把握しますので、右脳に移るといっても全脳思考に変わっていくということになります。
右脳優位で左脳が舵取り、右脳が船なら、左脳が船長という感じです。

地球は今まで人間の放つ意識エネルギーと磁場に制限されていました。
それにより地球の右脳的部分も人間のそれと同じように抑え込まれていましたが、人間の自我が自由になるのと、磁場が減少するのと、物質の固体振動数が高まるのと、地球(全体意識)が高まるのと、すべてつながっているので相互作用しながら同時進行です。

地球自体が全体意識、宇宙意識であり、地球の自我は?といえば、人間がそれであると言えます。
人間の中にも自我はありますが、地球それ自体は人間の右脳部分であるといってもよいでしょう。
右脳は宇宙意識でもあるので、地球意識と人間の右脳がつながっている、共有しているというほうがいいかもしれません。

言葉では言いにくいですが、地球と人間は入れ子状で、相互作用的に意識空間を共有しているのです。
同じものであり、違うものであるという感じです。
この話はまたいずれ。

「和音」2012.2.8


地球と人間の関係は思っていた以上に深いのかもしれないと思うこの頃です。

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

意識しようとしまいと気はどんどんと変わっています。

ただそれを気にしているといないとでは感じ方が全く異なり、日常の雑念ややらなければいけないこと、考え事等で、頭が常に考え事をしている人はその変化になかなか気づけません。

感覚的なことなので、頭を空っぽにしているか、意識をそちらに向けていることでどんどんと研ぎすまされていきます。

もう半年位前から顕著になっていますが、雑念で頭をいっぱいにしているよりは、ゆっくりとリラックスして、気のよいところに出かけたりする方がよっぽどよいです。

ぼーっとしているとムダに時間を使っているようですが、思考を止めることで感覚が冴えてくるので、だんだんと深い気の世界に気づいていくようになります。
右脳が活性化するということですね。

左脳が静まらないと右脳の働きがわかりにくいので、瞑想をしたり、ぼーっとすることは左脳を静めるのにいいのです。

人間より自然界の方がはるかに地球の波動変化についていっていますので、気の良い自然の中にいるだけでもよい影響があります。

波動の高いところやものに接するようにしていると、自然とそちらの波動に調整させていきますので、できるだけそういうものに接しましょう。

現在起こっている変化は目には見えませんが、かなりなものです。
それを体感している人も多いとも思います。

今年に入ってからは気がどんどんと澄んできており(波動が微細になってきており)、敏感な人は物質の境界があいまいになってきているのを感じておられるでしょう。

以前のように物体が確固とした物体でなくなり、粒々の集まったもののような、固体だけど、空(くう)の空間が内在されているような、あるいは、情報が詰まっているエネルギー空間のようだったりと。

従来の物体感覚と違う感覚を感じ始めている人もいることでしょう。
また固体に限らず、空気、気についても,前より奥行きや密度を増したような感覚を感じている人もいるでしょう。

これらはすべて周囲が変わっていっているというよりは,あなた方の知覚変化によるものです。
世界は情報というエネルギーでできていて、私たちが今体験している世界もその情報が見せている世界です。

私たちが共有している情報が変化していけば、体験する世界も変わっていきます。
地球全体の波動変化により、地球上のものはすべて影響を受けていますが、蓄積されてきた思考層、念の塊が解体していき、一部の情報が消えていきました。

それに伴い、全体のエネルギーも変わり、私たちのエネルギーを制限していた力も幾分減りましたので、新しい知覚が現れ始めています。
以前は何年も修行しないと得られなかったような能力が何もしないでも自然と開花していくのですからありがたいですね。

でもたくさんの人にそれが浸透するのはまだまだ先です。
なぜならたいていの人は左脳が忙しすぎるからです。

先見の明のある人たちや感性の高いひとたち、すでに気づいている人たちが先に意識して、その知覚を表現していきますので、他の人はだんだんとそれに導かれ、世界の流れもその方向に向かい出します。

そのように知覚が変化していくと、人の気持ちも変わり始め、争いごとが減り、平和な心が増えていきます。

それに乗っていけない人たち(左脳/エゴ支配が強くて、右脳の介入を許可しない人たち)は、その知覚を感じることができないので旧世界に取り残されることになります。

「和音」2012.2.8


メルマガ更新しました!2/17

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

日木流奈くんもドーマン法をされたそうですが、グレン・ドーマン氏の「赤ちゃんに読み方をどう教えるかー親こそ最高の教師」に面白いことが書いてありましたので、そこからまとめました。

ドーマン氏は、重度脳障害児でも、普通児と全く区別できないぐらいか、あるいは平均以上に達する子もいることに気づきました。

例えば、同年の三人の子がいて、一人は正常な脳を持ち、もう一人は脳の半分しかない。もう一人は、何百万個もの脳細胞が死んだまま。
でもこの三人の知能は同じくらい。

では,障害のない普通の子は何が問題なのか?「正常」な子どものどこがおかしいのか?

『受精の瞬間から、脳は爆発的スピードで成長し始めるが、その速度は次第に減退する。そして、全プロセスは6歳でほぼ完了する。脳は5歳で80%できあがる。それ以後80歳までの脳の成長の度合いは、5歳から6歳まで(それまでの最低)の一年分にも満たない。』

私たちが知っているよりはるかに子どもたちはいろんなことを知覚しているようですが、それを伝える術を知らないだけみたいです。

大人がその能力を封じるような教育の仕方をしていくせいで、普通に育てられた子たちは、いわゆる一般的な知能しか得られないようです。

-------------------------------------------

二歳児の脳にとって、「あ」や「い」という文字ほど抽象的なものはない。

私たちが子どもに「い」という「文字」を見せたとき、きっとこう質問しただろう。

「どうしてそれ、『い』なの?」


五十音を読むのはひじょうに難しい。
なぜなら、誰も「い」を食べたり、「い」に座ったり、「い」をなでたり、作ったりしたことはないからだ。

「いちご」なら食べられる。「椅子」なら座れるし、作れる。「犬」ならなでることができる。

「い」「ち」「ご」というひとつひとつの文字は抽象化されたものだが、「いちご」はそうではない。だから「いちご」と、単語として学ぶ方が、「い」という文字、「ち」という文字を学ぶよりたやすい。

また「いちご」と「みかん」の違いは、「あ」と「い」の違いよりずっとはっきりしている。

ことばの基本単位は「単語」である。


さらに漢字について。

「いす」と「いぬ」では視覚的に似ているので区別しにくいが、「椅子」と「犬」なら区別しやすい。

子どもは、漢字、ひらがな、カタカナの区別を教わっていないかぎり、漢字もひらがなもカタカナも同じように受け止め、吸収する。
ひらがなだけ、カタカナだけで書かれた文がどんなに読みにくいか、お分かりだろう。


五十音から入った子どもが、例えば「かみのけ」というカードを見せられると、「かーみーのーけ」と読んでから、ああ「髪の毛」か、と理解することになり、時間がかかる。

「かーみー」と一音一音読みながら、「髪」なのか「紙」なのか「神」なのか、心の中で判断しているわけだ。

逆に漢字から入った子どもは、後で書くことを学ぶようになったとき、「気持ち」を「木もち」などと書いたりすることがない。

-------------------------------------------

これって、部分部分で切り分けてしまう今の時代のあり方を表しているなあと思います。

ひとつひとつの文字でなく、単語で見る方がわかりやすいし、覚えやすい。
日本語だと漢字の方がもっと意味をつかみやすい。

たしかに、、、。


私たちは、正しいといわれていることをこれでもか!と叩き込まれていて、たいてい疑わずにそうだと思っています。

子どもには漢字は難しくて無理だから、最初はひらがなから、と「あ」「い」と教えようとするのが通常です。
大人の思考基準にあわせて教えるのではなく、子どもの能力にあわせて教えていくと、想像以上の能力を見せてくれるそうです。



これからの時代はまったく違う価値観に基づいて形成されることがたくさん出てくると思います。
古い概念にしばられていると、新しい概念や価値観はまったく無意味なように思えるでしょう。

とにかくは試してみようと好奇心を持つことが大事だと思います。


「どうしてそれ、『い』なの?」と質問できる感性が素晴らしいと思います。


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

悦月のセッション詳細はこちらから

blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

前回載せた福岡正信氏の話についてですが、人の話に置き換えてみるといいと思います。

「自然農法というのは、まさに「生き方」の問題なんですよ。」と彼もおっしゃっておられます。

人間が操作するのでも、人間の浅知恵を使うでもなく、自然に任せる。
長い目で見る。
自分たちのためだけに何かをするのではない。
効率だけを考えない。

そして、粘土団子。

いろんな種をいっしょくたにして泥団子にして、ばらまきする。
どれがいつ芽を出すかはわからないし、全部が芽を出すわけではない。
適したものだけが芽を出して成長する。

これって、まるで地球みたい。

これを、ひとつひとつの種のことと考えると、育つ種と育たない種があるから、しいていえば弱肉強食の世界,適応できたものだけが生き残れる、勝つか負けるかの競争世界だとみることができます。

しかし、粘土団子をひとつのいのちとしてみれば、そこからどれかが育っていくということは、いのちをつないでいくこと。

粘土団子の中にたくさんの種があり、そこから可能性のあるものが育っていきます。
芽を出さずに終わる種がいても、他の種が育つことで、その種の思いも引き継がれます。

これは、粘土団子の種からどれかが育てばいのちは続いていくとする考え方です。

芽を出した種が成長して、土地にたくさんの植物が育てば、地球という星が豊かになります。

その視点に立てば、どの種が育ち、どの種が育たないか、ということはあまり重要ではなくなります。
育つべきものが育つことになります。


全体の視点に立つか、個々の視点に立つかで、ずいぶんと違ってきます。

個々の立場に立てば、競争世界の弱肉強食で生きるか死ぬかの問題となりますが、全体視野に立てば、自然が循環して命をつないでいってくれれば本望で競争がありません。
「適応できない私の代わりに生きてくれてありがとう」となります。

どれが生き残ろうとあまり問題ではないのです。
全体のいのちが続いていますから。

人間だけがそのサイクルから外れようとして、反対に自分たちが自然からはずされようとしています。自分たちの都合のいいようにしようと自分たちのことばかり考えて動いてきた結果です。


害虫は、人間にとって困る存在なので「害虫」と名付けられていますが、その虫にとってみたらいい迷惑です。
勝手に悪者にされて「害虫」とされ、殺される対象にされているのですから。

その虫が悪いもので、殺されるに値すると決めることができる存在など本来いないと思います。
それほど人間は傲慢なのでしょう。
自分の都合で勝手に決めているだけですから。

人間は人間に対しても同じ考えを押し付けてきました。
「害人」とされたら虫けら同然ですから、たまったものではありません。

この傾向は,私たちの日常生活にも至るところにありますね。


すぐ目の前に自然という生き方のお手本があるのに、私たちはそれに見向きもせず、自分たちが作った(言い換えれば、支配層が都合よく作った)ルールに沿って生きていくことが正しいと思ってきました。

私たちが何を見習うべきか?
あなたはどのように生きたいのか?
どんな世界を望むのか?


人間も自然の一部。
現代は人工物が多いとはいえ、まだ空があり、大地がありの自然の中で暮らしています。

人間も自然なのだから、自然に学んで自然の運行に沿って生きていくほうが本来自然の理にかなっているでしょう。

今の世の中は自然に反していることだらけなので、とても病的になっています。

私も彼が提唱される「農の風景」にあこがれますね。

「人畜と自然が一体となった素晴しい有機的共同体」

時代が自然と調和する方向に向かっていくことを期待します。





blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

↑このページのトップヘ