いのちおり - 本来の自分に還るために

さあ、未来の自分に還る旅に出よう!
人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: カムナガラビリンス

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今日は夏至ですね。

この話は「象徴言語」とつながっていきます。
そのうちすべてにおいてそういう感覚になっていくんでしょうね。

今回の夏至はけっこうな分岐点。

昨年冬至から今回の夏至まで、固体化した「自我」が揺さぶられ、
ヒビ入れがなされていた時期でした。

「個の塊」だったエゴが解体し始めて、

例えば、古い価値観が抜け落ちたり、長い夢から覚めた感あったり、
「私ってこんな人」という思いなどが、崩れ出して、あわわ、、となったり。

これからますます「個」の概念が変わっていきます。
今まで「自分」が ”個体” だと思っていたのが勘違いで、
多重構造だということにだんだんと気づいていく段階に入りました。

例えていえば、複数の円があって、それらが交わると重なりあった共通部分ができます。

今までは”共通部分”が自分だと思っていたわけですが、
それらの全部の円が自分だと気づくようになっていくってこと。
イスラム文様の円が重なり合ったようなかたち。
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フラワー・オブ・ライフ、、、と今、気がつきました。
だからそうなのか、、。

言葉で説明するより、図形の方が説明してくれる。
←こういう時代になっていきます。

意識が進化していて、また次の段階に入るのがこれから。
簡単に言えば、多重人格(多層人格)。

「私」なんてもともといなかった。

たくさんの微生物が集まって一つの体を構成しているように、
バラバラなんだけど、個体、自分だと思っていた

ということがだんだんわかってくるようになります。

物理空間から情報空間に意識のレベルが移行し始めているので、
そのうち、物事のベースが物体でなくなっていきます。
ゆくゆくは、物体基準で「個」をカウントせず、「情報」でカウントされるようになります。

新しいゲシュタルト(まとまり)ができるには、
いったん古いゲシュタルトは解体されないといけない。

バラバラになり、再編成。

芋虫が蛹になってる時って中でドロドロになっているらしいけど、おんなじですね。
再編成されてできあがったのが、多重多層構造の私たち。


既にその予兆が始まり出してます。

今、コミュニティ化が進んでいるのも特定の情報によって結びついたコミュニティ
という集合体に意識が向かっているから。

今までは自己実現が大切なように思われてきたけど、
これからは自分のための自己実現というより、
他のために役立つことが自己実現と言われるようになっていくでしょう。

自己実現も突き詰めれば、以前からそういうものですけど。
今までは、自分の成功やゴール達成みたいな感じになってたと思います。

とまあ、これから面白くなっていきそうですね。

私たちの意識がどんどんと変化しています。


東京セミナーではこの話をします。ご興味のある方はぜひどうぞ!

「広がる自我の結び直しのと多次元宇宙」

7月9日(日)14:00~16:30
場所:東京都中央区内
料金:8000円

お申し込みフォームはこちら

メッセージ欄に「7/9セミナー参加」とお書きください。

7月23日からコーチング料金が値上がりします。
セミナー後、コーチングコースにご興味のある方には相談の時間をとります。
メッセージ欄に「コーチング相談希望」とお書きください。

・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

京都でのセミナーは7月23日(日)です。
内容は東京とは変わる可能性があります。

時間:13:30〜16:00
場所:京都テルサ
http://www.kyoto-terrsa.or.jp

料金:8000円

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こちらも東京と同じく、コーチングを受けることに興味ある方には終了後、
相談時間をとります。メッセージ欄に「コーチング相談希望」とお書きください。


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今日は独り言です。
これを読んで「そうかー」と納得するごく少数の人に伝えたいので、
あえてブログ記事にしておきます。
ほとんどの人には??だと思うのでスルーしてください。



昨日、思いがけぬ出会いがありました。

2012年前に天河大弁財天社で舞った「うしろの舞」。

その時にちらりと顔出しされた"かみさま"が、昨日、前面にでて、大いに舞われました。

まさかこんなかたちで教えてくれるとは思いもしなかったけど、
ちゃんと受け継がれていっているんだなと思いました。

よかったと思うと同時に確実に時代が移り変わっているのを実感。


さて、うしろの"かみさま"は表舞台に出てこられました。
”かみさま”と書いていますが、一般的に言われる神様のことではないですが、
呼び名がないので。

そして私も軌道修正。
もっと深くこの世界と付き合っていくことになりそう。

もっと繊細に追求していくといくつかの層があるようですね。

長い年月、連綿とあるこの存在というか、存在がない存在というか。
昔「しらたまさま」と名乗ったモノが、実はギリギリラインでのその象徴的姿なのだなと。

それが自分の活動とどのようにつながって現れてくるか、まだわからないけど、
その方向にむかいそうです。


以前、白山大汝峰に行くことで開いた次なる世界への扉。
その後、2年間は現実界での修行。

そして再び車輪は動き出し、また私はお約束ごとに向かうのだな。
私のエンドレスなゴールですね。

その世界と現実界との融合。

めったなことでそれを表したものには出会えません。
私は私なりにそれを表現していくことになるんだろうなと思います。


ところで、「ヌースフィア」をググってみたらこの記事が面白かったです。
ヌースフィア はじめに

バイオスフィアとヌースフィアとサイバースフィア。

それに加えて、このスフィア。

私のコーチングに「トランスフィア・コーチング」と密かに名付けていますが、
なるほどと今思いました。

私のコーチングではそこに目覚める人を増やしていくんだろうなと思います。
私のところに来る人はその傾向のある人が多いようですし。


このブログのカテゴリーに「カムナガラビリンス」という項目があります。
「これはなんですか?」と以前聞かれたことがありますが、
今日みたいな「マイストーリー」的な話につけた名前です。

自分の内深くに潜む神話ですね。
こういう流れは自分で予想し難いのでおもしろいです。


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7月のメッセージで、最後に龍のことがでてきたので載せときます。

先日、それはたまたま夏至だったのですが、最近引っ張りだこの北畑さんのセッションを受けました。

ヒアリングをしながら、クライアントの中にある忘れ去られたものを見つける技術はピカイチだなと思いました。

子供の頃に封じてしまった本来の私の資質。

それが北畑さんの口を通して、説明ではなくて、アファメーション的に蘇ります。

その言葉、自分に言ってあげるといいよねーと思いながら、言われるがままにタッピング。
施術中に、自分が昔、封じた強いエネルギーが開放されるのを感じました。

そのエネルギーは自然界の人間的制約のない自然で自由なもの。
私の中のそれが開放されるとともに、自然界のそれも開放されていくのを感じました。

それはいわば、龍のエネルギー。
そのプロセスを感じていると、「日本が変わる」のことばが現れました。


すべては相似象、フラクタル。

私が変わることで私の認識が変わり、私が体験している世界も変わり、私に関わる縁起も変わります。
また世界が変わっていくことで、私も変わらざるを得なくなり、こういう変化を得ています。

これはどちらが先というわけではなく、自分と世界は関係し合いながら、相乗的に必要なプロセスを行っています。

私の中の龍的エネルギーが開放されることは、私の世界の自然界が活性化されることであり、
私の中の日本の自然霊界も活性化されることだから、私との関係性においての日本も変わらざるを得ない。

縁起というネットワークの中の自分は、自分以外との関係性の中で成り立っています。

私の中に封印されてた龍のエネルギー、それは自由奔放、自由自在のエネルギー。

それは秩序だったこの世界では長い間、悪しきものとして扱われてきましたが、
新しい時代にはこのエネルギーが必要です。

少しずつ解放されてきていますが、これからもどんどんと他の人や自然界のそれも解放されていくのでしょうね。

さて、龍はどう動くのやら?

龍の時代がまたやってきますね。
ゲド戦記が読みたくなってきました、、、。


追記:
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昨日、ネキリムシがいるかと思ってひっくり返した
植木鉢の植物の根っこにへばりついていたのは、
なんと、トカゲ。

そして卵がポロリと落ちました。

トカゲの寝返りが土を耕してたんですね。
申し訳ないことをしてしまいました。

今思えば、この記事に書いていることの
象徴的な出来事だなと思いました。

トカゲの卵、初めて見ました。
土に戻したけど、無事に産まれてくれたらいいなあ。


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前回の続きで、中沢新一の「精霊の王」からです。
私が何をこの話にリンクしているかというと、人間の根源的な「力の源泉」となるもの、それは自然界にリンクしたものであり、それについてうまく表現されていて、自分の言葉で一生懸命説明しようとするより引用する方が明らかだと思うからです。

人間の思考が作り出してきた世界から、それの背後にずっとあった自然界の秘められた力がこれから私たちを通して顕現していくのだと感じています。

部分部分を抜粋しているので、全体を読みたい人は「世界の王・力の源泉」を読んでください。以前も転載しました。この部分だったかは定かでないですが。

「翁=宿神」の内部には、イニシエーションの儀式を司る「人食いの王」のイメージが隠されていることも、私たちはすでに見てきた(第六章)。中世の摩多羅神である。人は生まれたまま、そのまま素直に成長をしても、世界の表面から隠されている真実を見ることはできない。その心が常識でがんじがらめにされているからだ。イニシエーションは、常識によってつくられた心の状態を作りかえて、いままで見えなかった真実を見えるようにしようという、慈悲深い儀式なのである。そのとき、イニシエーションを受ける者の前に、暗闇のなかからさまざまな姿をした「人食いの王」が出現する。

 この「人食いの王」は、イニシエーションを受ける者の古い自我を食い尽くして、破壊する。北方の狩猟文化では、しばしばこの役目を神としての熊がつとめた。熊こそが、死の領域の支配者であるからだ。熊は古い自我を抱えた人間をずたずたにひき裂いて、そこから真実を見る目を備えた新しい主体を生み出すのである。この事態は、イニシエーションを受ける者の側からすると、荒々しい自然力にさらされながら、真実の「主権者」の姿を見届けることによって、認識の構造を根底から作りかえられることを意味するだろう。力と認識力の源泉。「翁=宿神」はそのままで、別の形をした「聖杯」なのである。

この「人食いの王」は天災の姿をして現れることがあります。
人は逆境に直面することにより、通常の意識とは違う意識状態になります。
精神的に弱くなる場合もあれば、火事場の馬鹿力のように通常は出せない力を発揮することもあります。

いつもの状態はコンフォートゾーン、自分にとっては慣れ親しんだ状態であり、居心地の良い領域にいます。そこにいる限り、その自分にとって最高のパフォーマンスが出せますが、「その自分」でいる限り、それ以上にはなれません。

私たちは現状の居心地の良さに甘んじる傾向があります。
変わるべき時期に変わらず、そこに居続けようとすると、外的状況により
強制的に変わらざる得ない出来事が起きることは誰もが経験しているでしょう。
自分の人生の流れを見て、とどまるべき時、進むべき時を見極めたいですね。

強制的に状況が変わると、古い自我にしがみついている今のままの自分でいるより、新しい状況に合わせて変化することを選ぶ方が流れはスムーズにいきます。

新しい状況を受け入れることはとても怖く不安になりますが、
新しい自分になるためには必要なイニシエーションとなります。

今までのあり方に固執すればするほど苦しくなりますので、
流れに沿って柔軟になることが大切です。
 
人間が「力の源泉」を自分の能力の外に求めていた頃には、「世界の王」はまさしく世界の中心に、はっきりと認められていたのである。ところが、この世の王、世俗の王なるものが出現し、そこから国家という怪物が立ち上がって以来、真実の力(主権)の秘密を握る「世界の王」は、私たちのとらえる現実の表面から退いて、見えなくなってしまった。そうなってしまうと、「世界の王」はむしろこの世で虐げられた人々、賤しめられた人々、無視された人々のもとに、心安らかに滞在するようになり、現実の世界の中心部には、「主権」を握っていると称する偽の王たちが君臨するようになってしまったのだった。

古代の王たちから現代のグローバル資本主義にいたるまで、偽の「主権者」たちによってつくりあげられてきた歴史を終わらせ、国家と帝国の前方に出現するはずの、人間たちの新しい世界について、もっとも正しいヴィジョンを抱きうるものは、諸宗教の神ではなく、長いこと歴史の大地に埋葬され、隠されてきた、この「世界の王」をおいて、ほかにはない。しかし、すべては私たちの心しだいである。この王の語りかけるひそやかな声に耳を傾けて、未知の思考と知覚に向かって自分を開いていこうとするのか、それとも耳を閉ざして、このまま淀んだ欲望の世界にくりかえされる日常に閉塞していくのか。すべては私たちの心にかかっている、と宿神は告げている。


この「内奥の力」「力の源泉」につながることは自我を超越することです。
自然と人間を切り離した時点で、この力と自我との関係は別物として扱われてきましたが、それが再び融合していくでしょう。

この「王」は外の世界にいるのではなく、自分の内奥に潜むものです。
自我を超えた領域は特別な人しか感得できないと思われてましたが、「新しい常識」として今後、定着していくでしょう。

それはまだまだ先の話でしょうが、テクノロジーの進化もあり、魔術が魔術でなくなり、日常になる、そんな日もそう遠くないと思います。


昔の人からしたら、飛行機が飛ぶのもインターネットができるのも電気があるのも、その仕組みを知らなければ、魔法ですよね。
新しい世界はそんな魔法が盛りだくさんの世界となるでしょう。

そこに到達するには古い自我世界が大きく変わらないといけないです。

とくに自然と人間との関係。
それは古い自我と新しく拡大した自我、そのせめぎ合いです。

強制的に変わらざるを得ないことになるよりは、先に意識変化が起こることにより無難に変化していきたいですね。


熊本の人は現在たいへん状況におられて、本当に早く安全安心な毎日が得られることを願います。

が、もしかするとこの逆境を通して、のうのうと暮らしている人より一足先に、この新しい感覚を体得していかれるのかもしれないです。

より自然とつながった生き方や感覚。
それは東京より地方から始まるのでしょう。


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「熊が動いた」についてまとめてみると、「理性」と「野生」をわけていたものが取れ、バイパスができたという言い方がいいように思います。

「熊」は「森の王」ということで、中沢新一氏の「精霊の王」の登場です(抜粋)。詳しく知りたい人は「世界の王・聖杯」をご覧ください。

 北方世界における熊の存在を考えてみるとき、アーサー王の名前にはきわめて重大な意味が隠されている。その世界で熊は偉大な「森の王」であったからである。(中略)
 力(主権)の源泉は人間の世界にはなく、人間の力を越えた自然の中に潜んでいるものだと考えられていたが、熊こそがそのような「超越的な主権」の体現者にほかならない、と考えられていたのだ。天体においては大熊座とその中心である北極星が、「天上の熊」とみなされていた。しかも北極星は動かない。すべての天体が、この星を中心に廻る。人間の世界の外、そして人間の手の届かない遠い所あるいは次元の違う領域に、真実の意味で世界を司っている存在がいる。まさに熊こそは、北方世界における「世界の王」だったのである。

 世俗の王たちは、王権やその象徴(レガリア)のまわりに組織された空間に、王の主権は実在すると信じている。つまり、王の権力の源泉が人間の世界にくり込まれている、あるいは、王権は天上界の神から人間にもたらされたと考える。ところが、そのような「天上界」は人間の幻想に所属しているものであって、結局はそういうやり方で人間の世界の内部にくり込まれてしまっている。

今までの世界は、西洋的な「神」という概念も、「王」や「支配層」の権力も「人間の幻想に所属しているもの」であり、私たちはそのフレームの中の世界で生きてきたわけです。


 ところがアーサー王は「世界の王」でありながら、人間の王を越えている。この王の「超越的主権」のあり場所は、国家を持たない北方の狩猟民にとってと同じように、人間の世界の外、自然の内奥にひそんでいると考えられている。神話的な熊であるアーサー王は、人間の世界に二次的な王、偽の王たちが出現してくる以前の、真実の「主権」のあり方をあらわしている。つまり、彼こそが二次的な王たちの出現と同時に見えない存在となってしまう「王のなかの王」であり、真実の「世界の王」としてこの世界のどこにもない空間を、天幕の王宮と一緒にたえまなく移動しつつある存在なのである。

「人間の世界の外、自然の内奥にひそんでいる」と思われるエネルギーが今回の地震をきっかけに表に現れだしたのでしょう。

とある頃から今まで、このエネルギーは悪しきものとして扱われてきました。
「理性」と「野生」のバイパスができたというのは、理性がこのエネルギーを再び受け入れる段階に来たということです。


偽りの力が世界を支配し、その力のまき散らす虚偽によってすっかり目を眩まされてしまった人々には、けっして見ることも触れることもできない異空間に、聖杯は隠れてしまったのだ。そこに入り込んでいける資格を持った者は、人間の世界を支配する力への欲望や嫉妬や愚かさから自由になれた、アデプト(精神の達成者)でなければならない。つまり、精神の探求における真実の「騎士」でなければ、聖杯に近づくことは許されない。

より自然体になっていく人と、獣化する人がいるだろうというのは、この精神性があるかないかによります。






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昨夜、熊本で震度7の地震がありました。
余震がなんども起こっているようで、現地の方々は不安な一夜を過ごされたことと思います。

亡くなられた方のご冥福をお祈りする共に、被害に遭われた方々が一日も早く通常生活に戻れますよう心より願っております。


熊本で地震が起こって私が最初に思ったのは「中央構造線」。
日本列島を横断する大断層です。

ちょっと気になったので、久しぶりに「自動書き下ろし」をしてみました。


熊本は中央構造線の南端の近くになります。
この地震は中央構造線に関係しています。
南海地震の予兆ではありません。歪みの修正として起きたものです。

鹿島と連動していますので、南海より関東の方が要注意です。
でもすぐに大地震が起きるかというとそんなことはありません。
小出しされる可能性もありますので、そうナーバスになる必要はないでしょう。

地質学的な話ではなく、霊的なところから読み解いていくと、
これは黒カラスに関係あります。
くまモンは黒です。カラスも黒。八咫烏も黒。
金鵄は金。金色は伊勢、諏訪。太陽の道も金。
と書いてもなんのことかわからないかもしれません。

人の背骨に当たるのが中央構造線です。
その末端、鹿島と霧島とどちらを頭にしてどちらを尾にするのか、
これは決まっていません。どちらもどちらにもなり得ます。

要するに結び目、交差点、あちらとこちらの境目の結界はずし、
が今回の地震だったと思ったらいいでしょう。


「くま」は何を表すのか?

熊本、熊の本、熊は自然界でなくてはならない生物。
森を豊かにしてくれる森の守り人です。
その熊の本が揺れたということです。

これを警告と受け取ることもできますが、
それよりはいくつかのメッセージとして受け取るがいいでしょう。

警告と受け取るなら、自然が危ういということ。
自然が壊されたら人間もいずれ壊されますからその警告。

熊(自然界の象徴として)の根元が揺らぐ。
これ以上自然の循環を乱してはいけないというメッセージと受け取ることもできます。

他メッセージとしては、自然界を無意識の顕現化として、
無意識とこちらの普段の意識界の境目にある扉が外された(元がぐらついた)と見ることもできます。

(精霊的)エネルギーの世界においての出来事の、
現象界においての表現が熊本の地震であったということです。

自然界と人間界(人間が作り出した意識界)の境目が外されたことになります。

これは鹿島の要石につながっていきます。
なぜ鹿島が動かず、熊本かというと、そこがメビウスの輪のような裏表のしくみなので、熊本に現れたというわけです。
一つのサインとみればいいでしょう。

これにより、うしろの世界と表の世界の境界が取り払われましたので、
新しい段階に移行し始めます。

その二つが融合し始めるということですので、ある人にとってはうれしいことであり、またある人にとっては不気味で気味悪いことかもしれません。

より自然体になっていく過程です。
より自然でナチュラルになっていく人と、獣化していく人といます。

「人とは何か?」「人間とは何か?」という命題が再び浮上していくことになります。

動物との違いは何か?
本当に人間は今まで私たちが思ってきた通りのものなのか?
なぜ他の動物と違うのか?

キリスト教的視点で見るのではなく、
原点に戻った時にどういう答えが導き出されるのか?

今回の地震はタガをひとつ外す役割を持っており、今まで人間が人間たるゆえんとしてもっていたものへの問いかけが起こります。

無意識と顕在意識、あちらの世界とこちらの世界、表と裏、動物や自然と人間。

今までは理性がこれらの境界に一線を引いていました。
それが今回揺らがされ、そこにあった境界がなくなったと思ったらいいでしょう。

なくなったといっても、私たちの意識は記憶に動かされていますので、
境がなくなったことに気づくのは今しばらく時間がかかります。

けれども、なんかヘン、なんか妙だな、何かが違う、、と感じ出すと思います。

その時に、対岸のものに理解がある人はより自然体に近く、
そうでない人はより獣化していく、あるいは恐れが増していくことになります。

ヘンな言い方かもしれませんが、あまりに「人間」すぎる人はこの先しんどくなっていくでしょう。
なぜなら全体的な流れとしては、より「自然」に近づいていくことになるからです。

顕在意識が氷山の一角の見えている部分で、無意識が水の下に隠れている部分ですが、「自然」は無意識領域に属しますので、その境界がなくなったら、水面下にあるもの(自然)が圧倒的に多いのがわかるでしょう。

その世界がじわじわこちらの世界に侵食してくるということです。

昔話で、動物が人間に化け、人間と結婚する話や、妖怪と人間が共存していた時期などありますが、それが再びやってくるということです。

といっても、これは物質以前の意識領域でのエネルギー交流としての話です。

意識内でそういうエネルギーが分けられていたのが、道が開通して行き来できるようになっていくので、人によってはそのエネルギーに妖怪を見たり、動物が話をしたり、なんてのを見る人もいるということです。

まあ、これはゆくゆくは、、ということで、今はまだその境界が外された、というところだけを心に留めておけばいいです。
すぐに変わるわけではないですから。

「和音」2016.4.15


途中、鹿島と霧島とでてきますが、霧島は中央構造線の末端ではないのでは?という疑問が私の中で起こりましたが、調べてみたら「鹿島霧島レイライン」という約1000キロのレイラインがありました。

霧島神宮、高千穂→剣山→伊勢神宮→富士山→明治神宮→皇居→スカイツリー→鹿島神宮


今回の熊本の地震は、人が人らしくなるために、より自然に戻る段階の一つとして、顕在意識と無意識領域の一つの封印が解かれ、架け橋がかけられた印であると私は受け取りました。

私の単語の捉え方は曖昧なところもありますので、細かいところはともかく、言わんとするところだけ受け取ってくださればいいです。自分でも?と思う記述もありますんで。

私は自分の言葉を通してこのように書き出していますが、
同じエネルギー場を感じたとしても千差万別の受け取り方があります。

もし今回の地震がここに書かれているように「裏と表の間にあった関所のひとつがなくなった」ということであれば、あなたはそれををどう受け取るでしょうか?

私の言葉で言えば、「自然」と「人」をつなぐ道が開いたという現象であり、
うしろの世界への道がついた、という表現になります。


熊といえば、熊野、、、。
つい先日、水木しげるが南方熊楠のことを書いたマンガ「猫楠」を読んだところでした。
水木しげる氏も南方熊楠氏もこの架け橋がすでに開通していた人ですね。


ちなみに、こんな記事を見つけました。面白かったです。
金鵄の真実

メビウスの輪のようになっている表と裏。
うしろの正面、だあれ?

ちなみにこの言葉を使って言い表せば、「うしろの正面」の「の」が外れて、
「うしろ正面」「正面うしろ」と一つの単語になったという言い方もできます。

ここに働いている原理を読み取って、その働きを他のことにも当てはめてみてください。

それはともかく復旧作業が早く進みますように。


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「申」という字はもともと「かみ」という意味で、稲妻が光るかたちであったそうです。

昔は雷が鳴ると、雷様におへそをとられるよ〜と言われたものですが、今でも子供はそれを言われるのでしょうか?


昔は「お天道様のバチが当たる」とよく言われました。

それは親でも先生でも警察でも社会でも行政でもなく、「天が見てる」から悪いことをすると天罰が下るよという戒めでした。

さすがに天には隠し事ができないです。
誰も見ていなくても天が見ています。

これは今思うと、「自分の良心に従いましょう」ということなんだろうなと思います。


子供の頃は、例えば、ゴミを道に捨てようと思っても、「天の神様が見ているかもしれない」となんとなく感じて、ちゃんとゴミ箱に捨てるということをしたものです。

天の神様がいるかどうか?などを真面目に考えたわけでなく、上から見られているような気がして悪いことはできないと感じたものです。


日本人が礼儀正しかったり、国民性としてあんまり悪いことをしない傾向があるのはこのせいもあると思います。
悪いことをする人もいますが、例えば、自動販売機が外にあっても壊されない国は日本ぐらいだそうですし、災害時にも他国よりは強奪が少ないようです。

「私」より「公」を重んじる国民性があると言われますが、この「公」は天の神様にも通じると思います。


昔、タブーがもっとはっきりしていたころは、悪人になって牢屋に行くよりも鬼になる方を怖がりました。
ここでいう鬼は「人間ではない何か」ですね。

天の神様に背くと人の道を外れて鬼になる、、、それはとても怖いことだったと思います。


そのタブーの一線は、ハレとケがあることで保たれていました。

昔は、闇は闇として存在してよかったのです。
それがあることで光が保たれてました。

近代社会では闇を排除する傾向にありましたので、そのバランスが崩れてしまいました。
そのため、ハレとケの一線がどこなのかわからなくなってしまい、本当に邪鬼と化す人が現れるようになりました。

何事もバランスが大事ですね。

不登校児が増えたり、いじめが増えたりも同じような現象だと思います。
すべてを「明るく正しい」方向に持っていこうとすることで歪みが起きているのでしょう。


「申」という字は、「日」の真ん中に棒があります。
陰陽のバランスをとっているのでしょう。

猿といえば、猿田彦大神という神様がいらっしゃいますが、十字路に立って道を示してくれる神様です。


今年は陰陽のバランスを取り戻し、二元性を超えた新しい段階に進んでいきたいですね。

猿田彦大神が指し示してくれるでしょうか?



「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」

ロングメッセージの受付は10日までです。
ショートメッセージの受付は終了しました。


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前回「微振動共鳴(チの3)」からの続きです。

まだ読んでおられない方は、「リンガ・ヨーニの波紋(チの1)」からお読みください。

さて、「八百万の神々」は外のモノであると同時に、体内でのことでもあるという話。

たくさんの粉子がみんな微振動していて、隙間でお互いが振動共鳴し合っていて、粒ではなく、振動で起こる揺らぎが本体であるということを「微振動共鳴(チの3)」で書きました。

モノそのものより関係性によってエネルギーが生じ、ネットワークを構成します。
そして、はたと気がついたことはなにかというと、

毛細血管!

そう、ネットワークの形はまさに毛細血管と同じ。
以前、「人体の不思議展」で見た人体の血管、それを思い出しました。

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          http://blog.livedoor.jp/minminmiracle/tag/標本

血管・・・血。

だから「チ」か〜と思いましたよ(笑)

血液というよりは毛細血管。
網の目のように張り巡らされたそれはまさにネットワーク状。
私たちの体はネットワークが張り巡らされています。

気づいてみれば、木も同じ。木・血(笑)

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こちらのサイトにも幾つかの比較があって面白い。→フラクタル

全てはフラクタルに相似象。

このネットワークもまたフラクタル。
体内に走る毛細血管の形はそのまま宇宙の構造を表しているのかもしれない。


水が地球の血液だとして、川と木々やその他の植物が毛細血管的な役割だとしたら、それを全部可視化すると似たような構造になるのでしょう。

また私たち人間のつながりを見れば、、個人のつながりや知識のつながり、興味のつながり、地域のつながり、、とたくさんのつながりがあります。
時と場所を超えて、情報空間でつながっている場合もあります。

それらのつながりもまた可視化すればこんな感じでしょう。

宇宙の星々、銀河もきっとネットワーク状につながっているんだと思います。

となると、「微振動の集合体(チの2)」に載せている過去記事「菊理媛さまの99%とミシャグチ神」で書いている「筒」の話などにつながっていきます。(このころはまだ「トーラス」という言葉は知らなかったんですが)

ググって出てきた自分の関連記事がなかなかおもしろい。
植物の秘められた役割
「菊花紋」
「日の丸と菊花紋」
「ひたすらに創造(変革)し続ける」

だんだん話が広がるので、とりあえずこのへんで。
すみません。リンクばかりで。



「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」受付中です!

悦月があなたに向けてオリジナルメッセージを書き下ろします。
今年はロングバージョンも加わりました。

前に進みたい時、迷いが生じた時、凹んだ時、
そのメッセージはきっとあなたを励まし、軸に引き戻してくれるでしょう。

「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」の詳細です


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悦月があなたに向けてオリジナルメッセージを書き下ろします。
今年はロングバージョンも加わりました。

前に進みたい時、迷いが生じた時、凹んだ時、
そのメッセージはきっとあなたを励まし、軸に引き戻してくれるでしょう。

「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」の詳細です




前回の記事

『人間(のエゴ)は自分が自分を動かしているように思っているけど、実は微生物、宇宙の意思や縁起によって動かされているところも大きく、どこまでを「自分」とするかでその主張も変わっていきます。

この日、自分の意識は集合体に移ったなという感じ。』


で、今回の記事に続きます。
 ↓ ↓ ↓

その後、最小個体の集合体である自分を感じてみると、すごい!
たくさんの粉子がみんな微振動していて、隙間でお互いが振動共鳴し合っていて、そのパワーがすごい。
体がすごく熱くなって、冬寒い時にはこれを感じていれば、暖房いらないかも?と思わせるぐらいでした(笑)

エクスタシーとは、ソマチットの微振動共鳴なのかもしれない、、、。

例えば、両手をこすると熱くなりますが、それが振動している粒子間で触れないままに起こっている感じ。

粒の方ではなく、振動で起こる揺らぎが本体なんだなと。

それがすごいパワー。


人間は「人の間」と書くから、これが自然な人間のあり方だと昔の人は思っていたかもしれません。

「人間ではないとわかった」ではなく、「より人間らしくなってきた」という言い方のほうが本当なんでしょうね。
カタカムナあたりを研究すると出てきそうな、、、。

今の人間があまりにも人間らしさからかけ離れてしまったのかも。

私の子供の頃からの記憶の中にあるのが最小個体の共鳴複合集合体である自分(世界)で、ずっとそれを探してきたのだとしたら、だいぶん近づいてきたと思います。


これと一昨日の記事となんの関係があるのかというと大あり。

おかげさまの世界。すき間の世界。裏が表になる世界。

「自分」が解体され、集合体としての認識が深まっていく。


「八百万の神々」という表現は、すべてのものには意志があるという意味とともに、自分自身も八百万の神々の集合体で構成されていると昔の人は感じてたんでしょうね。

これからコミュニティの時代だと言われていますが、自分自身が一番身近なコミュニティ体です。
その自分の中の関わりを調和させることは健康体を作ることと同じ。

ネットワーク、システム、関係性、縁起、コミュニティというようなこれからの社会に必要になるであろう考えとこの話は自分の中ではつながっていきます。


全てはフラクタルと思えば、銀河を見ても星々の集合体。
塊は集合体であり、どの「塊(ゲシュタルト)」に意識を向けるかで世界の様相も変わってきます。

個体の人間、つまりエゴ意識が主となる段階の世界はもうそろそろ卒業して、集合体である自分に目覚めていくと、「自分」とは共同体。

もともと個ではなく、集合体が自分だから、争いという概念がなくなります。

自分の中での争いはストレスになり、病気を引き起こします。

自分の中の八百万の神々(最小のモノ)の調和を保つことを意識していたら、外の世界で争いは起こり得ないと思います。

戦争という概念自体、ない。

例えば、自分=地球の認識があれば、国同士で争う意味がわからん、ということになります。

自分の心臓と肺が「この血は俺のもんだ」と争ったら体調を崩すだけでしょう。
まずそもそもその血を奪い合う意味がわかりません。

そんな感じです。

縄文時代がなぜ1万年以上も続いたのか、その答えのひとつがここにあるように思います。

今回の冬至からはそういう世界が始まりだすのだなあと思います。

なんてことを思いながら床について、はたとあることに気がつきました!


次回へ続く。



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前回の竹生島の話からの続きです。

その後の詳しいことは省きますが、12/15に私の長年の人間界に対する違和感の意味がわかりました。

私は、子供の頃から人間界に違和感を感じて生きてきて今に至ります。
昨年あたりには、人間が本来の自然な状態ではなく、ロボット的になっているその人間社会になじめてないんだなと理解しました。

少し前に、電子に意志があるという話を読んで、とても共感した話を書きました。
私が「チ」と呼んでいるものの存在にだんだんと近づけてきているような?

2011年の記事ですが、「菊理媛さまの99%とミシャグチ神」では、「マナちゃん」と「チ」が出てきます。
この時はこの二つの区別はあいまいだったようですが、今思うに、「マナちゃん」は「チ」がある程度グループ化したものであり、もっと個としての意志がある存在で情報を持った「氣」、もしかすると精霊と言われるものの「氣」に近いかも?

「チ」はもっと微細。個体の最小単位。

「チ」について以前書いたと思い、調べて、「菊理媛さまの99%とミシャグチ神」の記事が出てきましたが、いいタイミングでした。昔の記事なので、多少書き換えたいところがありますが、読んでハッとしたことがいくつかありました。

無意識はすごいなと思います。
数年前の記事に今起こっていることについて書かれています。

私の脳が私の興味に合わせて勝手にリンクしているだけといえばそうなんですが、そうなることで新しい気づきを得ます。

こちらにもつぶつぶの話がありますが、もう一つ見つけたい記事が見つかりません。。。


なぜ今これらを引っ張り出しているかというと、、、

11/25のツイート『ソマチットと微振動。。。』、
12/15『微振動の集合体。微振動による共鳴と発火。いのち。』

15日に「自分は人間ではなかった」という認識を得ました。

じゃあなんだ?と聞かれたら、「チ」の集合体。
まあそれがソマチット(ド?)か意志を持つ電子か、微生物か、その他のものかはまだわかりませんが。

これまた古い記事ですが、
集合体としての「和音」では、偏在する集合体の自分のことを書いています。

そこで、15日の「私は人間ではない」という気づきは、なんだ、やっぱ集合体か、と妙に納得したところもあり。

人間(のエゴ)は自分が自分を動かしているように思っているけど、実は微生物、宇宙の意思や縁起によって動かされているところも大きく、どこまでを「自分」とするかでその主張も変わっていきます。

この日、自分の意識は集合体に移ったなという感じ。


というところで、次回に続きます。



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さて少し前の話になりますが、11月2日に琵琶湖にある竹生島に行ってきました。今回で3回目だったと思います。

この話は載せようかどうしようか迷って、そのまま保存してましたが、やはり載せておこうと思います。
昨年、白山縦断以来、次の扉が開いたら、「これからは現実界でやりなさい」と、あんまり山やどこかに呼ばれることなしに過ごしてきました。だから今年は山に行かずじまいです。

が、どうもこの竹生島からまた始まった感がありますね。

それは12/15日にツイートしたことに関係しています。
今、冬至が近づいていることも関係あるのかな?と思います。


竹生島に向けて出発した船内で、ビデオでの説明がありました。

竹生島の周辺は琵琶湖の中でも水深がいちばん深くて100mぐらいあるそうです。つまり竹生島は塔のようになっている島の上の部分だそうです。

それを聞いた瞬間にひらめいたのは、リンガ・ヨーニ。

img_1
(ヴィシュヴァカルマン賛歌・車軸と胎児より)


琵琶湖と竹生島が、リンガ・ヨーニになっているということ。
リンガ・ヨーニは、子宮の中から見た性交図です。
琵琶湖と竹生島をそのように見立てると、この世界が子宮の中ということになります。

子宮の中とは肉体的な意味ではなく、肉体を超えたあちらの世界の比喩です。
「ああ、もうこの世界はその領域に入ってるんだなー」と改めて思いました。


最初に行った宝厳寺で手を合わせた時にみたイメージは波紋。
この島からエネルギーの波紋が広がっていく様子。

次の観音堂で見たイメージは波紋のネットワーク。
波紋があちらこちらで生じ、それらがネットワーク状につながっていく様子。

なるほどーと思いながら、都久夫須麻神社へ。


余談ですが、都久夫須麻神社では、土器(かわらけ)を海沿いにある鳥居に向けて投げて、投げたかわらけが鳥居をくぐるといいらしいです。

2枚できるのですが、私が投げたら、1枚目は鳥居に当たって砕けました!
そして2枚目は鳥居通過!超ラッキーです!!

その後、時間があったので,しばらくそこにいたのですが,ふと気づいたら、鳥居あたりから波紋が広がっていました。
最初のところで私が見たイメージと同じです。


IMG_0046



その後の帰り道にきたことばは『シラの世界が始まった』。

詳細は省きますが、密かに裏世界では新しい始まりとなったようです。
自分の中でもいろいろとつながって、これからそれに向けて進んで行くことになりそうです。

フェリーから戻って陸地に降りた時、「ああ、今までの世界に帰ってきてしまった」という感じを受けました。
先ほどまでの竹生島の往復は、異次元での出来事のよう。

異界とこちらは普通につながっていて、実は、気づかずに行き来しているのかもしれないなと思いました。


私はこういうことをスピリチュアルな出来事というより、文字化できない情報を右脳がイメージや象徴としてキャッチして見せてくれていると思っています。

私たちは、言語化された世界に慣れすぎて、それで表現されるものしかわからなくなっている傾向にありますが、いろんなものがいろんなカタチで語りかけています。

それを感じ取り、読み解く力を身につけたいですね。
共感覚もその一つだと思います。


ということで、次回に続きます。



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見れなくなっていたホームページが復活しました。
が、更新ができなくなっています、、、。


先日の記事、「アラワレ」の続きです。


数霊に秘められた宇宙の叡智」を見てみたら、

「人間」 の言霊数
ニ=25 ン=1 ゲ=54 ン=1 合計81

9方陣最大の数は「81」

「胎児」
タ=16 イ=5 ジ=60 合計81

その他、
「先祖」81、「光」81、「未来」81

だそうです。


鬼怒川の「キヌ」は33。

33のキーワードは、報恩、イシス、翁。
33は、女神と賢者の両方をもつ数霊。

心を澄ましてまろやかに、
「おかげさまで」といった生き方を選択しましょう

と本の記載。


つながりを感じずにはいられないですね。
人間はなにかと自分の知っていることにつなげたがりますから、
私も勝手にリンクしてます。



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9月9日の台風18号が白山の上あたりを通るように日本列島を二分して
通過したと思ったら、鬼怒川の氾濫。

白山、鬼、怒。東京震度5の地震。阿蘇山の噴火。

3×6=18
3+6+9=18
6+6+6=18

9+9=18
9 x 9=81
81は日本の国の番号。

海の波が打ち寄せる回数は1分間で18回。

イザナミ、イザナギまでが17神。
18神からは国産み以降の神様。

鬼怒川の語源はどうも「毛野川」が「絹川」「衣川」となり、
「鬼怒川」に変化したらしいです。

白山の裏と表。鬼の裏と表。18と81。
毛、絹、衣と鬼、怒。
そして、洪水と地震と噴火。

先日のチリ地震もこの流れに組み入れられるかな。


裏の表がみえてきたら、慈悲深い世界が現れそうです。
揺れるべきは私たちの心かな。

虐げられてきたものたちはきっとすべてを許すのでしょう。
もともと許すも許さないも事前承諾のもとに為されていたこと。

どちらもがそれをすっかり忘れてしまい、我戦の世界になりましたが、
今一度、静かに座している自分を思い出しましょう。


ところで余談ですが、

18の2倍は36で、ほぼ人間の体温、
36の2倍は72で、ほぼ人間の脈拍数、
72の2倍は144で、ちょっと高めですが、人間の血圧、
144の2倍は288であり、ほぼ赤ちゃんがお腹にいる日数、

だそうです。

おもしろいですね。

81の追加記事です。→ 再び81


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今日は9月9日。
9月9日と言えば、ククリ媛、菊理媛。

以前、この日に白山に登ったのが懐かしいですね。
今日は台風18号が白山のそばを通りましたが、この経路。
この日にここを通るか!というような進路ですね。

日本列島を真っ二つに切るような進路。
18だしねー。すごく象徴的です。

菊理媛については、私も以前いろいろと考察がありました。
今は「ハレとケガレ」「清浄と不浄」の関係性を思いますね。
天皇と穢多に関してはまだまだ自分の中で未消化です。

結局のところ、二つは同じもの。
共通するお役目の二面性。

それを知っている者にとってはどちらも心痛い時代だったと思います。

そこで慈悲が生まれる。
けれどもそれを越えたところでは歓喜、至福。そして、虚空。

実はものすごい深いこの世の摂理が秘められていると思います。

そこから生み出されてしまった人間的感情。

もうそろそろそこを超えていきたいですね。
ちょっと方向性を変えるだけで大きく変わりますが、そのちょっとの視点の変化がなかなか難しいところです。

この先、私たちが経験するかもしれないことがそれを見せてくれることになるかもしれませんが、できるならそこを通らずにおきたいものです。

その前に私たちがそれに気づけば、意識の変革でクォンタム・リープが起きるでしょうから、そちらへの働きかけをするほうがいいでしょう。

なんとなくぼやかした言い方ですが、今はぼやかしたままで、、、。



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御嶽山が噴火しましたね。
私は本日登る予定にしていましたのでびっくりです。
登れなくなって残念ですが、一日登山が早かったらどうなっていたかわかりません。

白山に行く直前ぐらいから「そろそろ御嶽山にも登りたい」と感じていましたが、下山してからは「できるだけ早く行かなくては」という気がしてきて、自分の予定の合間と現地バス運行の都合で、日帰りで今日行ってこようと思ったのですが。噴火が明日だったら行けてたのにと思うと残念です。

山は毎回命がけだなと改めて思いました。
被害に遭われた方が多くいらっしゃるようです。
救助が早く進むことを祈るとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。


さて7回目の白山紀行2014ですが、まさかこんなに長くなるとは!と自分でも驚いています。やっと最終回です。

以下は前回の記事と一緒に書いたのですが、御嶽山の噴火とつながるところがあるなあと感じています。


白山頂上の御前峰、大汝峰。
大汝峰はうしろの世界、無意識界への入口。

今まで私たちが見ていた世界はスクリーンに映し出された映像のようなもの。
これからはその本当の姿が現れてくる。「ヒ」。

外的太陽(日)から内的太陽(火)へ。
操り人形から目覚め、内なる火に目覚め、本当の自分を生きる。

「ヒ」を検索したら、こんなことが書いてあって、まさにそうだなと思いました。→「於母陀流(おもだる)」の神


白山権現。十一面観音。うしろの正面。
十一面観音像のうしろのお顔は「大笑面」というそうですね。

『大笑面(だいしょうめん。悪への怒りが極まるあまり、悪にまみれた衆生の悪行を大口を開けて笑い滅する、笑顔。暴悪大笑面とも)』(ウィキより)


摩多羅(またら)神。後戸の神
広隆寺の牛祭では、祭文を読み始めて唱和が始まると群衆からヤジが飛んできて、摩多羅神は薬師堂に駆け込み、扉が閉じられて終わるらしい。

摩多羅(またら)神は太陽神のミトラ神だという説もある。


余談ですが、うちのネコは、以前、後戸の神やうしろの世界について書いていた時に、うちの裏口に住み出したまだらネコなのですが、絶妙なタイミングでやってきました。それも2012年。
まさに後戸から来た根の(国の)子でした。

その後引越して、今では家の部屋の正面の一番いい場所を陣取っています。
うしろの世界の住人がすっかり前に出たなあと感じている次第です。


美濃禅定道を登る時に、ずっとうしろの正面にあった御嶽山。
白山に登る前に御嶽山も気になったのですが、白山と御嶽山はつながってるなあと思いました。

白山は両面を表すところであり、際であり、御嶽山は向こう側の王が座すところ。


結局、私はここにたどり着くようです。→ 「うしろの世界の王」

そしてそこにはこのように書いてあります。
この王の語りかけるひそやかな声に耳を傾けて、未知の思考と知覚に向かって自分を開いていこうとするのか、それとも耳を閉ざして、このまま淀んだ欲望の世界にくりかえされる日常に閉塞していくのか。すべては私たちの心にかかっている、と宿神は告げている。


そのようなことを思っていたのですが、下山して数日後、おもしろい体験をして、大きな変化が私に起こりました。
私自身が無意識の世界とつながり、心のふるさとに帰れた感を得ました。感慨無量でした。

毎回とんでもないリクエストがくる山ですが、いつも終了してみれば、大きなギフトがもらえます。

歩きながら私がこうしてしんどい思いをすることで誰かがその分、楽になっていたらいいなあと道中思いましたが、結局のところ、私がいただいたギフトがなによりも大きかったように思います。

その話は次回に。


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実は今回、白山に登った話を書こうかやめようか迷ってたのですが、書き出したら長くなりました(笑)

核心(私にとっての真実)に近づくほどなぜか口を閉ざしてしまいたくなるなーというのを時々感じています。

扉が閉められていて姿が見れないご神体や秘仏、あるいはお守りの中身を開けて見ないっていうのと似た感じかな?
大事なものはそうやたらに人に見せるものではないという感覚と、言葉にするのはなんか違うという感じかな?

それは各人が自分で見つけるべきところだろうし、人それぞれ違うだろうからね。


マイストーリーは、数年前に淡路島に虹を探しに行った時からずっと続いていますが、今回は簡単に言えば、美濃禅定道を通って千蛇ヶ池に行くのは過去の清算、浄化と解放。大汝峰は無意識領域への扉を開くこと。
それにより私たちの意識がまたひとつ変化していくこと。

出雲の神々は無意識領域の神々なんでしょうね。自然界のうしろの古層の神。
長い間、ないがしろにされてきたけど、とてつもなく大きな力を持っている。故に危険でもある。

天界的な無意識は無邪気でただある状態、主体客体がない状態、いわばエデンの園というような感じ、またはクリーンで邪気のない状態という気がしますが、地界的な無意識は見る者次第でいかようにも変化するように思います。

自我がそのまま反映して、その世界を見てしまう。
見る者の投影であり、ゆえに創造性の世界。

本当は同じなんだけど、我をすっかり忘れてしまえるエネルギーと、とことん我が映ってしまう鏡のようなエネルギーという感じでしょうか?

人間の意識が後者に対応できるように成長するまでは閉じておくほうが身の安全であり、世界の安全。

とはいえ、結局、私たちは自我を投影した世界を現実と思ってきましたから、そこから逃れることはできなかったですね。

国譲りをしたのはそれがわかっていたからだと思います。
長い間ずっと意識が成長するのを待っていた。

やっと自我意識が成長して、それを理解し、両者(自我と自然というべきか?)が統合され、相互創造の世界に移行しつつあります。

自我はアマテラス信仰をを生み出したけど、無意識はあたりまえのおかげさまで、ものすごく身近にひそかに息づいていました。


白山は、そのどちらものエネルギーが背中合わせにあるところ。

まつろわぬ民、鬼、天皇、天津神と国津神、支配者と被支配者、加害者と被害者、現界と幽界、意識と無意識、自我と宇宙、二元論的世界、、、私たちの心の中にあるこれらが変化していく鍵が白山に秘められていたというのが私に関わるストーリー。

古層の神の世界への入口。


人それぞれにあった場があり、そこには情報空間へのアクセス口があります。
そこに行くことでそのエネルギーフィールド(情報場)につながることがあります。

一カ所の場合もあれば数カ所の場合もあります。
時期が関係する場合もあります。

パワースポットと呼ばれる場所はいろんな人にとって高次元へのアクセス場となりやすいですね。

つづく、、、。


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東京方面で地震がありましたが、2014年5月5日 5時18分頃 震度5弱という 5 のオンパレードでしたね。
おまけに18は → 18という数

その前夜、私はいくつかの目からウロコの気づきがありました。
なぜ目からウロコかというと、自分のスコトーマ(盲点)となっていたところに気がついて、はっ!としたからです。

それが何度か続いたので、今夜は何か特別なエネルギーが流れてるんか!?と思いましたら、その他にも変化を得た方が何人かいらしたようでした。

翌朝(地震のあった日)は、眠くて眠くてなかなか起きられない。
前夜の気づきの連続のスカッとした感覚から一転。
起きても眠さは抜けず、夕方ぐらいまでずっと眠かったです。
今日も昨日ほどではないにしろ眠いです。


これはわたしの根拠ない感覚ですが、今回の地震に対して悪い気がしません。
「剥がされた」という感覚があとできました。

地震前夜に、私自身が剥がされた、つまり、いくつかのスコトーマが外れるということは、ゲシュタルトが変わるということで、ゲシュタルトが変わるというのは自我も世界も変わるわけで、、、。

なんとなく、5/4までと5/5からが「剥がされた」感じがします。
真ん中に亀裂が入ってバリバリと剥がされた感じ。(と言う時、糸魚川静岡構造線が思い浮かびますが)

10段階でいえば、5は真ん中。二分割。

地震は脱皮だったのか?という気も。
目覚めの、季節の変わり目の雷みたいなやつ。


最近書いていたことの意味が私なりにわかってきました。

簡単にいえば、3次元(時間入れると4次元?)の私たちの意識と5次元の私たちの意識(この世界ではある種の「神」に見えた)は対で、5次元がプラス(お気楽)サイドなら、3次元はネガティブ(チャレンジャー)サイド担当みたいな感じで優劣はないんですが、いつのまにやら3次元が低く、5次元が高いように認識されてしまいました。
これは意図的にそうした人たちがいたのでしょうが。

いつのまにやら私たちは分離感を持つエゴに支配され、本当の自分や魂やらとかけ離れてしまったと思うようになりました。が、そこから目覚め、本来の状態に戻り始めています。

5日の地震はこの世界が5次元世界になったお知らせだったように思います。
5の神様を崇める時代は終わり、私たちが5に来たわけです。
5は人間も表しますね。

でも5次元はまだ2元性の世界だから、もうその先に行くべきという話は前に書きました。
5に留まれば、私たちが神々のうんこを作り出すからです。

6次元は5の二元性が統合されるところになるだろうから、ひとつになるところ、融合点、慈愛の世界観。六芒星のカタチ。

完全に融合されると扉が開き、もう一段階上がって7次元。
(次元という使い方が正しいのかは私にはわかりませんが)

そこは二元性を越えた世界。
私たちの意識はこれからそちらに向かっていくのでしょう。

二元性が統合された状態というのはまだ両極の残像があるのでわかりやすいですが、二元性を越えたとなると、どうしても今の自我のままではいれません。

地震は「自分は神である」ということを本当に自覚する時代になったという知らせだったように思います。

これからは、なにかあっても不動中庸でいれば、物事は通り過ぎていくと思います。不安にとらわれず、透明になって先を観る、という感じであればいいのだと思います。

ミロクの世の始まりなんだな〜と思います。



そういえば、その地震前夜、新しい神の概念がやってきました。
新しいのではなく、本来の、というほうがいいでしょう。

昔の日本人は知っていたし、ヤハウェの神もそういうことだったんだろうなと思います。
何をもって神としていたのか?

それがいつのまにか今の神様のように変えられていったんでしょうね。


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対面個人セッションのお知らせです。
東京都内 3/25(火)、京都市内 3/29(土)です。
詳細はこちらをご覧下さい。→ いのちおり


先日の「すき間と祓戸の神」の続きです。

『瀬織津姫の視点に立つということが大切だと思います。』と書きましたが、これがどういうことか?

こちらの世界から見るか、あちらの世界から見るかという話をちらりと書きましたが、前の記事を書いていた時に気づいたのがあちら側からの視点。

これはこちら側からあちら側の視点を想像するのではなく、あちら側に立ってあちらからこちらを見て初めてわかる視点。

このふたつはだいぶん違うとわかりました。

こちら、あちらってどちら?と思うかもしれませんが、ここでは、「こちら」は私たちのいるこの世界、顕在意識の世界といってもいいでしょう。

『瀬織津姫は「すき間」あるいは「すき間の向こう」。』と書いていますので、「あちら」は「すき間」あるいは「すき間の向こう」と思ってください。

「じゃあ、『すき間』って?」という人は過去記事を読んでください。


あちら側には立とうと思って立てるものでもないですが、わかるときは一瞬にしてわかって「ああ、そうなの」となります。

前回の記事で説明しようと思ったけど、文章を読むと頭での解釈となり全然伝わりません。表現力がなくてすみません。

海を知らない人に海はこんな感じと説明しても、実際に海辺にいる時のあの体感は実感できないでしょう。そんな感じです。


瀬織津姫がどういう神様かということはいろんな人が論議していますが、はたして瀬織津姫の視点になってそういう話をした人がいたかどうか?

瀬織津姫のチャネリングとか生まれ変わりという人がいますが、「私は瀬織津姫です」と言うこと自体、もうすでにまがいものだと思いますが、それでも瀬織津姫のエネルギーにつながって話をする人もいるでしょうし。


そういうことはさておき、私も考えました。

瀬織津姫の視点になるってどういうこと?

すぐに答えが来ました。
それはあちらの視点を体感したせいだったと思います。


瀬織津姫は水の神様といいます。

地球上(実際は宇宙中かもしれないですが)の水すべてを把握している意識。

地球上の海の水、川の水、雨、地下水、身体の水、その他あらゆる水が自分の身体、または意識だとしたら?

前に書いたつぶつぶやすき間の話と根本は同じです。
肉体がすっかり裏返っています。

つまり、自分の肉体以外のすべてが自分の肉体になっているようなもので(実際は自分の肉体も含みます)、地球上の水すべてに気づいている状態。

あそこの水は淀んでいる、あちらは洪水、怒りを感じる、あちらは清らかな水、あちらは勢いよく流れている、あちらは水蒸気となって雨になる模様、人間ひとりひとりの体内の水の様子、それら全てを網羅している状態。


言い換えれば、瀬織津姫さまは私たちにこのような視点を持つことを望んでいるのでしょうとも言えますが、私が神様の名前を言う時はあるエネルギーとしてみています。
瀬織津姫と呼ばれているエネルギーはこのような視点というか意識状態にあるものなのかなと思いました。
神を崇めることはなんか違うなーと思うので不敬な人間です。

多分、人間以外の地球上の生き物はすべてこの視点を持っていると思います。視点というより感覚や集合的無意識かな。

私たち人間はこの点、かなり退化してしまいました。

個としての経験を積む必要があったんでしょうが、もうそろそろ卒業する時期でしょう。


上に書いたこと、体感しようとしてみてくださいね。
私もとてもじゃないけど全部はできませんが、少しずつ意識を広げていこうと思います。

もうちょっとわかりやすい書き方をすればいいですが、話の流れで書いたのでこのようになりました。
すごく大事なことなので、違う言い回しでまた書くことになると思います。


もう「ひとつになる」という時期は過ぎたんだと思います。
「ひとつになる」と言う時点でひとつじゃないじゃんーという話なのですが、今はもう「私はそれである」になっていると思います。

英語でありましたよね。 
I am that I am.  これですね。


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他の記事を探していたら「すき間」についての記事を見つけた。
つぶつぶの話イザナミ以前の世界での問いの答えにも関係しますが。


「半透明化」と「裏返し現象」について(1)

読んで、うわーっと思いました。
最近、ひらめいたと思っていたらすでにここにも書いてた。

『このすき間に新しい次元のエネルギーが入ってくる』

最近のひらめきでは『絶妙な均衡で保たれる時に起きること』が付加されています。


「半透明化」と「裏返し現象」について(2) 

今読むとよくわかりますね。
あの頃書いていたことが今まさに目の前の現象として起こり出しているんだなーと思います。
目の前の現象といっても物質として目の前に見えるわけではないですが。

この記事を書いたのは2010年だから、そのころの自分たちから見たら、今の私たちは半透明に見えるのかもしれないですね。それともまだ1/4ぐらいかな?


だから昨年は白山の行くべき大汝峰まで行けなかったのかも?
と突然、唐突なつながり方をしますが。

菊理姫,銀河、星々、情報、、、、。

イザナミ、菊理姫、瀬織津姫。

瀬織津姫は「すき間」あるいは「すき間の向こう」。だから祓戸の神か。

祓戸の神は祓い清めの神でもあるけれど(その理由は上記(1)にもありますね)、戸をはらって次の世界に行くという意味もあるのだろう。

祓い清めが主たる働きではなく、門みたいなものでもあり、向こうの世界への入り口を表しているかな?

向こうの世界だけど、向こうになったとたんにこちらになる。

後戸の神もまた気になります。


こちらの世界から祓いをみるか、あちらの世界から見るかでずいぶんと違います。

死をこちらの世界から見ると消滅、未知の世界で怖いかもしれないが、あちらの世界から見れば、こちらの世界は肉体に制約された重く固い世界で、死は解放であり、ふるさとに戻ることであり、歓迎祝福されるものかもしれません。

祓いもこちら側から見るとまず穢れがあって祓われるわけだし、最近では天変地異を想像しがちです。あちらの世界から見ると、祓い後の、台風一過や掃除後のようなすがすがしさという感じなのでしょう。

瀬織津姫が荒ぶる神と言われたり、マリアさまと言われたりするのも同じでしょう。
こちらの世界から見たら得体の知れない怖い存在(理性では理解しがたいから)、でもあちらの世界ではマリアさまのような存在かもしれないです。

どこにフォーカスするのか、抽象度の違いです。

文章で書くと普通の話になってしまうけど、書きながらそれがいいたいんじゃないよなと思います。

瀬織津姫の視点に立つということが大切だと思います。

もうちょっと探究します。


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先日、橿原神宮に行った時に感じたことについて書きました。
そのもっと前に阿波地方に行って、伊射奈美神社の元地での話を書きました。

このふたつの空間のエネルギーを比べてみるとおもしろいです。
それは橿原神宮の話のところで書いたことと似ていますが、空間のエネルギーが違うのです。

橿原神宮での「無」は本当に穢れなく、完璧なまでに神聖であり、清浄な空間を保とうとしていました。
厳粛、厳格,崇高、尊ぶもの、神聖空間,崇めるものというようなことばが似合います。

伊射奈美神社の元地も「無」と言えば無なんですが、混沌と言えば混沌で、どちらでもいいよ〜という感じ。
そのまんまで何も付け足す必要がないという感じでしたから、「無」というよりは「ゼロ」という感じかもしれないですね。ゼロなんだけど「ない」という意味のゼロではなくて、全ての始まり(の前)という意味でのゼロです。
とにかくあるがままでよかった。

『そのまんまでいい。何一つ変える必要はないし、何もする必要もない。』と前の記事に書いていますが、心地良く晴れた日の静寂な沈黙の時、すべてがそこにあり、そのままでよく、それゆえすべてが完璧だったという空間。

すべてがあり、ない空間。


似ているようで全く違うこのふたつの空間。

橿原神宮で感じたものはそこにそぐわないものは排除。
伊射奈美神社の元地はなんでもあり。そのまんま。

橿原神宮での時空は管理されないといけない。なぜならエントロピーの法則で、放っておいたらどんどん乱れていく。それなりの規律なりルールが必要になります。

伊射奈美神社の元地で感じた時空はそのまんまなので、そのまんまでなにもしなくてもいい。
なんでもありだからなにもしないままになってしまって動きがなくなる。つまり究極は静。

管理空間は意図的に分けるので、常に動。
ただそれが無意識下にはいれば、動でありながら静になるので、本当はその状態を目指していたのかもしれない。
「○○道」といわれるものはたいてい型があって、そうだものね。

このイザナミのあるがままのエネルギーは、自我が生じる前の混沌とした全ての可能性が眠っているエネルギー状態のことだと思いました。

私はこれが混沌とした目覚める以前の宇宙なのだと思っていましたが、実はそうではなかったかも?とある日思いました。(ブログ記事の流れでこの話がどこかにつながるはずだったのですが、今はもうそれが何だったか忘れてしまいました)

なぜなら神話ではイザナミ以前の神様がいます。
国之常立神から伊邪那岐神・伊邪那美神までを「神代七代」というそうです。
それ以前の神は天之御中主神から天之常立神まで五柱は「天神(アマツカミ)」で、これらの神は姿を見せず、配偶がない単独の神だそうです。(参考:神々の系図

イザナミの静たる可能性の海はイザナギの動により発動します。
それによりこの世界が現れてきます。だからその後、たくさんの子産みをします。

そこではたと気がつきました。

そこが宇宙の始まりではなかった。

全ての可能性が眠っている状態が原初の状態と思って、私の思考はそこどまりだったので、それ以前の世界に思いを馳せたことがなかったです。

とはいえ、すべては刹那なる一瞬のあってないくり返しですから、それ以前も以後も、全ての可能性が眠っている状態も発動している状態もあってないのですけどね。イザナギイザナミ以前の神様はこの部分に関わってくるのかもしれませんが。
それからそれ以前とはどういうものか?ということにも思いを馳せるようになりました。


イザナミの静とイザナギの動。

なるほど菊理姫の働き。
両極を動かし,循環させる力を私は菊理姫の働きだと思っていましたが、それだけではなかったんですね。

静と動が絶妙な均衡で保たれる時に起きること。
これが次なる世界への扉となるのですね。

今やっと、私が菊理姫が銀河(系?)のエネルギーと感じていた意味がわかりました。

この話はこの間「いのちおり通信」で書いた情報空間の銀河と空の話につながっていきます。
まだまだ知らないことばかりです。


神話で活躍する神様は私たちにわかりやすいエネルギーで身近なんだと思います。
名前だけ出て消える神様はみんながみんなそうではないかもしれないですが、もっと大きな宇宙の仕組みの働きの一環を担っているのでしょう。名前が出ない神様はもっとかもしれません。
それは言葉で説明できるものでなく感じることでしかわからないものだったり、私たちの理解を越えたものなのかもしれないです。

だから「おかげさま」なのでしょう。

これは消された神様うんぬんというのとはまた別な話ですが。

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