いのちおりblog - 本来の自分に還るために

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   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: ひとりごと

ブログネタ
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東京セッション、ラスト1名様です。
9/25(水)16:30~17:30

お申し込みフォーム

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

下記リンクはたまたまツイッターやFBでリンクを見て読んだ記事ですが、正直、どれが正しいかなんて誰にも言えないと思います。
きっとどれも正しいのだと思います。

こんなにリンクが多いと読みたくなくなると思いますが、いろんな意見に目を通しておくのもいいかと。

ただし私がたまたま見た記事なので、もっと他にもあると思います。
もしこれも読んだがいいというものがあれば、コメント欄にリンク載せてください。


東京オリンピックと魂の踏み絵

嘘までついて

東京オリンピックの悪口はもう言わない。だって安倍さんは稀代の名君

東京オリンピックとイルミナティカード

【Occupy経産省】「オリンピックに東北の電気を使わないで下さい」

オリンピック東京招致と福島原発汚染水問題は水面下でつながっている?

五輪招致について


そしてまた、大きく報道されるニュースの裏ではひっそりと何かが勧められているようです。

オリンピックの影でひっそり決まろうとしていること。

オリンピックのニュースの裏で密かに勧められているという「秘密保全法案」について。
 ↓
あなたも「秘密保全法にねらわれる!?」Q&A

国家の痛いトコを取材したら逮捕される?「秘密保全法」の盛り上がらなさがヤバい!

勝手ながら「秘密」にします


2020のオリンピック開催が東京に決まったことの裏には何があるのかは知りませんが、私たちが7年後にどういうかたちでオリンピックを迎えたいか、その意図によってこの先7年間が変わっていくと思います。
(その意図によって私たちの言動が変わります)

7年後にあなたはどんな日本を世界に見せたいのか?
7年後、あなたのお子さんは何歳で、どんな日本でどんな暮らしをしていてほしいのか?
7年後、あなたは何歳で、どんな暮らしをしていたいのか?


個人的にはこれを一番読んでほしいです。
 ↓ ↓ ↓
25年かけて取り戻したもの、今、一瞬に

キャンペーン/25年もかけて育てた葛西臨海公園の自然を-オリンピックのために壊さないで

2020の東京オリンピックが、新世界のビジョンを世界に知らしめすようなものになったらいいな〜。


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久しぶりの東京都内でのセッションのお知らせです。
手相セッションのみとなります。残 2名様です。

28日(水)10:30~11:30, 15:00~16:00

お申し込みはこちらからどうぞ〜。


さてこの間、立山に登ってきました。
立山は、冨士・白山と並ぶ日本三霊山の一つだそうです。

そのうち行きたいな〜と気になっていた山でしたが、今回はとくに行く意味があったわけではありませんでした。
友人の知り合いの方が夏の間、山頂の雄山神社・峰本社におられるとのことで、「じゃあ、行こうか」という段取りになり、行ってきました。

ところが、帰ってきてからいろいろとパズルが合わさり、意味あったんだなーと思っている次第です。

今回はそういうかたちでの登拝でしたので、あえて下から登る必要もなかったので、標高2500mぐらい?の室堂までバスで行きました。

IMG_2646


一日目はいいお天気で、観光客も多く、観光名所になっているみくりが池などがあるところをぐるりと回って温泉に入り、その後、一の越山荘に向けて登り始めました。

ところどころに雪がありましたが、きちんと整備された道でしたので、難なく登ることができました。




IMG_2671IMG_2680

宿で一泊しましたが、夕焼けがおもしろく、動物か龍の頭みたいな雲が出てきて,太陽を食べようとしたかのような雲の形となりました。

早めに寝てから、山頂で朝日をみるためにまだ暗いうちに起きて、懐中電灯を持って登り始めました。

IMG_2691


IMG_2694
上に着いたときはちょうどいい時間だったのですが、あいにくガスで風景は見えませんでした。
でも不思議なご来光で、ガスを通してご来光の光が広がって、きれいなピンク色に雲が染まりました。
ピンク色の日の出は初めてでしたので、感激でした。

途中、雲の中から太陽が顔を出してくれて、それにも感謝。


IMG_2736

まさか3003mのところにある神社で、神主さんがご祈祷をしてくださるとは思わなかったですが、ありがたい祝詞奏上をしてくださいました。

境内には丸い石がたくさんあり、参拝する人が下の河原やよそから持ってくる風習があるとのこと。

その後、奥にある大汝峰(3015m)と富士の折立(2999m)にも行ってきました。

大汝峰は白山にもあって、今度登ったら行かなくてはと思っていたところでしたので、立山でもぜひ行きたいと思いました。
けれど、ガスで真っ白で何も見えず、ここに来たかったこともすっかり忘れて,次の峰の富士の折立に向かいました。

やはり真っ白で景色が見えませんでした。
以前、石笛を吹いて上の空だけが円形に晴れたことありましたので、今回も〜とクリスタルチューナーを鳴らしてから石笛を吹いていたらビックリ!

まず上を見たらいつの間にか青空が広がっていて、「わー!青空が見える!」と、そのままへたな石笛を吹いていたのですが、だんだんと視界が開けて晴れていきました。

IMG_2718

山の峰の片側は地上が見えるぐらいに晴れましたが、反対側はまだ真っ白な状態でした。
でも何も見えないところから見えるまでになったので、感謝して下山しました。
そして、下山途中、彩雲も現れました。

帰りの電車で座った座席の窓のところに、落書きで「精子、卵子、受精」の文字が。
連れが気づき、気になったらしく、写真撮ってました。私は「ふう〜ん」ぐらいでしたが。

その後、帰りのバスの中の映画が「インセプション」。

バスでは「釣りバカ日誌」みたいなメジャーな日本映画が放映されると思っていたので、「インセプション」とは驚き。これもメッセージだなあと思いました。

その数日後、一緒に行った人とメールやり取りしてておもしろかったです。

と続きを書いていたら、またブログ更新が遅れそうなので,とりあえずここまでアップ。続きは次回に。


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時の経つのが早い。
あっという間にお盆ですね。
立山に行ったりしていたので更新が遅くなりました。


個人的な話ですが、7月の満月の頃、私の人生が一瞬にして変わった、、、と思うようなことがありました。

最近、「そういえば、この人、私に多大な影響を与えているかもなー。一度本人にお会いしてみたいな。」と思ったらまもなくご本人に会う機会を得るという思いがけぬことがありました。(恋愛じゃないよ。)

まるで私のためにお膳立てされたような、、、私が作り出したんじゃないだろうか?とも思えるような流れで実現。

そうしたら私の人生が急展開!
私自身の器が変わってしまったのを感じました。

最近考えていたのとは違う方向になんなく歩み出した自分に驚きました。

理性が「え?、そっちじゃないでしょ?反対方向じゃん!」といいながらも、不安なく、普段ならしないことを平気で行なって、「これでいいんだよ」とこれから起こることにワクワクしている自分。

普段なら相当迷ったであろうことを迷わずやってしまった自分。

なんなんだろう、これは?と思いながら、あとで気づいたらそれで全然よかったということがわかりました。


1日で人生が変わった感がありますが、現状はとくに変わっていません。
でも水面下でものすごく大きく変化し始めているのを感じています。

これは私自身のことであって、全体の流れの話をとらえていっているわけではないですけど。


7月前半に動いたことがこのような流れを生みだしたのだろうか?と思ったりもします。
私が想像すらしなかった方向に急展開で動き出しました。

自分のエゴが考えることはたいしたことないんだなーと思います。

私は「これをしたいんだよ〜」というのは本当ではあるけれど、その根底に「本当はあれもしたいんだけど、私には無理だからな」というような無意識的な思いがあることがあります。

現状の自分が実現可能な範囲内で「私はこれがしたいんだよ」と自分に思い込ませてしまうかもしれません。

自己肯定度や自己評価度によって、その軌道修正は強制的に行なわれたり、棚からぼたもち式であったり、想像外のことだったりするのでしょうね。


自分の思考枠内に想像力(イメージ力)をとどめてしまうのは実にもったいないことだなと思いました。

今回は思ったら即実現。しかも思っていた以上のかたちでした。
つまりあり得ないと思ったことがなんなく叶ってしまいましたので、私のほうが驚き!


まったく私の器を超えたところで物事が始まり出した感じです。
好奇心が強いんだなーと思います、私は。


願っても叶わないこともあれば、思っただけですぐに叶うこともあります。

抵抗がない時は叶いやすいんでしょうね。
あり得ないと思ったから反対に抵抗もなかったんだと思います。


その後もまた「これは私のために起こった/私が作り出した現実ではなかろうか?」と思えるようなことがあり、なんだか現実が私にあわせて動いている感すらあります。

もちろん全部についてではなく、一部のことでそうなのですが。

さてこれからの展開はいかに?


メルマガ「いのちおり通信」の読者さんたちの集うFBグループで、「この頃(7月4週目あたり)、なにか大きな変化があった人は教えて」と聞いたところ、いろいろな出来事が起こっていたようです。

銀河元年が始まったといわれていますが、本当にスコンと変わったように思います。


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選挙が終わって、まあ、予定通りというか、予測通りというか。
もしかして何か思わぬことが起きるかな?と多少は期待しましたが。

山本太郎さんが当選したのが何よりの吉報。
三宅洋平さんが17万票以上集めたけど落選。

三宅洋平氏、なぜ17万票獲得で落選? 参院選挙制度への疑問広まる

自民党がこれからどういう政策をしていくのか?、気になるところではありますが、私はこの選挙が終わって、不安になるどころか、勝った気分になりました。
もちろん私は自民党を支持していませんが。

なぜなら311以来、やっと新しい枠組みでの社会作りに向けての動きを見たからです。
三宅洋平氏は新しい社会のあり方のビジョンを人々に見せ、その可能性の種を蒔いたと思います。

それがどのように実現するかはともかく、人々の心はそちらに向かって動き出しました。
もちろんまだまだ少数派ですが、今回始まった動きはだんだんとムーブメントのようになっていくと思います。

新しい生き方の模索と新しい社会の構造に向けて動き出す人たちが増えると思います。
専門家やアーティストや何かをしている人たちだけでなく、普通に暮らしている人たちの中からも新しい社会作りに参加する人が増えるでしょう。

政治に興味を示さなかった人たちや今の社会どないやねん?と思う人たちの多数がこの新しい流れに希望や価値を見いだし、大きなうねりになっていくような予感。


落選したとはいえ、(一部の)人々の意識を変えた三宅氏の功績は大きいと思います。
そして、一人ずっと戦ってきて、この流れを作った山本太郎氏には本当に頭が下がります。

この2人は古い体制にヒビを入れたと思います。
今はまだ小さなヒビですが、だんだんと亀裂が入り、ある時が来たらパキッと壊れると思います。


まったく新しいパラダイムに向けての動きが始まりました。
私たちがそれに共感し、できるところから動き出していくことで、三年後の選挙では逆転がおき、新しい国作りが始まる予感がします。
それまでに憲法改正やTPP参加や情報規制やその他いろいろあるかもしれませんが、それさえもくつがえすことができることが起こるような気がします。

アリも数が多ければ、カブトムシをもやっつけます。
サイレント・マジョリティが動き出したら誰もその流れを止められない。

やっと日本で始まったこの動き。
日本だけでなく、世界でも起こる(起こっている)でしょうから。

おもしろくなってきました。
今回の選挙はその始まりのように思いました。

楽観的な私でした。


今夜クロースアップ現代で三宅氏が取り上げられたみたいですが、テレビがない私は見ることができなくて残念。YouTubeに誰か載せてくれるかな?


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私も5月病ならぬ6月病に冒されたようで、やるべきことには気が向かず、のばしのばしにして、理性からしたらどうでもいいと思われることばかりに精を出しているこの頃です。

気分的にはのんびり過ごしている感じだけど、もっとだらだらしたいというのが本心かな?

ブログも書きたいことはいろいろとあるのですが、あまりパソコンに向かう気にもならず、後回しになりがちです。


6月のメッセージに『一方向にぐるぐると回転していたものが逆方向に反回転し始める時、方向転換した時にちょっと静止状態が起こります。その静止状態に値するのが今月という感じです。』と書いてましたが、そんな感じしてます。

とその話は先ほど配信したメルマガに書きました。(次号が出たら内容は変わります)


実はとても面白い時期に突入したなという感じがしているんですが。

6/21の夏至〜23日の満月〜30日の下弦の月、夏越の大祓〜7/8新月。

この期間中、だんだんと動きが静かになり、止まったかのような印象を受け、その後また動き出す感覚を得るかもしれません。

この静止状態がとても大事かと。
これを経ないとさなぎは孵化しないのではないかと思います。


6月のメッセージ内に、例えとして、ポールシフトによる暗黒の3日間の話がちょっとだけあったんですが、ブログには載せませんでした。

実際のポールシフトではなく、地球と私たちの精神レベルでのポールシフトがこの期間中にあるのかもしれないなと今は感じています。

暗黒といっても自意識が生まれる前のところという意味ですので、いい変えると「無垢」と言えるかもしれません。

そんな時に、エゴが「あれしなきゃ、これしなきゃ」と騒ぐのはお門違いなので、だら〜と気ままに過ごすのを自分に許してみてください。





ところで。

気づいた人がいるかいないかはわかりませんが、コメント欄に、以前は「・・さま」で返していたのですが、いつからか違和感を感じて、「・・さん」と書くようになりました。

それでも私に対して「様/さま」づけで書いてくださる方もいらっしゃいましたので、「様/さま」の人にはそのように、「さん」の人には「さん」で返すようにしていましたが、「さま」があったり「さん」があったりするのも変な話だし、もうこれからは統一して「・・さん」で返します。

ので、これを見られた方でコメントを下さる方は,私のことも「さん」でお願いします。
「先生」はやめてくださいね。

よろしくお願いします

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毎月のメッセージを書き出す時は、いわゆる自動書記的に書き出しているので、自分で書きながら「へえー、ふうん、そうなんだ〜」と思いながら書いていることもあります。

5月のメッセージも予想外に大変そうなものが出てきたので疑心暗鬼でのアップでした。

悪い予報が出てくると、不安になってそれを引き寄せてしまう場合もありますから、先日気になったのでもう一度読んでみました。

そうしたら、あれ?そう悪くもないか、、、。

どう受けとるかは自分の心を反映しているなーとすごく思いました。


「波瀾万丈の月、一層揺れる、古い観念、概念の崩壊,思わぬ出来事、ショッキング、心が安定しにくい」という言葉が出ていますので、2月4月のような感じがひどくなるのかなあ?という印象でした。

「古いエネルギーフィールドにひびが入っていく」という点で、思わぬ出来事に感情がぐらぐらするかもしれませんが、悪いことだけでなく、いい意味でショッキングなことが起こるというのも考えられます。

今まで培ってきた自分を守るための思考で防備した自分ではなく、もともとのヒナ型としてあった純粋な自分が現れていく過程。

あるいは、今のままの自分で何も問題ないと気づく過程と言い換えてもいいと思います。

とくに自我にとっては自己崩壊するように思います。
以前も自我(エゴ)の死というテーマが来た時期がありましたが、今度は深く深く自分を探っていくと、そこには新しい自分(もともとの自分)へのワクワク感があるのですが、浅い層ではとても怖く感じるか、苦しいか、、。

この部分、背を向けてしまうととてつもなく大きな闇がくるように感じますが、自分から進んで向き合おうとすると、わりあい早くにそのワクワク感が感じとれるのではないかと思います。

とくにこの部分だと思います。

ワクワクという意味での「波瀾万丈の月、一層揺れる、古い観念、概念の崩壊,思わぬ出来事、ショッキング、心が安定しにくい」なのか、不安と恐れのそれなのか?

それは人それぞれ違うのだと思います。

最近、言葉であらわしていること以外がすごく見え隠れするようになってきていて、一つのことに対して幾重もの可能性が現れることが増えているように思います。
ますます自分の受け取り方次第になっているのかな?



5/6~7日に淡路島と阿波方面に行ってきましたが、その時タイムラインが変わったように感じました。

時間が止まったような、素の状態、まるでそのままという時空間を体験しました。

『自我に守られたあなたではなく、自我の殻を破って、無防備な純粋なあなたです。』(「5月のメッセージ」より)

もはや殻という存在すらない無防備で純粋で、判断のかけらもひとつもない、そのままのあたりまえの姿を自然界は教えてくれました。


また一つ突き抜けて楽になったように思います。

丸に点の、丸が収まるところに収まったように思いました。
その後、点が見当たらないような気がするので消滅したのかなあ?これはもうちょっと様子見。

行く前の日に、夢から覚めたように自分を取り戻した感がありましたが、またすっかり様子が変わったのを感じます。

ここ数日で楽になったという人が多いのではないでしょうか?

5月はまだ半分あるので、この先どうなるかな?

阿波の話はまたのちほど書きたいと思います。多分。


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最近、ナウシカが気になっていたけど、先日知人も同じことを言ってました。
ナウシカと「ガラスの仮面」の北島マヤは私のヒロインなのです^^

今、気になっていることは、映画ではなく、マンガのほうのナウシカなんですが、まだ読んでない人は読んでみられるといいかも?


マンガの第7巻で起こっていること。

計画されていた清浄なる世界。
そこに生きられない今の人間。

ナウシカは墓所を破壊したけれど、私も破壊派だ。

どうにか二つの世界の接点はないか?と探っていたら、現れた、、、

ミロクだった。

どちらをも包含したエネルギー。
菊理姫と同じエネルギーのように感じるけど、対になるエネルギーなの?


光の世界でもなく、闇の世界でもない。
今までなかなか私たちが感じ得なかった処。
それはこの世界を、死を,闇を受け入れて始めて現れる世界。

それを心に抱こう。

光の世界への扉を開くことは、同時に闇の世界も作り出すこと。
このくり返しはもういい。

一周回って、全く何も変わっていないのに
すべてが変わっているところにたどり着くのかもしれない。

変わるのは自分自身。

その発見が大事。
そしてそれが成長であり,進化。

・・・と今日はひとりごとでした。

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2/14に「究極のお茶会」 開催です〜!参加受付中!

今日は立春ですね。
私はお正月より立春の方が新年という感じがするのですが(といってもなにをするでもないですけど)、でも実際の旧正月は今年は10日ですね。


2月のメッセージを書き降ろして思ったのですが、、、とメルマガに書いたのでこちらにも。

12月に大きなシフトがあり、特に時間の感覚ががらりと変わりました。
その他,水面下で着々と変化がおきています。

まだ明らかに変わったというほど表にはでてないですが、今までの世界のあり方とエネルギーがずいぶんと違ってきていると思います。

昨年秋頃の毎月のメッセージで、離陸とかボートに乗るとか出てましたが、すでに新しい地に着いて、ここんとこ新生活の準備をしていて、旧正月(2/10の新月) 過ぎたあたりから「さあ、始めよう」というような感覚かと思います。

しかし入学や就職でリフレッシュで新スタートというよりは、未開地に開拓に来たと思う方がいいのかもしれません。

新地でこれから開拓を始めようという新生活。
新しい環境に新しい価値観,新しい生き方の模索。

今までのままでいられない。
意識の変換が大事だと思います。

変化の波に沿ってそのまま変化しているものと、今までのかたちでいようと変化しまいとがんばっているエネルギーと引っ張り合い。
その軋轢の修正が今月あたりに起きるかもしれない気配です。

これは、個人の内面のことでもあり、
社会的ないろいろでもあり、自然界のエネルギーの話でもあり。

最近、地震が増えているのもそのギャップ修正かな?と思います。
今月は大災害を招くような大地震は日本では起こらないと思いますが、最近起きているような地震は何度かあるかもしれませんね。

小規模をくり返すことで修正されるといいですけど。

生み出しは膿だしを伴うのかな、、、。


たまたま昨日、不吉な予言「歌舞伎界の大物が去った1週間後に大地震」が目に留まって読んだら、今日、市川団十郎さん死去のニュースです。

この手の予言にはあまり注意を払わないので、昨日はスルーしたのですが、昨日の今日で、1週間後の10日が旧正月の新月になるので注意するに越したことはないかなと思いますので、一応載せておきます。

人々が注意することで免れるケースが今まで何度も起こっていると思うので、念のため。
予言されているような大災害はないと思いますが,多少揺れる可能性はあると思います。

市川団十郎さんのご冥福をお祈りいたします & 無事に今月が過ぎますように。


いつも言いますが、私が記事に書くことを鵜呑みにする必要はないので、読んで自分で納得のいくところだけを心に留めて、違うと思うところはスルーしてください。

誰がなにを言うかに振り回されず、ご自分で判断してくださいね。


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昨日の記事を書いたすぐあとで、目に入ってきた動画。
これも一緒に載せたい〜と思ったんだけど、あんまり動画を載せるのも、、と思って今回に回しました。

MUSE - Follow Me (鉄拳 Version) Official



アセンションの話を書いたあとだったので、この動画見ててもアセンションの話のように見えました。

いろんなつらい出来事があっても、それを乗り越えてまた新しい人生を歩んでいく。
病んでしまった地球も(といっても私たち人間がそうさせたのですが)、私たちもそれを乗り越えて新しい時代に向かっていく。

多かれ少なかれ,誰もが楽しさもつらさも人生で味わいます。
そこで切磋琢磨して困難を越えて成長していきます。

社会の移り変わりもそうで、今という時代はその流れの中のひとつの現象として現れています。そこにずっと留まるものでもなく、またいずれ変わっていきます。

すべては相似象というけれど、本当にそうだなあと思います。
太陽や月も毎日昇ったり沈んだりをくりかえしています(といっても,地球からそう見えるだけの話ですが)。
生き物は、吸ったり吐いたり呼吸をくり返しています。

地球も虐げられた時代を越えて、また成長していくのでしょう。
そして私たち人間も。

アセンションといわれるものも、実は私たちの中にあるパターンが現れてきているだけなのかもしれません。

片方の極に偏りすぎたら反対側の極に向かう。

今の時代や今までの時代が悪かったというわけではなく、私たちが体験する必要があった(体験したいと思った)のかもしれませんね。

その結果、ほとんどの人が「もういいよ、こんなの」と思ってしまったわけで。
じゃあ、やめて次に生きましょうや〜ってなところでしょうか。



Video streaming by Ustream

田坂広志さんが、物事は螺旋的発展をするけれど、古いものが新しいかたちを伴って現れるという話をされています。

また最後の方の話で、システム全体が病んでいるという話をされています。

システム全体があたかも生き物のように意志を持って動いてしまう。

例えば、一人一人は原発は安全とは思っていなくても、システムがゆえに再稼働に向けて動いてしまう。

特定の悪人との戦いではなく、このシステムをどう変えていくのか? 

これは総理一人ができるものでもありません。
今回の選挙ですぐに変わるものでもありませんが、今回の選挙はその病んだシステムに変化を起こすちょっとしたヒビを入れることはできるかもしれません。

私たちの一票一票がその種です。
16日は未来への種を植えに行きましょう!




螺旋がスタート地点に戻る時は、今までのシステムが新しいシステムに取って代わるときなのでしょう。
マヤ暦が終わるのはまた新たなスタート地点に戻るときかもしれませんね。

そのためにも私たちは、あるシステムの中にいることにまず気づかなければなりません。
自分自身がそれに支配されていることに気づくこと。

その外側のワンダーランドに出ていくのか、従来のシステムの社会に留まるのかは自由です。

こういう時に選挙があるのも面白いですね。
この意味が分かっている人は必ず投票しにいくのでしょうね。

自分が新しいシステム作りのために投票するのか、従来のシステム保持のために投票するのか? しっかりと見極めておきたいところです。

結局、今回も動画が増えてしまいました。

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フライングダッチマンのライブを見ました。
Human Errorを聞いたときは涙でそうになりました〜。
今の状況に合わせて歌詞が進化してました。YouTubeを探したらどうもこれが最新版みたい。→'121118つなフェス4フライングダッチマンLIVE (18:30あたりから始まります)

こちら↓は感動の FRYING DUTCHMAN "humanERROR"


ライブのあとは守田敏也さんの講演を聞きましたが、とてもためになりました。

人のこと、子どもの未来、地球の行く末を真剣に考えて行動している人は放つエネルギーが違いますね。

12/8反原発高円寺演説会〜山本太郎さん演説


どちらも愛があるよねー!!

16日の選挙はこれからの日本を左右しかねないので、責任を持って投票したいものです。

マヤ暦が終わるという12月21日の数日前の16日に選挙があるというのも意味深です。日本人、試されているのかもしれませんね。


『2012年とその後〜今地球に何が起こっているのか?』ドロレス・キャノン



もう始まっている、、後戻りはできない。

今すぐに変えれない変わらないシステムはたくさんあるけれど、自分がどちらを選ぶのか、そのために何をするのかは選択することができます。

地球がふたつに分かれていくという話には私は少々賛成しかねるのですが(私は無数の可能性の地球があると思っています)、周波数変化でシフトしていくエネルギーと残るエネルギーがあるという話には同意します。それをふたつの地球という言い方をされているのなら納得です。

新しい地球は原発なしの社会です。
私は、この先の移行ができるだけ災害も波乱も少なくあってほしいと思っています。それにはより多くの人間の目覚めが必要だと思います。まずは自分ですけど。

目覚めといっても悟りとか超能力を持つと言っているのではなく、上の動画でフライングダッチマンや山本太郎さんが言っているようなこと、ごくあたりまえの愛と思いやりのある心を取り戻すことだと思います。

また、下の動画でデヴィッド・アイクさんが言っているように、自分が世界を創造しているということを隠し、外に見えている世界が真実だと虚構を信じ込ませているこのシステムに気づいて、そこから抜け出ること、、つまり、今見ている夢から目覚めること、、。

現実的なレベルで、政治やこの国のいろんなシステムを変えるにはずいぶん時間がかかるか、想定外の一大事が起きて変えざるを得なくなるかでしょう。

けれどもこのシステムの夢から私たちが目を覚ませば、そのシステムはもっと簡単に崩れていきます。それが実は一番変化が速いと思います。

言い方を変えれば、システムの夢から目覚めた人たちが新しい地球に移るとも言えるでしょう。


自分の内面を変えるために必要な行動を、外の世界でしていきましょう。
(自分の内面を変えるために外の世界で何かを探すということではないですよ。)

政治活動や社会活動をする人もいれば、家族内での問題解決や職場での人間関係、自分の罪悪感を手放すことや内面浄化、あるいは恋愛問題に対応することだったりと内容は人それぞれいろいろです。

外の世界で起こっている不調和、不条理は自分の中にあるそれですから、外の世界をどうにかしようとするだけでなく、そのように見ている自分の内面の動きもしっかりと観察し、対応する必要があります。
両方をすることで調和がとれていきます。

これらはお互いにリンクしていますので、外の世界の修正を行なっているようで,必ず自分の内なる世界の中の同じ部分も関わっています。

そこに気づかずに、外の世界だけ見ているといつまでも同じことがくり返されるでしょう。

なぜ人間は戦争を繰り返し続けているのか?
ずっと同じメンタリティーでそれに対応しているからです。

例えば「所有」という概念がなかったら戦争は起こりようがないです。

新しい地球に進むには、古いメンタリティーの枠組みから出たところの視点が必要になります。
残念ながらほとんどの政治家はそれを持っていないようです。



長めの動画ばっかりですみませんが、今、なにが起こっているのか? しっかりと見定めて、くもりなきまなこで選挙にのぞみたいですね!

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先日、このブログを読み返してくれている方に、『「またあとで書く」と書いて、書いてないことがある〜」とご指摘いただきましたが、多分いっぱいあると思います。すんません。

その時に書きたいと思っていても、そのうち新しい話題がきたらそちらのほうにいって忘れてしまうので、置き去りにされた話はたくさんあるかと。

今日のこの話題ももうすでに書くことを忘れそうになってた。でも書いておきたかったことなのだ。

それは先日の天河弁財天社での奉納舞。

今回、自分の中ではとても大切な意味があり、なぜ舞うのかはわかっていましたので、それに合わせて舞も決まりました。

表と裏との間、みたいなところ。
今まで伏されていたうしろの世界の幕開け。
でもちらりとみえてすぐ消えていく。
観た人は、いったいなんだったのか、よくわからない〜〜ってな感じがちょうどいい。

不可思議な世界への入り口。

天河弁財天社のあるところは坪内という地区。
前日にお宮参りをしたときに先生がその説明をしてくださり、はたと気づきました。

坪内、、、ここはまさに子宮の内。
位置的にも金剛界と胎蔵界の交わるところにあるとか。

気づくのが遅いんだが、作った小道具も胞衣っぽいなーと。
やっぱり胞衣が開くんだ、、というか、その中の世界に入るんだと思いました。∞ の中心。
見る人はその世界をかいま見るっていう感じかな。

今回はほとんど舞わない舞。
だけどその分、気が大事。
天川の地とうしろの世界とに気を合わせる。

舞はほんの数分なのだけれど、そのためにここ数年の流れがあり(もっといえば十数年だけど)、いくつもの野山を歩き、いろんな経過を経て、この一瞬に凝縮される。

うしろの世界ってこういう感じだったんだろうなーと思う。
表の世界のために、ちょろっと表に見せるために、ずっとうしろに隠れていたんだなーと思いました。

順番待ちをしているとき、お面をかぶり、何も考えず、じっとうしろの世界と同調するのだけれど、思わぬことにそこにやって来たのは底知れぬ愛のエネルギー!

この始まり直前にやって来たエネルギーに、へえー、うしろの世界は愛に満ちていたんだ!とこっちが驚いてしまいましたが、泣きたくなるようなじわーっとくる感覚です。

それはきっとそのようにずっと静かにうしろに控えて、表を尊重してくれていたうしろの存在たちの愛なのでしょう。
表側にいた私たちはうしろの存在をずっと悪者扱いしてきたわけですが、もうそれも終わらないとね。


そして順番が来たので舞台に出て行きました。
ゆっくりと摺り足で行くせいか、持っているものが重いせいか、足がぐらぐらします。うわっ、なんでこんなに足がぐらぐらするんだろうと思いながらも進んでいきました。

えびす舞でも仮面をかぶって舞うのですが、えびす舞は息が切れるほど動の動き。
今回は動きのあまりないゆっくりとした動作なので、仮面をかぶって歩いていると、自分が仮面の中に閉じ込められているような、自分の内の世界から外を眺めているような感覚になります。

歩いている時間がものすごく長く感じました。
内なる世界から外を眺めながらも、そうしている自分を自覚し、それを眺めている感覚もあり、でもしっかりといつもの自分の意識もあり、不思議な感覚でした。

今回の舞は歩きも入れて多分4〜5分ぐらいのことだったかと思いますが、凝縮された時というのは無限だなーと思います。密度が濃いー。

これからの時間はだんだんとあのように密度が深まっていくのだろうと思います。時間が変わるのではなく、私たちの知覚が変わっていくからそう感じるのでしょうけど。

しかしその時間はマインドが忙しくしていたらつかめない世界。
うしろの世界の時間はこちらの表の世界とは全然違います。

これからはどんどんとうしろの世界が開けていきます。

「うしろの世界」という書き方をしていますが、それが何かは今までの記事を読んでくだされば、だいたいのところわかると思います。私も「これです!」と規定はせず、曖昧にしていますが、それはこれだとくくれるものでもないので。

舞を見られた方で、涙されたり、ジーンときたとか、ガツンときたと言ってくれる方もいらっしゃり、うれしかったです。ありがとうございました。

自分なりにはまだまだなのですが、自分の本当の世界の幕開けには良き舞となりました。
この舞に至るいろんなプロセスを経て、自分の世界を感得したと思います。
だからもう私はそこからぶれるつもりもないし、それ以外のものになろうとも思わないです。

それは正直言って、今の一般の世の中からははずれるものですが、もう恐れることも不安になることもなく、手に入れたものを大切に自分の歩むべき道を進んでいこうと思います。

自分の舞の話だけ書きましたが、他の方の舞もすごくよかったです。
翌々日、天川で震度2の地震があったそうです。龍が感応したのかな?



エックハルト・トールDVD『イリュージョン〜幻想としての時間』予告編


これからは本当に時間の概念、感覚が変わっていきます。
その流れに沿っていくためにも、忙しくしているマインドにブレーキをかけてください。

しなければならないと思うことを勇気を持ってストップし、無駄に思えるスロータイムを持ってみましょう。
ただぼーっとするのもよし、ゆっくり散歩をしたり、絵を描いたりするもよし、その他好きなことをして過ごしてみてください。


『この人生は夢なのか?夢から目覚めて生きる』ディーパック・チョプラ




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さて、胞衣(えな)の気づきから「後戸の神」のことになり、これほどいろんなことが出てくるとは思わなかったですが、もう完全に私はホールドアップ、お手上げ状態となりました。これは弥山に登る前の話なんですけど。

なににお手上げかというと、もうエゴさんや顕在意識の領域にいるのがバカらしくなるぐらい、それ以外のモノたちの方がすぐれているということ。

心理学的に言えば、潜在意識ということになるのかもしれませんが、自然界の領域も関係しているので、自分の潜在意識のなせる技と言い切れないところがあります。

数年前の私の淡路島から始まったストーリーがどんどんと巧妙につながっていく様もまったく私の範疇を越えているのでびっくりですが、それに加え、以前私がしていたアート制作の最後の方の作品が今につながっているということにも気づき、びっくり!
まあ、これは潜在意識の手柄なので、パチパチと拍手喝采なのですが。

しかし以前していたことが、今から見ると、すでに今を知ってしていたのか?と思えるようなこともいくつかあり、ひえーっと驚く次第で。

逃れられないとはこういうことなのねーと。
見えない糸でつながっていて、ちゃんと行くべき道に戻されます。

さらに,自分の「正体」(本質というより正体)や霊的ルーツ、自分がずっと感じていたことのもとやなぜそうなっていたのかの理由など、次々とベールがはがれていって、もうお手上げです。

顕在意識でがんばるのはやめた!
だいぶんエゴから自由になったつもりでしたが、それでもまだまだ理性がどうにかつじつまあわせようとがんばっていました。

直感に従ってやってきたことがこれほど絶妙につながっていくとは、もうすっかり人知を越えている範疇です。
どうあがいても、この巨大な見えない網の目のような世界にはかなわないことがわかりました。
自我のできることはものすごく小さい、ほんの一握りだということを実感。

バラバラにばらまかれている無数の糸の端と端をつないで一本の糸に仕上げていくような複雑な作業をふっと一瞬でやってしまうような力が「後ろの世界」にはあります。

潜在意識とか無意識とか宇宙意識とか言わずに、「後ろの世界」と私は言うんだけど、「後ろの世界」にはもっとたくさんのモノたちも生きている世界な感じがします。

ただ単に感じ方の違いかもしれません。
この世界(人間的意識)から理解する「潜在意識とか無意識とか宇宙意識」ではない世界ということなのかも?

「後ろの世界」は法則がない。あえていえば、自分が作っていくもの。
まったくの無秩序かもしれない。そしていろんな存在の気配があります。

どっちかというと、もうひとつの宇宙という感じがします。
それとこの宇宙がつながっている感じ。

ルールのない夢の世界みたいなもので。
シャーマンが関わる世界っぽい?

え?でもそれが潜在意識じゃ? という人もいるかもしれません。

うーん、言葉の捉え方の違いとか、同じ意識をただ違う角度から見ているだけかもしれません。

まあ、ともかく、今までも何度も「信じなさい」というサインは頂いていたのですが、やはり根拠のないことはなかなか信じがたく、このブログにもいろいろと書いているけど、心のどこかで「ホントかな?」という思いが残ることもありました。それでもなんらかの現象を見せられ、やっぱりホントだったと思うことのくり返しだったのですが。

今回は「もう、わかりました。降参します。疑うのをやめます。信じます。はい。」と言い切りました。

本当に太刀打ちできないことがわかりました。
太刀打ちしようとしていたわけではないけど、理性が「おい、ちょっと待て」と呼び止めていたのですが、もうさようなら〜です。

なにから書いていいかわからないぐらい,最近、てんこもりなんで。
とりあえず今日はぐだぐたと書いています。
これから少しずつ整理していきたいと思いますが、書けるかどうかはわかんないんで、その日載せたいと思ったことを載せていくと思います。

いやはや、予測不可能なおもしろい世界になってきました。
その世界がまた自分自身でもあるのだから、自分を知るということはとことん奥が深いです。


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浅間山に登った翌日に恵那神社へ参拝する機会に恵まれました。
当日の流れでそうなったんだけど、必然だったのでしょうね。
台風が迫っている日だったので、境内には誰もおらず。
手を合わせていると、「舞いなさい」か「舞ってもよい」かわからないけど、そういうことが来たので,突如舞わせていただくことになりました。

この舞、霧深き満月の夜の蓼科山山頂や浅間山の山頂付近など、足場が悪く、危険もなきにしもあらずのところばかりで舞い、修行が足りず、なかなか集中できませんでしたが、今回は境内。やっと平らな地面で落ち着いて、いざという時に逃げなければという不安もなく(笑)、舞うことができました。感謝。

それでごあいさつもすんだせいか、次の週に恵那山に登ることができました。
お山に呼ばれているときは、昔ながらの参道となる道をいかねばならないと、以前思い知らされたことありました。それ以来、長くてもそういう道を見つけて行っています。

今回は、前宮ルートという、いったん伊勢湾台風で崩れて閉じた登山道。5年前ぐらいに再開されたらしいので、新しいルートと言われていますが、昔ながらのルートのようです。

標高差1440m。標準的なコースタイムは、休息を含めて 登り6〜7時間、下り 4〜5時間、往復で10〜12時間程度。日の出が6時前、日の入17時半。初めてのルートでは無理な計画は避けたいが、ぎりぎり日没までに戻って来れるだろうと思いました。

私が今まで一日山を歩いた最長時間は浅間山の7時間ですが、下り道を含みます。
登りだけで6~7時間って、、、以前、坪内川合から天河奥社の弥山に行く時、登り6時間あったけど、一泊して下山したから、、、などと考え、往復10時間、標高差1440mがどんなものか見当がついてきました。

それって体力限界いくかも?
しかも日没までの時間は限られているから、のんびりはできない。
人のあまり通らない登山道だから、足くじいたりとかなにか起こったときはたいへん。

『健脚な経験者以外は日帰り登山は避けるべきでしょう。』と書いてあり、私は多分健脚だと思うけど、経験者といえるほど山に登っているわけではない、、、。

先日の浅間山に続き、また命はってるなーと。だんだんとハードになってくる(汗)
登りの時間配分をチェックして、登ってみてペースが間に合わないようなら途中で引き返そうと決めて登ることに。それでちょっと気持ちが楽になりました。

いつもながらこういう時はあまり迷わない。自然と身体が行く方向で準備を始めます。前回の浅間山もそのおかげですばらしい体験をしたので、今回も多分これでいいのだろうと思いました。

予定を早め、5:40に登山口に。日の出が5:54でしたが、すでに明るくなってきていたので、懐中電灯は使わずにすんでほっとしました。バテないぐらいの早めの歩きで、座っての休憩はなしで頂上まで上がりました。
思ったより体力も足も大丈夫で、なんと4時間で登りました。自分はけっこうな健脚なんだなと自覚。
疲れもそうなく、浅間山7時間コースの方がしんどかったと思いました。

登りながら、気力が体力をもたせているなーというのは感じました。

頂上付近や社があるところは登山客もいるし、あまり神聖な感じもしません。
舞う必要があればと思いましたが、そんな感じでもないので、しばらく休んでから下山することに。
途中、ここだと思うところあれば、舞おうかな?ぐらいな感じで。
恵那神社で舞わせていただいたので、山では必ずしも必要ではないだろうと思いました。

半分ぐらい下ったところに不動明王像があるんですが、そこが昔、茶屋かなにかになっていたらしく、平地になっていて、あ、ここで舞えると思ったので、舞わせていただきました。

この前宮コース、登りも下りも誰にも出会うことありませんでした。
浅間山で風と濃霧の中、一人ぽつねんといたことで味をしめてしまったようで、自然の中にただ一人、徒歩3時間の範囲には誰もいないだろうというところにいるのが快感〜☆

下りは時間があったので、急ぐことなく下りました。そして無事下山。
また恵那神社にお参りをして、この日の宿泊の熱田へ。

登山の話ばかりになって、肝心の書きたい話がでてこなかったので、次回に続きます。


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さて、蓼科山から戻って一週間後にまたもや長野に行きました。
今度は浅間山。6、7月と登り、今回で3回目。
3回は行けとのことだったのですが、無理なく達成。ってか、今年、もう一回行きたいです。

以前、ある磐座のあるお山で、月1回登ってレッスンを受けることが1年間ぐらい続きました。
近所の30分ほどで登れる山でしたので、全然たいへんではなかったです。
その時は行くたびにいろいろと学び、学んだことを忘れないようにノートに書き取ったものです。

浅間山もなにかしらそのようなレッスンが入っているように感じていましたが、標高が高い分?抽象的感覚的で、言葉でくるわけではないので何なのかわかりづらい。

言葉で言えば、1回目は女性性の慈愛、いのちを育むことについて、2回目は混沌や無、死について、そして今回3回目はいのちの躍動かな。
全部、体感、体験で身体で感じ得ているもの。そういう学びなのか?


当日の朝、町はどんより曇り空。山に向かうほどに霧が出てきて、「また、真っ白かあ〜」と残念に思っていたら、浅間山荘につく頃にはスコーンと空が晴れちゃって太陽が燦々と輝き出しました。

IMG_1537

初めての快晴
体調も万全で、ルンルンと歩いていきました。


←帰りに歩いた外輪山の尾根です。



老樹翁に教えてもらったことを感じながら登っていったら、火口につながっちゃった感があり、山に受け入れられたようでうれしかったです。つながりを感じながら登っていきました。

IMG_1531
毎回濃霧だったのですが、この日はスカッとするほどお天気もよく、かなりうれしい登山でした。

雲海が出てましたので、もしかしたら下界の方はまだどっぷり曇り空なのだろうか?

IMG_1584

前掛山の中腹に左上に向かって道がついています。この道をえんえんと上に登っていくのはなかなかたいへんです。(写真をクリックすると拡大できます)
前回はこの吹きさらしの場で、濃霧で風強かった。よく歩いたなー。

IMG_1564

今回初めてシェルター付近や現在の頂上になっている前掛山の全景を見ることができました。

上のこんもりとした前掛山の裏は実はこんな風。
外輪山なので、このようになっています。


今回は行くべきところに行き、やっと姿を見せてくれたことに感謝。
大自然の営みのすばらしさ、共にそこにいられたことがすごくありがたかったです。

それから下山し、Jバンドから尾根づたいに戻り、最後は再び高峰温泉へ。
健脚7時間のコースでした。

浅間山のあの登りを登ったあと、また尾根を上がり下りだったので、さすがにだいぶん足も疲れました。ハアハアいいながらただひたすら歩いていると頭も身体も空っぽになっていきます。

今回は達成感があったので、うれしくてしょうがない。
山の気がまた心地よく、自分が一皮むけた感じで、何かが変わったのを感じました。時々はランナーズハイみたいになっていたのかもしれません。

帰りは高峰温泉でゆっくりまったりと疲れを取りました。
温泉まで車で送ってくれる人がいたし、夕食を食べたところではおまけをごちそうしてくれ、ラッキーづくしでした。


初回の慈愛といのちの循環と、2回目の濃霧と風の真っ白い無のような世界と、3回目のガスを放出する火口にみるいのちの躍動。
経験したそれぞれの感覚は今も私の中にあり、何かの折にふっと蘇ってきます。

これからまた新たな自分に再生するプロセスが始まるのを感じました。


ところで、浅間山には火山館のところに浅間神社はありますが、上の方に奥宮らしきものがありません。ググってみると、噴火でなくなったらしいとか?

お山そのものがあるのだからお宮がなくても別にいいのですが、ちょっと気になりました。

こちらに浅間山の写真を追加しました。

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先日,メルマガに載せていた記事を少々変えてこちらにもアップです。

7月末にポンッとまた気が変わって、例えて言えば、握っていたハンドルを放して自動操縦みたいになって、そのまま手放しで進んでいるんだけど、本当にこれでいいの〜?みたいな感じになっていたと思います。

私自身、7/31にまさに宙ぶらりんになったという感覚を得ました。2年前ぐらいから自分のエゴ支配から自由になれるよう働きかけてきましたが、やっとエゴが降参した状態(実際はまだまだとらわれていると思うんですが、とりあえずのところ)を感じました。
「底についた」んですが、「宙ぶらりんで何もつかまるものがない状態」という感じです。

私はこの時が来るのをずっと待っていました。この地点に来て、そこから自分の中にわき出してくるもの、それに従って行動していこうと思っていましたので、これからいったいどの方向に向かっていくのか、自分でもわからんよ〜と放置プレーです。

が、宙ぶらりん状態はほんの数日のみでした。私の中のバネが極に来て、反対方向に向かい出し始めましたが、ビョ〜〜ンと飛んでいくことなしに、徐々に動き出し始めている感じです。

エゴの恐れが消えていくと、本当にお金も時間もその他も無限の空間からやってくる感じです。
異次元のドラえもんポケットがあってそこからなんぼでも出てくるような。

この手放し状態を楽しむ段階に入っている人は、多分これでいいんだろうなと思いながら進んでおられるでしょうから問題はないのですが、この状態を予測していなかった人にとってはかなり不安がやってきている可能性があります。
これを読んでいるあなたがそうでないことを祈ります。

エゴは「宙ぶらりんで何もつかまるものがない状態」は超苦手でしょうから、無価値感で苛まれるとか、訳の分からぬ恐れや焦燥感に不安がつのる、自分を責めまくるなどして、必死で何かをつかもうとしているかもしれません。「いったい私はどうしたらいいの?」とかなり不安定になっている人は、このエネルギーにつかまっちゃった人かもしれません。

なんとなくの不安はスルーしてもいいと思います。

数日前から、その感覚に慣れたのか、どこかに着地したのか、ワクワク感やウキウキ感みたいなものに変わってきているように思います。


多分、左脳から右脳への架け橋みたいなところに今、私たちはいるのではないか?と思います。

今まで私たちは、主に左脳的考えで、理性や計画性、理論だったこと、一般常識、教育などに構築された考え方で動いていたと思います。

しかし地球のエネルギー自体がもっと混沌とした右脳的エネルギーに取って代わりつつあるので、今までの地盤であったそういう考え方がふわふわっと溶けてしまったような感じとでも言いましょうか?

男性原理のエネルギーから女性原理のエネルギーへの移行という言い方もできるでしょう。


あれっと気づいたら、つかまるものがない、、、?

危険ではないのですが、波にプカプカ浮いているような、ただ漂っているような感覚。

エゴはそのような状態には慣れていないので、確固とした何かをつかみたいと感じます。それが不安や焦りになって出てきます。

エゴ支配の世界から抜け出ていない人は、地盤がガラガラ崩れたかのような不安定な感覚を感じておられるかもしれません。
それが現実的な現象、実生活の変化として現れている人もいるでしょう。

今はそんなエネルギーの流れだと思いますので、あまり心配したり不安になったりせず、中途半端にプカプカ浮いているような感じをただ受け取って、それに対して特に何かをしようとしなくてもいいんじゃないかな?と思います。

今の自分アカン!と焦ったり、不安解消のために動くことはもしかすると必要ないのかも?

それもまた人それぞれの状況があるでしょうから、不安解消が逃げではなくて、本当の解決に向かうものならいいんでしょうけど。

とりあえず今はただ流されてもOKな感じだと思います。
全体の流れがそんな感じなのだから、あまり心配せず、宇宙遊泳みたいな手放し状態の運転に身をゆだねてみてください。

その時にエゴが「そんなんじゃダメだ、ちゃんとしないと」「そんなことしてたらろくなことないぞ」とささやいたとしても気にしないでください。その声を聴き始めると、自分の中で葛藤が起き、苦しむことになります。

また、手放し状態に耽溺して怠惰,無気力にもならないように。


マインドが浮遊状態になっていても、これからいったいどこに行きたいんだろう?自分は何をしたいんだろう?何を求めているんだろう?と内観はしておくほうがいいと思います。

自分が決めるというより、宇宙に同調してたらいくつかの選択肢が出てきて、自然に決まるか、自分がそこから選ぶという感じかもしれません。

自分のエゴの希望ではないんですね。
積極的なイメージトレーニングやアファメーションというより、静かに沸々と自分の内なるエネルギーを感じてそれに従うことだと思います。

このお盆時期、いろんな天体の動きがあるみたいなので、気が変わったのもそのせいかもしれません。
18日は新月ですからまた流れが変わってくるかな?

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さて、前回の蓼科山紀行に引き続き、浅間山の話を。
蓼科山登拝翌日の浅間山は,前回の浅間山登拝に引き続き、またちょっとしたサバイバルとなりました^^;

前回行かなかったJバンド経由の尾根を歩いて高峰温泉に至る7時間ぐらいのコースを行こうと思い、朝早くに出ました。山の麓では空が明るくなってきそうな感じで雨は降らないだろうと予感。
確かに雨は降りませんでした、、が、前回より低い位置からガスが出始め、またずっと白い中を歩くことに。

IMG_1313これは前回の写真ですが、浅間山の上の方はこのように何もない吹きさらしをえんえんとただひたすら登っていきます。
写真の地平線の中央下あたりに白と水色のちっちゃな二点(登っている人)が見えますので、その距離がわかると思います。(写真をクリックすると大きくなります)

IMG_1404
今回はガスだけならまだしも横殴りの風つき。もちろん地平線は見えません。
吹きさらしの道をまだまだ登っていかねばなりません。

「雨が降らないように」とは願ってましたが、風については何も考えていませんでした。天候を願う時は、晴れた状態を願うべきだなと思いました。

前日の蓼科山は元気だったのですが、この日は登り始めから本調子ではなく、けっこうしんどいなーと登ってきたので、これからというところで、この真っ白な風の中を行くのか?と少々立ち往生。(写真はもうちょっと下のまだ植物があるところ)

先を行く人がいれば、大丈夫なんだろうとついていけますが、今回一人で来て、まわりにも誰も見当たりません。
この風でも上のシェルターまで行くことはできるでしょうが、私は登山経験が豊富でないので、この天気、晴れるのか暴風になっていくのか全く見当がつきません。行ったはいいが、帰れなくなっても困ります。

徒歩1時間の範囲ぐらいはまだ誰もいないかもなあ?と思いつつ、標高2500m近くの、風よけとなるものがひとつもない吹きさらしの場所で、真っ白なガスと横殴りの風のなか、山の上に一人ぽつんといるという状況はめったに味わえないことです。身体も疲れていたのでしばしぼうっと座っていました。

幸いなことに恐さや危機感は全く感じなかったです。
転がり落ちていくような崖ではなく、足場がしっかりとしていたせいでしょう。前回の「草すべり」ルートで道が途絶えた時の方がはるかにビビりました。

そんなところにぽつんと座っていると、地上での人間の喧噪はどこへやら。聞こえるのは風の音だけ。

風がなければ心地よく幻想的な雰囲気を楽しんだでしょうけど、こういう時って人恋しくなりますね。誰でもいいから話をしたいなーと思いました。

この山ではしょっちゅうこの天候になっていて草木は慣れたものだろう。
自然に比べたら人間ってちっぽけなもんだなーと思いました。

とにかく登ることにして無事到着し、シェルターでひと休み。

シェルターは大きな土管みたいなものなのです。ようやく風がしのげると思いきや、運悪く風の向きと穴の向きがほとんど同じ方向だったんで、あまり風よけにならず^^; でもないよりはマシでした。

やはりだれもいませんでした。登ってくる気配もなく、風は時々ヒュルルー、ビューン,バーンと音立ててます。

山の上にたった一人かあ〜としばらくの間そこに座ってひとり時間を満喫。
風も強くなっているようでいっこうに弱まる気配なく、このままもっと吹き荒れたら困るなあと下山することに。下りは緑のあるところまで戻ったらもう安心。

途中、真っ白の吹きさらしのところで年配のご夫婦に出会い、ちょっと会話をかわし,別れました。
下に降りていくと、何人か登りの人とすれ違いましたが、みんな、あそこを行くのでしょうか?

一般的登山基準がわからないものだから、ちょっと慣れた登山者は平気で登る天候なのかもしれない、、。
もしかして自分は井の中の蛙みたいなもんで、よくやった!と思っていたら全然小心者かも?などと思いながら下山。

それでもあの風と視界のため、尾根伝いに行くのはあきらめ、もと来た道を下りました。時間ができたので、帰りはゆっくりと緑を楽しんで下りました。緑が豊かなところまで来ると、前回感じたような慈愛のエネルギーを感じました。

浅間温泉で一息してたら青空が出てきて晴れてきました。
今、上にいたらいい景色が見れたかも?、悔しいなーと思いました。

が、温泉にある浅間山を写しているモニターは真っ白で何も見えない。
店の人に聞くと、「ここ数日はずっとこんな感じですよ、下で晴れてても上はねー。」とのこと。
よかった、まだあの状態なんだ、、と自分をなぐさめました。


ところでその夜、寝る時に思いつきで、本来の自分のエネルギーを体感して寝ようとイメージしていたら、出てきたのが乳白色の空間。
朝、思いっきり山で体験したせいもあるのでしょうが、これ、前にもでてきたよね〜と思いました。→ 「グラウンディングとシャンバラへの道」

思わぬところで思わぬものとつながりました。
が、私がいた場所はしっかりと三次元の風荒ぶ乳白色のガスに埋もれた山の砂利で、シャンバラのかけらもなかったのですが、こういう話につながっていったのが面白いなーと思います。あそこで感じた感覚的なものと関連はあるかなと思います。


前回の浅間山は、慈愛によってすべてが循環し、命が育っていくさまを教えてもらいましたが、今回は、視界が閉ざされた厳しい状況ゆえに生を感じるという経験でした。

どちらの状況でも草木は何も言わず、ただそこで精一杯生きています。

ああいう場にいたら、下界で何を所有していようが全く関係ないですね。
身ひとつでいのちを感じる体験が現代人は少ないんでしょうね。

中学生、山登ったらいいのに、、と思います。


人間、死ぬ時は何も持っていけないよね。
生きている間にいろんなものを所有しようとするけれど、なんのため?

そこから解き放たれるともっと自由になれるよ〜♪

と、風が言ったとか、言わないとか。


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先日二日間、また山に行ってきました。
今回は長野県の蓼科山と再び浅間山。

梅雨の大雨の合間をぬっての登拝でしたので、天気が心配でしたが、どちらも雨が降ることなく、よかったです。
ただしどちらも上の方はガスがでてまたもや真っ白状態。

蓼科山は初めてでしたが、前から行きたいと思っていたお山でした。
今回、七合目まで車で行って徒歩約二時間コースで楽勝だと思っていましたが、しっかり登らされました。
頂上に向かうほど傾斜がきつくなり、石も岩となって大きくなっていました。

IMG_1359←ほとんど水害跡かと思えるような道。

IMG_1360

上に行くほど岩がでかくなります。

IMG_1364

←もう少しで山頂ですが、傾斜は急です。岩がうまい具合に足場を作ってくれているので登りやすかったです。


IMG_1365
山頂。何も見えない〜^^;




帰ってから気になりググったら、蓼科山の人穴から地底の国にたどり着き、龍(蛇)になって戻ってきたという甲賀三郎の話を見つけました。

IMG_1401草木を取り除いてしまえば、石を山積みにしたような山ではなかろうか?と思えますので、穴から地底国に行くとか、蛇になって戻ってきたという話がすんなりと受け入れられます。

石垣がくずれたような石積みのところがたくさんあります。
賽の河原の石ころの山みたいに、下から小さい石を置いていって上に行くほど大きい石を置いて山にした、そんな感じのお山でした。


頂上はガスで真っ白だったのでほとんど何も見えなかったのですが、奥宮はどこか?とその中をうろうろしたおかげでだいたいの地形がつかめました。
火口を拝むように奥宮がありました。

IMG_1381火口の中心付近にいるととても心地よく、エネルギーがすばらしくて身体が軽くなりました。

時々ガスが薄くなる時に見えるのですが、石が円陣を作っているかのごとく丸く並んでいるように見えます。


火口なら自然とそうなったのかもしれませんが、人工的に遺跡のように丸く並べたようにも見えます。UFOの発着所みたいにも思えました。

視界が悪かったので見通しの良い日にみたらどう見えるかはわかりませんが、不思議な感覚でした。

この火口内のエネルギーは特別な感じがしました。
下からわき上がってくる何かがあるみたいですね。

「うわー、すごく気持ちいい〜」としばし味わっていたら、う、お腹が、、痛くなってきました 

エネルギーが強すぎたか? もっとそこにいたかったですが、緊急事態発生でヒュッテトイレに向かわねばと速やかにその場を去ったのですが、火口を出てすぐにお腹も安まり、その後はなんともなかったです。

この山はただものではないという印象を得て下山となりました。

蓼科山についてはこんな説もあります。
太陽信仰の中心となる「女の神山」

もっと探ってみたいお山です。

蓼科山の不思議情報,耳寄り情報などをご存知の方はコメント欄で教えてください〜。

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前回の続きです。

ところで、浅間山で感じた女性性のエネルギーについてです。

浅間神社といえば、木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)。
一般的に言われている木花咲耶姫のイメージは、華やかで美しく男性にモテそうな女性のタイプです。

今回の浅間山はそれとは全然違った印象でしたので、もしかして木花咲耶姫命のそのイメージはあとづけされたもので、もともとは女性のトータルなイメージを兼ね備えていたのかもしれない、、と思ったのでした。

が、後でネットで見ていたら、磐長姫命が浅間山の神とされていたという記事がありました。
それを読んで納得。
浅間山のエネルギーは磐長姫だとするととてもよくわかります。

神話では、木花咲耶姫と磐長姫は姉妹です。

木花咲耶姫と磐長姫は本来ひとつなのでしょうが、見た目の良さだけを選んでしまったニニギノミコト。
この社会も寿命が短いのも、みにくい(観にくい)ところを軽視した結果です。
内面より物質界を重視した世界。金と権力。

磐長姫に象徴されるのはその対極の精神性などの内的世界。

浅間山は、自然の本質的な豊かさのエネルギー、大きな循環構造のもと、すべてが見えない慈愛に育まれ、個体でありながらひとつのエネルギー体に含まれているのを個々の存在が感じ取って全体のために存在している、、、というすばらしい楽園でした。

ここには「つながり」「一体感」の本当の意味が隠されているように思いました。


人間の肉体は、皮膚や各臓器、手足、目鼻口、髪の毛、約60兆の細胞、微生物、細菌、意識などさまざまなものが存在してひとつの身体を構成しています。

ひとつひとつの存在が、全体形としての肉体と個々の存在を理解していて、個として生きながらも全体として機能することで、鳥の連隊のようにベストなかたちで調和が保たれています。

そういう風なあり方が浅間山の自然界ではおこっているなあと感じました。
山自体のエネルギーがそんな風なのですね。

すばらしい慈愛(昔の人なら浅間山の女神と認識するようなエネルギー)に育まれていることをそこに存在しているものたちは知っているように思いました。

それが一方的ではなくて相互作用なんですね。
山の女神とも呼べるような慈愛に満ちたエネルギーが溢れていて、自然界はそれを受け取り、また同じようにそれを返しています。


今日,庭で菜の花の種がとれたんですが(今頃!まだ小さい花が咲いています)、この一粒の種が来年花咲いたら何百という種を生み出すんですね。

「自然は豊かになるようにできている」と聞いたことがあります。
人間がいらぬ手を加えなければそうなのでしょう。

人間の欲がすべてを変えてしまった、、、というのは、木花咲耶姫と磐長姫にまつわる神話に象徴されています。

私はまた近々浅間山に登ってこようと思います。
次回はなんなのかわかりませんが、今年、あと2回は行かねばならないらしいです。

高峰温泉はお気に入りの温泉となりました。
近くに行くことがあれば、ぜひ行ってみてくださいね!


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話は遡り、6/6のヴィーナストランジットが終わった後の週末に、長野県の飯綱山と浅間山に登ってきました。

飯縄山は2回目で、「自らの光を取り戻し、太陽となる2」の報告とお礼に行ってまいりました。

翌日は浅間山へ初登山。

4 浅間山荘の奥の一の鳥居をはいり、しばらく歩くと川がありましたが、さすが活火山。岩の色が褐色でした。緑が映えてきれいでした。
(写真をクリックすると大きくなります)



9

感激するほど緑がものすごくきれいでとても元気がよく、まさに楽園でした。

イヤー,ホントに素晴らしかったです。おかげで私も元気に歩くことができました。


10年以上前、阿蘇山に行ったことがあります。初の火山でした。
あの時はケーブルカーで上に上がり、火口も拝むことができ、自然の神秘をかいま見て感動しました。
が、ずいぶんと昔の話ですので、今回、新たな感覚で活火山体験です。

お山へのごあいさつ以外に、山で何かをしなければならないのだろうなあ、なんだろうなあ?と考えていたのですが、それはおこがましい勘違いだったのがわかりました。

あいさつは確かにそうだったのですが、私が何かをするのではなく、今回はギフトでした。お山から私への。
それを感じた時にものすごく感謝の気持ちが湧きあがりました。
思わぬ贈り物でした。ただただ感謝でした。


今までの流れから、今回、女性性と関係あるだろうというのはわかっていましたが、まさにこの日の浅間山は女性性の象徴のようなお山でした。

とくに、慈愛、滋養、育む、包み込む、というような母性のエネルギー。
それプラス、大地の力強いおっかさん、おふくろさん的な要素と女の底力。
循環。一体感。地球。子宮。そして厳しさも。

自然がとっても元気で、地からくるエネルギーが強く、とても心地いいものがありました。
トーラス構造の循環が浮かんできて、自分の身体でそれを意識しながら登りました。ここではその循環エネルギーが流れていましたね。

おかげさまで、緑のある地帯を登っている間はどんどんとエネルギーをいただいて充電しまくりで元気になりました。

歩きながら、これから必要とされるであろう女性のあり方やエネルギーを体感で学びました。まだ自分の中にはブロックがあり、すぐにそれが発揮できないですが。

道中雨が降ったりやんだりで、一カ所、硫黄の臭いの強いところがありました。

33緑がなくなるぐらいに登ると、石ころしかない賽の河原とよばれるところを延々と登ることになります。とにかくただひたすらに登ります。

霧が出たり消えたりしていたのが、山頂が近づくにつれ、ほとんど霧になりました。

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現在は火山活動がレベル1までさがっているのでここまで登れます。
これより先は立ち入り禁止となっています。
この500m先に火口があります。

ネットを見ていたら、自己責任で火口まで登る人もいるとあったので、行けたら行こうかなと思っていました。が、登っても何も見えないだろうということで断念。おとなしく引き下がりました。

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いざというときのシェルター。
石が飛んでくるのは防げるけど、ガスや溶岩がきたらひとたまりもないですね^^;

右側に人が見えます。



40現在は、前掛山という第一外輪山が仮の頂上となっています。シェルターから約20分尾根を歩きます。
途中まで登りましたが、霧雨と風が強く、この写真の先の道はもっと細くなり、突風吹いて転んだらそのままコロコロ落ちてくなあと今回は断念。前掛山に上るのが目的ではなかったので、ま、いいかと。


さてさて、帰りがビックリ仰天!
登り口と違うところに降りようと、選んだ道が「草すべり」という道。

下山だからずっと下っていくのだろうと思ったら、途中から登りになってきて、それが半端でない

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平地だった道はいつのまにやらすごい傾斜となり、ひたすらに登るのみ。

浅間山にはたくさんの登山客がいましたが、ここには誰もいない。登れば登るほど傾斜もきつくなり、目の前には見上げるばかりの岩山。

だいぶん登っていったところで道が途切れている?ところに遭遇!!?
目の前には大きな岩があり、道がストップしています。左右に道を探してもない?

道をまちがえたか!? でも一本道だったぞ? ここ降りるの? でもこの道であってたら?と恐ろしい思いが頭をよぎり、蒼白。

しばし途方に暮れて、霧の中の足場もあんまりないところで立ち往生。

が、はたと思いつき、岩の上を覗いたら道があった!!
岩をよじ上り、再び歩き出しました。
良かった〜〜。山中一泊になったらどうしようかと思いました^^;

しかしながらそれからもすごかった(汗)

こういう道だと知っていれば、前もって覚悟もできたけど、下りだと思った道が超登り!!だったので、よけいすごく感じたのかもしれません。70〜80度ぐらいの傾斜を登ってたような?

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この道であっているのか不安を感じながらも戻るわけにもいかなく、ただひたすら霧の中、目の前の道を登っていくしかありませんでした。

そして、やっとこさでトーミの頭のてっぺんまで行くことができました。

そこには大勢のグループで来てた人たちがいて、ものすごくほっとしました〜


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浅間山前掛山です。
数時間前はこの山の上にいたのだから、この距離を降りてまた登って、今度は向かいの外輪山の上に。

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岩の上から。
写真右下の方に道らしきものがみえているけど、下からこの傾斜を登ってきたんだなーと実感。
自分でもよくやったと思いました。。。

その後、無事下山。ほっ。


初めての山は道順を調べるだけでなく、どんな道かもちゃんと調べておかないといけないと反省。

いやはや、帰りは想定外のスリルなサバイバルとなりました。

思わぬところででふたつの山に登ってしまいましたが、それでも時間よりかなり早く下山することができて、高峰温泉によったのですが、ここがよかった!
スタッフの人がとてもいい感じでした。
小さな温泉なのですが、熱いのと温い湯を交互に入って疲れを癒し、バスに乗って下山。

浅間山でパワーをいただいたせいか、この温泉に入ったのが良かったのか、二日続けての登山(飯縄山1917m、浅間山(前掛山)2524m、トーミの頭 2320m)でしたが、その日も元気で、翌日もその後もまったく筋肉痛がなく、自分でも驚き!

浅間パワーにビックリでした!


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次回は山での気づきのシェアを。

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