いのちおり - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: ひとりごと

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先日、コーチの人たちとバンジージャンプを飛んできました。

竜神大吊橋の日本一高いバンジージャンプ100m。
橋の上から川に向けて飛び降ります。

昔一度、50m以下のバンジーは飛んだことありますが、100mはさすがに高い。
飛ぶ順番が来るまではとくに怖さは感じませんでしたが、順番が来て際に立って下を見たら、川が遠くはるか彼方に見えました

「マジでこれ、飛ぶの!?」とちょっと動揺。

順番に飛んでいった人たちはみな、恐がったり、躊躇したりせずにどんどんと飛び降りていましたので、今さら尻込みするわけにも行かず、もう飛ぶ以外の選択肢がない状態。

飛ぶしかないなら飛ぶしかない。
やるか、するか。

腹をくくるしかありません。

「よし、飛ぶぞ!」と心を決めてしまうと、飛ぶこと以外、何も考えなくなります。
恐がっても意味ないのでね。

思いっきり前に飛び込むほうが安全とのことでしたので、「よし、行くぞ!」と一瞬ジャンプのイメージング。

そして、かけ声。

「はい、いきますよー! 5、4、3、2、1、ジャーーーーンプッ!!」


恐がる暇を与えず、ジャンプ!!

飛んでしまえば、なるようにしかならない。


落〜〜〜〜〜ち〜〜〜〜る〜〜〜〜。


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最初は一瞬、無重力状態、落ち始めて「さすがに100mは長いぞ、どこまで落ちるねん!?」と思ったのと、手に風の抵抗を感じたときは「おお、飛んでいるみたいだ〜」と鳥になった気分。この時は気持ちよかった。。。

そして、ビヨ〜〜ン、ビヨ〜〜ンとバウンス。
この時はどこをどう飛んでいるのか、上下左右がわからない。

ほんの一瞬の出来事でした。

終わってみれば、もっと高いところから飛んでみたくなりました。


この時の気づきのシェアは多分後日メルマガにて。

こちらで飛んでいる動画が見れます。→ バンジージャンプとコーチング

明日のセミナー、当日券もあるようです。
迷っている人は思いきって飛び込んでみてください!


悦月のセッション詳細はこちら


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ホームページが新しくなりました。

悦月(えつき)は苫米地式コーチングの認定コーチとなりました。
これからはコーチとして活動していきます。

今までのリーディング・セッションも当分は続けていきますが、そのうち、対面リーディング・セッションはトライアル・コーチング・セッションにとって変わると思います。

ネームリーディングと遠隔エネルギーワークはそのまま継続となります。

コーチングは今月いっぱいは新メニュー割引割引料金となっておりますので、興味のある方はどうぞ!
8月1日からは料金が変更になります。

ホームページ「いのちおり」


       


「自分に捧げる言葉2014 後半期メッセージ」も好評受付中です。

このブログにもよく載せているショートメッセージは、年2回の個人向けメッセージか、手書きえな符を求められた方へのえなふメッセージとして、おひとりおひとりに個別にメッセージを書き下ろしているものです。

「自分に捧げる言葉2014 後半期メッセージ」は、あなたへの今年の後半のメッセージということで、悦月(えつき)が書き下ろします。

どんな内容が出てくるかは書き出すまでわかりません。
あなたに必要なメッセージとなることと思います。

勇気づけられるメッセージもあれば、半年かけて謎解きをするようなメッセージもあります。

興味のある方はぜひどうぞ!

「自分に捧げる言葉2014 後半期メッセージ」


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7月6日(日)午後に東京で個人対面セッションします。

お申し込みはこちら


先日から話題になっていた塩村文夏都議とヤジのニュース、やっと静かになってきたようですね。

これら一連の件については私は気持ち悪さを感じていて、あまり見ないようにしていたのですが、毎回インターネットを開くといつもニュースになっていたので、「なんなんだ?」とググってみたら、ますます気持ち悪くなってしまいました。(私はテレビは見ないので、テレビのニュースのことは知りません)

最初、抗議署名運動のメールが来ててサインしかけたけど、なにやら違和感を感じて保留しました。
そうこうするうちに連日の報道。

そのうち、やじった都議員が現れて謝罪。
頭を下げている写真が報道されましたが、ますます気持ち悪い。

そして、政府公式「SHINE!すべての女性が、輝く日本へ」開設と安部首相のコメント。

気持ち悪さがいっそうつのりました。

ググってみると、塩村文夏都議の過去の話や、NHKのねつ造したらしいテロップ、ツイッターでの「自殺」の連呼、都議員の給料の高さなどいろいろでてきますが、気持ち悪さはつのるばかり。

今回はなぜか「気持ち悪い」「あまりかかわりたくない」と感じます。
いったい何が気持ち悪いんだろう?と考えてみました。


ひとつはいつのまにかいじめの構造になってるということなのかな?と。

大津のいじめ事件にしろ、STAP細胞の時にしろ、この件にしろ、誰がやったか?なにをしたか?というところばかりを詮索してメディアが騒ぎ立てるのにのせられて、ツイッターでは無責任な発言が飛び交う。

やじった人が名乗り出て謝れば済む話かというと全然そんな話ではないはずです。
でもいつのまにか問題の焦点がそこにすり替わっています。
ゴシップニュースのごとくの扱いになっていて、揚げ足を取ったり、あら探しをしたり、ここぞとばかり悪点をつついたり、、、。

メディアがわざと国民の意識、関心を低俗なレベルに落とそうとしているのか、その裏で重要なことがまた密やかに押し進められているのか、、、。


もう一つの気味悪さは、ウソっぱちな表面的なのを感じるからでしょう。
塩村文夏都議、鈴木都議、安部首相、ツイッターで無責任にツイートしている人たち、メディア、誰も本心を出してない。それぞれの思惑があり、行動されているようですが、すごく表面的に感じます。

その表面的な世界で、その表面上をネット上で軽率な発言をするほぼ匿名の人たちの影響力も恐い。そうすることで自分の退屈さやストレスを発散しているような人たちも多々いるようにも見えます。

政府公式「SHINE!すべての女性が、輝く日本へ」の「SHINE!」が「しね!」に読めるとツイートしていた人がいました。私はこれを痛快に感じましたが、それぐらい表面と本心とが違うんだろうなと思います。

そうしないと生きていけない世界なのかもしれませんが、私はそういう世界は遠慮したいですね。
でも自分がそれを感じたということは自分もそういう部分を持っているからなので、それもちゃんとふまえておきたいです。


どの世界に関わろうと属しようと自由ですが、本音で生きる人たちのいる世界もあれば、取り繕って生きる世界もあり、貼りボテの幸せの世界もあり、美しい世界もあり。

あなたが今いる世界が唯一の世界ではないので、いたくないところにいるのなら早めに出るがいいと思います。

あなたが望む世界ってどんなでしょうね?


悦月のセッション詳細はこちらから

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6月のセッションのお知らせです。

東京都内での対面セッションは24日(火)の午前です。
京都市内での対面セッションは19日(木)午後、27日(金)午後でお選びください。京都は、他日ご希望の場合はお問い合わせ下さい。

遠隔セッションはご希望日時をお知らせください。
可能日で調整しますが、6/17以降で。

ネームリーディングは結果がでるのが6月下旬となるでしょう。

お申し込みフォーム

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最近だんだんと迷惑コメントが増えてきて削除もたいへんなので、コメントはログインしないとできないように変更しました。しばらく経って大丈夫なようならまた再開します。
ログインできない人は、ツイッターかフェイスブックの記事リンクへのコメントでお願いします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

6月になったぐらいからでしょうか?
右脳的な世界がググーンと現れ始めたように思います。

右脳が活性化し始めているのだろうかと思いましたが、そうではなく、左脳が、右脳の能力や見ているものを理解し始めて、左脳の判断力にそれを付加し始めたというほうが適切なように思います。

そういう意味では、活性化しているのは左脳のほうかな?

左脳は今、論理や言語とはまったく違う思考形態があることに気がついて(それが右脳的な世界ですが)、それを理解しようと取り入れ始めたようです。

右脳、左脳という言い方がいいのか、顕在意識と無意識みたいな言い方がいいのかはわかりませんけど、論理や理屈の左脳的思考が芸術肌の右脳的世界を受け入れ始めている、という気がします。

右脳的世界が活性化し始めているといってもいいと思いますけど。

二極の統合は脳でも起こるようですね。
左脳と右脳が手をつなぎ始めた感じです。

それは私たちの脳の変化なのですが、それは意識の変化のプロセスとして起こっていきます。宇宙全体がそのプロセスの中にあります。

新しい知覚が開いていきますので、少しずつ慣れていきましょう。

忙しく常に何かを考えている状態が続いているとこのプロセスはなかなかオープンになってきませんので、頭の中の雑念という言語活動を減らすために、のんびり過ごしたりリラックスしたり、考えない時間を持つことお勧めします。

詳しいことは「いのちおり通信」のほうに書きました。


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裏で世界を支配しているという世界トップレベルの富豪の権力者たちがどういう思考をしているのか、私には全く想像がつきませんが、かなり一般人とは違うと思います。

私にはよくわからなかったことがあります。

もしそれほどの金持ちであり、由緒ある歴史を持つ家系であるとしたら、精神世界やスピリチュアルなこと、古代の叡智なども相当詳しいと思います。

であれば、精神性も高く、霊性を高めることを望み、世界の支配者になろうとするよりも、世界や人々をより良き方向に導くために動かないのかな?という素朴な疑問です。

どういう価値観をもっている人たちか全くわからないので想像するしかないのですが、世界は自分たちが支配するもので、一般人は自分たちのために働く奴隷や家畜だと代々教えられてきたとしたら、それはそう思いこんでも仕方ないことと思います。

そんなひどい言い方ではなくても、彼らが選民意識を持っていて「一般大衆は無知なので、我々が統率し、正しい方向に導かなくては世界は混乱する」と考えているとしたら、彼らが世界をコントロールするのは彼らにとっては当然の正しい行為であり、善意であるのでしょう。

良心的で善良で、この世界をよりよくするために人知れず社会貢献している富裕層の人たちももちろんいるでしょう。
十把一絡げに考えるわけにもいかないと思います。

この記事はしばらく保存したままになっていたので、読んだのはけっこう前なのですが、「人類を養殖している生物がいる」というkindle本に私を納得させる話がありました。
彼らは金集めが人生の目的だなどと思い違いするほど小さな人間ではないですよ。では、何のためにそれだけの金を集めているのだと思いますか?」
「頑張らなくても、一度巨大な集金システムが動き始めると、どんどん金が集まってきてしまうんじゃないですかね」
「甘いですね。そんなわけないじゃないですか。金を集めるのはそれなりの知力を結集し、面倒な作業をしなければできませんよ。
 答えを言ってしまえば、ある目的のために金が必要だからです。
 その目的とは、簡単に言えば、この世を終わらせることです」
「この世を終わらせる? 何のために?」
「さらに上の意思に従うためです」
「この世界を動かしているごく一部の人間より上の存在というのは、神と呼ばれる存在ですか?」
「神……ねえ……。まあ、なんでもいいですよ、名称は。名前があったほうが便利なので、そう呼んでおきましょうか。人間よりは優れた能力を持った生物ということですね」
「生物……なんですか? 人間や犬猫同様に、形のある生物?」
「もちろんです。私はそう思っています。そうじゃないと、あまりにも宗教的な話になってしまうので、収拾がつかないですよね。
 聖書を読んでみても、神に相当するものは明らかに生物です。人間によく似た生物。もしかすると、肉体は人間と交配が可能なくらい近い生物かもしれない。ただ、知能はずっと優れているらしい……。
 この世が終わることは、人間が決めたことではなくて、人間を動かしている別の生物が決めたことです。その生物を神と信じ、自分たちは神にいちばん近いところにいると思っている人間たちが、神の計画、つまり、現代文明社会を一旦終わらせ、世界をリセットさせるという計画を実現させるために動いている。
 金の力……つまり、経済はそのための手段なんですよ。
 彼らは、自分たち、あるいは人間のために経済を動かしているわけじゃない。神のために経済を支配し、コントロールする。そうした使命を自分たちは担っていると信じている」

この本、こちらで途中まで無料で読めます。過激なタイトルですが、いろいろと出回っている話をうまくまとめて読み応えのある内容となっています。おもしろかったです。


『神にいちばん近いところにいると思っている人間たちが、神の計画を実現させるために動いている。』
『神のために経済を支配し、コントロールする。そうした使命を自分たちは担っていると信じている』

これは説得力あるなと思いました。もう少しあとのほうで、
ただ、神には逆らえないことだけは分かっている。だから、神が決めた通りのシナリオを自分たちが実行することで、最終的には救われるのではないかと期待しているんでしょうね。
という文章があります。

そういうことなのかなと納得したのですが、もしそうだとしたら、その神が今の世界の問題の根源に座することになっておもしろいなと思います。

今公開の映画「あなたを抱きしめる日まで」を見ましたが、修道女の最後の言葉は、宗教がいかに視野を狭め、偏狭的になり得るかを見せてくれるなあと思いました。
一つの正義や信条のために、違う状況が見えなくなってしまうとこわいです。
オウム真理教もそうでしたね。

経済的に不安な時期には、こうすれば救われる、こうすれば儲かるという話に気をつけたいですね。


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昨日は「気づきと共鳴のお茶会」の日でした。

祝日週末明けの月曜の午後という、あまり人の来そうにない日時でしたが、あっという間に満席になりました。ありがとうございました。
聞いてみれば、参加者のみなさん、たまたまこの日が都合良く空いていた方が多く、来るべくしてこられたのでしょうねえ。

今回はいろいろ話をする会ではなく、静かに感じながら深い意識に入っていこうというものでした。
なので、話は少なめにするつもりでしたが、けっこう話もしたかもしれませんね。


私たちは普段ほぼずっと何かを考えています。
瞑想に慣れていない人は、たまに瞑想をしようとしてみると、すぐに雑念が生じて、思考を止めるのはとても難しいことだと感じます。

しかしマインドや思考を静めるのにとても簡単な方法があります。
みなさん、すぐに無思考状態になりました。

その状態になっているときは何も考えてないんですね。
その状態を保ちながら視点を変えていき、まわりを視野に入れていく練習をすると、常に自分の向こうのもう一人の自分の視点を保つことができます。

そうしながら、いかにして心地良い気持ちを広げていくか。
それができるととても心地良くなります。

そうなっているときは他のことは考えられませんので、悩みやネガティブなことはその時は発生しません。
その気持ちを保つ時間を増やしていけば、自然とネガティブ思考は消えていきます。


そして、私たちが普段気づいていない日常のさりげない数々。
この日のひとりひとりへのメッセージ。
静かな湖に一滴の滴をたらすこと。(比喩ですが)

などなど、いろんなことを感じていき、いろんな話もでました。

また言葉でないところでの関わりも促し、みなさん、終わる頃にはすっかりほっこりされてました。
おいしい紅茶と食べ物も多いにサポートしてくれ、豊かなときを過ごすことができました。

参加されたみなさま、豊かな時間を共有していただき、ありがとうございました。
静かにゆったりと過ごすことは大事だなーと思いました。


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今さらいうまでもないが、今回の大雪の件で再び明らかになったこと。

日本政府やメディアは人命より経済を優先させる。

山梨県などでの大雪でたくさんの人々が孤立した状態になっても、テレビではあまり報道しなかったらしい。
私の家にはテレビがないので見てないが、一度よそ宅でテレビを見る機会があった。

確かにオリンピックの放映が多く、雪被害のニュースは少ししか流れてなかったので、それだけ見ていたらたいした被害には思えない。
インターネットに流れていた情報は大げさだったんだなと楽観的に受けとることさえできる状態だった。

どこからどういう情報を得ているか、でずいぶん見える世界が違うと思う。


そして流れ続けるオリンピック映像をずっとそのまま見てしまう。
次々にいろんな選手のいろんな競技がでてくるので(あるいは、くり返し)、何も考えずにオリンピックをずっと見続けてしまえるなあと思った。

オリンピックに限らず、テレビってそんなものかもしれないけど、すごく受け身で生産性がない行為だなあと思った。
もちろん見る人や番組によっては得るものがいろいろとあると思うけど。


企業というものはいろんなしがらみがあって、個人的な思いは抑えないといけないんだろうけど、それにしても悲しい事情だ。

大きな歯車の中に組み込まれて、心を殺さないと生きていけなくなる。
それで心を痛めているのならまだ救われるが(本人は救われている気はしないだろうが)、もっと怖いのはいつのまにやら無関心,無感覚になることだ。

映画「マトリックス」で「システムは敵だ」といっていたが、そうだと思う。
いつのまにやらシステムの中に組み込まれ、本心を見ないように見ないようにと教えられ、いつのまにやらシステムにとって従順な奴隷となってしまう。




良い指導者や君主、政治家は国民のことを考える。
常に幸せな国民ありきで行動が伴う。

例えば、天皇陛下はご自分で直接指揮したり、行動したりするわけではないけれど、常に国民や日本国の幸せを願っておられるであろうことは想像に難くない。

本来、国を動かす地位にある人もそうあるべきだろう。
理想論かもしれないけど、指導者はどうしたら国民が幸せになるか?国が安泰するか?を考え続ける人で、その方法の一つとして国を経済的に豊かにすることを考えるべきだろう。

それがいつのまにか経済成長が中心となり、人の命よりそれを発展維持させることが優先事項になってしまっている。

真剣に国民のことを考えていないのだろう。
もとより住んでいる世界が違いすぎてわからないのだと思う。

マリー・アントワネットが、飢餓により反乱を起こした民衆に「パンがなければお菓子を食べればいいのに」といったという話があるが、それに近いような気が、、、。

それこそテレビを見ているがごとく、ずっと遠くで起こっていることのように感じているんだろうね。

お偉方さまが無関心,無感覚になったとしても、国民の大半がそうなったとしても、一部のそうでない人はちゃんと目を覚ましていよう。

それがとても大事だと思う。

政治家も含め、無関心,無感覚に陥っている人たちはシステムの犠牲者なのかもね。


寒さで震えている少年がひとりバス停にいた。その時人々は?(ノルウェー)


ところで、浅田真央ちゃんのフリーは見てないけど、ホント、よかった!
感動をありがとう!といいたい。
インタビューはYouTubeで見たけど、こういう時はテレビが見たいね。
誰か、YouTubeにアップしてくれ〜。

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先日の「コミュニティガーデンをつくろう」の会でワークしたことをまとめました。

コミュニティガーデンに興味あるないに関わらず、この先の社会にどうなってほしいか?を想像することは大事ですので、一つの例としてここにあげます。

自分ならどういう社会を望むのか、
自分自身のこれからや自分の子供たちに託す未来。

そうなるかどうか、できるかどうかはともかく、まずは想像してみること。

こうなったらいいな、こういうものがあるといいな、こういう機能やシステムがあるといいな、と自由な発想で考えてみてください。


<コミュニティガーデンに求めるもの>

◆森作り

  都市に森、里山を作る。都市の緑化
  そのガーデンの象徴となるような大きな木がある
 
◆町の景観

  都市に緑が増える。景観がよくなる。
  都市の中で緑に囲まれた安心できる空間 → 心が和む。救いの場所。
  廃墟を改築。

◆自給自足、循環システム作り

 ・食料
   安心、安全な食べ物を自給する
   身近な野草、薬草、野菜を共に育てたり、料理して食べたり。
   (できれば福島方面の人に送りたい)
   ガーデン内で育てた果樹、野菜を使ったもので加工する(ジャム、乾物等)
   災害時の食も確保

 ・エネルギーの自給
   食とエネルギーの自給、自家発電
   太陽光、太陽熱を活かすやり方を見せる場

◆つながり、人々との交流

  地域の人たちとのつながり。顔の見える関係が増える。大きな家族。
  孤立が減る。安心感。
  畑仕事以外でも助け合える共同体
  体調が悪い時に助けてもらえる
  みんなで子育て
  違う世代、老若男女や子供たちの交流

  気軽に誰でも出入りできる自由な空間
   よそ者でも関係なく受け入れ、世間話ができる(閉鎖的でない)
   誰もが参加できる交流の場、友達ができる出会いの場
   転勤族でも地域に馴染めるウェルカムガーデン
   音楽や踊りやスポーツを一緒に楽しめる仲間
   
  協働。一緒に作業して共に感動できる
  次につながる期待できるイベント
  交流から行動へ

◆安心、憩いの場

  人の本来の姿を考えることができる場所
  エンパワメント ー 居場所、つながり、役割
  笑顔が増える
  何か始めてもいいし、なにもしなくてもいい(どんな人でも居場所がある)
  緑の中でリラックス
  収穫の喜び

◆学び,知識の共有、文化の伝承,継承

  地域の歴史や伝統を語り継いでいけるような大人と子供が入り交じった場
  身近に初心者に教えてくれる人がいる
  高齢のおばあちゃんの暮らしの知恵や生活の道具を伝達する

  手作り、昔の知恵や技術を学ぶ場
   地域の祭、たき火、もちつき
   大阪在来種を育てる
  
  ・寺子屋
  ・ものつくりスペース(DIYなど)
  ・野菜作りのノウハウ、コンポスト作り
  ・土作り
  ・育てたものの加工、保存方法を学ぶ
  ・環境について学ぶ(考える)
  ・地元学:なぜその地域なのか? 地域資源

◆物々交換、お金のシステム

  道具や知恵を貸し借りできる関係。
  物や保存食等、物々交換、融通ができる。
  あるものを活かす。 
  貧困連鎖を防ぐ。脱お金

◆被災地の支援

  福島(方面)の人とつながったり、受け入れたり

◆施設

  ガーデン内に物を作る工房、作業場がある
  カフェレストラン 
  泊まれる場所があるガーデン
  寺子屋
  子供が自由に遊べるのっぱらがほしい

◆防災、防犯

  顔見知りとなることで防犯となる。
  災害時には助け合える。

◆チャレンジ、実践

  行政に働きかける。どうチャレンジする?
  パーマカルチャーで勉強したことを実験、実践してみる
  都会の限られた環境で何ができるか、どうしたら可能になるのかを実験する。

  鎮守の森をみんなの場所に(自然教育、憩いの場) 例:垂水神社
  公園や緑地をみんなのガーデンにする
  北千里の団地の庭作りが始まったとか?
  若狭にみんなのガーデンを作りたい


*「共」の体験をしてみる。
 どんな気持ちがするのか?どんな問題が発生するのか?
*みんなでやることで一人の負担が減り、また技術やアイデアも向上していく。
*意識変革、行動へつながるきっかけ
*今まで関わることのなかった人たちと一緒に土をさわってグリーンを育てることで共存意識を作っていく

次回の会は3月15日(土)14:00~16:00 大阪吹田 モモの家にて開催です。
コミュニティガーデンのつどい


コミュニティ考現学 第3回「世界に拡がるコミュニティガーデン」




2014年度パーマカルチャー塾
募集中です!


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高尾山の食事会とその次に高尾山に行く間に、もうひとつ天皇つながりでの出来事がありました。

昨年お世話になった方が京都に来られるというので、会いましょうということになりました。
嫁ぎ先の家系が清和天皇にご縁のあるところだそうで、京都の水尾の里にある清和天皇陵に行ってみたいと言われたので、ご一緒することになりました。

清和天皇って全然知らなかったので、どういう方だろうとググってみたら〜〜、なんと!

9歳で即位した日本史上初の幼帝で、政治の実権を握ったのは母方の祖父、藤原良房(よしふさ)。

摂政や関白など、藤原氏が好き勝手に振る舞う「摂関政治」は、このときが始まりで、この先、時代の中心となるのが藤原氏なのだそうです。

そして在位中に、富士山、阿蘇山、出羽鳥海山、開聞岳の噴火、多数の地震と大干ばつ。

876年は平安京の中枢部が火災で焼失。
この年、清和天皇は陽成天皇に跡を譲り、出家してしまったそうです。


850年 誕生
858年 即位(9才)
864年 富士山噴火
866年 応天門の変。大干ばつ
867年 別府鶴見岳、阿蘇山の噴火
868年 京都で有感地震(21回)
869年 肥後津波地震、貞観大地震
871年 出羽鳥海山の噴火
872年 京都で有感地震(15回)
873年 京都で有感地震(12回)
874年 京都で有感地震(13回)。開聞岳噴火
876年 大極殿が火災で焼失。譲位
878年 関東で相模・武蔵地震
879年 出家。京都で有感地震(12回)
880年 京都で地震が多発(31回)。死去(享年31)

 「ハザード・ラボ」より

相当、心が痛んだ人生だったろうなあと思います。

即位したけど、実権は藤原氏に握られ、自然界が大暴れ。

藤原氏が実権を握った時にこのように天災が起きていたとは知りませんでしたが、日本の自然界の精霊たちも納得がいかなかったのかもしれないですね。

天皇でなければ、天災が多くても自分事のようには思わないでしょうが、在位中の話ですから、自分のいたらなさを嘆き、心を痛め、日々を過ごされていたことと思います。
出家も当然の成り行きかと。


この流れを見ると最近の日本の状況を彷彿させますね。

実際に富士噴火や大地震の誘発は起きてないですけど、起こり得た状況ではあったと思います。
このような最悪の事態はもうすでに免れたと思いますが、これからの権力者の行動如何ではまだありえないことではないでしょう。


大昔は天津神系と国津神系(という言い方がいいかはともかく)は仲良く暮らしていたけど、何者かが権力を握るために対立構造を作り出してわざと争うように仕向けてしてしまったということを感じ得た話は以前書きました。

藤原氏もまさにその仕掛人です。

時代をさかのぼると他にもそういう仕掛人がいるでしょうが、天皇家と土着民を対立構造にしたのは藤原氏なのかもしれません。歴史は詳しくないのでわかりませんが。

今も権力者たちが天皇と国民がつながらないようにしていると思います。
(精神的に中空構造にならないように)


そういうことを考えていた矢先に、清和天皇陵に行くことになるのもおもしろいです。

京都市内の嵯峨野の北の山奥の水尾というとことにあるのですが、クネクネとした山道をけっこう走ります。
初めて水尾に行ったのですが、京都市内にこんな隠れ里があったとは!と驚きました。

柚で有名なところで、たくさん柚の木が実をつけていました。
私は柚は大好きなので買って帰りました^^


清和天皇陵はそんな山奥のそのまた山道を少しあがったところにあります。
若いうちからたいへんな人生だったでしょうから、人と会いたくなくなったんでしょうね。
心を休めるためにこの地を選ばれたんだと思います。

権力からも名誉や地位など人間臭いものから離れて、ひっそりと心休めたい、そんな気持ちだったんだろうと思います。


御陵はとても気持ちの良い山の中にあるのですが、お参りして思ったことはとても安らかにいらっしゃるということでした。

出家してからの数年、色々と思うところあったでしょうが、人間的なところや俗世から離れ、自然に触れ、静かに過ごすことでご自身の心を癒し、浄化し、自然界と通じることができたのではないかと思われました。

藤原氏に政権を握られ、天皇としての自分の存在を常に問うておられたでしょう。
数多くの天災はそのせいでだとして自分の無力さを嘆いておられたとしてもおかしくないです。
権力に対しても、自然界に対して何とも言えない思いを抱いておられたでしょう。


けれども出家後、自然界とはなにか?というところで開眼されたのではないかと感じました。
言い方を変えれば、自然界が彼に心を開いたことを彼が感知したということです。

つまり彼は自然と一体化したのだと思います。

それゆえ人間の地を避け、めったに人が来ないような山奥にお墓を望み、自然界とともに過ごしたかったのかなと。


人生のほぼ全部を地震や噴火などとともに過ごした方ですが、それ故に深く自然と通じることになったのかもしれません。

また別の言い方をすれば、もともと自然界と深いつながりがあったからこそ、そのような境遇のもと天災続きになったのかもしれません。

自分がそれほど自然界と深いつながりがあるのを知って、その本質とつながり、すべてはなるべくしてなったと最期には心安らかになられたのだと思います。

感慨深い人生だなあと思います。



そして、、、

即位を譲られた清和天皇の第一皇子の陽成天皇の時はどうだったんだろう?と調べてみると、天変地異のことは出てこないのですが、ご本人が天災的な暴君だったとされています。

が、そのようになるに至ったいきさつを思いやると心痛みます。


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さて、ウィキを開いて、「日本」を見て改めて驚いた。
下記図なのですが、

30)


菊花紋は国章なんですね。

国章というものを私は知らなかったのですが、
国章(こくしょう)は、国家を象徴する紋章や徽章のこと。一般に国旗よりもデザインが複雑なため、その国の風土、歴史、文化などが象徴的に表現され、その国を理解する上で国旗よりも多くの情報を読み取ることができる。(「国章 - Wikipedia」

ということだそうです。

実際、他国の国章をみると複雑なデザインです。
日本の菊花紋はそれに比べてシンプル。

それはともかく、日の丸と菊花紋が並んでいるのを見比べてみてください。

国旗と国章がこれってすごいなーと思います。
とてもシンプルなんですが、ダイレクトに宇宙の仕組みや生命の成り立ちを表していると思います。

日の出の赤い太陽と天頂に昇った黄色い太陽とも見てとれるし、細胞が分裂をくり返している過程のようにも見えるし。
天と地、物質と精神、ひとつと多数、いろんな見方ができると思います。

また二つを合わせ見ると、トーラス構造がみえてきます。

だれがこれを国旗と国章にしたのかは知りませんが、これは国旗というよりシンボリズム的な要素が濃いと思います。

たくさんの意味が含まれるからこそ象徴なのですが、こんなしるしをもっているのなら、日本が特別だうんぬんといわれるゆえんがわかるような気がします。

私はあんまり日本は特別であるうんぬんという話は好きでないですが、これから日本が要になるというのは言えていると思います。

こんなマークを国家、国章にもっている日本人はよくよく心すべきじゃないかなと思います。

これを以前のように国家神道的に利用するのもこのかたちではあり得ると思いますが、もうそちらの方向は新しい地球の枠組みとは違うので、国がそちらに向かおうと国民はそうでないことを祈ります。


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あなたへの新年メッセージを悦月(えつき)が書き下ろします!
詳細はこちら!→ 「自分に捧げる言葉・2014 新年メッセージ」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

白山に登った話を書き終えたと思ったら、とあるところからホテル無料宿泊券が当たったと連絡が来ました。

そのホテルの名は「グランドホテル白山」(笑)

美濃側ではなく、加賀のほうなのですが、これは来年、美濃禅定道〜加賀禅定道を歩けということなのか?それとも今回のご褒美か?

笑ってしまいましたー。


だんだんとわかってきました。
今回の白山登拝を通して、私が今向かいつつある統合のプロセス。

外のかたちとしては、白山系と皇家系のタブーの両極を超えたところでの統合を追求しているのですが、内面的にはそれに象徴されるもの、土着的なものと神聖なものでもいいし、邪と聖でもいいし、欲望と愛、辛と幸、自由と統制などなど、これ!というのではなく、漠然とした分類分けですけど、そういうことなのだなあと思います。

ただ、1+1=2のように、二つの両極のものを合わせて統合するというプロセスではなく、響き合うところで一つに溶け合うというような、「統合」「和合」というより「融合」「共鳴」なのでしょう。

もちろんこれは私だけの話ではなく、私たちが向かっているところだと思います。

あえて考えてみれば、「統合」「和合」は理性的になされることで、「融合」「共鳴」は気がついたらそうなってしまっていたというような自然に起こるプロセスに思います。


同じ周波数の音叉を用意して、一つを叩くと、他の音叉はなにもしていなくても共鳴して響き出します。

それと同じように、両極の真髄は実は同じ響きであったというところで共鳴し合うことで,新しいかたちが生み出されていく、そういうプロセスの真っ最中なのかもしれません。


そう思うと、白山の大汝峰に到達し、しかるべき各地を結んでいくとその共鳴が始まってしまうでしょう。

表の世界で準備ができていないうちにそれが始まると、理性は理解不能に陥り、混乱をきたしかねないので、もう少し1+1=1の理解を進めておくべきということでしょうか。


私は自分が体験したことからこのように感じとっていますが、他の人はまた違う状況から情報を得ているでしょう。

表向きは、その人にあった、その人が理解しやすいあり方で物事は示されていくと思いますが、違う体験をしていながらも感じとっていることが似ているのなら、同じ流れの中にいるということなのでしょう。

来年後半か再来年ぐらいには共鳴して響き出すように思います。


天皇の存在に興味を持ち出したら、そちらに関係する流れがやってくるのがおもしろいです。この話はまたのちほど。


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「白山紀行3」からの続きです。

やっと別山にたどり着き、あとは下りで1時間ぐらいだろうと、小雨が降り出したなかを早歩きで進みます。

が、とんでもなかった、、、。

尾根の右側と左側を行ったり来たりしながらえんえんと歩きます。
下りになったと思ったらそのうちまた登りになり。

あとは谷を降りるだけと思っていたので、こうもクネクネと上がり下りしていて、本当にこの道で正しいのだろうかと心配になってきました。

夕暮れも近づいてきて、あたりも薄暗さが出てきます。

一度、沢に降りたので、やっと着いたか!と思ったら、どこにも宿がない!
地図を見ても沢に至る道は載ってないので、もしかして道をまちがえた?でも一本道だったぞ?と思いながらかなり不安になってきました。

山登りで私が一番不安に感じるのは道のまちがい。
「もしかして道をまちがったかも?」と思いながら進む時は血の気が引きます。

もと来た道を戻ってみようか?、それとももう少し進んでみようか?

迷いましたが、とりあえず道が続いているようなので登ってみようと思いました。

が、登っていくところが道なのか、水の流れが作り出した筋道なのかもよくわからず、頭の中ではもし野宿しないといけないとしたら?と考え出しています。

しばらく不安にかられながら歩いていくと普通に登山道になったので、とりあえずほっとして早足で進んでいきました。しばらくしたら足場を組んであるところがあり、人間の形跡があります。そして建物が!

うわー、よかった〜、まちがってなかったーと思い,そちらの方向に進みますが、まるでゴーストタウンのように誰もいなく,どの建物もしまっていて、、、。

なんなんだ、これは?と思いながら進んでいくと、そこはキャンプ場だったみたいで、もうシーズンが終わったようでした。

それで4時頃に宿に到着。だいぶん暗くなってきてましたので、ギリギリセーフでした。よかった。
ストーブがうれしかった。


この夜は外はかなり荒れました。
台風並にゴーゴー風が吹いて雨も降ってたようです。

翌朝起きたら、またガスで真っ白で、風と小雨。
またこの天気かとうんざり。

他の泊まり客も天気予報を見ながら、その日の予定を検討してました。
天気予報では晴れてくるということでしたが、如何せん山の上ですから、どうなることやら。

晴れるのを待ったところでどうなるかわかりませんから、小雨降るなかを出発しました。

この日の予定は、白山の頂上に行き、その後は天気次第ですが、今回の目的地の大汝峰と千ヶ蛇池に行って別当出合に下山の予定でした。

晴れることを願いながら登っていきましたが、昨日以上に天気悪。

室堂から頂上に至る道はかなりの風。
吹きさらしの道で強風がもろあたるので、足を踏ん張りながら小雨の中を登ります。

頂上もやはり強風で立っているのがやっとな感じ。少しいるだけで寒い。
まあ、ここ来るときはそんな感じが多いですが。

IMG_2890
2日間ずっとこんな中を歩いていました。これに横風がつくとホント、気分が重くなります。

以前カーテンを引くようにガスがパアーッと晴れたので、今回もそれを期待して待ったのですが、あいかわらずの天気。

頂上から大汝峰に行くのはあきらめて室堂まで降りて、そこから千ヶ蛇池に行く道を通って大汝峰とに行こうかずいぶんと悩みました。

以前、晴れた時に一度その周辺に行ったことありますが、池まではどうにか道がわかるでしょうが、大汝峰へはまわりが見えないと道に迷う可能性があります。

それに往復3時間、またこの風のなかをひたすら歩くのかと思うと、できないことはないけれど、かなりの精神力と耐久力を有するなあと思いました。

遭難したくはないし、天候が悪いということは今回来いということではないのかもしれない、でもあとちょっとなのに、、などと思い、結局、今回はあきらめて下山することに。


今回の目的地のひとつ、別山の御手洗池は行けましたが、本命の大汝峰と千ヶ蛇池に行けないとはどういうことだろう?と思いながら下山しましたが、下山の時もしばらくは強風と小雨にあおられながらでつらかったので、これはやめて正解だったかもと思いました。

大汝峰に登れたとしても、頂上は強風と寒さでいても立ってもいられなかったでしょうし。

行かなかったことで、つなごうと思っていた最後のちょっとがつなげなかった。

いったいどういうことだろう?

でも私のことだから本当に行くべきであったとしたら、多分行ってただろう。
今回行かなかったのは、どうしても行かないといけないというわけではなかったからだ。

大汝峰と伊雑宮、、、まだ時期早々だったのかもしれません。
急激な変化は混乱を引き起こしますので、異相が開くのはこちらの準備がもっとできてからか?

天候についても、その前に見た夢の一線を越えた感覚を保ちつつの登山でしたから、そこのところ関係しているんだろうなあと思います。

浅間山に登ったときも4回登ってやっとその時の天候の意味がわかりましたから、今言葉にしなくてもいいかと思います。

今回は天気がたいへんでしたが、美濃禅定道は晴れていたらとても気持ちのいい道だろうなあと思いますので、来年は美濃禅定道から登り、加賀禅定道に降りる道を挑戦してみようかなと思ったりしてます。


そういえば、行きの電車の中で読もうともっていっていた本が古事記に関する本だと思っていたのですが、読んでみたら大国主の話がほとんどでした。

大汝峰に向かう道中でしたから、大己貴(オオナムチ)。
たまたまだったのですが、大国主の話を読むことになるとはおもしろいなあと。
その本には、土と深い関わりのある神様だと書いてありました。


ということで、長々と書いてしまいましたが、なんでこんなに書いたのかよくわかりませんが、なにか意味があるんでしょう。あとでわかるのかな?


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白山紀行2からの続きです。

例のエグい夢の体感はその日目覚めたときからずっとあって、山に登りながらもずっと感じていました。
山から下りてからも数日その感覚は残っていたのですが、感じているのをずっと感じていて、自分はこうしながらこのエネルギーを浄化していっているんだろうなと思いました。

せめて別山までは雨が降らないようにと願っていたので、それは叶ったのですが、風については考えていなかった、、、。

三の峰あたりから足も少し疲れてきたかなーという感じ。
ガスであまり先が見えない長い道のりを横風を受けながらひたすらに歩いて、「なにしてるんだろー、自分」と思ってみたり、この天候はどういうわけよ?と考えてみたりもしました。
これ以上天候が悪くならないことを祈りつつ、、。


石笛を吹くと晴れることがよくあります。
それを思い出しましたが、歩きながら石笛はできないので、下り坂や平らな道では口で石笛代わりをして吹きながら歩いていたら、驚いた!

IMG_2874
ちょっと空が明るくなったなあと思ったら、マジ、一気に晴れた!

うわーうわーとこの日初めて見るまわりの風景に感激!

それまではずっと白い世界の中だったので、紅葉に彩られた山々と青空が見えた時にはすごくほっとしました。

もし晴れてたらこの景色見て歩いてるんだなーと。
この尾根を歩いてきたんだなーと。(あるいは、歩いていくんだなーだったかな?)

これまでは景色が見えなかったから写真も撮ってなかったです。

この時晴れてくれて一気に元気を取り戻し、この先、また歩き続けるパワーをもらいました。
ホント、これはうれしかった。いのちが戻ってきた気がしました。

しかし、石笛は本当に空を晴らします。すごいなーと思いました。

この景色を楽しみながら,晴れ間も見えたりして、これから晴れてくるかもー?と元気一杯に歩きましたが、しばらくするとまた白い世界がやって来て、それからだんだんと風がきつくなりました。
登り坂になり、口石笛を吹いている場合でもなくなり。

IMG_2877

そのうち目的地の一つ、御手洗池に到着。

御嶽山の二の池に行った時、背筋がぞくっとする異次元空間がそこにありましたが、こちらはそこまでではなかったですが、やはりぞくっとしました。

風がこちらに向かって吹いてくるので池が波打つのですが、その波が龍か蛇かなにかの化身のようです。
異次元というより、この時ここは異界でしたね。

IMG_2880
しばらくお祈りしたりしていたら、ありがたいことに霧が晴れ、池がよく見えました。

全体が見えるとけっこう普通です。(二の池もそうだったなー)

でもありがたかった。
感謝。

そして、もうすぐ別山頂上だーと再び歩き始めましたが、別山に着く頃はぴゅーぴゅー風はきついし,小雨は降り出すし、あいかわらず濃霧。

IMG_2884

お社のすぐ上に頂上(2399m)があるのですが、風がかなり強くて寒く、あんまりそこに立っていられません。

晴れてたらいい景色だろうなーと思いながら、寒いので、早々に次をめざして出発。

別山まで来たから、あとは南竜ヶ馬場山荘に向けて谷を1時間ぐらい下山していくだけだー、もうちょいと思ったのですが、それからがまたたいへんでした、、、。

続く、、、。


21)
http://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/publish/sizen/documents/sizen21.pdf

ルートは、下にあるいとしろ大杉から赤ラインに沿って南竜ヶ馬場まで行って一泊、その翌日、御前峰と大汝峰に行き、別当出合に降りる予定でした。
一般的なコースは別当出合から御前峰への道3時間半〜4時間ぐらいの登り。
4倍ぐらい長い道のりを歩いてますね。3県にまたがってるんですね。


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前回の続きです。

やっと白山に登りにいく日が決まったけど、どうもその日は天候悪。
翌日は晴れみたいなんだけど。

でも一日延期するという案は私の中に出てこず、どうにかなるだろうと雨が降らないことを願いながら石徹白に出発。
行く前や道中にもいくつか良いサインが出ていて導かれている気がしましたので、あまり心配はしていませんでした。

が、前夜のニュースによると、かなりの悪天候で雨風きつく、突風に注意とのこと。
晴れることを願いながら眠りについたのだけど、翌朝は小雨。

どうしたもんかなあ、、と思っていたら、何度も白山に登っていたというお宿のご主人さんが「この雨は午前中には止むよ。上の方は降ってないかも?」とありがたいことを言ってくださった。

それに勇気づけられ、登ることにしました。
途中で引き返すことも視野に入れて。

登り始めたら雨もだんだんと減り、途中からは霧のみ。ありがたい!

長丁場の登山なので坦々と登っていきました。
時間は十分あるはずだったので、どちらかというとゆっくりめで歩きました。

最初の避難小屋まで1時間半。
難なく着いたので、とくに休憩せずそのまま歩き続けました。

次の避難小屋までは1時間50分。
濃霧で景色が見えないのが残念でしたが、雨があんまり降らなかったのがありがたかったです。

ここでランチ休憩をしました。
ここからは宿泊予定の南竜ヶ馬場まで避難小屋はありません。
別山まで一時間半歩いて、そこからまた1時間ぐらい(と思っていたけど,そこからが長かった、、、)、隠れるところがないわけです。

ガスで視界が悪く、時々小雨が降る道をこの先2時間以上もひたすら歩いていくのかーと思うと、これからは精神力が勝負だなと思いました。

濃霧もいい、小雨もいい、けど両方がセットになったうえ、風が吹いてくるとうんざりします。

また初めて歩く道で、尾根づたいに行くのですが、どういう道なのかわかりません。

私は修験のような険しい道は好きではなく、緑の中を歩く方が好きです。
岩山の尾根づたいを雨風の中、2時間も歩いていくのはごめんだと思いながら、降り出してきた小雨と風と霧のなかを出発しました。

ここからは風がきつくなってきて、ところどころではかなり吹いていました。

ありがたいことに、この尾根の山道は周辺に木々が生えていたので、岩山みたいに吹きさらしではなかったです。
それをありがたく思いながらも、時々は岩づたいにいくところもあり、風がかなりきつくなってきて、まるで台風のような風のときもあり、岩にしがみつきながら行くときもありました。


それでも生命の危険を感じるほどでなく、許容範囲でしたが、ずっと吹き続ける風はかなりストレスになります。

また道中ずっと、二日前に見たあのエグい夢の一線を越えてしまった感覚がずっと体感として残っていて、それを感じながら歩いていました。

今思うと、それとこの天気は関係あったんだろうなーと思います。


続く、、、


最近、じっくりと時間をとってブログを書くことができないので、ちゃんと書こうと思うとなかなか更新できないし、読むのも長くなってめんどうだろうから、これからは気ままに書ける分だけ書いていくかたちでいこうと思います。

いつも読んでくださり、ありがとうございます〜


なんでこの話を書いてるんだろうなーと思いますが。
なんで私、こんなにして山に登ってるんだろうとも思いましたけどね。


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昨年好評を得ました「自分に捧げる言葉・2014 新年メッセージ」を今年も行ないます!
おひとりおひとりに向けて、2014年の新年ショートメッセージを悦月が書き下ろします。

このブログによく載せているえなふメッセージと同じようなものになります。

お申し込み&詳細はこちらです!


2012年末、アセンションやマヤ暦終了で話題になりましたが、ついに2013年も終わろうとしています。
2012年末で、「時間」が確実に変わった(直線的時間概念の終わりと主観的時間の始まり)と思いますが、この一年間もいろんな見えない変化がたくさんありました。

新しい時代への移行期という位置づけが適しているような2013年で、今年の前半は古いマインドのとらわれから離脱するための時期であり、過去の経験や思いを追体験して手放すような流れだったと思います。

後半は過去から解き放たれて、新しい世界に向けて再構築し始めるという流れを感じました。

2014年はその流れを汲んで、その再構築がもっと加速するように思います。

つまり手放すべきものはどんどんと手放す方向に向かい、新しい方向性が少しずつ明らかになっていくと思います。

自分がどのあたりの作業をしているかにもよりますが、できるだけ過去の産物や価値観に執着しないで、自分の本当の気持ちに従って動いていくほうが良い流れに乗っていくと思います。

表向きは、手放すべきものを手放していくという過程において、既存の枠組みが崩壊していくとともにそれを防ごうと抑圧する流れも同時にあらわれてくるでしょうから、そこにはまってしまうと苦しく、暗い未来しか見えなくなってしまいます。

でもそれを包括して俯瞰してみると、すぽっとエネルギーが抜けるところがあり、そこにいると現実枠の諸問題にまみれることなく、新しい流れにのっていけそうです。

どんな2014年になるのか?
今年よりハードかつエキサイティングな年になるように思います。


「自分に捧げる言葉・2014 新年メッセージ」のお申し込み&詳細

どんなメッセージが来るかな〜?


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白山の話を書こうと思いつつ、その流れで書いておくことが、、、と書き始めたら、またいろいろと広がってきたんですが、天皇という存在がキーポイントとなってきたようです。

来週24日(月)に高尾山薬王院での精進懐石の会を開催していただくことになりました。

私の中で高尾山というアイデアは全然なく「なんで高尾山なんだろうな?」と思いましたが、つながりが見えてきました。

以前、戸隠や飯縄山に何度か行くことになった時、高尾山のことも知り、行ってみたいなーと思っていました。トンネル建設反対の頃でした。

高尾山を調べてみると、最初は気づかなかったのですが、数年前、火渡りのお祭りに行ったことがあるところでした。すっかり忘れてました (>A<)


高尾山は飯綱権現さまです。
私は戸隠近くの飯縄山に2回登り、その時「烏天狗の本当の姿を知れ」と言われ、その流れから八咫烏や天皇や賀茂氏などにもつながっていきました。
修験ではなく、自然のカミさま、精霊たちというところでのご縁だと思っていますが、今回なんだろー?と思えば、高尾駅近くには皇室墓地があり、大正天皇陵・昭和天皇陵はじめ4陵があるということがわかりました。

最近、ブログに天皇という存在について書いていて、だんだんと「天皇」がクローズアップされてきていますが、その関係か?と思い当たりました。


また、富士山〜高尾山〜江戸城(皇居)と龍脈が流れていたそうですが、新しく建設された圏央道のトンネル(2012年3月25日15時開通)がその龍脈を切断してしまったそうです。

それにより皇居の結界が破れ、東京のバランスも崩れ、封印されてきたモノたちがでてくるかもしれないとのこと。

そうなると私が今、関わっているところとも関係してくるかなーと思います。


圏央道って大きくぐるりと東京湾をまわるかたちになっているから、新しい流れを作り出すんだろうけど、どうなるんだろうね?
東京スカイツリーも風水的に良くないと言うし。

と、この動画を見てうなってしまいました。



私自身が西日本出身だからか、あんまり東日本への関わりはなかったけど、8月から毎月東京へ行くことになったのも、白山〜天皇という流れも、高尾山の会もなんかつながってきたなあ。
今までの私の領域ではなかったんですけどね。

こちらのブログ、「スカイツリーは東京の風水結界を崩すロンギヌスの槍である。」が参考になりました。まだ自分の中ではこんがらがっているので、もうちょっと整理しないと。

陰謀説には私はあんまり力を注ぎたくないのですが、今回は天皇家の本来の役割を戻すまいとする人為的働きが動いているように思います。

「カモが動く」と私に来ていたのはそれを阻止するための動きということでしょうか?
思わぬ全体像がだんだんと見えてきました。

「天皇」という柱が本来のあり方を取り戻すと困る方々がいらっしゃるのでしょう。
そうなると日本(人)が目覚めてしまうから。


高尾山の精進懐石の会が決まった時にはこんなことは思ってもいなかったのだけど。紅葉がきれいだといいな〜ぐらいだったんですが(笑)
こりゃ、確実に呼ばれたなという気がします。


高尾山の精進懐石の会の詳細はこちら


よろしかったら一緒にお食事してお話ししましょう〜。


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前回からの続きです。
また「境界の発生」からの引用が多くなります。

話は人身御供、供儀になっていきます。
レヴィ・ストロースによると、供儀の目的は関係の設定だそうです。
犠牲の神聖化によって人間と神との関係が確立されると、つぎに、供儀の儀礼はその同じ犠牲を破壊することで、関係を断ち切る。そうして連続性(自然)の中に、非連続性(文化)は導入される。


供儀にささげられる聖化されたイケニエは、人間/神・内部/外部・俗/聖といった二元的対立項をつなぐ媒介者です。
その犠牲を破壊(殺害)することで、この二元化された世界、共同体や日常生活から異界、不浄(穢)が切り離されます。

それゆえ供儀は境界の設定・維持・更新に関わる共同体の儀礼メカニズムとなります。


また、今村仁司氏は供儀論を第三項排除論として、境界の設定とは秩序の生成でもあり、供儀とは秩序創出のための暴力ないしメカニズムであるといいます。
供儀には『殺害する・聖別するという二重化された意味がはらまれている。』

供儀は常に<置き換え>を本質とする。供儀のイケニエは、共同体の成員間にとびかう相互暴力を一身に背負わされた第三項である。たった一人の犠牲者に加えられる破壊と殺害は、置き換えられた暴力なのである。原型的には、王こそがそうした第三項の役割をになう存在であるが、多くそれは共同体内部の周縁性をおびた者に肩代わりをさせられる。さらに、この役割は共同体の外部に転移される。供儀の暴力はひたすら遠くへ、外部へと差し向けられるのである。(中略)外部に向けた暴力だけが、反作用によって共同体を汚染する危険がないからだ。


共同体の成員と同じ関係を結ぶことのできない周縁的、奴隷的な者が共同体の人々の穢れを一身に背負ってイケニエとなることで穢れが祓われ、再び、共同体の秩序が創出されます。そこでイケニエは穢れたものから聖なるものへ反転し、周縁から中心へと移行します。

天の神の降りてくるようなところをこしらえて、そこへ捧げ物を捧げる。捧げる物は、天の神の指定したもの、すなわち、先天的に身体に特徴のあるもの、条件つきの病気にかかったもの、あるいは結婚法を誤ったもの(親子婚が代表となる)などである。誤って結婚をしたら、それはけがれであって、その蔭には神の使うている女を犯した者と同類とする考えがある。けがれとは、神の物として指定されたもので、そういう者を神に捧げる。それがしだいに刑罰の意味を生じてくる。(折口信夫全集ノート編第五巻)


供儀は共同体の秩序を保つためのもので、イケニエはアウトサイダー的な人物であればあるほどよく、その方が共同体がまとまりやすいし、その殺戮が正当化されることになります。

異質なるものをタブーとし、排除することで自らを正当化する。

この二元性の世界において常に行なわれてきたことではありますが、もうそろそろ私たちはこの次元を超えていかねばならないでしょう。
だから今,私はこのようなところを見直しているんだと思います。

職場や学校でのいじめ、上下関係、地域での村八分、同胞意識、序列意識、差別、戦争などすべて大なり小なり似た心理が働いているでしょう。

村の身代わりの要件は、村落共同体に扶養され、しかも村落の正規の成員から排除された存在、ということであった。日本の中世村落は、そうした身代わり=犠牲となる乞食を村抱えで養っていたのである。


古代ギリシアでもそうだったらしいです。
また、話は飛びますが、『災気を除かれた清浄なオホギミ天武の対極に、罪=穢れを一身に背負わされた奴隷=賤という虚偽の構造が創り出された』と他の章に書いてありました。

白山系と天皇との関係にはこういうことがおこっていたのではないかな?と私は考えます。
しかしながらもともとは(あるいは一部の)穢れを背負う側は、積極的犠牲というか,それを知りつつ、誇り高くそのようにしたのだと思います。

これは裏を返せば、ものすごく高貴で謙虚であり、無償の愛であるのではないだろうか?と思います。

私たちが日常生活において、この部分に気づき出すことがこれからとても大事なように思います。

また、天皇家ご一家も、清浄,神聖という反対の立場において全てを背負い、無償の心でもって私たち国民に人知れず尽くしてきてくださっていると思います。
生まれた時からそのような存在としてご養育を受けられたとはいえ、高貴で敬虔なお心をお持ちであるからこそできることでしょう。


『古代の罪・死・病にまつわる穢れは、一過性の、ハラへやミソギによって浄化しうる性質のものであった。』『穢れ(死・病・罪にかかわる)は人間にとって外的なものにとどまる』

が、『中世にいたると、病=穢れを身に背負い、死=穢れのキヨメにしたがった癩者・不具者・乞食らが、厳しい排斥の対象とされた。』『死=穢れ・病=穢れを渾然一体のままに、いわば身体そのものに内在化させた存在として排斥されたのである。』


古代の穢れは外的なものだったので祓うことができたけど、中世には内的なものとなり、その存在そのものが排斥されたということです。

この部分、よくよく省みる必要があるかもしれません。


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アマゾンに注文してた本が今日届いて読み始めてみたら、昨日のブログの続きにちょうど良い内容でした。

憲法改正に仕掛けられた4つのワナ
苫米地 英人
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ディベートで「サンドバック」という方法があるそうです。

『対戦ディベーターの感情を刺激する、あるいは逆撫でするようなテーマをわざと見えやすいところに置き、彼らがそれに飛びつくように仕向けて、有利に論戦を進めていくテクニック』だそうです。

憲法改正もまさにそれで、みんなが論議に飛びつくような派手な改正を掲げ、本当に改正したいところは控えめにさりげなく改正しているとのこと。

だからそれを知らないと危険であると、この本は緊急出版されています。


この改正は官僚が巧妙に仕組んでいることで、彼らの狙いは「国民から主権を奪うこと」と「事実上、国会をつぶすこと」だそうです。

そうなるとまず政治家たちが困るので、彼らが目を覚ませば、それは実現しないであろうとのこと。


ここに天皇のことについても書いてあり、官僚が天皇陛下の呼称を自分たちの権益拡大に使っていると書いてあります。

山本太郎氏が手紙を渡したなんてかわいいもので、官僚がもっと賢い汚い方法でもって、天皇陛下を間接的に利用して日本国を自分たちの好きにしようとしているとしたら、それこそ不敬どころじゃないですね。

山本太郎氏の件で「天皇の政治利用ではないか?」という話が政治家の方から持ち上がったわけですが、これってまさに、「天皇(の政治利用)ってなに?」というところにもう一度目を向けて、私たちや政治家に気づけよってことじゃないの?と本を読みながら思いました。

天からの警告とでもいいましょうか。


この本は、憲法改正についての裏の意図の説明と、改正草案と現行憲法が見開きページに並べて改正箇所に線がひいてあるので、何がどう変わっているかがよくわかります。

たくさんの人に読んでほしいということで、金額も安く500円になっていますので、ぜひ一読を!


途中まで書いていた白山関連の話はどこへやら〜?という感じですが、この話も実はつながっていきます。

白山界、動き出してますねー。

白山に登った話を書こうと思ってたんですが、なかなか到達できない〜。
あっちゃこっちゃ寄り道しながらですが、書いていこうと思います。

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東京へのご縁ができて、しばらく月1回ぐらいの割合で、東京でもセッションをしていくと思います。

10月の東京都内での対面セッションは28日(月)です。

京都の対面セッションは10/22,24,25,26,31 が現在予約可能です。

エネルギーワークはその他の日程でも可能です。
ネームリーディングは10月下旬に結果をお送ります。
(順番待ちにより、長引く場合もあります)

お申し込みフォーム


またもや更新するのに日が空いてしまいました。
8月からあちらこちらに出かけることが増え、なかなかゆっくりと文章を書く時間がありません。

5日の新月はご縁をいただいて、お伊勢参りにいってきました。
外宮の遷宮の日でしたが、「遷御の儀」は夜8時からでしたので、この日は今までのお社への最後の参拝となりました。

20年間の最後と思うと、感謝の気持ちひとしおでありがたかったです。
その後、内宮にもお参りしました。こちらは新しくなったばかりのお宮。

終わりと始まりの参拝となりました。



さて話変わって、今日『「古史古伝」と「偽書」の謎を読む』という本を読んでたのですが、佐藤弘夫という人がおもしろいことを書いていました。


中世にはたくさんの「偽書」が出てきたそうですが、中世の人たちはそれらの真偽をほとんど問うことなかったらしいのです。

現代であれば、文書の真偽、歴史的事実にも基づいているのか?はよく問われるところですね。
場合によっては犯罪や訴訟になりかねないですが、中世では問題なく社会に受け入れられて影響を及ぼしたとのことです。


それはなぜか?

なぜならこの時代は身分や性別や財産、能力とは無関係に、誰でも一定の作法を踏むことにより異界と交流することができると信じられたからだそうです。

あらゆる人が異界にふれ、神仏の声を聞くことができ、それはたいてい夢という出来事であり、人それぞれが内面に超越者に直結する聖なる領域を持っているのがこの時代には暗黙の了解となっていたそうです。

不可解な啓示も当人にとっては真実で特別な意味があり、他者がそれを安易に否定したり誹謗することはタブーだったそうです。


今風にいえば、誰もがチャネリングをしたり,夢の中でどこかに行ったりして、その内容をブログ公開しているという感じでしょう。

それがそのまま受け入れられていた時代だったから、誰も「それはまちがっている」「お前は嘘つきだ」「頭がおかしい」などいわずに、それはその人が体験した世界として受け入れていたようです。

現代もスピ的書物はだんだんとそういう傾向になってきていますけど。


過去の歴史も立場によりいろいろと書き換えられてます。
私たちが今まで信じてきたものをそのまま信用して基盤にして話を進めるのははたして適切か、もしかして大きな偏りがあるのかもしれません。


先日、『「南京大虐殺」は捏造だった』というサイトを読みました。

それが真実かどうかは私にはわかりませんが、もしサイトにあるように日本軍が人道的活動をしていたのであれば、、、と考えたとき、すごく楽になり、癒されました。

そして、ああ、無意識に自動的に罪悪感を背負っているな〜と思いました。
30代後半〜40代以上の世代はほとんどこういう負の意識、罪悪感を背負っていると思います。

30代前半までの世代で、私は「新人類」と読んでますが、この罪悪感がない魂がたくさん生まれてきていますね。


私たちの足かせとなっていたこの罪悪感から私たちはすでに解放されています。
まだそれに気づかずにその幻影を背負っていますけど。

ってことは、これからますます罪悪感に根ざさない自我が目覚めてくるということかな?

今まで自我は、全体からの分離による罪悪感とそれによる自身の存在価値の追及と主張が行動力の源でしたが、これからは自我は全体とつながっている歓喜が原動力となる時代となっていくでしょう。


それに伴い、これから過去の歴史も塗り替えられていくと思います。
衝撃的な事実が明らかになる場合もあるでしょうが、いつのまにやら過去が変わっているという現象も少なくないと思います。

記憶がすりかえられるように,そのうちだんだんと過去はあまり問題でなくなっていくと思います。


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9月半ばに御嶽山に登ってきました。
御嶽山は標高3,067 m、富士山の次に高い火山だそうです。
富士山は私はなかなかご縁なく、まだ登ったことないですから、御嶽山は私が登った一番高い標高ということになります。

8月には立山に登りました。
こちらは一番高い大汝山が標高3,015 mなので、似たような高さです。

道はわかりやすいですが、延々と登っていきます。
途中からガスがでてきたので、また白い世界のなかを登っていくこととなりました。

だいぶん上まで上がり、もうそろそろ着くかな?と、木がもう生えていない岩肌のところの階段を登っていくのですが、登っても登ってもずっと階段があるのみ。
まわりがガスで見えないことも相まって、まるであの世に来てしまったかのようでした。あの世への階段を一段一段登っていっているような錯覚に陥りましたが、その感覚を楽しみながら登りました。


そして宿泊予定の二の池本館につきました。
お宿のすぐ横に二の池がありましたが、その鳥居をくぐろうとしてびっくり!

その鳥居の向こう側に池があるのですが、そこが全く異次元!
どうにも形容しがたいのですが、ものすごいエネルギー
時空が全く違う亜空間でした。

風がこちらに向かって吹いていて、池が少し波だっていて、ガスでまわりは白いんだけど、池の色がエメラルドで、とにかく不思議なエネルギー。

いやはや完全に異次元でした。
言葉で表現できません。写真でもわからないなー。

IMG_2764

池の前で、連れはあわの歌を歌い、私は石笛を吹き、、、としていたら、空が晴れ、霧が晴れ、うわー、すごい〜!ありがとう!と感激。
終わる頃にはまた白い空間になってました。


お宿で夕食をいただいたらおいしい!
お腹がすいていたので、ごはんを2杯半も食べてしまいました。
めったにそんなにおかわりしないのですが。

ここは池があるので、3000mの標高なのにお風呂に入れます。
石けんは使えず、お湯につかるだけですが、冷えた身体を冷やすには十分すぎる天国でした〜。

早めに就寝し、0時頃に目が覚めてトイレに行くんだけど、そこからがたいへん

横になるけど、頭が痛いし、胸がムカムカするし、身体がゾクゾクする。
高山病かなあ?と思いながらもうつらうつらしては意識が戻り、気持ちわる〜、頭痛い〜、ゾクゾクする〜としんどい。寝ては起きてをくり返して朝を迎えます。

夜中、窓から星がきれいに見え、連れは外に見に行きましたが、私はそれどころではなかった。
今考えるともったいないことをしました。
標高3000mで見える星空は格別だったことでしょう

IMG_2775


朝はきれいに霧が晴れ、きれいな日の出でしたが、それにもちょっと出遅れてしまいました。この時もめっちゃしんどかったー。

高熱が出た時に身体がゾクゾクするような感じなんだけど、熱はなく、身体は重いし、気持ち悪し、頭はガンガンする。

昨夜食べ過ぎたのか? 
高山では腹八分でやめておこうと教訓でした

連れは、夜中に右脳がなにかとおしゃべりをしていたそうで、池の存在かもね〜?と話しましたが、私はもののけにとりつれたのか、食べ過ぎか(笑)、ほんと、しんどかったです。。。

出発して歩いているうちに体調は普通に戻りましたから、標高のせいだけではないようです。

IMG_2777

翌朝の二の池は全く違う様子でした。

IMG_2784

左側に小さく見える建物が泊まった二の池本館。
左上の一番高いところが剣ヶ峰で御嶽神社があります。

IMG_2812

翌日は残りの池を見て回り、最高峰の剣ヶ峰3069mに登りました。
ずっと平気で登っていたのですが、酸欠なのか、最後の階段がしんどく、一段一段かなりゆっくりと上がりました。

写真の後ろに見えている池が二の池。その横にあるのが二の池本館。


お天気がよくてホントよかった!
雲に隠れて見えないところもありましたが、それでも十分な眺め。

完全に雲の上です。

IMG_2846


頂上には神社があり、たくさんの人がその前のスペースでくつろいでおられました。私たちもお昼を食べ、ゆっくりしました。

その後、ふと気づいたのですが、神社の後ろに行けるようになってます。
なんだろ?と思っていってみたら、これも感激!!

噴火口の近くでした。
そちらの道は現在入山禁止になっています。地獄谷といわれるところです。
ガスが下から上がってきては消え、雄大な自然の姿がそこにありました。

IMG_2838


神社の前のところは、一の池(現在は水がありません)と二の池が見え、裏では噴火口。火と水の両方がここにはあるんだなあと思いました。

ここの自然のロケーションが絶妙です。
昔の人は車がないから今以上に歩いて登ってくるわけですが、下界と上では気が全く違います。
登ってくる最中、身体はしんどいのですが、気はどんどん澄んでいきます。

頂上に着く頃には、みなさん、いったん死んで生き返ったように晴れ晴れとした気分になったのではないでしょうか?もちろん登った!という達成感もあるでしょうし。

その頂上神社の裏で噴火口が息づいているのですから、死と生が同時に存在しているところでした。
前面にはエメラルドグリーンの池や緑が見えていて生の営みを感じます。

こりゃ、まさに霊山だと思いました。


神社裏の噴火口に気づく人は少ないみたいで、ほとんどの方が前の風景だけを見て降りていかれてました。気づいて良かった。。。

その後、ちょっと下った王滝神社の奥社に行きました。
こちらはその噴火口を頂上の御嶽神社より近いところから拝む形になっていました。こちらも迫力満天ですばらしかったです。

次回へ続く、、。


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