いのちおり - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 女性に向けて

出産はセクシュアルな体験である。

「オーガズミックバース」
これは出産に対する考えや出産経験そのものを
変えるムーブメントなんだそうです。




最近は自宅出産や自然出産への関心も高まってきています。
病院での出産に対して、自然に反したやり方だと
疑問視する意見はたくさん出ています。

「出産は痛い、怖い、たいへん」というイメージがあります。

病院でギラギラと光を当てられ、仰向けになって
足を大きく広げて痛さで叫んで出産するシーン。

なかなか生まれないと、明日は病院が休みだから
と促進剤を打たれる。

生まれても抱っこもさせてもらえず、
すぐにへその緒を切られて、赤ちゃんは
検査のために連れていかれます。

そんな出産をイメージしていたら、
そりゃ不安になるでしょう。

初産だと恐怖と不安が先立ち、
身も心もが緊張してこわばってしまいます。

そんな状態で出産に臨めば、それは痛くもなるでしょう。

これは「出産は痛い」という先入観による部分も大きいです。


セックスをして受胎して子供が生まれることは
素晴らしいことのはずなのに、
セックスは隠さなければいけないこと、陰ですべきこと、
恥ずかしいことのようになっています。

性や女性が、恥ずかしいもの、忌むべきもの、
とされることにより、キリスト教の「原罪」のように、
私たちは生まれながらにして罪を背負っているかのように
命を謳歌できなくなってしまいました。

性の抑圧は、私たちから尊厳と創造性と自由を奪い取りました。
そして歪んだ性への認識が生まれ、
女性は性的快楽物のように扱われることもありました。

これは意図的にそのようにもたらされたものです。
それがすっかり定着してしまっているのが現代です。


しかし女性性の時代になってきて、
いろんなことが変わり始めています。

出産も通常の病院ではなく、
自然出産を好む人も増えてきました。

出産が自然や地球のリズムに乗ったセクシュアルな体験になるなら
出産への不安より期待が増します。

自主上映や詳細についてはこちら→ 「オーガズミックバース」

出産がこんな風に変わると、親子関係、夫婦関係、
家族関係、人間関係、女性自身のあり方など
いろんな面で変わっていくことが予想されます。

出産が愛を深め、命の素晴らしさを表現し、
自分が生まれてきたことを肯定できる、そんな気がします。


現代の出産方法は、自分が生まれてきたことを
肯定しにくいものだと思います。

「お母さんがお腹を痛めて産んだ」というイメージが、
病院の機械的な出産手順を思い起こさせれば、
「お母さん、痛い思いさせて生まれてきてごめんね」
になってしまいかねない。

でも動画にあるような出産であれば、
「私は生まれてよかったんだ。産んでくれてありがとう」
と即、自己肯定できそうです。

性に対する歪んだ認識は人間の尊厳を下げます。

「お父さん、お母さんがやらしいことして生まれてきた」
という認識。

なんかヘンですよね。

「愛し合ったから生まれてきた」ときれいごとを言う気はないですが、
性への価値観が変わると、気持ちが軽くなる女性は多いでしょう。

自分らしくできないという人の中には、男性社会の中で、
女性性が出せずにしんどい思いをしている人も多いです。

「こんな風に振る舞わないと」
「女性らしくするなら、こうならないと」
と社会的な「型」があります。

でもそれに従う必要はありません。
それは「型」ですから。

型に合わせようとせず、自分に素直に
正直に「自然体の自分」でいられると楽ですね。

自分に素直に振る舞うことに対して、
まだいろんな葛藤や抵抗は起きるでしょう。

葛藤や抵抗は、次の段階が見えているからこそ起こります。

ネガティブなところばかりを見てしまうと、
そのぐるぐるループにはまってしまいがち。

実はすぐ横に抜け道があったり、
実はそこはもうこだわらなくてもよくて
先がイメージできないだけなこともあります。

「ここを直さなきゃ」「ここがダメ」と思うより、
自分はこうであるほうが心地よい、やりやすい
ということをまず知ること。

それを受け入れて、それを優先させて過ごすこと。

それができたら、周りの環境もだんだんと
自然にそうなっていきます。

そうして自分であることが心地よくなってきたら、
今度はそれを壊す段階。

新しいこと、自分らしくないと思えることに
挑戦していきます。


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周りの影響を受けやすい”えなフィー” な人たちに。

一番いいのは影響を受けなくなることですよね。
その方が楽。

人に合わせようとするから疲れるし、ストレスがたまります。

なぜ人の顔色を伺って合わせようとするのでしょうか?

影響を受ける一番の理由は、自分軸がしっかりとしていないから。
自分をちゃんと持っていないからブレます。

そこに潜む自分の思いを探っていくと、
あなたにそうさせてしまう思い込みがあります。

人に嫌われるのは悪いことだ、
みんなと仲良くなるべきだ、
いい人にならないといけない、

というような。

何を恐れているのか、探ってみましょう。


大切なのは自己尊厳。
自分を尊重する姿勢。

「自分なんて」という思いは、自分を低める行為。

あなたと一生を共にするのはあなた自身です。

一生涯を共にする人を大切せず、「幸せになりたい」と思うのは
思考と行動がマッチしていないです。


「誰かいい人に巡り会えば幸せになれる」
と世の中の女性は思いがちです。

でもそれは依存です。

「誰かに幸せにしてもらおう」は自分の人生を人に任せてます。

私を幸せにしてくれる人に出会ってない私は不幸せだ、、、。
そういう人がいないから不幸せだ。

なんか変ですよね。
自分を幸せにしてくれる人に出会わないと幸せになれないなんて。

本当は、そういう思考の仕方があなたを不幸にします。

「出会えてないから」というのはとってつけた言い訳に過ぎません。

また、出会いたいなら、いわゆる”運命の出会い”を
引き寄せられる自分になっていることが大事です。

自分の内面が外側に現れてきます。


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先日載せた『まわりの影響を受けやすい女性たち』の記事に
ヒットした人が多かったようです。

自分も「えなフィー」かも?と思ってメルマガ登録してくれた方が
たくさんいらっしゃいました。

「えなフィー」とは私にやってきた言葉ですが、
簡単に言えば、感受性が強く、周りの影響を受けやすい
巫女体質、霊媒体質的な女性のことです。

詳しくは、『まわりの影響を受けやすい女性たち』をご覧ください。

「えなフィーリング」という一斉遠隔ヒーリングを毎月していたので、
そこからこの名前が来たんだと思います。

以前、女性性を活性化するという護符「えな符」を配布していたので、
その流れを汲んでいます。今は配布は終了しています。


えな(胞衣)は、後産の際に体の外へ出される胎盤や卵膜などのことを言います。
民俗学的に胞衣にはいろんな話があります。

生命の神秘。
まさにあの世とこの世を繋ぐものです。

昔は大切なものとされていた胞衣がいつしか汚物とされ、
今は条例により、専門業者により処理されなければならないことになっています。

象徴的ですね。

「えなフィー」な人々が、自己尊厳を失って自分を低く見積もるようになったのも
決して歴史の流れを無視できません。

でも今、また元に戻る動きが生じてます。

えなフィーな人たちが新しい認識を得て変わっていく時期となりました。

敏感な分、傷つきやすく、それが自分を責める方向に向かいがちですが、
しっかりと自己尊厳と自信を取り戻し、感受性や感性を役立てるべき方向に用いれば、
今までと違う人生になっていくでしょう。

今までは男性原理が強い社会でしたから、
彼女らはそこに馴染めず、辛かったでしょう。

新しい流れが始まってきましたので、自己変革していきましょう。

このブログや「えなふ通信」(女性のみ)で
またそのことについて書いていきますね。


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アンダーグラウンド的に続けているメルマガ「えなふ通信」から。

12月のえなフィーリングレポートで、イザナギとイザナミの話が出てました。
年末にきたメッセージは、その部分をもっと癒す必要あり、ということ。

次に進むのにまだ癒すべきエネルギーがあります。
かなり根っこの部分です。
このあたりのエネルギーは「えな符」に通じます。

イザナミの傷。
女性性の集合意識の修復。

先月のヒーリングレポートに
「深層からじわじわときて、表に現れるのは少々時間がかかる」
とありましたが、今、それに取り掛かるべき時期となりました。

年末に「えなフィー」という言葉が出てきました。
また新しい言葉が生まれました。

「えなフィー」とは、あちらとこちらの世界の媒介役になるような
巫女的性質を持った女性たちのことです。
男性原理の時代が始まった後はいい方向に機能してませんでした。

感受性が高い人たちなので、周りの影響を受けやすく、人のことが気になります。

人の気を我が事として受けやすく、ストレスになりやすいので
人付き合いはあまり好きではありません。

争いを好まず、平和主義で、自分がスポンジのような役となり、
周りの毒を無意識に吸収してしまいがち。

そのせいもあるのか、被害者意識や自己否定になりやすいです。

とはいえ、そんなことをしているとは当人は気づいていない場合が多いかも。

周りに気を使い、自分に自信が持てず、迷いが生じます。
人と一緒にいるのがストレスになりやすく、大衆、体制、多数派を苦手とします。

自然や内なる世界に親しみを覚え、もっとそういう世界と繋がりたい
と思う反面、その方面の能力が開花することに恐れを感じています。

自分の才能を発揮したらどうなるんだろう?という恐れがあるのは、
過去世でそういうことをして叩かれた記憶があるのかもしれません。

もしかすると魔女狩りの被害者たちの集合意識につながっているのかもしれません。

が、そのところにつながってしまうとしたら、
自分の中に何かそれに関連する感情や記憶があるということでしょう。

もともとこれらの人たちは見えない世界とコミュニケーションをとり、
それを現世の人たちに何らかの形で伝えてきた人たち。

巫女タイプの人たちです。
女性シャーマンですね。

必ずしも巫女やシャーマンをしていたとは限りませんが、
そういう媒介者的な役割を担っています。

今までの世界はそういう女性たちにとって辛いことが多い時期でした。
仲間はいないし、虐げられているし、変な人だと思われるし、理解されない。

なので、自分のそういうところは出さないようにして周りに合わせて。

キラキラ系、ポジティグ系、ワクワク系などの明るい系がいい、みたいな雰囲気もあったし。

そういうことも含め、イザナミの傷ついたフィールドを回復させる必要性が
今、また浮上してきています。

今までも何年もかけて調整されてきたフィールドではありますが、また
働きかけが必要な時期になったようです。


自分が「えなフィー」に該当すると思った人は、
えなふ通信」に登録してみてください。解除はすぐできます。(女性のみ)

あなたが探しているものがそこにあるかもしれません。
密かに月1〜3回配信しています。

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女性は場の情報を共有したり、個としてより、場やコミュニティなどと自分とを一つと感じている情報空間的な存在だという話を書きましたが(「子宮」という情報場)、先日、以前コピーしたものを見つけて納得しました。
これは、千賀一生氏の「タオ・コード」からだと思うけど、彼の違う本かもしれません。

読みにくいかもしれませんが、男性と女性の悟りの違いについて書いてあります。
この話、もしかすると前にもブログで書いたかもしれません。

悟りについては男性だけが語っているので、女性は違う悟り方をするのではないか?ということはかねがね感じてました。

上の文章を一部まとめると、

男性の脳は左右の脳をつなぐ神経線維が少ないため、世界を分離して見がち。

なので、神性を分離によって理解する

彼らの道はその道へ入ることであって、その世界になることではない

天国や浄土はこの世の向こう側にある目的地である。

一方、女性は、左右の脳を多くの神経線維が繋いでいて、
両方の脳で同時に感じることができる。

そこで、他者や世界から自分を分離するのが困難。

女性の悟りの道は、世界に入り込んでゆく、すべての人間的なものへと降りてゆく道である。

女性は世界を自分の体の一部として知る。自分が世界の一部となる。

女性にとって悟りとは目的地ではなく、自分たちが昔いた場所である



この文章を読んですごく納得しました。

女性は、「その世界になる」んですね。
だから「場」が「自分」になるし、情報を共有しがち。

「個別」となっている今の世界では分離がベースにあります。
自我が育つ頃からその刷り込みは始まります。

人によってはなんとなく違和感を感じながらも、それに合わせていたり、
自分がおかしいんだろうと思ったりしていたと思います。

私もそうでしたが、「個」であることの意識も
また一つの価値観、世界観でしかなかったんだなーと思います。

女性性の時代に向かうにつれ、これらがまた「集合体」としての「個」
(というと矛盾したような言い方ですが)、それが主流になっていくんだろうなと思います。

いいかえれば、「コミュニティ」が重要視されていき、そこでどんな役割を担う自分がいるのか?どう貢献しているのか?がセルフイメージになっていくということです。

しかし自立した自我ができていないと、周りに翻弄され、それこそ洗脳されて
国や宗教やなんらかの団体などにいいように使われてしまいます。

「コミュニティ」の時代には、「自分が、自分が」という意識は減りますが、
自立した自我でないと集合知に負けてしまい、自分を持つことなく流されてしまいます。

だから、いいコミュニティができることと、個としての自立的成長の両方が
今、必要だと思います。
個としての可能性を伸ばしてくれるコミュ二ティ(=教育)に属することができるといいですね。

最初は小さな集合知でしょうが、それがあちこちでできることで、
だんだんとトレンドとして全体意識になっていくと思います。


最近は男女の区別の境界が曖昧になってきていますし、
男性性の強い女性、女性性の強い男性もいます。

男性と女性の違いとして書いていますが、一般的には「こういう傾向だよ」という話で、
男はこうだ、女はこうだと決めつける必要はありません。
男性でもこういう感性に長けた人はいるでしょうし、女性でもまったく感知しない人もいるでしょう。

私は女性ですので、女性視点から見てこれらのことにすごく納得している次第です。


また、自己啓発などで言われる目標達成法も
男性的思考向けの「向こう側にある目的地にいく」ものが多いので男性向きです。
 
女性は違和感を感じていた人も多い。女性性が強い男性も同じ。
 
「その世界になること」
「昔いた場所に戻ること」
 
女性や女性性が強い男性はこちらのほうが納得だと思います。
 
西洋は男性的、東洋は女性的と言われます。
日本は個人主義ではなく、全体主義的な国民性がありますから、西洋よりは違和感なく受け入れられるかもしれませんが、個の自立があいまいになっているので、間違った方向に行きやすくもあります。
あんがい西洋の受け入れのほうがスムーズかもしれません。


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前回の「女性の意識」からの続きです。


女性のとっては「個」というのはそんなに重要ではなく、「集合体」としての自分、つまりは、自分が属する情報場やコミュニティのほうがもっと「自分」として感じられるのかもしれないと思います。

共同体的な感覚が自分かもしれないです。

そのつながり(情報場)が自分であるから、そこを整えること、成長させることが大事になります。だから協調や共感が大事になってくるのでしょう。

そして、その中で自分がするべきことを見つけていく。

そこにいることで情報が降りてきて、やるべきことをやっているという感じ。

現代はほぼ全くそれが機能していません。
なぜならそれが発揮されるような「場」が整っていません。

これが利用される方向に向かったり、依存的な集団に持ち込まれると、宗教的な集団やお互いが監視し合うようなコミュニティになります。

これが確立するには、まずは「個」として自立していることが大事になります。

そういう人たちが集まってこそ成り立つ「場」なので、やはり一人一人の意識が大事ですね。


本来、女性に限らず、人間の役割も「場(情報場)」を成長させることなのかもしれません。

集団で住む生物などはそんな感じでしょうか?

アリや蜂や植物など、、、。
大きな意味では自然界も。


女性にとっては、そのようなつながりが、自分にとって「主たるもの」になっているほうが楽だし、つながりの自分を感じていて一人ではないので寂しくないです。

個であることは本来、女性には向いてないんでしょうね。
どちらかといえば、男性向き。

だから女性は「愛されたい」という思いが強いのかもしれません。


これは根本的に今の社会と構造が違います。

web状ですね。

子宮がなぜ「子宮」なのか?

「宮」は情報場。

子宮はアカシックレコードのようにすべての情報と繋がっているところ。

そこにある情報で子供が育まれます。

その情報は女性たちの間で無意識内で共有されています。


ということが、先日のヒーリング時に出てきたことですが、仮説です。

私は「なるほどなー」と腑に落ちましたが、本当にそうなのか、私の潜在意識が私の都合のいいように出してくれた情報かはわかりません。
でも私はそうなんだろうなーと思うので、これらが育まれていく方向に進んでいきたいと思います。

女性は「個人」であるより「共有する情報場的存在」であることは、
考えてみれば納得のいく話です。
古代からのいろんな寓話や女性原理を見てみても頷けます。

個人も解体すれば情報の集まりですが、「個人、個体」という括りが現在は強いので、
あまり集合体と認識はされてないですね。


こういう言い方がわかりやすい例えかもしれません。

情報場を女性ととらえると、
情報同士が繋がって、新しい情報を生み出すという働きが男性。

でも現代の女性はほとんど情報場としての機能を果たしてません。
男性化しちゃってますから、自分も一つの情報として動いてます。

わかります?この例え。

これからはまた女性がこの機能を取り戻すべく、少しずつ社会も変わっていくのでしょうね。


この話は「えなふ通信」(女性のみ)からの転載です。

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以前書いた「女性の内的集合宇宙」に関連する話です。

以前「えな符」という女性向けの護符を配布していた流れで、月1回、女性向けの一斉遠隔ヒーリングを行っていますが、その時に「女性の内的集合宇宙」についてもう少し情報がやってきました。

あくまで私の仮説ですが、
女性はもともと個として成り立っている存在ではなく、つながりが先のようです。
つながり、つまり情報場の中で自分がすることを見つけてきたようです。

ここでいう情報場とは、情報を共有するエネルギー場です。

今ポケモンGOが流行っていますが、このゲームをする人たちは、「ポケモンGO」というゲームの情報を共有しているので、「ポケモンGO」という情報場でつながっていると言えます。

ひとつの情報場にはいろんな情報があって、それらがつながりあって相互作用しています。
似たような情報が一つの情報場を形成し、他の情報場とも関わり合います。

新しく現れたと思える情報場はまったく新規に現れたわけではなく、
その土台となるものだったり、霊脈的に続いているものがあって新たに形成されます。

女性の意識は、現代のように個人の意識が先にあるのではなく、
その集合体としての情報場が優先される傾向にあるようです。

そのコミュニティ的な場自体が「自分」であり、
その中の役割的な部分として個としての肉体を持つ自分がいるようです。


「コミュニティの集合体が自分」という認識の方が「個としての自分」より先だったみたいです。
「情報場」というとより抽象度が高く、「コミュニティ」というと現実的な集団っぽくなりますが、自分にとってわかりやすいレベルで受け取ってください。

「家族」という小規模コミュニティで考える方がわかりやすいかもしれませんね。
妻や母親をしている人はたいてい自分のことより家族優先ですよね。

現実レベルではそういう話かもしれません。

現代はほとんど頭ばかりで考えているので、そういう女性の本来の機能は果たされていないどころか、個が重視されすぎて、女性にとってはストレスになっているようです。


これからは、意識レベルの情報空間でのコミュニティ、つながりがもっと強くなっていくんだろうなと思います。

まるでインターネット。

同じ興味、関心、波動、価値観の人たちがそのエネルギーによって繋がっていく。
住んでいる場所は世界のあちこちに広がっているけど、共通の関心(情報)で繋がっている状態ですね。

「共通の関心(情報)で繋がっている状態」というと、「個と個が共通の関心で繋がっている」イメージをすると思いますが、今回のヒーリングで出てきたのは、そうではなく、
共通の関心自体が自分自身を形成している」となります。

これを書きながら思うのは、もうすでに主となるゲシュタルト(まとまり)が
肉体レベルではなくなってきているんだなということ。


今までは「個」というのは、物体、肉体によって区別されていたわけだけど、

これから先は、向かう先(ゴール)、夢、ビジョン、作りたい世界、関心、価値観などの
「意識の傾向」によって、「固まり(個)」が形成される
ようになっていくんだろうと思われます。


もっと先の話ですけどね。
そしてもっと昔の話ですけどね。

これって今までのあり方と全然違うので、ピンと来る人とまったく?の人がいるかもしれません。

これからの時代がそれに近くなっていくのをすでに感じている人にとっては
うんうん、わかるよ〜となると思います。

私もまだ手探り状態ですが、今回のヒーリングで少し明確になりました。
抽象的な話でわかりにくいかもしれませんが、続きは次回に。



この話は「えなふ通信」(女性のみ)からの転載です。

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person-1435541_640

今、本当のあなたが出たがっています。

「私はここよ。これが私なのよ。」

と遠くからあなたを呼んでいる声が聞こえます。

あなたの全神経は耳を傾け、その声を聴こうとしていますが、
あなた自身は目の前のことに追われ、そのことに気づいていません。

あなたの中にある火山はマグマを溜めて
今か今かと出番を待っています。


あなたは世間の声を聴きますか?
自分の内なる声に従いますか?


あなたの本当の幸せがどこにあるかを探りなさい。

あなたが本当の自分とつながった時、
それは必ずあなたに幸せをもたらすでしょう。

    (K.Sさまへのeメッセージ 110304)



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遠隔ヒーリングの時の話。

その時に気づいたのが女性性、女らしさにもいろいろあるということ。

優しさ、セクシュアリティー、母性、賢さ、強さ、しおらしさ、包みこむ力、感覚的、直感的、非論理的、弱さ、ずる賢さ、小悪魔的、etc...


「女らしさ」というと誰もが似たイメージをすると思います。
こういう人が女らしいという一般的なイメージが普及していますから。

そしてたくさんの女性たちがそのようになろうとして、
化粧品やら美容、エステ等が流行ります。

女性がきれいになるのはいいと思いますが、
ワンパターン化するのは私はあまり好きではありません。

「モテる女」像が固定されると、そこに見合わないと思うがゆえに
劣等感を持って悩む女性も続出します。

世の中が決めた基準にそぐわないのは良くないことだと
女性も男性も思ってしまいがちですね。


「女性性」は、女性だけにあるものではなく、男性にも女性性があります。
男性も女性も、男性性と女性性の両方を持っています。

遠隔ヒーリング時に感じたのは、いろんな資質がその人に備わっているんだけど、どれが表に出ているか、どれが強く現れているかによって、その人のあり方が決まっているんだなということでした。

つまりバランスですね。

弱さが前面に出ているなら強さは奥に引っ込んでいるだろうし、
女性性が多く比重を占めていたら男性性の現れは少ないです。

自分が女らしくない、または男らしくないと悩む人は多いと思います。
それはあなたに何かが欠けているという話ではなく、ただバランスが均等でないだけです。

そう、すべての要素はあるけれど、どれがより多く/少なく表に出ているか、
あるいは主導権を握っているかの話です。

両天秤の秤のように、片方が重くなれば、反対側は上に上がります。

新たに何か足すわけでも抜き取るわけでもなく、
過剰なものを減らしていくと自然と足りなかったものが増してきます。
またはその反対。

なぜならもともとあるのですから。


メルマガでもいろいろ書いています。
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2009年から配らせていただいていましたえな符の配布受付が終了しました。

たくさんの方にお持ちいただけて、たくさんの感謝のお言葉をいただいています。
今まで掲載した感想もさることながら、載せていない感想、体験談もたくさんあり、今回の配布終了に伴っても感想をたくさんいただきました。

えな符が本当に良いお供となってくれていたようで、私もとてもうれしいです。


えな符は私がかたちにしたものとはいえ、私が編み出したものでもなく、いわば天から降ってきたものです(アイデアが)。

私はそれをかたちにしてお配りするつなぎ役となりました。

エネルギーの変化に伴い、今のえな符は終了するので、今のかたちのえな符が再び配布されることはありません。(→ えな符配布終了のお知らせ


えな符でとても思ったのは、「場」「エネルギーフィールド」「情報空間」。

どの言葉を使ってもいいですが、「えな符」を媒体に、その「場」につながると同時にその「場」の形成にも関わっていきます。
その場を形成するエネルギーが良くなれば、その場につながっているものたちの波動も上がります。


「えな符」の原型、あるいはルーツとなるべきものはすでにあって、それがわたしのところにある「シンボル」としてやってきて、私はそれをある形に包み込みました。
そこで一つのまとまりができました。

物質で言えば、絵が描かれたただの紙。
それだけ見るとだましのようですが、そこから広がる情報空間がなによりも大事です。


えな符に限らず、シンボルや形にもエネルギー(波動)があります。

私たちは見えるものだけに価値を起きがちですが、その背後に広がる見えないものにはもっと大きなエネルギーとパワーがあります。


えな符にそれを感じた人は少なくなかったようです。
長い間、えな符をご愛顧くださり、ありがとうございました。

新しいえな符が配布されることになりましたら、またお知らせいたします。
今のところは未定です。


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ふとしたことで気づきましたが、「アナと雪の女王」の主題歌の訳の違い。

私が最初観たのは、映画館での予告で使われていたこの動画。



見たのは映画の公開前でしたが、このインパクトは強かったです。
私はディズニー映画は子供の頃から動き方が好きではないですが、この歌詞とメロディはとてもよかったです。かなり英語の原文に近い訳です。
当時、FBやこのブログにも載せたと思います。

女性性の解放を歌っているようで、最後のシーンで、キャラがいわゆる典型的な女性の魅力を打ち出していたので、そこは疑問に思ったのですが。

その後、松たか子の歌う日本語バージョンがヒットしました。



私はこちらのほうはピンとこなく、あまり聞きませんでした。
上記の英語版(+和訳)を先に聞いて(見て)いて、そちらを気に入っていたせいだと思っていました。

今さらですが、なんでかがわかりました。
歌詞が違います。

歌詞を見ながらYouTubeで聞き直してみましたら、全然違うものになっていることに気づきました。

日本語の歌詞はアニメの口の動きに合わせて考えられたそうで、その自然な感じが良いとどこかで読みました。それなりの意訳はしかたないだろうし、そのように意訳した気持ちはわからないでもないです。すごくよく考えられていると思います。

でも、、、主旨が全く変わってしまいました。

最初の英語の歌の和訳バージョン版は、「人と違う自分を認めて受け入れて、私は私の道を行くわ」と、異質であることを受け入れて自分の道を行くことに決めるという既存の枠組みからの脱却と自由の獲得を現していると思います。

常識や一般論にとらわれず自分らしく生きることに決めて、これからの生き方を示唆するような内容、自分が関わっていた世界からの自立が描かれていると思いました。
また女性と自然との関係も示唆していると思います。

いろんな枠を強いられてきた人たち、とくに女性で共感する人が多かったと思います。


が、日本語バージョンは、そういうところを排除して、日本人らしい曖昧さで包み込んで、いい子ちゃん向けのきれいごとに仕上がってしまっています。

自分を抑えるのをやめて、ありのままの自分になって、自分を好きになって、自分を信じていくわ ♪

自分の心の悩みという範囲に留まり、ありのままの自分はすてきなのよと。

それはそれでいいのですが、原作の激しさや反骨精神はないです。

オブラートに包んじゃいましたね。
日本人の子供やお母さん向けにそうしたのか、他に意図があったのか、、、?


「ありのままの自分」が理想の自分のように聞こえてしまうのはそういうことかと思いました。

英語のほうでは、That perfect girl is gone.(理想の娘はもういない)と実際に歌っていますが、日本語バージョンでは、ありのままの自分がパーフェクトガールであるかのように、聞く人の心に刻まれちゃったように思います。

簡単にいえば、英語は「タフな精神でありのままの自分を生きる」ことをいい、日本語バージョンは「ありのままの自分になればステキになれる、幸せになれる」みたいな印象を得ます。

そこが一番違ってしまったところだと思いますが、この歌のキモの部分がこのように違ったのが興味深いと私は思います。

訳し方のことを言っているのではなくて、着眼点がずいぶん違っているということを言いたいんですが。

西洋の個人主義と、日本の全体主義の違いなのかもしれませんが、かたやアウトロー的、かたや優等生的な感じです。

既存の枠組みから外れて自由に生きるという話が、ありのままの自分らしく生きることがいいことなんだよと型にはめる方向になっているという違い。


この歌が日本で大ヒットしたのは、

抑圧された自分から解放されて本当の自分を生きたいと感じているからなのか?(本心はそうだと思うけど)

そうしたいと思っていたら「ありのままでいていいんですよ」と外部から許可を与えられたからなのか?

後者は、ありのままでいいよと言われたからありのままになるわ〜、とまわりが認めたからそのようにふるまっていいんだという風に感じます。
今の風潮や流行と一致したからOKなわけで、英語版の逆をいっているように思います。

その「ありのまま」はきっとまわりも認めるステキな人なのではないかな?

・・実際の「ありのまま」はそんなきれいごとではないです。


微妙な違いだけどこれは根本的に全然立ち位置が違います。

見比べれば比べるほど、日本語バージョンはきれいごとに見えてしまいます。

反体制的な私の見方かもしれないですけどね。
私としては原文に近いほうの訳を知ってほしいなと思います。


下記に二つの歌詞を載せておきます。
(英語版の和訳)が直訳に近いです。


(英語版の和訳)             (日本語バージョン)         

雪が山を覆う夜 足跡ひとつ残らない   降り始めた雪は足跡消して
隔絶された王国 私はその女王      真っ白な世界にひとりの私
風がうなる 心の嵐のように       風が心にささやくの
私の苦しみを 天だけが知っている    このままじゃダメなんだ

秘密を悟られないで           とまどい傷つき
いつも素直な娘で            誰にも打ち明けずに悩んでた
感情を抑えて 隠さなければ       それももうやめよう

でも 知られてしまった

これでいいの かまわない        ありのままの姿見せるのよ
もう何も隠せない            ありのままの自分になるの

これでいいの かまわない
過去に扉を閉ざすのよ

もう気にしない             何も恐くない
何を言われようとも

嵐よ 吹き荒れるがいい         風よ吹け
寒さなど平気よ             少しも寒くないわ

遠くから眺めると すべてが砂粒のよう  
怖れは遠く去り もう私を苦しめない   悩んでいたことが嘘みたいね
                    だってもう自由よ
怯えることなく 未知へと突き進む    なんでもできる   
善悪やルールに縛られずに        どこまでやれるか自分を試したいの
                    
私は自由よ               そうよ 変われるのよ 私

これでいいの かまわない        ありのままで 
風と空は私のもの            空へ風に乗って

これでいいの かまわない        ありのままで 飛び出してみるの
二度と涙は流さない           二度と涙は流さないわ

自分の道を行く             冷たく大地を包み込み
ここは私の王国             高く舞い上がる 想い描いて
嵐よ 吹き荒れるがいい                
                           
私のパワーが 大気と地に満ちる            
氷の図形のように 私の魂が広がる    花咲く氷の結晶のように
結晶となって 想いが形づくられる    輝いていたい

二度と戻らない             もう決めたの
過去はもう過ぎたこと

これでいいの かまわない        これでいいの
新しい夜明け              自分を好きになって

これでいいの かまわない        これでいいの
理想の娘は もういない         自分信じて

私の道を行く
輝く光を受けて             光あびながら
                    歩きだそう
嵐よ 吹き荒れるがいい                
寒さなど平気よ             少しも寒くないわ



英語の歌詞



さて、女性性を活性化するという不思議な護符「胞衣(えな)符」の配布がもうすぐ終了します。
無料符は27日まで、有料符は23日までの受付です。

詳しくはこちらを→ えな符配布終了のお知らせ


新春企画の手相リーディング&コーチングの受付は1/29までです。
詳細はこちら



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2009年から女性性を活性化、整える護符として「えな符」の配布を始めてから、たくさんの方々がお求めくださり、たくさんのお喜びの声をいただいています。まだまだ掲載されていない感想があります。

日本国中、および海外にも行き渡りました。
えな符を持つことでその方の女性性が癒され、自分らしくなって生きやすくなられたと思います。
念願のお子様が授かった方もけっこういらっしゃいます。

大地との関わりが深いえな符です。
人間のみならず、地球との関わりも深いようですので、あちこちの女性が持ってくださることにより、大地のエネルギーも修復されていったと思います。

魚座の時代が終わり、水瓶座の時代が始まり、地球のエネルギーも変化していっています。

エネルギー変化に伴い、もうそろそろ現在の形でのえな符は終了させていただく時期となりました。

全体意識の女性性のパートが整ってきたのでしょうね。

個人レベルではまだまだいろいろ抱えた方がいらっしゃいますし、これから激動の時代になるかもしれません。
しかし仮想領域での情報場としては必要値に達したようです。

なので、現在のえな符の役割も終了ということになります。

役割が終了と言っても、すでに情報場(エネルギーフィールド)としてのえな符の場はあります。
もう符はなくても、一度持たれたことのある方ならそこにつながることは可能です。


現在、お配りさせて頂いているえな符は無料符、有料符ともに1月27日で配布を終了させていただきます。

有料符のお申し込み受付締切は1月23日です。
先着順で、定員になりましたら締切ります。

現在のえな符をご希望の方はお早めにお求めください。

有料符と無料符のお申し込みはこちらです。


現在の形でのえな符の配布は終了しますが、次なる形はだいぶん前から来ています。
少しずつ形を変えて今に至るのですが、まだお渡しする時期でないのか、まだゴーサインがでません。配布に至るのかはわかりません。
もし新たなえな符ができましたらまたお知らせします。

あなたがステキに輝いて飛び立ちますように!


京都にて、手相リーディング&コーチングします!→ セッション詳細
お申し込み〆切は1月29日です。

Change the World 〜世界を変えるコーチング〜 1/17 沖縄で開催です!

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映画「アナと雪の女王」を見ました。
その話はさておき、私がとても恐く感じたことがありました。
それは「アナと雪の女王」の映画の前に放映された「ミッキーのミニー救出大作戦」。

私は子供の頃からディズニーもトムとジェリーもポパイも、なぜかアメリカアニメは好きじゃなかったです。日本のアニメは好きなんだけど。

ミッキーマウスのアニメは初めて見たのですが、驚きました!
これって子供が見るんだよねーとそら恐ろしくなりました。
「アナと雪の女王」の前にわざとこういうのを作ったのかもしれないと思ってみたり。

モノクロから現代のアニメチックになって、スクリーンの中と外を行き来するのはおもしろいんですが、後半の悪者役に対するやっつけ方がこてんぱんで、ヒーローは悪者をやっつけていい的なアメリカンちっくな展開で、くり返しくり返し痛めつけるシーンが出てきます。
アニメだからおもしろおかしく描いているんですが、大人数でみんなでひとりの悪者を懲らしめます。

ミッキーとその仲間たちは仲間だからみんなミッキーの味方をして、懲らしめられる方は悪者だから痛い目にあって当然みたいな。

確かにミニーをさらった奴は悪い奴かもしれませんが、みんなで一人をやっつけるという図がいじめに見えて、もしこういうものを子供たちが毎日のように見ていたら、それをまねるでしょうから恐いなーと思いました。

勧善懲悪で、集団で一人(悪者)をいじめ(征伐し)、何度も何度もやっつけるシーンを流すので、なんでそこまでするの?と思ってしまいました。

一人が悪者にまつりあげられたら、みんながその人を叩く図。
日本でもよくある光景かもしれませんけど。

悪者はとことんやっつけていい。正義は正しい、正義は勝つみたいな思想を子供に植えつけてしまいそう。もしアメリカの他のアニメもそんな感じのものが多かったらとても恐いです。・・・まあ、子供ものに限らず、そういうストーリー展開ものが多いのは事実ですが。

私が好きでなかったトムとジェリーもそんな感じだったような気もします。
なんかいつもトムがやられていたような、、、。


そのあと上映の「アナと雪の女王」の導入部分で、ごっつい男たちが氷を切って運んでいくシーンで男性的な要素を強調してましたので、男性性と女性性との対比でわざとああいうミッキーアニメを作ったのかもしれません。そうだと思いたいです。

「アナと雪の女王」と「ミッキーのミニー救出大作戦」と対比すると、ミッキーのほうではすべて正義側の視点から描かれており、悪者はやっつけられてハッピーエンドという流れですが、アナは悪役にされし者の苦悩やそこから自由になっていくさま、いい人だと思った人が悪い人、あるいはその逆だったというぐあいに視点が移り変わっています。

悪を罰するのが男性的なら、悪を愛で溶かすのが女性的なのかもしれませんね。


「アナと雪の女王」も「かぐや姫の物語」も男性社会の中で女性がどのように生きなければならなかったかというところで女性の共感が多いと思います。

「風立ちぬ」が男性的生き方を描いているとしたら、「アナと雪の女王」も「かぐや姫の物語」もその裏で思うように生きれなかった女性の苦悩が描かれているともいえるでしょう。

「男らしくあらねばならない」と言われ続けてきた男性の中の女性性も同じですね。

でももうその時代も終わりを告げつつあります。
映画もそれを物語っていますね。

『アナと雪の女王』特別映像:「Let It Go」/イディナ・メンゼル


この歌、とっても好きです


本来の女性性を活性化するえな符について


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東京都内での対面セッションのお知らせです。

9月24日(火)午前 あと1名様、
25日(水)午後2名様です。
(18日の受付終了しました。)

お申し込みフォーム

お会いできるのを楽しみにしています



だいぶん前に理想世界の崩壊の話を書いたけど、その続きがこれでした。
保存したままになってました。

人生を変える波動の法則」(ペニー・ピアース著) からの抜粋です。

歴史的にみると、男性の体験に基づいた霊的成長に関する見解を、何の疑問もなしに世界は指示してきました。でも、女性はこのプロセスを異なった形で体験しています。


そう、私はいつからかこれを感じていて、男性の体験に基づいた霊的成長に関する見解ばかりが世に出ているのに疑問を感じていました。

それが間違っているというのではなく、女性は違う体験をしているのではないだろうか?という疑問でした。

男性の賢者たちが伝えてきたことだけが真実であるかのように言われていて、もちろん誰も異論を唱えないし、唱えたところで異端扱いされたか、消されたと思います。

女性は多分、体系化せず、月のものが伝染していくように共感力で感じ合って、習ったわけではないけど自然と身につけていたのではないでしょうか?
体系化も教義化もする必要性を感じなかったんだと思います。

下記の説明がものすごくわかりやすく納得でした。

簡単に説明すると、男性の脳には左右の脳をつなぐ神経線維が少ないために、彼らは世界をあれかこれかと分離して見がちであり、そのために分析や分類する能力に長けています。そして右脳的直感を使うためには、意識的に右脳を活性化させなければなりません。したがって、男性は神性を分離によって理解します。彼らの道はその世界へ入ることであって、その世界になることではありません。男性の悟りの道は、肉体的誘惑を禁じ、瞑想や勉強をし、儀式を行い、師に服従し、僧院にこもるといった形になります。たとえば禅では、この世のすべてのことを中立的に扱い、「何ものも特別ではなく、すべては特別である」とされます。天国や浄土はこの世の向こう側にある目的地なのです。

一方、女性は左右の脳を多くの神経線維がつないでいて、両方の脳で同時に感じることができます。そこで、他者や世界ー思考、感情、霊も含めてーから自分を分離するのが困難です。女性は人間関係、会話、慈しみ、共感、感じる、直感などを大切にします。女性の悟りへの道が世界に入り込んでゆく、すべての人間的なものへと降りてゆく道であるのもうなずけます。女性は世界を自分の体の一部として知ります。自分が世界の一部となるのです。他の人の苦しみを感じやすく、人生とは慈しみ、世話をすることです。女性にとって悟りとは目的地ではなく、自分たちが昔、いた場所なのです。

直感の時代には、人類は全体として、ついにその特有の認識力を十分に開花させます。人間として、私たちは特別な可能性を持っています。意識的に感じる力と自由意志を与えられているからです。その感じる力を発展させれば、感情を共感と慈愛の悟り感覚まで高め、大いなる源と一つになる感覚を味わうことができるのです。感情も感覚も体と関係しているために、見えない世界の認識も、もっとリアルで個人的なものにすることができます。つまり、自分自身を小さなホログラム、または小宇宙として意識的に体験することによって、自己実現という革命的な進化を完成することができるのです。


これはすごくわかりやすかったです。私がもろそう感じていたから。

ナウシカも女性的だったんだなーと。だから森と一つになろうとしました。

マザー・テレサや佐藤初女さんなども『女性の悟りへの道が世界に入り込んでゆく、すべての人間的なものへと降りてゆく道』を歩んでこられたと思います。

ある世界へ「入る」あり方主体だったのが今までですから、ある世界に「なる」タイプの人たちにとっては、そこに入れきらずに、自分がヘンだとか、異端だとか、不適応者だと悩んだことと思います。


『天国や浄土はこの世の向こう側にある目的地』とされて、目的地に向かうあり方が今まででしたが、もうすでに『世界に入り込んでゆく、すべての人間的なものへと降りてゆく』流れになっていると思います。

『女性にとって悟りとは目的地ではなく、自分たちが昔、いた場所なのです。』というのがすごく腑に落ちました。

『理想世界に向かう』のではなく、『今のあるがままのこの世界のすばらしさを知っていく』という方向になったのを阿波以来とても感じていたので、こういうことかと納得しました。


男性脳は三角構造(階級制),女性脳は円構造(円卓会議)といえるでしょう。
縄文時代は女性性が強く、自然と調和した平和な時が続いたのでしょうが、進化しようという意識は少なかったと思います。

だからこそ男性性が優位に立つ時代がやって来て今に至るわけですが、極端に走ってしまったので、今のようなありさまで、もう同じやり方ではムリだろうと誰もが感じています。
女性性の時代がまたやってきたのは当然の流れなんでしょうね。

今までの男性性上位の世界での教訓を心に刻んで、今度の女性性の時代はいかに男性性とのバランスを保つか、二元性のどちらかではなく、循環であり、融合となるよう、男性も女性も心がけたいですね。

そして『感情を共感と慈愛の悟り感覚まで高め、大いなる源と一つになる感覚を味わうことができる』ようになっていくと思います。

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痛みは幻想です。
心の痛みも身体の痛みも。

あなたは痛みというものを体験したかったかもしれませんが、
もう十分体験したのなら、次のステップにあがりましょう。

痛みのもとがなんであれ、それもまた幻想です。
いったんリセットして新しい自分を育みましょう。

もう痛みを選ばなくてもよいのです。

「私は解放とリラックスを選びます」と宣言しましょう。

溜めている思いを一度吐き出して、
大風呂敷に包んでギューッと凝縮して豆粒ぐらいにして、
指で握りつぶしてください。

そして、光のシャワーを浴びて心も身体も洗い流しましょう。
(イメージの中でやってみてください)

(S.Sさまへのえなふメッセージ 2011.6.26)


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小さいことしかできないと思うなよ。

小さいかごを手に取るなら
少しのものしか入らないけど、

大きいかごを手に取れば、
たくさんのものが入る。

自分の器を小さく見ないこと。
神様の贈り物は果てしなく大きい。

受け取ることを選ぶ人は、
無限に受け取ることができる。

(N.Wさまへのえなふメッセージ 2011.6.16)


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自分がこの世に生まれてきた目的がなんであるか?

それを知ろうとすることはいいことだ。

が、しかし、それにとらわれてしまえば、
本当のところを見逃してしまう。

私たちは知らずして、その目的に沿って生きているのだから、
探すことに躍起になる必要はない。

今をしっかりと楽しみ、
目の前にくることにきちんと取り組み、生きていたら、
自然にその目的を達成しているのだ。

焦らず進みなさい。

自分であることを楽しんでいれば、
必ず世の中のお役に立っています。

(K.I さまへのえなふメッセージ 2011.8.29)


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今日はマイ宇宙ストーリーの話ですので、意味わからなかったらスルーしてください。

8/30の満月に長野県の蓼科山山頂、その一週間後には今年三度目の浅間山に登ってきました。
そのおかげか、自分の中ではいろいろとあり、またパワレルワールドを移行したなあという感じです。とても不思議な感覚。

前回初めて蓼科山に登った時に、満月の夜、この山頂で月光のもとに舞いたい!と感じ、今回それが実現しました。
今回の蓼科山は、山頂で不思議現象が相次ぎました。

ちょっと話が遡りますが、今回の舞は「えひす舞」と私が名付けたもの。
311に串本で恵比寿舞を舞いましたが、あれで私の男舞の恵比寿舞は終了。もう舞うことはないでしょう。

「えひす舞」は「恵比寿舞」の女性版になるのですが、私が創っていく舞で、女性性の時代の幕開けに伴う舞となります。

恵比寿舞は、足腰立たぬ蛭子がだんだんと元気になって立ち上がり、恵比寿となり、鯛を釣って大喜びして踊るという復活の舞ですが、えひす舞は、抑えつけられ、虐げられてきた女性&女性性や地/自然などが元気になっていって復活する舞です。

「恵比寿舞」が「えひす舞」になるというのはもっと前からわかっていたのですが、6月に飯縄山と浅間山に行く前に、「飯縄山でえひす舞を」とメッセージが来たことから実際に舞の創作が始まりましたが、当日は雨で舞わず。下山後、思わぬところで舞わせていただいて、またそこから全く思わぬ新たな流れとなりそうな?
その時の舞の動画に不思議な光の玉が移っていましたが、動画をまだ編集していないので、またいつか。

マイ近畿十字が完成したのに、もともとのきっかけになった淡路島の伊勢久留麻神社にご報告のお参りに行ってないことに気づき、8月に行きました。
前回、この神社に行ったときは宇宙とつながっちゃってるよーというような不思議な空間となっていたのですが、今回はまったく普通の神社。

以前、この神社にお参りした時に「太陽の道を1ヶ月で行きなさい」と言われ、そのとおりにしたことから始まって、今年、十字を完成することになったのでした。

参拝後、時間が余ったので海の方にいったら、前に来た時に見た銀色のUFOがちらりとだけど出現。

その後は岩屋神社にお参りしました。
以前来た時に、私が粘土で作った蛭子像をこの神社の前の海で流してました。焼いてない土だったから溶けてなくなったはず。

この時はまさか縦横(水、火)ラインをまわって、串本で恵比寿舞を舞って太陽を釣ることになるとは思ってもみなかったですが、うまくできたもんです。

淡路島で流した蛭子が、串本で恵比寿になったんですね。
そしてそれが女性性の復活を象徴する「えひす舞」となっていく、、。

今回、伊勢久留麻神社に参拝したら、「ヒルメ舞」の名をいただきました。
恵比寿舞は前半と後半があるので、えひす舞も前半と後半があります。今はまだ後半はできてないですが、完成版ができたときには「ヒルメ舞」という名になるそうです。

伊勢久留麻神社は大日孁貴尊が祀られているそうですから、この名がくるのも不思議ではないですが、ヒルコがヒルメになるのも、男性性の時代から女性性の時代へとの移行を表すんだろうし、「女性自身に太陽が戻ってくる」時代になることの象徴だなと思います。

近畿の十字を回ったあとで「えひす舞」が来たというのもおもしろく、私の近畿の十字は、太陽の道の火のラインと縦の水のライン。十字は鳥のかたち。

足萎えの蛭子は蛇(水)のようで、太陽(鯛)を得る恵比寿は火(日)。
十字は火と水の和合。

恵比寿舞は竿をもっているので、えひす舞はその代わりに長い袖をひらひらさせて舞います。あとで気づいたけど、十字の形で蛇と太陽(水と日)が合体している舞だなーと。

私が舞った恵比寿が太陽を得て復活したことは、この先、女性性も太陽を得て復活することのうつし。十字が結ばれたことは籠の中の鳥が出ること、そして火の鳥の復活,岩戸開きにも象徴されます。
蓼科山はもと火山だし、最近通っている浅間山は今も活動中。

こういうことは不思議に勝手につじつまがあってきます。

という流れのなかで、蓼科山でも舞を、ということになったのでした。


蓼科山は女の神山と呼ばれるそうで、近くに女神湖というところもあったり、女神山もそう遠くないです。
山頂付近は岩ばっかりの山なので、女神って感じでもないですが、全体のこんもりしたかたちや山頂が火口らしく丸くくぼんでいるところなどがそういわれるゆえんなのでしょうか?
また太陽信仰とも関係があるみたいですね。

そういうお山ですので、そこで、満月のもと、女性性や自然復活の舞をすることは大事な意味があったのですが、今回は舞は前半のみで、本番は自分ではまったく不満足。まだまだ修行がたりません。

帰りに、私のような素人が舞うことに何の意義があるんだろうか?、ただの自己満足ではないのか?と「宙」に聞いたところ、「上手く舞えたかより、行動に移したことが大事」と慰めて?いただいたので、ありがたくその言葉を頂きました。

ガスで数メートル先の視界もままならぬなか、煌煌と輝いていてくれたお月さまに感謝です。
それもまた不思議な光景だったけど、この夜、いくら探しても奥社が見つからなかったのも不思議。


この舞がどんどんとできあがっていくにつれて、女性性も復活していくのだと思います。私自身もそのために舞うんだろうし。こういうことはシンクロしますから。
完成に向けて進んでいくほど,舞も自分自身も磨きがかからなければいけないので、これからもっと精進します。

ここにはきっと私が作り出す宇宙があるのでしょう。

ひとりひとりが自分の宇宙を作り出しているのだから、これはなにも特別な役割とかいう話ではないです。

私は私の宇宙を作り上げていくことしかできないので、そうしていきたいと思います。

前回と今回の蓼科山の写真はこちら。


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「原罪と性的交わり1」 の続きです。


この世界はなぜ二元性の世界か?

男女、昼夜、陰陽、左右、天地、二つのものは同じ種でも性質は全く違います。
神がこの世を創りたもうたものなら、わかりあえるように近い性質で創ればよいのに、 と思ったことはないでしょうか?

二つを全く違う性質にしたのは、お互いの違いを受け入れるため、 全く違っているのに、凹凸がピタリと合うような快感、悦びを感じるため、 完全に受け入れる、受け入れられるということがどういうことかを知るため、 二つの違うものがひとつに合わさることで大きなパワーを放つ、その悦びを知るため。

エデンの園はその悦びに満ちているところです。
二つの相反する存在がつながり合うことで起こる歓喜、悦び、 それが満ちているところがエデンの園でした。

神聖なる性エネルギーとは、創造の瞬間の悦びを表します。
そのひとつになる感覚は、宇宙との、神との合一の瞬間でもあり、 神の創造の瞬間を理解することになります。

その合一のエネルギーは生の活気に満ちたもので、 地球上の存在にすべて活気と生気を与えています。

人間の交わりだけでなく、動物、植物、すべてそうです。
が、動物は自意識というものが人間ほどないので、合一感などはあまり感じません。
種の継続のためにやっている可能性の方が高いです。
もちろん波動的に外部にも影響を与えます。

性の交わりで大きなエネルギーを放てるのは人間です。
イルカなどの高等な生物もそうです。

エデンの園では、人間は裸でした。
あれは羞恥心がない様子を表しているのではなく、 性の自由さというか、性行為による自我からの解放と自然との調和を表しています。

また、性が恥ずかしいものでなく、おおっぴらにできるものであり、 神聖なものであるということも表しています。

蛇がイブをそそのかしてリンゴを食べさせ、イブがアダムをそそのかしたおかげで、 人間は園を追われるとありますが、これも解釈の仕方でずいぶん変わります。

今までの支配者にとっては、女が悪い存在で、男をそそのかすものとしておく方が都合がよかったのです。
女の本来のパワーが目覚めては困るのですから。

本当は、蛇は男根、あるいは、支配しようとする者を表し、リンゴは女性を表します。
蛇(男、支配者)にそそのかれ、おのれに傷をつける(食べる)ことで(女性卑下)、 女性は劣っている、悪である、そのせいで、男もエデンを追われた、 性は恥ずかしいもの、よくないもの、と塗り替えてしまいました。

そのおかげで、人間は本来の調和のパワーを失ってしまいました。
調和の方法を否定された人間は、その存在を否定されたように感じ、 自分のことを恥じて、罪深いと思うようになりました。

性行為がよくないものとなり、そこから生まれる人間は罪深い存在となりました。
そこからたくさんの問題が生まれることになるのです。

実は、セックスとは、最高の「神とつながる方法」であり、 誰もが悟ることができる道なのです。

その行為の中から生まれてくるエネルギーは、 自然に活気を与え、地球全体を輝かせ、元気にすることができます。

イザナミのエネルギーが解放されたことにより、 性のあり方、考え方も少しずつ変わっていくでしょう。

「和音」2009.9.10


注)
神話や逸話は象徴言語ですから、幾通りの解釈ができるものと私は思っています。ここでのアダムとイブの話はそのうちのひとつと思ってください。

また、男性/女性がいい/悪いという二元論的話ではありませんので、そのように受け取らないでくださいね。

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これ、以前、mixiの方に載せたんだけど、これから性の見直しがどんどんと進むと思うので、こちらにも。今読むとちょっと変更したいところもなきにしもあらずですが。2009年に書かれたものなので、本文の8月は2009年のことです。


「原罪と性的交わり1」

キリスト教による「原罪」のおかげで、 人々は自分たちを罪深い存在と思ってしまいました。

また、セックスを卑しいものに陥れたことも同じです。
私たちがやましい行為から生まれてきたような錯覚を起こさせています。

キリスト教が性を否定したおかげで、人間は存在をすべて否定されました。
キリストが性行為から生まれていないというのは、 尊い人間はセックスをしないといっているようなもので、 性行為から生まれた人間はすでに罪人であるように広く受け入れられています。

が、真実はもちろんそうでないです。
性行為に対する認識が大きく変わらなくてはなりません。

本来の性的交わりは、エネルギー交換であって肉体の行為ではありません。

三次元の身体をもってしまえば、エネルギー体を感じるには学び、訓練がいるので、 まずは肉体でもって快感を感じ、それを窓口に霊体の結合に向かうのです。

が、現代人はそのようなことをすっかり忘れて久しいです。

性行為をやましいものとしてしまった時点で、 個人個人が宇宙と合一する術を封じてしまいました。
そして、悟りを何十年も修行をしないと得ることができない崇高なものにしてしまいました。

支配者、権力者はそうすることで、人々をコントロールしたのです。

地球のもともとのエネルギーは、慈愛であり、分かち合いです。

弱肉強食の世界とはいいますが、あれはその心を持った者たちからみればそうです。
おのれの中に支配したい気持ち、人の上に立ちたい気持ちがあれば、そう見えます。

が、本来、あれは分かち合いなのです。
自分の身が喰われる(捧げる)ことで、他の生物が生きることができる、 その連鎖なのです。

これが愛に基づいていないとしたらなんなのでしょう?

愛と分かち合いと調和の心を持った者からみれば、 自らの身を与え合って成り立っているこの自然界は、 なんと美しい慈愛に満ちているのだろうと映るでしょう。

本来の地球のエネルギーはそうです。

他から支配主義、競争主義、選民意識をもった存在がやってきて、 地球を支配しはじめたので、現在のようになってしまいました。

原住民、土着民とそこを訪れた先進国側との歴史をみるとわかるでしょう。

アイヌ、アボリジニ、ネイティブ・アメリカン、南米などすべて、 先住民は、新参者を疑わずして歓迎したために侵略されています。

地球にも同じことが起こりました。
地球にやってきた他からの存在を歓迎して、 いろいろなものを分け与えたために侵略に遭い、今の世界ができました。

たくさんの人間も乗っ取られました。
今の世界を動かしている存在は、もともとの地球のエネルギーではなかったのです。

8月についに地球も長い眠りから覚めましたので、 本来の地球のエネルギーの方がこれからは強くなりますので、 それと協調しない外部エネルギーは出て行かざるを得なくなります。

「和音」2009.9.10


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