いのちおりblog - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 人生、生き方

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また「99%と1%」の話の続きですが、、、

「絶対に・・だ」と最後まであきらめなかったおかげで勝利を収めるという話は、映画なんて特にそうですが、ものすごく多いですね。

アクション物も恋愛物も冒険物も、何かが起こり、トラブルが発生し、窮地に陥りますが、あきらめないで最後までがんばって、勝利&ハッピーエンド。

アメリカ物など特に「正義は勝つ」みたいなところがありますから、最後には悪はやっつけられてしまいます。
それを見て私たちは正義が勝つ世の中に安心します。

恋愛物もハッピーエンドになると、自分もそうなれるように感じてうれしくなります。


このパターンのストーリーがとても多いので、宇宙人が見たら、地球人はトラブルや争い、闘い、暴力、冒険、挑戦,セックス、恋愛などが大好きなのではないか?と思うでしょう。

地球人は、平凡で穏やかで問題の起きない日々などつまらないんだろうな〜と感じると思います。

あるいは、相当退屈した欲求不満の日々を送っているので、映画などで過激シーンを見て憂さ晴らしをしていると見るか。

私たちは,自分の現実世界ではトラブルなど欲しくないと思うし、苦しみやつらさ、悲しみも体験したくないと思いますが、映像ではそれが溢れています。マンガや小説もテレビドラマそうです。

これってどういうこと?

やっぱ、根はそういうの好きなんじゃ?


苦しみや葛藤を越えて、何事にも挑戦しつつ、希望を捨てずに立ち向かっていくヒーロー的な物語。
アクションもの、特に、戦って勝利を得るものがすごく多いように思います。

男性はアクションものや戦い系、女性は恋愛でハッピーエンド。
どちらもヒーロー、ヒロイン願望を満たしてくれるんだろうと思います。

物語としては、スムーズにうまくいってしまえばおもしろくないので、いろんなハプニングが起こって、見る者はハラハラドキドキ。


このパターンはかなり私たちの思考パターンにもしみていると思います。

現実世界は、映画のように区切られた終わりがあるわけではないですから、必ずしもヒーローや主人公が勝つとは限りません。
うまくいったと思っても、またそのうち問題が起きてまた乗り越えて、の連続です。

私たちは心のどこかで、最後にはきっとハッピーエンドになれるだろうとの希望を捨てることなく、生きています。
その希望がひとかけらもなければ,多分生きることはできないのではないかな?と思います。

そう思うと、今、現実社会で起きているあれこれ、ちょっと視点を遠のいて俯瞰的に眺めてみると、すごくエキサイティングな世界に見えるのかもしれない。

苦難を乗り越え、生きていこうとする人々のいろんな物語が自作自演でライブ中継されています。

私たちの思考パターンの中にある「99%と1%」は、最後には1%が勝つシナリオが収まっているように思います。しかしながら、それを実現させるには、幾多もの苦難を乗り越えて、、、。

楽に変えたいと思うのなら、自分の中にあるこの思考パターンを変えることが一番でしょう。

本当に楽に変えたいのか?
それとも心のどこかで、あるいは魂が、チャレンジしてみたいと望んでいるのか?
苦難を乗り越えて成長していかないと変えられないと思っているのか?

自分の心に尋ねてみるといいでしょう。


前回の記事で、外に1%を探しつづける話を書きましたが、自分を見失っている感がある人は「自分が本当は何を望んでいるのか?」しっかりと見極める必要があるかもしれません。


例えば、「自分の使命を知りたい」と思い続けながらも、見つからない人。

見つけちゃったら映画は終わってしまう、、、と思っているかもしれない。

きっと見つかると希望と持ち続けているのが好きだとか。
その過程で起こることが醍醐味だったりして。

となると、本当は「探し続けること」や「希望を失わないこと」が本命なのかもしれない? 


私たちはたくさんの勘違いをしていますから、何度でも自分に問いただすことが大切だと思います。


昨日、メルマガ配信しました。→ 『「できない自分」でいいじゃない?』
昨日の記事とも内容がリンクしてるので、読んでみてね。

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環境省は28日、国内の野生生物を絶滅の危険度ごとに分類したレッドリストの改訂版で、九州のツキノワグマとニホンカワウソを「絶滅」に指定した。


先日、近所のおばさんと話をしていたら、動物が畑を荒らす話となった。

彼女の知り合いの人が、イノシシか鹿か熊か忘れたけど、畑が荒らされて困るということで、役場に頼んでその動物を射殺してもらったと。
おばさんもそれが当然のことのように話しておられた。

よくある話かもしれないし、農業で生計を立てている方には死活問題だと思うが、その時私が思ったのは人間の身勝手さ。


自然豊かなところで調和のもとに住んでいた動物たちの住処に、ずたずたと重機を持ち込んで開拓し、勝手に土地を切り売りして、この土地は自分のもんだ、勝手に入るな!と決めたのは人間。

動物たちは住処を追われ、どんどんと環境を破壊され、食べるものが減ってしまったので、人間の住んでいるところに降りてこざるを得なくなってきた。
そこにある食べ物を食べると、盗人扱いされ、運が悪ければ銃殺。


もし今あなたが住んでいるところに、全く知らない人たち(外国人でも宇宙人でもいい)が来て勝手に家を壊し、あなたと家族を追い出し、住み出したらどう思うだろうか?
あなたと家族は山に逃げ込んで暮らすことになり、、、でも食べ物があまりない。あなたの子どもがお腹をすかせて、街に出て食べ物を盗んだところ、見つかって銃殺されたとしたら?

あまりにも理不尽だと思うだろう。


人間の歴史はこのくり返しだ。

土地を追われ、仲間を山ほど殺された先住民、奴隷扱いされた人々、魔女狩りで死んだ人たち、アウシュビッツで殺された人たち、原爆で亡くなった人たち、現在もまだまだ枚挙にいとまがない。

畑を荒らした動物は殺されるに値するというのなら、自然を荒らした人間はどうなのだ?と問いたい。

人間が地球上で一番えらい生き物だというのは人間の奢りだ。
人間以外の動物はそんなことは思わないだろうし、私も思わない。

人間がレッドリストになりたくなかったら、もうこの自分中心の視点を変えないといけないと思うが、疑問視さえしない人たちが多すぎる。


しかし先日、食べ物をもらいにくるノラ猫親子に対して、「ここは私の家なんだから勝手に居座らんといて」と思う自分がいた。

そのとたんに、私も同じように振る舞っていることに気づいた、、、。
ショック&反省

この土地に勝手に居座っているのは自分であって、ノラ猫ではないのだと気づいた。イヤ、お互い様だ。

私たちは知らず知らずのうちにこういうことをたくさんやっているのだろう。


今、私はここに住んではいるけれど、この土地は誰のものでもないのだ。

地球の大地という見方をすれば、誰もその大地を所有できるものはいない。
いるとすれば、地球だけだ。

植物も動物も昆虫もみんな共有している。
人間だけが「自分のもんだ」と身勝手な主張をして無駄な殺戮をくり返す。
いや、動物にも縄張りがあるから同じかもしれないが、少なくとも自然を破壊することはない。

人間は、「地球」や「自然界」というくくりでなく、「人間界」というくくりの中でだけ話が進んでいる。


本来、人間はそういう動物ではないと私は信じている。
だが、自然と共にあることからあまりにもかけ離れてしまったので、自分を見失ってしまっている。

人間が万物の霊長だと思うなら、せめてそのようにふるまって欲しい。
万物の野獣と化してしまわぬうちに。

自然の中で調和に生きる術があるということを早く思い出してほしい。


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急にものすごく暑くなりましたね。
梅雨明け宣言も出たようで、早速、本格的な夏の暑さです。
夏バテや熱中症に気をつけてくださいね。
電力会社がほくそ笑んでいることでしょうねえ。

記事を書いていたらフリーズして消えてしまいました。残念。
同じものは書けないので内容を変えて載せます。


最近は人間の醜悪な部分がどんどんと露呈されていて、いったいこの世界はどうなっているんだ?と思いたくなりますね。

原発再稼働、いじめ、アフガンの「名誉殺人」、、、。

パターンは似ていて共通項があります。

那智の滝でロッククライミングをしたというニュースも象徴的です。

2700年の歴史上初めてで、岩の隙間に入れて、落下を防ぐための「カム」と呼ばれる道具を使いながら滝を登ったそうです。

普通に考えると、世界遺産であり、立ち入り禁止のご神体に登るなどもってのほかです。
登ったロッククライマーの一人は世界的に著名な方だそうですが、多分、後ろの存在からやれと言われたのではないかと思います。この出来事、おもしろいくらいにいろんな象徴的メッセージがあったので、それについて書いていたら記事が消えてしまいました。載せるなということか、、、?

簡潔に書くと、6/6のヴィーナストランジットが「受胎」なら、この那智の滝の件は「細胞分裂開始」サインといえるでしょう。19日が新月ですので、その変化を見ることとなるかもしれません。

細胞分裂が始まるということは、いのちの成長が始まるということです。
つまり次の世界がこの世界に現実的に現れ始めるということです。

ということは、今の世界は崩れていくということです。


裏であった世界がこれからますます表に出てくるでしょう。
この「裏」は社会的なことのみならず、あらゆる意味で「潜んでいたもの、伏せられていたもの」の表出です。

裏が表に、表が裏に。
個人的にも、社会的にも、地球的にも。


大事なのはそれに振り回されないこと。

今どんどんと暴露されているあらゆる醜悪ないろいろ、これらは崩壊していく旧世界の幻影です。

醜いものがどんどんとでてきていて、人間どこまでエグくなれるのか!と恐ろしくなるかもしれません。

が、逃げないで。

とくに40代以上は。
30代以下はこちらより未来創造にもっと意識を向けてもいいかもしれません。
いや、でも人によるかもしれません。


人間がどれほど愚かになれるか。
自分たちが築いてきた世界がどんなものか。
自分の心の中にどれほど醜いもの、卑しいものがあるか。

などなど、社会現象を通してとっくりと見つめる。

見つめるといっても判断もよけいな反応もしないし、自分でストーリーを作り出さない。

反応しないといっても何もしないというのではなく、感情的に振り回されないということです。

敵を作って攻撃しない、自分の外にも中にも。
ただ起こっている出来事をしっかりと受け止める。


人間のダメさ加減をとことん知るってことでしょうか。

それが人間だと。
それほど愚かなものを人間は持ち続けているのだと。

やはり人によると思いますが、それをせねばならないのは30代後半以上が多いんでしょうね。30代前半以下の人はそこを越えて生まれてきている魂がわりといるようですから。

極まっていく極と対立して戦おうとせず、それを受け止めることができると、その反対の極が自然と現れ始めます。対立するとガツンときます。

自分がその不条理に対して何か感じているということは自分の中にもそれと同じものがあるということですから、自分がそれを持っているということを認め、和合策を模索する必要があるかもしれません。

人間の愚かさを受け止めることができて(それは同時に自分の愚かさでもあります)、初めて自愛と慈愛の心が現れてくると思います。

見て見ぬフリをするとか、無関心でいるというのとは違って、真っ向から見据えるけど、「在る」ということだけを認めて、それに感情を反応させず、良心に基づいて行動していくということです。

ここに書いてあることは個人的なことについてもいえます。
「壁」を崩壊させるために必要なことなのだと思います。


今起こっている問題、これから起こるネガティブなことは崩れ去る旧世界であり、なくなっていくために今現れてきているということを理解する必要があります。

この先どうなっていくのだろうか?と不安の心で見ないことです。
そうではなくて、「崩れ去るために今現れてきているのだ」と見ることです。
崩れ去った先には新しい世界があるのを知っているので、崩れることに動じずに対応できます。

風邪をひいたら、鼻水や熱、咳などの症状が出ることで身体が本来の状態に戻ろうとします。
人間の集合無意識もそのように対応している(ってか、今はエゴとせめぎあっている感じではありますが。人間もちょっとがんばらんと)のだと思います。

などと思いながら、何となく気になって「7月のメッセージ」を読んでみて、なるほどなーと思いました。

世界に絶望しないでください。
現在、膿だし中(生み出し中)だと思いましょう。
それと同時にうつくしいものも生まれつつあります。


前にも載せましたが、これをもう一度見ておくといいかも。


それからこれも。


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「人事を尽くして天命を待つ2」で、映画の「マトリックス」の青いピルと赤いピルの話を載せました。

『青いピルを飲めば、今までと変わりない生活を選ぶことができ、赤いピルを飲んだらもうその世界には戻ることができないが、真実の世界を経験することになる』という選択でした。

私がこれを載せた時点では、私たちの生活に深くしみ込んでしまっている権力者にコントロールされた世界に気づき、その洗脳社会から目覚め、真実の自分を生きる選択をするかどうか?ということ、また、エゴに支配されている自分の思考から解放されることだと思っていました。

確かにそうなのですが、予想とは少々違う目覚めでした。
先日の大飯原発再稼働の時の原発前での抗議行動、あれが私にとっての引き金となったようです。
もうそれまでの世界には戻れないなと思いました。

差別、不公平、少数派、弱者、権力、支配、無視、ご都合主義、、、、

世界に溢れる貧困、飢餓、ストリートチルドレン、紛争、テロ、天災、環境破壊、病気、暴力、不条理etc、惨事は耐えることなくいつもこの地球上のどこかで起こっています。

東日本大震災〜現在の福島でおこっていること、原発、いじめ、差別、、日本でもいくらでもあります。
311以前からもずっとずっとあったことです。


知っていたけど、わかっているけど、自分ではどうしようもないように思われること、、、。

それらを見て見ぬフリをして毎日を過ごし、そのうちそれに慣れて気にしなくなる。
アフリカで飢餓があっても、中東の紛争でたくさんの人が亡くなっても、東日本大震災、原発事故があっても自分は普通に暮らしている。

寄付したり、なにかの活動に参加して関わるかもしれないけど、自分の欲求や幸せを満たすことのほうを優先する。

自分の中のそのごまかしに気がついてしまいました。

それが私が飲んだ赤いピルでした。


世の中の不条理は自分の中にある不条理でもあります。

野田総理と双葉町町長さん。
森まさこ議員が言及していますが、この質疑応答にはその構図がよく現れていると思います。


私たちの中にも野田総理のような存在がいます。

インナーチャイルドや内なる声を無視し続ける自分の中のエゴ総理。
自然に生かされていることへの感謝を忘れ、自分の目的や体制のために他を犠牲にする姿勢。
鉄仮面をかぶり、すっかりそれが本当の自分だと思い込む、等。

今、多くの人の心がどうしようもなく生命の本質からずれてしまっています。
私たちは野田総理を見ながらそのズレに気づいてきています。

支配層に支配されている私たちも、家族やパートナー、部下、知り合い、弱者を支配、批判、差別して、、、やってやられて、全部、同じなんですね。

論議は必要なことですが、お互いが「自分の考えが正しい」と主張することのなれの果てが戦争です。

男性原理社会は常にこの問題を抱えています。

このやり方にはもう限界が来ていると思います。
ひとつの対立を解決させてもまた次の対立が現れ、エンドレスに続きます。
そうやっていては世の中に平和はやってきません。


最近、宮沢賢治が気になっていましたが、まさに彼の「農民芸術概論綱要」の有名な言葉『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』の意味が身にしみているこの頃です。

序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である


まさに今『自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化』しています。

私たちは自分の中にある支配構造、ご都合主義に気づかないといけません。気づかないとそこから出ることができませんし、『一の意識』にもなり得ません。

それは日々、毎日の日常生活の中で起こっていることです。
私自身、自分の中にあるその矛盾や不条理、それに同意できない自分がいるからそこに反応する自分がいます。
私は私で自分を見つめて新しい境地に立たなければいけません。


今盛んになってきている原発抗議行動も、自分の今の生活が脅かされるからという理由だけで参加している人は少ないと思います。
自分のためというより、子供たちのために、地球や自然を守るために、ともっと大きなかけがえのないなにかのために動いているのでしょう。

これからはどんどんと女性原理のエネルギーが現れてきますから、この傾向は強まっていくでしょう。

『新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向』にあります。
「良心」に目覚め、行動することが今、必要な「目覚め」だと私は思います。

それは自分の中の元凶に気づくということかもしれません。
一人一人が自分の中のそれに気づき、そこからブレイクスルーするととてつもない慈しみの心がわき起こるでしょう。

個人の中でそれが起こらなければ、社会現象として大きな悲しみにまた直面することになるのか?
それを乗り越えたのち、やっと人びとは慈しみの心に目覚め出すのか?

自分の中の慈悲心、良心に目覚め,行動すること、それが今求められていることであり、分岐となるところのようにも思います。

ごまかしが続けば爆発します。
きれいごとはもう終わりましょう。

『私たちは血を吐きつつ、くり返しくり返し、その朝をこえて飛ぶ鳥だ!!』とナウシカは言いました。

私たちは今、いのちの本質に向かっています。


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大飯原発が再稼働しました。

首相官邸前抗議行動も、今、大飯原発前で起こっていることも、知っているのはまだほんの一部の人たちです。
できるだけたくさんの人に知ってほしいと思いますので、また原発の記事です。


昨日からずっと大飯原発前でたくさんの人たちが何時間も抗議行動を続けてくれています。

6.29 の首相官邸前の抗議行動は 10~15 万人ぐらい集まったらしいですが、警察の方々も礼儀正しく、騒動もなく終わったそうです。

今回の大飯原発では機動隊出動。
抗議の人たちは音楽とシュプレヒコールでずっと「再稼働反対」を叫んでくれています。
すごいエネルギーです。


Stream videos at Ustream

こちらに実況中継動画、まとめてあるようです。
http://www.ustwrap.info/multi/iwj-fukui1::irene-channel::iwj-oita1::yuzuru-k

現地でがんばってくれている人たちには頭が下がります。
本当に感謝です。ありがとうございます。


下記は6.29の時らしいですが、とてもノリがよかったので紹介♡




そうそう、これ。
野田首相、原発事故の責任を取らないと閣議決定

この「責任の範囲と内容」について、きっちりと問いただしたのが、福島みずほ参議院議員(社民)だ。6月21日に提出した質問主意書で次のように質問している。
〈「私の責任で再稼働を判断した」原発が事故を起こした場合、「事故を起こした責任を野田首相が負う」と理解してよいか。その場合、東京電力福島原発事故で明らかなように、国家社会に与える被害は莫大になることも想定すべきだが、首相としてどのように責任を取るのかをその賠償方法を含め、具体的に説明されたい〉

 この質問に対し、政府は6月29日、「政治的判断を必要とする国政上の重要な問題であり、内閣の首長である野田内閣総理大臣がこれに関与し責任を持って判断を行うという趣旨で述べた」との答弁を閣議決定したのだ。その一方で、事故発生時の賠償については「原子力事業者がその損害を賠償する責めを負う」などと従来の枠組みの説明にとどまっている。

 つまり、「首相の任務として再稼働を決めた」が、「自分のした事の結果、事故が起きてもその被害について責めを負う気はない」ということだ。


野田氏の詭弁はどこまでいくのか、、、。
国民が抗議しても当然です。


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昨日の記事をアップした今日、この動画を見つけたのも楽しい偶然です。

Where the Hell is Matt? 2008



難しいことはいらない。
みんな笑顔で楽しく踊ればいい。

一人が二人に、二人が三人に、、、。

僕も私もあの人も。

最初は彼も一人で踊っていた。
Where the Hell is Matt? 2005 

そのうち一緒に踊る人が出てきた。(最後の方でね)
Where the Hell is Matt? 2006 


前にも載せたけど、この動画思い出すね。



そしてこうなった。

Where the Hell is Matt? 2012



踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らなにゃ、そんそん!


ずっと大飯原発のためにおおい町でがんばってくれている人たちもいます。
「大飯テント村」

だんだん人数増えているようです。Ustream放送もしてくれてます。
6/30までにいける人は応援に駆けつけてください。残念ながら私はいけないですが。


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「人事を尽くして天命を待つ1」「人事を尽くして天命を待つ2」からの続きです。

311後は自分の人生や生き方の見直しが多かったと思うのですが、今回は自分や家族のことだけでなく、未来のために、地球のために、世界のために動けるか?という問いかけが来ている気がします。
だからすごく良心が問われている気がするんです。

先日の野田総理の国民に向けての声明に真実や誠意を感じた人はいたのでしょうか? 取り繕ったウソのオンパレードだったように思います。

形だけの心ない茶番劇で国民はしかたがないとそのうちあきらめるだろうという意識なのでしょうか? 多分、原発2、3機動き出したら静かになるだろうぐらいに思っておられるのでしょう。
実際、抗議行動を起こしているのはまだ一部の人たちですから、その可能性は大かもしれません。

でもこれって、私たちの中にある「自分ってどうせ、、」ってあきらめるのと同じだ、、、。

もし「自分なんてしょうもない、たいしたことはできない」と思っていたら野田総理を責められない。
なぜなら彼は「あなたはそうなんでしょ?」と見せてくれているに過ぎないから。
(これは自分が自分の経験する世界を作り出しているという観点から見ています)

私たちはどこまで自分の価値を下げれば気がすむのでしょうか?
私たちは本当にそのように無力なのでしょうか?

この原発再稼働問題は、ひとりひとりが奴隷から脱出して、人間としての尊厳をとり戻すためのものでもあると思います。

何言ってんだ、おめえ、バカじゃねえか?と思う人はそれでいいです。
自分の思うところを生きてください。

「うん、わかるよー」と思う人は、自分自身のために、未来の地球のために、子供たちのために、大義を掲げて行動してもいいのではないでしょうか?

それはなによりも自分にウソをつかない行為だと思います。


個人がエゴ支配からの脱皮をする時期が来ているように、日本も権力支配社会から脱皮をするべき時にさしかかっていると思います。

それは上層からは決してなされません。
ピラミッド構造の下の方にいる人たち、私たちの大きなうねりによってのみ,なされるものだと思います。


これは私の感じるところですから、みんながこのように思っているとは思いませんが、この大飯原発再稼働抗議行動は、私たちの中の「支配的なものへの服従からの脱皮」を象徴するような気がします。

私たちが脱原発に向けての行動を起こす時、それは自分自身を支配している世界観や価値観から自由になることの象徴的行為でもあるように思います。


最近「良心に従え」とよく自分の中にでてきます。この「良心」は道徳とか秩序、良識とは違います。エゴが静まった澄んだ心の状態とでもいいましょうか。

原発再稼働、このまま「仕方ないさ」とやり過ごすのは、多分、たくさんの人が、本当にあるべき姿でないと感じていると思います。

首相ももしかしてそうかもしれない、でも大きなシステムの中でそれができない、、、

そういう人がほとんど。
私もそうです。全力でそれに立ち向かっていません。
だから本当はこんなことを書ける身分ではないのですが、書かないよりはマシ、、、ということで。


もしあなたが再稼働反対であれば、行動で示しましょう。
また、原発なしの豊かな社会を想像してください。
それを想像する人が増えれば増えるほどそれが実現する可能性は高まります。

現実世界ではまだその気配がなくても、そのエネルギーは蓄積されていきますから、人知を越えた奇跡を起こす可能性を作りだします。

パラレルワールド的に考えても良いと思います。
再稼働しないビジョンを描くとその世界に移行すると。


ものすごくおもしろい時期に来ているように思います。
自分の無力さを感じながらも、それを越えていける可能性も秘めています。

私たちが意思表示して動くことで、国レベルで奇跡を見ることになるかも?
再び神風は吹くのか?

それを早めるためには自分ができる行動をすることだと思います。
ビジョンを描くだけより、行動が伴う方が実現は早いです。

大飯原発再稼働が実現しなければ,他の原発の再稼働も難しくなり、脱原発に向けて大きく動くように思います。
再稼働してしまえば、次々に他の原発も稼働する可能性があります。すでにメディアは、他の原発も再稼働が必要というニュースを出し始めています。

最悪のシナリオが発動する前に奇跡のシナリオに移行できたらと思います。


ヴィーナストランジット後に盛り上がってきた大飯原発再稼働問題。
20日が新月。21日が夏至であり、今国会会期末。7月4日満月。
フル稼働はその後みたいですね。

まずは、来週22日の首相官邸前抗議行動。前回約11000人集まってます。前回の今回だからもっと集まると思います。
関西は大阪関電前で前回500人ぐらいだったらしいから,声かけ合ってもっと集まりましょう!

「脱原発=脱エゴ支配」に載せた抗議行動の動画をとった女性が感極まって泣いておられましたが、実際そのようなパワーがあります。
テレビで外国のデモ見ていると、対立という感じで攻撃的ですが、全然そんな風でなく、どちらかというと「和」や「祈り」を私は感じました。

こちらはちょっと先ですが。 7.29 国会大包囲
『巨大デモの後、国会議事堂をキャンドルで囲みます。』とのこと。
あー、いいなあ、わかるな、それ、と思ってしまいました。

いける人はとにかく行って欲しいと思います。

再稼働反対の人は、心の中に原発なしでの幸せな楽園を創造してください。
再稼働しなくてみんなで抱き合って大喜びしている様子でもいいですね。


エックハルト・トール〜魔法の処方箋「あるがままを受け入れる」


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前回の「人事を尽くして天命を待つ」の続きです。

原発再稼働問題の話をマインド面からのアプローチで書いています。
ので、あんまり現実的でないかもしれませんが、けっこう大事なところかも?と私は思います。

自分が体験している世界は自分が作り出しているとしたら、自分の視点、世界観、価値観を変えたら世界も変わる、、、かもしれない。

今日ちらりと読んだカルロス・カスタネダの「未知の次元―呪術師ドン・ファンとの対話」にこんなことが書いてあって、この表現言い得て妙だなあと思いました。

『わしらは泡の中にいる。わしらは生まれた瞬間にその泡の中にいれられるのだ。最初、その泡は開いているが、それはしだいに閉まりはじめ、最後にはわしらを閉じ込めてしまう。その泡がわしらの知覚なのだ。わしらは生涯その泡の中で暮らす。そしてそのまるい壁に見えるのは自分自身の映像なのだ』

『そこに映っているものがわしらの世界観なのだ。その見解は、最初は、わしらがうまれた瞬間から与えられる表現だが、やがてわしらの注意は完全にそれにとらわれてしまい、表現がひとつの見解になってしまうのだ』

そうして自分が体験する世界は限定されます。
普通はそれに気づかずにその世界の中で生きるわけです。

今起こっていることは、原発に限らずですが、私たちが泡の中で目覚めはじめているということです。
ひとつの泡の中で映し出される世界に自分がいるということに気づきはじめ、その泡から外に出ようともがきはじめている段階です。

ここ数年、個人の意識の中でそれは起こっていましたが、今は社会現象として現れてきていると思います。個人の意識変革が遅れているので、その分、現象界に出来事として現れてきて、私たちの意識変革が促されているのだと思います。


原発再稼働をめぐる問題は、まさにこの泡から出ようとするひとつの象徴的行為のように思います。

再稼働が決定して、みんなの気持ちが一気に下がり、メディアも原発のニュースをあまり流さなくなったとしたら?

「自分たちが動いたってどうせ何も変わらない、、」モードで、誰も原発稼働のことについて何も言わなくなる、、気づいたら、あちらもこちらも原発が稼働している、、、。

これこそ「私たちは洗脳された奴隷である」と認めるようなものです。
そして「人生こんなもんさ、どうあがいたってどうにもならないさ」と自分に背を向けながら過ごす毎日。

「自分はこの程度さ」とあきらめ、すでにしかれたレールの上をとぼとぼと歩いていく。
その中でこれが幸せなんだよと自分をごまかし、自分にウソをつく。
自分の子供たちにもそのように生きることを強いて、、、そのくり返し。

それを幸せと信じて生きていく。

原発が稼働し、福島のことは過去のこととして葬り、見ないようにして、私たちは再び電力を贅沢三昧に使い、大地震が起こらないことを祈りつつ、生きていくこともできます。

でももう私たちは、福島で日本で何が起きているかを知っています。

それを黙認し、目を背け、自分の幸せだけを追求する、、、
自分たちさえ良ければ、他はいいのよと知らん顔。

真の自分はごまかし続けている自分を知っています。
それを続けてきたから、今、人が、社会がこわれてきている、、、。

311が起こって、人生が変わった人、見直しを突きつけられた人は多かったですが、今回もまた「あなた、まだ自分に嘘つき続けながら生きていくんですか?」と突きつけらているように思います。

映画「マトリックス」の「赤いピルか、青いピルか?」というところですね、今。


自動翻訳がヘンなので、こちらに翻訳です。
(M:モーフィアス  N:ネオ)

M :なぜ君がここにいるか、説明させてくれ。

君がここにいるのは君が何かを知っているからだ。自分では説明のできない何かを。君はそれを感じるんだ。君の人生のすべてにそれを感じるんだ。何かわからないけど、世界の何かがおかしい。
でもその何かはそこにあるんだ。心の中にある破片のように。
そのフィーリングが君を私に引き合わせた。
何を言っているかわかるか?

N:マトリックス?

M:マトリックスが何か知りたいか?

マトリックスはどこにでもある。
私たちのまわりにあるものはすべてだ。今ここの、この部屋さえもだ。
窓から覗けば、それが見えるし、テレビをつけても見える。
仕事に行く時に感じることもできる。協会に行く時も、税金を払う時も、、、。
真実が見えないように、真実から君を遠ざけるために作られた世界だ。

N:どんな真実だ?

M:君が奴隷だってことだよ、ネオ。他のみんなと同じように生まれた時から拘束され、匂うことも味わうことも触ることもできない牢獄。マインドの牢獄だ。

残念ながら、誰もマトリックスが何かを教えられた者はいない。
自分自身で見つけなきゃいけない。
これが君の最後のチャンスだ。この後はもう振り返ることはできない。

青いピルを飲むなら、ストーリーは終わり、君はベッドで目覚め、自分が信じたいものを信じる。

赤いピルを飲むなら、君は不思議の国に残る。
そして私がどのくらいうさぎ穴が深いかみせてあげよう。

・・覚えておくんだな。私が見せるのは真実以外のなにものでもない。


青いピルか、赤いピルか、どちらを選ぶかはそれぞれ個人の自由です。


また長くなったので,次回へ続きます。

6.22緊急!大飯原発再稼動決定を撤回せよ!首相官邸前&大阪関電本店前抗議


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やはりこの時期、原発関連のツイートが増えてしまいます。

しかし、今回はまざまざと見ました!
2012/06/15に行われた首相官邸前 大飯原発再稼働抗議行動に11000人が集まったそうですが、まったく日本のメディアでは報道されなかったようです。
うちにはテレビがないので、テレビ報道はわからないけど、ネットでは探しましたが、個人発信以外は見当たりません。
海外メディア報道のみ。CNNニュース


2012/06/15大飯原発再稼働抗議行動に11000人!!!@首相官邸前


動画をとられた女性の方も泣いておられますが、私もうるうるでした。集まってこられたみなさまに感謝します。ありがとうございます。

幸いにもツイッターなどで情報が見れるので、リアルタイムでなにが起こっているかがわかります。といっても11000人という数字がどうやって出てきたのかは私にはわかりません。なにかカウントする方法があるのでしょうか?

しかし、本当にメディアは情報操作されているんだなーと今回は露骨にわかりました。高橋被告の逮捕を同日にしたことにしても。

これは反対に情報操作されていることをますます市民に(といってもやはり一部でしょうが)知らしめることになったと思います。そういう意味では報道されないことにも意義があったかと。
ただ、脱原発情報でも情報操作受けてしまう場合もあるので、気をつけないとね。

400人規模のデモは報道されていますから、テレビ情報しか知らない人には、ほんの一部の人だけが原発に反対しているような印象を与えるでしょうねえ。

6/22(金)にもまた抗議行動があるようです。
 ↓ ↓ ↓ ↓

!6/22(金)18〜20時、首相官邸前にて原発再稼働反対の超大規模抗議行動を行います。10万人規模で抗議しましょう!このページの「ツイート」ボタンで拡散にご協力下さい!


ここに『当初300名程度だった参加者は、1000人→2700人→4000人→11000人と、回を追うごとに劇的に増加していきました。』と書いてあります。

人数が少なければ、反体制派とか過激な人たちで片付けられますが、無視できない人数になってくると市民の声みたいになってきます。
日本人は多数に従う傾向があると思いますので、1万以上の人が抗議行動に集まったということが知れると、「たくさんの人が反対しているんだー」と長いものにはまかれろ的にもっと人が集まる可能性があります。とりあえず行っとこ、みたいな。抗議行動に「行かない自分は悪い」と罪悪感を感じてしまう人もいるでしょう。

そういうのもどうかと思いますが、たくさんの人が集まることで、今の体制が変わる可能性が出てきます。今回の再稼働に疑問を感じる方はぜひ参加されてください。


ところで、ひとつ気になったことがあります。
大阪での抗議行動は関電前だったので、関電での仕事を終えて帰る人たちがいました。デモ隊の間を通らねばならず、無言でささっと行かれるのですが、その人たちに向けて「人殺し!」と叫ぶ人たちがいました。

もしその方達が福島方面からこちらに避難した人たちだとか、それなりの理由があって言っておられるのならいたしかたないでしょう。
でももしそうでないなら、そのようなことは言うべきではないと思います。
15日のデモでも遺影がありましたが、あれもどうだろ?と思いますけど。

関電に勤めている人たちがみんな再稼働に直接的に関与しているわけではないですから、その人たちにそんなことを言うのはお門違いでしょう。

電気を使って便利な生活をしておきながら、不都合が起きると人殺し呼ばわり。
不都合が起きると「想定外です」というのとそう変わらないように思います。

関電に勤めている人たちの中にも心痛めている人もおられると思います。

すみません。その人たちに現場で言わず、ここに書いている私も卑怯者です。ごめんなさい。けど、続けます。

今の原発再稼働が人道を外れるものだとしたら、脱原発をめざす人たちが同じく非人道的なことをするのなら、根本的に何も変わらないような?


脱原発運動は、脱原発をめざすというだけの話ではないと思います。

原発事故による環境汚染や事故をなくすということはもちろんですが、私たちのライフスタイルを変え、考え方を変え、洗脳から目覚め、思いやりをもち、慈しみの心をもち、人間という種が、日本人という国民がその存在を地球に誇れるようになることが象徴された脱原発運動だと思います。

今の大量生産、使い捨て、環境破壊、贅沢三昧、自分さえよけりゃ人はどうでもいい、地球はこの人間さまのもの、etc. という意識も変わっていかなければなりません。

冷房低すぎて寒いとか、暖房かけてTシャツでいるとか、トイレのふたの開閉が自動とか、至る所をアスファルトで埋め尽くすとか、、、それどうなのよ?と思うことは枚挙にいとまがありません。


「原発くん」は何も悪くないのですが、それに携わる人間が問題です。

人間のエゴが原発に象徴されていると思います。

脱原発は原発に頼らないということだけでなく、私たち自身がエゴ中心で生きるのをやめて、自然と共に全体意識を持って生きることを選ぶということの象徴だと思います。

脱原発=脱エゴ支配。脱分離意識。


この大飯原発の再稼働問題は、今までの価値観とライフスタイルで生きるのか、新しい生き方を模索するのか?の選択を問われている気がします。

地球はすでに選んでいますから、人間がそれに沿うか、反するかで、これからの事情は変わっていくでしょうね。

再稼働は決定しましたが、本稼働までまだ間があります。それがくつがえせる可能性は十分あると思います。

ところで、「国旗と国歌について村長の認識は」という質問に答えた中川村の村長さんの返答が素晴らしいです。総理や大飯町長もこのような志しがあれば、違う流れになっていたかもしれません。
でもまた今のようになっているからこそ国民が動き始めているので、なるようになっているのかもしれません。

野田首相の声明の詭弁について書かれています。その差は明確です。
内田樹の研究室「国民生活」という語の意味について


現在、大飯町公園に集まっている人たちからの実況中継
「大飯!ど・フリー行動!」


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若狭の海 姫野洋三


若狭の海に雪が舞う
あやしげな光に包まれて
行き交う船に力もなく
重くのしかかる原発銀座

夜をあんなに明るくしといて
夏をあんなに寒くしといて
まだまだ足りないなんて

足で扉を開けて
足を使わず階段登る
電気でお湯を沸かして
電気で野菜を作る

夜をあんなに明るくしといて
夏をあんなに寒くしといて
まだまだ足りないなんて

味も香りもない放射能
毎日せっせと作り続けて
孫の孫の孫の孫の代まで
汚れた世界だけを残すという

夜をあんなに明るくしといて
夏をあんなに寒くしといて
まだまだ足りないなんて

若狭の海に立てば
暗闇の静けさの中
いのちの叫びを聞く
いのちの叫びを聞く

夜をこんなに明るくしといて
夏をこんなに寒くしといて
まだまだ足りないなんて
まだまだ足りないなんて


20120607 緊急アクション ダイ・イン&座り込み/原発いらない福島の女たち



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ホームページ「いのちおり」をリニューアルしました!
前よりは見やすくなったと思います。
まだリニューアル中なので、どこかリンク漏れなどありましたらすみません。


ここんとこずっと左脳が「しなければならない」と思うことはできるだけしないようにして、気分で気の向くままに動いていますが、どれほど心配と不安が「こうしなければいけない」という命令を出しているかがわかります。
その根底には「・・は・・・である」という信念(この場合は思い込みなんですが)があります。
以前と比べると相当減ってはいるはずですが。

そのつどそのつど「これをしておかないと・・かも?」という不安がすっとよぎり、それに気づかないとそのまま動いているのでしょうが、「あ、これ、思い込み」と思ったらその方向にいくのをやめます。

そして、「それしなくても大丈夫だよ〜」という事実の中にググーッと入っていきます。

と大丈夫みたい。

というようなことを実験中。

過去からやってくる現実と、今作り出している現実とが交差しますが、「あらそう?」と思えることも多いです。


「魂も幻想なんだなー」というところにたどり着いて、「じゃあ、自分は〜〜?」と思いましたが、その答えも得て納得。今日は言及しませんけど。

愛についても以前から自分は愛がないよなーと感じていて、「宇宙の愛は冷たく思える」という話を聞いてちょっとほっとしたものです。
自分はけっこう冷徹になれるし、情も深くないと思うし、かなり自己中心的です。

自己中といえば、これに励まされました。→ 「叶恭子の名言集」


「愛のある人」というのも世間一般の定義があるから、「愛のある人はこんな人」ってイメージがあり,それに沿ってないと愛のない人だと自動的に思ってしまいがちです。

私たちはこういう洗脳を山ほど受けているんですね。
そしてそれに沿ってないと、自分はいけないのだ、ダメなのだと理想と現実とのギャップに悩みます。


今日は、高次元の存在ということについてそれを思いました。
神々しいとか、畏れ多いとか、神聖とか、光り輝く存在のように私たちは思いがちですが、そうではないかもしれない。

実はすごくフツーかもしれない。

私が「ただある」という経験をした時、まったくあたりまえすぎて、ホント、ただ、あっただけ(笑)
何の感動も何もなく、そのまんまでチリひとつ変える必要もなく、これでいいのだという状況で、人に話すにも面白みもない。はっとひらめくことすらなかった。それには愛もいらないとわかった。

「いや、ホント、そのまんまです。ただあるだけです」というしかない(笑)


人それぞれ,その人が思い描く真理や愛がその人の経験となるのでしょう。

人間は自分の理想を当てはめて,見たいものを見ようとしているのかもしれないと思いました。

私にとっての真理も愛も高次元存在も、実際は、塵やホコリと同じくらいさりげなくそこにあるものなのかもしれません。

あんまりにも当たり前すぎて、なんだ、いつもそこにいたよね、みたいな感覚かも?

確かに、どうしようもなく感動する愛や、ははぁーとひれ伏して畏れ多くて頭上げれないような神々しさなども現実にあるけれど、少なくとも自分はそこには向かっていないのかもしれない。わかんないけど。

だんだんと思考の皮がめくれるにつれ、理想もはげ落ちていく気がします。


・・と、今日はつれづれなるままに書き留めました。


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ところで、放射線問題はいったいどうなの?
と思っている人は多いと思いますが、私もそのひとりです。

読者の方(Yさん)からメールをいただきましたので、
私の思うところをシェアしたいと思います。
『 』はYさんのメールからです。


『福島の原発事故由来の放射能を、
「危険」だという人と「安全」だという人と、
二手にはっきり分かれてしまいました。
お互いがお互いを完全に否定しています。』

『多くの人が、「不安になる方」を選び、
不安になる情報ばかり次々と集めてますます不安になっています。
ひとたび不安になると、その不安を肯定してくれる
「危険である」という情報ばかり集めるようになり、
そこから抜け出せなくなるのではないかと思います。』


一番危険なのは不安で心を満たすことでしょうね。

放射線に限らず、世の中には人々に恐怖を植え付ける情報が氾濫しています。

毎日ニュースで殺人や事故について流し、
ドラマもえぐいのしてますし、社会全体がその傾向なので、
その影響を受けてない人の方が少ないでしょう。

親が子に否定語を浴びせて育てている場合も多々ですので、
その中で育つと否定的に受け取るクセがついてしまいますね。

あくまで植え付けられた「くせ」であり、
そういう思考パターンに陥っているだけで、
それが本来の性質というわけではないですが。

それに気づいてそこから抜け出すのに何十年もかかったりします。
でも、それもまた意味があることだと思います。


病は気から。
「タバコを吸うと癌になる」と言っても、なる人もいればならない人もいます。

いつも書いていることですが、
「今」なにを思っているか、感じているか?が大事です。



『私は「安全である」と思う、という道を選びましたが、
ここ数か月、以前の自分からは想像もできないような、
本当に毎日が満ち足りて幸せを実感できる日々です。
(生活自体は変わっていないのですが、心の持ちようが変わりました。)』


それは素晴らしいことだと思います。
ぜひ続けていってください。

自分自身が何を選択してるかで、心の状態ははいかようにも変わりえます。
それはどんな状況においてもいえることだと思います。



『「危険派」の皆様は、本当に大丈夫なのでしょうか。
このまま二極化が進んでいくことで、皆様は
「恐怖と不安と猜疑心の世界」の住人になってしまわないでしょうか。
それがとても心配です。』


自分のあり方次第で、幸せにも不幸にもなれますね。

私の中では二極化としてわけられてはいなく、
「無関心派」「多数派」「わからない派」などもあると思っています。

「危険派」にもただ恐れている人もいれば、原発依存や社会を変えようと動いている人もいます。
怒りややるせなさがあったり、批判を楽しんでいたり、憂さ晴らしでしている人もいるでしょう。


「恐怖と不安と猜疑心の世界」の住人になる人がいてもいいと私は思います。

自分が考慮すべきは、

その人たちをそのように見ている自分の視点と、
その人たちに対して自分はどうありたいか?

というところだと思います。


人それぞれ千差万別、いろんな受け取り方、接し方があっていいと思います。


ある状況に対して自分はこういう風に感じる。

では自分はそれに対してどうしていきたいか?


自分が信じるところを信じて、行動すればいいのではないでしょうか?


自分の思うところをブログなどに書いたり、周りの人に伝えたりするのもいいことだと思います。私もそうしていますし。
人は必ずしも賛同するとは限りませんけど。


人がどうであるというのはあくまでも自分から見た見解なので、
そこに何か言っても、それは自分の価値観で判断している現実にすぎないと思います。

だからその「現実」に対してどう感じて対応するかは自分の問題であり、
その「現実」が問題ではないのです。
なぜならその「現実」は自分の中で再生している現実ですから。

自分にとっては問題に見えますが、
自分が問題と思って見ているから問題に思えるということになります。


バシャールのこの話が参考になります。

望むリアリティを創り出すマントラ 1/2 

マントラは
『状況は問題ではない。私のあり方が問題だ。私はどんな状態を望むのか?』

そして,選択してください。選んだ状況に向かうように振る舞ってください。



二極化が気になるのは、自分の中にそれがあるからだと思います。

「危険派」の人が「恐怖と不安と猜疑心の世界」の住人になってしまうのではないか?と思って「危険派」を見るとそういうところがたくさん目につくようになります。


恐怖の世界に生きている人たちがなぜ気になるのか?

自分の心を探ってみられるとそこに答えがあると思います。


放射線に恐怖を感じている人は、

「その恐怖が何に根ざしているのか?」

それを感じてみられると良いと思います。


不安になって感情的批判的になっているだけではなにも解決にはなりません。

Yさんもおっしゃられていましたが、放射線より,それに対して不安になっている心の方がはるかに身体に悪影響があると思います。


Yさんはまわりに流されず、自分で調べて探して、自分はこれを信じようというものを見つけられました。

そういう姿勢が大事だと思います。


これからますます混乱の時代になっていくと思います。
自分がOKでも、まわりが混乱の中にいるのを見なければいけないかもしれません。

その時、

何を信じるのか? 
自分はどうありたいのか?

自分の直感と信念に従っていけるよう、自分を鍛えておきましょう。

後悔のないように。

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チップ・コンリー「人生に大切なものを測る」2


(動画より)

GHN(国民総幸福量)

ブータン国王が主張したのは、「政府は目に見えない幸せを重んじるべきではないのか」ということでした。
国王は実際に国の幸福量を測り、管理し始めたのです。

「わが国の目標は幸福を生産することではなく、幸福が起こりやすい環境を作ること。つまりは幸福の住処をつくるのです」

幸せはお欲しいものを手に入れることではなく、すでに手にしているもので満足すること。

あなたは今日から何を測り始めますか?
あなたの人生に意味を与えているものは何だと思いますか?

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

一国を治める人にこのような指針を持っていただけたら,その国は素晴らしい国になると思います。

今の日本政府がそうでないことに文句を言ってもしょうがないし、そうなるのを待つのも気が遠くなります。

これは個人にあてはめても言えることですから、他にそれを求めるのではなく、私たち一人一人が、自分自身で幸福が起こりやすい環境を作っていくべきでしょう。

自分の生活、家族、会社など、、、。

どこをどうしたらいいのか?
何を基準に生活しているのか?

もう一度見直してみましょう。

あなたにとっての幸福とは何ですか?
あなたはなにを基準に生きていますか?


下記もその人なりの基準によって行動されています。その方はそれが適切なことだと思われたのでしょう。
福島では小学校教育でまるで戦前に戻ったかと思う教育関係者の発言が見られる。

ある小学校では、福島から避難することを口にした児童を教諭がみんなの前で名前をよび、「あなたは日本国民ではありません、裏切り者です」と言った。

さらにある小学校(特定しています)では登校時にマスクをした児童に対して、先生が、「マスクを取りなさい! その様な行為が風評被害を招くのです!」と叱った。

(中略)

原発は危険だから東京には作れない」といって、東京の電気を福島で作っていた。なぜ、福島の人がそれを受け入れたのだろうか? 東京にはA級国民が住んでいて、福島の人はB級国民だからだろう。お金を持っている東京の人は「電気は欲しいけれど子供は被曝させたくない」と言い、貧乏な福島の人は「ご主人様がそう言われるのだから我慢しよう」と言う。

この先生方の言葉を聞いて、私は福島の先生が子供たちに「被曝は受け入れなさい。ご主人様のご命令だよ」と言っているように聞こえる。「絆」という字がいかにも欺瞞に聞こえるのはその所為だろう。

被曝を避ける子供に「裏切り者、非国民、風評被害」となじる先生の姿は鬼にしかみえない。政府、マスコミも野蛮人に見えたが、実は福島の先生も野蛮人で、被曝を良しとするなら、仕方が無い。

しかし、残念だ。そんな日本に住んでいると思うと残念だ。今まで、なんで先生の言うことを聞き、新聞を読んできたのだろう・・・・・・
「教育は戦前の暗黒時代へ・・・教育関係者の魂に期待する」武田邦彦


本当に大切なことは何か? 人はどうあるべきか? をよく考えてみれば(本当はよく考える必要もないものだと思うけど)、自分はどう行動すべきか、なにを基準にすべきかが見えてくるのではないでしょうか?

それは大勢や体制に従うことではなく、あなた自身が感じ、考え、決めることだと思います。

そして、この地球に、この国に、あなたの地域に、あなたの住まいに、美しい幸せの住処を作っていただきたいと思います。


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今、サティシュ・クマール氏が来日されていて、ドキュメンタリー映画と講演が行われています。

私は昨日の京都公演に行ってきました。
たまたま前日に見た新聞のちっちゃな記事で知りました。
まだ空席もあり、ラッキーでした!

都内でも何回かあるようですが、すでに満席になっているところもあるようです。
たくさんの人が彼の話に興味があるのは嬉しいことですね。

2月24日(金)19時〜21時、★定員締切、サテライト席受付中★都内・アップリンク
2月25日(土)14時〜17時、都内・明治学院大学白金キャンパス3101教室(定員350名)
2月26日(日)13時〜17時、★満員御礼★国分寺市・カフェスロー
★new★   17時〜21時、横浜市・善了寺本堂(定員120名)
2月27日(月)18時〜20時半、都内・聖心女子大学宮代ホール(定員250名)
2月28日(火)18時20分〜20時20分、★満員御礼★都内・会議室「東北復興緊急カフェ」(要予約、定員30名)

詳細はこちらをみてください。
ナマケモノ倶楽部


以前も載せたサティシュ・クマール氏のインタビュー

サティシュ・クマール氏 インタビュー 2009(聞き手:枝廣淳子)



昨日の講演に行って思ったことは、彼は世界を変える話をしているんですが、ものすごくだれでもができることを話されるんですね。

例えば、

・食を変える
・十分に眠る
・たくさん歩く

上記のインタビューは2009年のものですが、311を経て、今の私たちにはますます大切な考え方として,これからの社会や生き方に反映させていくべきではないか?と思います。

以前の記事「視点を変える」にこのようなことを書いていました。
本当に、地球のこと、人々のことを考えている人はごく少数です。

それでもあきらめないでください。
数も大事ですが、一人の人物にも全世界を変えられるということを覚えておいてください。


既成のあり方にのっとってやろうとすれば、もちろんうまくいきません。
古い仕組み、価値観の中で新しいことをしようと思っても限度があります。

が、視点を変えるのです。

いったんその思考の枠組みから出て、新しいルールセットの世界に入れば、それ以前のルールは適応しないので、思わぬ盲点からガラリと世界を変えることができます。

みんなが同じ方向を向いていてはダメなのです。
みなが見ていないところ、関心を払っていないところに注意を向けてください。


私がここ数ヶ月から「すき間」を探していましたが、彼はそれをしている一人かもしれないなと思いました。

現実的な人は、「じゃあ、ばらまかれた放射線はどうするのだ?年金問題は?失業は?人口増加は?大衆がそう簡単に変わると思うか?夢物語を語っている場合ではない」というかもしれません。

今ある問題をどうするか?を具体的に考えるのも大事ですが、それに対応していたら社会が変化するのは気が遠くなるように遠いだろうと思います。

「現実問題をどうにかしないと社会は良くならない」という前提の中で動いていれば、現実問題が解決しない限り、社会は良くなりません。
が、現実問題が解決することがあるか?といえば、多分ないでしょう。

それより「まったく違う土壌に立って物事を見てみる」という策もあります。
少数しか見ていないような盲点から鍼を刺すようなことをするほうが、がらっと全体が変わる時が来るのが早いだろうと思います。

もちろん具体的に現実問題に対応していく人も必要です。
人それぞれ、自分のできることが違いますから、自分が能力を発揮しやすいところで行動すれば、効率が良くなります。


クマール氏の話は盲点ではないのですが、彼の信念や情熱は、3S=土(Soil)、心(Soul)、社会(Society)思想により、新しい社会や私たちのあり方を提案することで現実問題を変えていこうとされています。

現実社会の問題改善を論議するより、よりよい社会や私たちの生き方を提案することで、今の私たちの行動と考えを変えていく、そういう視点といえるでしょう。
これが、私が探していた「すき間」なのかな?と思ったりもします。

彼は今の世の中を変えていきたいと思っている人々に夢を見させることができる人だと思います。

そして、その夢を引き継いだ一人一人が今、自分にできることをしていけばよいと思います。

できるだけたくさんの方に見ていただきたいと思います。

興味があるけど行けないという方は、DVD販売もありますし、4月から上映会が各地で企画されているそうですので、機会を見つけて見てください。

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伊勢谷友介:人類と未来」からの抜粋。


『衣食住』にまつわる持続可能なものの物質的な提案だけでなく、概念的な提案というのがはじまっているんですよ。どうしても、自分一人のアクションではどうにもならないと思っている人も多いと思うんですが、少し想像力を働かせてもらえれば、本当は、みんな社会とリンクすることができるはずなんですよね


『マイクロパトロンプラットフォーム』
新しく企画を立ち上げたいと思う人が、サイト上で企画のプレゼンをして、そこに共感した人たちがその活動資金を五百円とか千円という少額から支援できるという仕組みになっています。今まで企画側はお金をどこから集めるかというと、大きい企業などからしか集めることができなかったんですけど、これに関しては一般の人たちが少額から支援できて、自分のお金がどう使われるかを見届けることができる。それはインターネットというツールを使えるということが大きくて、インターネットによって僕らが想いをコネクトして実行できるという事実は、昔の人間には持てなかったテクノロジーなんですよね。これを活用することで、“一人一人が想いを実行できる”。それは、僕は“自由を得ること”だと思っているんです


自分たちの意見や想いがきちんと自分たちの社会に実行される社会を作ろうということですね。自分たちの生活に対して、必ずペイバックしていくように自分たちで決断していくこと。それぞれが自分で考えて、実行できる人になるということ。そうすることで、人の意識が上がってくると思っています


僕らはみな、全体の中の一人だから、その力をちゃんと自分で発揮していくことが、それぞれ個人が生きる意味だと思うんです。本当の意味で人間が知恵を使えるようになって、“僕が変える側になる”という、それくらいの自意識を持っていけば、社会全体との関わり方が変わってくる。


そのためにも、ただ『やる』ってほざいててもしょうがなくて、やり方を考えなくてはいけないんですよね。つねに僕らはアイデアがあったら実行する方法を考える。ありがとうと言わないのに、思っているだけなら意味がないとかいう話もあるじゃないですか。僕らはそのつもりで、本当にいいことを思いついたら、やり方を考えて、一般の人でも動けることをどんどん実行していきたいんです


だからこれをやることで金を儲けたいわけではない。これをやることで国民のレベルが上がる。一緒にそれを押し進めることが、僕らのためじゃなくて、僕ら以外の人たちのためになって、それが結果、僕らのためになって、僕らの目的になる。“人類が地球に生き残るために”という目的にね。だから新しい考え方で横で繋がっていくことをどんどんやっていきたいと思っているんですよ。


今僕らがやろうとしているのは、刀抜いて維新を起こすのではないんですよね。全体に対しての愛情を知恵で形にして、社会にどうドロップするかというのが僕らの言ってる維新だから、全然目線が違う


ただ、大事なことは、諦めないこと。やっぱり大変なんですよね。最初に物事をひっぱる人というのはそれなりに体力使うし、かなり痛めつけられることもある。だけど、それを一緒に耐えて、新しいものに変えていこうという心つもりは、みんなの中に生まれている感じがするんです。だって、今、この世界を背負って生きているのは僕達ですから。だから僕らがやらなかったら、僕らの下の世代の奴らが、“お前らホント何やってたの? なんで資源がなくなることわかってて使い切ってんの?”って言われますよ。でもそれは絶対言わせないって思ってる。“僕らの世代は頑張ってここまでした、あとは任せた!”って言って、僕は死にたいですね

-----------

個人個人が、暮らしの中でこのような意識を持って、自分レベルでできることを行っていくといいと思います。
もしそれに対して何も行動できなくても、考えるだけでもそちらへエネルギーを注ぐことになります。

より健全な方向に自分のエネルギーを費やしましょう。


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「現状を受け入れることから始まる」の続きです。


「今の状況ではダメ、今の自分ではダメ」という出発点だとつらくなります。
今の自分がダメだから他のものになろうとすると、できてない自分を常に見ることになります。

自分が今その状態、状況であるのは意味あってのこと。
宇宙が、あなたがそれを望んだから、その状態があります。

そのままの自分が誰かにとって世界にとって価値のある存在だから、今、あなたはその状況でそのように存在しています。

ならば、そのままのあなたでできることも十分あります。

苦しくなるのは、自分と誰か/何かを比べているから。

比べている時は、自分の不足を見てしまいます。

不足というのも幻想です。

自分でそう思っているだけで、真実の姿は満たされています。

この世の本当の楽しみ方は、そこに気づきながら不足を楽しむことでしょう。

私たちは真実の姿を長い間忘れていましたので、不十分な自分を見て、完璧になりたいとそれをめざしました。

が、今、わたしたちはもともと何も不足していない、完全な状態だという記憶が蘇りつつあります。

完全な状態だからこそ、不足を経験して楽しみたいのです。
そうやってますます完全な状態になりたいのです。

ということは、完全な状態というものさえも進行形です。
完全だと思ったとたんにそれは完全でなくなり、新たなる完全性をめざします。

ゆえに宇宙は常に現在進行形です。

現在進行形である宇宙の意識に気づき、自分もその参加型宇宙に参加していると認識し、宇宙作りに参加し始めると、不足も不十分も欠乏もあり得ないとともに、あっていいものだと気づきます。

全てが幻想ならば、自分でその幻想を作り出せばいい。
みんなが宇宙作りに参加すればいい。

どうせ今までも知らずして参加していたのだから、これからはもっと積極的に参加して、もっといい世界を作っていけばいい。

たくさんの人々が目覚めるチャンスが来ているのだから、それをふいにする手はない。
必ずや私たちは私たちが本当に求めているものを手に入れることでしょう。


しかしながら、本当は私たちは、求めているものを手に入れてなかったことなど今までかつてなかったことに気づくべきかもしれません。

だからこそ眠れる意識を目覚めさせ、しっかりと自分の真に欲するところを知る必要があるのかもしれません。

前を向いていきましょう。
新しい未来がやってきます。

「和音」2012.1.12

久しぶりに「和音」モードになりました、、、。


Nick interview with Bethany (英語、日本語字幕)


わたしはどっぷり旧世界生まれの人間なので、この二人のこの前向きな会話はほとんど異星人的に聞こえます。
ニックさん(男性)は自分を肯定するのはたいへんだったようですが、女の子は腕がなくなった状況をすんなり受け止めています。
自分だったら相当根暗のひねた人間になったと思います、、、。

ふたりともそのままの自分を受け入れて人生を楽しんでいるどころか、ハンディと思われる部分を個性として、人々に勇気と希望と与えているから、すごいなあ〜。


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さて、もうそろそろ一月の前半が終わりつつあります。
小規模の地震は多いですが、日本での大地震は起きてないですね。
その代わりに年末年始は天から降ってきましたね。
天災でなく、人災でした。そっちに気を向けてなかったな、、、。

「お金欲しいと思ったら火事になって保険金が入った」なんて例を書いたせいか、大地震が起きないようにと気を向けていることで地震は起きなかったけど、セシウムが増加ということが起きたのかなあ?なんて何となく考えてしまいました。
そうだとすると、やはり何かが起きないといけないという思いがあるんだろうなあ〜。

いろいろと考えてしまいました。


私はもう何度もこのブログにも書いてますが、「自分が宇宙を創造している」「今、自分が未来を創造している」というスタンスで、今、物事を考えています。

それが本当かどうかは知りません。
私がそうだと思っているだけです。
そこからいかに世界を変えていけるかを探求しています。

ただ、顕在意識よりも潜在意識のほうがそれに関わっているので、そこがなかなか難しいところです。


先日も書いたけど、不穏なことの気配というか不安を感じたら、自分の中にその要因を探します。

見つけるたびに手放すことを続けていると、自分の中の話なんですが、起こる気がしなくなってきます。
それで「ああ、もう起こらないな」と納得します。

、、、という単純な話なんですが、


ただしちゃんと腑に落ちないといけません。
理由を説明できなくてもいいのですが、自分の中で完全に腑に落ちている状態になってないなら、まだ詰めが甘いです。

自分がフォーカスしてない時(盲点になっている時、不意打ち)や、掘り下げが十分でないときも危ういです。


自分の内側を見つめるといっても、行動もします。
現実にも物事を動かしていく方が変化が早いし、より確実です。
なぜなら自分が納得しやすいから。

「どうすれば自分の不安はなくなるのだろう?」と思い、できることはするということです。
これをやっておくと不安が減るだろうと思うことはします。

それは、誰かに話をすることかもしれない、何かを手に入れること/手放すことかもしれない、どこかに行くこと、内観すること、その他いろいろその時の状況やその人によって違います。

それをせず、祈るだけでは片手落ちです。
また、これをして不安が増えるようであれば、今は不安にフォーカスする方法はすべきでないかもしれません。(あるいは徹底的にそこを見るべきか?)


不安や恐れを見て、ますます不安になるのではなく、なんで自分はその不安や恐れをもっているのか?どこからそれがくるのか?を見ていきます。

もしかすると自分の思い込みや勘違いがあるかもしれない、、、。

本当にそうだろうか?と疑ってみる。

それが起こらないようにするにはどうしたらいいだろうか?と考えてみる。

まったく別の見方ができないだろうかと探る。

起こったとしたらどうなるだろうか?

など。


できないことはできないので、できることの中からひとつひとつ不安要素を解除するために行動する必要があれば、それをします。
必要ないなら、ただ内観をして必要のない考えが見つかったらそれを捨てます。


実際に起こってほしくないことが起こるとしても、自分の中のそれに対する恐れがなくなっていれば、起こっても、それに向き合って生きていくだけです。

最後には、そのあるがままの状態をそのまま受け入れること。
そこからまた始めること。

になるのかもしれません。

今の状況をふまえたうえで、希望を捨てず、今のその状態の自分はどうあればいいのか?というところをみていくべきかもしれません。

そこには「今のありのままの自分の状態を認めている」という現状があり、そこを出発点として、「じゃあ、どうすればいいのだろうか?」とよりよいあり方を考えていきます。


Nick Vujicic(日本語字幕)


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特報 コクリコ坂から 宮崎駿 失われた可能性


宮崎駿 なぜ「コクリコ坂から」を企画したのか


失われた可能性を取り戻すのに、「遅い」はない。
今からでもできる。

一人の人間として旗をあげよう。
うつくしく生きることを忘れないでおこう。


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12日の「光風靉輪」さんとこでの『聖復活の儀・光命神事』は、無事に執り行なわれました。ほっと一安心して自宅に戻り、私がこれからすべきことはなんなのかなー?となんとなく考えながら行動していました。
自分の中でなにか変わったみたいと思いつつも、それが何かわからず。
ブログを書く気にもなれず。

なぜか戻った翌日のツイートは原発関連記事ばかり。
祭礼により、水はしばしの猶予を得た感あり、今度は風と火なのかな?という気がしましたから、なにか関係あるのかな?

先日書いた記事「自分への裏切り」から「今日のことば98「人生の答えはいつも私の中にある」を書いて、政治家の方々、とくに菅総理に愛の波動を送ろうと決めたせいか、菅総理を弁護するような記事にいくつか出逢いました。

『自然エネルギーに関する「総理・有識者オープン懇談会」(全編)-平成23年6月12日』

これは総理と有識者によるインターネット中継のオープンな懇談会で、リアルタイムでツイッターで国民もコメントできるという初の試み。

首相官邸にて、菅総理、ソフトバンク社長の孫正義さん、サッカー日本代表元監督の岡田武史さん、ap bank代表理事の小林武史さん、環境ジャーナリストの枝廣淳子さん、海外から坂本龍一さんもビデオメッセージで参加という豪華メンバー。
司会は、シンクタンク・ソフィアバンク副代表 藤沢久美さん。

菅総理が自然エネルギー利用を進めていこうと思っても反対勢力が強すぎるから、政界から出たところで、このような発信、それも国民も参加できるあり方で始めたのは名案だと思います。
ここに、従来のできあがった官僚システムの厚い壁をぶち破る可能性があるように思いました。イタリアも国民投票で脱原発になりましたし。

選んだメンバーも違う分野でおもしろい。
筋の通らないことをあたかも正しいことのように言っている政治家たちよりよっぽど国民受けすると思います。
坂本龍一さんが長々と頭を下げられた様子にはなんともいえない気持ちになりました。

こちらには、それについての菅総理のコメント。
「《次の時代》(3):自然エネルギーへのうねり」

『昨日のオープン懇談会を通じて実感したのは、「自然エネルギーの普及を促進しよう」という大きなうねりの存在です。』

このうねりを起こしていくには国民の力が一番だと思います。
脱原発デモも行われていますね。

こういうことも過去あったそうです。
 ↓
「母親たちの反核運動〜3000万の署名、大国を揺るがす」(昭和29年に起きた第五福竜丸の被ばくをきっかけに日本の女性たち、母親たちが立ち上がり、世界に広がった反核運動の軌跡)


懇談会の総理の話をブログに書き出しておられた方がいらっしゃいました。こちらのブログにも転載させていただきます。

「報道されない菅総理のコメント「総理・有識者オープン懇談会」6/12(書き出し)」
 ↓
------------------------------------------------
出席者の発言が終わった後
43:00ごろから・・・菅総理・・・

私もほぼ皆さんの言われた事と同感です
普通なら反論するところだけど
せっかくだから少し私のような政治家の立場で日本のエネルギー政策の決定、
今は私が責任者ですが、今後の変化これまでの事もも踏まえて少し申し上げたいと思います

実は30年前に初当選した時に
機会があってアメリカのウインドテストセンターに行きました
そしたらいろんな風車が回っていて
「発電したらどうするんですか?」と聞いたら
「送電線に入れます」と。自動的にメーターが動いて売る電気と買う電気を管理すると。

早速日本に帰ってきて
「そういうのはどうなってるの?」と聞いたら
「いや、日本には電気事業法という法律があってそういう一個一個とかそういう電気は買えません」と
「東京都の発電ぐらい大きいのなら買ってもいいですが」という非常にハードルが高いんですね

それからもう一つこれは非常に行政の問題なんですが
科学技術庁というのが当時ありまして
今は文部省と一緒になりましたが
同じくカルトピア計画という研究をしていました
わたしは非常に興味を持って国会で質問しました

結論的にどうなったか
今から30年前ですよ
結論的に「全く採算性が無いから駄目だ」と
つまり、行政がやらなかっただけじゃなくて「わざとやってみたらやっぱり駄目でした」と言って潰したんです

三宅島に東電が外国から買ってきた半径20メートルぐらいの大型の風力発電を2基持っていました
わたし、行って、そのはしごに登りました
それも同じです。数年たったら「やっぱり駄目でした」

つまり、行政に一つの方向があったんです
日本の場合にはある時期から原子力は進める

原子力を進めるうえで結果として邪魔になるものは出来るだけ外していく

私は30年前にそういう実感をしてから、それはずっと感じていました
ですからこの全量買い取り制の問題ももうこの分野でも
何故出来ないんだといえば
いろんな理屈を言います。周波数が変わるからとかいろんな理屈を言います
しかしそんな事はなんとだってなるんだから・・・出来ない理屈ばっかり山のように持ってくるんですね

ですからこれをどうやったら突破できるかなんです

まぁ、総理大臣だからお前やれと言われるのはまさにその通りなんだけど
実は結構分厚い・・・そういうものに対してですね、構造が出来上がっているものですから
それを変える事が出来るかどうかというのが・・・
まさに今これが変えられなかったら、また10年ぐらいはですね変な話ですが動きません

で、国会でも3月12日にその法案を出したんですが
わたしも経産省大臣から関係の大臣に「何とか早くしろ」と言っているんですが
なかなか動かないんですね

私はあえて皆さんにお願いしたいのは
この自然エネルギーは皆さんが言われたように幸いにしてというか
大きな会社が100万キロワットのドーンと3つ作るとかじゃなくて
それこそ5キロワットとか大きくても1000キロワットのものをあちこちに作る
まさに国民参加型エネルギーですから
国民参加型エネルギーを国民に解放しろ」ということをぜひ、まさに投票券と同じようにエネルギーに参加する権限を与えろと

それには、全部作って売り先まで考えて何とかしろというのは普通の人にはできないわけですから
そういう事で考えればちゃんと配電するメーカーが一定の価格で買って
配電するというのは当然の事なのです
そんな事を少し申し上げてみました

わたしも行政の責任者という立場もありますけども
やはり、どなたかがおっしゃっていましたが省エネというのはやや消極的に聞こえる

先日も東大の学長をされた小宮山先生と話したんですが
20世紀はエネルギーの使用量とGNPの増大がほぼ並行していたと

しかし21世紀はエネルギーの使用量全体量を下げる事が逆に
きちんとした形を取れば生活の質を決して下げるのではなくて上げることになる
 あるいはイノベーションとして産業にもプラスになるんだと

つまり、今の行政の発想、関係者の発想
安定供給という言葉を、小宮山先生はその会議で
「なんで安定供給、安定供給と言うんだ」と
私は一瞬「えっ」と思ったんです

つまり「安定供給というのは供給に前提が入っていると
供給量を減らすんだ。と 減らしても大丈夫な技術や社会を作れるんだと
だから、安定供給というと、今供給している物を減らしたら危なくなりますよという そういう潜在的なといいますか、現状維持の言葉じゃないか」と言われて 私もやはり「あ、なるほどな」と思ったんですが

そういう、この、かなりの広がりで
単に政治の場だけではない広がりでこういう形が広がっていますので
やはりそういう形に変えていくには
私からのご覧になっているみなさんへのお願いでございますが
みんなが投票するのと同じように自分たちにも電力を作らせろと
そしてそれをちゃんと売る事が出来るようにしろ
とですね
そういう輪が広がっていけば、私は政治が多少変化しても逆戻りはしないんじゃないかとみなさんの話しを聞きながらそんな思いを持ちました      60:20

------------------------------------------------

これを読むと、今、こういうことを言える人が総理で良かったと思えます。
菅総理が直に国民に話ができる場ができたのはよかったです。いつもこのようなことは消されてゆがめられていたでしょうから。
菅総理も『いつもは「国政の最高責任者」という立場の中で発言することがどうしても多いのですが、今回は「個人」という立場での言葉も織り交ぜたのです。そのためか、普段より自然に話せたし、好意的な反応も随分いただきました。』ということを書いておられますね。


飯田哲也氏のコメント」の記事を読んだときは、やっぱりそうかとほっとしました。
菅総理批判ばかりで、復興より政権を握ることに躍起になっている人たちについて批判が少ないので、世の中はそう思っているのか?と違和感を感じてました。政治オンチの私はなにか大事なことがわかってないのだろうか?と記事にすることを控えてしまいましたが。コメント欄でぼやいてしまいましたけど。

以下、ちょっと転載すると、
------------------------------------------------
日本はとにかく妖怪のように官僚が飛び回っていて
本当に自分たちの圏域を守るために今回の事故に関して
全く「へ」とも思っていないですよね

この、財務省も経産省も・・・
彼らがまさに魑魅魍魎(ちみもうりょう)のように動き回る状況をどう抑え込めるか
今国民の声が燃え上がるしかないんですよね
------------------------------------------------

ここには拍手喝采したいぐらい(笑)
ホント、魑魅魍魎化してきてますよね(笑)

『全く「へ」とも思っていない』だろうなあと私も感じていました。
「へ」とも思っていないどころか、自分たちの圏域を守るために切り捨てさえしたのでは?と思います(これは私の憶測ですが)。


------------------------------------------------
本当に今瀬戸際ですね
このまま何も約束させずに菅さんを沈没させたら
もう官僚傀儡政権が出来るので
そんなに菅さんの政権が長生きするとは思いませんけども
政権にいる間に国民のための何かのブリッジをしっかり約束してもらって次にバトンしてもらうと
それをやってもらうのが今の菅さんの仕事だと思います
------------------------------------------------

私もそう思います。
菅総理の自然エネルギーへの思いは、政権を握りたいがための演出ではなく、本心だと思います。
私は、今、菅降ろしを臨んでいる人たちに政権を握っってほしくないですね。理由は飯田氏が言われているようなことです。
私は専門的にはわからないけど、陰険ないじめ構造が見えるので、そういう人等が国民のことを考えた政治をするとは思えません。

ということで、引き続き、菅総理に応援エネルギーを送りたいと思います。


しかしながらこの構図、象徴的だなあと思います。

「人間の、自分さえよければという我欲」対「自然の、全体のバランスを基準にした調和」
「今までの世界」対「新しい地球」
「自我(エゴ)」対「全体意識」

これもまたひな型なのかもしれません。
それを思うと、脱原発で自然エネルギーに向かうことは、エネルギー供給の方法というレベルだけでなく、私たちのこれからの生き方、あり方をも問われていることなのだろうなと思います。

個人の心の中で起きていること、日本という国で起きていること。
葛藤の内容はほとんど同じという気がします。


『21世紀はエネルギーの使用量全体量を下げる事が逆にきちんとした形を取れば生活の質を決して下げるのではなくて上げることになる』

私たち自身が精神性の質をあげ、生活様式や価値観を少し変えるだけで、その結果、生活の質も上がると思います。
どちらにしろ人々が今のままであれば、地球の変化についていけなくなる人が増えていくでしょう。

再び、私の大好きなおじいちゃんの言葉をお聞きください。
黒澤明監督「夢」より



これを読んで、てんつくマンは偉いと思いました!↓
もっともっと自分に正直になる。俺、腹くくった。

こうやって自分に正直に行動する人が結局、本当の充実感を得ていくんだろうなと思います。
人の上に立つ人でそういう人が増えてくると、だんだんとその流れが広がっていくのでありがたいことだなと思います。

私ももう一度しっかりと自分に問いただして、魂に正直に行動できるようになりたいと思います。

どちらにしろ自然淘汰で、魑魅魍魎化した人はこのような世界に行くんでしょうね。
 ↓



国のトップの人たちが身をもってわかりやすく見せてくれていますね。
ありがたいことです。

人のフリ見て我がフリ直せ。

あなたはどちらの世界に行きたいでしょうか?

鬼になる前に我がフリ直していきましょうね。


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自分への裏切り

1 自分が他の人のためにすべきだと感じたことに背く行動を、自分への裏切りと呼ぶ。

2 いったん自分の感情に背くと、まわりの世界を、自分への裏切りを正当化する視点から見るようになる。

3 まわりの世界を自分を正当化する視点から見るようになると、現実を見る目がゆがめられる。

4 したがって、人は自分の感情にそむいたときに、箱に入る。

5 時が経つにつれ、いくつかの箱を自分の性格と見なすようになり、それを持ち歩くようになる。

自分の小さな「箱」から脱出する方法」アービンジャー・インスティチュート
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先日の内閣不信任案騒動みたいです。

たくさんの政治家が、初心に戻るべき。それも人間の初心に。

彼らはもう忘れているのでしょう。
いつのころから自分を裏切り出したか。

若い頃の情熱的な志、信念。
(もともとそんなものもなかった政治家もいるでしょうが)

それがいつのまにか自分の本心を裏切っていることを正当化するための信念となり、ウソにはウソを重ね、すっかり真実が見えなくなっています。

自分を正当化するために、自分の欲を満たすためにばかり動いています。
たくさんの国民の生活や命が犠牲になってもまだわからないぐらいです。


日本国を本当に住み良いいい国にしたいという熱い志をもった政治家ばかりがいたら、政党云々はとりあえずおいて、いかにして復旧復興支援をしていくか?を第一に考え、今の総理が誰であろうと人道的な思いでもって協力したり、議論を戦わせたりしたと思います。
そして、一定のメドがたったら、また対立の姿勢に戻ったことでしょう。

けれども現実は、政権を握るために震災をえさにした動きになっているように見えます。

東電も同じ穴のムジナですね。


内閣不信任案の件では、腹が立って困りました。

腹を立てつつも悪い波動を出したくないので、自分を諌め、
何に腹立つのだろう?何に反応しているのだろう?
自分の中にも彼らと同じものがあるからいらだつのだろうと内観してみました。

私がそれに遭遇するということは、私の心の中にも同じものがあるということだから。
私に今すぐ政治を変えることはできませんが、自分の心の中のそれを作り出している部分を見つけて変えることはできます。


そうしたら私の中に、自分の利益や権力のために他人を陥れようとすることへの不信があるのを見つけました。

国民を巻き込んででも、自分の我欲やごまかしのために動く面の皮の厚さは、ある意味、参考になることなのかもしれません。
そこまで自己中心的になれる人たちだから政治家にもなれたのだということは一理あります。
それがいいことだとは思いませんが。

裏を返せば、いい人に見られたいという欲求が自分にあるから、そこまで自己中心になれないわけです。

人の目を気にする人は、自己中心の人にいらだつか、憧れるかです。
いらだてば、その人を批判しますが、心のどこかでは、人に嫌われようと責められようと、自分を主張できるその強さが欲しいと感じているのかもしれません。

まったく気にしていなかったら、気にならないわけですから。

普段いい人をしている人は、そんな自分を抑えているかもしれません。
当の本人はそんな自分がいるなんて思ってもいないかもしれませんが。

そんな自分を出してはいけないと思って無意識に抑圧していたら、自分のことしか考えていないような人を見ると、「とんでもない奴だ!」と思って憤ります。

でも本当は、いい悪いではなく、「自分の価値観と違う価値観をもっている相手がいる」ということなのです。
それに自分が「なんて奴だ!」と反応しているだけなんです。



国の重要なポストにいる人たちが今、見せてくれていること・・・ウソ、偽り、エゴ、隠蔽、優柔不断、責任転嫁、足を引っ張る、自分のことは棚に上げる、あげ足とり、逃げる、etc. いろんな姿がありますが、自分がどこに引っかかるのか観察してみると良いかもしれません。

自分の心が引っかかるのなら、自分の中で抑圧している部分かもしれません。

政治家たちは、私たちの心の中にあるこのような偽りの心を国家単位で「これでいいんか?私たち」と見せてくれている反面教師なのかもしれません。
もちろん当の本人たちはそんなことは全く思っていないでしょうが。

世の中はバランスなので、政治家やら権威筋やらが真の心を失ってしまったら、それを見ている国民の方がだんだんと目覚めて、それではいけない!と真の心からはずれない生き方を選んでいくかもしれない(笑)

そうであってほしいけどな、、、。


そういう風に考えていくと、悪いものも悪く思えなくなってきます。

自分の心の中にも同じものがあることを知り、自分の受け取り方や自分の心がそれを見せてくれているとわかってくると怒りも収まってきます。

人間の負の心を見せてくれているんだねー。
おかげで、こちらの心が正せたわ、ありがとう。

となっていくかもしれません。それはあなた次第です。



怒りをもつのは簡単だ。
が、その怒りがどこからくるのか?

それを知ることも大切だ。

あなたの怒りそのものが外から来ることはない。
それはいつもあなたの内から現れる。

なにがあっても。



この記事も参考になります。
現実と向き合おうとしない日本人

こんな新聞記事もある。「菅降ろしに原発の影
これを記事にした中日新聞に拍手。


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