
ゴールデンマトリックス・コースは定員に達したため、募集終了しました。
ありがとうございます!
電話セッション(スカイプ、FaceTime)を始めています。
12/5までは半額となっています。この機会にぜひどうぞ!
こちらをクリック!→ 電話セッション
パーマカルチャーのサイトが新しくリニューアルされてました。
以前初めて「パーマカルチャー」という言葉を聞いた時、「パーマ?」「カルチャー?」となにかの冗談かと思いました。
「パーマ」は髪の毛にかけるパーマではなく、パーマネント(parmanent「永続性」)とアグリカルチャー(agriculture「農業」)と、カルチャー(culture「文化」)を掛け合わせた言葉だそうです。
永続可能な農的な生活を営みながら、それ自体が文化的であるような、自然に即した生活の仕方を教えてくれるものです。
自然は循環の元に成り立っています。
自然では、一つの種からたくさんの種が取れるように豊かになるようになっているそうです。
だから人間も自然な生き方をしていれば、豊かになります。
が、私たちは不自然な生き方に慣れていて、反対に「自然になる」ということがどういうことかわからないという状態になっています。
私たち人間はあまりにも自分たちのことばかり考え、自然があたかも人間のためにあるかのごとく、貪ってきました。
ネイティブアメリカンのように7代先の子孫のことを考えて自然と暮らすということもなく、
自分の命が終わるまで、あるいはせめて孫の代まで大丈夫であれば、、、、
それぐらいの気持ちで生きています。
私たちも本来、自然物。
木や葉っぱや空や動物や昆虫たちと同じように自然物です。
昔の日本人はあらゆるものにいのちが宿るとし、自然界の循環の中で自分たちも自然であるとして、自然ながらに過ごしていました。
個として生きることも大切ですが、それが競争を生み、差別や格差を作り出し、自分のために生きなければならないという苦しい時代を生みました。
現代の西洋的生き方に慣れたとはいえ、例えば、縄文時代の先祖が自然ながらに生きた期間は比べようがないほど長いです。
私たちが自然と共にある暮らしを思い出すのはそう大変なことではないでしょう。
八百万の神々がおわすこの和の国には、今もすべてのものにいのち(息の霊)が宿っています。
パーマカルチャーはオーストラリアから始まっていますが、これからの時代、私たち人間がいかに自然のシステムに見習い、それを自分たちの生活の中に取り入れ、自然と共存して生きていくかを教えてくれます。
自然から学ぶことは本当に多いです。
庭先の観察やうちの猫を見ているだけでも生死や生き方、全体性について考えさせられます。
ロボット化しつつある私たちが今一度、人間らしさを取り戻すには、自然に接するが一番だと思います。
幼い子供の頃はとくにそうです。
生死が隣接する自然界に接していると、いのちの大切さや共に生きること、自然界の摂理などを自然と学びます。
自然にふれずにゲームをして育った子は、ゲームでポンポン殺してはそれが復活したりしますから、感覚が全然違ってきますね。
自然をレジャーの一環としてだけ過ごすのは、まるで遊園地やテーマパークにいるがごとくであり、それではやはり情緒にかけるでしょう。
自分の寝食が関わってくると、もっと深い人生をそれを通して知ることができます。
薄っぺらい人間になりたくなかったら自然にふれましょう。
と私は思いますね。
メルマガでもいろいろ書いています。
ぜひ登録してみてくださいね。 解除はすぐできます。→ メルマガ登録
セッションメニューはこちら!

↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m