いのちおりblog - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 人生、生き方

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福島正伸先生の本を読んだら面白かったのでシェア。
キミが働く理由 (中経の文庫)」というタイトルの本の中の南米での話です。


まずはブラジル。

飛行機の出発予定時間はあくまで「できたらいい」という目標だそうで、
5〜6時間が遅れるのが普通だそうです。
だから定時に飛んだらすごいことなんだそうです。

日本では定時に飛ぶのが当たり前です。
価値観が違うだけで全然違いますね。

私はイギリスでスペイン人と数年間住んでいたことがありますから、
そのラテン感覚、わかります。

私はそのゆるさ、いい加減さが好きでした^^
スペインより南米の方がもっとゆるいだろうなと思います。


そして、アルゼンチン。
以前国家財政が破綻したけど、自殺者がほとんどいない。
なぜなら彼らにとって生まれたことがそれだけで幸せなことなんだそうです。


そして、ペルーにツアーに行った時、
小なバスに乗っていて山賊に会った時の話。

前の車が山賊に襲われているのを見て「生きて日本に帰れるか?」と
思っていたところ、前の車はお金を払って解放されたようです。

彼らの車の運転手は大喜びをしたんだそうです。
強盗が向かってきたら、クラクションを鳴らしてエンジンふかして、
強盗を轢き殺す勢い。
強盗がひるんだすきに車は通りぬけ、運転手は「イェィ!」と喜んだそうな。

これがラテンか!これなら自殺者は出ないだろう、、と思ったそうです。

日本人、まじめすぎますね。


ナスカの地上絵のある地区では、指や手がない、目が見えない、知的障害、
精神障害の人たちは神様の化身として扱われるそうです。

指や手のない子が生まれたら「神様が降りた」とお祝いされ、
大切にされるそうです。

日本だったら障害を持っている者として、
その子の将来に不安を感じるでしょう。


ところ変われば、価値観も全く変わります。
私たちが持っている価値観のほとんどは、
育ちの中の環境で植えつけられたものです。
大人になってくれば、自分の判断も加わりますが。


その物事をどう受け止めるかで、人生は全く変わります。

あなたが今深刻に考えている問題は、
ラテン人にしてみたら笑って終わることかもしれないです。

同じ価値観の中で悩むより、違う価値観に触れるほうが
視野も選択肢も広がります。

その選択肢を得るためには、いろんな人に会ったり経験をしたりして
経験値を増やすことが大切ですね。



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期間人数限定で受けつけることになりました。(3/9まで受付)
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新年となりましたが、あなたは今年の目標を立てられましたでしょうか?
昨日は新月でしたから、それをするのにいい日だったと思います。

しかしながら、あなたが望んでいることは本当にあなたが望んでいることなのでしょうか?

私たちは「こうなりたい、ああなりたい」と思って目標設定をしますが、それがあなたの本当の望みだとどうしてわかるのでしょうか?

私たちは子供の頃から、

こうしなさい、こうなりなさい、それでは生活できないからこちらにしなさい、あなたにそれは無理だからこっちにしときなさい、幸せになるにはこれ一番、これを得たら幸せになれる、etc 

といろんな情報を与えられます。

そして「こうなったら幸せなんだな」と刷り込まれてしまいます。
多くの人が何も考えずに「一般大衆向けの幸せ」を追い求めます。

だからそれを手に入れたとしても、心のどこかで何か違和感があったり、物足りなかったり。
本当にこれでいいのだろうか?という疑問が湧いてきます。


もしあなたが自分が本当に望んでいることに向かっていないとしたら、それは時間のロスではないでしょうか?

人生は一度きり。
輪廻転生があったとしても、この今の生は今回だけですから、他人や社会に翻弄されるより、自分の人生を見出し、生きたいと思いませんか?


そうするには、まず自分が好きだと思えること、やりたいと思うことだけをするようにしてみてください。

人に言われたからとか、周りの目を気にすることなく、「自分がやりたいからやる」ということを日々の中で増やしていってください。

あるいは「私はもうやりたいことしかしない人生を生きる!」と決めてしまうのもいいでしょう。

私はある時、そう決めたことで、今は本当にそうなっています。

できるかどうか?を考えるよりも、決めることが大事です。

やると決めたら、どうやってそうするのか? その方法が見えてくるようになります。



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先日はたまたま懇親会でとなりあわせになったまつこさんとお話。

まつこさんはその前にしなさんのところでアロママッサージを受けたそうです。

このしなさんはマッサージしながらいろいろリーディグしてくれます。
マッサージは受けたことないですが、この日お話しする機会があって、リーディングをしてくださったのですが、いろいろ教えてくださいました。
私はいつもする側なので、してもらうのは新鮮でした。とても良かったです!

まつこさんも私と似て、いっぱい見えないモノがひっつきやすい人のようで、しなさんとのセッションでも、ヘドロのようについていたようです。

そんなこんなで懇親会で隣になったので話をしていて、まつこさんが私の遠隔ヒーリングを受けてくださることになりました。


今回の遠隔をしてみて思ったのは、まつこさん、パワフルだなあということ。
とても強いエネルギーフィールドです。

ご本人もとてもパワフルで明るい方なんですけどね。
頭もいいようで、回転が速いし、行動も速い。
タロットやビリーフチェンジセラピーをされています。


ビリーフチェンジセラピーをされている人にこんなことを言うのもなんですが、過去よりももう未来に向かうエネルギーの方が強いからさっさといっちゃえ!という感じでした。

エネルギーは思考より先に進んでいます。
当人がまだ「・・をしなくては」「・・を手放さなければ」と思っていても、エネルギーを見ると「放っておいたら大丈夫だから、も、次行こ」みたいなことよくあります。

病気もそういうことあります。
病気自体は「もう、行ってもいいよ〜」と思っているのに、治りたいという当人が引き止めているケース。

なぜそういうことが起こるのかというと、
治ったあと、変化したあとのことがイメージできているかどうかだと思うんですね。


今の問題に対応することに追われて、その問題が解決したあとのことに意識が向けられてないと、その問題解決に力を注ぎます。

自分はすっかりその問題を超えていける力があるのに、それに気づかずに問題解決に意識を向けるのでそれがクローズアップされてしまいいます。

それは時間の無駄遣いですから、現状の壁を飛び越えていけるぐらいだからもう次に行きましょうよ〜と思います。

思考って案外、現状にとどまりやすいです。


あなたはもうすでにその問題を超えて、その先に対応する力があるのかしれないです。

私が苫米地式コーチングに共感した一つは「過去は関係ない」というところ。

脳の仕組みを学んでいけばいくほど、本当に過去は関係ないのだなと思います。

でも私たちは生まれてこのかた、過去の積み重ねが現在で、それが未来を創っていくという思考回路に洗脳されていますから、意識的にそれを取り除いていく必要があると思います。


それを取り除きたい方はどうぞ!↓
セッション・メニュー


「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」受付中です!

悦月があなたに向けてオリジナルメッセージを書き下ろします。
前に進みたい時、迷いが生じた時、凹んだ時、
そのメッセージはきっとあなたを励まし、軸に引き戻してくれるでしょう。

「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」の詳細です

*ショートメッセージの受付は終了しました。
これからの申し込みの方は、発送は1月下旬以降となります。


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ゴールデンマトリックス・コースは定員に達したため、募集終了しました。
ありがとうございます!

電話セッション(スカイプ、FaceTime)を始めています。
12/5までは半額となっています。この機会にぜひどうぞ!  
こちらをクリック!→ 電話セッション



パーマカルチャーのサイトが新しくリニューアルされてました。

以前初めて「パーマカルチャー」という言葉を聞いた時、「パーマ?」「カルチャー?」となにかの冗談かと思いました。

「パーマ」は髪の毛にかけるパーマではなく、パーマネント(parmanent「永続性」)とアグリカルチャー(agriculture「農業」)と、カルチャー(culture「文化」)を掛け合わせた言葉だそうです。

永続可能な農的な生活を営みながら、それ自体が文化的であるような、自然に即した生活の仕方を教えてくれるものです。

自然は循環の元に成り立っています。
自然では、一つの種からたくさんの種が取れるように豊かになるようになっているそうです。

だから人間も自然な生き方をしていれば、豊かになります。
が、私たちは不自然な生き方に慣れていて、反対に「自然になる」ということがどういうことかわからないという状態になっています。


私たち人間はあまりにも自分たちのことばかり考え、自然があたかも人間のためにあるかのごとく、貪ってきました。

ネイティブアメリカンのように7代先の子孫のことを考えて自然と暮らすということもなく、
 
自分の命が終わるまで、あるいはせめて孫の代まで大丈夫であれば、、、、
それぐらいの気持ちで生きています。
 
私たちも本来、自然物。
木や葉っぱや空や動物や昆虫たちと同じように自然物です。
 
昔の日本人はあらゆるものにいのちが宿るとし、自然界の循環の中で自分たちも自然であるとして、自然ながらに過ごしていました。
 
個として生きることも大切ですが、それが競争を生み、差別や格差を作り出し、自分のために生きなければならないという苦しい時代を生みました。
 
現代の西洋的生き方に慣れたとはいえ、例えば、縄文時代の先祖が自然ながらに生きた期間は比べようがないほど長いです。

私たちが自然と共にある暮らしを思い出すのはそう大変なことではないでしょう。


八百万の神々がおわすこの和の国には、今もすべてのものにいのち(息の霊)が宿っています。
 
パーマカルチャーはオーストラリアから始まっていますが、これからの時代、私たち人間がいかに自然のシステムに見習い、それを自分たちの生活の中に取り入れ、自然と共存して生きていくかを教えてくれます。


自然から学ぶことは本当に多いです。
庭先の観察やうちの猫を見ているだけでも生死や生き方、全体性について考えさせられます。
 
ロボット化しつつある私たちが今一度、人間らしさを取り戻すには、自然に接するが一番だと思います。

幼い子供の頃はとくにそうです。
生死が隣接する自然界に接していると、いのちの大切さや共に生きること、自然界の摂理などを自然と学びます。

自然にふれずにゲームをして育った子は、ゲームでポンポン殺してはそれが復活したりしますから、感覚が全然違ってきますね。

自然をレジャーの一環としてだけ過ごすのは、まるで遊園地やテーマパークにいるがごとくであり、それではやはり情緒にかけるでしょう。

自分の寝食が関わってくると、もっと深い人生をそれを通して知ることができます。

薄っぺらい人間になりたくなかったら自然にふれましょう。

と私は思いますね。


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一昨日はとても本気度が問われた日でした。
 
最近は本気の人に接することが増えきています。
 
本気の人の何がすごいかというと、
切実なまでにとことん生きているその真剣さがすごいです。
 
そのリアリティがありありと伝わってきます。
 
わたしもそれなりに一生懸命に生きてきましたが、
今はまだまだ本気度が足りません。
 
本気で生きないといけないのか?
と疑問がわく人もいるでしょう。
 
真剣に人生に向き合わずとも
それなりに幸せに楽しく生きることはできます。
 
それもとてもいい人生だと思います。
 
どんな人生を生きるにしろ、
自分が後悔しない人生であればいいと思います。
 
また人生もいろんな流れがあるから、
真剣に本気になるときもあれば、
だら〜とよだれがたれるくらい
グータラになる時期もあっていいと思います。
 
私自身の今の流れはこれからもっと本気になれや!
というところに来ているので、
本腰入れて本気で生きたいと思います。
 
でも力は抜いてリラックスして。
 
本気の人に出会うと心に響きます。
その人の言う一言一言にいのちの重みを感じます。
 
そしてそれは聞く人、そばにいる人に感動を与え,
ハートに火をつけ、その人もまた本気になっていきます。
 
その連鎖がものすごいチカラを生みだし、
大きな流れになっていきます。
 

その感動を感じてみたい人はぜひ
福島先生の講演を直で聞いてみてください。

福島正伸先生による超人気コンサルタント養成講座 京都講演
 
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「クリエイティブな人は子供っぽいとわかる20の理由」に書いてあった項目ですが、個人的にとても気に入ったので載せます。


1. なんでも遊びに変えてしまう
2. 物事にハマると時間を忘れて没頭するが、飽きるのも早い
3. 突拍子もないことをいきなり言う
4. 妄想ばかりしている
5. 真面目な人からは遊んでばかりと思われがち
6. 直感で生きている
7. 失敗を失敗と思っていない
8. 嫌なことはトコトンやらない
9. 褒められると最高に喜ぶ
10. 時間が進むことをもったいないと思っている
11. 嫌なことはすぐ忘れる
12. 物事を先延ばしにしている
13. 批判の声は耳に通らない
14. 「なにこれ」「何故だろう」が口癖
15. 新しい方法を常に探し続けている
16. スゴいことは素直に「スゴい」と口にする
17. 「限界」という言葉を頭と体が理解していない
18. 人に言われたことで自分が納得しなかったこと、興味がさほどなかったことはすぐ忘れてしまう
19. 寝たいときに寝る
20. 根拠のない自信で行動している


まだ無邪気な子供の頃は、なにものにもとらわれずに自由で瞬間瞬間に生きていたんだなーと思います。

それがある時期から自分を制するようになり、今に至ります。

その過程において、どれほど自分を制するか、また、それからどれぐらい解放に至るかは、個人のストーリーによって違います。

みんながこのリストのまま生きていたら、世界はどんな風になっているんだか?

大勢が住むにはやはり統制やルールが必要なのかもしれませんが、もしかすると私たちはそういう世界しか知らないからそう思うのであって、実は全然可能かもしれません。
実際、子どもの世界では成り立っているわけですから。

もしこの項目の中で、あなたがしていないことがあるのなら実践してみたらいかがでしょう?

大人であるあなたは”他人に迷惑がかからないレベルで”行なうかもしれませんが、もう少し自分の羽目をはずしてみるのもいいでしょう。


・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

「自分に捧げる言葉 2015 後半期メッセージ」の募集が始まりました!

お申し込みされた方一人ひとり個別に、悦月がメッセージを書き下ろします。

心の支えになったり、道を示してくれたり、背中を押してくれたり、、、、

もらってよかった!と喜びの声をいただいています。

「自分に捧げる言葉 2015 後半期メッセージ」の詳細


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メルマガ「いのちおり通信」に載せた文章の一部を少し変更して載せています。


私たちは自分のために生きていると思いがちですが、
本当は「自分以外」のために生きているのではないでしょうか?

ほとんどの人はそれに気づかず、自分のために生きていると思っているので、
より自分の望み通りになろう、しようとがんばります。

自分のためなので、不安と怖れが原動力のエゴが大きく作用しますから、
なかなかうまくいかずにあきらめたり、苦しんだりします。


自然界は個々の存在で考えると、弱肉強食の残酷な世界に見えますが、
全体で見ると、上手いぐあいにバランスをとっていて、
滅びるものもあれば、生き残るものもあります。

その循環のなかで、全体の「自然」は持ちつ持たれつで保たれています。

森の中では生と死が共存しています。

宇宙のエネルギーの総量は変わらないそうですが、
その中に苦しみという体験も楽しみという体験もあります。


あなたが

「自分のために生きる」から
「他のために生きている、生かされている」

にシフトしていくと、生き方がとても楽になると思います。


全体の中で、自分は一体どういう役割を担っているだろうか?
と考えてみるといいと思います。

その役割は自分次第で変えることができます。


「自分を受け入れたい」、つまり「自分を受け入れられない」と思っている人は多いです。

自分で自分を過小評価しないことです。

「他のために生きている、生かされている」のなら、
どんな自分でも、それは「自分以外」にとって意味あることですから、
自分では自分の価値を判断しようがないです。

あなたが今、そのように存在しているのは、その必要があってのことでしょう。

そして、あなたが変化することで世界も変化していきますから、全体のダイナミックな流れの中で、その必要性は常に変化しています。


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1ヶ月の集中コースを受けておられる方に送ったメールの一部を少し書き換えてシェアします。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

もしかして自分に厳しすぎるんじゃないでしょうか?

自分のできないところ、よくないと思うところばかり見ていても
自信はつきません。

例えば、ひとりで電車に乗る自信はありますよね?
ご飯を食べる時に箸を使う自信もありますね?
朝ちゃんと起きて会社に行きますよね?

でも普通、それについて「私は自信がある」とは言わないです。
なぜなら誰にでもできる当たり前のことだと思っているから。

人はあたりまえに自信のあることは、いちいち「自信がある」と考えません。


呼吸できること、朝、目が覚めたことに感謝できる人は
毎日感謝できることだらけになります。

それと同じで、靴を左右まちがえずに履くことに自信がある人なら、
ほかのたくさんのことにも自信が持てます。

その人は自分にたくさんのことができるのを知って
「私は自分に自信がある」と言うでしょう。


自信なんてそんなものです。
どこに基準をおくかは自分です。

中卒で自分に自信がある人もいれば、
東大卒でも自分に自信がない人もいます。

自信というのはまったくもって主観です。


自信をもちたいならその基準を変えればいいです。

その基準でなければならないと思うなら、
そこにどういう思い込みが潜んでいるかチェックしてみましょう。


自分に自信をもって毎日を過ごしたいのなら、できてない自分を思うより、
できたことに対して「やった!すごい!できるじゃん!」と思いましょう。

「できた!やった!」体験がたくさんあると、
それがどんな些細なことでも脳は成功体験として記憶します。

小さな成功体験はいずれ大きな成功体験に成長しますから、
今できないこともいずれできるようになるか、どうでもよくなるか、、、です。


目の前にハードルを置くのではなく、
ハードルを越えてしまったあとの自分を感じてみましょう。

ハードルを飛び越える前の自分を見て「飛び越えなきゃ、やらなきゃ」と思うのはしんどいですし、難しくなります。

ハードルを越えて、両手を上げてゴールインしている自分を思うほうが楽しいですし、そちらをイメージしているほうが叶いやすいです。


自信をつけたい?

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もしあなたが
自分をイケてない人だと思っているのなら、
イケてない人として行動しているだろう。

もしあなたが
自分をちょっとイケていると思うのなら、
ちょっとイケている人として行動するだろう。

もしあなたが
自分をイケている!と思っているなら
イケている人としてふるまうだろう。

もしあなたが
「イケてる人になりたい」と思うのなら、
「イケてる人になりたい人」として行動するだろう。



あなたがあなたをどう評価しているのか?

イケてる? イケてない?

どっちでもいいんだけど、その根拠は何?


誰かに言われたから?
自分がそうだと思うから?


どちらにしろ自分が思っているようにふるまうんだから、
どうせなら「イケてる!」と思えるほうが楽しいと思う。


自分の思考と行動をよくよく見つめてほしい。

「イケてる人」として行動しているのか?
「イケてない人」として行動しているのか?


あなたはあなたが思うような人になる。

今のあなたは過去のあなたの思った結果。

ならば、今、思い描く自分の姿は、未来のあなたの姿。


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 昔々、動物たちは、新しい世界の様々な社会問題を解決するために、何かしなければならないと考えて、学校を設立することにした。 科目は、かけっこ、木登り、水泳、飛行であった。学校を円滑に運営するために、すべての動物にこれら四科目の履修が義務づけられた。
 
 アヒルは、水泳の成績は優秀だった。先生よりもうまかった。飛行もいい成績だったが、かけっこは苦手だった。それを補うために、放課後居残りをさせられ、そのうえ水泳の授業時間まで削って、
かけっこの練習をさせられた。やがて、足の水かきが磨り減り、水泳も平凡な成績に落ちた。しかし、学校は平均的な成績でいいとされていたので、アヒル本人以外は、誰もこのことを気にかけなかった。
 
 ウサギは、かけっこにかけては最初から優等生だったが、水泳が苦手で居残り授業ばかりさせられているうちに、神経衰弱を起こしてしまった。
 
 リスは木登り上手だったが、飛行の授業では、木の上からではなく、どうしても地上から飛べと先生に強制され、ストレスがたまる一方だった。疲労困憊の末、肉離れを起こし、やがて木登りもC,かけっこもDにまで落ちた。
 
 ワシは問題児で、厳しく更生する必要があった。木登りの授業では、いつも一番早く木の上に到着したが、先生の指示する方法にどうしても従おうとしなかった。
 
 結局、学年末には、泳ぎが得意でかけっこもまあまあ、木登りも飛行もそこそこという少々風変わりなウナギが、一番高い平均点を獲得して卒業生総代に選ばれた。
 
 学校側が穴掘りを授業に取り入れてくれなかったことを理由に、モグラたちは登校を拒否し、その親たちは税金を納めることに反対した。そして子どもを穴グマのところに修行にだすと、後はタヌキたちと一緒に私立学校を設立し成功を収めた。


この話は、R.H.リブス著の 『動物学校』 という本に書かれているそうですが、私は『7つの習慣』で読みました。
すごくわかりやすいと思いました。

アヒルにはアヒルの良さ、ウサギにはウサギの良さ、
リスにはリスの、ワシにはワシの良さがあります。
ウナギ、モグラ、穴グマ、タヌキも同じ。

良い悪いは、誰かが決めた基準。
でもその「良い悪い」はすべてが豊かな個性。

「みんなちがってみんないい」と金子みすゞは言いました。

自然界は多種多様だからこそうまく循環して豊かになります。

私たちも「みんなちがってみんないい」のです。



あなたの中に眠る才能を目覚めさせませんか?
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メルマガ「コンシャス・アウェアネス ∞ conscious awareness ∞ 無限なる可能性へ!」より要約。
 ↓ ↓ ↓

「〜になりたい」「〜したい」と思っている時、
『「〜になりたい、〜したい」がしたい』状態になっていませんか?

「〜になりたい、〜したい」状態を実は楽しんでいるので、無意識に達成できない自分を演じてその状態を続けます(楽しんでしまいます)。

「達成した状態」よりも「達成する状態」を考えて、ワクワクしたり、悩んだり、それに向かって行動している自分を楽しんでいるわけです。

「どうしたらいいだろう?」「なぜ自分はこうなんだろう?」と悩むことも楽しんでいます。

そうやって「何かに向かっている自分」やその問題をクリアできた時に、「やった!」と自分のことが誇らしく思えます。


ゲームみたいなものですね。
そういうことを楽しむために今の状況を作り出しています。


何かに悩んでいる人を見ると、好きでやっているように見えることもあります。
「イヤならやめたら?」と言ってしまえば身も蓋もないのですが、実際そんな感じです。


何かにこだわって、くり返しくり返し同じことを言っている。

「それは好きでしているでしょ?」と言われてもしょうがない。


なかなか次の展開に行けなくて同じ状況がくり返されるのであれば、そのような思考のワナにはまっているのかも?

その観念に気づき、捨てれば、簡単に一歩外に踏み出せます。

既存のブリーフシステムが変わると自然に流れも変わります。


悦月(えつき)のセッションは、3月20日から金額がかわります。
3月19日までのお申し込みは旧料金です。
 ↓ ↓ ↓

コーチングセッション
遠隔エネルギーワーク
ネームリーディング


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私は長いこと自己否定感が抜けなくてもがいた人間ですが、しばらく前にあることがあり、私は思いました。

自己否定や自己卑下、セルフメージが低いこと、自分を下げることなど、本来の自分の価値よりも自分を低く扱ってしまうことがどれほど無益であり、バカらしくなんのためにもならないか!

ということをとことん思いました。


冗談抜きでマジ、ムダ。
本当に本当に、それをすることで当人が得をすることはありません。

それどころか相当たくさんのチャンスをみすみす見捨てています。
それも根拠のない自己否定感のせいで。

根拠がないと書きましたが、ほとんど元は親子関係の問題でしょう。

でももうあなたは大人です。
自分の人生の手綱は自分で持つべき。

親や兄弟、他人に預けてはいけません。


私が自分を愛せないのは親に愛されなかったから、と原因を親にみるかもしれないけれど、ものすごーく冷静に客観的になってみると、自分を愛することと、親に愛されることとなんか関係ある?

親に愛されなかったと感じたことがトラウマになり、自分を愛せない、自分には価値がないと感じるのは自然な流れだけど、いつまでもそのストーリーにはまっていては、いつまでたっても自立できません。


親は親なりにあなたのことを愛しているかもしれないよ?

それはあなたの望んだ愛し方ではないかもしれないけど。

私なんてまさにそうでした。気づくまでに何十年もかかったけど。
今でも「そのやり方はやめてよね」といいたくなるような接し方です^^;


世間では愛が美化されすぎているから特別なもののように感じたがるようだけど、空気のようなもの、大地のようなものが本当の無償の愛なんじゃないの?

あんまりにも無償過ぎるから、私たちはその恩恵をすっかり忘れ、普段はその存在すら忘れてません?

でも何も言わずに私たちを生かしてくれててます。


私は愛される価値がない、私はつまらない人間だと決めたのは誰?

そう、それに同意した自分。


まだ、それ、続けるの?

もう、やめようよ。


本当に本当に、せっかく持って生まれてきた自分の可能性をつぶしてしまってます。


私は自己否定感から抜け出るのに何年もかかった人間だから、すごくよくわかります。否定され続けて育つことの弊害は骨身に沁みてます。

そこから抜け出るのは早いに越したことはないです。
もしわたしがもっと以前に自己否定感を手放せていたら、もっと自分の才能を活かした人生を送っていただろうなと思います。

それはそれで貴重な体験、通るべき道だったのかもしれず、その過程を経たがため、今、人を応援する仕事をしているので、人生ムダはないと思いますけど。


もしあなたが自分で自分の価値を下げるようなことをしているのならすぐにやめましょう。

なんの益にもならない。自分の生殺しです。


メルマガ「プチ奇跡」にも関連した話を書きました。
(第422号)(最新号のみ公開です)



3月20日からセッションの料金が変わります。
19日までにお申し込みの方は旧料金となります。

本来の自分を取り戻したい方、お待ちしております。
全力でサポートさせていただきます!
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「慈悲慈愛の世界」の補足&続きです。


私たちは二元性の世界のメンタリティを超えて新しい段階に来ました。
それにより二元性の捉え方が変わってきました。

個の世界の終焉と、関係性の世界の始まり。
そこにあるのは慈悲。


生まれてからこのかた、私たちはこの不条理の中で生きていると思います。

生があれば死がある。
自分の中にも善もあれば悪もある。

思い通りにいかない、だまされた、裏切られた、殺し殺され、戦争も差別もなくならない、、、、

自分の中で納得がいかないことをいろいろと経験してきたと思います。
それを自分に納得させるためにいろいろな心理作用がおきます。

その過程を経て、私たちはエゴの思考が自分や現実のすべてではないと知りました。

エゴの視点からもっと広い視点となり、それがますます俯瞰的視野になってくると、敵味方もなくなり、抽象度の高い視点となります。そうなると人間万事塞翁が馬ではないですが、多角的に見るようになってきて、二者択一的な判断では済まなくなってきます。

どちらの言い分も痛みもそれなりにわかり、なぜそのようなことが起こったかの背景を知り、、、ということをしていくと、「誰も悪くない」というところにたどり着くと思います。

どうしてこの世界はそのようなのだろうか?と考えたところでどうしようもない。それに対して何もできない自分のやるせなさもあり。

でもそもそもそれが本当に悪いことか、不幸なことかと言うとそこはまた別な議論ができるわけで、、、。


この世の中がいかに無常かを知る、、、。

といっても無常と感じているのは自分なので、自分が作り出してる世界ではあるわけですが。


「あるがまま」という状態が美化されてしまっている感がありますが、実際のあるがままはそんなきれいごとではなく、まずは「無常」ではないかと思います。

しかし、その無常の向こうにあるのは慈悲。
どちらも知ってこそ自然であり、あるがままなのだと思います。


エゴ的視点から抜け出し、エゴを越えた自分が常在になった時、もう一度、二元論的世界にある矛盾に戻っていくのかもしれません。

その過程で、自分や世界の矛盾や不条理を見つめ直し、自分の中で折り合いをつけていくことになると思います。

その世界にあるすべてを受けとめることができるようになった時、その世界やその自分をもっと愛し始めます。

最終的には、この不条理の世界を生みだしている自分を愛すということになると思います。

そこでやっと「あるがまま」に到達するのではないでしょうか?


この世界を理解していくということは自分を理解していくということです。
自分の認識が広がり深まるほど世界もそのようになっていきます。

真理は一見シンプルですが、その奥ゆきは果てしないです。
私たちは再びその扉を開け、新たな世界に進み出しています。

慈悲慈愛の世界が始まり出しています。



メルマガでも書いています。最新号のみ表示ですので、号が変わる前にどうぞ。→ 「プチ奇跡」


コーチングイベントあります!

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前回からの続きです。
本当はこれを書きたかっただけなのですが、なぜか長々と違うことを書いてしまいました。


この世界で生きていると不条理なこと、矛盾することは多々あります。

私たちがエゴの近視的視点からもっと離れて俯瞰的に世界を見渡すようになると、「これはこうであらねばならない」というのが減っていき、「それもありだよね」が増えていきます。

自分がかけている色眼鏡の色がだんだんと無色透明に近くなっていくのを想像するとわかりやすいでしょう。

その時、すべてを内包するケースと、切り離すケースがあると思います。


深い瞑想のときのように意識が遠のいていて、遠くで起こっているかのようにただ見る場合、
ニュースでも見るように、自分と出来事を別なものとして切り離して客観的に見る場合、
出来事を自分ごとのように感じながらも俯瞰的に受けとめる場合、

とあると思います。

最後のは、そこで起こっていること、ひとりひとりが感じていること、体験していること、すべてを感じて包含しながら俯瞰する状態です。

世界や自分を知れば知るほど、すべては自分の中にあるとわかりますから、矛盾した世界も理不尽な世界も極悪非道な自分も自分の世界の一部です。

エゴが中心で思考していたときは、「自分が、、、」というところが大事で、認めてほしい、愛されたい欲求などが根底にあったと思います。

でもそこを卒業すると、認めてもらう必要も愛してもらう必要もなくなります。

その度合いが進んでいくと、すべての存在を認めざるを得なくなっていくと思います。


なぜ生老病死があるのか?
苦しみ、悲しみがあるのか?
もめごとがあるのか?
不条理なことがあるのか?


そういうことを突き詰めていくと、最後に到達するのは「慈悲」なんだと思います。


「慈悲」は「慈しみ」と「悲しみ」と書くように、矛盾している自分や世界を受け入れた時、理解した時にわき起こってくる感情ではないかと思います。

例えば、良いものを生み出しても、その行為自体が悪しきものをも生み出してしまうような、、、。


俯瞰的視野になるにつれ、抽象度が上がって全体的視野となっていきます。

「すべては幻想」としてみるにしても、現象世界と自分を切り離して、ガラス一枚はさんだかのように他人事として見るのか、すべての立場や気持ちを受けとめながらも巻き込まれずに俯瞰するのか。

どちらを選ぶかは個人の自由だと思いますが、前者は「幻想だからなにをしてもいい」ととんでもない方向にいく場合もありますので気をつけたいですね。

慈悲慈愛の世界は準備ができてない人によってはけっこうきついと思います。

なぜならすべてを受容する世界だから。

あらゆることが起こりうるこの世界において、すべてを受けとめる、受けとめられるのはなかなかタフな作業だと思います。
だからこそ慈悲、慈愛も生まれるのでしょうが。

そこを超えてしまうと(極)楽になると思います。


慈悲自体は辛いものでも悲しいものでもなく、愛おしく慈しむ心だと思います。

この世界で起こるどんなことも受け入れることができた時、世界は慈悲、慈愛の世界に変わっていくのではないでしょうか?

今の荒んだ世の中は私たちがそれに気づくことを待っているように思います。


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前回からの続きです。

自分も世界も矛盾した存在である。
どんなに善人になろうと、その人の中の潜在的悪は消えないし、どんなに悪人になろうと、その人の中に良心はあると思います。

人間に限らずすべてのものは両方を兼ね備えています。
その時の環境により、善になったり悪になったりします。

善悪は人間が作り出したもので、本来、善も悪もないのですけど。


生があれば死がある。
世の中、不条理なことがたくさんある。
自分の中にも善もあれば悪もある。

それを知ってどう生きるか?


自分が楽になったとしても、たくさんの人たちや世界はまだ苦しんでいます。

自分がそのように世界を感じるわけですから、それは「自分が世界をどのように見ているか?」というところで納得できてないのでしょう。

エゴは二元的世界に住んでますが、抽象度が高くなり、より俯瞰的に物事が見れるようになると多様性を受け入れ、多角的に物事が見れます。

なぜそのようなことが起こったかの背景を知り、またその背景を探り、、ということをどんどんとしていくと、きっと「誰も悪くない」というところにたどり着くんだと思います。

とはいえ、人道に外れることや不条理なことも多々あるわけで、それに対して何もできない自分のやるせなさもあります。

そもそもそれが本当に悪いことか、不幸なことかと言うと、そこはまた別な議論がでてきます。

つづく、、、。


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☆8月のセッションのお知らせ☆

対面セッションは、リーディングセッションか、トライアルコーチングとなります。

東京 8/29、30
京都 8/12、16、25、28

遠隔ワークは上記以外の日時も可能です。お問い合わせください。
ネームリーディングは8月後半に結果が出ます。

コーチングコースは、東京は金曜、土曜(午前)となります。
京都は相談のうえ、日程を決めていきます。

セッション詳細

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メルマガ更新しました。(最新号のみ公開です)
その追記です。

今までの世界は、善悪、陰陽、プラスマイナスなどあると、どちらが正しいか、優れているか、という対応の仕方がほとんどでした。
だから競争や争いとなり、ほとんどがこの基準ですから、優劣がついて、今の自分ではいけないと苦しむ人も増えました。

ブスより美人、貧乏より金持ち、良いとされる経歴や仕事、偏差値、etc.

人の好みはそれぞれですし、気にしない人はもちろんいますが、全体的な基準があり、常に比べられるわけですから、「もっとがんばれ」と言われたり、勝ち組負け組があったり、社会適応者と脱落者が生まれたり。

支配派と多数派にあわせないとはみ出し者になるので、みんなそれに沿うようにがんばってきました。

いつもまわりからいわれるので、いつのまにか自分で自分をそのように扱うようになり、「今の自分ではダメだ」「もっと○○にならなくては」と自分を責めたてます。

「それが正しい」という価値観に基づいて、私たちは生きてきたわけです。

それが正しいと言われる世界にいると、それ以外は正しくないことになります。
なので、私たちは正しいほうに合わせようと努力を続けてきました。


でももう私たちは気づいてますね。

その「正しい」って誰が決めたの?

ここに気づき出すと、いろんな疑問がわいてきます。

その世界でそのように生きるしかないのか?
もっと自由に楽しく生きる方法はないのか?
なんで自分は盲目的にそれに従っているのか?


その世界から出てしまえば(といっても実は自分のマインドの話なので、外の世界は関係ないのですが)、そういうことが気にならなくなり、「ヘンな人でオッケ〜」と気楽になれます。

自分の基準や価値観は自分で決めればいいわけなので。

すると自分が関わる世界もそのように変化していき、ヘンな人であることが個性となり、まわりにもヘンな人が集まります。

そうなってくると、まわりにあわせないと生きていけないという、そういう世界がいかに窮屈でなのかに気づき始めます。


メルマガの追記で書きたかったこととはちょっとずれてしましたが、それは次回に書こうと思います。

コーチングコース、始めてます。

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<個人セッションのお知らせ>

5/29日から一部メニューと料金変更があります。
5/28日までのお申し込みは従来の料金となります。

手相リーディングセッションはメニューからなくなりますので、
手相を見てほしい人はこの機会にどうぞ。

東京での個人セッションは5/25(日)10:30~、18:30~
京都での個人セッションは5/27(火)13:00~、14:30~

詳細はこちら

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最近は、思ったこと、気づいたことに関連することをその日や翌日ぐらいに本で見ることが増えてきましたが、今回も「二元性を超える」を書いたあとですぐに「おお!」と思う文章に出会いました。

知ることのできないものを知るのが最上である。

そして、それを知らないのが欠点である。

欠点を欠点として知れば欠点とはならない。

賢人には欠点がない。

彼は欠点を欠点として理解する。

だから、彼は欠点をもたない。

老子の思想」張鍾元著


この本はずいぶん昔に購入して、おもしろくない〜とほとんど読まずに放置していたんですが、数ヶ月前ぐらいから読み始めたら、めっちゃ、かっこいい文章がたくさんあって、「老子、かっこええー!」と一人、悦に入ってます

このブログにも載せようといくつか保存しているので、そのうち載せますね。


矛盾を矛盾として理解したら、欠点をもたなくなります。
だって両方あっていいんだもんー。

というより、どちらもあったほうがいいんだもんー。

ということになりますから。


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前回、自分の言動の矛盾を感じるということを書きましたが、そのことについて今日思ったこと。

地球上では男女、太陽と月、生と死など二つの両極と思われるものが存在しています。

言語は全体から部分を切り取ってそれに名前を付けているものなので、二元性は免れられません。

唯一、言葉を用いないアート的な表現のもの、詩や短歌、俳句みたいに言葉を用いても、それを越えた何かを現そうとしたもの(小説などもはいるのかもしれませんが)、その他、思考が媒介とならないものが理屈を越えたところでのなにかを伝えることができるのかなと思います。


今までももちろんこの矛盾はあったと思いますが、あんまり気づいていなかった。
言葉を使う時に必要外はいちいち意識してなかったし。そういう知識はあったにしろ。

今までは白と黒があったら、思考的にどちらかに偏りがちだったんだと思います。
グレーゾーンもあれど、そのグレーゾーンはどっちでもないか、どちらもありの、なんというのかな、固定した状態とでもいいましょうか、、、そういう感じだったのではないかと思います。

つまり、自分の視点からしか物事が見えない状態ですね。


今起きている矛盾は、両極の両サイドに行ったり来たりみたいな動的なもののように思います。

つまり以前は、Aか、Bか、ABどちらでもないか、3つの選択。

今はAの視点に立ったりBの視点になったりと視点が移動している状態。


ということは、これから男性は女性の、女性は男性の視点に立って物事が見えたりするんだろうか?とふと思いましたが、はてさて?


それはともかく、、、
なるほどこの動きは進歩だなと思います。

多分、二元性を越えていこうという時、どちらもありということを知る必要があるのかもしれませんね。

3次元、5次元の話でいえば、3が黒、5が白で、4がグレーということになります。
でも私たちにはもう次の流れがきていますから、6、六芒星ということになるんでしょう。
上下の三角が合わさったカタチ(二極の和合)。

その時にはグレーの代わりに7、中心から新しい扉が開く。


今はきっと振り子のように右に左に揺れながら、ちょうどいい案配の中心を見つけていく段階じゃないかなと思います。

だから揺れていいんです。
というか、両極に揺れたほうがどちらもの視点からみれるからいいんだと思います。


この世は矛盾しているところですから、それを生みだしていることに気づいていく段階が今なんじゃないかな。

実際は、この世界が矛盾しているのではなく、私たちの思考が矛盾を生みだしている。

それは自我が生まれた時、言語が生まれた時から始まっているんだと思います。
私たちの大いなる意識はもうそろそろそれを越えていこうとしているのでしょう。


矛盾を受け入れた時に何が起きるのか?

自分が矛盾する存在、両極を持つものであるなら、あなたはどうしますか?



そのもやもやの解消に
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京都市内での対面セッション 17日(日)、27日(火)

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 28日までのお申し込みは従来の料金で。


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前回の記事の最後のところの補足です。

映画は子を奪われた母親側からの視点で描かれていますから、観る側の私たちもそちらの視点で判断しがちです。

けれども修道院の人たちの視点から観れば、彼女らはまちがったことをしたとは思っていないわけで、多分、正しい行為をしたと思っているのだと思います。
「多分」と書いたのは、証拠隠滅のために書類を燃やしたりしているので、していることが見つかったら困ることになるとは思ったのでしょう。


映画がもし修道院側のストーリーとして描かれていたら、主人公の女性も彼女を手助けする人たちも悪人として登場していたでしょう。

あんな人たちがいるから世が乱れるということになって、それを見ている私たちも「子供が引き離されるのも、修道女たちが厳しくしたのも当然」と思ってしまっているかもしれません。

実際、メディアやテレビ、インターネットなどによって私たちはいろいろ刷り込まれていますから、鵜呑みにする前に、どの視点から物事を見させられているかを見極めるようにしたいものです。

時代や地域、集団によっても価値観は変わりますから、常にそこのところ吟味する必要があると思います。


罪を犯した人は罰せられるべき、一生罪を背負って生きるべきという考えを持ち、神に仕える人間はその処罰をする役割を担っていると思えば、その任務に忠実になるでしょう。

表向きは「神に忠実に」と信仰心が厚いようで、そういう人たちの心の根底には「神の望む通りにしていれば私は救われる」「全能なる神に従うべき」という神への依存があるのではないでしょうか? 
神の意に背いたらどんな目にあうかという怖さも。

また、神という名のもとに権力を握ろうとしたり、あるいは、なんかおかしいと感じながらもすでに自分の心や人道に外れることをしていたら、それを認めたくないので、ますますその行為と神を正当化強化していく場合も少なくないです。

そうなると、そうであることが正しい、自分は正しいのだとかたくなに固執し、本気でそれを信じてしまいます。

絶対的な神がいると、視野が偏り、思考停止になってしまうのがなによりも問題かもしれません。
その神の世界(といっても人間の思考の世界)ではOKなのですが、それ以外の世界は邪教であり、魔とされてしまいます。

その根底には自分の罪や間違いを認めたくないという怖れだったり、自分を許してほしい、認めてほしいという思いがあるかもしれないですが、それにふたをしてしまって見ようとはしません。


どちらが正しい、正しくないというところに立つと、果ては戦争となってしまいます。

より高い視点を持てば、どちらもありです。
意見が違うことで、私たちはそこから新しいアイデアを導き出し、成長することができます。

私たちは肉体を持って毎日生活しているわけですから常に何かを選択しています。
「どっちもありだよねー」ですまされないことも多々ありますので、その時はどういう選択をするかに気をつけたいですね。

そのためには俯瞰的視野を養うようにしたいです。


ちょっと話がずれますが、「ハンナ・アーレント」の映画。

何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが実は職務に忠実な公務員でしかなかったというハンナの主張。

ユダヤ人への憎しみから行なったわけでも極悪非道な人間でもない。
いのちの大切さや人を殺めることへの疑問も抱かず、ただ単に事務的機械的に上からの命令を行なっていただけ。

『彼が20世紀最悪の犯罪者となったのは思考不能だったからだ。』

ハンナ・アーレントはそれを<悪の凡庸さ>と名付けましたが、考えなくなることの怖さがここにありますね。



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3月23日までの限定公開です。

映画「フタバから遠く離れて」第一部本篇


「いま」この映画を見てほしい理由は三つあります。簡単にいいます。

一つ目は、福島の原発事故が収束もしておらず、事故の反省・原因究明も出来ていない中で、日本という国がまだ原発を使い続けようとしているからで す。我々はなんとなく「良くないんじゃないか」と思いながら原発の電気を使い続けてよいのでしょうか。今の生活のために将来の子孫に核のゴミを残して良い のでしょうか。これについてちゃんと考える必要があります。

二つ目は、福島第一原発の電力は100%東京首都圏へ送られていたように、原子力発電は不公平に地方に事故のリスクを押し付ける犠牲のシステムであ り、我々日本人はそんな犠牲のシステムにずっと長く依存して来たからです。いったん事故が起きれば、どんな悲劇が起きるのか、原発避難を強いられた方々の 姿を直視していただきたいと思います。

三つ目は、原発避難の時間は一枚の新聞記事や5分のニュース報道では語ることができないからです。ジャーナリズムは言葉で情報を伝えるものであり、 ドキュメンタリーは言葉にならぬもの、時間の重みや人の感情を伝えるものです。事故直後の混乱時は、いつかこの混乱も治まり、いつか町への帰還のメドも立 つだろうと思われていました。しかし、放射線量はずっと高く、国は帰還のメドを示されないまま、時がどんどんと経過してゆきました。置いてきぼりにされた ごく普通の人々の苦しみ、時間の重みを経験していただきたいのです。

フェイスブックページより 舩橋監督のことば

原発はもういらないね。


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