いのちおり - 本来の自分に還るために

さあ、未来の自分に還る旅に出よう!
人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 人生、生き方

A woman umbrella

春分前と後では、自我の定義そのものが変わるようなことが
静かに起きていたのを私は感じていました。

今まではエゴとしての「個」が重要視されてきた時代でした。

「自己実現」という言葉が表すように、「自分」という存在をどう「実現」させるか?
というところに焦点が当たっていました。

それは個人の向上心や成長を促し、そのおかげでいろんな発明があり、生活も向上しました。

が、同時に、争い、競争社会を生み出しました。
人より多くを得て、より賢くあることが「成功者」であるかのように思われてきました。
資産をたくさん持っている人、稼いでいる人、会社のトップなどが成功者と思われています。

エゴは、”自他の区別のない一切がひとつであるところ”から、
飛び出してきたチャレンジャーです。

飛び出してきた手前、おいそれと”ふるさと”に戻れないし、
一旗あげないと自分の価値がないように感じます。
常に「ワンネス」への郷愁と罪悪感と恐れ多い気持ちがあります。

エゴが一番恐れていることは「自分が消滅してしまうこと」です。

自他の区別のないところ(ここでは仮に「ワンネス」と書きます)から
飛び出してきていますので、「ここにいるよ!認めて!」と叫び続けています。

その自分が消えてしまうことは、その努力が全く報われなかったということ、、、

そういう挫折感、敗北感、自己嫌悪でいっぱいになるのが怖く、
必死で自分を主張しようとします。

これはエゴが勝手に思っていることですので、実際はそんなことなく、反対に、エゴのその恐れと頑張りがストレスや問題を生み、物事をややこしくして滞らせる原因になっています。

このコアの部分、これが手放せたらすごく楽になります。

が、多くの人はこれを手放したら、自分の根幹となる柱が崩れてしまうのではないか?
という恐怖を抱いているので、ひたすら頑張って認めてもらおうと努力し続けます。

自分が信じていたものがガラガラと崩れてしまうのは怖いし、大変です。

けれどもこの流れを知り、意図的にそこに飛び込むのであれば、
ハラハラドキドキワクワクと新しい自分を発見していきます。


最近、しばらく観ていなかった映画をまた観に行くようになって、
「Dr.ストレンジ」も「アサシンクリード」「ゴーストインザシェル」と見ました。

最近の記事はそこから発端して書いていますが、これらの映画は
「今までの固定概念を揺さぶろうとしている」という点では同じでした。

ハリウッド映画は裏で誰かが操っているのか?と思うほど、
今、「自我」に揺さぶりをかけていますね。

私がたまたまそんな映画ばかり見ているのかもしれませんが、今、全体の意識の流れがその方向に向かっているので、それを先取りしている人たちがそのような発信をしているのもしれませんし、意図的に人類をそういう流れに向けようと働きかけている組織や存在がいるのかもしれません。

私はテレビを見ないので、テレビドラマについては知らないですが、
もしかすると日本のテレビドラマでもそういう類の内容があるのかしら?

アニメや漫画は率先して、新しい認識をもたらしてますね。

「自我」の境界がゆるみ始めているのを感じています。
だんだんとエゴが、今までは自分の殻に閉じこもっていたんだと気づきだしています。

言い換えれば、「自分のために生きる」より「他のために生きる」感覚が増し始めています。

エゴの価値観であった「自分が生き延びる」「自分が成功する」「自分が認められる」が
ゆるんできて、「他者のために自分を生かす」という価値観に変わりだしています。

自我の領域が広がりだしてるのは、自分が消えてなくなる恐怖から解放されつつあるということです。
自分の境界がゆるんで、自他の区別が曖昧になります。

つまり、自分のコンフォートゾーンが広がっていることになります。



今週土曜日の東京セミナー、残1名様のみです。
 
なんとなく過ごしていればなんとなく人生が終わってしまいます。

あなたはどのような人生を歩みたいですか?望む生き方をしていますか?

あなたが自分の持てる力を発揮し、自分軸を取り戻し、まわりに惑わされず、
本来の輝きとパワーを取り戻し、やりたいことに進んでいけたら、
どれほど充実した人生が待っているでしょうか?

長いようで短い人生。
モタモタしていたらあっという間に終わってしまいます。

もしあなたが、あなたの中に眠るダイヤモンドを輝かせたいのなら、
「いつか」ではなく、「今」動きましょう。

5月27日(土)14:00~17:00
場所:丸ノ内線・四谷三丁目から徒歩3分のところ
料金:5000円
定員:6名(残1名)

今回は東京での個人コーチングの募集もしますので、その説明会も含めて行います。

お申し込みフォーム
(「5/27セミナー参加」とメッセージ欄にお書きください)


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映画「ドクターストレンジ」から始まってのつらつら書きの続きです。

この映画では、「時間」もまた一つの大事なテーマになっていました。

時間、、、人間にとっては寿命。

「時間こそが私たちの敵」とする考え。
つまり、命に限界があるということです。

古代から不老不死に対する憧れがありました。

今では「ゴースト・イン・ザ・シェル」の映画で描かれていたような義体の時代は
もうすぐそこにきていますから、不老不死も夢ではなくなってきています。


ネタバレになりますが、ドクター・ストレンジは、世界を救うために、
なんども殺されるという時間の無限ループに入ります。

自らが望んで何度も殺される生死の繰り返しの無限ループの中では、
死(痛み)は怖くなくなります。

映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」でも繰り返し殺される主人公が出ていました。

あれを見た後で思ったのは「エゴの死」でした。
「永遠に生きたい」と思う裏返しは、「エゴの死」を望んでいるんだろうなと。

エゴが死ぬことで、自分は囚われの世界から解放され、自由になれる、
永遠に生きることができるという思いがあるように思います。

映画などで簡単に殺すシーンが多いのは、
私たちの中にあるその潜在的な願望を表しているのかもしれないです。


エゴの死といっても、エゴがないと私たちは個の意識を持てないので、エゴは必要です。
エゴが一旦死ぬような体験をすることで、エゴに囚われた世界から解放されます。

”自他の区別のないところ”から、「個」として出てきた私たちです。
エゴ(自我)は、自分は何かが欠けていると思いがちです。
完全なるものに戻りたい、なりたい思いがどこかにあります。


ドクター・ストレンジは、閉じた時間の中で何度も殺されに行きますが、
その時、自分のために生きることは捨てて、人のために死に続けることを選んでいます。

ここでは時間のループで表されていますが、これは象徴だなと思いました。

私たちの日常は、習慣、カルマ、無意識のループに陥っています。
そのたくさんのループの中で、繰り返し繰り返し同じことを繰り返します。

そこでは無意識に行動をするので、自分がないに近いです。
自分のために生きていない、死んでいるのと何ら変わらない状態です。

それに気づき、そのループから抜け出し(解脱)、また新しいループに入り、
またそのうち気づいて抜け出して、、、を繰り返して生きていきます。

でも一つのループから抜け出るごとに、抽象度が高くなって多角的な視点を得ます。

書き出したらなかなか終わりません、、ので、次回に続きます。


  

5/27(土)東京でセミナーを行います。

エゴを殺さずに、エゴから自由になるには?

まわりに惑わされず、本来の輝きとパワーを取り戻し、
最高の人生を歩むためのきっかけ作りをします。

5月27日(土)14:00~17:00
場所:丸ノ内線・四谷三丁目から徒歩3分のところ
料金:5000円
定員:6名

今回は東京での個人コーチングの募集もしますので、その説明会も含めて行います。

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映画「ドクターストレンジ」から始まってのつらつら書きの続きです。

「ドクターストレンジ」では、ダークサイドこそが善とする意見が出てきます。
命が限られることが恐れを生み出し、限界を生み出します。
時間を超越して永遠に生きることで、人間は解放され、自由になれるとします。

そもそも時間もこの世界も幻想であり、私たちはその幻想の中に生きています。
実際に個体としての物や身体があるわけではなく、脳がそのような像を見ているから、
実際にあるかのように感じています。

私たちは生の肉体を感じますし、食べたり排泄し、痛みを感じ、身体は老いていきます。
触ったら触れるし、ちゃんとあるでしょ?と言われたとしても当然だと思います。

私たちは物質主体の世界に生きてきたので、肉体を持つ私たち自身が幻想だと信じられなくても、当然と言えば当然です。

上腕をつねって「痛い」と思っても、上腕自体が痛みを感じているのではなく、
実際は、脳が「上腕が痛い」と信号を送っています。

理屈でそういうことがわかったとしても、やはり上腕をつねれば「上腕が痛い」と感じます。
「『それ、幻想だよ』と言われてもなー。今ここでリアルに感じるんだよ」と思って当然でしょう。

私たちは、自分が持っている記憶も、なぜか「正しい」と思い込んでいます。
そのようなことが起こったのだと。


映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」では、自分が誰かわからなくて、過去の記憶もなく、
どこにもつながっている感がない状態を主人公は感じます。肉体も脳以外が義体。
身体さえも自分でない。

そうなった時、何があなたを「あなた」として認識させるのか?

なんのために生きているのか? 存在しているのか?

自分が誰かわからずに生きているのは、宙に浮いた感覚に近いと思います。


”自分のことを「自分」と自覚しているその根拠は何?”

と聞かれたら、あなたはどう答えますか?


あなたをあなたたらしめているもの。

名前、外見、過去、人格、これらがあなたなのか?


「ゴースト・イン・ザ・シェル」では、記憶が塗り替えられて、
新しく植えつけられた記憶の人格や経験をそのまま信じている人物が登場します。

つい先日見たアメリカドラマの「ニキータ」でも、巧妙な心理作戦と脳への介入で、
新しい記憶を植え付けて、それがそれまでの自分の強い情動と重なり、
新たな人格と現実を作り出していくという話がありました。

自分にとっては確実に存在したと思える人物や経験が、実際は想像上の人物や経験で、
実際にはそれは起きていなかったとしても、あなたの意識の中で経験していたら、
それはあなたにとっての現実、本当にあった話です。

そして実際に、私たちが今持っている記憶はそのようなものです。
一緒に経験したはずの他の人は全く違う経験をしている可能性は大ですし、歴史はいい例です。起こっていなかったことが起こったとされ、起こったことが起こっていなかったとされていたり。

でも教育で「こうです」と教えられるので、それをそのまま事実として認識してしまいます。


もしあなたが違う記憶を植え付けられているとしたら、名前、外見、過去、人格などは、
あなたがあなたであると断言できるものではありません。

あなたが今記憶しているあなた自身、それは本当のあなたなのか?
それとも他の記憶の中で生きているのか? 自分が誰かわからずに生きているのか?

今、あなたをあなたと限定できるものは、
名前、性別、家族、出身地、生い立ち、経歴、仕事などなのではないでしょうか?

「ゴースト・イン・ザ・シェル」では主人公はその答えを見つけますが、
あなたはどうでしょう?


自分が誰かわからなくて悩む人、そこから逃げて何も考えなくなる人はこれからも増えるでしょうが、これからは「アイデンティティを持ちましょう」というより、その反対です。

記憶すら曖昧であり、私たちはホログラムの映像みたいなものですから、
アイデンティティからも自由になってしまっていいと考えましょう。

記憶も過去も自分もいらない。
というより、それらからも自由になっていい。
その方がなんでもできるし、何者にもなれます。

「アイデンティティを持つ」ことで、あなたは小さな枠に止まってしまいますから。

あなたが何者であるかは関係なく、あなたが何者であろうとするか、が大事です。

話が「ドクターストレンジ」から「ゴースト・イン・ザ・シェル」になっちゃいましたね。


次回もこの流れの話が続きます。


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「ドクター・ストレンジ」の映画から始まって、つらつらと書いています。

この映画では、「自然の摂理」と人間の関係についても問いかけがなされていました。

自然の摂理に反することはよくないか? と。

人間がどこまでそれに介入できるのか?

人間が手出しをすると、カルマを生み出し、悪を生み出すのではないか?

悪が生まれると、それを正す善や正義も生まれます。
それらは対なので、いい悪いの区別はつけられないのではないか?

その区別をつけるのは人間側の都合でしかない。

悪も善になれるし、善も悪になる。

それは見る側がどう受け取るかでしかない。

事象は事象。

何かを決めたり、選んだりすることは、エゴによる作用であるから、
どんなに善良と思われることであっても、エゴの作用である。

自然の摂理は、人間の善悪の範疇にはない。

人が行動する限り、自分のエゴによって動いているので、
いつまでたっても反抗勢力(ダークサイド)は現れる。

善側より、悪側の方がこのエゴの作用についてはわかっているので、
ある意味、自分に素直である。

善側は大義名分を掲げ、自分のエゴではないと思いたがる傾向にある。
エゴだと思った途端、悪と大差ないことを知るので、それを避けたがる。

エゴで行うことは、自然の摂理に沿っていることが大事。
自然の摂理に反したことをすると、それは必ず自分に返ってくる。

そのループ(カルマ)からは逃れられない。


人間が人間である限り、エゴを持っています。
そのエゴをどのように使うのか、自分のために使っても、人のために使っても、
善に使っても、悪に使っても、それによって生じるものは、いわば善悪の両方。

そのループからいかに抜け出すのか?
あるいは、抜けださずに解決法を見出すのか?


ここに書いたことは、あくまで問いかけであり、正しい答えなどありません。

その問いかけに、自らがどう答えを見つけていくか?
がこれからの世界に影響を与えていく、というスタンス。

今までの時代はどこかに正しい答えがあるように思われてきましたが、
各自が自分の答えを見つけていくことがそれぞれの未来を形成していきます。

答えを「探す」のではなく、答えは「作り出す」ことが大事になってきています。

クリエイティビティの時代ですね。


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扉絵
http://renote.jp/articles/9188


しばらく前の話ですが、「ドクター・ストレンジ」を見ました。
その時の観客は私一人!
一人貸切状態で、真ん中の席に座り、VIPな気分で3Dで堪能しました〜。
これは気分良かった^^

「ドクター・ストレンジ」を見て、一番いいと思ったのは「抽象度の高さ」でした。

抽象度高く俯瞰して物事を見ることは、これからますます重要になります。

この映画もいろんな視点から捉えているところがいいです。
いろんな角度から、登場人物の今までの価値観や信念を壊しています。

人としての生き方と、自然の摂理にどう関わっていくか?
というところがテーマとなっているように思いました。

善と悪をそのまま善悪とせず、善を行う者にはその信念が、
悪を行う者にもその信念があることを見せています。

両サイドの考え方、見方を見せているので、
どちらが正しい、悪いと言えなくなります。

善を行なっているはずの者が、実は悪からエネルギーを得ているとか、
悪と思われた者にはそちら側なりの信念があって、その人たちにとっては、
善側の方が悪であり、自分たちが善であり、正義であると信じっているとか。

勧善懲悪的なストーリー好みだったアメリカに、このような視点が加わってきたのは面白いです。
この映画、けっこう日本のアニメの影響を受けているように感じました。

以下、ネタバレになります。

善側から見ると、悪は悪です。
それを阻止するために戦います。

地球を守っているとされるエイシェント・ワンが「人のためであれ」と印象的に言います。
それを見ると「そうだよねー」と納得するのですが、映画では、あとでそれを覆しています。

彼女が長生きするためにダークサイドの力を使っているという事実が判明します。

彼女にしてみれば、ダークサイドの力が地球を侵食するのを止めるために、
自分が生きて阻止するしかないということになるのですが、

彼女がダークサイドからその力を得ているがために、
そういう事象が起きているという事実も現れます。
つまりそうなったきっかけが彼女だったと。

自分が作り出したカルマをなくすために、
ダークサイドと戦い続けるというカルマを生み出しています。

そしてその無限ループにはまり、生き続けます。

自分でも答えを見つけられなかったので、
それをドクターストレンジに託して、自分は死を選びます。


生きている間にカルマを作り出して、それを解消するために次の世に生まれる。
その生で、またカルマ解消をしながら、また新たなカルマを生み出している、
という無限ループに陥っている、私たちの意識の在り方。

「これが善」と「これが悪」という自分の中の定義に囚われてしまっているから
「悪を解消しなくては」と思ってしまいます。

どんなにいい人になろうとも、どこかで真逆の作用が起きて、
自分がいい人になればなるほど、悪い人や悪い行為も生まれてきていることに気づいた時、
あなたは何を思うでしょうか?

この映画は、いろんな角度からいろんな問いかけをしているところがいいなと思います。
かなり抽象度の高い映画です。

話は次回に続きます。


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前回の記事、「あなたは人を幸せにできる人」の話の続きとなります。

春分あたりから「自我」の枠組みが変わる気配がありました。
それがどうなったかというと、

『他のために生きることが、自分を生きることになる』

という時代への突入です。

ただし自己犠牲や被害者意識はありません。
喜びと慈悲はあります。

前回の記事で、
他の人やものになくて、自分にあるもの、自分にできることをしましょう
という話を書きました。

そこにあなたの役割がある可能性が大。

今日はまた少し違う角度から書きます。


今までは、エゴが、「自分を認めて欲しい、愛して欲しい」と叫んでいる時代でした。
それが差別や競争を生みました。

これが「自分は他を幸せにするためにいる」という自己充足感に変わっていきます。

自分向きの矢印だったのが、他者向きの矢印に変わります。

今まだそうなれてなくても心配しないでください。
大半の人がまだです。

これを読んでいるあなたは、ぜひその先駆者になってください。

そのためには、エゴが手放したくない思い
「私を愛して、私を認めて」のこだわりが外せるといいです。

そうなるには、自分の存在価値を人に求めないことです。

自分で自分を認め、許すというプロセスが必要です。


「私を愛して、私を認めて」を手放した時に、孤独で惨めになるのではなく、
「求めなくてもすでにあるのだ」と気づけると素晴らしいですね。

あなた自身が愛であり、愛に包まれているのだから、
愛される必要も、認められる必要もありません。

愛の中にもともといるのだから、「愛されたい」という概念自体が変なのです。

「愛の中にもともといる」というより、そこに区別はないですから、
あなた自身が愛の結晶です。


そして、そこに気づいた暁には、すごくポジティブで、
誰からも好かれる魅力的ないい人になる・・・かというとそうでもありません。

やんちゃをするのもオッケーですし、すごく嫌な奴になるのもありです。

でもそれは、愛の中にいるからできる行為なのです。


・・・あれ?と思った人もいたかもしれません。

愛の中にいるからできる行為?

じゃあ、ネガティブになるのも、悪いことをするのも、愛の中にいるからできるの?

大きな意味ではそうです。
かなり抽象度の高い視点から見るとそういうことです。

・・・じゃあ、自分が愛だと気付いた時、世界は今の世界と変わらないの?


まあ、そんなところです。

でもこれに気づいた人は、全く違うレイヤーにいますから、
悪いことも嫌われることもできます。が、必要でなければしないでしょうけど。

今までの愛の概念がいかに一方向からだったか。
解釈の仕方の話ですけど。

それに苦しんだり、傷ついた人も多かったと思います。

報われない思いにこだわるよりも、もうそれを手放して、
次の段階に進むことにするなら、自然と大きな癒しが起こるでしょう。

それは「視点を変える」という作業により、可能になります。
価値観や信念を変えるということです。

もう一段階上のレベルの愛の表れです。


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人間には人間にしかできないことがある。

植物は動けないが、人は動ける。
ならば、動けない植物のためにできることがある。

植物は動けないが、二酸化炭素を酸素に変えることができる。
私たちはその恩恵を受けている。

鳥は飛べるから、植物の種をあちこちに運べる。
人間は農耕して、植物を育てることができる。

猫は毎日寝てばかりだけど、私たちの知らぬところで
あちらの世界で何かしてくれてるのかもしれない。

赤ちゃんと猫は見ているだけで癒しになるが、大人の人間はそうはいかない。

人間様は、自然界のすべてどころか、地球自体も自分たちのものと勘違いしている人も少なくないが、人間も地球の仕組みの中の一つであり、地球そのもの。

「私がやりたいことはなんだろう?」と思う時、
我(が)で考えると、自分が幸せになる、お金持ちになる、たくさん所有する
などが基準になりがち。

でも本来、「存在」は、自分を生かすためではなく、
全体の成長進化のための役割があるのではなかろうか?


動物にはできなくて、人間にできることはなんだろうか?と考えてみる。

思考する、笑う、未来について考える、道具を使う、などいろいろ出てくる。

ではその能力を使って、他のためになることはなんだろうか?と考えてみる。


もっと具体的にいうならば、「自分が何をやりたいか?」と探すのではなく、
「自分が他のためにできることはなんだろうか?」と問うてみる。

他の人やものになくて、自分にあるもの、自分にできること。

それはあなたが他のために活かせることなので、それを発揮しないという手はない。

対象は、人でも、自然でも、動物でも、物でも、会社でも、家族でも、
数式でも、アイデアでも、なんでもいい。

あなただからこそできること。

それはある。

何かは知らない。


「やりたいこと」を探す時、そんな風に探してはどうだろうか?

あなたが他のためにできること。
あなたならではのやり方で。


寝たきりの人は動けない、でも自分は動ける。
ならば、代わりにできることをしようか。

そんな発想でもいいだろう。


「自分」というリソースをどのように使うかは、あなた次第。


自分を満たそう、自分を幸せにしよう、と自分のことを考える段階も必要。
まずは自分を受け入れていなければ、他のために動くのは偽善になる。

でも、自分を幸福にしようと思うより、
「自分は他を幸福にする存在だ」と受け入れることができると、
根拠なく、自分っていいやつだと思えてしまう。

その場で自分のことが好きになれる。

ここで「他」と言っているのは、「自分以外」のこと。

人も物も動物も石も植物も空気も、自分以外のもの全てを含んでいるので、
「他人」のことではないです。

この世界が多種多様に満ちているのは、お互いがお互いの特質を生かして共存できるから。

弱肉強食ではなく、分かち合い、与え合い、譲り合い、共に生きる。
「共に生きる」には、「食いつ食われつ」も含まれる。


「ライオンがシマウマを捕まえて食べるのは自分のためじゃないですか?」
という人もいるだろう。

確かにそれもあるけれど、大きな流れで見たら、
ライオンは自分の中の微生物や細胞に食べ物を与えていて、
また自分の家族が生きられるように狩をしている、
ライオンという種の保存のために食べている、と考えると、
自分だけが生きながらえるために獲物を捕らえているわけではないのがわかる。

人間は、動物より自我が強いから「自分だけのために」と行動することもできるけど、
共存社会に生きているので、それで生きていくのは辛いものがある。

あなたという存在をあなたから切り離してみて、
「この人物(あなた)にどう活躍してもらおうか?」と考えてみよう。

人は、人から喜ばれたり、感謝されたり、尊敬されたり、
認められたりするとうれしい生き物。


あなたは人を幸せにできる人です。
それを自覚し始めると、あなた自身が幸せになれます。



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先日の一斉遠隔ヒーリング「ワンポイント・グラウンド」の時、
ちょうどこんなイメージでした。
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(「陰陽師/第7巻」岡野玲子)

「ワンポイント・グラウンド」は特に取り除きたいこと、手放したいことに対して有効です。
ブロック解除のようなものですが、滞りをフラットに調整する作用があります。

なので、ネガティブな思いや痛みに対してすることが多いです。
この日も、参加者の方々のそのような思いに対しての働きかけとなりました。

が、この日のヒーリングはまさにこのイラストのよう。
(ヒーリングをしている私の視点は外から見ている感じです。ちょうど今あなたがこれを眺めているように)

背後には、とても大きな慈悲のエネルギーが控えていて、守られてる感じを得ました。


実は、私たちはいつもこんな感じだと思います。
常に背後に、このような、人を超越した愛のエネルギーはあるのですが、
このイラスト下部の菅公のように、目の前のことに心を奪われていて気づきません。

まさに今の世界はこんな風だなあと思います。

私たちはいろんなことにストレスを感じて感情を揺さぶられます。
そこに思いを集中しますので、その後ろで見守っている存在
(というと人格化したもののようですが、形はありません)に気づくことができません。

目の前のこと、つまりエゴが重要視していることに取り組むことをやめたら、
後ろの存在を感じることもできるでしょう。

エゴが自分のことに一生懸命になって、自力でどうにかしなくては!と力んでいるがために
(菅公のように)、後ろの大きな存在に気づけません。

エゴのがんばりは、たいてい不安や恐れから来ています。
見捨てられる不安、認められないことへの恐れ、失敗する不安など。

不安や恐れから行動すると緊張感がありますから、なかなか自分の実力が出せず、
ウンウン言いながらそれに向かうことになります。

そんな自分の力でがんばるよりも、自分の背後に控えている大きな力を信じる方が
物事がスムーズにいきます。

「大丈夫。自分は守られているから。」と。

そのように思い、感じることができると、エゴの恐れが静まります。

エゴの恐れの思考が静まると、静けさが訪れます。
そうなって初めて、自分よりも大きな無限大の力に気づきます。

そのパワーは神様や高次元の存在というより、本来「あなたと同じもの」。
あなたもそういう存在なのに、すっかり忘れている状態。

この漫画では、この続きに、
「この世は幾層もの層が重なってできている」という話が出てきます。

上記のイラストの時に、上から下までの幾つかの層が開いたので、
女神が降りてきているような感覚を得たと。

そして「菅公もそれに気づけば、怨霊ではなくて、本当の北野の社の主になれるのだよ」と。
「それは、菅公は擁護されているということではないか?」と続きます。

これは誰に対しても言えます。

この幾つかの層をあなたの意識の話と思ってみてください。
最も表層のエゴに近い層(顕在意識)から自己を超えた層まで。

怒りまくっている菅公ではなく、「後ろの存在である自分」に気づけば、
怒る理由がなくなります。

その視点から今の状況を見下ろせます。

「その視点から今の状況を見下ろせます」と簡単に書いてますが、
「その視点から今の状況を見る」ということが何を示すかは、
一人一人がその人生で見出していくといいと思います。
人によって違う認識を得るでしょうから。

今、時代もその視点を問うべき時に来ているようで、今までの二元論的世界では、
今まで答えが出なかったことへの問いかけが起きているように思います。


今のあなたは、菅公の位置か、後ろの存在の視点に立っているか?

その視点を変えることができると、問題は問題ではなくなります。

自分の小さなエゴは目の前のことしか見えてないので、そこにこだわり、ウンウンと唸っていますが、ずーっとズームアウトすれば、大きな意識、人が仏とか神と呼ぶようなものが常に静かに控えています。

それに気づくことができれば、安心です。

大きな大仏さまを作ったのは、その偉大さや寺の権力を見せるためではなく、
背後に控え、見守っておられる慈悲の存在を表したかったのかもしれないですね。


今月はとくに自我が「今までの自分」から「新しい自分」へと
脱皮する変容の時期に入っているようです。

今までの信念(エゴが信じてきたこと)が崩れる出来事を体験している人が
少なくないようです。

「いったい今までの人生はなんだったんだー?」
「私がしてきたことはいったい、、、」みたいな。

信じきっていた価値観が変わるということは、新しい段階に移る前段階で、
視野が広がることなので悪いことではないです。

けれども、信じていたものが信じられなくなったり、今までの基盤になっていた価値観が崩れたりするので、その渦中にいる人はたいへんだと思います。

菅公がエゴだとすると、それを俯瞰するもう一人の自分が後ろの存在。

菅公から後ろの存在への移行は、菅公が冷静になり、
後ろの存在と同調できるぐらいの状態になることから始まります。

今の菅公の状態から冷めて、現状を俯瞰的に見て、今までの自分の思い込み、怒りの原因などを違う角度から見て、相手の事情もわかり、自分にとってこれは必要だったことと理解し、この恨みの想いにこだわるよりももっと違うことに目を向ける方がいいことに気づき、自分も相手も許し、過去のことにこだわるのはやめて、新たな人生に向かっていくことを決意し、、、

という過程を経て、安らかなる心を取り戻すことになるでしょう。

それなりのプロセスです。
一瞬で氷解することもあれば、このように順を経ていく場合もあります。

一瞬で氷解する時は、実は既にこのプロセスをある程度、経ています。

一足飛びに行くよりは、ちゃんとこのプロセスを一つ一つやって行く方が
経験豊かになるのでいいと思いますが、あまり時間をかけず、次の段階に進むがいいですね。

そのためには、俯瞰的に物事を見るクセをつけるようにするといいです。


この時期に合わせての一斉遠隔ヒーリング・プログラム
トランスフォーミング・ヒーリング」を行います。
自我が揺らいでいる方にオススメです。


    

20日春分の日、琵琶湖沿いでのセミナーをします。

日時は20日(月、祝)13:30~16:30
場所は、京阪石場駅下車徒歩5分のところです。
京都駅から20分、滋賀方面に行ったところです。
料金は8000円(税込)。

テーマは「俯瞰する視点 x 脱皮する自我」。

これからは俯瞰する視点が必要です。
俯瞰できたら抽象度の高いマインドになりますから、
自在に偏在する自分に気付きやすくなります。
俯瞰する視点が身につくと、多角的に物事を見ることができます。

とらわれやこだわりが減り、自我ががんばり過ぎるのをやめると、
いろんな可能性があることに気づきます。

琵琶湖のほとりでゆったりと自分の可能性空間を広げましょう。

お申し込みはこちらから。
(お申し込みフォームに「20日セミナー」とお書きください。)

    

3月27日(月)は久しぶりに東京で、
個人対面セッション「マインドアウェアネス・セッション」をします。
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彼らは貧しいのかもしれない。
けれども彼らにはとても豊かなスピリットがある。
 
いつしか私は、日常生活が一番スピリチュアルだと思うようになった。
 
毎日のルーティンをどう生きるか。
 
その毎日と人生がアートになることがスピリチュアル的生き方の実践であり、
自然な人間の姿なのだと思う。



日本の神楽のビートとトランス感は通づるものがある。


現代西洋(ドイツ)ではこんなのもある(笑) こちら埋め込みができないのでリンクで。
Einsturzende Neubauten, Autobahn Extended

鼓童も美だね。

謎の国に行って、”あること”に気づき、帰ってきてからはそれがますます確信になってきています。

さすが網様体賦活系。
私に必要な情報をどんどん与えてくれて、ますます腑に落ちています。

「網様体賦活系」とは脳の機能。
脳は、あなたが重要視するものをたくさんある「現実」の中から選りすぐって見せています。
その機能のことです。

私が今、フォーカスし始めた”あること”。
それが私にとってだけではなく、全体にとっても必然な流れであることがわかったら、
すごく現実味を帯びてきました。
大きな流れがそうなっているから私がそう感じている、と言うべきですが。

いろんなことがクリアになってきました。
3月の春分頃、また一層、変容が進むのかな?と思います。

二極化が進むという話。
いろんな意味での二極化が進んでいるように思います。

要は、意識の抽象度。
あなたがどれだけ俯瞰できるか?

それがキモのように思います。

二極化と同時に、二元性の向こうの世界の現れも始まっています。

あなたの意識が物質界にとどまるのか、物質を超えた世界に向かうのか、
その差が、春分あたりからまた加速していくのかもしれません。

それまでの間、できるだけ俯瞰する視点を身につけておきましょう。
俯瞰するには、自我のとらわれから解放されることが大事です。
でないと、自分の視点からしか見れないから。

そのためには、自分のネガティブな感情や考え方に固執しない姿勢が大事
もっと言えば、ポジティブなことにも固執しないほうがいい

「ネガティブなこと」は悪いのではなく、
それに対して”よくない判断”をして、否定的な感情が湧いてくることが問題。

ネガティブな感情はあっていいです。
自然なものだから。

でもそれに振り回されたり、固執したり、なくさなきゃと思ってしまうと、
エネルギーを注ぎ続けるので、それは力を得て、あなたの意識の大半を占めるようになります。

そうすると網様体賦活系の作用で、あなたはそれに準ずるものを現実に発見していきます。
現実はそのような現れ方をしてしまいますから、それがあなたにとっての現実として現れます。

あなたの心がその映写ビームとなって現実を映し出しているんですね。

この映写ができるだけ透明になって初めて、
今までどれだけ「作られた」世界に生きてきたかが見えてきます。



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先日、ある”謎の国”で行われた謎の人物"仙人さん”のセミナーに行ってきました。

"仙人さん”のセミナーは行こうと思ってもかなり高額であるし、
誰でも参加できるものではありません。

今回は仙人さんが参加者を選ばれたそうですが、「その他大勢」に隠れていた私が
なぜ参加した15人の一人に選ばれたのか?不思議でした。参加費用は旅費だけ。

でも行ってみて理由がわかりました。
そして自分のやるべきことがまたひとつ明確になりました。

それは、これからの世界と精神進化(特に女性)についての自分のビジョンに関わることでした。


人類の進化と成長のプロセスには流れがあり、それぞれの段階を経たのち、
トータルな視野で俯瞰的に見ることができるマインドが備わります。

その視野が持てるようになって初めて、次の段階、つまり物理次元からエネルギー領域へ、
人類の顕在意識レベルから、見えないレベルで繋がっている意識の領域に関わる時期に移っていきます。

いつぞや女性の集合意識の話を書きましたが、私が”豊かな女性”を増やしたいという時、
それはこの新しい段階(または古い)での女性を増やしたいのだということがわかりました。

生命の発達の流れにおいてもそのような流れになっているらしいです。

(または古い)と書いているのは、先住民や縄文時代、神秘学や秘教的な学びなどは
その精神性が備わっていたと思うからです。

先見の明を持って活躍されている人たちはたくさんいますが、
そこをわかっているのは人口の0.1%ぐらいだそうです。

ほとんどの人は物質中心の世界に住んでいますから、そうなんだと思います。

自分の霊性に目覚め、新しい価値観と感覚の元で、人としてどうあるかを知っていく過程。
地盤を整えて、これからが本番ですね。

最近、ブログをあまり更新していませんでしたが、これからはこの流れでブログを書きながら、自分の考えをまとめていこうかと思案しております。

以前のブログタイトル「たまむすひ」の頃に書いていたこと、
「カムナガラビリンス」や「和音」のカテゴリーにあるようなことがもっと整理され、
現実味を帯びて現れてきそうな気がします。

興味のある方はぜひおつきあいくださいませ。

と言いながら、記事更新しなかったらごめんね


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two-hands-holding-the-sun-and-planets-in-the-universe_S7OKzkGeC
現実は自分が作り出している。

気づきの限界は
あなたの現実の限界である。

人は自分の興味関心のあるものを見ます。

あなたが体験している「現実」は、
あなたが興味関心を持っているものと言えます。

それを変えるには、あなたが日々思い描いていることを知ることと、
「すべては夢である」と思って周りを見渡すことから始まります。

あなたの日常がクリエイトに世界を創り出すことに使われるなら、
それがあなたの前に現実となって現れてきます。

あなたが今何を感じ、何を考えるのか、
どこに意識を持っているのか、

「今」を感じる感度が研ぎ澄まされれば
「今」も作り出されている夢であることに気がつくでしょう。

「気づき」が広がれば広がるほどあなたの世界も広がります。


今月、東京と京都でセミナーをします。
『私が私に還る』ためのセミナー


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昨日の「〜人が人生を終える時に後悔する20の項目〜」をもじってみました。


〜人が人生を過ごす時に幸福を感じる20の項目〜

1:他人がどう思うか気にしない
2:幸せをもっとかみ締めて生きる
3:もっと他人のために尽くそう
4:くよくよと悩まない
5:家族ともっと時間を過ごそう
6:もっと人に優しい言葉をかけよう
7:不安なんていらない
8:いつでも時間はある
9:思い切って冒険しよう
10:自分を大切にしよう
11:他人の言う事よりも自分の直感を信じよう
12:もっと旅をしよう
13:たくさん恋愛をしよう
14:一瞬一秒を大事に過ごそう
15:子どもたちに好きな事をさせてやろう
16:言い争いなどやめよう
17:もっと自分の情熱に従おう
18:もっと自分のために頑張ろう
19:もっと自分の本音を言おう
20:もっと目標を達成しよう


これをすれば、楽しい人生になりそうですね〜。
できるところからやっていきましょう!


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死に際に瀕しているとしたら、
「・・をしておけば良かった」と思う人がほとんどだそうです。


特に死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものトップ5

1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」
2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」」
4. 「友人関係を続けていれば良かった」
5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」


〜人が人生を終える時に後悔する20の項目〜

1:他人がどう思うか気にしなければ良かった
2:幸せをもっとかみ締めて生きるべきだった
3:もっと他人のために尽くせばよかった
4:くよくよと悩まなければよかった
5:家族ともっと時間を過ごせばよかった
6:もっと人に優しい言葉をかけていればよかった
7:あんなに不安を抱えながら生きるべきではなかった
8:もっと時間があれば・・・
9:もっと思い切って冒険すればよかった
10:自分を大切にすればよかった
11:他人の言う事よりも自分の直感を信じればよかった
12:もっと旅をすればよかった
13:もっとたくさん恋愛をすればよかった
14:もっと一瞬一秒を大事に過ごせばよかった
15:子どもたちに好きな事をさせてやればよかった
16:言い争いなどしなければよかった
17:もっと自分の情熱に従うべきだった
18:もっと自分のために頑張ればよかった
19:もっと自分の本音を言うべきだった
20:もっと目標を達成すればよかった


死に際にこういうことを思うのは悲しいですね。

そうなることのないように今一瞬一瞬をしっかり生きましょう!

ときれいごとを言ってみたところで、明日にはすっかり忘れて、
いつものように過ごしているのがオチです。


そもそも「・・しておけばよかった」という思考パターン自体が後悔を呼びます。

どんな人生を送ろうが、自分がした選択がベストだったと思えれば、
いつも最高の人生を歩んでいることになります。

「自分がしたこと」についてあれこれ思うより、
今の自分の心の動きに注意して、無心に動けたら、
「こうすればよかった」という思いは湧いてこないでしょう。

死に様は生き様と言いますが、
最期の時に、人生で一番強く多く思っていたことが思い起こされるのではないでしょうか?

だとすると、普段からそのように思いながら過ごしていたということです。

後悔や罪悪感を持ちながら生きてきたから、それを感じながら死んでいく。

死に際に瀕して「・・をしておけば良かった」と思うのではなく、
実は普段から思っていたことが強調されただけ。

ずっとそれを見ないようにして、自分をごまかしていた、、、。

死に際にそれに気づくんでしょうね。


生きている間にそれに気づき、清算して、
「ああ、いい人生だった。感謝。」と晴れ晴れあっぱれとした最期になるよう、
人生を生きていきたいですね。


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50

コミュニティが重視される社会に向かっていっていますが、
女性性が主になる時代になるのだから自然な流れだと思います。

その時「コミュニティ」が、ただ単に「人の集まり」というのではなく、
「情報場を共有するグループ」になることが大切だと思います。

「エネルギー場」の共有に気づいているコミュニティ。
なので、肉体的に同じ場にいる必要はありません。


意識的にしろ無意識的にしろ、それを意図する人達が必要になります。
その人たちが形作った「場」(ここでは「情報場の環境」といったがいいかも)に加わるなら、そこにある暗黙の世界観を共有するというか、自分もそのパーツとしてそこに存在する感じ。作った人も同じくパーツ。

パーツといっても、身動きが取れない歯車の一つではなく、全体の中のバランス的に自分が何をすればいいのかがわかるような、そんな感じでしょうか。

一人の身体があっても、手足、内臓、脳、心臓、目鼻口と機能があり、
たくさんの細胞や血液、骨、筋肉、微生物などいろんなものがその人体を形成しています。

「あなたは目だけど、私は鼻ね」というような感じですね。
トータルで人体として機能するわけで、目だけ取り出してもどうにも機能しないわけです。
そんな感じですね。

これは新しいことではなく、以前からあったことですが、『意図する側とそこに組み込まれていく人たち』という構図ではなく、『みんなで作っていく』という感じが増していくと思います。


まだまだこれからの話ですが、一人一人の意識が変わり始め、「コミュニティ」自体がひとつの生き物のようになって、そこにいるひとりひとりがそこに含まれる機能の一部を担うようになるでしょう。

日本はもともとそういう風潮のある国ですが、これからはもっと意図的にそれがなされるようになっていくと思います。

支配層の人たちが自分たちの都合のいいようにそれをしようとする流れと、意識の高い人たちが新しい時代を形成しようと新感覚のコミュニティに取組み始める流れと両方あると思います。


「コレクティブ・エフィカシー」という言葉があります。
「エフィカシー」は、「自分はゴールを達成できる」という自己評価です。
そのグループのみんながそのように思うことで、すごい力が発揮できるようになります。

みなのエフィカシーが高く、共通の大いなるゴールに向かって行動していきながら
お互いが影響しあっていく、、、

これはそのまま「いのち」の活動と言えます。

豊かな森が様々ないのちを育み続け、それ自体が一つの生命であるかのように、
地球もそのような存在なのだから、人間が壊したバランスを取り戻すためにも
人間の意識が変化していく必要があります。

その変容が進むと同時に、その反対のエネルギーも増えると思います。
心が前向きで楽観的になれるか、ネガティブになるかで体験する世界が違ってきます。


今まで人間は、地球は自分たちのためにあると思って好き放題してきました。
が、個としての自我から、ネットワーク状にすべてとつながっていることを認識している大きな自我に移行していくにつれ、『コミュニティとしての地球』の一員(というより地球そのもの)であることの認識と、高まるエフィカシーを感じていくと思います。

シシ神さまはそんな感覚なんだろーなーとふと思いました。
人はシシ神さまを殺してしまったけど、たくさんの人がシシ神さま的感覚になれる時代が
この先やってきたらいいなと思います。
 

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昨日は京都でのセミナーでした。

今回のテーマは「自分らしさ」でした。
参加者の方の意識が高く、初っぱなから深い質問が、、、。

今回は私が講義をするというより、みんなでシェアしながら話を進めていくかたちをとりました。いろんな話が出てきて充実したセミナーとなりました。


人によって「自分らしさ」の認識は違いますが、「自分らしさ」という時、
一般的には「自我」が思う自分らしさのことを言うと思います。

つまりは一人の人としての「自分」。
その人がもっているその人らしさ。

「自分らしくありたい」とか「自分がわからない」という時、心の中では
「今の自分はどこか本来の自分とは違う」という気がしているからそのように思うのでしょう。


自分らしさには、「先天的な自分らしさ」と「後天的な自分らしさ」があります。

前者は、原始的な自分、原初の自分、もともとあるもの、ただある状態、自然体。
後者は、経験と学習によって身についたもの。他者との関係性の中で育まれたもの。


今、私たちが生きている社会においては、前者の「原始的な自分、原初の自分」は
小さい頃に心の奥底に押し込めて、出してはいけないものとする傾向にあります。

そして社会に合わせて穏便に忠実に生きていける人に育てられます。
現代はそれが行き過ぎしてしまって、自分を見失った人が多くなってしまいました。

また自分らしさを考えるとき、人間関係の中での「自分」が重視されます。
つまりは人との関係性における自分のあり方に悩みます。


通常「自分らしさ」という時、私たちは後天的に身につけた自分をどうにかしたいと思います。

本来の自分と、自我が望んでいる「理想の自分」が混同され、
本来の自分はこうなっているべきというギャップに悩みます。

それが成長するための原動力になればいいのですが、ギャップに悩むところに止まってしまうと、なかなかセルフイメージが変えられず、苦戦します。


セルフイメージにも二つあります。

一つは過去の積み重ねにより、作り上げられた自分像。
もう一つは、未来記憶の創造により生成される自分像。

どちらをよりリアルに感じているか?でどちらが実現するかが決まります。


また、セルフイメージをいかに変えていくか?のコツもお話しました。

「過去の集積のセルフイメージ」をどうにかしたいともがく人がほとんどですが、
それよりは未来の自分作りに精を出す方が変化が早いです。

このところは実感してみないと、なかなかわかりづらい部分だと思います。
でもいったんこの概念が飲み込めたら変化が加速するでしょう。


途中、雑談のように楽しくおしゃべりをした時間がありました。

そうしたら、一人が「この状態が自分らしいと思う」と一言。

どういう状態か?と聞いてみると、結局「普通」であること。

なんの気兼ねもなく、リラックスして、今ここにいる状態を楽しんでいて、自分がどう見られているとか、どう振舞おうとか考えてなくて、自分を「意識していない状態」。

その時が一番自分らしいねー、となりました。


「自分とは何か?」という話、未来創造の大切さと未来のセルフイメージ作りについて、ネットワーク、縁起、ゲシュタルトなど、どんどんと話が広がっていきました。

こうやって話をすることで、それぞれの内的宇宙が豊かになっていくなあと思いました。
こういうのって、昔は、主に女性が作り出してた情報空間宇宙だったんじゃないかなあと思います。

話が飛びますが、大昔、男性が狩りに行っている頃、女性たちは一緒におしゃべりしながら子育てや手作業をしていたと思います。

子供に話しかけるおとぎ話や昔話、女性たちで作り出す寓話、噂話などもあったでしょうが、女性の感性、情緒面がとても豊かだったのではないか?と思います。

女性は「宮」です。
女性の内的集合無意識はそのまま地球の状況に反映されるのでは?と思います。
深層においては女性の方が地球とのつながりが深いと思います。
男性の場合はもっと「知」の部分だと思います。知的な探求ですね。

女性の価値が落とされ、男性上位社会になり、女性も男性のように生きるようになり、競争社会で揉まれて、その豊かだった内面世界も干からびてしまいました。
同時に、外の世界の地球環境も今のような状態になっています。

これから女性原理が中心となっていく時代に入り、
またそこが豊かになっていくのだと思います。

女性の内的集合宇宙、宮的育み、、つまりは内面で育てていく作業。
孵化作業みたいなもんですね。

それを外の世界で形にしていくのは男性が適しているけど、その前段階のところは女性の無意識なんだろうなと思います。それをもっと意識的無意識にしていく必要があるのでしょうね。


話が飛んでしまいましたが、自分の中ではまた色々とつながりました。
もう少し噛み砕いて、少しずつわかりやすく書きたいと思います。


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ほとんどの人が知っているであろう「ぞうさん」の歌。

ぞうさん、ぞうさん、おはながながいのね。
そうよ、かあさんも ながいのよ。

ぞうさん、ぞうさん、だれがすきなの。
あのね、かあさんが すきなのよ。


それについてこんな話を読みました。
  ↓
童謡ぞうさんの「そうよ、かあさんも長いのよ」この詞の意味が、想像以上に深かった。

私がこれを最初に読んだ時の感想はフェイスブックに載せてますので、
読みたい方はそちらをご覧ください。


今回、この記事を読むまで、ぞうさんの歌に
悪口や差別の歌という論議があるとは思ってもいませんでした。

気になったのでもう少し検索してみたら、いくつか記事がありました。
が、この記事がいろんな角度からの意見を書いておられていいです。
 ↓
〈ぞうさん〉とまど・みちおの思い


「おはながながいのね」を「人とは違うところを指摘されている」と取る人もいれば、
特に気にならない人もいます。

気になる人は、自分の人生経験の中で、いじめや差別的な扱いを受けたことがあるか、
そういうことに敏感な人だと思います。


悪口を言われている歌かどうかを言いたいのではなく、
この「ぞうさん」の歌を一つの現実としてみた時、
いろんな受け取り方をしている人がいるなあということをここでは言いたいです。

とうさんぞうのことが気になる人、
自己肯定感の歌だと思う人、
学校で人と違うのをからかわれて、この歌を歌って自分を励ました人、
ただの童謡と思って歌っている人、
母への愛慕と感じる人、
いじめられても気にしない人、など。


「おはながながいのね」をからかいや意地悪とうけとめると、
「いじめられた」という意識が生まれます。

けど、ただ「事実を述べられただけ」と受け止めれば、
「あなたは日本人ですね」と言われるのと同じぐらいスルーできます。

常に物事はその背景、コンテクストによって変わってきます。

「日本人なのね」と言われて差別されたと感じる時もあれば、
「はい、そうです。あなたはアメリカ人ですね。」というように
事実を述べただけと感じる時もあります。

また相手が悪意を持って「おはなが長いのね」と言ったとしても、
当人がそれをなんとも思っていなかったら
「そうよ、かあさんも長いのよ」と無邪気にいったり、
「それがなにか?あんたは鼻ぺちゃだね」と全然気にならなかったりします。

悪口としてそれを言った人には、
偏見を持つようになったなんらかの経験なり、観念なりがあるのでしょう。

自分の問題ではなく、相手の問題としてうけとめることができます。

「言われたこと」を自分が認め、受け入れることにより、
自分で自分はそういうものだと同意してしまいます。

言われる側はそれに動じないぐらいの強さと自己肯定感をもちたいですね。

また「現実」は何通りもの受け取り方があるので、
自分が体験している現実は自分の受け取り方を変えさえすれば、
いかようにも変わっていくというところも踏まえておきたいところです。


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あなたが「自分のことをどのように思っているか」
は必ずしも「他者があなたにみていること」と同じとは限りません。

あなたはあなたの作り出したあなたの世界に住んでいます。

その中にいるあなたは、あなたがそうだと思っている自分像であり、
一つの側面にすぎません。

あなたはあなたが持っている可能性のいくつかを選んで生きています。

「選んでいる」ということに気づいていないと、
今の状態のみが唯一の現実だと思ってしまいます。

ところがそれは唯一の現実ではありません。

あなたが選んでいる現実です。


私たちは、自分が作り出している自分のイメージに沿ってふるまいます。

セルフイメージを変えないままに自分を変えようとするのは、
目の前にニンジンをぶら下げて、それを懸命に食べようと走る馬のようなものです。


松の木が「平たい葉にしなければ日光を得られない」と思ったとしても、
松は松なんだから、あのつんつんとした葉でいいんです。

それで生きていけるようにできているので、平たい葉はいりません。

「平たい葉にならなくてもいい」と気づいた時、新しい展開が始まります。

もしあなたが「◯◯にならなければ(しなければ)・・・できない(得られない)」と
思っているのであれば、その前提を疑ってみましょう。

「負」と思っていることは裏返ると「強み」になります。
一番怖がっていることや苦手だと思うことの中に天命がある、という人もいます。

普段考え事をしている自分は自分の目のようなもので、自分の姿は見えません。
知らぬ間に独りよがりの世界に陥ってしまいます。

日常の忙しさに追われると、つい自分の目の前のことばかりを見て、
俯瞰的視野を忘れてしまいます。

自分視点と、もっと俯瞰的な全体視野の両方を持ち、
行ったり来たりできるといろんな角度から物事が見れます。

そうなると近視的な判断をしなくなり、自分軸もしっかりと定まってきます。
その視点を思い出したい人はぜひどうぞ!
 ↓ ↓ ↓

〜境界を越えて一なる世界に触れる〜 

日時:6/26 (日)13:30〜16:00
場所:長岡京市中央生涯学習センター バンビオ
 JR長岡京駅から徒歩2分

料金:5000円

お申し込みフォーム

今度の日曜日なのでもうすぐです。

ホセ・ムヒカ氏来日の時の講演からの抜粋の最後。
以前の記事はこちら (

しっかり学ぶ必要があります。自分自身の考え方を、いろんな情報源を当たりながら、自分の考えを構築する必要があります。必ず疑いの目を持って、裏を取る必要があると思います。

一般の市民、一般の市井の人々というのはわりと無邪気で、何か言われたことを鵜呑みにして信じてしまいます。でも、みなさま方はもっと高い教養を持っている人だとすれば、さらに深い洞察をする義務があります。

もっと深く考えること。
ほかの人が表面的な部分しか見ていないことを、しっかりと見ていく。
そういったことをみなさま方がしなければいけません。
それが闘争の一部でもあると思います。

私たちは理性で考えなければいけません。しっかり物事を見なければいけません。それに基づいて、現在、社会に何が起きているのかを、深い洞察をすることによって分析し、それをほかの見えない人に伝えなければいけないと思います。

生きるということは、コンフリクトを持つことなんです。
コンフリクトがない人間は墓場にいる人だけでしょう。
生きてる人なら、誰でもコンフリクトは抱えています。

問題は、どうやってそのコンフリクトをマネジメントしていくのか。
コンフリクトを持つことは避けません。ですから、みなさんは家族のために、
例えば家族を守るために戦うというのは当然です。それはいいことです。

でも、だからといって、ほかの人のために何にもできない、ということではないですよね? 
ほかの人にも何かができたとすれば、自分と家族にとってもすごく幸せに感じるでしょう。
隔離されて、社会の中で生きていくことはできません。 logmi


コンフリクトと書かれているけれど、「葛藤」「対立」「戦い」「衝突」などのどの日本語訳にすればいいか、、と迷います。だからそのまま「コンフリクト」と英語をカタカナにされたのかもしれません。

とにかくはなにかしら対立することがあり、それをどうしようかといろいろと試行錯誤するわけですね。

私たちは常に選択をして過ごしていますから、そこに葛藤があるかないかで、ストレス度が違ってきます。


通常、葛藤がないほうがいいように思われがちですが、果たしてそうでしょうか?

葛藤がないということはとくに問題がないということでしょう。
問題がなければ楽ですが、成長もない。


『もっと深く考えること。
ほかの人が表面的な部分しか見ていないことを、しっかりと見ていく。』

そうすることでコンフリクトも生まれます。

「問題」というと悪いことのようですが、「課題」「改革」という言い方をすれば、今ある状態を変えていくことと言い換えられます。

そこには現状否定があるではないか?と言われそうですが、結局のところは青い鳥であり、それが見えてない状態です。
そこにたどり着くまでにいろんなことを経験するから葛藤のない状態にたどり着きます。

その状態に至るとまた新しい視点が見えますから、また新たなコンフリクトが現れ、それに対応していくことで、新しい気づきや経験を経て、また成長していきます。

それの繰り返しですね。
そうやって自分も世界も変化していきます。


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ホセ・ムヒカ氏来日の時の講演からの抜粋を書いていたが、途中で止まっていたので再開。
以前の記事はこちら (

どこかで私たちは自分の人生の総括をすることになると思います。たとえば「何かをやろうとしたけど失敗してしまった」「何度も失敗したけれど、やろうとした」「100やりたかったけれども、5ができた。もちろん完璧ではなかったけれど、有益な人生だった」。

別の場合には、「私は私の人生のなかで何もしなかった」「単純に私は浪費をした、消費をした」「誰に対しても手を差しのべることはなかった」「ほかの人のことなんて、一度も心配したことはなかった」「決して、誰かのために時間を費やすことはなかった」。

自分自身を鏡で見るとき、そこに映るものは自分のエゴイズムにすぎないのです。そのときにあなたは自分自身に対して失望するでしょう。

単純に世界を変えるため、勝つために戦うのではないのです。そうではなくて、自分自身の心のなかにあるもののために考えるのです。戦うのです。私たちは感じることができます。

私たちには頭があります。心があるのです。ある程度までではありますけれども、私たちは自分自身の人生を方向づけることを自分ですることができるのです。

もし音楽が好きならば、そこに自由を探してください。もし私のように絵が好きなのであれば、そこに自由を見出してください。私のように農業が好きな場合には、農業を営むことができるでしょう。それは単純にお金を稼ぐためだけではありません。
ですから、何かあなた自身を幸せにするものを探してください。ほかの人を幸せにすることを考えてください。

それは世界を変えるということではなくて、自分自身を変えるということになるのです。
例えば、私は世界を変えたかった。でも、現在、私は家のなかの掃除をしている。ということがあるかもしれない。世界を変革するのは、かなり複雑で難しいものなのです。

でも、長期的には何かが残るでしょう。大きな闘争、大きな敗北のあとで。そして、その闘争のあとで、世界は違うものになっているでしょう。前とまったく同じ、ということはないでしょう。 (logmi


大きなことをなし遂げる人に見られる特徴。

あきらめない。
希望を捨てない。
前向きである。

それを楽観的、ポジティブという言葉で表すこともできるけど、
そういう言葉を軽く使えないような重みがあります。

「不屈の精神」という言葉の方が似合っています。


「自分は無力である」と思い知った人が立ち上がり、
また世界を変えるために行動する。


私たちは世界を変えるためにここにいる。

世界を変えることは自分を変えること。

自分を変えるというと、
今の自分への否定を感じる人もいるから言いかえましょう。


自分が気づいていないことに気づくこと。
そして行動して、セルフイメージを変えること。

それが自分を変えることであり、世界を変えること。


前とちっとも変わってないじゃないか、、、
何をやっても変わらない、、、
まだこれだけしかできてないのか、、、
自分は何をやってもダメだ、、、

などと思うこともあるでしょう。

けれどもあなたがそれに対して考え、行動してるのなら、
前とまったく同じ、ということはないです。

だから、何も変わらないとは思わないでください。


絶望しながらも希望を捨てない。

なかなかたいへんなことですが、絶望も幻想ですから。

ならば「希望も幻想でしょ?」と言われそうですが、

はい、そうです。
どうせ幻想なら、自分にとってうれしい幻想を持つほうがいいでしょう。

自分が見ている世界は自分の心が作り出している世界です。

本当に自分が作り出したい世界は何か?を知り、
その世界が豊かになることを想像(創造)しつづけ、行動し続けましょう。

そうすることで、いつのまにか世界は
あなたが望んでいた情景を見せてくれるでしょう。



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