いのちおり - 本来の自分に還るために

さあ、未来の自分に還る旅に出よう!
人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 人生、生き方

私たちは進化の過程で、地上で生活することを選びました。

重力を感じるのが当たり前の、地に根を下ろして日々を送っています。

海の遊牧民「バジャウ族 (Bajau)」がいます。
彼らは水の中をかなり自在に動きます。



この動画を見ながら、もし私たちが水中で生活することを選んで進化したら、
どんな精神性になるんだろうな?と興味を持ちました。

イルカやクジラのように水中で暮らしていたら
また全く違う価値観になっているんでしょうね。

水中に浮くことができる。→ 常に地に足がついている感覚がわからない。

常に水を感じている。か、当たり前すぎて感じなくなっている?

水中と水の上がはっきりと区別される(2段階、あるいは2つの世界)

動きの感覚が全く違う。(水圧がかかる)

特に身体感覚の違いが大きな差を生みそうです。

バジャウ族と共に暮らす日本人もいるようです。
日本にいると出世だとか、お金がないと、、とか思いますが、
彼らのような暮らしを知れば、また全然違う価値観が得られます。

どっちがいいかはその人の好みかな。

行ってみて、実際に体験してなんぼなので、
動画見て「いいな〜」とかではなく、
気になった人はとりあえず実際に行ってみると
価値観が変わるんじゃないかな?


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jack-o-lantern
闇とか穴の話が出ていたら、引き寄せてしまったのか、この記事。
   ↓
【閲覧注意】地獄の「死体農場」 ― 野ざらしの死体はどのように朽ち果てるのか?=米

こういうのが苦手な人は見ない方がいいです。

が、見ておくといいんじゃないかなとも思います。

現代なら、最大の闇は「死」だと感じている人は多いのではないでしょうか?

昔なら、死より怖いことは「鬼になること」だったかなと思います。

タブーの一線があり、そこを超えると、人間でない生き物になってしまう悲しさ。

幽霊とはまた違う感覚。
幽霊とは死んでも死にきれない念の映像化だと思うので、一応死んでます。

鬼は生きたまま、人間になれないものになることだから。

でもそのハレとケの境目がなくなり、闇を排除しようとするのが近代からの流れでしたが、
そのおかげで、現代は、人畜と言われるような人が増えてしまいました。
タブーを超えた人っていうか。

先日の、ラスベガスの銃殺事件を見て思ったけど、
暗黙の了解で、私たちはある一線を保っているんだなと。

何かのグループや戦争を起こす人たちだと、
大量殺人を犯してもありうる話だと受け止めますが(あり得てはいけない話ですが)、

個人がそこまで殺すというのはそうそうない。
時々それが起こりますが、ほとんどの人は人を殺したいとは思っていないわけです。

滅多にないことだからニュースになります。

心の闇がそういう方向に広がると困りますが、
実は誰しもそういう部分を持っていると思います。

内含していても、それを超えない一線はしっかり持っているので超えない。

私はゴキブリや芋虫も殺したくないし、
誤って殺してしまえば、すごくいやな気持ちになります。

でも環境変われば、人も殺せるだろうし、どんな残虐なこともできる自分もいます。
もちろんしませんし、やりたくないですが。

ちょっと話がずれましたが、上記の「死体農場」。
ネーミングがどうなん?と突っ込みたくなりますが、英語では The body farm なので
もうちょっと広い意味でとれるなと思います。

いくらきれいごとを言ってみたところで、私たちは死体になるんです。
今は火葬なので朽ちていけないのが残念ですが、化学薬品にまみれた身体であれば、
土に帰るように燃やされるがいいかもしれないですね。

1万円札が実はただの一枚の紙切れだというのと同じで、
どんなにお金持ちでも偉人でも死んだら同じようになります。
これからの時代はAIが発達して、死ななくなるかもしれませんけど、それは置いといて。

だから「なれの果て」をみておくのもいいんじゃないかなと思います。

肉を食べるなら、実際に動物を殺して解体作業をしてみるべきと思います。

そこまでしなくても、自然の中にいると、いろんな生死が見れるので、
そこらへんの情緒が学べますが、今の時代は自然にあまり触れることなく育ってきた人や
過ごしている人が多いので、歪んだ生き方をしてしまうんでしょうね。

最後には朽ちるんです。私たちの身体は。

そうなりたくない、とそこを見ないようにしているから、弱々しくなる。

「ああ、そうなるんだ、最後はこれね」と思えたら、
人生もっと楽しんでおこうって気になります。

この「死体農場」の死体は、きっと風呂屋で裸姿を見るような感じなんだと思います。

遺体の寄付があととたたないんだそうですが、なんかわかる気もします。

私は山で微生物に食べられて死んでいきたい派ですが、
墓に入るよりは、こういうところでお役に立つのも悪くないかなと思います。


■東京でセミナーします■

最近のブログ内容に関連した話をする予定です。

日時:10月15日(日)14:00〜16:00

場所:秋葉原駅から徒歩5分
(お申し込みされた方にお知らせします)

料金:1万円

定員:7名(残2名)

お申し込みフォーム

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マズローの5段階欲求で、

自己実現欲求
尊厳(承認)欲求
社会的欲求
安全欲求
生理的欲求

があります。


一番底辺の生理的欲求、
食べる、飲む、寝るなどの生きるために必要な欲求が満たされないと、
次の安全欲求に移りません。

安全欲求は、命に関わる危険を回避し、安全で安心な暮らしをしたいという欲求です。
自分の家があったり、健康だったりと。

社会的欲求は、どこかの集団に属していたいという欲求。

ここらあたりは日本人は多いですね。
次の、人に認めれたい尊厳(承認)欲求と。

人によっては、安全欲求がまだ満たされてない人もいます。

住む家も着る服も食べるものもあるんだけど、
今、無職だとか、これから先、収入が減ったら入ってこなくなったらと
生活の安全に不安を感じている人、

災害が起きて死ぬんじゃないか? ガンになるんじゃないか?
という不安にさいなまされていたり。

実際に安全が満たされてないというより、心が安全を感じていない状態ですね。

そういう場合には、なかなか自分らしく生きたいとか、
好きなことをして収入を得たいとか、考えている余裕はありません。

そういうことを考えている時点でもう既に、ある程度の安全欲求は満たされているはずです。
そこに気づくだけでも自分がいかに恵まれているのか、わかります。

必要以上に安全欲求を求めてしまうと、人生の質が下がります。
なぜなら身の安全を重視しますので、IQがめっちゃ下がります。

しかし実際に安全が満たされてないなら、まずそれをどうにかすべきです。


私が以前ロンドンに住んでいた時は、貧民街に好んで住んでました。
一時期はかなり神経すり減らしましたね。

無謀だったんで、夜一人で歩くとかは全然平気でしたが、
夜中にどこかから「助けてー!」の声が連呼されたりとか、
獣と化したかと思える状況で住んでいる人を知ったりとか、
住処を一瞬で失い、毎日住むところを探し回った時期とか、

身の安全が測れないと、さすがに精神がやられそうになります。

闇とか、「ぽっかり空いた穴」と言っても、
今月のはそういうものでもないんで安心ください。

それは、鏡のようなものです。

そのような状況を見る人もいれば、
未知のワクワクする世界への扉がついに開いた!と喜ぶ人もいるでしょう。
私は後者なんで、ワクワクしちょります。

それなりの闇を経験してきたからずいぶんタフになってるんだろうな
というところもあります。

今、「ぽっかりあいた穴」が出てきたということは(抽象的な意味合いですけど)、
そういうところを消化吸収していく時期なのかな、ということも感じます。

つまり、今までの世界は、光がいいもので、闇が悪いもの的な二元性の世界でしたが、
実は闇は奥深い。(光も奥深いけど)

闇も光も同じものだというところに到達する前なんだろうなと思います。

二つが合わさってスパークするとどうなるかって?

そこは、意外にも、、、。

それについては15日の東京セミナーでお話しします。


闇に背中を向けているととても怖くなりますが、
向き合えば、素晴らしい恩恵をもたらしてくれます。

インスピレーションはこの「穴」からやってきます。

いろんな意味合いのあるこの「穴」ですが、
ここといかにつながるかが、トータルな人間になるには必要なのではないでしょうか?


■セミナー詳細■

日時:10月15日(日)14:00〜16:00

場所:秋葉原駅から徒歩5分
(お申し込みされた方にお知らせします)

料金:早割:8000円(10/8までのお申込み)
   9日以降:1万円

定員:7名(残5名)

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この話を読むと、絶望は希望かもしれないと思う。

 「絶望」とは「望みが絶たれた」という意味ですが、しかしこの言葉はまずほとんどの場合、絶望していない時に使われているのです。「絶望」が使われるのは、ある望みを抱きつつもその望みが叶えられない、待ちぼうけの最終段階においてです。

 待ちぼうけは、人をある状態に縛り付けています。「絶望」を口にする時、「待っていても来ない」「期待しているのに得られない」といって嘆いているわけですが、その苦しみは、叶わないことによるのではなく、縛り付けられて不自由であることから来ているのです。つまり、これは「執着」の苦しみなのです。そのことに本人は気づいていません。

 わずかに望みを残しながら、人は「絶望」を口にするのですが、もし待っている対象が決して現れないものであるとわかった場合には、その人は一体どうするでしょうか。

 渋谷行きのバス停で新宿行きのバスを待ち続けている人がいます。まてどもまてども、渋谷行きしか来ません。もう何時間も待ちぼうけを食らって、「絶望だ!」と嘆く。そのとき通りがかった人が、「ここは,渋谷行きのバス停だよ」と彼に告げます。彼は、すぐにそこで待つことをやめ、別の行動に移ることでしょう。

 これこそが、本当に望みを絶った「絶望」の姿なのです。つまり、本当に「絶望」した時、人は「執着」を去り、「自由」になるのです。それはもはや、そこで当てにして待たなくてもよい「自由」です。そして本当に必要な行動を,主体的に自分が行なっていけるのです。

 このように「絶望」の苦しみは、残していた一抹の期待をきちんと捨てること、つまりそこからさらに一歩を推し進め、しっかり「執着」を断つことによって、真の「絶望」が訪れ、「自由」に解放されていくものなのです。

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 泉谷閑示



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私たちは、自分に対しても、人生に対しても、世の中に対しても、
こんなはずではない、もっと良くなるはずだと思って、
自分の望む状態をもたらそうとがんばります。

その努力は必要ですし、大切なことではありますが、
時として、絶望することも大事です。

なぜなら、

こんなはずではない、もっと良くなるはずだ

と思うのは、自分の「期待」です。

「こうなってほしい」という自分の願望の表れです。


でも、自分がいかに非力でちっぽけな存在で、
自分ではどうしようもないことだらけであると気づいたら、

自分ではどうしようもない、とあきらめの気持ちが出てきます。

自分には人は変えられない、世界は変えられない。
苦しんでいる人をみんなは助けられない。
飢餓も貧困も戦争もなくならない。

自分の無力を知った時、
自分でどうにかしようとするのをあきらめることで、
今まで見えてなかった物事の違う側面が見えてきます。

自分が「変えなくてはいけない」と思っていたことが、
実はそのままでもいいんじゃない?と思えたり、

自分でがんばろうとすることをやめることで、違う助けや導きがやってきたり。

東の人を助けたら、西の人が死に、西の人を助けたら、北の人が死ぬ。
すべての人を救うことはできません。

一つの問題が解決したら、また次の問題が出てきます。
同じレベルから問題解決をしようと思うとキリなく問題は現れてきます。

時には、自分はどうしようもなく非力であると絶望することも必要です。

それによって自分の期待を手放すことができます。
執着が取れて、あるがままの世界を見始めます。

そうなって初めて、今まで見えてなかったものが見えてきます。


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映画「メッセージ」からの気づきの二つ目。
一つ目の記事はこちら→ 「象徴言語のメッセージ」

ネタバレになります。
最後の方の話です。

主人公が、自分が ”未来を観る力” を持っていることに気づきます。
今までも何度も未来ビジョンを見ていたことを知ります。

そして、ある時、未来に起こったことをありありと観ます。
自分がどんな行動をして、それがどのように未来を変えたかを知ります。

彼女は、その未来を起こすには、今、何をしなければいけないのかを知ります。

すでにそうなっている未来を観てしまったのだから、未来から得た情報を用い、
今、行動を起こして、結果的に起こるべき未来になるように変化を起こします。

これって、未来ビジョンをどう観たらいいかのすごくいい参考になるなと思いました。


もし彼女がその未来の様子を観て信じなければ、そのような行動をとっていなかったでしょう。なぜならよっぽどのことがない限りしないような突飛な行動だったからです。

でもこの時すでに彼女は、自分の未来を観る力を信じていたので
「それは未来に起こったこと」と信じました。
そしてその未来を起こすために、今しなければならない行動をとりました。

未来の現実が先にあり、それを実現するために、今しなければならない行動をとったわけです。

そしてそれをするにあたり、未来ビジョンから情報を得て(中国の将軍の電話番号と彼に伝えた言葉)、その将軍に電話をかけて伝えるべきことを伝えます。
そして世界は平和の方向に向けて変化し始めます。


未来をありありと現実のごとく観て、その未来が訪れるために、
今しなければならない行動を、今この現在に行うという流れ。

未来がそうなっているのだから、今そのようにせざるを得ないわけです。


私たちは過去から未来に向かう時間軸の中で過ごしているという幻想の中で生きています。
なので、過去に起こったことが今に影響を与え、未来もその延長線上にあると思いがちです。

反対に、未来に起こったことが今に影響を与え、過去に起こった出来事を引き起こしているという見方もできます。

過去の強い体験がトラウマになってずっと自分に影響を及ぼすなら、
未来に起こった強い体験が、今や過去の自分に影響を及ぼしていてもおかしくありません。

実際は、未来ー現在ー過去という直線状の時間軸は存在せず、同時存在であり、
時間があるということ自体、幻想です。

座標のある一点で起こったことは全方位に影響を与えます。
それは空間と時間を超えた全方位です。


この映画では、「観た未来は変えられる」という設定にはなってませんでした。

観た未来は「起こる未来」という設定で、それを知りながらどう生きるか?
というところが重視されていました。

未来は変わり得るという概念を持ち込むとますます多義的になり、わかりづらくなりますし、
この映画で、まだ私の気づいていない視点もあることでしょう。

この映画は、表義文字と同じで、かなり抽象度の高い視点があちこちに入っており、
解釈の仕方が一つではないことに気づかされます。

これはこういうことを言って、あれはこうだけど、この視点から見ると、これはこうなって、あれはこうで、と現実が固定されません。


俯瞰的視点が必要と最近よく思う私ですが、この映画はまさにそれを見せてくれます。

でも気づかないと見えない。

これって私たちが見ている現実と同じです。

ものすごく多義的に現実の一つ一つはできているのに、私たちは自分の視点でそれを固定して
一つのものに限定しがち。

「象徴言語」と私が呼ぶものは、幾重にも解釈ができます。

私は将棋はしないのですが、棋士が何手も先まで読んでしまうとか、
コンピューターが一瞬でありとあらゆる可能性を計算して答えを導き出すのと似ています。

私たちの意識はこれからその方面に鍛えられていくんでしょうね。

これから小さな子供達とか、一瞬で物事を理解する子が増えていくと思います。
大人は、一手先ぐらいしかわからなくて、あれこれと理論立ててやっと3手先ぐらいまで予測できるかもしれないけど、新人類の子供達は、一瞬で10手ぐらい悟ってしまうかもしれません。

そう、「悟る」に近い。
一瞬でわかってしまう。それも絶対なる確信のもとに。

こういうわかり方の時は理屈はいりません。
あとで理論や証明がくっついてくるかもしれないけど。

今の大人も子供の頃はそうだったかもしれないけど、その能力は抑え込まれてしまっているので、これからの子供達にはそうしたくないですね。


「未来を観て、今行動する」話からずれてしまいましたが、映画で表現されていたぐらいクリアに未来を観ることができれば、そりゃ、今行動するよね、と思います。

もう起こっちゃってる未来の現実があるなら、今から辻褄を合わせていってその未来を実現しなきゃ、と逆方向になります。

コーチングで、現状の外のゴールを設定して、ゴールが達成された状況をありありと観るというのは、このような作用が起こすためです。

「あ、自分はこうなるんだ」というふと観てしまう未来ビジョンなどはまさにこれと同じ設定ですので、実現しやすくなります。


主人公が見た他の未来、子供の病気と離婚という未来、こちらはもっと情動が関わっていきますが、彼女はそれを知りながら、それを受け入れます。

変えられる現実もあれば、変えられない現実もあり、その中でどう生きていくのか?というところも示唆されています。

この映画は伏線が多くて、象徴言語のようにいろんな視点やアイデアが潜んでいます。

なぜ、中国の将軍の関わる未来は変えられたのに、自分の家族の未来は変えられなかったのか?

もう一度この映画を見たら、また違う視点が見えてきそうですが、今回はこのへんで。



東京セミナーのお知らせです。

「広がる自我の結び直しのと多次元宇宙」

7月9日(日)14:00~16:30
場所:東京都中央区内
料金:8000円

お申し込みフォームはこちら

メッセージ欄に「7/9セミナー参加」とお書きください。

7月23日からコーチング料金が値上がりします。
セミナー後、コーチングコースにご興味のある方には相談の時間をとります。
メッセージ欄に「コーチング相談希望」とお書きください。


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最近書いている話の続きです。

人とは何か?
なぜ私たちは生きるのか?
なぜこの世界はこうなのか?

などと問いかけていくと、

「人の生き方やあり方と、自然の摂理」がテーマになります。

意識の海から飛び出して、「個」の意識が始まり、
人類が発生してから、それが力を持ってきました。

しかしその「意識」も今のあり方に限界を感じ、さらなる進化を求めています。

私たちはその流れの中で、自己を見つめ、全体を見つめ、
どうバランスをとり、どうあるのか?というところを抽象度高く、
高い視点を持って見ることができると、自ずと「どのようにいきていくのか?」が見えてきます。

一回でもその視点からみることができると、また地上に戻って這うとしても、
全然違うものの見方になっていきます。


そういう人が少しずつ増えつつあります。

いつもと変わらないような毎日を過ごしながらも
そこに意識を向け、「自分に何ができるか?」を考えていれば、静かに世界は変わり始めます。

「あなたの世界」が変わりだします。


映画の「ドクター・ストレンジ」も「アサシンクリード」も
今までの価値観や固定概念を揺らがそうとしてました。

正義のために活動していると思っていたら、その活動によって悪が生み出されている。

光を当てれば当てるほど闇も深まる。

これまでは、闇を悪としてしまうことで、問題をすり替えていました。

が、もうそれができない時代になってきました。

本当の愛を感じるには、闇や悪への理解が必要なのだと。

私たち「意識」は今、そういう進化段階にきています。

そこを見ることは、最初は痛みがあるでしょう。
でもそれをすることで、もっと統合された人格となり、自我自身が成長、進化していけます。


今、意識の進化という意味で書いていますが、
これはもちろん個々人の自我意識に対しても言えます。

この宇宙を生み出している「意識」と私たち個々人の「意識」は連動しています。

影響しあいながら成長しています。

もはや私たちは一人ではあり得ない。

そんな段階に入ってきているように思います。



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A woman umbrella

春分前と後では、自我の定義そのものが変わるようなことが
静かに起きていたのを私は感じていました。

今まではエゴとしての「個」が重要視されてきた時代でした。

「自己実現」という言葉が表すように、「自分」という存在をどう「実現」させるか?
というところに焦点が当たっていました。

それは個人の向上心や成長を促し、そのおかげでいろんな発明があり、生活も向上しました。

が、同時に、争い、競争社会を生み出しました。
人より多くを得て、より賢くあることが「成功者」であるかのように思われてきました。
資産をたくさん持っている人、稼いでいる人、会社のトップなどが成功者と思われています。

エゴは、”自他の区別のない一切がひとつであるところ”から、
飛び出してきたチャレンジャーです。

飛び出してきた手前、おいそれと”ふるさと”に戻れないし、
一旗あげないと自分の価値がないように感じます。
常に「ワンネス」への郷愁と罪悪感と恐れ多い気持ちがあります。

エゴが一番恐れていることは「自分が消滅してしまうこと」です。

自他の区別のないところ(ここでは仮に「ワンネス」と書きます)から
飛び出してきていますので、「ここにいるよ!認めて!」と叫び続けています。

その自分が消えてしまうことは、その努力が全く報われなかったということ、、、

そういう挫折感、敗北感、自己嫌悪でいっぱいになるのが怖く、
必死で自分を主張しようとします。

これはエゴが勝手に思っていることですので、実際はそんなことなく、反対に、エゴのその恐れと頑張りがストレスや問題を生み、物事をややこしくして滞らせる原因になっています。

このコアの部分、これが手放せたらすごく楽になります。

が、多くの人はこれを手放したら、自分の根幹となる柱が崩れてしまうのではないか?
という恐怖を抱いているので、ひたすら頑張って認めてもらおうと努力し続けます。

自分が信じていたものがガラガラと崩れてしまうのは怖いし、大変です。

けれどもこの流れを知り、意図的にそこに飛び込むのであれば、
ハラハラドキドキワクワクと新しい自分を発見していきます。


最近、しばらく観ていなかった映画をまた観に行くようになって、
「Dr.ストレンジ」も「アサシンクリード」「ゴーストインザシェル」と見ました。

最近の記事はそこから発端して書いていますが、これらの映画は
「今までの固定概念を揺さぶろうとしている」という点では同じでした。

ハリウッド映画は裏で誰かが操っているのか?と思うほど、
今、「自我」に揺さぶりをかけていますね。

私がたまたまそんな映画ばかり見ているのかもしれませんが、今、全体の意識の流れがその方向に向かっているので、それを先取りしている人たちがそのような発信をしているのもしれませんし、意図的に人類をそういう流れに向けようと働きかけている組織や存在がいるのかもしれません。

私はテレビを見ないので、テレビドラマについては知らないですが、
もしかすると日本のテレビドラマでもそういう類の内容があるのかしら?

アニメや漫画は率先して、新しい認識をもたらしてますね。

「自我」の境界がゆるみ始めているのを感じています。
だんだんとエゴが、今までは自分の殻に閉じこもっていたんだと気づきだしています。

言い換えれば、「自分のために生きる」より「他のために生きる」感覚が増し始めています。

エゴの価値観であった「自分が生き延びる」「自分が成功する」「自分が認められる」が
ゆるんできて、「他者のために自分を生かす」という価値観に変わりだしています。

自我の領域が広がりだしてるのは、自分が消えてなくなる恐怖から解放されつつあるということです。
自分の境界がゆるんで、自他の区別が曖昧になります。

つまり、自分のコンフォートゾーンが広がっていることになります。



今週土曜日の東京セミナー、残1名様のみです。
 
なんとなく過ごしていればなんとなく人生が終わってしまいます。

あなたはどのような人生を歩みたいですか?望む生き方をしていますか?

あなたが自分の持てる力を発揮し、自分軸を取り戻し、まわりに惑わされず、
本来の輝きとパワーを取り戻し、やりたいことに進んでいけたら、
どれほど充実した人生が待っているでしょうか?

長いようで短い人生。
モタモタしていたらあっという間に終わってしまいます。

もしあなたが、あなたの中に眠るダイヤモンドを輝かせたいのなら、
「いつか」ではなく、「今」動きましょう。

5月27日(土)14:00~17:00
場所:丸ノ内線・四谷三丁目から徒歩3分のところ
料金:5000円
定員:6名(残1名)

今回は東京での個人コーチングの募集もしますので、その説明会も含めて行います。

お申し込みフォーム
(「5/27セミナー参加」とメッセージ欄にお書きください)


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映画「ドクターストレンジ」から始まってのつらつら書きの続きです。

この映画では、「時間」もまた一つの大事なテーマになっていました。

時間、、、人間にとっては寿命。

「時間こそが私たちの敵」とする考え。
つまり、命に限界があるということです。

古代から不老不死に対する憧れがありました。

今では「ゴースト・イン・ザ・シェル」の映画で描かれていたような義体の時代は
もうすぐそこにきていますから、不老不死も夢ではなくなってきています。


ネタバレになりますが、ドクター・ストレンジは、世界を救うために、
なんども殺されるという時間の無限ループに入ります。

自らが望んで何度も殺される生死の繰り返しの無限ループの中では、
死(痛み)は怖くなくなります。

映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」でも繰り返し殺される主人公が出ていました。

あれを見た後で思ったのは「エゴの死」でした。
「永遠に生きたい」と思う裏返しは、「エゴの死」を望んでいるんだろうなと。

エゴが死ぬことで、自分は囚われの世界から解放され、自由になれる、
永遠に生きることができるという思いがあるように思います。

映画などで簡単に殺すシーンが多いのは、
私たちの中にあるその潜在的な願望を表しているのかもしれないです。


エゴの死といっても、エゴがないと私たちは個の意識を持てないので、エゴは必要です。
エゴが一旦死ぬような体験をすることで、エゴに囚われた世界から解放されます。

”自他の区別のないところ”から、「個」として出てきた私たちです。
エゴ(自我)は、自分は何かが欠けていると思いがちです。
完全なるものに戻りたい、なりたい思いがどこかにあります。


ドクター・ストレンジは、閉じた時間の中で何度も殺されに行きますが、
その時、自分のために生きることは捨てて、人のために死に続けることを選んでいます。

ここでは時間のループで表されていますが、これは象徴だなと思いました。

私たちの日常は、習慣、カルマ、無意識のループに陥っています。
そのたくさんのループの中で、繰り返し繰り返し同じことを繰り返します。

そこでは無意識に行動をするので、自分がないに近いです。
自分のために生きていない、死んでいるのと何ら変わらない状態です。

それに気づき、そのループから抜け出し(解脱)、また新しいループに入り、
またそのうち気づいて抜け出して、、、を繰り返して生きていきます。

でも一つのループから抜け出るごとに、抽象度が高くなって多角的な視点を得ます。

書き出したらなかなか終わりません、、ので、次回に続きます。


  

5/27(土)東京でセミナーを行います。

エゴを殺さずに、エゴから自由になるには?

まわりに惑わされず、本来の輝きとパワーを取り戻し、
最高の人生を歩むためのきっかけ作りをします。

5月27日(土)14:00~17:00
場所:丸ノ内線・四谷三丁目から徒歩3分のところ
料金:5000円
定員:6名

今回は東京での個人コーチングの募集もしますので、その説明会も含めて行います。

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映画「ドクターストレンジ」から始まってのつらつら書きの続きです。

「ドクターストレンジ」では、ダークサイドこそが善とする意見が出てきます。
命が限られることが恐れを生み出し、限界を生み出します。
時間を超越して永遠に生きることで、人間は解放され、自由になれるとします。

そもそも時間もこの世界も幻想であり、私たちはその幻想の中に生きています。
実際に個体としての物や身体があるわけではなく、脳がそのような像を見ているから、
実際にあるかのように感じています。

私たちは生の肉体を感じますし、食べたり排泄し、痛みを感じ、身体は老いていきます。
触ったら触れるし、ちゃんとあるでしょ?と言われたとしても当然だと思います。

私たちは物質主体の世界に生きてきたので、肉体を持つ私たち自身が幻想だと信じられなくても、当然と言えば当然です。

上腕をつねって「痛い」と思っても、上腕自体が痛みを感じているのではなく、
実際は、脳が「上腕が痛い」と信号を送っています。

理屈でそういうことがわかったとしても、やはり上腕をつねれば「上腕が痛い」と感じます。
「『それ、幻想だよ』と言われてもなー。今ここでリアルに感じるんだよ」と思って当然でしょう。

私たちは、自分が持っている記憶も、なぜか「正しい」と思い込んでいます。
そのようなことが起こったのだと。


映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」では、自分が誰かわからなくて、過去の記憶もなく、
どこにもつながっている感がない状態を主人公は感じます。肉体も脳以外が義体。
身体さえも自分でない。

そうなった時、何があなたを「あなた」として認識させるのか?

なんのために生きているのか? 存在しているのか?

自分が誰かわからずに生きているのは、宙に浮いた感覚に近いと思います。


”自分のことを「自分」と自覚しているその根拠は何?”

と聞かれたら、あなたはどう答えますか?


あなたをあなたたらしめているもの。

名前、外見、過去、人格、これらがあなたなのか?


「ゴースト・イン・ザ・シェル」では、記憶が塗り替えられて、
新しく植えつけられた記憶の人格や経験をそのまま信じている人物が登場します。

つい先日見たアメリカドラマの「ニキータ」でも、巧妙な心理作戦と脳への介入で、
新しい記憶を植え付けて、それがそれまでの自分の強い情動と重なり、
新たな人格と現実を作り出していくという話がありました。

自分にとっては確実に存在したと思える人物や経験が、実際は想像上の人物や経験で、
実際にはそれは起きていなかったとしても、あなたの意識の中で経験していたら、
それはあなたにとっての現実、本当にあった話です。

そして実際に、私たちが今持っている記憶はそのようなものです。
一緒に経験したはずの他の人は全く違う経験をしている可能性は大ですし、歴史はいい例です。起こっていなかったことが起こったとされ、起こったことが起こっていなかったとされていたり。

でも教育で「こうです」と教えられるので、それをそのまま事実として認識してしまいます。


もしあなたが違う記憶を植え付けられているとしたら、名前、外見、過去、人格などは、
あなたがあなたであると断言できるものではありません。

あなたが今記憶しているあなた自身、それは本当のあなたなのか?
それとも他の記憶の中で生きているのか? 自分が誰かわからずに生きているのか?

今、あなたをあなたと限定できるものは、
名前、性別、家族、出身地、生い立ち、経歴、仕事などなのではないでしょうか?

「ゴースト・イン・ザ・シェル」では主人公はその答えを見つけますが、
あなたはどうでしょう?


自分が誰かわからなくて悩む人、そこから逃げて何も考えなくなる人はこれからも増えるでしょうが、これからは「アイデンティティを持ちましょう」というより、その反対です。

記憶すら曖昧であり、私たちはホログラムの映像みたいなものですから、
アイデンティティからも自由になってしまっていいと考えましょう。

記憶も過去も自分もいらない。
というより、それらからも自由になっていい。
その方がなんでもできるし、何者にもなれます。

「アイデンティティを持つ」ことで、あなたは小さな枠に止まってしまいますから。

あなたが何者であるかは関係なく、あなたが何者であろうとするか、が大事です。

話が「ドクターストレンジ」から「ゴースト・イン・ザ・シェル」になっちゃいましたね。


次回もこの流れの話が続きます。


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「ドクター・ストレンジ」の映画から始まって、つらつらと書いています。

この映画では、「自然の摂理」と人間の関係についても問いかけがなされていました。

自然の摂理に反することはよくないか? と。

人間がどこまでそれに介入できるのか?

人間が手出しをすると、カルマを生み出し、悪を生み出すのではないか?

悪が生まれると、それを正す善や正義も生まれます。
それらは対なので、いい悪いの区別はつけられないのではないか?

その区別をつけるのは人間側の都合でしかない。

悪も善になれるし、善も悪になる。

それは見る側がどう受け取るかでしかない。

事象は事象。

何かを決めたり、選んだりすることは、エゴによる作用であるから、
どんなに善良と思われることであっても、エゴの作用である。

自然の摂理は、人間の善悪の範疇にはない。

人が行動する限り、自分のエゴによって動いているので、
いつまでたっても反抗勢力(ダークサイド)は現れる。

善側より、悪側の方がこのエゴの作用についてはわかっているので、
ある意味、自分に素直である。

善側は大義名分を掲げ、自分のエゴではないと思いたがる傾向にある。
エゴだと思った途端、悪と大差ないことを知るので、それを避けたがる。

エゴで行うことは、自然の摂理に沿っていることが大事。
自然の摂理に反したことをすると、それは必ず自分に返ってくる。

そのループ(カルマ)からは逃れられない。


人間が人間である限り、エゴを持っています。
そのエゴをどのように使うのか、自分のために使っても、人のために使っても、
善に使っても、悪に使っても、それによって生じるものは、いわば善悪の両方。

そのループからいかに抜け出すのか?
あるいは、抜けださずに解決法を見出すのか?


ここに書いたことは、あくまで問いかけであり、正しい答えなどありません。

その問いかけに、自らがどう答えを見つけていくか?
がこれからの世界に影響を与えていく、というスタンス。

今までの時代はどこかに正しい答えがあるように思われてきましたが、
各自が自分の答えを見つけていくことがそれぞれの未来を形成していきます。

答えを「探す」のではなく、答えは「作り出す」ことが大事になってきています。

クリエイティビティの時代ですね。


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扉絵
http://renote.jp/articles/9188


しばらく前の話ですが、「ドクター・ストレンジ」を見ました。
その時の観客は私一人!
一人貸切状態で、真ん中の席に座り、VIPな気分で3Dで堪能しました〜。
これは気分良かった^^

「ドクター・ストレンジ」を見て、一番いいと思ったのは「抽象度の高さ」でした。

抽象度高く俯瞰して物事を見ることは、これからますます重要になります。

この映画もいろんな視点から捉えているところがいいです。
いろんな角度から、登場人物の今までの価値観や信念を壊しています。

人としての生き方と、自然の摂理にどう関わっていくか?
というところがテーマとなっているように思いました。

善と悪をそのまま善悪とせず、善を行う者にはその信念が、
悪を行う者にもその信念があることを見せています。

両サイドの考え方、見方を見せているので、
どちらが正しい、悪いと言えなくなります。

善を行なっているはずの者が、実は悪からエネルギーを得ているとか、
悪と思われた者にはそちら側なりの信念があって、その人たちにとっては、
善側の方が悪であり、自分たちが善であり、正義であると信じっているとか。

勧善懲悪的なストーリー好みだったアメリカに、このような視点が加わってきたのは面白いです。
この映画、けっこう日本のアニメの影響を受けているように感じました。

以下、ネタバレになります。

善側から見ると、悪は悪です。
それを阻止するために戦います。

地球を守っているとされるエイシェント・ワンが「人のためであれ」と印象的に言います。
それを見ると「そうだよねー」と納得するのですが、映画では、あとでそれを覆しています。

彼女が長生きするためにダークサイドの力を使っているという事実が判明します。

彼女にしてみれば、ダークサイドの力が地球を侵食するのを止めるために、
自分が生きて阻止するしかないということになるのですが、

彼女がダークサイドからその力を得ているがために、
そういう事象が起きているという事実も現れます。
つまりそうなったきっかけが彼女だったと。

自分が作り出したカルマをなくすために、
ダークサイドと戦い続けるというカルマを生み出しています。

そしてその無限ループにはまり、生き続けます。

自分でも答えを見つけられなかったので、
それをドクターストレンジに託して、自分は死を選びます。


生きている間にカルマを作り出して、それを解消するために次の世に生まれる。
その生で、またカルマ解消をしながら、また新たなカルマを生み出している、
という無限ループに陥っている、私たちの意識の在り方。

「これが善」と「これが悪」という自分の中の定義に囚われてしまっているから
「悪を解消しなくては」と思ってしまいます。

どんなにいい人になろうとも、どこかで真逆の作用が起きて、
自分がいい人になればなるほど、悪い人や悪い行為も生まれてきていることに気づいた時、
あなたは何を思うでしょうか?

この映画は、いろんな角度からいろんな問いかけをしているところがいいなと思います。
かなり抽象度の高い映画です。

話は次回に続きます。


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前回の記事、「あなたは人を幸せにできる人」の話の続きとなります。

春分あたりから「自我」の枠組みが変わる気配がありました。
それがどうなったかというと、

『他のために生きることが、自分を生きることになる』

という時代への突入です。

ただし自己犠牲や被害者意識はありません。
喜びと慈悲はあります。

前回の記事で、
他の人やものになくて、自分にあるもの、自分にできることをしましょう
という話を書きました。

そこにあなたの役割がある可能性が大。

今日はまた少し違う角度から書きます。


今までは、エゴが、「自分を認めて欲しい、愛して欲しい」と叫んでいる時代でした。
それが差別や競争を生みました。

これが「自分は他を幸せにするためにいる」という自己充足感に変わっていきます。

自分向きの矢印だったのが、他者向きの矢印に変わります。

今まだそうなれてなくても心配しないでください。
大半の人がまだです。

これを読んでいるあなたは、ぜひその先駆者になってください。

そのためには、エゴが手放したくない思い
「私を愛して、私を認めて」のこだわりが外せるといいです。

そうなるには、自分の存在価値を人に求めないことです。

自分で自分を認め、許すというプロセスが必要です。


「私を愛して、私を認めて」を手放した時に、孤独で惨めになるのではなく、
「求めなくてもすでにあるのだ」と気づけると素晴らしいですね。

あなた自身が愛であり、愛に包まれているのだから、
愛される必要も、認められる必要もありません。

愛の中にもともといるのだから、「愛されたい」という概念自体が変なのです。

「愛の中にもともといる」というより、そこに区別はないですから、
あなた自身が愛の結晶です。


そして、そこに気づいた暁には、すごくポジティブで、
誰からも好かれる魅力的ないい人になる・・・かというとそうでもありません。

やんちゃをするのもオッケーですし、すごく嫌な奴になるのもありです。

でもそれは、愛の中にいるからできる行為なのです。


・・・あれ?と思った人もいたかもしれません。

愛の中にいるからできる行為?

じゃあ、ネガティブになるのも、悪いことをするのも、愛の中にいるからできるの?

大きな意味ではそうです。
かなり抽象度の高い視点から見るとそういうことです。

・・・じゃあ、自分が愛だと気付いた時、世界は今の世界と変わらないの?


まあ、そんなところです。

でもこれに気づいた人は、全く違うレイヤーにいますから、
悪いことも嫌われることもできます。が、必要でなければしないでしょうけど。

今までの愛の概念がいかに一方向からだったか。
解釈の仕方の話ですけど。

それに苦しんだり、傷ついた人も多かったと思います。

報われない思いにこだわるよりも、もうそれを手放して、
次の段階に進むことにするなら、自然と大きな癒しが起こるでしょう。

それは「視点を変える」という作業により、可能になります。
価値観や信念を変えるということです。

もう一段階上のレベルの愛の表れです。


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人間には人間にしかできないことがある。

植物は動けないが、人は動ける。
ならば、動けない植物のためにできることがある。

植物は動けないが、二酸化炭素を酸素に変えることができる。
私たちはその恩恵を受けている。

鳥は飛べるから、植物の種をあちこちに運べる。
人間は農耕して、植物を育てることができる。

猫は毎日寝てばかりだけど、私たちの知らぬところで
あちらの世界で何かしてくれてるのかもしれない。

赤ちゃんと猫は見ているだけで癒しになるが、大人の人間はそうはいかない。

人間様は、自然界のすべてどころか、地球自体も自分たちのものと勘違いしている人も少なくないが、人間も地球の仕組みの中の一つであり、地球そのもの。

「私がやりたいことはなんだろう?」と思う時、
我(が)で考えると、自分が幸せになる、お金持ちになる、たくさん所有する
などが基準になりがち。

でも本来、「存在」は、自分を生かすためではなく、
全体の成長進化のための役割があるのではなかろうか?


動物にはできなくて、人間にできることはなんだろうか?と考えてみる。

思考する、笑う、未来について考える、道具を使う、などいろいろ出てくる。

ではその能力を使って、他のためになることはなんだろうか?と考えてみる。


もっと具体的にいうならば、「自分が何をやりたいか?」と探すのではなく、
「自分が他のためにできることはなんだろうか?」と問うてみる。

他の人やものになくて、自分にあるもの、自分にできること。

それはあなたが他のために活かせることなので、それを発揮しないという手はない。

対象は、人でも、自然でも、動物でも、物でも、会社でも、家族でも、
数式でも、アイデアでも、なんでもいい。

あなただからこそできること。

それはある。

何かは知らない。


「やりたいこと」を探す時、そんな風に探してはどうだろうか?

あなたが他のためにできること。
あなたならではのやり方で。


寝たきりの人は動けない、でも自分は動ける。
ならば、代わりにできることをしようか。

そんな発想でもいいだろう。


「自分」というリソースをどのように使うかは、あなた次第。


自分を満たそう、自分を幸せにしよう、と自分のことを考える段階も必要。
まずは自分を受け入れていなければ、他のために動くのは偽善になる。

でも、自分を幸福にしようと思うより、
「自分は他を幸福にする存在だ」と受け入れることができると、
根拠なく、自分っていいやつだと思えてしまう。

その場で自分のことが好きになれる。

ここで「他」と言っているのは、「自分以外」のこと。

人も物も動物も石も植物も空気も、自分以外のもの全てを含んでいるので、
「他人」のことではないです。

この世界が多種多様に満ちているのは、お互いがお互いの特質を生かして共存できるから。

弱肉強食ではなく、分かち合い、与え合い、譲り合い、共に生きる。
「共に生きる」には、「食いつ食われつ」も含まれる。


「ライオンがシマウマを捕まえて食べるのは自分のためじゃないですか?」
という人もいるだろう。

確かにそれもあるけれど、大きな流れで見たら、
ライオンは自分の中の微生物や細胞に食べ物を与えていて、
また自分の家族が生きられるように狩をしている、
ライオンという種の保存のために食べている、と考えると、
自分だけが生きながらえるために獲物を捕らえているわけではないのがわかる。

人間は、動物より自我が強いから「自分だけのために」と行動することもできるけど、
共存社会に生きているので、それで生きていくのは辛いものがある。

あなたという存在をあなたから切り離してみて、
「この人物(あなた)にどう活躍してもらおうか?」と考えてみよう。

人は、人から喜ばれたり、感謝されたり、尊敬されたり、
認められたりするとうれしい生き物。


あなたは人を幸せにできる人です。
それを自覚し始めると、あなた自身が幸せになれます。



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先日の一斉遠隔ヒーリング「ワンポイント・グラウンド」の時、
ちょうどこんなイメージでした。
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(「陰陽師/第7巻」岡野玲子)

「ワンポイント・グラウンド」は特に取り除きたいこと、手放したいことに対して有効です。
ブロック解除のようなものですが、滞りをフラットに調整する作用があります。

なので、ネガティブな思いや痛みに対してすることが多いです。
この日も、参加者の方々のそのような思いに対しての働きかけとなりました。

が、この日のヒーリングはまさにこのイラストのよう。
(ヒーリングをしている私の視点は外から見ている感じです。ちょうど今あなたがこれを眺めているように)

背後には、とても大きな慈悲のエネルギーが控えていて、守られてる感じを得ました。


実は、私たちはいつもこんな感じだと思います。
常に背後に、このような、人を超越した愛のエネルギーはあるのですが、
このイラスト下部の菅公のように、目の前のことに心を奪われていて気づきません。

まさに今の世界はこんな風だなあと思います。

私たちはいろんなことにストレスを感じて感情を揺さぶられます。
そこに思いを集中しますので、その後ろで見守っている存在
(というと人格化したもののようですが、形はありません)に気づくことができません。

目の前のこと、つまりエゴが重要視していることに取り組むことをやめたら、
後ろの存在を感じることもできるでしょう。

エゴが自分のことに一生懸命になって、自力でどうにかしなくては!と力んでいるがために
(菅公のように)、後ろの大きな存在に気づけません。

エゴのがんばりは、たいてい不安や恐れから来ています。
見捨てられる不安、認められないことへの恐れ、失敗する不安など。

不安や恐れから行動すると緊張感がありますから、なかなか自分の実力が出せず、
ウンウン言いながらそれに向かうことになります。

そんな自分の力でがんばるよりも、自分の背後に控えている大きな力を信じる方が
物事がスムーズにいきます。

「大丈夫。自分は守られているから。」と。

そのように思い、感じることができると、エゴの恐れが静まります。

エゴの恐れの思考が静まると、静けさが訪れます。
そうなって初めて、自分よりも大きな無限大の力に気づきます。

そのパワーは神様や高次元の存在というより、本来「あなたと同じもの」。
あなたもそういう存在なのに、すっかり忘れている状態。

この漫画では、この続きに、
「この世は幾層もの層が重なってできている」という話が出てきます。

上記のイラストの時に、上から下までの幾つかの層が開いたので、
女神が降りてきているような感覚を得たと。

そして「菅公もそれに気づけば、怨霊ではなくて、本当の北野の社の主になれるのだよ」と。
「それは、菅公は擁護されているということではないか?」と続きます。

これは誰に対しても言えます。

この幾つかの層をあなたの意識の話と思ってみてください。
最も表層のエゴに近い層(顕在意識)から自己を超えた層まで。

怒りまくっている菅公ではなく、「後ろの存在である自分」に気づけば、
怒る理由がなくなります。

その視点から今の状況を見下ろせます。

「その視点から今の状況を見下ろせます」と簡単に書いてますが、
「その視点から今の状況を見る」ということが何を示すかは、
一人一人がその人生で見出していくといいと思います。
人によって違う認識を得るでしょうから。

今、時代もその視点を問うべき時に来ているようで、今までの二元論的世界では、
今まで答えが出なかったことへの問いかけが起きているように思います。


今のあなたは、菅公の位置か、後ろの存在の視点に立っているか?

その視点を変えることができると、問題は問題ではなくなります。

自分の小さなエゴは目の前のことしか見えてないので、そこにこだわり、ウンウンと唸っていますが、ずーっとズームアウトすれば、大きな意識、人が仏とか神と呼ぶようなものが常に静かに控えています。

それに気づくことができれば、安心です。

大きな大仏さまを作ったのは、その偉大さや寺の権力を見せるためではなく、
背後に控え、見守っておられる慈悲の存在を表したかったのかもしれないですね。


今月はとくに自我が「今までの自分」から「新しい自分」へと
脱皮する変容の時期に入っているようです。

今までの信念(エゴが信じてきたこと)が崩れる出来事を体験している人が
少なくないようです。

「いったい今までの人生はなんだったんだー?」
「私がしてきたことはいったい、、、」みたいな。

信じきっていた価値観が変わるということは、新しい段階に移る前段階で、
視野が広がることなので悪いことではないです。

けれども、信じていたものが信じられなくなったり、今までの基盤になっていた価値観が崩れたりするので、その渦中にいる人はたいへんだと思います。

菅公がエゴだとすると、それを俯瞰するもう一人の自分が後ろの存在。

菅公から後ろの存在への移行は、菅公が冷静になり、
後ろの存在と同調できるぐらいの状態になることから始まります。

今の菅公の状態から冷めて、現状を俯瞰的に見て、今までの自分の思い込み、怒りの原因などを違う角度から見て、相手の事情もわかり、自分にとってこれは必要だったことと理解し、この恨みの想いにこだわるよりももっと違うことに目を向ける方がいいことに気づき、自分も相手も許し、過去のことにこだわるのはやめて、新たな人生に向かっていくことを決意し、、、

という過程を経て、安らかなる心を取り戻すことになるでしょう。

それなりのプロセスです。
一瞬で氷解することもあれば、このように順を経ていく場合もあります。

一瞬で氷解する時は、実は既にこのプロセスをある程度、経ています。

一足飛びに行くよりは、ちゃんとこのプロセスを一つ一つやって行く方が
経験豊かになるのでいいと思いますが、あまり時間をかけず、次の段階に進むがいいですね。

そのためには、俯瞰的に物事を見るクセをつけるようにするといいです。


この時期に合わせての一斉遠隔ヒーリング・プログラム
トランスフォーミング・ヒーリング」を行います。
自我が揺らいでいる方にオススメです。


    

20日春分の日、琵琶湖沿いでのセミナーをします。

日時は20日(月、祝)13:30~16:30
場所は、京阪石場駅下車徒歩5分のところです。
京都駅から20分、滋賀方面に行ったところです。
料金は8000円(税込)。

テーマは「俯瞰する視点 x 脱皮する自我」。

これからは俯瞰する視点が必要です。
俯瞰できたら抽象度の高いマインドになりますから、
自在に偏在する自分に気付きやすくなります。
俯瞰する視点が身につくと、多角的に物事を見ることができます。

とらわれやこだわりが減り、自我ががんばり過ぎるのをやめると、
いろんな可能性があることに気づきます。

琵琶湖のほとりでゆったりと自分の可能性空間を広げましょう。

お申し込みはこちらから。
(お申し込みフォームに「20日セミナー」とお書きください。)

    

3月27日(月)は久しぶりに東京で、
個人対面セッション「マインドアウェアネス・セッション」をします。
お申込みフォームに午前か、午後の希望をお書きください。
あと2名です。
お申し込みはこちらから。


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彼らは貧しいのかもしれない。
けれども彼らにはとても豊かなスピリットがある。
 
いつしか私は、日常生活が一番スピリチュアルだと思うようになった。
 
毎日のルーティンをどう生きるか。
 
その毎日と人生がアートになることがスピリチュアル的生き方の実践であり、
自然な人間の姿なのだと思う。



日本の神楽のビートとトランス感は通づるものがある。


現代西洋(ドイツ)ではこんなのもある(笑) こちら埋め込みができないのでリンクで。
Einsturzende Neubauten, Autobahn Extended

鼓童も美だね。

謎の国に行って、”あること”に気づき、帰ってきてからはそれがますます確信になってきています。

さすが網様体賦活系。
私に必要な情報をどんどん与えてくれて、ますます腑に落ちています。

「網様体賦活系」とは脳の機能。
脳は、あなたが重要視するものをたくさんある「現実」の中から選りすぐって見せています。
その機能のことです。

私が今、フォーカスし始めた”あること”。
それが私にとってだけではなく、全体にとっても必然な流れであることがわかったら、
すごく現実味を帯びてきました。
大きな流れがそうなっているから私がそう感じている、と言うべきですが。

いろんなことがクリアになってきました。
3月の春分頃、また一層、変容が進むのかな?と思います。

二極化が進むという話。
いろんな意味での二極化が進んでいるように思います。

要は、意識の抽象度。
あなたがどれだけ俯瞰できるか?

それがキモのように思います。

二極化と同時に、二元性の向こうの世界の現れも始まっています。

あなたの意識が物質界にとどまるのか、物質を超えた世界に向かうのか、
その差が、春分あたりからまた加速していくのかもしれません。

それまでの間、できるだけ俯瞰する視点を身につけておきましょう。
俯瞰するには、自我のとらわれから解放されることが大事です。
でないと、自分の視点からしか見れないから。

そのためには、自分のネガティブな感情や考え方に固執しない姿勢が大事
もっと言えば、ポジティブなことにも固執しないほうがいい

「ネガティブなこと」は悪いのではなく、
それに対して”よくない判断”をして、否定的な感情が湧いてくることが問題。

ネガティブな感情はあっていいです。
自然なものだから。

でもそれに振り回されたり、固執したり、なくさなきゃと思ってしまうと、
エネルギーを注ぎ続けるので、それは力を得て、あなたの意識の大半を占めるようになります。

そうすると網様体賦活系の作用で、あなたはそれに準ずるものを現実に発見していきます。
現実はそのような現れ方をしてしまいますから、それがあなたにとっての現実として現れます。

あなたの心がその映写ビームとなって現実を映し出しているんですね。

この映写ができるだけ透明になって初めて、
今までどれだけ「作られた」世界に生きてきたかが見えてきます。



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先日、ある”謎の国”で行われた謎の人物"仙人さん”のセミナーに行ってきました。

"仙人さん”のセミナーは行こうと思ってもかなり高額であるし、
誰でも参加できるものではありません。

今回は仙人さんが参加者を選ばれたそうですが、「その他大勢」に隠れていた私が
なぜ参加した15人の一人に選ばれたのか?不思議でした。参加費用は旅費だけ。

でも行ってみて理由がわかりました。
そして自分のやるべきことがまたひとつ明確になりました。

それは、これからの世界と精神進化(特に女性)についての自分のビジョンに関わることでした。


人類の進化と成長のプロセスには流れがあり、それぞれの段階を経たのち、
トータルな視野で俯瞰的に見ることができるマインドが備わります。

その視野が持てるようになって初めて、次の段階、つまり物理次元からエネルギー領域へ、
人類の顕在意識レベルから、見えないレベルで繋がっている意識の領域に関わる時期に移っていきます。

いつぞや女性の集合意識の話を書きましたが、私が”豊かな女性”を増やしたいという時、
それはこの新しい段階(または古い)での女性を増やしたいのだということがわかりました。

生命の発達の流れにおいてもそのような流れになっているらしいです。

(または古い)と書いているのは、先住民や縄文時代、神秘学や秘教的な学びなどは
その精神性が備わっていたと思うからです。

先見の明を持って活躍されている人たちはたくさんいますが、
そこをわかっているのは人口の0.1%ぐらいだそうです。

ほとんどの人は物質中心の世界に住んでいますから、そうなんだと思います。

自分の霊性に目覚め、新しい価値観と感覚の元で、人としてどうあるかを知っていく過程。
地盤を整えて、これからが本番ですね。

最近、ブログをあまり更新していませんでしたが、これからはこの流れでブログを書きながら、自分の考えをまとめていこうかと思案しております。

以前のブログタイトル「たまむすひ」の頃に書いていたこと、
「カムナガラビリンス」や「和音」のカテゴリーにあるようなことがもっと整理され、
現実味を帯びて現れてきそうな気がします。

興味のある方はぜひおつきあいくださいませ。

と言いながら、記事更新しなかったらごめんね


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現実は自分が作り出している。

気づきの限界は
あなたの現実の限界である。

人は自分の興味関心のあるものを見ます。

あなたが体験している「現実」は、
あなたが興味関心を持っているものと言えます。

それを変えるには、あなたが日々思い描いていることを知ることと、
「すべては夢である」と思って周りを見渡すことから始まります。

あなたの日常がクリエイトに世界を創り出すことに使われるなら、
それがあなたの前に現実となって現れてきます。

あなたが今何を感じ、何を考えるのか、
どこに意識を持っているのか、

「今」を感じる感度が研ぎ澄まされれば
「今」も作り出されている夢であることに気がつくでしょう。

「気づき」が広がれば広がるほどあなたの世界も広がります。


今月、東京と京都でセミナーをします。
『私が私に還る』ためのセミナー


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昨日の「〜人が人生を終える時に後悔する20の項目〜」をもじってみました。


〜人が人生を過ごす時に幸福を感じる20の項目〜

1:他人がどう思うか気にしない
2:幸せをもっとかみ締めて生きる
3:もっと他人のために尽くそう
4:くよくよと悩まない
5:家族ともっと時間を過ごそう
6:もっと人に優しい言葉をかけよう
7:不安なんていらない
8:いつでも時間はある
9:思い切って冒険しよう
10:自分を大切にしよう
11:他人の言う事よりも自分の直感を信じよう
12:もっと旅をしよう
13:たくさん恋愛をしよう
14:一瞬一秒を大事に過ごそう
15:子どもたちに好きな事をさせてやろう
16:言い争いなどやめよう
17:もっと自分の情熱に従おう
18:もっと自分のために頑張ろう
19:もっと自分の本音を言おう
20:もっと目標を達成しよう


これをすれば、楽しい人生になりそうですね〜。
できるところからやっていきましょう!


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私の電子書籍「人間という名の家畜」
10/31まで半額セールです。
kindleunlimited読み放題対象にもなっています。



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