いのちおり - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 人生、生き方

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令和元年5月1日、即位後朝見の儀の天皇陛下の初のおことばがありました。

即位後朝見の儀の天皇陛下のおことば(令和元年5月1日)

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い御み心を御自身のお姿でお示しになりつつ,一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研鑽に励むとともに,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。  天皇陛下のおことば


私はこれを聞いた時、「象徴としての天皇とは?」と改めて思いました。
なぜなら、天皇陛下のおことばにその思いを見たからです。

象徴としての天皇とはどうあるべきか、具体的には決まってませんが、
おことばにあるように、上皇陛下と上皇后はまさに象徴としての生き方を体現されていました。

以前、天皇は「現人神」、つまり「この世に人間の姿で現れた神」でした。
明治憲法には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあります。

今は「象徴」です。
憲法第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の在する日本国民の総意に基く」とあります。

政治的な権力を持たないという意味も暗に含まれているでしょうが、
今回の天皇陛下のおことばには、象徴として生きる場合だけでなく、
「人としてのあり方」「どう生きるか?」の見本があると感じました。

・自己の研鑽に励む
・世界の平和と国民の幸せを願う
・いかなる時も国民と苦楽を共にする(常に国民を思い,国民に寄り添う)
・その強い御み心を御自身のお姿でお示しになる
・一つ一つのお務めに真摯に取り組む

研鑽(けんさん)は「学問などを深く究めること」です。
「自己の研鑽」となると、「学問などを深く究めるために、自らを磨いていくこと」になります。

自己の研鑽に励み、平和と幸せを願いながら、みんなと苦楽をともにし、
信念を持ち、やるべきことに真摯に取り組み、それらを身を以て表す。

簡単に言えば、「人の見本となれる人」ですね。

天皇は、日本国と日本国民を背負っているという重責がありますので、
一般人の比ではないですので、その覚悟が見てとれます。


以前よりは危険度は増したとは言え、
日本に来る外国人は、この国の安全さに驚きます。

財布や貴重品を落としても警察に届けられる。
自動販売機が壊されないまま町中にある。
災害時にも行儀よく並んでたり、暴動を起こさない、など。


「お天道様が見ている」という考えは今ではあまり通用しないですが、
私が子供の頃などはまだ生きてました。

人が見ていなくてもお天道様が見ている。

悪いことをするのはバチが当たりそうで気が引けました。

今から考えると、これは自分の良心との対話だったと言えます。
めぐりめぐって、自分がしたことは自分に返ってきます。

「自分を律する」とは、自分の中に
「お天道様」のような存在があることなのでしょう。
それが自分の「良心」だとしても。

キリスト教圏では、イエス・キリストがその役割を担っていますね。


昔は、ハレとケの境界がはっきりしていて、
人として超えてはいけない一線(タブー)がありました。

それを超えることは死よりも恐ろしいと思われていました。
つまり、鬼になるのは死よりも怖い、と。

この境界が消えてしまった今は、鬼のようになる人は増えたし、
漫画などでもその手のストーリーはわんさかありますね。

なぜこういう話をするかというと、天皇陛下の象徴としてのあり方が
日本人の「お天道様」になり得るからです。

今回の天皇陛下のおことばは、
言ってみれば「人のために生きる」という宣言です。
天皇たる存在が「民のために尽くす」と言っているようなものです。

上皇陛下と上皇后は象徴としてのそのお姿を見せてくださいました。

今回の天皇の真心のある利他心のお言葉は、ダイレクトに
日本国民の心に響いたのではないでしょうか?

天皇陛下のこのおことばをきいて、
「私もそのように生きていこう」と
心新たにされた方もいらしゃったでしょう。

こういうところは日本のすごいところだなと思います。

これを危ないと危険視する人もいますが、
日本の象徴たる存在がそのような姿勢で物事に取り組めば、国民も感じ取ります。
自分もそのようでありたいと自己の研鑽に励む人もいるでしょう。


また、上皇陛下が在位中、譲位の意思表示されたことは今までとは違う展開でした。

まわりに気を使って同じであろうとしがちな日本人ですが、
天皇が自分の思いをお伝えになられたことは新たな展開です。

「自分のやりたいようにしていいんだ」と
自己主張することを再認識した人もいたでしょう。

この先、天皇皇后両陛下がどのようなお姿を見せてくださるかはわかりません。

もし生きる指針に迷うようなら、生き方の見本として、
国の象徴として生きるお二人の姿を心に留めておくと、
元気が出るのではないでしょうか?

自己の研鑽に励むとともに,常に人のことを思い,人々に寄り添いながら,
倫理にのっとり、自分の責務を果たす

というところでしょうか。

自分がどういうゴール設定をしたらいいかわからなくて困っている人は、
このあり方を自分の仮ゴールにするのもありでしょう。

自分に恥じない自分でありたいです。
私も自己の研鑽に励みます。


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例えば、生まれる前に、
「自分はこれがしたい、これを実現させたいから、人間として生まれよう」
と思ったとします。

あるいは、宇宙が、何かの必要性を感じてあなたを生じさせた、とします。

生まれた時にそれを覚えている人は稀です。

人にはいろんな願望や欲望があります。
その多くが、生まれた後に思いついたことだったり、まわりの影響によるものです。

自分の頭で考えていること、思い描いていることとが
必ずしも生まれる前にやろうと思ったことと一致しているとは限りません。

「生まれる前にそんなこと考えてねーよ。おとんとおかんがエッチして生じただけだよ」
という反論は今はおいておくとしても、いい人生を歩みたいと思う人がほとんどでしょう。


自我の望みと、
宇宙の望みというか、魂の約束というか、自然の摂理というか、、、
自我の自分より大きな存在や法則があなたにやってほしいこと(があるとして)、
その二つが一致すると生きやすく、充実した人生になります。

自我が必死にがんばらなくてもよくなるので。

”うしろの存在”があなたの背中を押してくれます。
自我はまた別な意味で必死になるけど(笑)

あなたは自分の存在そのものを生かす道を知るわけです。
そうなると怖いものなしになっていきますね。

ただしビビることはたくさんやってくるでしょう。
つまり新たな挑戦です。

自我以外の”何か”が自分の中?にも存在することを感じられると面白いです。
「自分の中?」としたのは、自分の中にあるようで、それは中ではないからです。

「自分という存在が、エゴの自分だけでない」
とはっきりとわかることは、自我の成長にとって大きな進展です。

「自分は一人ではない」と感じる人もいるでしょう。
人と一緒という意味ではなく、見えない ”何か” がいつも在る” とわかる。

そしてそれも自分だと知る。
あるいは、自分がそれだと知る。

"「ある」の世界" に気づいていくのでしょうね。


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美しく生きる

ということ。

私たちは日々の生活を営んでいると、
仕事は、収入は、あの人が、この人が、
今日の夕食は、掃除は、メール返信が、、、
と目の前にあることに気を取られてしまいがちになります。

毎日毎日、それらに追われていると、
本当に大切なことを見失ってしまいます。

美しく生きるとは、見た目のきれいさの話ではなく、

生き方やあり方自体が美しくありたい

という話です。


美しさの定義は人によって違います。

きれいに整頓された無駄のない状態を美しいと思う人もいれば、
落ち葉が無造作に落ちている庭を美しいと感じる人もいます。


心が美しい人とはどんな人でしょうか?

生き方が美しい人、
あり方が美しい人、
所作が美しい人、

あなたにとって美しい生き方とは、どんな生き方でしょうか?

信念を持って突き進む?
無駄がない生き方?
生き生きと好きなことをしている?
穏やかで佇まいが美しい?
利他の精神?

私たちは、あれを得なきゃ、
こうならなきゃと何かとがんばります。
ヒーヒーハーハー言いながら、一生懸命になっています。

しかしふと足を止めてみると、

それ、本当に望んでいること?

ということをしています。

でもこれがなかなか自分ではわかりません。

あくせくとがんばる自分を止めた時や、
自分の信じていたことが崩壊した時、
行き詰まってやる気がでない時などは、
生き方を変えるチャンスです。

頑張らないといけない、認められたい
と思う自分の後ろに隠れて見えなかった
常識や世間体にとらわれない本来の自分がいます。

あなたにとっての美しい生き方とはどんな生き方でしょうか?
ぜひ考えてみてください。


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12月も少しずつ減っていき、もうすでに半ばとなりました。
年齢を経るほど月日が経つのが早いと言いますが、本当にそうです。

また、年末か、、、
ついこの間、昨年の年末を過ごした気分なのに、、、

そんな風に感じる人も少なくないでしょう。

「悔いのない人生を」と言いますが、
今年、あなたは悔いなく過ごせたでしょうか?

後悔あるなしは気にしなくて良いです。
そこで気持ちをダウンさせる必要はありません。

うまくいかなかったことは学びであり、
これからよくしていけること。

関わらなくてもよかったこともあるでしょう。

悔いながら生きるより、
これから創造できるものに思いを馳せましょう。

人生いつ終わるかわかりません。

今を十分生きていれば、結果、良い人生になります。

フォーカスは今。
今できることを淡々とこなしていきましょう。

「和音」2018.12.12


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痛い話です。

理想を持って進んでいくこと。
それは立派な行為です。

でも今の自分は、それに満たない自分。
だからこそ「こうなりたい」「ああなりたい」という思いがあります。
けれどもどうしても現状とのギャップが生じます。

だから、

「どうして自分はこうなのだろうか?」
「まだできない」
「どうせ自分は…」

と自分を責めてしまいがち。

でも本当のところはそうやって、できない自分を慰めています。
本気を出してやることから逃げています。
逃げているから、願いが実現しません。

なぜできないのか?
それをできるようにするにはどうすればいいか?
本気で考えて行動していません。

「できない」を言い始めると、できないことを正当化し始めます。

時間がないから、才能がないから、
お金がないから、勉強が足りないから、
まだ時期じゃない、自分には向いてない、

理由はいくらでも作れます。

本当のところを言えば、本気を出してやってないだけ。

自分でもわかっている。だから痛い。
「できない」に逃げてる方が楽。

本気を出すと言っても、「全力出して突っ走れ!」
という根性話ではありません。

静かに密かに情熱を傾け、ひたすらに真摯にそれに臨むこと。

シンプルに言えば、

「100% 生きてますか?」
「やるべきことやってますか?」

ってことでしょうか?

有名になれとか、成功しろとかいう話でもなくって、
「今ここ」にいるか?ってこと。

自分という存在を十分に感じきり、一瞬一瞬、生かしきっていますか?

もしそれができている人がいたら、ずっと歓喜と至福の中にいるでしょう。

そこでは「できる」「できない」は全然どうでもよいことです。
「できる/できない」と分ける意味すら無意味です。

宇宙の森羅万象と同化すれば、その瞬間瞬間にやるべきことは現れ、
あなたはただそれをこなすだけ。

そこに私情は入る余地がない。

「できない」と言って甘ったれていては、その境地はやってきません。

「できない」の壁は自分の思いです。
自分が作っているものだから自分で壊せます。

けれどもそこにこだわる必要はありません。

壁がどうしたら壊れるか?と考える必要もありません。
考えてしまえば、そこにとらわれます。

本当のところ、
どこに到達したいのか?
どうなりたいのか?
何を得たいのか?

そこを突き詰めて突き詰めて。
鉛筆の芯を削って削って芯がなくなっても削っていって
やっと見えてくるぐらいのもの。

魂が揺さぶられるぐらい、ハートが熱く燃えたぎるぐらいに
ハッとするものに出会えたらあとは自動操縦。

森羅万象が答えてくれる。

あなたはもう何も考えず、ただそれに沿っていくだけ。
その時にはもうできるだけ自分を挟まない。

ほとんどの人がここまで自分を突き詰めてません。
だから「できない」と言って、人生を終えていきます。

至らない自分に悩んでいる場合ではないのです。
心を向けるべきところはそこではありません。

行き先を明確にする。
そしてそこに到達すると決める。
そして進む。

余分なものは捨て去っていく。
それは研ぎ澄まされていく、ということ。

そのプロセスを楽しみながら生きていけば、
きっと最高の人生になるでしょう。

自戒を込めて。


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迷いの窓と悟りの窓。

迷いの窓は四角い窓。
悟りの窓はまるい窓。

あなたはそこから何を受け取るでしょうか?


迷いの窓と悟りの窓は、
京都鷹峰の源光庵と東山の雲龍院にあるようです。

台風21号の前日、源光庵に行ってきました。

お堂にある迷いの窓と悟りの窓。
そこのお堂は血天井です。
この3つが合わさると奥深いものが見えてきます。

現場で見ているといろんなことを感じます。
とてもよくできたアート作品と言えます。

私が今回ここで一番思ったのは、

決めているかいないか。
覚悟があるかどうか。

ということでした。

何よりもこのお寺の血天井が効いています。
この窓二つだと、頭の中でふんふんと分かったつもりになれます。
迷いとはこういうこと、悟りとはこういうことなのか、と。

しかし血天井があると、殺戮があったことを思います。
今もある殺人や戦争や、人間の血塗られた歴史なども。
人を殺し、殺されて...。
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自分一人が悟ったところで、
他の人の苦しみが減るわけではありません。

本当の悟りとは何か?

宮沢賢治のことば。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは
 個人の幸福はあり得ない」

では、自分はどうするのか?
どう生きるのか?どうあるのか?

正しい答えなんてないです。
それは自分で決めること。

「迷い」「悟り」とあると、
「迷いは悪くって、悟りは良い」と思ってしまいがち。

しかし源光庵に表されていたものは
そんな単純なものではなく、

個人と全体の幸福の狭間で迷い続け、悩み続け、
悟り続けることが諭されているように思います。

なんてことを思いながら帰宅して、
血天井のことを知らなかったので、インターネットで調べて見ました。

一般的にはこう言われています。

伏見城で石田三成との戦に負けた鳥居元忠ら380名以上が自刃したが、
関ヶ原の戦いが終わるまでの2ヶ月間、そのまま放置され、
血痕跡が拭っても消えず、供養のためにお寺の天井に設置されたのが
血天井であると。

その後、「あれは血ではなく、油だ」という記事を見つけました。
その頃のPRとして京都市内のお寺の天井に使ったという話も。

現代なら、血糊のついた縁側板を天井にするか?
とかなり非難轟々になりそうです><

真面目に「個人の幸福とは?世界全体の幸福とは?」と考えていても、
その元ネタが嘘かもしれないという...笑。

ここにまた現実の面白さを感じてしまいました。
現実は曖昧です。すべて幻想だと言っていいです。
どこに重きをおくかも自分次第ですね。


源光庵の悟りの窓は、
個人の幸福=世界全体の幸福となって、
全てを背負う決断と覚悟を表しているように思いました。

迷いは現状維持で、それなりに楽。
悟りはすべてを背負う強さがあります。

決められないのが迷い。
すべての責任を背負るのが悟り。

悟りはゴールではなく、スタート。

そんな風に感じました。


その後、近くの光悦寺のお庭を見ました。
これがまた面白かったです。

手入れがされているようなされていないようなお庭なんですね。
半自然な感じがうまく調和してました。

徳川家康が、江戸時代の文化人、本阿弥光悦に与えた土地で、
その後工芸の職人などが来て芸術村のようになったそうです。

源光庵では、どう生きるか、どうあるかが問われ、
光悦寺ではそこを達観して、あるがままを生きる感じ。

「まあ、ええがな、お茶でも飲みはれ」と
お茶を勧めてくれそうな。

外では厳しい現実がありながらも、
自然を眺めながら静かにお茶を飲んで、心を鎮める。

主張してないけど、ちゃんと我が道を歩んでいる、みたいな。

ここにはまた源光庵で見たものとは
違うかたちの生き方が記されていました。

私としては最終形はこんな感じなのかなと思いますが、
源光庵の血天井的なものを経験してくるのと、
知らずしてくるのとでは
感じるものの深さが全然違うでしょうね。


次にその向かいにある圓成寺に行ってきました。
ここは「岩戸妙見宮(岩戸妙見)」「鷹ヶ峰の妙見さん」と呼ばれます。

ここは人間には抑えきれない自然の威力に溢れていました。
荒々しい自然のエネルギーです。

日本は自然が豊富ですが、自然災害も豊富です。

日本の神様が荒御魂、和御魂とあるのは、
どちらが良しとも悪しともせず、
どちらも受け入れていたことの表れなのでしょうか?

自然界は、生と死が混ざり合っていて容赦ないです。
そこに私たちがまだ理解できていない何かがあるように思います。


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過去の出来事は、今とは関連性がない。
関連づけているのは自分です。

とはいうものの、

幸せな金持ちの家族に生まれる人もいれば、
貧乏で崩壊した家族に生まれる人もいます。

スタートラインが全然違うのは不公平じゃないですか?
という人もいるでしょう。


はい、確かにそうですね。不公平です。
でも幸せな育ちをした人を妬んでも始まりません。

例えば、お釈迦様は王族の出です。

出家するまでの間は何不自由なく、
贅沢な暮らしができていたそうです。

でも彼が背負ったものは、私たちが持っている悩みよりも
はるかに大きな悩みだったでしょう。

彼は、幸せな育ちをした分、もっと大きな試練が
課せられたという言い方もできます。

だから必ずしも金持ちだから、幸せな家族だから、
その後の人生が楽々〜というわけではありません。

もともと持っているものが大きい分、
もっと大きな課題が課せられるかもしれません。

その後の人生がどうなるかは、その人が
どういう選択をしてきたかによります。

それにできるだけ早く気づいて自覚して、
「自分の人生は自分で決める」と舵取りを始める人が、
より豊かな人生を歩めます。

なぜならそれまでは無防備に周りに振り回されていた
自分の人生を自分でコントロールし始めるからです。


人は両親を選んで生まれてくるといいます。

それが本当かどうか知りませんが、
もしあなたが生まれる前に今の両親を選んだとしたら、

あなたのご両親は、あなたの成長に一番
ベストな人たちであり、ベストな環境だったのでしょう。


面白いことに、苦労した人生を
歩んできた(きている)人に

もしあなたの過去をいいことづくめの幸せな人生に
置き換えられるとしたら、そうしたいですか?

ただし今までの記憶はすべてなくなり、
幸せな記憶だけになります。

と聞くと、みんな、「取り替えたくない」と言われます。


あなたも自分に質問してみてください。

そういう計画のもとに来たのだとしたら、
逃げずに向き合っているあなたは順調に進んでいます。

その課題を乗り越えていくからこそ、人生を深めていくことができます。

ホリデー気分の悩みのないお気楽人生を過ごしにきた
という人もいるでしょうし、
幸せ家族を味わいたいという人もいるでしょう。


人生の目的は人それぞれ違います。
それに合わせて、それぞれ違う環境を得ています。

人の環境をうらやむより、自分が本当に欲しているところを知り、
そのための環境を作っていきましょう。

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私たちのほとんどは過去の囚われの中で生きています。

記憶がベースとなっています。
それが「自分」を形成しています。

自分はこんな人。
だからこんなことが起こる。

意識していてもしていなくても、そのように思っています。

今の自分を見てみましょう。
そういう思いは必ずあります。

どんな思いがあなたを支配していますか?

私はこんな人。
こんな家族で育って、
こんな経験をしてきた。

だからこういう人生を歩んでいる。
と思っています。

その自分や人生に満足できてなければ、
「私はこうなりたい、こうしたい」と思って、
そこで葛藤しているでしょう。

現状に満足せず、こうなりたいと
望みを叶えようとすることによって
成長できるし、人生も変わっていきます。

だから悩んだり、葛藤したりするのはいいことです。

ただそこにはまって、ネガティブループに
陥ってしまうのは避けたいです。

また、誰かのせいにしてしまえば、
自分は被害者になります。

被害者意識で生きていけば、
自分はいつまでたっても「かわいそうな人」です。

そんな自己評価で生きる人は、
かわいそうな人生を歩むでしょう。

「自分はかわいそうな人」として振る舞い、
一生を終えていきます。

お葬式の時には、
「あの人はかわいそうだったねえ」
と参列者に同情されることでしょう。

でもそれは、本人が自分を「かわいそうな人」と
認識していたからです。


すべては自分から始まっています。

過去のカルマが、過去の出来事が、、と思いがちですが、
「だからどうした?」と思いましょう。

それは過去の出来事であり、今とは関連性がないです。
関連づけているのは自分です。

「親が貧乏だったから私は貧乏だ」という人もいれば、
「親が貧乏だったから私は金持ちになった」という人もいます。

「未来の自分はこうなっている」とそちらを基準にすれば、
現実はその未来に引き寄せられていきます。

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自信なんていらない。

自信、自身、地震。

呼び方が同じなのは何か意味があるのでしょうね。

自身は、自分自身。

地震は、大地という、私たちが乗っかっている土台が揺れること。

飛行機に乗ったり、水中にいない限りは、
私たちの足元には大地があります。

重力もありますから、地に足がついているのは
当たり前だと思っています。

毎朝起きたら、下に地面(床)があります。
それに疑問を感じる人はほとんどいません。

地震は、その当たり前になっているものが
揺らぎますから、不安を感じます。

自信がある人は、自分は「自信がある」といちいち考えていません。

つまり、足元に普通に大地がある状態と同じ。

自信があるから当たり前にできる。

当たり前だから自信があるけど、
当たり前すぎて「自信がある」とは言わない。

その自信が揺らぐ時に、私たちは「自信がない」と言います。

例えば、毎日歯磨きをすることや、外出先から家に戻ることに対して、
私たちは「自信がある」とは言いません。
なぜならもう習慣化されてますから、できると知っています。

なので、

「私は毎日歯磨きをする自信があります」
「今日家に帰る自信があります」

とは言いません。

でもできる自信はありますよね。

当たり前にできることに対しては
いちいち自信について言及しません。


「うまくできるかどうか確信がない」
と感じる時に、自信について考えるわけです。

自信がある時は、できることがわかっているから
普通にやります。

自信がない時は、

自信がないからやりたくない、
自信がないからできない、

といって、やたら「自信がない」ことを
強調するというか、気にします。


いってみれば、「自信がない」は
「やらないための言い訳」
として登場しています。

それが「自信がない」と言う時。


自信がない時に限って、自信について考えるのなら、
最初っから考えなければいいです。

自信がある時は、自信について考えないのですから。
そうすれば、結果があまり気にならなくなります。

「自信がないからできない」
「自信をつけなくてはいけない」

と思う時は、失敗を恐れています。

だから自信が必要だと思います。

しかし、何かをする時に自信は必要ありません。

自信を持つことより、まずはやってみることの方が大事です。
そうすることで自信がついてきます。

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今の時代、多くの人が自分らしく生きていない
とストレスを感じています。

日本はとくに、人に合わせることが良い
とされる風潮がありました。

今、だんだんと多種多様が
受け入れられてきています。

違ってて当たり前、
違うことが個性、

と言われるようになってきています。

人はみな、本来の性質や個性を持っています。

育っていく中で、しつけ、教育という名目のもと、
かなりの部分を修正され、窮屈な思いをして
生きてきた人も少なくありません。

人は皆、その人ならではの才能や個性を持っています。
しかしそれを生かせる場が今まではあまりありませんでした。

画一的な社会システムの中で働きアリのようになること。
それがいい市民であり、国民であり、優秀であると思われた時代。

だんだんとそれに疑問を感じ、窮屈になり、
そこからはみ出し始めている人々。


コーチングの祖、ルー・タイスは言いました。

「ノット・ノーマルでありなさい」と。


「ノット・ノーマル」

人と違っていいのです。
というより、普通であってはいけない。

人と違う方がいい。
そちらを目指しなさい、と。

80:20の法則で言えば、
20%でありなさい、ということですね。

その他大勢の多数派に埋もれてしまわないように。

人と違うあなたでいいのです。

これを聞いた時、私はとても
うれしく思ったことを覚えています。

なんだ、それでいいんだ。
人に合わせなくてもいいんだ。


これも選択ですね。

我が道を行くことは、
それはそれでいろいろあります。

人に合わせる人生と、
自分の好きにする人生。

私は後者の方が好みなので、人がどう言おうと気にせず、
自分の好きに生きようと決めました。

それまではそれがしにくい世の中に
不平不満を持ってましたが、
自分の立ち位置を決めると楽になります。

自分はそっちに行かない。
異端でいい。

自己卑下とかではなく、
自分のあり方、生き方を肯定すること。

もし生きづらさを感じている人がいるのなら、
ノット・ノーマルに生きる道を選んでみたら?

普通でない、人と違う。
だからこそ面白い。

そんな生き方を始めると周りには
そういう人たちが集まってきます。

あなたならではの面白い人生を歩んでいきましょう!


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昔、Brixtonに住んでいた時は、
毎日レゲエが流れてたなあ。



  

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cherry blossom tree

4月のメッセージ」の補足ですが、
4月は幸せの定義を考えるといい時期なのかな?と思いました。

私たちは、足りないもの、欠けているものを見るように教育されています。

幸せが自分の外にあるように思わせられ、
仕事や収入、結婚などによって満たされるもの
と多くの人が思っています。

「今の自分は幸せでない」という前提のもと、
外に幸せを求める人が多いです。

お金があったら、
パートナーがいたら、
いい職があったら、
性格が良かったら、
美人、イケメンだったら、、、

と何かを得ることで幸せになれると思っています。


幸せはどこから来るか?

それは自己充足感です。


ではどうすれば、それが感じられるのか?

上記のものを得て幸せを感じられる人もいれば、
感じられない人もいます。

「こうなるのが幸せな人生ですよ」と教えられ、
自分がそうでないから幸せでないと思い、
「もっと手に入れなきゃ」「なりたい自分にならなくては」と思う。

このトラップにはまっている人は要注意。

それが自分を躍進させる原動力となるならまだいいですが、
自己肯定感を低めるのであれば、
”はめられている”ことに気づきましょう。

あなたはあなたの好きなように生きていいんです。


不幸を味わえるのも幸せ。
楽しさを味わえるのも幸せ。

なぜドラマや映画には波乱万丈な展開が多いのか?
なぜ私たちはそれを好んで観るのか?


「幸せ」という言葉が生まれると同時に、
「不幸せ」という言葉が生まれます。

そして私たちが今生きている世界は言葉で縛られている世界です。

「幸せになりたい」と言う時、
あなたは何を思い描いていますか?

「幸せ」という言葉がなければ、幸せについて考えません。

幸せでも不幸でもない、ただあるまま。

幸せの基準は外に求めるのではなく、
自分の内に見出しましょう。


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どうも自分はまわりの人と相容れない、違和感があると感じる人は、
自分は変人だと認めてしまえばいいです。

と言っても、あなたが変人かどうか私にはわかりません。

ここでいう変人は、その他大勢の一般的な人たちとはどうも違う、
相容れないところがあるという、少数派という意味での変人です。

80%ぐらいの人たちが信じ込んいることと違う意見を持っていたら、
もうそれだけで変な人扱いされます。

でももう変人、変態の時代になってきています。

既存のルールに縛られない生き方やあり方が求められています。

あなたはもうその他大勢の中に大人しく混ざっている必要はありません。

「でも私は目立ちたくないんです」という人も多いでしょう。

目立たなくてもいいですが、人と違うことを認めると、
状況によっては自然と浮いてしまうかもしれません。

それもよしとするということです。

自分のやりたいことをする、行きたい道を行くことに決めれば、
多数の人たちはそのように生きてないですから、変な目で見られたり、
一人浮いてしまったりすることもあるでしょう。

でもそれは、今まであなたが80%の人たちに紛れて
生きてきたからそうなります。

20%のへんな人たちと一緒であれば、変人どころか、
すごく普通の人に見えてしまいます。

なんて自分はまともだったんだ!?とびっくりするかもしれません。

そんなもんです。

自分が属するグループが変人ばかりであれば、何の問題もありません。

自分とは合わないところに合わせようとしているとかなりストレスになります。

自分が人と違うこと、変人であることをよしとする。
それは個性であり、感性豊かだから、色々と感じとれるから。

あなたの個性をぜひいい方向に生かしていきましょう。


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私たちは悩みや問題があると、それについて何度も考えます。
気になるものだからずーっと考えてしまいます。
寝ても起きても考えていたりします。

失恋した時を考えるとよくわかると思います。
ずーっと相手のこと、失恋したことを考えて悲しくなってしまいますよね?

でも、もしあなたが同じ状況を体験したくないと思うのなら、
それについて考えない方がいいです。

気がつくとそれについて考えているので、しかたないと思いがちですが、
これは自分でコントロールしていく必要があります。

でないと、ずっとそのことを考え続けます。
そうやって何度も何度も考え、同じ状況にどっぷりと浸かることで、
またその状況と似たものを引き寄せてしまいます。

過去に起こったイヤな出来事をくり返し考えるのは、
頭の中にくり返しその状況をリアルに再現していることになります。

その状況に対して「おいでおいで」をしているようなものです。

繰り返し思い描くのは、あなたがこだわっているからです。
それに気づき、いったんそれについて考えるのをやめましょう。

ずっとずっと考え続けていると、いい加減疲れませんか?
嫌になってきませんか?

なぜわざわざ嫌になること、気持ちが落ちることを考えるのでしょうか?


あなたが道を歩いていて、鳥のフンが服の上に落ちたとしましょう。

わー、イヤだなと思いますが、それについてずっと考え続けますか?

鳥のフンが落ちてきたから、何か悪いことの予兆だろうか?
私の行いが悪いからこんなことが起きたのだろうか?

服にシミになったらどうしよう、高価な服だったのに。
こんなことなら出かけなきゃよかった。あの人がしつこく誘うからだ。

と延々と不運のストーリーを続けることができます。


でもよくよく考えてみてください。

鳥のフン・・・ですよ?

地球規模で見たら、点にも見えない。

100個の出来事があるとしたら、そのうちの0.00000001ぐらいのことです。

それを100%の一大事にしているのは誰か?

あなた自身です。

あなたにとっては一大事かもしれませんが。

指にトゲが刺さって痛い時、歯が痛い時、どうしますか?

早く痛みを取りたいし、悪化させたくないので、
トゲを抜きますね? 歯医者に行きますね?

痛いことは早くなくしたいと思います。
そして、痛みが取れたら忘れます。

ではなぜ、イヤなことに対してはそれをするのでしょう?
毎日毎日思い出して考えるのでしょうか?


今この瞬間にもいいことはたくさん起きています。

あなたが心をそちらに向ければ、
楽しいことがあなたの心を占めていけば
いやなことは忘れていきます。

あなたが心をそちらに向けようとしない限りは、
一生、鳥のフンとか、トゲとか、歯痛について考える人生となります。

そして、あー、またフンが落ちた、トゲが刺さった、歯がまた痛い
と嘆いてしまいます。

私の何がおかしいんだろう?私はなんでこんなだろ?
ではなくて、それを気にしているから問題のように思えます。

道を歩いていたらフンも落ちてくるだろうし、
木片があるならトゲも刺さるかもしれないし、
歯があるんだからたまには歯痛もあるでしょう。

それらはあっていいんです。普通に起こり得る事象です。

ただそれらを抽出して悩みのタネとするのは自分自身です。

過去のイヤな体験をくり返し反芻する人生を歩むのか?
過去を手放し、新しい人生に向かうのか?

その選択はあなたの手の内にあります。

もしあなたがつらい思いをしているのなら、
あなたには違う選択をする力があることを知りましょう。

選択肢は無数にあります。

今日雨が降っても明日は晴れるかもしれません。
昨日の雨のことについていつまでも悩んでいても不毛です。

あなたの選択があなたの未来を作っていきます。

どんな未来が欲しいのか?
自分が何を選択しているのか?

未来への楽しい思いが強まれば、過去は遠ざかっていきます。


自分の思いからなかなか抜け出れない人はこちらをご覧ください。
  ↓
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(記事整理に伴い、過去記事を加筆訂正後、アップしています)070716


これはなんと10年前の記事です。
後半は加筆訂正していますが、
人の心のカラクリはそうそう変わるもんでもないですね。

私も悩み多き頃はずっと悩んでました。

この文章を読んで、

言いたいことはわかるけど、、
自己責任だってわかるけど、、、

わかっちゃいるけどやめられない、、、

ので困っている

と言う人も多いでしょう。


最後に書いた、
未来への楽しい思いが強まれば、過去は遠ざかっていきます。
は、経験するとすごく納得です。本当にそうです。

でも経験していないと、先に今の悩みをどうにかしようとがんばってしまいます。
そしてそれは、過去の延長線上の自分への対応です。

コーチングは未来に向かい、カウンセリングは過去に向き合います。

人それぞれの段階があります。

過去の出来事への執着と臨場感が強い場合はなかなか未来に向けませんので、
先に過去に向き合う必要があります。

だいたい親子関係に行き着きますが、そこで癒されてない部分を癒し、手放します。

ある程度クリアできたら、より良き未来にするために
自分の思考パターンや信念を見直し、書き換える作業になります。

望む未来が先にあって、それに合わせて今が変わっていく流れとなります。


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「人類の進化」というものは、誰でも意外と簡単にできてしまいます。
一人ひとりが”自分で考えて、自分でためして”みればいいのです。
つまり、本に書かれていないことを、やってみればいいだけです。
たったそれだけのことで、皆さんは、人類を進化させることができます。

でも残念だけど、”自分で考えて、自分でためしたこと”というものは、
なかなか他人に信じてもらえません。
応援してもらえないし、ときにはバカにされたりもします。

でも気にしなくていいんです。そういうものなんです。

 「好奇心を“天職"に変える空想教室」植松努著


「でも気にしなくていいんです。そういうものなんです。」

こういうことを言ってくれる大人が、
子供の頃にいてくれたらよかったと思います。

あいにく「まわりに合わせなさい」「人と同じでありなさい」
「近所の人が見たらどう思うか?」と
周りを気にすることを教え込まれました。

気にせず、もっといろいろ試せばよかったと思いますが、
それをすると、いろいろと言われるのは母親だっただろうし、
まあ、いろんなしがらみがありますわな。
私もそれほど強くなかったし。

人と違うことをするのは勇気のいること。
理解してもらえないし、否定されたりバカにされたり。

それでも意思を通してやり続ける人は
新しい価値観を作り出します。

何も考えてないと、あなたの人生はレンジでチンするように、
「チーン、はい、これ」と差し出されるがままに
ベルトコンベアーに乗って流されていってしまいます。


もし、全人口の一人ひとりが
”自分で考えて、自分でためす” ことをしていったら
世の中はどう変化していくでしょうか?

応援してもらえなくても、バカにされても
”自分で考えて、自分でためして”みましょう。

それがあなたを進化させ、人類を進化させます。


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悩みは、すでに起こってしまったことについて悩んでいる場合と、

まだ起こっていないことに対して
「もしそうなったらどうしよう?」と悩んでいる場合があります。

起こってしまったことは起こってしまったことなので、
起こったことをいくら嘆いても後悔しても
自分を責めてもなにもなりません。

感情面をすぐにクリアするのは難しいかもしれませんが、
思考面では「どうしたらもっとよくなるのか?」と改善法を考えましょう。
(時には「なぜ起こったか?」を考えることも必要かもしれません)

また、まだ起こってもいないことに対して悩んでいる場合は、
現実に起こっていないことを想像して怖れている状態です。

まだ起こっていないことをいくら想像して悩んでもきりがないです。
だってまだ起こっていないのですから。

もしかして取り越し苦労なだけで起こらないのかもしれません。

そうだとしたら悩んでいる時間に、
もっと建設的なことを考えていた方がよほどいいですよね。

こんな例があります。

自分を昔いじめた人に1日だけですが、
会わなくてはならない用事ができた人がいました。

その人との思い出はイヤな思い出ですから、会うのがいやで
それが決まってからの3か月間、毎日
その人と会うことについて悩んでいました。

頭の中では、そのいじめられていたころのいやなことや、
またいじめられたらどうしよう?という不安が、
ぐるぐると頭の中を駆け巡っていたようです。

つまりその人は、数時間の面会のために、
3か月間、過去のイヤな出来事と、
起こるか起こらないかわからないことに
フォーカスしつづけ、悩み続けていたのです。

もし会ってもいじめられなかったりしたら、
ずっと怖れて考えていた3か月間ってなんだったのでしょうね?

その期間中、もっと楽しいことや
自分のしたいことを考えていたら、
もっと良いことがあったでしょうに。

どうせ悩むなら起こってしまってから
悩んだ方が時間が有効に使えます。

自分が普段考えていることに注意を払ってみましょう。(070627)

(記事整理に伴い、過去記事を加筆訂正後、アップしています)


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私たちは進化の過程で、地上で生活することを選びました。

重力を感じるのが当たり前の、地に根を下ろして日々を送っています。

海の遊牧民「バジャウ族 (Bajau)」がいます。
彼らは水の中をかなり自在に動きます。



この動画を見ながら、もし私たちが水中で生活することを選んで進化したら、
どんな精神性になるんだろうな?と興味を持ちました。

イルカやクジラのように水中で暮らしていたら
また全く違う価値観になっているんでしょうね。

水中に浮くことができる。→ 常に地に足がついている感覚がわからない。

常に水を感じている。か、当たり前すぎて感じなくなっている?

水中と水の上がはっきりと区別される(2段階、あるいは2つの世界)

動きの感覚が全く違う。(水圧がかかる)

特に身体感覚の違いが大きな差を生みそうです。

バジャウ族と共に暮らす日本人もいるようです。
日本にいると出世だとか、お金がないと、、とか思いますが、
彼らのような暮らしを知れば、また全然違う価値観が得られます。

どっちがいいかはその人の好みかな。

行ってみて、実際に体験してなんぼなので、
動画見て「いいな〜」とかではなく、
気になった人はとりあえず実際に行ってみると
価値観が変わるんじゃないかな?


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jack-o-lantern
闇とか穴の話が出ていたら、引き寄せてしまったのか、この記事。
   ↓
【閲覧注意】地獄の「死体農場」 ― 野ざらしの死体はどのように朽ち果てるのか?=米

こういうのが苦手な人は見ない方がいいです。

が、見ておくといいんじゃないかなとも思います。

現代なら、最大の闇は「死」だと感じている人は多いのではないでしょうか?

昔なら、死より怖いことは「鬼になること」だったかなと思います。

タブーの一線があり、そこを超えると、人間でない生き物になってしまう悲しさ。

幽霊とはまた違う感覚。
幽霊とは死んでも死にきれない念の映像化だと思うので、一応死んでます。

鬼は生きたまま、人間になれないものになることだから。

でもそのハレとケの境目がなくなり、闇を排除しようとするのが近代からの流れでしたが、
そのおかげで、現代は、人畜と言われるような人が増えてしまいました。
タブーを超えた人っていうか。

先日の、ラスベガスの銃殺事件を見て思ったけど、
暗黙の了解で、私たちはある一線を保っているんだなと。

何かのグループや戦争を起こす人たちだと、
大量殺人を犯してもありうる話だと受け止めますが(あり得てはいけない話ですが)、

個人がそこまで殺すというのはそうそうない。
時々それが起こりますが、ほとんどの人は人を殺したいとは思っていないわけです。

滅多にないことだからニュースになります。

心の闇がそういう方向に広がると困りますが、
実は誰しもそういう部分を持っていると思います。

内含していても、それを超えない一線はしっかり持っているので超えない。

私はゴキブリや芋虫も殺したくないし、
誤って殺してしまえば、すごくいやな気持ちになります。

でも環境変われば、人も殺せるだろうし、どんな残虐なこともできる自分もいます。
もちろんしませんし、やりたくないですが。

ちょっと話がずれましたが、上記の「死体農場」。
ネーミングがどうなん?と突っ込みたくなりますが、英語では The body farm なので
もうちょっと広い意味でとれるなと思います。

いくらきれいごとを言ってみたところで、私たちは死体になるんです。
今は火葬なので朽ちていけないのが残念ですが、化学薬品にまみれた身体であれば、
土に帰るように燃やされるがいいかもしれないですね。

1万円札が実はただの一枚の紙切れだというのと同じで、
どんなにお金持ちでも偉人でも死んだら同じようになります。
これからの時代はAIが発達して、死ななくなるかもしれませんけど、それは置いといて。

だから「なれの果て」をみておくのもいいんじゃないかなと思います。

肉を食べるなら、実際に動物を殺して解体作業をしてみるべきと思います。

そこまでしなくても、自然の中にいると、いろんな生死が見れるので、
そこらへんの情緒が学べますが、今の時代は自然にあまり触れることなく育ってきた人や
過ごしている人が多いので、歪んだ生き方をしてしまうんでしょうね。

最後には朽ちるんです。私たちの身体は。

そうなりたくない、とそこを見ないようにしているから、弱々しくなる。

「ああ、そうなるんだ、最後はこれね」と思えたら、
人生もっと楽しんでおこうって気になります。

この「死体農場」の死体は、きっと風呂屋で裸姿を見るような感じなんだと思います。

遺体の寄付があととたたないんだそうですが、なんかわかる気もします。

私は山で微生物に食べられて死んでいきたい派ですが、
墓に入るよりは、こういうところでお役に立つのも悪くないかなと思います。


■東京でセミナーします■

最近のブログ内容に関連した話をする予定です。

日時:10月15日(日)14:00〜16:00

場所:秋葉原駅から徒歩5分
(お申し込みされた方にお知らせします)

料金:1万円

定員:7名(残2名)

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マズローの5段階欲求で、

自己実現欲求
尊厳(承認)欲求
社会的欲求
安全欲求
生理的欲求

があります。


一番底辺の生理的欲求、
食べる、飲む、寝るなどの生きるために必要な欲求が満たされないと、
次の安全欲求に移りません。

安全欲求は、命に関わる危険を回避し、安全で安心な暮らしをしたいという欲求です。
自分の家があったり、健康だったりと。

社会的欲求は、どこかの集団に属していたいという欲求。

ここらあたりは日本人は多いですね。
次の、人に認めれたい尊厳(承認)欲求と。

人によっては、安全欲求がまだ満たされてない人もいます。

住む家も着る服も食べるものもあるんだけど、
今、無職だとか、これから先、収入が減ったら入ってこなくなったらと
生活の安全に不安を感じている人、

災害が起きて死ぬんじゃないか? ガンになるんじゃないか?
という不安にさいなまされていたり。

実際に安全が満たされてないというより、心が安全を感じていない状態ですね。

そういう場合には、なかなか自分らしく生きたいとか、
好きなことをして収入を得たいとか、考えている余裕はありません。

そういうことを考えている時点でもう既に、ある程度の安全欲求は満たされているはずです。
そこに気づくだけでも自分がいかに恵まれているのか、わかります。

必要以上に安全欲求を求めてしまうと、人生の質が下がります。
なぜなら身の安全を重視しますので、IQがめっちゃ下がります。

しかし実際に安全が満たされてないなら、まずそれをどうにかすべきです。


私が以前ロンドンに住んでいた時は、貧民街に好んで住んでました。
一時期はかなり神経すり減らしましたね。

無謀だったんで、夜一人で歩くとかは全然平気でしたが、
夜中にどこかから「助けてー!」の声が連呼されたりとか、
獣と化したかと思える状況で住んでいる人を知ったりとか、
住処を一瞬で失い、毎日住むところを探し回った時期とか、

身の安全が測れないと、さすがに精神がやられそうになります。

闇とか、「ぽっかり空いた穴」と言っても、
今月のはそういうものでもないんで安心ください。

それは、鏡のようなものです。

そのような状況を見る人もいれば、
未知のワクワクする世界への扉がついに開いた!と喜ぶ人もいるでしょう。
私は後者なんで、ワクワクしちょります。

それなりの闇を経験してきたからずいぶんタフになってるんだろうな
というところもあります。

今、「ぽっかりあいた穴」が出てきたということは(抽象的な意味合いですけど)、
そういうところを消化吸収していく時期なのかな、ということも感じます。

つまり、今までの世界は、光がいいもので、闇が悪いもの的な二元性の世界でしたが、
実は闇は奥深い。(光も奥深いけど)

闇も光も同じものだというところに到達する前なんだろうなと思います。

二つが合わさってスパークするとどうなるかって?

そこは、意外にも、、、。

それについては15日の東京セミナーでお話しします。


闇に背中を向けているととても怖くなりますが、
向き合えば、素晴らしい恩恵をもたらしてくれます。

インスピレーションはこの「穴」からやってきます。

いろんな意味合いのあるこの「穴」ですが、
ここといかにつながるかが、トータルな人間になるには必要なのではないでしょうか?


■セミナー詳細■

日時:10月15日(日)14:00〜16:00

場所:秋葉原駅から徒歩5分
(お申し込みされた方にお知らせします)

料金:早割:8000円(10/8までのお申込み)
   9日以降:1万円

定員:7名(残5名)

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この話を読むと、絶望は希望かもしれないと思う。

 「絶望」とは「望みが絶たれた」という意味ですが、しかしこの言葉はまずほとんどの場合、絶望していない時に使われているのです。「絶望」が使われるのは、ある望みを抱きつつもその望みが叶えられない、待ちぼうけの最終段階においてです。

 待ちぼうけは、人をある状態に縛り付けています。「絶望」を口にする時、「待っていても来ない」「期待しているのに得られない」といって嘆いているわけですが、その苦しみは、叶わないことによるのではなく、縛り付けられて不自由であることから来ているのです。つまり、これは「執着」の苦しみなのです。そのことに本人は気づいていません。

 わずかに望みを残しながら、人は「絶望」を口にするのですが、もし待っている対象が決して現れないものであるとわかった場合には、その人は一体どうするでしょうか。

 渋谷行きのバス停で新宿行きのバスを待ち続けている人がいます。まてどもまてども、渋谷行きしか来ません。もう何時間も待ちぼうけを食らって、「絶望だ!」と嘆く。そのとき通りがかった人が、「ここは,渋谷行きのバス停だよ」と彼に告げます。彼は、すぐにそこで待つことをやめ、別の行動に移ることでしょう。

 これこそが、本当に望みを絶った「絶望」の姿なのです。つまり、本当に「絶望」した時、人は「執着」を去り、「自由」になるのです。それはもはや、そこで当てにして待たなくてもよい「自由」です。そして本当に必要な行動を,主体的に自分が行なっていけるのです。

 このように「絶望」の苦しみは、残していた一抹の期待をきちんと捨てること、つまりそこからさらに一歩を推し進め、しっかり「執着」を断つことによって、真の「絶望」が訪れ、「自由」に解放されていくものなのです。

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 泉谷閑示



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私たちは、自分に対しても、人生に対しても、世の中に対しても、
こんなはずではない、もっと良くなるはずだと思って、
自分の望む状態をもたらそうとがんばります。

その努力は必要ですし、大切なことではありますが、
時として、絶望することも大事です。

なぜなら、

こんなはずではない、もっと良くなるはずだ

と思うのは、自分の「期待」です。

「こうなってほしい」という自分の願望の表れです。


でも、自分がいかに非力でちっぽけな存在で、
自分ではどうしようもないことだらけであると気づいたら、

自分ではどうしようもない、とあきらめの気持ちが出てきます。

自分には人は変えられない、世界は変えられない。
苦しんでいる人をみんなは助けられない。
飢餓も貧困も戦争もなくならない。

自分の無力を知った時、
自分でどうにかしようとするのをあきらめることで、
今まで見えてなかった物事の違う側面が見えてきます。

自分が「変えなくてはいけない」と思っていたことが、
実はそのままでもいいんじゃない?と思えたり、

自分でがんばろうとすることをやめることで、違う助けや導きがやってきたり。

東の人を助けたら、西の人が死に、西の人を助けたら、北の人が死ぬ。
すべての人を救うことはできません。

一つの問題が解決したら、また次の問題が出てきます。
同じレベルから問題解決をしようと思うとキリなく問題は現れてきます。

時には、自分はどうしようもなく非力であると絶望することも必要です。

それによって自分の期待を手放すことができます。
執着が取れて、あるがままの世界を見始めます。

そうなって初めて、今まで見えてなかったものが見えてきます。


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