いのちおりblog - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 自己表現、自己実現

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マイミクのりゅーさんが、とてもいい文章を書いておられたので、紹介します。
原文はこちら

〜・〜・〜・〜・〜・〜

20111231


世界が変わろうとしているときに、抵抗するのはやめなさい。
どんなときも恐れを抱かずに、自分の芯にあるものに従い、真に自分自身で在り続けなさい。

真の自分自身が分からないときは、心を澄ませて、濁った水が清んでいくのをただ見守るように、自分の心を眺め、そこに留まり、感じ続けなさい。
そうすれば、あなたはあなた自身を必ず思い出すだろう。

あなたがあなた自身でなかったことなど、今もこれからも一度たりとも有り得ない。
だから安心してここにいて、自分が世界に存在していることを許しなさい。

あなたは安心してここにいていい。
あなたは望んでここに生まれ、すでに望まれて世界に受け入れられている。
それを自分に許せていないのだとしたら、自分がそれを許していないからだ。

あなたの価値を決めるのは他者ではない。
他者はあなたから受け取ることができるが、あなたの本当の価値はまだ知らない。
あなた自身さえも、その価値の全てなど未だ知ったことはない。

価値とは可能性のこと。あなたの存在のあり方、その純粋さのことだ。
それを決めるのは、今ここに有るものではない。
今ここでどう在るか、何をしているか、何をしようとしているかだ。
何かであろうとする必要はない。ただ自分の自然を生きればいい。

あなたの現在の種の中に、未来の大樹を描き、ただその方向へと、まっすぐに成長させなさい。
それを押し留めてはいけない。
まっすぐに進めさせないように見える障害物の多くは、自分自身が想像し、創造した恐れの影に過ぎない。

何が起こっているかと、それにどんな意味を与えるかは別のことだ。

花の茎や、大樹の苗が風に倒されても、彼らは風のせいにはしない。
そこに意味、無意味を与えず、その是非を問わない。
ただ起こってしまった事実として受け取る。
常にそこから見える最良のものから目を逸らさず、今自分にできる最善の方向へ、もう一度立ち上がる。

花は常に希望を知っている。植物は自分を疑わない。怖れない。
陽の光と自然の恵み、宇宙の理を信頼し、自分の生命の力に従い、ただ生きる。
自ずから在るように在らしめること。自ずから然り。それが自然に生命(イノチ)を生きるということ。

あなたの生命が純粋に燃える時、あなたの生命が輝く。
それが生きる意味であり、あなたの本当の価値となる。

濁りなく在りなさい。
自分の生命(イノチ)の純粋さに従いなさい。

澱みなく在ることができるようになったときに、花が世界を見ているように、周りの世界を見るようになるだろう。
あなた自身が、一輪の花であったことに気が付くだろう。

そして強い意志と個性を持ったまま、もう一度この星と、宇宙の一部に戻る。
己の役割を知り、自然の一部として生きるようになる。

それが真にあなた自身を生きるということだ。
あなたは、つながりを失った存在としては生きられない。
個の存在は、全体の中でこそ、その意味と役割を持つ。
全体もまた、あなた自身なのだ。

それに気が付けば、慈しみ、全体性を持った自分として、自らを開放できるようになるだろう。
宇宙とそこにあるものを抱擁し、ハートを開いたまま偽りなく生きるようになるだろう。

大丈夫。あなたはすでにそういう存在だ。それが生命だ。

それが自然の生命(イノチ)として生きるということ。
それが頭ではなく、ハートに従って生きるということ。
自分が誰であるかを知っているということ。

それが自分自身で在る(I am)ということだ。


ありがとう。
愛しているよ。


〜・〜・〜・〜・〜・〜


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最近、私はプチ苫米地ブームになっていて、たまたま今日手に入れた本「残り97%の脳の使い方【セミナーCD付】 ~人生を思い通りにする!「脳と心」を洗う2つの方法~』の最初を読み出したら、あら〜、昨日書いていたことに関係してるわぁ。

ということで、今日はそれを。
下記、プロローグの要約です(まだそこまでしか読んでない、、、)。


この現代社会では、一部の権力者が権力を握り、富を独り占めしようとして、自由に権力をふるい、自分の意のままに社会を操ろうとします。

彼らのような支配者、権力者たちは、「資本主義社会で代表される現代社会のヒエラルキーで上に行くという価値観が絶対である」と多くの人たちに思わせるように仕掛けており、大部分において成功していて、大部分の人が競争社会を受け入れています。

それは「奴隷の人生」なのですが、とくに、疑うことを知らない素直で善良な人たちがそれに従っています。要するに、良い先生、良い両親、良い大人たちが、競争社会に勝つように奴隷量産に精を出しているわけです。


奴隷にならず、自分自身の「本当の能力」を開花させたいのなら、「3つのものさし」を捨てること。

・周囲にいる他人(ドリームキラー)
・社会の価値観
・仮想の自分


『周囲にいる他人(ドリームキラー)』とは、あなたの夢に対して、「あなたにはできない」「あなたには無理」と、あなたの可能性を否定する人たちのことです。
ドリームキラーたちは、あなたを現状に押し込め、才能を殺します。親や先生など身近にそういう人たちはたくさんいます。

私たちはほとんど無意識に、自分をよく見せようと行動していますが、人と比べる必要はありません。
「人は人、自分は自分」を心がけましょう。


『社会の価値観」は、出身大学、勤務している会社のブランド、職種、年収などで、その人の価値を判断することです。

『仮想の自分』は、「もし、あのとき、あの大学に入っていたら、、」「もし、お金持ちの家に生まれていたら、、」「もしあのとき早まって結婚していなければ、、」「もし、あの会社に就職していれば、、」など、

「もし、別の道を歩んでいたら、今頃はこうだったのに、、、」と思うことです。

「仮想の自分」を現在の自分より優れていると考える限り、今の自分を過小評価します。私たちは自己イメージ以上の存在にはなれませんので、自分自身を過小評価している限り、人生が成功することはありません。

なので、この「3つのものさし」を今すぐに捨てましょう!


という話でした。


昨日の記事で、

私の一番のやるせなさは、本気の自分が発揮できていないことだ。
それを体制が悪いだのなんだのと他に転嫁して責任逃れをしているんだな。

私の世界を支配しているのは、自分自身を過小評価して生きている私自身だ。
その支配から抜け出れない自分の無念さ。
それを世界に投影しているから、そんな世界を見ているのだろう。


と書きましたが、たまたま今日読んだ本に関連記事が書かれていたというわけです。

自分自身を過小評価しているのは自分なんだけど、元をたどっていけば、両親に繰り返し言われていたことを鵜呑みにしたのでしょう。

呪いをかけられたようなもので、自分はそうなのだと思い込んで、今まで来てしまったわけです。
でもそう思ってしまったのは自分ですから。

「お前は天才だ」と言われて育っていれば、今、才能を十分に発揮しているかもしれません。


社会が作り上げてきた虚像、、つまり、支配者権力者側が都合のいいように作った価値観や常識も鵜呑みにしないがいいでしょう。

「原発は安全」というのもそのひとつですね。


「もし、別の道を歩んでいたら、今頃はこうだったのに、、、」という考えはどこにも行きようがない。不毛な夢を見ているのと同じですから、すぐにこの思考はやめたがいいと思います。

が、私たち、よくしているかもしれません、、、。

「あの時、ちゃんと言っていたら、別れなかったかもしれないのに、、」
「もし、地震が起こらなかったら、今も普通に暮らしていたのに、、、」


残念ながら、後悔先に立たず。
後悔より航海に向けて考えましょう。

「後悔しないために何をしたらいいだろうか?」
「最高の自分だったら、今この状況で何をするだろうか?」
「自分の尊敬するあの人だったら、この時どうするだろうか?」
「もっとよくなるには、どうしたらいいだろうか?」

あるいは、もっと具体的に「○○をしてみたらどうだろうか?」と考えてみるとか。


いつのまにか一般社会という仕組みの支配を受けている私たちの考え。
自分たちがそれに基づいて、考え、行動していることに気づき、本当にそれに従うことが適切か、考え直すべき時期になったと思います。

でないと、これから待ち受けている「本当の自分として生きること」、それが成り立たなくなります。


本来の自分のまま生きられない理不尽さが、なんらかのかたちで「爆発」しそうな気配です。
それは、暴動かもしれない、地震かもしれないし、噴火かもしれない、なにかの暴露や崩壊かもしれない。人によっては、暴力や殺人を犯したりするかもしれない。

なにかしら溜まりたまったエネルギーの発散というかたちになるでしょう。
できるだけ個人レベルで穏便に昇華されていくがいいですが。

まずは自分の中の「支配者にコントロールされている思考」「本来の自分に反する思考、行動」に気づいて、それに従うのをやめるように努めることかもしれません。

「爆発」を避けるには、先に爆発後の世界に行ってしまうことです。
爆発を透過して、先に、本来の自分らしく生きているイメージができたら、問題なく進めると思います。

本来の自分らしく生きれてないのを、人や社会やお金のせいにしないように。


過渡期に入ったかな?
もうそろそろ、さなぎにひびが入り出す頃なのでしょう。

・・・と書きながら、危ないと言われている9月、大地震は起きないような気もしています。今は刻々と状況は変わっていっているので、明日はどう感じるかはわかりませんが。




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最近、震災の影響か、アセンションのうわさのせいか、本当の自分はなにか?とか、自分の存在価値や生きている意味、なぜこの世界にくることを選んだか?を考えたり、自分のすべきことを探している人が多いように思います。

震災で死がもっと身近に感じられるようになり、また、早く覚醒しないと次の世界に行けないというアセンションへの焦りもあるようです。

世俗的成功の欲求より、魂レベルでの自分のあり方を問う人が増えているのは、地球の波動自体が左脳思考から右脳中心に移りつつありますので自然の成り行きだといえます。

すでに左脳が右脳に席を譲っていればいいですが(この段階は昨年秋に顕著でしたね。私もブログによく書いていました)、左脳、つまりエゴでもってこの変化に対応しようとしている場合、不安や焦りの方が先に出てくると思います。

なぜならエゴは恐れや不安、損得感情で考えがちです。
今の自分が満たされていない、不十分だと思っている、本当の自分はこんなのではないと思っている、など、とにかくは今の自分や状況に満足していないから、他に意味や存在価値を探し始めます。

しかし自分が欠乏状態でそれを満たすために何かを探し続けても、それはいつまでたっても満たされません。

「満たされていない自分」を満たしたいという前提のもとに行動していますので、常に今は「満たされていない」状態で、「満たされていないから満たされたい」という波動を発信し続けています。

何かを見つければ、、、何かをすれば、、、誰かに出会えば、、、自分に何かが起きれば、、、満たされる、なりたい自分になれる、本当の自分を見つけられると考えます。

これは例えていえば、「結婚したら幸せになれる」と思っているのと似ていると思います。
しかし実際は残念ながら、そのうちほとんどの人が「こんなはずじゃなかった」と思います。

欠乏のエネルギーを原動力に何かを見つけ出そうとしても、その元の「何かが足りない、十分でない」という思いがなくならない限りはいつまでたっても満たされません。


しかしながら、、、

存在するものはすべて「それでいいのだ」と考えるとすると、満たされていない状態を経験することもまた満たされていることなのです。
なぜなら、その状態を経験したい自分がいるから。

「満たされたい」「幸せになりたい」「成功したい」などの思い自体を感じて、それに向かってがんばることが好きだから、望みが叶っていない状況を作り出している人もいるでしょう。本人が気づいているとは限りませんが。

手に入るまではがんばりますが、手に入ったらすぐに飽きてしまった、という経験をされた方は多いでしょう。
そしてまた、他のものを手に入れようとする。

もしかすると、それを手に入れたいのではなく、手に入れようとそれに向かって進んでいる時のほうが好きなのかもしれませんね。

夢が叶ってしまったら脱力感を感じそうだから、叶うのが恐い、という人がいます。

叶えようとする過程で、いろんな葛藤に出逢って、それを乗り越えて成長する作業を魂は喜んでいるのかもしれません。


宇宙にはなくてもいいものは何も存在しません。
すべて意味あって存在しています。

自分が経験していることは、自分の魂が経験したいことだから経験しています。

自分が今、何を学ぼうとしているのか? 
そのためにどんな状況が今やってきているのか?

しっかりと把握してみる必要があるかもしれません。

その学びは充分体験したと思ったら、もうそれにこだわるのはやめましょう。
「私が学びたいこと知りたいことはこれだったのだ!」とわかれば、さっさと体験し終えて、違う学びに移ることができます。


関連記事です→ 「手元の幸せを手中に収めましょう


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感情には段階があります。
下記は「運命が好転する 実践スピリチュアル・トレーニング」から。

1)喜び、大いなる気づき、自信、自由、愛、感謝
2)情熱
3)熱意、やる気、幸せ
4)ポジティブな期待、信念
5)楽観
6)希望
7)満足
8)退屈
9)悲観
10)ストレス、いらだち、短気
11)戸惑い
12)落胆
13)疑い
14)心配
15)非難
16)失望
17)怒り
18)復讐
19)敵意、激怒
20)嫉妬
21)自信喪失、罪悪感、自己卑下
22)恐れ、苦悩、憂鬱、絶望、無気力


もうひとつ、「意識のマップ」。
こちらは「パワーか、フォースかー人間のレベルを測る科学」からです。
数値もあるのですが、それは省きました。
数値があるとどうも人は階級的にみてしまうようですから。

<神の視点>  <人生の視点> <レベル> <感情>  <プロセス>
大いなる自己  存在そのもの  悟り    表現不可能  純粋な意識
存在する全て  完全      平和    至福     啓蒙
ひとつに統合  完成      喜び    静穏     (神)変身
愛のある    恩恵      愛     崇敬     啓示
賢い      意義      理性    理解     抽象
慈悲深い    円満      受容    許し     超越
霊感を与える  希望      意欲    楽天的    意図
権能を与える  満足      中立    信頼     解放
許認      実行可能    勇気    肯定     能力
無関心     要求      プライド  嘲笑     得意
執念      敵対      怒り    憎しみ    攻撃 
否定      失望      欲望    切望     奴隷状態
刑罰      怯える     恐怖    心配     引っ込み
軽蔑      悲劇     深い悲しみ  後悔     落胆
非難      絶望      無感動   絶望感    放棄
復讐心     悪       罪悪感   非難     破壊
嫌悪      悲惨      恥     屈辱     排除
 

このふたつのリストアップ、どちらも下に行くほどエネルギー値が低くなります。多少内容に違いがありますが、だいたいのところを参考にされると良いと思います。最初のリストの方がわかりやすいので、そちらだけを参考にされても良いと思います。

ネガティブな感情と言ってもいろいろあります。
無気力だった人が怒りを表せるようになったり、屈辱を感じていた人が憎しみに変わったりしたら、どちらもないに越したことはない感情なのですが、少しずつよくなっている過程とみることもできます。
そういうときに出てきている感情を塞いでしまえば、その浄化の過程はストップしてしまいます。

物事には段階があります。
劇的に変化するときもありますが、それを期待するよりは、自分の感情をコントロールして少しずつ負のスパイラルから抜け出るように意識的に段階を踏んでいくことが大事です。

それをしていると、ある時一気に飛躍できます。
それまではどこまでも日々の地道な作業です。

もしネガティブの感情をよく感じるのなら、同じネガティブでもちょっとでも軽い感情に切り替えることを心がけられると良いと思います。

下記も上記と同じ「「運命が好転する実践スピリチュアルトレーニング」からですが、より心が軽くなる思考を選びましょうということです。

・激怒の感情は、憂鬱や苦悩、絶望、恐れ、罪悪感、無気力の感情から心を解放してくれる。
・復讐の感情は、激怒の感情から心を解放してくれる。
・怒りの感情は、復讐の感情から心を解放してくれる。
・非難の感情は、怒りの感情から心を解放してくれる。
・戸惑いの感情は、非難の感情から心を解放してくれる。
・いらだちの感情は、戸惑いの感情から心を解放してくれる。
・悲観の感情は、いらだちの感情から心を解放してくれる。
・希望の感情は、悲観の感情から心を解放してくれる。
・楽観の感情は、希望の感情から心を解放してくれる。
・ポジティブな期待の感情は、楽観の感情から心を解放してくれる。
・喜びの感情は、ポジティブな期待の感情から心を解放してくれる。

・・ふと思ったけど、どちらのリストにも自己犠牲というのがないなあ。
奴隷状態というのはあるけど。
日本人にはけっこう自己犠牲的な感情も多いと思うけどな。


オリビア・ニュートン・ジョン「すべてをまかせて」



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今日は、この二つの動画をじっくりと見ていただきたいと思います。

聖ジャーメイン・アセンドマスターからのメッセージ2010-7-19



聖ジャーメイン: メッセージpart. 2 2010-7-19


まさにそうだなあと思います。

思い込みが作り出す世界なんだな〜。
自分の思い込みに気づいたら、その世界から抜け出て違う世界に行けます。

本当はものすごく簡単なことをものすごく難しくして、私たちは生きているんだろうなあ。

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エックハルト・トール〜「考え続けるか、繋がって生きるか?


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私たちが今想定している危険性は自我の領域のものだ。
自我(左脳顕在意識)は脳全体のごく1割以下。
残り9割以上に奇跡が潜んでいる。

1割以下の現実世界を信じるか、9割の未知の世界にジャンプするか?
----------------------

と「マザーアースからのメッセージ」に書いたけど、この動画で言われている「考え続ける方向」が自我(エゴ)、脳全体の1割以下の領域のことです。
なにかについて頭だけで考えていく世界ですね。

しかしすでに私たちは、大いなる源(ソース)- 脳の9割以上を占める- に戻っていく過程にいます。

今までの世界は「自己と他者」という分離関係に基づいていましたので、所有意識や競争意識が生まれ、争いがおきました。

しかしすでに流れは「全体の中の自分」というかたちに変わってきています(人間世界はまだまだですが)。

○○(別々)が今までの時代、これからは ◎ 二重丸状態(含まれる)でありながら、∞ (共同創造)状態となります。

宇宙意識、大いなる源(ソース)が自分の意識となっていくと、全体意識がまずあって、そのために自分はどう行動したらいいか?という設定になります(厳密にいうともうちょっと違うのですが)。

不安や恐れは自我が作り出す妄想なので、ソースにつながると不安や恐れはなくなり、安心感に変わります。

なぜなら大いなる源(ソース)が消えてなくなることは決してないからです。
そこにつながれば、自分もソースだとわかるので、エゴの一番の恐怖である「消滅」や「無価値観」が起こりえないことがわかります。

肉体が自分のすべてであると思っている人(1割以下のエゴ思考の人)は、肉体がなくなると自分もなくなってしまうと考えるかもしれません。霊魂やあの世についてはまだ証明しきれていませんから。

けれども残り9割も自分であると知っている人は、死は今と違う形で存在することだと思っています。


今、日本ではたくさんの人が死ぬことについて考えていると思います。
あるいは、全く考えないようにしているか。

ソースにつながった人はあまり恐怖を感じていないと思います。
悪いようにはならないことを知っているからです。
多分無事生き残るだろうと思っているでしょうし、もし死んだとしたも、それはそれで意味があるのだろうと受け取ることができると思います。
「悟り」というより「達観」ということばが適切かもしれません。

今、このソースにつながることがとても大切です。
宇宙意識につながった自分、無我の自分、中心軸をしっかりともってグラウンディングしている自分を心がけてください。

そうなるためには考え続けている思考を止めることです。
「自分はソースにつながっているだろうか?」と考えるのもエゴの思考です。

つながっている人は、つながっている感がある、そんなことどうでもよくなって考えない、不安や恐れが起きてこない、日々を楽しんで生きている、全体意識で動いている、今ここに生きている、などが言えると思います。

瞑想は、考え続けている自分をストップさせてソースにつながるためのひとつの方法です。
毎日1分でもいいので、何も考えない時間を作るようにしましょう。


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エゴをベースにした構造が崩壊しようとしている、、、。

もう地球の波動はエゴレベルではなくなってきているので、私たちは早急に自分のエゴを見つめ直さなくてはいけなくなっています。

昨年秋に何度となく「自我のひっぺがし」について書いていたのを思い出しますが、今、もっと大きな規模になってそれがやって来ています。
昨年までは個人レベルだったものが今は国家規模で、それでも変わることがなければ世界規模に拡大するでしょう。


ひとつの段階から次の段階へ移る時には、それまでと同じではいれません。
何かが変わります。

そのシフトは、一見、崩壊に見えます。
今も自我意識で見るとかなり危ない状態ですが、他感覚を研ぎすませてみると、すごく波動が高まっており、慈愛が満ちあふれているのがわかります。

ちょうど水と油を混ぜると二層になるように、同じ空間に、自我意識と宇宙意識で見た現状が二層になっているような感じです。

自我意識で見ると、それは破滅へ向かう道。不安と混乱と怖れ。
宇宙意識で見ると、それは新たな始まりのための変化。飛躍。

自我意識から宇宙意識になるためには、エックハルト・トール氏も言っておられるように「人間の思考の構造そのものを変える必要がある」のです。

あなたの自我の崩壊が、あなたの宇宙意識の再誕となります。

宇宙意識は、理屈や理論の世界ではないので不確定です。
でも不確定だからこそ無限の可能性を秘めています。

あなたがエゴを手放したら、その無限の可能性を手に入れることができます。
地球の変化に合わせて、今は強制的に私たちに気づかせようとすべてのことが起こっています。


最近、空間の密度が増しているのを感じています。とても濃厚になっています。パチンコ玉が同じ大きさで5倍ぐらいの重さになったような感じです。
見えないし、微細な感覚なのでわかりにくいですが、刻々と波動は変化していっています。

やはり、すでに慈愛のエネルギーの世界に入ったように思います。
現象界に現れてくるのはもっと先でしょうが、すでに水面下では変わってきています。

頭で考えても的外れなので、感覚を研ぎすまして微細な変化を感じてください。

地球と共にある人はこれから慈愛に満ちた世界を感じていくと思いますが、そうでない人はますます崩壊していく恐さに直面していくことと思います。

「恐れ」はエゴの幻想ですが、エゴは「怖れ」を原動力としている部分がありますので、手放したら崩壊すると思っています。
なんせ今まで怖れに基づいて人生を歩んできたわけですから、恐れを手放すことは今までの人生を否定するようなものです。

そんなことはできるか!今までずっとそれに基づいて生きてきたんだぞ!

自分の学説を護るために他を否定し、攻撃する。どこかの学界の研究者たちがやっているような、、、。
経済でも政治でもいろんな組織でも個人的にも、たくさんこのようなことがおこっていると思いますが。

エゴは自分を護りたいんですね。

でも地球は全体意識、宇宙意識に向かっていますから、自分を護ろうと抵抗すればするほど流れに逆らうことになります。

今までの世界の考えを保ち続ければ、そのままの今までの世界に留まります。
新しい思考形態を受け入れていけば、新しい世界がおのずと現れてきます。

なにも難しことはなく、3月のメッセージで書いたように、これからの季節に合わせて服を薄着にしていくように、新しい周波数に向けて思考形態を合わせていくだけのことです。

ただ自然体であればいい。
そうすれば、自然に移行するでしょう。


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今日は、満月10:37ですね。
昨夜のお月さま、きれいでした。

新月〜満月、そしてまた新月へと、月の満ち欠けは変化なく起こります。

新月は月が見えない時。新たなスタート。
新月から満月に向けてだんだんと月が満ちていきます。

新月に願いを立て、満月に向けて行動していくとよいと言われます。

満月が過ぎれば、月はまた新月に向けて欠けていきます。
今度は新月の新たなスタートに向けて、反省すべきところ、修正すべきところは直して、新たな1ヶ月のサイクルに向けての準備段階となります。

前回の新月が10月8日。
このあたりから沸々と手放したかと思った感情が蘇ってきた方、いらしたのではないでしょうか?

十十十 ∞を越えて」に書いていましたが、扉が開いて見えてきたものは、人それぞれだとは思います。
昔なつかしこの気持ち、、、自分の心の奥が開いて、いいも悪いもなつかしい自分に会っているかもしれません。

最近のブログ記事で、自我と真我の切り離しの話を載せていますが、もし、嫌な自分が戻ってきているようであるのなら、その切り離し作業をしなさいよということです。

「やっぱり私はダメなのよ、、」となっていくのではなく、選択のチャンスが来ていると思ってください。

あなたは今までの自分に戻りたいですか?
それとも新たな(実はもともとの)自分に移っていきますか?

今までの自分というのは、エゴの恐れから始まっている自分。
新たな(もともとの)自分は、その奥に隠れていた本来の自分。

本来の自分が出てくるためには、自我がそれを納得しないといけません。

そのためには、自我(エゴ)がすべてではないと知ること、自我とは別な自分が存在すると気づくこと、そしてそれを受け入れること、それと協力することで自我ももっと幸せになっていけると知ること。
今自分を悩ましている思いは、エゴの恐れが作り出しているものだと知ること。

満月後、月は欠けていきます。

それに合わせて、もう必要のないエゴの恐れからくる思いを解き放っていってください。
次回新月には、新生の自分が現れてくるように。


どうやったら、解き放てるの?
今の思いから解放されるの?

それは、あなたが「今」を選ぶこと。

不安や恐れから来る悩みや問題は、過去からの経験値と未来への不安から来ています。
それが、「今」を覆い隠し、あたかも今起きているように見せています。

あなたが、今起きていることに反応しなければ、その思いや出来事は変化していきます。
「そんなこと、たいしたことない」「大丈夫」「どうとでもなる」「気にしない気にしない」「すべてOK」など声に出して言ってください。

そう思えなくても、ともかく言ってみてください。

どんなことが起きていようと、あなたが今「大丈夫!」と言えるのなら、大丈夫になっていきます。
なぜならそうすることで、潜在意識は「大丈夫なんだ」と受け取って、大丈夫な事態に持っていこうとするからです。

それを続けていると、自我の衣がべりべりと破け出し、本来の自分が顔を出してきます。

要するに、今の状態を選びたいのか? もっと幸せになっていきたいのか?
エゴの恐れの中で生きていきたいのか? 本来の自然体の自分に戻りたいのか?

その選択を明確にするために、今、「昔なつかしあの私、まだいたのね〜」という出来事が起きてきています。

ここで強い意志が必要になります。

もっと幸せになっていきたい人は、「私が今選択している感情はもういりません。手放します。私は本来の自分に戻ることを選択します。」などと自分に言い聞かせてください。

これを続けていたら、早い人は、2,3日で解消されると思います。

「でもね、、やっぱり、、どうせ、、」となって、なかなか自分がもっと良くなっていけると思えない人は、その思いが引き起こすことから抜け出れないわけです。

抜け出せないんだけど、自分がその感情を選んでいるというところに注目してください。
親がこうだったからとか、私の性格がそうだからとか、あの人がこうだからとかは抜きにして、「今、自分がその感情を選んでいるのだ」と認めてください。

なぜ自分は幸せになりたいと思いながら、今の幸せでない状態や感情を選んでいるのか?
じっくりと考えてみるとよいでしょう。

嫌いな自分でも、自分にとって不幸せな状況でも、そのままがいいと思うなにかがあるはずです。

例えば、「私なんて役たたずだし、、」と一言漏らすことで、誰かに「そんなことないよ」と言ってほしいが故に言っているという場合もあります。

そんなことのために、できない自分オーラを始終出して、まわりに怒られたりしていたりするのです。

気づけば、「え〜、そんな理由のためにしてたん〜?まさか?」と思うのですが、そうなんです、しているんです。

人に言ってほしいのなら、まず自分が先に自分に言ってあげる方がいいです。


なんだか突然、満月エネルギーのせいか、突然書きたくなって、何を書くかもわからずにつらつらと書き出してしまいました。

次回新月11月6日には、汚れや垢が落ちてピカピカツルツルの新生再生した自分になれているよう、今日は、満月に「私は、本来の自然体の自分に戻りました〜。ありがとうございます!最高に幸せです!」と月光浴び浴び、「お財布ふりふりのかわりに自分ふりふりしておきましょう♪

もう満月時間になりましたね。
今夜もいいお月さんが出たらいいなあ〜。
よい一日を!

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こつこつと一歩一歩進んでいく、、、。

歩く時には、歩幅はそれほど変わりなく、右足左足と出して、一歩一歩進んでいくわけですが、その一歩がなければ、1km2km〜と歩けないわけです。

いくら遠くへ行こうと思っても、飛行機に乗るとしても、最初の一歩は自分の足からです。
この一歩一歩は、なんら変哲もなく、ただてくてくと歩いていくしかない単調な作業になるのですが、これがとても大切です。
その一歩一歩が積み重なると大きな収穫を得ることができます。

単調であり、特殊能力も才能もいらず、たいていの人ができることであり、もしかすると退屈に感じるかもしれません。

けれどもそれを続けること、そして日々のその歩きをどのように楽しみ、実りあるものにしていくか、それによって毎日の輝きが変わってきます。

普段、何も考えずに動かしている身体ですが、ごくゆっくりと、片足を出す操作をじっくりと感じながらやってみてください。

まず動かそうという意識が来て、一番最初に、身体のどの部分に力が入り、また、どうやって力が入るのか?、動かそうと思うとどうすればいいのか? 動かしだすと身体の力がどのようにかかっていくのか?筋肉はどう感じているのか?自分の意識が向くのと筋肉が動くのとどちらが先か、etc,etc.

半秒単位ぐらいで何が起こっているかを感じていくと、きりなく観察していけます。

普段は私たちは何気なく動いているのでそこまで意識しません。
当たり前のごとく歩いています。

しかし、本当に「歩く」「一歩踏み出す」ということを感じながら、一歩踏み出そうと思うと、ものすごい力と身体の各部の協力が元になっていることに気がつくことでしょう。

動いていないようで、密かな動きの中にものすごいパワーを感じることができます。

「歩き」というのは例えですが、このように日々のさりげない当たり前の日常の連続の中にたくさんの宝物が埋まっています。

あなたがいかにそれを見つけ出し、楽しんでいくか?で、この先が変わってきます。

それがマンネリ、退屈と化していくのではなく、くりかえしすることの中に大切さやありがたさを見つけていく、そんな日々になっていくと、ますます幸せと充実さを感じていくことができると思います。

(ある方に送ったネームリーディングの一部です)

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さて、ここ数回にわたって書いてきたこと、特に前回の話につながりますが、
mixiのコミュニティ「太礼道」にて、太礼道宗匠がコメントを残してくださいましたので、こちらにも転載します。
師匠の文章はいつも優しく愛に満ち、神聖さがただよいます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人はときに傷つき、ときに癒され、

傷つくことで命を学び、癒されることで愛を学ぶ。

人は一人では生きられない生命。

人に生かされ、天地自然に生かされて生きている。


宇宙は「鏡」のような仕組みになっている。

自分にとって、人の反応や周囲の環境がよろしくないのは、

自分自身が発している何かに影響されているからだ。

なので、自分の思考(心のあり方・考え方)や言葉(言葉使い・話す内容)、

行動(顔や目の表情・しぐさ・着こなしや身だしなみ・気配り・段取り)など、

自分が変化すれば人の反応も周囲の環境もそれに応じて変化する。

その中でまず手をつける必要があるのは「丹田と呼吸」を整えること。

体の中の生命エネルギーを活性化させるためだ。

それが活性化すると言うことは気力が充満することと同じ、

それがあって始めて「思考(心)」も変化させることができる。


それともう一つ。「内なる神聖性」が必要だ。

その協力があると人生のあり方はより素晴しいものとなる。

どんな人の心の中にも内なる神聖が存在している。

その存在に気づくこと。あるいは信じること。

自分が何かの想念を発し、言葉を放つ前に、

何かの行動を起こす前に、しばし自分の心を見つめてみよう。

しばし、その内なる神聖に心を合わせてみよう。

今から自分の放つ言葉、起こす行為はどうだろう。

人を生かすものだろうか?人を幸せにするものだろうか?

いや、自分を生かし、自分を幸せにするものだろうか?

鏡は嘘をいわない・・。


でも一人でそれを始めるのはなかなか難しい。

だから仲間がいるんだね。


楽阿弥

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

師匠の舞の映像です。



太礼道mixiコミュニティ

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さて、これも前回、前々回からの続きです。
元の文章はこちらから。→「自分の中の自動スイッチを見つけよう!」「素直に自分はバカだと認める

もともと太礼道のコミュに書いていた文章から来ているので、今回は、太礼神楽舞と合わせた話となりますが、補足しながら、、、。


なぜ怒ったり、恐れたりするのか?

いろんな理由があると思いますが、
自分に正直でない時に、怒ることや恐れることもあります。

いいかえれば、怒ることや恐れることがでてくるときは、
自分に正直になってないとき、素直でないときです。

つまり、心地よくない感情が出てきたときは、
自分に正直になっていないことを知るチャンスなのですね。


一体自分が何に怒っているのか、恐れているのか?

それを見ていけば、自分の本当の心に従っていないところが見えてきます。

ここら辺がたけてくると、感情がぶれるたびに、
次は何を手放せるかな?と楽しみになってきたりします。

感情は、出てこないことには感じることができないのですから。

そのためには自分の穏やかな心の状態を知っておくと便利です。

平常心を、常にゼロ状態、中庸で平穏な状態に保つようにしておくと、ぶれた時にすぐにわかります。
そして、ぶれたら、自分の内を見て自分の中心に戻るようにします。

もし、そのぶれる原因が誰かの言動であれば、「自分は相手の言動に反応している、この反応は、私にもともとあるものではなく、私が造り出している幻想の感情だ。本来の私はゼロ状態だ」と思い出して、自分から感情を切り離してもとの平常心に戻る訓練をします。

この時に、イメージや感覚で、感情に、形、色、重さなどを持たせて物質感を感じるとはがしやすいかもしれません。

爆弾みたいなのが胸から出てきたとか、
背中に乗っかってたべろんとした黒い薄いゴムの布のようなものとか、
霞のようになにかもやもやとした軽いものとか、

これ↑はまた別ワークになるので、今はおいといて、、。

てっとり早くできるなら、メトロノームの中心に針が戻る感じですね。
ゼロ状態が中心で、ぶれると針が動く感じ。ぶれたら針を中心に戻す。

最初のゼロ状態、平常心を覚えていて、感情がぶれたらすぐ戻る。
相手じゃないんだ、自分の心の産物だと思って、それを正す。

それを続けていると、感情の揺れは、自分の投影が起こしていることだとわかります。

戻す時にはただ戻す、判断や評価はしなくてもいいです。
これは「自分の中の自動スイッチを見つけよう!」で書きました。

先に感情の吐露をして、平常心をある程度ゼロ状態を保てるようにならないと、感情の針がぶれるのがわからないので、その作業が先になりますが、一旦出してしまえば、あとはぶれにくくなり、ぶれてもすぐに中心軸に戻れるので、平静に戻りやすくなります。


この中心に戻る心の動きは、丹田を鍛えたり、神楽舞う時と同じなんですね。

舞は、左右、前後、斜めに動いても、必ず中心に戻ってくる。
軽やかに舞っているようで、かなり丹田と下半身が鍛えられてないと美しく舞えません。

丹田がきちんとすわり、舞っている時の心の状態が神聖状態になっていけば、当然のごとく心もぶれなくなっていきます。

「丹田を鍛える」ことは身体の中心を鍛えることだし、舞うことも常に中心に戻ることだから、中心に戻るという意味で言えば、心を中心に戻す作業と全く同じ動きです。

舞いながら身体の動きや呼吸で、心の中心を保ち、真澄の心になって愛気を放ちながら、宇宙に感応していくんですね。
なかなかそこまでできないけど、うまくいったときは快感です。

舞で、反って胸を開くような動作もあるんですが、私も何度もそれをして、ちょっと自己解放できたように思います。
反りながら、丹田、中心軸を保つから、グラウンディングと解放の両方を身体で感じていくことになりますね。

気がついたら、心もそうなっているみたいな相乗効果、ありますね。

映像は基礎舞のひとつです。



身体と心はつながってますから、心だけへのアプローチをするより、心と身体、両方からのアプローチをする方が自己解放しやすくなります。

また、動きを伴うものだけでなく、服装、髪型を変える、家の中の整理整頓、物を捨てる、なども、心の変化に影響しますので、一番やりやすいところから手をつけていくと良いと思います。

太礼道のコミュ


追記:
私は、心をゼロ状態にするまで何年もかかりました。いったん心と思考のゴミを捨てて、ゼロ状態にまでいけば、その後、ぶれてもゼロ軸に戻すのはそんなに難しく在りません。
今は、気づけばもっと変化早いと思います。

なかなか感情が手放せなく悶々とするかもしれないですが、それでもいいので、ここに書いてあることを試みて下さい。

なぜなら、あなた自身がその感情を手放すことができなくても、そう試みることで、なにかが起きて、簡単に手放せるとか、違う気づきや視点を得るとか、進展を促す出来事がおきやすくなるのです。

あなたが、自分に正直でない感情を手放そうと試みること自体が、「私はそれを手放したいのです」という宣言になっているのです。
だから宇宙は、「なるほど、そうか」と手放しやすくなるような出来事をもたらしてくれるんですね。


こちらは、セルフイメージを高めるのに最適!
昔書いてた「リッツカールトンごっこ」(笑)ができる機会です!
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前回の「自分の中の自動スイッチを見つけよう!」のつづきです。


「あなたはバカだ」といわれて腹が立つのは、

自分が劣っていると思うのか、バカにされたくないと思うのか、がんばっているのに認められていないと思うのか、あんたより偉いと思っているのか、、、etc

とにかくなにかしら感じているわけです。

「素直に感じる」ということは、そういう自分がいるなーと気づいても、自分も人も責めることなく、その感情とその感情を持つ自分を認めて受け入れてあげるということでしょうか。

「バカだといわれて腹立つ自分がいるんだなー。バカだといわれると無価値観を感じるよな〜。親にいつもお前は馬鹿だと言われてきたし。おかげで、何しても成功しないと思っている自分がいるなあ。なんかめっちゃ腹立ってきた。なんで私がそんなこと言われなあかんねん。あ!また腹立てている自分がいる。そうか、私は自分が馬鹿でないと思っているからむかつくやわ。そうやねん。私はバカでも無価値でもないねん。あ、でも、私自身が「私は馬鹿でも無価値でもない」と信じられていないよな。心のどっかで、ダメ人間だって思っているかも?だからよけいむかつくんやわ。言われたくないこと言われて。ああ、そうか!私は「私は馬鹿で無価値な人間だ」ということを自分に許してないんだ。そんな自分じゃダメだと思っているんだな。だから言われると「私はそうじゃない!」と腹立つんや。そうかー、じゃあ、バカで無価値な自分でもOKと認めてしまえば楽やん。開き直りかもしれんけど。バカでいいやん。馬鹿な自分を認めてしまおう。あ、なんか、めっちゃ楽になった。私はバカやねん。それでがどうした。あー、なんかバカを認めたら、ばからしくなってきたわ。はは、バカな子ほどかわいいっていうけど、ほんとやな。自分、めっちゃかわいいやん」

とつらつらと書いてしまいましたが、こういうことが一気にではないかもしれませんが、起こっていくと思います。
そうなってしまえば、バカといわれてもスルーできるようになります。

他のことも同様です。

たいてい、こういうことに気づけば、それを感じさせてくれていた人や状況は、すーっと消えてきます。
自然に消えていったら、自分が取り組んでいた課題は無事クリアしたと思っていいでしょう。


こちらに載せていた記事です。
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自我の本当の存在理由」などから始まり、自我の話を書いていましたが、ちょうど手に取って読んだ「保育器の中の大人」(伊丹十三+岸田秀)に下記のようなことが書いてあります。

--------------------------
自我組織と世界組織というのは支え合って同時に成り立っているので、崩れるのは一緒ですね。われわれが統一的に世界を把握しているとき、結局自我の統一性と世界の統一性っていうのは一体なわけですから、自我が崩れる時は世界の崩れる時なんです。だからですね、さっきも言ったように、われわれが住んでいるのは意味の世界なんです。われわれが知覚しているのは、いわば物理的な光の刺戟の世界ではなくて意味の世界なんです。意味としてまとまりがある、意味体系の世界なんです。その意味体系の要といいますか、それが自我なんですね。だから自我が崩れると意味体系も崩れるわけだから、世界の意味がなくなっちゃう。すると世界はそよそよしくなってばらばらに崩壊するわけです。

哺育器の中の大人ー精神分析講義 (文春文庫)」 伊丹十三+岸田秀
--------------------------

さすが、表現の仕方がうまいです。
私は「自我の消えてなくなる恐れ」と書いていましたが、「自分が造り出している世界の意味の崩壊」といってもいいのでしょうね。

「自分が造り出している世界の意味の崩壊」・・・だから、こわい。

昔、私には三度、それが起きたことがありますが、一回ごとにたいへんになって、三回目が起きたら、私、いきれられるかな?と思うぐらいでした。
ま、結局、生き延びて今に至るのですが、それは、突然、自分の確固として信じていたことが崩れ出す現象でした。

信念といっても、願望を実現させるための信念ではなく、自分の生き方の真髄にあるような、息をしているぐらい当たり前のようになっていた信念が崩れ去るんですね。

何か問題が起こってそうなったのではなく、冷蔵庫の扉を開いたら突然ガラガラグシャ!みたいな感じだったと思います。
多分、その前兆でいろんな問題は抱えていたと思いますが、、、のど元過ぎれば、忘れちゃうんですね〜〜あのときは生死をかけた問題だったんだけど、、、。


今、この崩壊をしたくなくて、一生懸命もがいている人たちは苦しいと思います。
でもこの崩壊を何度か経験した方がいいのかもしれません。
経験者は語りますが、自我の信念が崩壊しても世界は崩壊しません。

自分の中の制限された世界に閉じこもって、その世界では王様だけど、それ以外の世界を知らない。
それが今までの標準的自我の世界だったと思います。

今、自我が翼を開いて飛び立とうと決心するか、
膝を抱えて絶対いやと座り込みを決めてしまうか、という時期だと思います。
引きこもろうとする吸引力とそれをぶち破ろうとする力がせめぎあっているかもしれません。

8月にいっていたバネの反転前のぐーっと押されている力、まだ起こっているんですね。
(もう先日終わったかと思っていた、、あ、多分それはエネルギーレベルでの話で、今はもう現実界に来ているんですね、きっと)

百匹目のサル現象も加速しているので、以前より、個人のシフトから全体へのシフトが早くなっていると思います。
全体のエネルギーの解放は、一人一人がそれができるか否かに影響されると思います。

今、自我解放のための毒出し中の人達がうまく浄化できて自分の本質とつながって、それがある一定数に達したら、例えば、引きこもりの人や鬱の人が急に直り出して表に出るようになる、とか、そういう現象にもつながっていくと思います。

今、元気な人はもっと清らかな心を保つようにして、辛い思いをしている人をサポートしましょう。

辛い思いをしている人は、自分が自分に誠実に向き合っていけば、あなたの後ろにいる問題を抱えている他の人たちをたくさん助けることになるかもしれないと思ってください。

上下関係の階級制でなく、前後関係なんですね。

あなたの前にも人はいるが、あなたの後ろにも人がいる。
あなたが切り開いて歩んだ道を通ってくる人がいるんです。

あなたは、前にその道を整えてくれた人のおかげで、もっと楽にその道を見つけることができました。
あなたは今その道を歩みながら、あなたの後ろにいる人たちがもっと楽にその道を見つけ、歩むことができるように道を整えてあげています。

そうやってみんなで楽園にいくんですね。

いつ切れるかわからない蜘蛛の糸を登らなくてもいいんです。
てくてくと一歩一歩歩いていけば、道は見えてきます。
だってもうすでに誰かがその道を歩いたのだから。

先に行って待っていてくれる人たちがいます。
笑顔で出迎えてくれます。
よくがんばったね、と抱きしめてくれます。

そこに向かって、今、あなたは進んでいます。

「和音+悦月」(10.9.17)


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本音は、やっていて楽しい、苦にならない、ワクワクして自然と身体が動いていきます。
自我はなにかと理由付けしていたり、「しなければならない」とか、周りがこうだからとか、本当にしたいわけではない場合が多いです。
将来的にこうだからこうしたほうがよいと計画的なのも自我の作用が大きいです。

本音は、正直、何も考えてない状態です。直感のひらめきなどそうです。
あるいは、そのことばかりを考えている、それが楽しくてしょうがない。

例えば、喉が渇いた、ペットボトルを買ってグビグビと飲んだ。

この時、「喉が渇いたから飲み物を買おう」ぐらいは考えますが、あまり深く考えてないと思います。
買おうと思ったら、自然とお店に向かい、レジで支払って飲む。
自然な行動です。

この時、「今、お金を使うべきでない」「無駄使いはよくない」「炭酸は身体に悪いからやめよう」「熱中症になってはいけないからたくさん飲んでおこう」など、飲み物を買うことについてあれこれと考えるのが自我です。

本音はすぐに「そのもの」に行き着きますが、自我は「そのものについて」考えます。

海で泳ぎたいと思ったら、すでに泳いでいる状態が本音。
いつ行こうか、行き方は?、水着を買わなくては、と考えているのが自我、という感じです。

円を描いたら、本音は円の中、自我は円の外から円を見ている状態です。

が、おもしろいことに、物事を悩んでいる時も同じ状態です。

つまり、何かに悩んでいるときは、その中にどっぷりと浸かっている状態。
悩みという円の中に入っていて、外が見えない状態です。
(円でなくても、四角でも三角でも箱の中でも良いのです)

悩みだけでなく、何らかの感情が出ているときもそうです。

怒っているときは、怒りという箱の中にどっぷりと入っている状態です。
いったん箱の外に出て、怒り(悩み)を見ることができると、すでにその思いや感情の外に出て、客観視できて問題と自分を切り離せている状態です。
そうなると対処しやすくなります。

なぜなら、箱から出ると、箱の外に違う世界があることがわかりますからね。

本音は、「楽しい、うれしい」の箱の中。リラックスしています。

問題を感じているときは、「問題」の箱の中。
自我は「辛い、苦しい」を見ていて、それ以外の世界に気づいていません。

自我は守ろう守ろうとしています。
あなたが本当はどうありたいか?をしっかりと自我に伝える必要があります。
「けど」「でも」「だけど」という接続詞が続く場合、自我ががんばっている状態です。

ひらめきや直感は、本音です。
が、そのあと自我が、いや、でも、しかし、と色付けしていきます。
そして、だんだんとわけわからなくなっていきます。
その場合は、一旦リセットします。

自分で答えがでないことあれば、考えるのはやめて、宇宙にお願いしておきましょう。
「私はもう自分の力では決めることができませんので、どうぞあなたが決めてください。私に最良最善最高の結果をもたらしてください。私はそれに従います。」

あとは、最良最善最高の結果になると信じて、目の前にくることをしっかりとやっていきます。

何があっても「これでいいのだ!」(^^)v

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2012年、アセンションに向けて、光の存在を演じて巧みに恐れを利用している存在がいるのに気がついたのだけれど(あるいは、私たちの中にあるそういう思いが投影して、そのように見せているのか)、どうなんだろ?と思っていたら、この映像が目の前に現れました。

とことん自分を信じるって、なかなかたいへんなことですが、私たちはその過程にいるんだと思います。


★「恐れ」からの脱出★アファメーション付




最近は、疑問に思うと、それに関する答えがすぐ返ってくることがよくあるので、方向を確認できてありがたいです。


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昨日、道を歩いていて自然に出てきた思いだったのですが、自我(エゴ)に向かってこんなことを言っていました。

「エゴさんよ、今までよくがんばってくれたねえ。私を守ろうとしてくれてたんだよね。ありがとう。あなたが必要なくなったわけじゃないから心配しないで。私はもっと大きな意識とつながっていきたいんだけど、あなたの助けがないとできないんだよね。あなたがいないと、自分がなくなってしまうからね。。あなたが手綱をゆるめても消えてなくならないから、共に行こうね。私があなたを見捨てることはないから安心して。あなたはこれからもちゃんと存在するから。」


赤ちゃんの頃は、自分という存在をまだ自覚していませんので、分離感も消滅する恐さもないですが、自我意識が目覚める頃には、「自」と「他」という関係性の中に入っていきます。

自我というのは、「全体」から離れてしまった「個としての自分」の自覚です。(分離感)
このときに最初の罪悪感、キリスト教でいわれる原罪が発生すると思います。
この罪悪感は、自分から大いなる存在、大いなる愛の元を離れた、エデンの園を去っていったという罪意識です。
自ら分離することを選んでしまったんですね。
私たちは、それ以後ずっと「自」と「他」の関係性の中で成長していきます。

その後、またひとつに戻ろうとする旅が始まりますが、自分から家出したようなものなので、なかなかその一体感を得てもよいという許可が出せなくて、人生四苦八苦します。

「個」であることの根底には分離感がありますので、自我の存在理由の根底には、分離を選んだこと、いわば神から離れたことへの罪悪感が潜んでいると思います。
(考えてみれば、罪悪感でなく、誕生の喜びでもよいではないか?と思いますが、なぜか罪悪感ですね。)

自我はそれを正当化するために、いつのまにやら私たちに、自分の肉体と普段考えている意識(顕在意識)が自分の存在すべてだと信じ込ませます。
その信念のもとに、エゴは顕在意識がなくなることは自分がなくなることだと勘違いしてしまい、生存本能により必死で自分を失うまいとします。
その恐怖が行動の源になりやすいです。
自分が安全に存在し続けるには、現状維持、変化しないことが一番だと思いますので変化をいやがります。

人間は、脳の3% (今は0.01%という説もあるらしい)しか使っていないと言います。
エゴはその3%の顕在意識なのですが、最初は、自分が自分の全存在100%だと思っています。
残りの97%の存在を知らないし、知ったところで、その97%が活性化するには顕在意識が静まらないといけないので、自分の存在価値がなくなると思い、そうはさせるまいと必死に抵抗します。
人間が死を怖れるのと同じように、自我も消滅するのを怖れています。

その恐怖を取り除くために、自我に、潜在意識や無意識と共存できることを納得してもらう必要があります。

が、その前にまずエゴに、自我意識以外の世界もあると知ってもらわねばなりません。
そして、自我(エゴ)が手綱をゆるめても大丈夫だということ。
自我が、潜在意識、無意識と共存できるようになると、もっと自由になれるということ。

を自我に知ってもらう必要があります。

そのためには、いったん自我を手放す作業が必要になります。
自我がコントロールを手放しても存在はなくならないこと、その方がもっと楽に楽しくいけることを知ってもらうと、自我も安心します。

水の中で、沈みそうで浮き輪が手放せない状態から、思い切って手放してみたら、なんだ、ちゃんと浮くじゃん!という感じで、手放してみても、なんだ、ちゃんと自我は存在するじゃん!とわかります。

それができたら、今度は自我と仲良くなり、顕在意識、潜在意識、無意識の三者関係を築く必要があります。
それができると、宇宙意識につながっていけます。

私もずっと「エゴを手放せ」と言っていましたが、手をつなぐ時期になったようです。
エゴはエゴなりにずっと私を守ってくれてましたので、それに感謝して、エゴの消えてなくなる恐怖感を取り除いてあげると、コントロールしようとする力をゆるめて、リラックスしてもっと宇宙に身を委ねてくれます。

(*エゴ、自我、顕在意識とニュアンスで使い分けていますが、ここではほぼ同義で使っています)

古代日本の秘密を解き明かす <イナリコード>の公開!

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「幸せになりたい」と思いつつ、自分で幸せを拒否している人は多いです。
「ある程度の幸せは受け入れるけど、それ以上は・・・」と無意識に思っていたら要注意!!

下記リストでチェックしてみましょう。


★幸せに抵抗

 幸せになることは実はとても怖いことです。
などと言ったら笑われそうです。

 でも、次のリストをチェックしてみてください。


・幸せになったら(な状態を見られてしまっては)、
 人に恨まれる。
 嫉妬を買う(それはありがたくない)

・幸せになると向上心がなくなってしまう

・幸せになっても、いつかはそれを失うことになるのだから、
 ならない方がいい(幸せになっても、ならなくても良い)

・幸せを失ったときの辛い気持ちは
 もう体験したくない

・幸せは限界があり、
 世界中の人が幸せになることはありえない。

・幸せは全ての人に行き渡ることはない

・私が幸せな状態であればあるほど、
 (それを見て)それで不幸せな気分になる人がいる

・嫉妬を買うくらい幸せになるよりは
 ほどほどの方がよい

・もし幸せになったら
 両親や親戚や友人と仲間でいられなくなる
 (心理的に離れてしまう。同類でなくなってしまう)

・私の幸せは誰かを傷つける

・自分が幸せになる前に
 誰かが幸せでなければいけないと思っている
 (あれだけ頑張っている人がまだ幸せそうでないのに、
  私が幸せになってはいけない)

・幸せは手に入れるのにとても骨が折れ、
 失うのはカンタンにできる

・幸せになるためには何か特別なものを
 手に入れなければならない

・幸せを維持するためには
 大変な労力と才能が必要だ

・幸せになったら友人が減る
 (仲間はずれにされる)

・自分は幸せに価しない人間だ
 (私のことを知ったら、
  幸せになっては罰が当たることがわかる)


 いくつか当てはまるのではないですか?
私も当てはまります。

その分、幸せを遠避けているかも知れません。

 なぜそのように感じているのか?
その観念が生まれたのか?を、
見てみる必要があるかも知れません。

(宝地図運営事務局のブログより)


〜数霊講演会・音魂ライブ・太礼神楽〜 「元糺の儀」
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5月のメッセージ」の『本来の自分に戻るための「そぎ落とし」作業』の対処法の一つです。

最近、起こっている体調不調は、もしかすると、心の「そぎ落とし作業」が身体にでてきているものかもしれません。

私の場合はそのようですが、当てはまる人とそうでない人がいると思いますので、自分の健康管理は自己責任で行ってくださいね。


例えば、、、
私は心の殻を感じてから、身体全体が硬直したようにガチガチになり、しんどいときがありました。体中が鉄板になったみたいでした。

それが、心を固い殻でガチガチに固めていた状況といかにも同じように思えました。

全身に広がる痛みを感じながら、「こんな痛みをずっと自分に課してたのか」と、自分が自分に何をしてきたかをじっくりと全身で感じとりました。

体中がガチガチに固く、エネルギーが滞っている状態で、心の殻が全身に広がったようで、心が「あなたはいつも私をこの状態にしていたのよ!」と身体を使って教えてくれているようでした。

痛いからといっていやがるのではなく、甘んじてそれを受けてじっくりと感じてみる。

肉体の痛みですが、本当は心の痛みです。
心の痛みが肉体に表出してきた結果、身体的に痛いのです。
自分が自分を痛めつけてきた結果です。

だから「痛い痛い」と感じるのではなく、しみじみと「こんなふうに自分に接していたのだなー」と痛さを実感し、痛めつけてきた自分に「ごめんね」と謝り、それでもなおかつ耐えてきてくれたことに感謝します。

痛いから、しんどいからいやとか、なんでこんな目に遭うのだろう?と思うのではなく、「痛み」の声を聴く、というか、共感するというか、、、
「痛み」の思いを感じてあげると、「痛み」もわかってもらえたと消えていきます。

そう、「痛み」の気持ちをわかってあげると、痛みは消えていくんですね。
なににおいても「わかってあげる」、つまり共感することはとても大事なのでしょう。

痛かったんだねー。つらかったねー。こんな風に接していたんだねー。
わかってあげなくてごめんね。自分につらく当たってたんだねー。
よく耐えてきてくれたね、ありがとう、etc.


「この痛みはなにを私に伝えたいのだろう?」と感じていくと、見えてくるものがあったりもします。
それがなにかわからないにしろ、ずっとこんな風に痛い思いを自分にさせていたんだと気づけたらよいと思います。

痛みは、わかってもらえたら消えていく、、、これを知っておくと良いと思います。

「痛みを感じきる」というのは、頭でわかるのではなく、痛み自体を感じて、痛みをおこしているのは自分と知り、その痛みを実感して、自分が自分に何を課しているかを感じ取り、許し、受け入れる、という行為なのかもしれません。

そんなこんなで、私は、今、日替わりか、週替わりぐらいのペースで、どんどんと次々と身体の各所が痛くなっては治っていっています。

今回の私のケースでは、見えない心の症状が深層から身体上まで浮き上がってきたのは、もうすぐ解消するからとして、痛み、不調に感謝してねぎらって消えるのを待っています。

なんどか「またなにかが抜けたなー」と感じる時がありました。
「この痛みは何を訴えているのだろう?」と痛みを感じていて、思わぬ気づきを得て自分の中の癒しが進んだときもあります。

みんなに言えることではないかもしれませんし、その度合いも千差万別なので、必要な検査や治療は受けてほしいですが、

もしかすると、あなたの今の体調の悪さは、あなたが心のブロックに気がついて、手放したいと思ったため、そのブロックが現象として身体に現れ、なんらかの症状を起こしているかもしれません。

特に最近でている身体不調は、このような理由による場合があると思います。
そのような場合は、薬で抑えず、そのまま、発散させて消滅するのを待つがいいでしょう。

今まで見えないレベルで、心に隠されていたブロックが、身体に出るというかたちで現れたわけですから、薬で症状を抑えるのでなく、そのまま発散させる方向に促す対処をする方が良いと思います。
私も栄養を取ったり、運動したり、心のワークをしたりしました。

自然療法に慣れている人はいいのですが、そうでない人は無理しないで、専門家に診てもらってくださいね。

ただ、体調不調は、必ずしも身体が悪化しているわけではなく、反対に、浄化の場合もあるので、そのところを自分で感じれるようになると不安も減っていきます。

どうやって感じるかというと、上に書いたことをしてみるのも一つですし、自分の感覚を研ぎすまし、常に自分に質問を投げかけて直感を待つ癖をつけることですね。

今回の事に限らず、これからは直感やひらめきがとても大事になります。
どんどんと研ぎすませておきましょう。

今日の記事は、「プチ奇跡」メルマガ第251号の記事の補足記事です。
(最新号がでたら内容が変わります)
メルマガでは、私の経験が書かれていますので、よければ参考になさってください。

PS.
私はあまり物事進まず、しばらく乱れて引きこもり状態でしたが、すでに復活。やる気も戻りつつあり、また書きたいこと盛りだくさんです。

今日なんて、かなり久しぶりですが、セックスピストルズを聴いて楽しんでいます。
もとパンクの私は、未だにピストルズの曲を聞いて盛り上がれますね。
聞き出したら止まらなくなり、繰り返しかけています(笑)飽きないんですねー。

さて週末は阿波に行って参りま〜す。

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昨日載せました「危機は去った、大丈夫!」の記事で、メールやコメントいただきましてありがとうございます。
もう少しそのことについて書きたいと思います。

どくとる☆はにわさまが記事を転載してくださり、ご自分の意見も書いておられます。

今、危機を感じて恐怖に慄き、
不安に駆られて、身動きがとれなくなっているとしても、
必ずしも「危機」とは限らない。
危機感の厄介さは ココにある。

と書いておられますが、そうだと思います。

本当の危機感と不安が引き起こしている危機感を知ること。
危機感を満喫すること。

「危機は去った、大丈夫!」の記事でも、表向き、危機感を感じたくない自分がいるのですが、
心の底では、危機感を感じた後の「大丈夫だった!」の安心感を得たいという気持ちがあります。

幼少の頃、「大丈夫!守られている」という安心感を得たのが危機感を感じたあとだったために、
安心感を得るには、わざわざ危機感を感じなければならない構造となっています。

極端な言い方をすれば、危機感を感じることで安心感を得られる、「危機感=安心感」なわけです。
パブロフの犬と同じで、危機感のあとが安心感という条件反射になっています。

この構造を持っている人は、それに気づいて安心感と危機感を区別しないと、
いつまでたっても崖っぷちを歩くことになります。

恐いのにジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷や恐怖映画に行ったりするようなものですね。
終わってしまってから「あ〜、恐かった」と楽しむわけです。


あなたが、金銭事情にしろ、住居、転職、人間関係にしろ、不安や危機感を感じる状況があれば、
まず自分の心の底に、それを呼び込んでいるものがあると認めてください。

「いや、私はこんな不安も不幸も望んでいないし、呼び込んでいない」
と考えを変えるつもりがないのであれば、これ以降を読んでも意味がありません。

もちろん、誰も不幸も不安も欲しいとは思っていません。
が、小さい頃に思い込んでしまった条件反射があるかもしれないということです。

「私が望む状況を得てないのは、親が悪い、夫(妻)が悪い、職場が悪い、環境が悪い、運が悪い、運命だ」と思っている限り、あなたの人生はそのまま進むか、より苦しい状況になるでしょう。
自分の中にそれらを呼び寄せる種があるのだと認めない限りは、似たような状況が続くでしょう。

だからといって「どうせ私が悪いのさ」と自分を責めることもしないでください。
そこに落ち込んでも、生産的なことは何もなく、自己卑下、自己犠牲精神という自己愛に浸るだけです。
そんな部分を持っている自分を認め、許してあげることが大切です。

ちと辛口になっていますが、ここのところ大切なので厳しく書いています。

私も長年、人のせいにしていましたのでわかります。
そこを抜け出て、全て自分から生じていると認めて、いろいろ自分を見つめた今は、ものすごく楽になりました。

たくさんの思い込みや誤解に気づきました。
自分の思いが現実を作り出していることを思い知りました。
自分の見方が変わると、過去の出来事も180度違う見方ができたりするので、記憶なんて全く曖昧です。
私たちは、本当に思い込みの世界で生きています。


今の自分の状況は、自分が呼び寄せているのだという前提に立った時、
なぜ自分はそのような望まない状況を自分に引き寄せたのか?と考えてみてください。
その心の底に潜むそれを体験することで得られるものを探してみてください。

今回の「安心感を感じたいがために危機感を感じる」というのもひとつの原因と考えられます。
それがわかればそれを十分に感じきること、満喫することが大事です。
先に安心感を感じられたらいいですが、安心感が満喫できるのなら危機感は感じていないはずなので、
自分が恐れている心に向き合って実感することが大事になってきます。


収入に悩んでいる人は多いですが、収入が途絶えた状態をじっくりと感じてみてください。
どうなりますか?

まったく路頭に迷いますか?
それとも、親兄弟なり友人なりの家に止めてもらうことができますか?
どこかの施設にいれてもらったり、ホームレスの人と共に暮らしてみることはできますか?

本当にじっくりと味わってみると、どうにかなるであろうことがわかると思います。

また、今までもどうにか切り抜けてきたのではないでしょうか?
また同じようなどん底を味わいたくないと思うかもしれませんが、
もう一度どん底を思い出して感じてみてください。

そうなることで、何を一番怖がっているのでしょうか?

そして、その恐怖が感じられたら、「それは去ったのだ、今自分はその状態にいないのだ」とじっくりと感じてください。
本当に恐怖を感じる事ができていたら、今の状況を感じると、ものすごい感謝の気持ちや安堵感が出てくると思います。

ここがすごく大事です。
悪い例えですが、ストーカーの殺人鬼に狙われてすごく恐い思いをしたけど、犯人が捕まった、もう大丈夫とほっとする、ぐらいにほっとする実感を味わって、「あ〜、本当に危機は去ったのだ、もう大丈夫なのだ」と感じてください。

「今、安心だ」ということを感じるためには、自分が感じている危機感や不安をじっくりととことん感じてみるが一番てっとり早いと思います。

不安というものは、まだ起こってもいないことに対して想像している状態です。
わざとそれが現実化した状態を満喫してください。
そして、今それが起こっていないことを知ってください。
目を覚まして、自分が作り出している悪夢から抜け出てください。

「今、自分が恵まれた状況にいる」と感じることができたら、豊かさがやってきます!

今、裸で路上で一人震えていない!ということだけでも、とても恵まれた状況なのです。
それに感謝し、喜べる人は、豊かな人です。

心が豊かな人は、豊かな波動を発しますので、豊かな状況を引き寄せます。
今の状況がどうであるか、収入がいくらか、など全く関係ありません。

あなたの心が、今の自分の状況を豊かと感じ、ありがたく思えるかどうか? 

ただそれだけです。

人間はややこしい生き物です。
安心感という心の豊かさを感じたいがために、
わざわざ不安や危機感を感じる状況を自分にもたらして苦しむのですから、、、。

それに気づいた人がそれを変えていけます。


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影との戦いーゲド戦記 1は、今まで何度も繰り返し読んだお気に入りで、お盆に久しぶりに読み返しました。

1巻は、自分自身を統合する話で、人は誰しもここを通過してこそ、自分を統合できるのだと思います。
15年ぐらい前に初めて1巻を読みましたが、人間がいかに自分の怖れと向き合い、それを統合していくかが、ものすごくうまく書かれていることに感動したものです。

2巻以降はその頃に1回読んだきりでしたが、今回は「こわれた腕環ーゲド戦記 2」も読みました。が、、、、絶句!

誰が私にこれを読ませたのか?それもこの時期!というほど、最近起こっているエネルギーレベルでの女性原理の開放やら、陰陽の統合やらだと内容がピッタシで驚きました。

2巻は、抑圧されてきた女性性の開放の話だと思いました。
この中で印象的だったのは、ゲドが、常に相手(テナー)に選択を求め、なにひとつ強制しなかったこと。
信頼こそが闇の世界を脱出できる要素であり、自由は実に重いものであるということ。

「自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、かならずしも容易なものではないのだ。」

と書かれています。


そして、3巻もまた、今起こっていることだなあと思いました。

ほとんどの人間には、死への恐怖があります。
不死の力を得ようとすることは、自分自身が永遠の命を得ようとすること。
自分だけが助かれば、という気持ちから起こる不死への願望はひとりよがりであり、世界をゆがめてしまいます。
そこには、死への恐怖、自分が存在しなくなることへの恐怖があり、ここに世界との融合はありません。

ゲドが言います。

「わしは老いて、為すべきことをすでに為しおえ、今や、己の死と、身をかくす術もなく、向かい合って立っている。わしにとって、すべては終わろうとしている。ここにいたって、わしにはわかるのだ。本当に力といえるもので、持つに値するものは、たったひとつしかないことが。それは、何かを獲得する力ではなくて、受け容れる力だ。」

死の話に戻せば、死を恐れて、不死の力を獲得するのではなく、死を受け入れる力、その方が大事だということです。
3巻で、ゲドが、あらゆるもの、死んだに見えるものの中にも、息づく生命の輝きを見る描写があります。

「あるがままを見て、そこに輝きを認める」

その力は、その存在を受け入れる力であり、愛なのだと思います。
全てのものの中に生命の輝きを見ることができることが、いわゆる「神の愛」なのではないでしょうか?

ゲドが言います。
「生命あるからだなら苦痛もきっと味わうものよ。生命あってこそ、からだは老いて、死んでいく。死はわしらが己れの生命に、生きてきたその生のすべてに支払う代価なのさ。」

そして、ゲドが、不死の力を得た者にいいます。

「そなたはそなた自身を救うために、緑の大地も、太陽も、星も、みんな売ってしまったんだ。だが、今、そなたに自己と呼ぶべきものがあるか? ない。そなたが売ったのは、そうよ、そなた自身だったんだ。そなたの自己だったんだ。そなたはただで、何もかも放棄してしまった。それで、今、そなたはそのあとのがらんどうを埋めようと、やっきになって、世界を、自分がなくした光や生命を、自分のところに引き寄せようとしているのだ。だが、それは不可能だ。大地の歌のすべてをもってしても、空の星のすべてをもってしても、そなたのその空白は埋まるまい。」


今、3巻まで読み直しましたが、どの巻も闇と向き合う話です。
1巻は、自分の中の闇との統合、2巻は、囚われの世界(闇)から出て自由になること、3巻は、「死」という闇に向き合うこと。

作者のル・グィンは、とてもよく人間の心理やそれによる社会構造をつかみ、小説でうまく表現しています。
このどれもが今の私たちが向き合うべきことを教えてくれています。

今の世界の不均衡がどこから来るのか? 
この先、どのようにあれば、新しい流れについていけるのか?

外伝もあわせるとあと3巻未読ですが、どういう話が出てくるのか楽しみです。

闇を恐れ、死を恐れ、自由を恐れていれば、自分の自己も光も生命もどんよりとくぐもってしまいます。
自分の中の闇に光を当ててみれば、なんのことはない、それも自分じゃないか!と受け入れることができます。
そうすれば、全てのものの中に光を見始めます。


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