いのちおりblog - 本来の自分に還るために

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   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 宇宙法則、自然の摂理

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うちの猫はよく獲物を捕まえて来ます。

小動物ではスズメ、ネズミ、モグラ、
爬虫類や昆虫では、トカゲ、ヤモリ、芋虫、蝶、バッタ、カマキリなど。

もぐらは食べませんが、スズメやネズミは丸ごと食べます。
バッタや芋虫、羽虫は食べることありますが、他は食べません。

これらのことを最初はとても複雑な気持ちで見ていました。
このブログにも何度かその話を書きました。

観察していると、捕まった獲物の多くは本気で逃げてないように見えます。
猫に弄ばれて死ぬことを選んでいるような?

なので、こちらが捕まえて逃がすのも悪いような?
せっかく猫のために捕まったのになんで逃がすの?と言われるような気がします。

でも「逃げていいよ」と伝えたスズメ数羽は何かが伝わったのか、実際に逃げました。

自然界の何かしら人間が知らない理が作用しているのではないか?
と思っていましたが、こんな話を本で見つけました。

ライオンがシマウマの喉に噛み付いているように見えるのは、
実際は急所である頸部を狙ってるんだそうです。

シマウマには怖いとか痛いとかを感じる余裕はなく、
あるのは脊髄反射で感じた感覚だけとなり、それは実は恍惚感なんだそうです。

シマウマはライオンに頸部を噛み切られて動けず、死を待つだけですが、
この時シマウマは恍惚感で満たされ、
脳内からはオピオイドという生体麻薬が分泌されるため、
痛みや恐怖を感じることがないまま安寧の状態となり、
ライオンに身を任せて食べられていくんだそうです。

中国では、古くから針による麻酔が知られています。
針による刺激によって中枢神経にモルヒネ様物質を生成させ、
生体麻酔作用によって痛みを感じさせません。

(参考文献:「音響免疫療法」西堀貞夫著)

猫に捕まえらた生き物も似たような作用を受けているのかもしれません。

逃げられる状態なのに逃げないのは、恐怖で体が硬直してしまったからか?
とか思いましたが、できればこちらの恍惚感のほうがいいですね。

人間が死ぬ時も、こちら側の世界から見ていると苦しそうでも
逝く人は恍惚感に浸っていると聞いたことあります。

そうだといいですね。



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私たちは「『ある』の世界」からきました。

そう、何でもある世界です。

あなたが必要とするものは何でも手に入る世界です。

そんな世界があるのなら、
なぜこの欠乏の世界に来たのでしょうか?

なぜなら「『ある』の世界」には
欠乏の世界はなかったからです。

いえ、なかったのではなく、潜在的にはあります。

正確に言えば、私たちは「『ある』の世界」の中の
「欠乏の世界」にいることになります。

「『ない』と思ってたんだけど、
ほんとはあったんだよね」ということですね。

なぜなら、「『ある』の世界」では
なくなることはないからです。

そもそも「なくなる」という概念がありません。
同時に「ある」という概念もないです。

私たちの「欠乏の世界」から見ると
「『ある』の世界」ですが、

「『ある』の世界」では、
潜在的にありとあらゆるものが存在できますから、

「ある」「ない」という概念すら必要ないのです。

私たちが「ない」と思っているだけで、
本当はいつでもなんでもあります。



  ***    ***   ***   ***    ***    ***   


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最近、細胞や生命の歴史や自然界の成り立ちなどをちょこっと調べていますが、
なぜそれをしているかというと、

人間の自我が発達した時代というか、人間の自我というものが、
自然界においては異色なもの、つまり自然界の新たな試みだったのはないか?
と思うようになったからです。

人間の歴史が始まって今に至るまで、
脳ができて、自我が生まれてこのかた、ここまで発展してきました。

自我が発達したことで、
人間は自分たちが哺乳類のトップの霊長類のトップだと思って、
地球は自分たちのためにあるような錯覚を起こしました。

それはエゴイスティックな自我がそう思わせているだけで、
それもまた自然界の仕組みの一つに過ぎなかったのではないか?

昨日紹介した本『植物は〈知性〉をもっている』には
このように書いてあります。

自然界に生命が存在するのは、捕食するものとされるものとの競争が絶えず作り出されるバランスのおかげだからである。つまり、こういうことだ。植物は捕食者の攻撃に対して、可能な限り防御行動をとる。それに対して、捕食者はたえず新しい戦略を編み出して植物を襲う。すると今度は植物が敵の新しい戦略に対抗して、さらに洗練された手段で応じる。互いに向上し続けていく終わりのないメカニズムの中にこそ、進化の引き金がある。地球上の生命が生存し続けていけるかどうかも、このメカニズムにかかっている。


より早く進化していくためには、このシステムを強化させる必要があったのではないか。

(ここで、なぜより早く進化する必要があるのか?という新たな疑問が湧いてきますが、
とりあえずそれは横に置いておいて...)

人間の自我という自己中心的な要素を持ち込むことで、他種間のみでなく、
同種内での競争を加速させることによって進化を促進した

ということが考えられるのではないでしょうか?


でも今、自我が暴走しつつあるので、この実験は終了に向かっており、
また新たな実験が始まろうとしています。

個体の我が強くなってしまうと滅びに向かいます。
絶滅した種を調べてみると、そういうのもわりとあるのでは?と思います。

人間の集合意識は、種としてそれはヤバいと気づいて、
自然界のもともとの仕組み、共生に今、向かい始めているんじゃないでしょうか。

それには細胞や植物のあり方がとても参考になります。

個の時代を終えて、創発の時代へ向かっているなあと思います。

同書より。

植物は、太古の昔から存在している生物だ。でも、コロニーとしてとらえるなら、植物は極めて現代的なものともいえる。「創発特性」という言葉をごぞんじだろうか?インターネットの出現によって可能になり、グループどうしのつながり(例えば、ソーシャルネットワーク)の基盤となっているテクノロジーの中心概念だ。これは「グループを形成することによって生み出される、元の構成要素(個人など)を超える特性」を意味する。この特性は、多くの個体が集まり、一つにまとまることによってのみ発揮される。集団の構成要素の一つ一つは、その特性をそなえてはいない。まさにミツバチやアリの群とそっくりだ。そうした虫たちは、コロニーとして互いに結びつくことではじめて、各個体の知性をはるかに超えた集団的な知性を示す。


ちなみに、この文章の前に書いてあることも面白い。

人間は「分割不可能」で、体を真っ二つにしたら、すぐにどちらの半身も生きていくことはできず、すぐに死んでしまうが、植物は切り分けても両方が生きていける。

つまり、「個=分割不可能」ではない。

植物によっては、株分けできるコロニーのようなもの(サボテンなど)ある、
と書かれています。

これもすごい話だと思いました。
接木とか、切った枝を土に挿しておくと芽が出るとか、株分けとか、普通にしていることですが、身体を切り分け、自分の分身ができると考えるとすごい能力です。

これより前に読んだ生物の本で、
トカゲなどがいかに切られた体を再生するか?の話を読んでました。

それを実験する研究者もすごいですが、どんな風に再生されるかを観察して、
その細胞を体の他の部分につけたら再生するのか?とか研究してました。

名前は忘れましたが、ある生物は、切り刻んだ分だけ全部個別に再生するという、
すごい能力を持ったものもいました。

つまり私を10等分したら、
全部から私が再生されて、10人の私ができるわけです。

そんな話を読んだ後で、この植物の話を聞いたので、
こりゃ、すごいと思ったわけです。

あなたが「個体」であることをやめ、分割可能な存在になったら、
死に対する概念も変わるし、生き方自体変わるでしょうね。

自然界は「個」の意識が薄く、全体の中のバランスが主となっています。

悟りたいとか、一体感を得たいという人の多くは、
実はエゴが満足できる一体感が欲しいのであって、

この自然界にあるような意味合いで
一体になりたいわけではないのでは?と思います。

自我がないようなものなので、
それこそ、『ブッダ』の話に出てくるうさぎのように、
「私を食べてください」と火に身を投じることができるかって話です。
私にはまだできませんねー。

そこまで「個」から自由になれるなら、分割可能な存在となり、
食われるのも厭わなくなります。


ある日、うちの猫が私の目の前でスズメをバクバク食べた時、
スズメのエネルギーが猫の中に入ったと感じましたが
すぐにゲゲーと吐き出して、さっきまでスズメの形をしていたものが、
目の前でゲロになっているのを見たことあります。(猫は消化が早いです)

スズメというエネルギーが猫に取り込まれ、ゲロになり、
それが土に埋められ、微生物の食べ物になり、
そうやってエネルギーが変化していきます。

スズメであったのもそのプロセスの一つでしかなく、
エネルギーは変化するけど、なくなることがありません。

変化し続けます。

と思うと、死はないですね。

自然界において「個」とか「死」が
どういう風な意味を持っているのかはまだ探索中ですが。

人間という枠から外れて、自然界を見渡してみると、すごいことが行われています。
人間もすごいですけど。

私たちも自然の産物です。
自然(あるいはもっと広義な宇宙意識みたいなもの)の実験は、
私たち人間を作り出し、自我を作り出し、螺旋は一周して、次は創発。
意識が作り出す情報の世界に舞台が移りつつありますね。


   

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植物は〈知性〉をもっている 20の感覚で思考する生命システム

植物は〈知性〉をもっている

この本が思っていたよりはるかに面白かったです。

私は、地球上で一番進化している生き物は植物ではないかと思っていますが、
この本もまさにそんな感じ。

今までに読んだ植物に関する本は、人間側の視点から植物をとらえて、
植物は人間の感情や音楽に反応するとか、知性があるとかの話がほとんどでした。

が、この本は、人間の先入観を取り除いたところで、
新たな視点から植物をとらえていました。

植物は人間と同じような形をしていない。脳がない、手足がない、目や口がない。
話さないし、考えないから、下等であると考えるのこそ、下等な発想です。

この本には、植物は人間のような五感を含め、15の感覚があると書いてあります。
人間よりももっと敏感だと。

植物を宇宙人だと思えばわかりやすいです。

人間と同じ器官をもっていなくても、知的生き物として存在する宇宙人。

言葉も文字も思考も全く違うシステムなので、
コミュニケーションの取りようがないから、意識がないと思ってしまいます。

地球上で人間が一番偉いというのは、人間の思い上がりでしょう。
人は自分の基準で物事を計りやすいですからね。


ところで、以前記事に書いたことありますが、

植物同士は根っこでみんなつながっていて連絡を取り合っているのではないか?

根っこがアンテナのようなもので、地球上で起こっていることをお互い伝達しあい、
地上で起こっていることも伝え合って、アースキーパー的なことをしているのではないか?

動物のように体は移動しませんが、テレパシー的なやりとりができて、
根っこはそれに重要な役割を担っています。

というのが私が感知した情報の一つ。
参考記事:「植物の秘められた役割


この本には、これを裏付けしてくれるような内容があってうれしくなりました。

植物に音楽の好き嫌いがある実験はすでになされています。

モーツァルトやバッハなどを聞かすとよく成長したり、音源に向かって伸びます。
ハードロックなどを聞かすと、嫌がってか、反対方向に伸びます。

この本曰く、植物の成長に影響を及ぼしているのは、
音楽のジャンルではなく、音の周波数であると。

低周波(100〜500Hz)が発芽、成長にいい影響を与え、
高周波は成長を抑える効果があるそうです。

そして、根にはかなり幅広い帯域の音の振動を知覚し、その音に影響を受けます。
地面から伝わってくる音の振動を聞いて情報を得る能力があるとされています。

それどころか、根は音を発生できることが確認されています。

根は群れを作る動物に典型的に見られる組織的な動きをすることが確認され、
根系の中でコミュニケーションをとりながら、
うまく根を伸ばして効果的に地中を探検しているのではないか?と推測されています。

音の周波数は考えてませんでしたが、やはり根でコミュニケーションをとっているのか!
と思いました。


地球上のバイオマス(生物の総重量)のうち、多細胞生物の99.7%は、
なんと植物がしめているのだそうです。

動物と人間はたったの0.3%!

人間が滅びても、植物は繁殖し続けるでしょう。

人間はこの地球が自分たちのものだと思っていますが、
植物の方がはるかに勢力が大きい。

その上、私たちは植物がなくなったら生きていけません。
食べ物は無くなるし、酸素にも困ります。


そして、下記の話も面白かったです。

植物は良い香りを放ち、昆虫をおびき寄せ、受粉させます。

植物はいろんな方法により、種を飛ばしたり、
虫に受粉を手伝ってもらったりしています。

植物にとって人間はその媒介役としてとてもいいです。
育ててくれるから。

そのため人間が欲しがる匂いや味などを生産し、人間に種を増やしてもらう
という知恵を働かせているかもしれない、と。

実は利用されているのは人間だった、、、かもしれない。

利用という言い方よりも、協力という言い方の方が気持ちいいけど。

細胞についても言えますが、
私たち人間は植物にうまく使われているのかもしれません。

夫は奥さんを支配していると思っているけど、
実は奥さんが夫をいいように動かしている、、、なんてことはあります。


使っているつもりが使われている。

使う、使われるという損得勘定でみるのか、
共存しあっているとみるか。

植物の気持ちは知りませんが、
自然界のあり方をみると、共存していると思いたいですね。

シンクロニシティ、縁起、虫の知らせなど、
もしかすると、植物の根っこによる伝達も関係しているかもしれないですね。

まだまだわからないことがたくさんです。


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フラクタル理論というものがあります。

海岸線や山並み、木の枝など、
拡大して見たときと微細に見たときとその複雑さは変わらず、
大小同じような形がくり返されます。

また、小宇宙と大宇宙という関係があります。

人間の世界もそれと同じです。
人の心は、常に世界や社会に反映しています。

自分の心の中で常に考えていることは、
あなたの現実となっていきます。

あなたの人生は、あなたが思い描いた通りになっています。

すべての良き出来事、悪しき出来事は、
あなたの心が作り出した現象であり、幻想です。

世界に起こっていることは、
私たちの心の中で起こっていることの拡大図です。

戦争や殺人、いじめ、その他もろもろの出来事は、
私たちの心の中で生成され、
それが社会現象となって現れています。

中東で起こっている戦争は、
日本人の私たちにとっては他人事のようですが、
私たちの心にあるものが反映されています。

すべてはつながっています。

戦争は私たちの心の中にあります。
殺人も私たちの心の中にあります。
いじめも私たちの心の中にあります。

他人事のように思うのではなく、
私たちひとりひとりが自分の中にあるそれを見つめ、
変えていくならば、世の中も変わっていきます。

あなたの心の中の戦争をなくせば、
世の中の戦争も減ります。

あなたが自分を虐めるのをやめれば、
世の中の悲しい出来事やいじめも減ります。


世界を良くするには二つの方法があると思います。

ひとつは、社会的に活動すること。
例えば、政治的な活動、ボランティアなど。

もうひとつは、自分の心を見つめること。
自分の心が受け入れられていないものを知ること。
許しと感謝と祈りの気持ちをもつこと。

個人の力は非力だと思ってなにもしない人が多いと思いますが、
砂漠の砂も一粒の砂がたくさん集まったものです。
小さな力も集まれば、とても強力になります。


「私に何ができるだろうか?」

そう考えるだけでも、世界は変わっていきます。

世の中を憂える前に、まずはあなたの心を愛で満たしてください。
悲しさで満ちる前に、喜びを思い出して下さい。
怒りを覚えたら、その感覚を十分に感じて解放して下さい。
あなたの心が平穏でいられるなら、他の人の幸せを願って下さい。

それだけでも、世界は変わっていきます。 (061220)


(記事整理に伴い、過去記事を加筆訂正後、アップしています)


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知性には二種類ある。
一つは後天的なものだ。
学校に通う子どもが、教科書や先生の話から事実や概念を覚え、
昔ながらの科学からも新しい科学からも知識を学ぶたぐいのものである。

そうした知性を生かすと夢がかなう。
知識を記憶する能力は、他人より上に立つか下に立つかの差を生むが、
この知性を活かせば、知識の草原を出入りし、
より多くのことを記憶の銘板に刻めるようになる。

知性にはもう一種類ある。
これは先天的に完成され、自分の内にあるものだ。
せき止められることなくあふれ出す泉であり、心の奥にある斬新なものだ。
このもう一つの知性は、色褪せることもなければ、淀むこともない。
それは絶えず流れるもの。
しかし、学びの水路を通って外から内へ流れ込むことはない。

この第二の知性は、おのれの内から外へあふれ出す源泉なのである。

 ージェラール・ウディン・ルーミー「二種類の知性」ー
 (「スタンフォード・インプロバイザー ─ 一歩を踏み出すための実践スキル」より


この第二の知性、、、私がコーチングをするのは、
人の中からこの知性を引き出したいから。

なかなかこれを言い表せなくていたけど、この文章はわかりやすい。

私のコーチングを受けるクライアントさんも、
ほとんどこれを望んでいる人だと思う。

自分の中にあることは知っているけど、
引き出すすべを知らない。

この源泉からのエネルギーは
何よりもあなたをワクワクさせる。

半年間のコーチングで必ずしもこの源泉が溢れ出るとは限らないけど、
無意識ではちゃんとつなぎ直しは行われる。

表面の自分の準備ができたベストタイミングで、それは溢れ出す。


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10月のメッセージで「ぽっかりあいた穴」というのが出てきてました。

「穴」というと抽象的ですが、
無意識、超意識、潜象界、混沌、氣、心の闇、影、不安、恐れなど、
いろんな言い方があります。

ここでいう「穴」はこのような
"存在は感じているけどつかみどころのないもの"、

実際に見たり触ったりできるものでもないので、かいま感じるようなものですね。


例えば、朝起きた時、

そういえば、夢を見たけど思い出せない。
なんだったっけ?確かに見たんだけど、、。

というように、

記憶の彼方に飛んで行ってて、そのうち日常の忙しさに紛れて忘れてしまう。

そんな「何か」の存在を私たちは知っています。

寝ている間に、一体どこに行っているのか?消滅しているのか?
死んだら意識はどうなるのか?
インスピレーションはどこからやってくるのか?
この世界はどうやって現れたのか?

実は世の中、わからないことだらけです。

どれだけテクノロジーが進もうがいろんな研究がなされようが、
私たちは自分のことはもとより、なぜ私たちが存在しているのか?すらわかっていません。

これらのつかみどころのないものとどう関わっていくのか?対応していくのか?

あるいは、現実的なこと、明日どうやって飯を食う?ということを毎日悩むのか?

明日食べていけるか?を気にしている人はいるでしょうが、それは不安のなせる技です。

本当に明日から食物が手に入らないか?というと、
よっぽど何か非常時が起こらないとそうならない人が多いでしょう。

世界にはまだまだ今日の食べ物を得られない人たちも多いですけど。

日常を過ごしていくうえでは、別に気にしなくてもいい部分ではありますが、
ほとんどみんなが心のどこかで気にしているところです。

なぜかというと、死とつながっていくからだと思います。

死という闇。

死が闇なのか光なのか、生きている私たちにはわかりませんが、
生きている間にどちらかを選んでおくことはできます。

死んだように生きている人が多い今の世の中ですから、
この機会に「死ぬ」ことについて考えてみることも悪くないと思います。


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10月のメッセージの補足。

押入れを開けて見たら、宇宙みたいにものすごい大きな空間が広がってて、
びっくりして慌てて閉めてしまった。

もう一度、怖いもの見たさで見てみたい気はするけど、
開けたら最後、引き込まれてしまうかもしれない。

あれから一度もその押入れを開けてないけど、
そこから広がるあの空間は、今も心のどこかで感じている。


私たちは何かしらそのような感覚を心のどこかに持っています。

自分のもののようで、自分のものでない。
自分とつながっているのに、漆黒の闇が広がっているような怖さ。

意識の奥に閉じ込めてしまって、普段はすっかり忘れている。


それは無意識を感じてのことかもしれないし、

天体を運行させて、生き物を生かし続けている目に見えないなんらかの働き、
それを神と呼ぶ人もいるけれど、万物をバランスよく生かし続けている見えない力など
人知を超えた力を感じてのことかもしれません。


私たちの顕在意識では決して捉えることのできない領域があることを私たちは知っています。
10月のメッセージの「ぽっかり空いた穴」はそういう領域の比喩でしょう。


「自分すら幻想」ということに、
感覚的に気づき始めている人たちが増えてきています。

「つながりの中で自分という存在が決まっていく」ということを踏まえ、
”確実な存在”としての自分が崩れ、「自分である」ことの根底が揺らぎ、
人によっては、ぽっかり心に穴が空いたような感覚になることも考えられます。

それとは別に、意識が無意識を以前より感知しやすくなってきている
という意味合いもあるのでしょう。

自我意識の境界が以前より薄れてきているため、
今まで見えてなかった違うリンク(領域)が見え始めてきています。


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今日は再びスズメの話です。

前の記事でもスズメの話を書きました。→ 蜘蛛とヤモリとスズメと猫と

この時は、スズメに「うちの猫の相手せんでもいいから。もし逃げたかったら逃げてもいいよ。」と言ったら、スズメが逃げたという話でした。

通常、逃げないので、不思議に思ったのですが。

自然界では、生死において、人間とは全く違う認識と感覚があるんだろうなーと、
猫が獲物を捕まえてくるたびに思います。

捕まった獲物は、なぜか本気で逃げない。

先日の「たくみの会」で、”人が消える”、”固まってしまう” という状況を目の当たりにして、
猫も同じことをしているのかもしれないと思いました。

つまり自然界の生死のあり方や循環がうんたらかんたらではなく、
ただ単に獲物が逃げなくなるような作用を猫が起こしているのではないか?ということ。

この懸念は以前からあったけど、この時はそうだと思った。


が、今回のスズメ事件はそれをまた覆してしまいました。

ことの起こりは、猫がまたスズメを捕まえてきたことに始まります。

最初は、私はそのまま放置してました。
適度に猫がスズメと遊んでいます。
ちょこっと血が落ちていたので、少し怪我もしているらしい。
スズメはバタバタはするけど、やはりそんなに逃げません。

私は、もう一回してみようと思って、
「もし逃げたかったら逃げてもいいよ。うちの猫の相手せんでもいいから。」と言いました。

そしたら、スズメはすぐにバタバタと飛んで、タンスの後ろに隠れてしまいました。
その後、猫はスズメを取り出そうと手を突っ込んで頑張るのですが、出すことはできず。

あとでまたちょっと捕まりますが、すぐに違う隙間に入ってしまい、
そのうち猫はあきらめて外に出ていってしまいました。

猫があきらめて出ていったので、チャンスと思って、スズメを捕まえて逃がそうとしたら、
バタバタと飛び立ちました。

猫に捕まると高いところには飛ばないのに、私が捕まえようとしたら、
天井の方をあちらこちらと飛んでなかなか捕まえられません。

ならば、と窓を開けたらそのうちそこから飛び立って行きました。

無事元気なままで逃げてくれてよかったです。

が、またまたどういうこと?と思ってしまいました。

猫が戯れる時は、ほとんどのスズメが高く飛びません。
飛べるのに飛ばない。本気で逃げているようには思えません。

が、私が捕まえようとしたら高いところばかり飛んで捕まえられない。

スズメは猫に捕まえられることを良しとしているのか?という私の疑問は再び浮上。

真相は未だわかりません。

自然界のこの関係性がわかったら、人間の価値観にも大きな変化がもたらされるのではないか?と思います。

弱肉強食の世界というのは、一つの人間の価値観を投影したものだと思います。
自然界にはそれとは違うルールがあるようです。

自然には学ぶことがたくさんありますね。


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ま今公開の映画「メッセージ」を見ました。
着眼点がすごくいいなと思いました。

面白かったのが、宇宙人は何もしていないのに、人間が勝手に解釈して
反応していく様がすごくエゴのあり方に似ているなーと思ったこと。

その辺りはうまく表現されていたなと思います。

二つ、見てよかった点があります。
以下、ネタバレあります。


一つは、宇宙人の使っていた言語というか、文字。

これは私が「象徴言語」というものと同じだと思いました。仲間がいてうれしい

つまり、情報を読み取る力。

アルファベットやひらがななどのように形が決まっていない文字なのですが、
墨で書かれた丸の形のハネや向きなどの微妙な違いに意味が含まれ、読み取ります。

私が何かのメッセージを受け取る時もシンボルや何かの形である場合が多いです。

そこに含まれる情報はたくさんあり、直感的に瞬時に「あ、そう」と理解できますが、
左脳的言語解釈になると、たくさんの説明が必要となり、なかなか伝えづらい。
自分に言語障害があるのではないかと思うほど。

言葉は、どういう状況でどんな風にそれが発せられるかによって意味が違います。

「すき」と言っても、恋愛の好きなのか、お愛想の好きなのか、友達としての好きなのか、
油断して隙があるの隙なのか、ただ音として「す」と「き」をつなげて言っただけなのか、
いろんな意味に取れます。

また「好き」と言っても、なぜ好きなのか、その理由や、相手に対する思いや自分への思い、お互いの間で起こっている微妙な感情など、その「好き」という言葉の中にいろんな思いや記憶が含まれています。

もっと言えば、人類が始まってその言葉が生まれて今に至るまでに、その言葉の集合的な情報場があります。
その言葉からどこまでを読み取るのかによって、その含蓄は全然変わります。

通常私たちは、その時のその場のコンテクストによってその意味を読み取ります。


言葉は進歩なのか、退化なのか?

微妙なところです。

言葉があることによっていろんな伝達が具体的にできるようになりましたし、文字が生まれたことで記録ができるようになりました。

でも昔は、情報空間にある情報を読み取る力が長けていたと思うので、一つを聞いて十を知るようなことがよくあったと思います。

例えば、天候についてよく知っている人は、空を見たり、風や湿気を感じるだけで、いろんな情報を読み取り、天気予報を見なくても「明後日雨だね」とわかったりします。

天候の知識をよく知っているからという場合は、象徴言語ではなくて知識です。

象徴言語は「ニュアンスを読み取る」に近い。行間を読む感じ。
そこに含まれる情報を、目に見えているものや今までの知識による理解ではなく、
ざっくり違うゲシュタルトを構成してしまうような。


私がいう「象徴言語」はそういうもので、実は日常に溢れています。

夢も一つの象徴言語です。

夢辞典を引くよりも抽象度高くその夢を省みることができたら、
そこに込められたたくさんの情報を読み取ることができるでしょう。

日常で起こっている全ても象徴言語ですが、それを読み取る(繋げる)のは意識です。

数式もその一つですね。

数学者や物理学者が描く数式は私にはチンプンカンプンですが、
彼らにとっては数式一つが宇宙の法則をあらわしていたりします。

数えられるほどの文字数の数式ですが、そこに含まれる情報は膨大です。

そういうものを私は「象徴言語」と呼ぶのですが、「右脳言語」と呼んでもいいでしょう。


映画では、宇宙人がそういう類の言語を使っていたのですが、
もともと日本語はそういうものだったようですね。

「あ」の音には、宇宙の始まりから始まる「あ」の意味があり、
「お」には「お」の意味があり、全ての音にはそれぞれの宇宙があります。

私たちはその音を忘れてしまいましたが、人間がもっと進化すれば、
また森羅万象が話す声が聞こえてくるでしょう。

結局のところ、情報を読み取る力です。

六芒星のシンボルを見て、三角が二つ合わさっているとだけ見るのか、
この形にまつわるいろいろなエネルギーまで読み取るのか?

1本の鉛筆を見て、その鉛筆の元となった木やその木のあった場所まで情報収集できるのか?


「バタフライ効果」という言葉があります。

アマゾンの蝶の羽ばたきがハリケーンを生んでしまうというように、小さな些細なことが起こったことがいろんな要因と繋がり、大きな変化を生み出すことを言います。

今日、私が蹴った石ころが十年後に地震を起こしたなんて関連付けはしようがありません。

けど、そのような事象のつながりを一瞬にして理解して、物事を見ることができるのが象徴言語です。

そしてこれからはそのような理解をする人が少しずつ増えていくでしょう。

これに長けた人たちが集まると、理解するのにほとんど言葉が入らなくなります。
テレパシーと呼ぶ人もいるでしょう。

でも超能力ではなく、超言語です。

アーティストはけっこう使えるのではないでしょうか?
あと、共感覚者も。


ということで、もう一つの気づきは次回へ、、。


これを書きながら気づいたことが一つ。
昨夜、夏至における変化で気づいたことがあったのですが、それにつながっていきますねー。
象徴言語のあり方と新しい自我形態と。


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さて、蜘蛛ヤモリと続き、スズメの話。

これは蘇生やヒーリングの話ではありません。
自然界はどうなっとんじゃー?という話です。

うちの猫は時々、スズメを捕まえてきます。
最初のスズメ事件は、なかなかショッキングで、ブログにも書きました。
→ こちらの記事

今までに食べられたスズメの数はもう二桁になると思います。

野良お母さんに自立の術を教えてもらっている時に、スズメの捕り方を学んだのでしょう。
猫は子供の頃に食べたものを食べ物として認識するらしいです。
スズメ、食べてたんだろなー。

それはともかく、猫が獲物を捕まえてくる時、通常、私は放置します。
心痛いですが、いらぬ手出しをしないほうがいいかなと思います。

前回の記事で書いたように、捕まえられた獲物のほとんどは必死で逃げません。

猫が飽きてしまっても、まだ元気な時は外に逃がしますが、
なぜかまた猫に捕まって戻ってくることがよくあります。

一度捕まったら、あきらめに入るのか、身を捧ぐのか、蛇に睨まれた蛙のようなものなのか。
やられに戻ってきたとしか思えないような時もあり、不思議です。

今まで捕まえてきた獲物で、最後まで必死に逃げようとしたものは、ほんと数少ないです。


さて、今回のスズメ事件。

先日、家の本棚の奥に、小ネズミの寝床を発見し、時々小ネズミが姿を現してました。
その頃、猫が獲物を捕まえてきたので、ついに小ネズミ、ジェリーちゃんが捕まったか!?
と思ったのですが、それはスズメでした。

かわいそうに、と思いましたが、いつものようにタッチせず。
ただスズメに言ったんですね。

「うちの猫の相手せんでもいいから。もし逃げたかったら逃げてもいいよ。」と。

今まで言ったことはないですけど、なぜかこの時は言いました。

猫はやんわりとスズメにじゃれていましたが、
そのうち、スズメが飛んでカーテンの後ろに逃げ隠れました。
取ろうとするのですが、手が届かず、そのうち猫はあきらめて離れていきました。

こういうことはあまりないんですが、私は逃すチャンスだと思い、
スズメを捕まえて外に出すと、空に飛んで行きました。

そこで不思議に思ったんですね。
今日「逃げてもいい」とスズメに伝えたら、本当に逃げた、、、。

たまたまだったかもしれないけど、今までの猫と獲物の関わりを見ていると、
殺されに戻ってきているように見える獲物が多かったのに、
「逃げてもいい」と言ったらすんなり逃げた。

どういうこと?

理性が追いつかず、何かリンクすべきものがしていない気分でしたが、
スズメが元気なまま飛んでいってよかったなーと思いました。


そして、翌朝。
猫がバタバタしているので、小ネズミを見つけたか、、と思って寝てましたが、
そのうちバリバリと食べている様子。

ついに、、と思いましたが、そのまま寝入ってしまい、起きてから見てみたら、、、、。

羽が散らばってました。。。

そう、猫が捕まえたのは小ネズミではなく、スズメでした。
前の日に逃がしたスズメかどうかはわかりませんが、
スズメを逃がした日の翌日朝、猫はご馳走にありつけたわけです。

「だからなんなのよ?」と聞かれても、「だからなんなの?」といいたいのは私。

たまにしかスズメを捕まえてこないのに、逃がした翌日に捕まえているという偶然が
なにやら語っているような気がしてならないのです。

それが何かはわからないですけど、、、。

蜘蛛は生き返り、ヤモリは生き返ったのと、死んだのと、
スズメは生き返るもなにももう猫の胃の中。

逃がしたけど捕まった。違うスズメかもしれませんが。
やっぱり捕らわれることになっていたのか?


多分、私が考えているいのちだとか、全体性だとか、個であること、自然界、自然の摂理、集合体、ネットワーク、縁起、繋がり、などなどのヒントを見せてくれてるんだと思うけど、まだこの事象からは答えが見つかっていません。

夢と同じで、これらのことは「象徴言語」なので、
時間を含めた立体的象形文字みたいなもんだと思います。

それはどういうことかというと、、、続く。

(注:写真はうちのネコちゃんではありません)


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この記事は、昨年かもっと前に書いて、そのまま保存されていたもの。

なぜ地球では他のいのちをいただくことで生きていく構造になっているのか?
そうしないとありがたみがわからないからか?

また暖かい季節になって、ネコが生物を捕まえてくる。
昨年も思ったのだけど、ネコに捕まえられる生物は、そのために現れてくれたのではないか?と思うことがよくある。

その理由の一つに、いったん捕まると、本気で逃げないものが多い。
生理的現象や自然現象で、いったん捕まったら何かが麻痺して逃げなくなるのかもしれない。

本で、ある実験で、あきらめることを覚えた犬はもう挑戦しなくなったという話を読んだ。
それと同じ現象か。

でも、捕まえてきた獲物(とかげなど)をまだ元気な時に逃がしても、
いつもまたつかまって戻ってくるのは、その理論では解せない。

先日は、押し入れに逃げたトカゲが数日後、わざわざネコの前に現れて、また遊ばれてご臨終された。

そういう光景を何度も見ると、私が途中で猫を遮って逃がすことは
つかまったトカゲにとっては迷惑なことではないのだろうか?と思ってしまう。

トカゲはせっかくネコにつかまりにきているのに邪魔しないで、という感じ。

なので、人間的な判断は介入させず、獲物を捕まえてきたときは、
ネコが飽きてしまうまではそのままにしている。


今日は蝶を捕まえてきた。
食べてくれたらよかったが、羽がちぎられ、触覚がひとつになった状態で生かされてしまった。

見てて心が痛むのだが、どうしようもない。
逃がしてももう生きていけないことはわかっている。

いっそのこと殺したほうが楽なのか、そのままでも寿命が続く限り生かしておくべきか?

と思いながら、外の草の上にそのまま生かして置いた。

猫が獲物を捕まえてくるたびに思うことだけど、これがこの世界なのだなと思う。
ただ自然界は生死について、人間とは違う価値観で動いている。

畑仕事をしていても思う。

虫がいて、植物があって、微生物がいて。
その中で食いつ食われつ、共存している。


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自然の摂理には従うべきか、人間の進化はそれを超えるのか?

また映画「ドクター・ストレンジ」の話から発展させて、、、

ドクター・ストレンジは、自然の摂理に反して、時間の閉じた輪を作って地球を救ったことに対して、「時間の逆行という自然の摂理に反した代償はいずれお前に返ってくる」とある人物(モルド)に警告されます。

理由が正義でも、自然の摂理に反することをすれば、いずれカルマとなり、
その穴埋めをせざるを得なくなるとモルドは考えます。

魔法を使う=自然の摂理に反する。

モルドは、半身不随から自力で力をつけ、復帰した男の力を、
それは「お前の力ではない」と奪い、元の半身不随状態に戻します。


彼は、「自然の摂理に反することは悪である」という考えに変わります。

善側にいた彼は、彼の中の善悪の判断で正しいと思ったことをしたわけですが、
この行為は他者から見れば、悪の行為に見えるでしょう。

善悪に分けようとする行為は人間が行うことです。
そこに立っている限り、これは「正しい」「これは正しくない」と
境界線を引くことになります。

それはエゴが起こしている行動です。


善悪の判断を持つ人間が自然の摂理とどのように関わっていくのか?
という問いかけがなされています。

人が人である限り、エゴから抜け出ることはできません。

善の行為も悪の行為もエゴから発生しています。
この映画では善と悪の境界線を揺るがせています。

違う側からの視点を繰り返し見せて、
「人間とは何か? どう生きるべきか?」を問いかけてきます。


医学的なところからの問いかけもあります。

ドクター・ストレンジが最初は、西洋医学の物理的な次元での名医だったのが、
事故により身体がうまく使えなくなり、魔術と言えるエネルギーの使い方を学ぶことで復活します。

それはすごい力と思われていましたが、自然の摂理に反することはやってはいけない
という視点もこの映画では交えています。

悪とみなさないにしろ、自然の摂理に反した行為であれば、いずれそのつけが回ってきます。

運命に手を加えるべきか、受け入れるべきか?
魔法を使って幸せになってもいいのか?いけないのか?
自然とは何か? 人間とは何か? 善とは何か? 悪とは何か? 医療とは?

いろんな問いかけががいろんな角度からなされていて、答えが出てないんですね。

続きがあるような終わり方でしたから続編が出るのでしょうが、
善とも悪とも決めず、両サイドの視点を見せながら結論を言わないところなどは
もののけ姫を彷彿させます。


映画に出てきた言葉なのか、自分で書いたのか、もう覚えていませんが、
この映画を見た日に書いたメモの最後に、

「魔術の真髄は問いかけから始まる」と書いてました。


運命に手を加えるべきか、受け入れるべきか?

ダイナミックな縁起の中でどうあるか?

自然になる、委ねるとは?

などクエスチョンが出てくるけど、答えが私たちに与えられてないがゆえに、
見る側が考えざるを得なくなります。

自分はこれが言いたいという自己主張型ではなく、
答えは見ている人に委ねられるという表現は東洋的だなと思いました。


これからテクノロジーがもっと発達していくとますます、
この「魔法を使ってもいいのか?」というところが論議の的になりそうです。
今までも、遺伝子組み換えや人工授精や人工知能、臓器移植など論議されてきていますが。

最近、「魔法」がまたブームになってきていますが、テクノロジーは現代の魔法です。

昔の人間や自然の潜在能力を使った魔法と、テクノロジーが見せる魔法とどう違うのか?
どこで境界線を張るのか? どこまで人間が手をつけていのか?
道徳、モラルはどう関わるのか?

もう一度見直してみるといい時期なのでしょう。


  


5/27(土)東京でセミナーを行います。

なんとなく過ごしていれば、なんとなく人生が終わってしまいます。

あなたはどのような人生を歩みたいですか?
望む生き方をしていますか?

あなたが自分の持てる力を発揮し、自分軸を取り戻し、まわりに惑わされず、
本来の輝きとパワーを取り戻し、やりたいことに進んでいけたら、
どれほど充実した人生が待っているでしょうか?

あなたの中に眠るダイヤモンドを輝かせるために一歩踏み出しませんか?
あなたの中に眠るチカラを目覚めさましょう。

5月27日(土)14:00~17:00
場所:丸ノ内線・四谷三丁目から徒歩3分のところ
料金:5000円
定員:6名(残3名)

今回は東京での個人コーチングの募集もしますので、その説明会も含めて行います。

お申し込みフォーム
(「5/27セミナー参加」とメッセージ欄にお書きください)


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またまつこさんとの遠隔セッションでの話。
セッションも進んでいって、だんだんと深い意識の話になっています。

今日気づいたことは、私にはヒットでした!


それはなにかというと、

出来事そのものはピュアであるということ。


どういうことかというと、
私たちは何に対しても、
自分の価値観や信念、観念、知識などの色眼鏡をかけて体験します。

そう、何に対しても。

自我がある限り、自分のフレーム抜きに物事を見るのは不可能です。

自我意識がなくなれば「自分」という存在を認識できませんから、
客体的に物事を認知することはできません。

自分を感じることができる自我があるから、物事を認識します。


私たちはいろんなことに悩んだり、問題視したり、挑戦したりするわけですが、
それをどのように受け取っているかは自分の判断なんですね。

起こっている出来事に人間のなんの価値観も判断もはさまないとしたら?


そう、ピュアなのです。

ただ起こっているだけ。

これに気づいた時、ひそかに感動しました。


「出来事そのものはピュアである」

ということは、この世の中のことすべて、ピュアなんですねー。

いやー、素晴らしいですね。

人間が色付けしているだけって話。(人間の世界においては)


観念やパターン化された知覚を取り外して見た世界ってどんなでしょうね?

共感覚はその身近なひとつだと思います。

この世界は音(振動)でできています。

振動しあっておこる共鳴現象を音で受け取るのか、形を構成するのか、色で見るのか、etc.
そういうことなのかな?とふと思いました。


共感覚を感じるワークショップは明後日です!
今回はまだ空きがありますので、ぜひお越しください。

開催日 1月31日(日)14:30〜16:00(開場 14:20)

会場  KYOTO de MEETING
    京都駅から徒歩2分!アバンティを南へすぐ!
    京都市南区東九条西山王町16−5 
    アーチウェイH・C 5階(東側のお部屋)
    https://1lejend.com/c/jYt/YXL0/yhND7/

料金:5000円

明後日です。今すぐクリック!

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つい先日、Amazonでたまたま見た本の説明を読んで泣いた。。。
量子力学の本で泣くか、、と思うのだが、泣けた。
その文章はこれ。
 ↓
--------------------------------------------- 
量子哲学の時代は、「人間復古」から「自然復古」へのイデオロギーのシフトで始まる。「人間復古」は神ではなく人間が意志を持つことを主張して始まったといえるが、「自然復古」では、人間のみならず全ての物質が意志を持つという主張から始まる。人間は機械ではなく自由意志をもつ多数の細胞が集まり、共生することにより成り立っている。21世紀が生命科学の時代であるのと期を一つにして量子哲学の時代が始まる。進化は突然変異では無く意志により起こる。細胞に意志が有り人間に意志が有るから進化が起こる。全ての個体に意志が有り、共生しているという思想が科学に価値観を付加する。それは量子力学がもたらした価値観である。
(「地球に真の平和をもたらす量子哲学」山田廣成著)

---------------------------------------------
 
「人間のみならず全ての物質が意志を持つ、、、」あたりから泣けてくる。
 
これはずっとずっと私の中にありながらも、実証されてなかった部分。 

こうして言葉にされ、学者さんに言われていることで、「そうなんだよ!ここにいるよ!いつもいたよ!」と私の中の60兆の細胞が喜び叫んでいるのか、私もこれを読んで「そうなんだよ!そうなんだよ!」と泣いた。
やっとわかってもらえる人に出会えた感じ。
 

「全ての個体に意志が有り、共生している」
 
そうなんだよ、、、と思って、著者さんのことを調べようと思ったら、
他の人のブログのこの人の本の記述でこんなことが書いてあって、
また「そうそうそうそうそう!」と連呼。
なんとなく感じていたことをはっきりと文章化してくれたうれしさでした。

それはこれ。
 ↓
---------------------------------------------
電子などの量子にも人間と同じ意志があるという学説。



山田教授が強く言われていた事に

電子と電子同士は常に対話を行っているという事。


対話とは情報のやり取りであり、それはエネルギーの移動は起きない。

その対話によって生まれるのが、場である。

場には階層が存在し、上位の階層は下位の階層に影響を与えていると。


例えば電子や原子などの量子同士が対話をして場を形成しています。

量子が集まって分子が構成され、分子同士の対話によって場が存在する。

分子が集まって元素になり、元素同士の対話で場が存在する。

そして元素が集まって細胞になり、細胞同士の対話で場が存在する。

細胞が集まって、様々な臓器が出来、臓器同士の対話で場が存在する。

その臓器がが集まって人間の肉体が出来、

人間同士の対話で場=人間社会が存在するというように。


そして同じ場の中にいる者同士は対話を行い

常に互いに影響を及ぼしあっている。


(中略)


すべての物質には、物質固有の意志が存在しており

その量子が自分の意志で結びつく事で

物質としての形を決定させ、その形を維持しているわけです。



この学説は、科学者として体系的に論理立てて組み立てられており、

電子には意志など無いというのであれば

それを否定するだけの倫理だった理論を持って

否定しなくてはいけない訳で、それは誰も出来ていないのです。

つまりこの事から、すべての電子、原子には

意志が存在するという仮説が成立します。


山田廣成教授とお会いして

---------------------------------------------


私はこれらを体感で感じていたわけですが、その小さな意志をもつものを「チ」「つぶつぶ」と呼んでみたり、微生物か細胞かなにかがそうなのか?と思って見たり、電子に意志があるのか?と思ってみたりしてました。
 
感じるけど、はっきりと「これだ!」とか「ここだ!」といえず、
感じるけど限定できなかった。
 
それを今こうして、言葉で説明してくれる学者さんに出会えたから
すごくありがたいですね。
 
まだ学説であり、証明されたわけではないでしょうが、
この学説に出会えた私はうれしいです。
  
先日の量子物理学者のゴスワミ氏のセミナーでも、秘教的宗教や禅、覚醒者などの体験に基づいて体系立てられていたものが、今こうして、量子物理学で説明がつくようになっているという話がありました。 

これから世界はこのような認識に基づいていくと思います。
人間界に違和感を感じ続けてきた私としてはうれしい限りです。
 
まだしばらくは移行期でしょうけど。


1ヶ月の集中コース、あと1名様(9日まで早割)。

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うちでは3年前からネコを飼ってますが、そのネコがよく生き物を捕まえてきます。

ここ数日、どういうことが展開されていたかはフェイスブックに書いたので、興味のある人はそちらをお読みください。

ネコが捕まえてきたた虫や小動物を見ていると、ネコに捕まえられるのを良しとしているように見えることがよくあります。
 
逃げられるのに逃げなかったり、どこかに隠れても数日後にまたネコの前に現れたり、外に逃がしたのにネコに捕まって戻ってきたり。

捕まったことで呪縛にかかるのか、、、?


私には、ブッタの逸話の、ウサギが「私を食べてください」と火に我が身を投げ込んだ話を思い出してしまいます。
 
ネコの獲物を見ていると、そんな感じなんですね。
 
もしネコに食べられ(あるいは遊ばれ)るために来たのだとしたら、「かわいそうだから」と逃がすことは、その生き物にとっては大きなお世話です。
 
捕まってきた生き物たちに尋ねたわけではないので真相はわかりませんが、捕まってからの様子を見ていると、そのように感じられる場合が多いです。
 
どんどんと弱っていく姿を目の当たりにするのは心痛みますが、私はそのままネコがするままにさせています。
ネコが飽きたり、ネコがいなくなったら逃がしますが。
 
 
畑仕事をしていても思いますが、自然界の営みは、人間の「殺すのはかわいそう〜」という同情や道徳をはるかに超えたレベルで行なわれています。
 
生態系、あるいは生命体として自分のいのちを他のものに捧げることは、他のものを活かすことになっているという当たり前のことをわかっているのは動植物のほうだなあと思います。
  
卵をたくさん生む生き物は、生存率が低いからそうなのではなく、他のもののエサになるためにそうなのだという話を聞いたことあります。 
 
これもまた人間が好きなように解釈しているのかもしれませんが、少なくともうちのネコや畑を見ているとそう感じます。
 

うちのまわりによく除草剤が撒かれるのですが、すごく自分勝手な話だと思うんです。
 
いわば、「邪魔だから殺す」って発想。
 「便利」「合理的」「好都合」という言い方もあるでしょうが。
 
それはそのまま人間社会にも反映されています。
 

ネコもトカゲをもてあそんで殺してるじゃないか?と言われると、確かにそうかもしれないですし、
「じゃあ、お前はどうなんだ?」と聞かれるなら、かなり自分勝手ですね。。。苦笑
 
ネコが獲物を捕まえてくるたびに、自然界の殺現場に遭遇するたびに、いろんなことを考えさせられます。


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私が思うことは私から発生したと思っているけれど、
本当はそうでないかもしれない。

私がここにこのようにいるのも、自分が歩んできた人生も、自分の感じたこともすべて、その時の関係性の中でなるべくしてなっているのかもしれない。

計りしれない知性がすべてを把握し、すべてを動かしているとしたら?
その大きな知性のために私たちは存在し、行動しているとしたら?


そこに自由意志がないわけではなく、
私たちの意識に浮かぶ逐一のことをその知性は知っている。

そのつど全体に影響し、その影響で私たちは思い、感じ、動かされていく。

私たちは動かされているけれど、動かしている。

私たちが考えること、思うこと、感じることはすべて宇宙全体に響き渡る。
その響きが私たちに考え、思い、感情をもたらす。

今この一瞬に自分から放たれるエネルギー(思考や感情など)によって
変化がもたらされる。

が、そのエネルギーは、宇宙の意図(知性)から縁起を通して与えられたものであり、私たちの自由意志のようで自由意志ではないが、自由意志が関与している。

このふたつは瞬時に同時に関係しあうので、
どちらが先と言うことはできない。

なぜならそこには時間は存在しないし、
この知性と自分の関係性も時間と空間を超えている。

私たちが大いなる知性に目覚める時、
宇宙のシンフォニーが聞こえ始めるだろう。




観ることすでに創造なり。
発することすでに創造なり。

宇宙の知性とつながり合う者、創造を知る。
想像から創造をもたらす者、この世界の秘密を知る。



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前にのせた動画ですが、新しい輪のでき方にすごく興味をもちました。



全体がいったん混ざりあって新しい輪が生まれて全体が整うという過程がとても気になったのですね。

そうしたらその意味がわかりました。

「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」という言葉を知り、私が気になっていたのはまさにそれだ!と思いました。

「クォンタム・リープ」というのは、量子物理学において、電子がひとつの軌道から別の軌道に移動するとき、間の空間を経ずに瞬時に移動することをいいます。
それと同じように、今までの思考から新しい思考のレベルへと一気に大きく跳躍することを「思考にクォンタム・リープが起こる」と表現しています。
驚天動地 クォンタムが解きあかす「世界の秘密」


この動画の実験はクォンタム・リープではなく、物理的に砂が移動していますが、輪ができるありさまがクォンタム・リープ的だと思いました。

そのうちクォンタム・リープが起こって、人類は大きな飛躍をするのだろうなと思います。


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前回のメトロノームの話にもつながりますが、周波数によって砂の模様が変わる実験の映像です。似た映像は以前にも載せたことあるので、見た人は覚えていらっしゃるかもしれません。



すべてのものが固有の周波数(振動数)をもっています。
それにより形が生まれます。

クロップサークルも高度な周波数技術を用いて作ったのかもしれないですね。


こちらの実験も興味深いです。


周波数を変えていくにつれ、輪が増えていきます。
輪が増えるときは、いったん輪が乱れて消えてからすっと新しい輪ができます。中心から輪ができて広がっていくわけではないのですね。


これを見ながら、この輪を「次元」と思うとおもしろなあと思いました。

1つの次元から次の次元に進む時に、それまでの世界はいったん形が崩れて混沌状態になり、新しい次元(輪)ができる。

周波数が高くなると古い輪(世界)では適応できなくなるので、新しい輪(世界)にならざるを得ない。そちらに移るには古い状態を保持しながらではいけない。

そういう風に見てとれます。


私たちの意識も次の輪(次元)に進むプロセスを歩んでいる最中です。
周波数が変わると形が変わってしまうように、価値観などががらりと変わってしまうのでしょうね。


こちらは音(振動)が液体を動かす様子です。
まるで生き物が生み出される過程のようです。
忙しい人は2:00から見てください。



これらの動画を見てから下の動画を見ると理解が増します。



音に形や色を観たり、形から音を聞いたり(観たり)するのは共感覚の一種ですが、周波数によって形が変わることを考えれば、そう不思議なことではないですね。

私は形に音を聞き、音に形を見る人なので、なるほどなーと思いました。
聞こえると言っても実際に音として聞こえるわけでなく、「音を観ている」と言うほうがしっくりきます。


世界は常にシンフォニーを奏でています。
いろんな音(振動、形)が共存して、いろんな協奏曲や模様を作っています。

そういう世界は、アーティストや、とくに知的障害の人でうまく表現している人がいますね。草間彌生の作品も振動を観て作品を作っていたように思います。

私たちの思考は理屈や観念で物を観てしまいますので、そういう世界になかなか接することができません。波動より固体を先に見てしまいますから。

これからは固体の物質としての感覚を超えて、振動、波動として感じる知覚も養うといいと思います。

そうすることにより、新しい世界が現れてくるでしょう。


今まではひとりひとりが楽器を上手に弾こうとがんばってきましたが、もうそろそろ全体の音を聴きながら自分の音を奏でていく、つまり共にひとつの音楽を作り出していく、そういう感覚にシフトしていく時期だと思います。


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バラバラに始まったメトロノームがだんだんと足並みを揃え、最後には完全に一致する様子は圧巻です。




ヤフー知恵袋の質問の答えにこのように書いてありました。

共振とよばれるものですね。条件は互いに運動を影響しあうように、例えばすべてを1つの板にのせ、板全体がつるされて自由に動くことが必要で、メトロノームの周期自体も揃えます。メトロノームの反作用で板が動くと考えられますが、同期していないとばらばらな動きになり板はほとんど動かないと同時に自分の運動が本来は動くべき板が動かないので邪魔されます。やがてお互いに揃うようになり、板は本来の動きで振動します。

一本の糸を平行に張り長さの等しい振り子を2つつけると、ばらばらで動いていたものが揃います。ブランコでこれをやっても同期しないのは上の鉄の横梁が強く互いの運動を孤立させるからです。


同期現象は自然の中でも見られます。
女性の生理が重なってしまうのも似た現象なのでしょう。

ホタルの同期



これらを見て思うのは、私たち人間も自然の一部であるからには、自然の法則には逆らえないということ。

「魚座から水瓶座の時代に入る」というような天体の出来事が引き起こす流れからは私たちは逃れられないですから、それに逆行しようとするよりは時代の波に乗っていくのが賢明でしょう。

新しい時代に向けて人の心も変化していっています。

宇宙船地球号の一員として、気づいた人たちから地球の意識に波長を合わせていくと、そのうねりはいつしか全体に広がっていくと思います。

メトロノームひとつひとつは小さな力ですが、全部が揃うとなかなかの圧巻です。
人間ひとりひとりは小さな力かもしれませんが、何かに対して波長が揃うとすごい力を発揮できると思います。


少し視点を変えてみると、

メトロノームが同期して同時に動いている姿は軍隊が行進しているようにも見えます。

誰も「合わせなさい」と言ってないのに、自然に同じ動きをするようになっていきます。

こういう現象や力を支配的に使うと、私たちは知らぬ間にそのように行動して、あたかもそれが正しい、あるいはあたりまえであるかのように思って疑いません。

疑わないどころか、違う動きをするのであれば、異端視されます。

私たちはそういう世界を生きていますが、気づかないということがなによりも恐いですね。


自分の生活のなかで、知らずして従っていることがないか?

実は山のようにあります。

それに気づいて、本当にそうするのがいいのか? 

今一度、見直してみるといいと思います。


それに気づいて初めて、それに対して自分はどうしたいのか?の選択ができるようになります。

悪いことだけでなく、いいことで気づいていないことも多いと思います。

洗脳されて行動していることに気づけば、それを見直すことができます。

気づいていなかった恩恵に気づけば、いかに自分が恵まれているのか、感謝の気持ちがわき起こるでしょう。

メリークリスマス! God bless you!


こちらは振り子の様子。まるで生き物のような動きです。



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