いのちおり - 本来の自分に還るために

さあ、未来の自分に還る旅に出よう!
人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 宇宙法則、自然の摂理

今日は再びスズメの話です。

前の記事でもスズメの話を書きました。→ 蜘蛛とヤモリとスズメと猫と

この時は、スズメに「うちの猫の相手せんでもいいから。もし逃げたかったら逃げてもいいよ。」と言ったら、スズメが逃げたという話でした。

通常、逃げないので、不思議に思ったのですが。

自然界では、生死において、人間とは全く違う認識と感覚があるんだろうなーと、
猫が獲物を捕まえてくるたびに思います。

捕まった獲物は、なぜか本気で逃げない。

先日の「たくみの会」で、”人が消える”、”固まってしまう” という状況を目の当たりにして、
猫も同じことをしているのかもしれないと思いました。

つまり自然界の生死のあり方や循環がうんたらかんたらではなく、
ただ単に獲物が逃げなくなるような作用を猫が起こしているのではないか?ということ。

この懸念は以前からあったけど、この時はそうだと思った。


が、今回のスズメ事件はそれをまた覆してしまいました。

ことの起こりは、猫がまたスズメを捕まえてきたことに始まります。

最初は、私はそのまま放置してました。
適度に猫がスズメと遊んでいます。
ちょこっと血が落ちていたので、少し怪我もしているらしい。
スズメはバタバタはするけど、やはりそんなに逃げません。

私は、もう一回してみようと思って、
「もし逃げたかったら逃げてもいいよ。うちの猫の相手せんでもいいから。」と言いました。

そしたら、スズメはすぐにバタバタと飛んで、タンスの後ろに隠れてしまいました。
その後、猫はスズメを取り出そうと手を突っ込んで頑張るのですが、出すことはできず。

あとでまたちょっと捕まりますが、すぐに違う隙間に入ってしまい、
そのうち猫はあきらめて外に出ていってしまいました。

猫があきらめて出ていったので、チャンスと思って、スズメを捕まえて逃がそうとしたら、
バタバタと飛び立ちました。

猫に捕まると高いところには飛ばないのに、私が捕まえようとしたら、
天井の方をあちらこちらと飛んでなかなか捕まえられません。

ならば、と窓を開けたらそのうちそこから飛び立って行きました。

無事元気なままで逃げてくれてよかったです。

が、またまたどういうこと?と思ってしまいました。

猫が戯れる時は、ほとんどのスズメが高く飛びません。
飛べるのに飛ばない。本気で逃げているようには思えません。

が、私が捕まえようとしたら高いところばかり飛んで捕まえられない。

スズメは猫に捕まえられることを良しとしているのか?という私の疑問は再び浮上。

真相は未だわかりません。

自然界のこの関係性がわかったら、人間の価値観にも大きな変化がもたらされるのではないか?と思います。

弱肉強食の世界というのは、一つの人間の価値観を投影したものだと思います。
自然界にはそれとは違うルールがあるようです。

自然には学ぶことがたくさんありますね。


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ま今公開の映画「メッセージ」を見ました。
着眼点がすごくいいなと思いました。

面白かったのが、宇宙人は何もしていないのに、人間が勝手に解釈して
反応していく様がすごくエゴのあり方に似ているなーと思ったこと。

その辺りはうまく表現されていたなと思います。

二つ、見てよかった点があります。
以下、ネタバレあります。


一つは、宇宙人の使っていた言語というか、文字。

これは私が「象徴言語」というものと同じだと思いました。仲間がいてうれしい

つまり、情報を読み取る力。

アルファベットやひらがななどのように形が決まっていない文字なのですが、
墨で書かれた丸の形のハネや向きなどの微妙な違いに意味が含まれ、読み取ります。

私が何かのメッセージを受け取る時もシンボルや何かの形である場合が多いです。

そこに含まれる情報はたくさんあり、直感的に瞬時に「あ、そう」と理解できますが、
左脳的言語解釈になると、たくさんの説明が必要となり、なかなか伝えづらい。
自分に言語障害があるのではないかと思うほど。

言葉は、どういう状況でどんな風にそれが発せられるかによって意味が違います。

「すき」と言っても、恋愛の好きなのか、お愛想の好きなのか、友達としての好きなのか、
油断して隙があるの隙なのか、ただ音として「す」と「き」をつなげて言っただけなのか、
いろんな意味に取れます。

また「好き」と言っても、なぜ好きなのか、その理由や、相手に対する思いや自分への思い、お互いの間で起こっている微妙な感情など、その「好き」という言葉の中にいろんな思いや記憶が含まれています。

もっと言えば、人類が始まってその言葉が生まれて今に至るまでに、その言葉の集合的な情報場があります。
その言葉からどこまでを読み取るのかによって、その含蓄は全然変わります。

通常私たちは、その時のその場のコンテクストによってその意味を読み取ります。


言葉は進歩なのか、退化なのか?

微妙なところです。

言葉があることによっていろんな伝達が具体的にできるようになりましたし、文字が生まれたことで記録ができるようになりました。

でも昔は、情報空間にある情報を読み取る力が長けていたと思うので、一つを聞いて十を知るようなことがよくあったと思います。

例えば、天候についてよく知っている人は、空を見たり、風や湿気を感じるだけで、いろんな情報を読み取り、天気予報を見なくても「明後日雨だね」とわかったりします。

天候の知識をよく知っているからという場合は、象徴言語ではなくて知識です。

象徴言語は「ニュアンスを読み取る」に近い。行間を読む感じ。
そこに含まれる情報を、目に見えているものや今までの知識による理解ではなく、
ざっくり違うゲシュタルトを構成してしまうような。


私がいう「象徴言語」はそういうもので、実は日常に溢れています。

夢も一つの象徴言語です。

夢辞典を引くよりも抽象度高くその夢を省みることができたら、
そこに込められたたくさんの情報を読み取ることができるでしょう。

日常で起こっている全ても象徴言語ですが、それを読み取る(繋げる)のは意識です。

数式もその一つですね。

数学者や物理学者が描く数式は私にはチンプンカンプンですが、
彼らにとっては数式一つが宇宙の法則をあらわしていたりします。

数えられるほどの文字数の数式ですが、そこに含まれる情報は膨大です。

そういうものを私は「象徴言語」と呼ぶのですが、「右脳言語」と呼んでもいいでしょう。


映画では、宇宙人がそういう類の言語を使っていたのですが、
もともと日本語はそういうものだったようですね。

「あ」の音には、宇宙の始まりから始まる「あ」の意味があり、
「お」には「お」の意味があり、全ての音にはそれぞれの宇宙があります。

私たちはその音を忘れてしまいましたが、人間がもっと進化すれば、
また森羅万象が話す声が聞こえてくるでしょう。

結局のところ、情報を読み取る力です。

六芒星のシンボルを見て、三角が二つ合わさっているとだけ見るのか、
この形にまつわるいろいろなエネルギーまで読み取るのか?

1本の鉛筆を見て、その鉛筆の元となった木やその木のあった場所まで情報収集できるのか?


「バタフライ効果」という言葉があります。

アマゾンの蝶の羽ばたきがハリケーンを生んでしまうというように、小さな些細なことが起こったことがいろんな要因と繋がり、大きな変化を生み出すことを言います。

今日、私が蹴った石ころが十年後に地震を起こしたなんて関連付けはしようがありません。

けど、そのような事象のつながりを一瞬にして理解して、物事を見ることができるのが象徴言語です。

そしてこれからはそのような理解をする人が少しずつ増えていくでしょう。

これに長けた人たちが集まると、理解するのにほとんど言葉が入らなくなります。
テレパシーと呼ぶ人もいるでしょう。

でも超能力ではなく、超言語です。

アーティストはけっこう使えるのではないでしょうか?
あと、共感覚者も。


ということで、もう一つの気づきは次回へ、、。


これを書きながら気づいたことが一つ。
昨夜、夏至における変化で気づいたことがあったのですが、それにつながっていきますねー。
象徴言語のあり方と新しい自我形態と。


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さて、蜘蛛ヤモリと続き、スズメの話。

これは蘇生やヒーリングの話ではありません。
自然界はどうなっとんじゃー?という話です。

うちの猫は時々、スズメを捕まえてきます。
最初のスズメ事件は、なかなかショッキングで、ブログにも書きました。
→ こちらの記事

今までに食べられたスズメの数はもう二桁になると思います。

野良お母さんに自立の術を教えてもらっている時に、スズメの捕り方を学んだのでしょう。
猫は子供の頃に食べたものを食べ物として認識するらしいです。
スズメ、食べてたんだろなー。

それはともかく、猫が獲物を捕まえてくる時、通常、私は放置します。
心痛いですが、いらぬ手出しをしないほうがいいかなと思います。

前回の記事で書いたように、捕まえられた獲物のほとんどは必死で逃げません。

猫が飽きてしまっても、まだ元気な時は外に逃がしますが、
なぜかまた猫に捕まって戻ってくることがよくあります。

一度捕まったら、あきらめに入るのか、身を捧ぐのか、蛇に睨まれた蛙のようなものなのか。
やられに戻ってきたとしか思えないような時もあり、不思議です。

今まで捕まえてきた獲物で、最後まで必死に逃げようとしたものは、ほんと数少ないです。


さて、今回のスズメ事件。

先日、家の本棚の奥に、小ネズミの寝床を発見し、時々小ネズミが姿を現してました。
その頃、猫が獲物を捕まえてきたので、ついに小ネズミ、ジェリーちゃんが捕まったか!?
と思ったのですが、それはスズメでした。

かわいそうに、と思いましたが、いつものようにタッチせず。
ただスズメに言ったんですね。

「うちの猫の相手せんでもいいから。もし逃げたかったら逃げてもいいよ。」と。

今まで言ったことはないですけど、なぜかこの時は言いました。

猫はやんわりとスズメにじゃれていましたが、
そのうち、スズメが飛んでカーテンの後ろに逃げ隠れました。
取ろうとするのですが、手が届かず、そのうち猫はあきらめて離れていきました。

こういうことはあまりないんですが、私は逃すチャンスだと思い、
スズメを捕まえて外に出すと、空に飛んで行きました。

そこで不思議に思ったんですね。
今日「逃げてもいい」とスズメに伝えたら、本当に逃げた、、、。

たまたまだったかもしれないけど、今までの猫と獲物の関わりを見ていると、
殺されに戻ってきているように見える獲物が多かったのに、
「逃げてもいい」と言ったらすんなり逃げた。

どういうこと?

理性が追いつかず、何かリンクすべきものがしていない気分でしたが、
スズメが元気なまま飛んでいってよかったなーと思いました。


そして、翌朝。
猫がバタバタしているので、小ネズミを見つけたか、、と思って寝てましたが、
そのうちバリバリと食べている様子。

ついに、、と思いましたが、そのまま寝入ってしまい、起きてから見てみたら、、、、。

羽が散らばってました。。。

そう、猫が捕まえたのは小ネズミではなく、スズメでした。
前の日に逃がしたスズメかどうかはわかりませんが、
スズメを逃がした日の翌日朝、猫はご馳走にありつけたわけです。

「だからなんなのよ?」と聞かれても、「だからなんなの?」といいたいのは私。

たまにしかスズメを捕まえてこないのに、逃がした翌日に捕まえているという偶然が
なにやら語っているような気がしてならないのです。

それが何かはわからないですけど、、、。

蜘蛛は生き返り、ヤモリは生き返ったのと、死んだのと、
スズメは生き返るもなにももう猫の胃の中。

逃がしたけど捕まった。違うスズメかもしれませんが。
やっぱり捕らわれることになっていたのか?


多分、私が考えているいのちだとか、全体性だとか、個であること、自然界、自然の摂理、集合体、ネットワーク、縁起、繋がり、などなどのヒントを見せてくれてるんだと思うけど、まだこの事象からは答えが見つかっていません。

夢と同じで、これらのことは「象徴言語」なので、
時間を含めた立体的象形文字みたいなもんだと思います。

それはどういうことかというと、、、続く。

(注:写真はうちのネコちゃんではありません)


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この記事は、昨年かもっと前に書いて、そのまま保存されていたもの。

なぜ地球では他のいのちをいただくことで生きていく構造になっているのか?
そうしないとありがたみがわからないからか?

また暖かい季節になって、ネコが生物を捕まえてくる。
昨年も思ったのだけど、ネコに捕まえられる生物は、そのために現れてくれたのではないか?と思うことがよくある。

その理由の一つに、いったん捕まると、本気で逃げないものが多い。
生理的現象や自然現象で、いったん捕まったら何かが麻痺して逃げなくなるのかもしれない。

本で、ある実験で、あきらめることを覚えた犬はもう挑戦しなくなったという話を読んだ。
それと同じ現象か。

でも、捕まえてきた獲物(とかげなど)をまだ元気な時に逃がしても、
いつもまたつかまって戻ってくるのは、その理論では解せない。

先日は、押し入れに逃げたトカゲが数日後、わざわざネコの前に現れて、また遊ばれてご臨終された。

そういう光景を何度も見ると、私が途中で猫を遮って逃がすことは
つかまったトカゲにとっては迷惑なことではないのだろうか?と思ってしまう。

トカゲはせっかくネコにつかまりにきているのに邪魔しないで、という感じ。

なので、人間的な判断は介入させず、獲物を捕まえてきたときは、
ネコが飽きてしまうまではそのままにしている。


今日は蝶を捕まえてきた。
食べてくれたらよかったが、羽がちぎられ、触覚がひとつになった状態で生かされてしまった。

見てて心が痛むのだが、どうしようもない。
逃がしてももう生きていけないことはわかっている。

いっそのこと殺したほうが楽なのか、そのままでも寿命が続く限り生かしておくべきか?

と思いながら、外の草の上にそのまま生かして置いた。

猫が獲物を捕まえてくるたびに思うことだけど、これがこの世界なのだなと思う。
ただ自然界は生死について、人間とは違う価値観で動いている。

畑仕事をしていても思う。

虫がいて、植物があって、微生物がいて。
その中で食いつ食われつ、共存している。


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自然の摂理には従うべきか、人間の進化はそれを超えるのか?

また映画「ドクター・ストレンジ」の話から発展させて、、、

ドクター・ストレンジは、自然の摂理に反して、時間の閉じた輪を作って地球を救ったことに対して、「時間の逆行という自然の摂理に反した代償はいずれお前に返ってくる」とある人物(モルド)に警告されます。

理由が正義でも、自然の摂理に反することをすれば、いずれカルマとなり、
その穴埋めをせざるを得なくなるとモルドは考えます。

魔法を使う=自然の摂理に反する。

モルドは、半身不随から自力で力をつけ、復帰した男の力を、
それは「お前の力ではない」と奪い、元の半身不随状態に戻します。


彼は、「自然の摂理に反することは悪である」という考えに変わります。

善側にいた彼は、彼の中の善悪の判断で正しいと思ったことをしたわけですが、
この行為は他者から見れば、悪の行為に見えるでしょう。

善悪に分けようとする行為は人間が行うことです。
そこに立っている限り、これは「正しい」「これは正しくない」と
境界線を引くことになります。

それはエゴが起こしている行動です。


善悪の判断を持つ人間が自然の摂理とどのように関わっていくのか?
という問いかけがなされています。

人が人である限り、エゴから抜け出ることはできません。

善の行為も悪の行為もエゴから発生しています。
この映画では善と悪の境界線を揺るがせています。

違う側からの視点を繰り返し見せて、
「人間とは何か? どう生きるべきか?」を問いかけてきます。


医学的なところからの問いかけもあります。

ドクター・ストレンジが最初は、西洋医学の物理的な次元での名医だったのが、
事故により身体がうまく使えなくなり、魔術と言えるエネルギーの使い方を学ぶことで復活します。

それはすごい力と思われていましたが、自然の摂理に反することはやってはいけない
という視点もこの映画では交えています。

悪とみなさないにしろ、自然の摂理に反した行為であれば、いずれそのつけが回ってきます。

運命に手を加えるべきか、受け入れるべきか?
魔法を使って幸せになってもいいのか?いけないのか?
自然とは何か? 人間とは何か? 善とは何か? 悪とは何か? 医療とは?

いろんな問いかけががいろんな角度からなされていて、答えが出てないんですね。

続きがあるような終わり方でしたから続編が出るのでしょうが、
善とも悪とも決めず、両サイドの視点を見せながら結論を言わないところなどは
もののけ姫を彷彿させます。


映画に出てきた言葉なのか、自分で書いたのか、もう覚えていませんが、
この映画を見た日に書いたメモの最後に、

「魔術の真髄は問いかけから始まる」と書いてました。


運命に手を加えるべきか、受け入れるべきか?

ダイナミックな縁起の中でどうあるか?

自然になる、委ねるとは?

などクエスチョンが出てくるけど、答えが私たちに与えられてないがゆえに、
見る側が考えざるを得なくなります。

自分はこれが言いたいという自己主張型ではなく、
答えは見ている人に委ねられるという表現は東洋的だなと思いました。


これからテクノロジーがもっと発達していくとますます、
この「魔法を使ってもいいのか?」というところが論議の的になりそうです。
今までも、遺伝子組み換えや人工授精や人工知能、臓器移植など論議されてきていますが。

最近、「魔法」がまたブームになってきていますが、テクノロジーは現代の魔法です。

昔の人間や自然の潜在能力を使った魔法と、テクノロジーが見せる魔法とどう違うのか?
どこで境界線を張るのか? どこまで人間が手をつけていのか?
道徳、モラルはどう関わるのか?

もう一度見直してみるといい時期なのでしょう。


  


5/27(土)東京でセミナーを行います。

なんとなく過ごしていれば、なんとなく人生が終わってしまいます。

あなたはどのような人生を歩みたいですか?
望む生き方をしていますか?

あなたが自分の持てる力を発揮し、自分軸を取り戻し、まわりに惑わされず、
本来の輝きとパワーを取り戻し、やりたいことに進んでいけたら、
どれほど充実した人生が待っているでしょうか?

あなたの中に眠るダイヤモンドを輝かせるために一歩踏み出しませんか?
あなたの中に眠るチカラを目覚めさましょう。

5月27日(土)14:00~17:00
場所:丸ノ内線・四谷三丁目から徒歩3分のところ
料金:5000円
定員:6名(残3名)

今回は東京での個人コーチングの募集もしますので、その説明会も含めて行います。

お申し込みフォーム
(「5/27セミナー参加」とメッセージ欄にお書きください)


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人類が進化して、物質次元の意識から波動レベルの意識になった時、
時間の概念もまるっきり変わる。

物質の世界だと、生じる(誕生)と消滅(死)することが対になっている。

人間も生まれると死ぬ。
これからはテクノロジーの発達で、死なない身体になる可能性もあるけれど。

波動で構成されている自分に気づくことは、自分という情報も波動であると気づくことだし、
その他すべてもそうだと気づくこと。

そこを自在に扱えるようになると、時間も行き来できる。

行き来できるというより、時間も幻想で作り出されているものだから、
一瞬で時間が作り出され、どの時空へも行けることになるだろう。

過去の人、亡くなった人に会うこともできるし、想像し得る未来に行くことも可能になる。

それは意識の世界で、無限に作り出されるタイムラインの一つにアクセスすることなので、
実際は過去や未来に行っているわけではなく、「今」の話になる。

「今の自分が、無限に広がる「現在」「過去」「未来」につながる」
という言い方のほうがいいだろうか?

でも「今の自分」ってのも刹那的な幻想だしな。

たくさんの人がそれができるようになると、死はあってないようなもの。

肉体の死はあってもその人の意識体はあるわけだし、
その意識体の情報が完全に離散しない限りは、その人の情報にアクセスすることができる。

「その人の情報」とはその人を成しているものなので、その情報にアクセスして、
その人と会うことを意図すれば、会うこともできるだろう。

けど、亡くなった人にそういう認識なければ、多分、一方通行のアクセスとなり、
やりとりをすることは難しくなるのかもしれない。

それさえも自分の意識によって織りなされている夢だと思えば、
虚しさを感じることもあるかもしれない。

生きている間にその認識を得てしまえば、あちらからこちら、
こちらからあちらとのやりとりもそう難しいことではないのではないだろうか?

と先日、思った。


私の場合、パッと図式で出て、「なるほど、そうかー!」となるんだけど、
それを言葉で説明しようとすると、すごく回りくどくなって、
なんか微妙に意味が違う気もします。
けど、書いてみたらこんな感じになりました。

もう時間も自在になる時期に来てるんでしょうね。
もともと時間も幻想だしね。


今月の最初にこの記事になるのも3月を示唆しているものがあると思います。
けど、これを思いついたのは先日の新月の日頃でした。

3月のメッセージは、明日載せます〜。


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何かで読みました。

昔、中国のとあるところで日照りが続きました。
困り果てた農民は、ある賢人に「どうにか雨を降らせて下さい」と頼みました。
彼はやってきて、用意された家に数日間こもり、瞑想しました。

すると,雨が、、、。

そうです。降ってきたのです。


農民は聞きました。

「一体あなたはどのようにして雨を降らせたのですか?」

賢人は答えます。

「ただ乱れていた気をもとにもどしただけじゃわい」


とまあ、こんな話だったと思います。

人間の心が乱れているとその波動が天にも地にも届き、
天候にも響いて天災も起こりやすくなります。
人が天地に影響を与えると同時に、天体も人に影響を与えます。

人の心がどのようであるかは地球の状態に影響します。
今の地球の状態を見れば、いかに私たちの心が荒んでいるかがわかります。
それは私たちの生き方にも影響を与えています。

同時に、地球の美しいところも山ほど残っています。

天気がよければどこでも見られる夕焼けの美しさ、今なら桜の美しさ、
自然はもったいぶることなく、美しい姿を見せてくれます。

私たちはまだまだ自然に学ぶことが多いです。

自分の幸せに目を向けることも大事ですが、自分のことだけ考えるより、
自分が好きなことをすることで人が幸せになり、
自然も元気になることを考えるほうが楽しいですね。


この記事はずいぶん前に書いて保存されたままだったのですが、
改めて読んでみて、以前よりよくわかると思いました。

これは賢人にしかできないことかというとそうではなく、
誰にでもできることです。

するにあたっては、自分の都合だけでするわけにはいきません。

雨を降らせることによって起こる影響をすべて把握して
それでもする必要があるか?と考えると、
なかなか自分のことだけ考えてはできませんね。

偉大な魔法使いは滅多なことでは魔法を使わない
というのはそういうことだと思います。

世の中の成り立ちや仕組みを深いところから理解するなら、
なにも変える必要がないというところに至るのでしょう。

この賢人も頼まれて必要性を感じたのでしたのでしょうが、
頼まれなかったがなにもしなかったかもしれないですね。

あなたの人生も今のままで最高にすばらしいんだと思います。

もしそう思えなかったら、気が不調和になっているでしょうから、
気を整えることを心がけましょう。


気とイメージと身体感覚を感じながら、
意識と無意識を探っていくワークショップです。

4月9日(土)13:30~15:30
京都四条駅/烏丸駅から徒歩5分
料金:4000円+飲み物代
定員:5名

お申し込みフォーム

「その他」にチェックして、メッセージ欄に「4/9セミナー参加」とお書きください。


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またまつこさんとの遠隔セッションでの話。
セッションも進んでいって、だんだんと深い意識の話になっています。

今日気づいたことは、私にはヒットでした!


それはなにかというと、

出来事そのものはピュアであるということ。


どういうことかというと、
私たちは何に対しても、
自分の価値観や信念、観念、知識などの色眼鏡をかけて体験します。

そう、何に対しても。

自我がある限り、自分のフレーム抜きに物事を見るのは不可能です。

自我意識がなくなれば「自分」という存在を認識できませんから、
客体的に物事を認知することはできません。

自分を感じることができる自我があるから、物事を認識します。


私たちはいろんなことに悩んだり、問題視したり、挑戦したりするわけですが、
それをどのように受け取っているかは自分の判断なんですね。

起こっている出来事に人間のなんの価値観も判断もはさまないとしたら?


そう、ピュアなのです。

ただ起こっているだけ。

これに気づいた時、ひそかに感動しました。


「出来事そのものはピュアである」

ということは、この世の中のことすべて、ピュアなんですねー。

いやー、素晴らしいですね。

人間が色付けしているだけって話。(人間の世界においては)


観念やパターン化された知覚を取り外して見た世界ってどんなでしょうね?

共感覚はその身近なひとつだと思います。

この世界は音(振動)でできています。

振動しあっておこる共鳴現象を音で受け取るのか、形を構成するのか、色で見るのか、etc.
そういうことなのかな?とふと思いました。


共感覚を感じるワークショップは明後日です!
今回はまだ空きがありますので、ぜひお越しください。

開催日 1月31日(日)14:30〜16:00(開場 14:20)

会場  KYOTO de MEETING
    京都駅から徒歩2分!アバンティを南へすぐ!
    京都市南区東九条西山王町16−5 
    アーチウェイH・C 5階(東側のお部屋)
    https://1lejend.com/c/jYt/YXL0/yhND7/

料金:5000円

明後日です。今すぐクリック!

こちらのフォームからお申込みできます


メルマガでもいろいろ書いています。
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「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」受付中です!

ショートメッセージの受付は明日30日までです!

あなたに向けてオリジナルメッセージを書き下ろします。
今年はロングバージョンも加わりました。

前に進みたい時、迷いが生じた時、凹んだ時、
そのメッセージはきっとあなたを励まし、軸に引き戻してくれるでしょう。


・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・


人はなぜ夢を叶えたいと思うのでしょうか?
人はなぜもっと豊かになりたいと思うのでしょうか?

人生を豊かにしていくには、自分自身が豊かになること。


私たちは不完全体としての認識を持ち、
完全なるものを求める傾向があります。


不完全ということは、何かが足りないということ。

それから発想している限り、
「満たされたい」という思いがつきまといます。


それがあるがゆえに私たちは成長してきたのだけれども、

不完全なままですでに完全である

としたらどうでしょう?


・・・というより、不完全/完全という認識自体が
まずは問われなければならないと思います。


完全になってしまえば成長が止まります。
つまりそこで終わりです。


不完全なままに、より完全に近い状態を目指して成長し続けること。

そうやって成長し続けることが
豊かになるということではないでしょうか?



「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」のお申し込みはこちらから。
ショートメッセージの受付は明日30日までです!お忘れなく!
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今までのメッセージの一部がこちらに載せてます。
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つい先日、Amazonでたまたま見た本の説明を読んで泣いた。。。
量子力学の本で泣くか、、と思うのだが、泣けた。
その文章はこれ。
 ↓
--------------------------------------------- 
量子哲学の時代は、「人間復古」から「自然復古」へのイデオロギーのシフトで始まる。「人間復古」は神ではなく人間が意志を持つことを主張して始まったといえるが、「自然復古」では、人間のみならず全ての物質が意志を持つという主張から始まる。人間は機械ではなく自由意志をもつ多数の細胞が集まり、共生することにより成り立っている。21世紀が生命科学の時代であるのと期を一つにして量子哲学の時代が始まる。進化は突然変異では無く意志により起こる。細胞に意志が有り人間に意志が有るから進化が起こる。全ての個体に意志が有り、共生しているという思想が科学に価値観を付加する。それは量子力学がもたらした価値観である。
(「地球に真の平和をもたらす量子哲学」山田廣成著)

---------------------------------------------
 
「人間のみならず全ての物質が意志を持つ、、、」あたりから泣けてくる。
 
これはずっとずっと私の中にありながらも、実証されてなかった部分。 

こうして言葉にされ、学者さんに言われていることで、「そうなんだよ!ここにいるよ!いつもいたよ!」と私の中の60兆の細胞が喜び叫んでいるのか、私もこれを読んで「そうなんだよ!そうなんだよ!」と泣いた。
やっとわかってもらえる人に出会えた感じ。
 

「全ての個体に意志が有り、共生している」
 
そうなんだよ、、、と思って、著者さんのことを調べようと思ったら、
他の人のブログのこの人の本の記述でこんなことが書いてあって、
また「そうそうそうそうそう!」と連呼。
なんとなく感じていたことをはっきりと文章化してくれたうれしさでした。

それはこれ。
 ↓
---------------------------------------------
電子などの量子にも人間と同じ意志があるという学説。



山田教授が強く言われていた事に

電子と電子同士は常に対話を行っているという事。


対話とは情報のやり取りであり、それはエネルギーの移動は起きない。

その対話によって生まれるのが、場である。

場には階層が存在し、上位の階層は下位の階層に影響を与えていると。


例えば電子や原子などの量子同士が対話をして場を形成しています。

量子が集まって分子が構成され、分子同士の対話によって場が存在する。

分子が集まって元素になり、元素同士の対話で場が存在する。

そして元素が集まって細胞になり、細胞同士の対話で場が存在する。

細胞が集まって、様々な臓器が出来、臓器同士の対話で場が存在する。

その臓器がが集まって人間の肉体が出来、

人間同士の対話で場=人間社会が存在するというように。


そして同じ場の中にいる者同士は対話を行い

常に互いに影響を及ぼしあっている。


(中略)


すべての物質には、物質固有の意志が存在しており

その量子が自分の意志で結びつく事で

物質としての形を決定させ、その形を維持しているわけです。



この学説は、科学者として体系的に論理立てて組み立てられており、

電子には意志など無いというのであれば

それを否定するだけの倫理だった理論を持って

否定しなくてはいけない訳で、それは誰も出来ていないのです。

つまりこの事から、すべての電子、原子には

意志が存在するという仮説が成立します。


山田廣成教授とお会いして

---------------------------------------------


私はこれらを体感で感じていたわけですが、その小さな意志をもつものを「チ」「つぶつぶ」と呼んでみたり、微生物か細胞かなにかがそうなのか?と思って見たり、電子に意志があるのか?と思ってみたりしてました。
 
感じるけど、はっきりと「これだ!」とか「ここだ!」といえず、
感じるけど限定できなかった。
 
それを今こうして、言葉で説明してくれる学者さんに出会えたから
すごくありがたいですね。
 
まだ学説であり、証明されたわけではないでしょうが、
この学説に出会えた私はうれしいです。
  
先日の量子物理学者のゴスワミ氏のセミナーでも、秘教的宗教や禅、覚醒者などの体験に基づいて体系立てられていたものが、今こうして、量子物理学で説明がつくようになっているという話がありました。 

これから世界はこのような認識に基づいていくと思います。
人間界に違和感を感じ続けてきた私としてはうれしい限りです。
 
まだしばらくは移行期でしょうけど。


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うちでは3年前からネコを飼ってますが、そのネコがよく生き物を捕まえてきます。

ここ数日、どういうことが展開されていたかはフェイスブックに書いたので、興味のある人はそちらをお読みください。

ネコが捕まえてきたた虫や小動物を見ていると、ネコに捕まえられるのを良しとしているように見えることがよくあります。
 
逃げられるのに逃げなかったり、どこかに隠れても数日後にまたネコの前に現れたり、外に逃がしたのにネコに捕まって戻ってきたり。

捕まったことで呪縛にかかるのか、、、?


私には、ブッタの逸話の、ウサギが「私を食べてください」と火に我が身を投げ込んだ話を思い出してしまいます。
 
ネコの獲物を見ていると、そんな感じなんですね。
 
もしネコに食べられ(あるいは遊ばれ)るために来たのだとしたら、「かわいそうだから」と逃がすことは、その生き物にとっては大きなお世話です。
 
捕まってきた生き物たちに尋ねたわけではないので真相はわかりませんが、捕まってからの様子を見ていると、そのように感じられる場合が多いです。
 
どんどんと弱っていく姿を目の当たりにするのは心痛みますが、私はそのままネコがするままにさせています。
ネコが飽きたり、ネコがいなくなったら逃がしますが。
 
 
畑仕事をしていても思いますが、自然界の営みは、人間の「殺すのはかわいそう〜」という同情や道徳をはるかに超えたレベルで行なわれています。
 
生態系、あるいは生命体として自分のいのちを他のものに捧げることは、他のものを活かすことになっているという当たり前のことをわかっているのは動植物のほうだなあと思います。
  
卵をたくさん生む生き物は、生存率が低いからそうなのではなく、他のもののエサになるためにそうなのだという話を聞いたことあります。 
 
これもまた人間が好きなように解釈しているのかもしれませんが、少なくともうちのネコや畑を見ているとそう感じます。
 

うちのまわりによく除草剤が撒かれるのですが、すごく自分勝手な話だと思うんです。
 
いわば、「邪魔だから殺す」って発想。
 「便利」「合理的」「好都合」という言い方もあるでしょうが。
 
それはそのまま人間社会にも反映されています。
 

ネコもトカゲをもてあそんで殺してるじゃないか?と言われると、確かにそうかもしれないですし、
「じゃあ、お前はどうなんだ?」と聞かれるなら、かなり自分勝手ですね。。。苦笑
 
ネコが獲物を捕まえてくるたびに、自然界の殺現場に遭遇するたびに、いろんなことを考えさせられます。


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私が思うことは私から発生したと思っているけれど、
本当はそうでないかもしれない。

私がここにこのようにいるのも、自分が歩んできた人生も、自分の感じたこともすべて、その時の関係性の中でなるべくしてなっているのかもしれない。

計りしれない知性がすべてを把握し、すべてを動かしているとしたら?
その大きな知性のために私たちは存在し、行動しているとしたら?


そこに自由意志がないわけではなく、
私たちの意識に浮かぶ逐一のことをその知性は知っている。

そのつど全体に影響し、その影響で私たちは思い、感じ、動かされていく。

私たちは動かされているけれど、動かしている。

私たちが考えること、思うこと、感じることはすべて宇宙全体に響き渡る。
その響きが私たちに考え、思い、感情をもたらす。

今この一瞬に自分から放たれるエネルギー(思考や感情など)によって
変化がもたらされる。

が、そのエネルギーは、宇宙の意図(知性)から縁起を通して与えられたものであり、私たちの自由意志のようで自由意志ではないが、自由意志が関与している。

このふたつは瞬時に同時に関係しあうので、
どちらが先と言うことはできない。

なぜならそこには時間は存在しないし、
この知性と自分の関係性も時間と空間を超えている。

私たちが大いなる知性に目覚める時、
宇宙のシンフォニーが聞こえ始めるだろう。




観ることすでに創造なり。
発することすでに創造なり。

宇宙の知性とつながり合う者、創造を知る。
想像から創造をもたらす者、この世界の秘密を知る。



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前にのせた動画ですが、新しい輪のでき方にすごく興味をもちました。



全体がいったん混ざりあって新しい輪が生まれて全体が整うという過程がとても気になったのですね。

そうしたらその意味がわかりました。

「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」という言葉を知り、私が気になっていたのはまさにそれだ!と思いました。

「クォンタム・リープ」というのは、量子物理学において、電子がひとつの軌道から別の軌道に移動するとき、間の空間を経ずに瞬時に移動することをいいます。
それと同じように、今までの思考から新しい思考のレベルへと一気に大きく跳躍することを「思考にクォンタム・リープが起こる」と表現しています。
驚天動地 クォンタムが解きあかす「世界の秘密」


この動画の実験はクォンタム・リープではなく、物理的に砂が移動していますが、輪ができるありさまがクォンタム・リープ的だと思いました。

そのうちクォンタム・リープが起こって、人類は大きな飛躍をするのだろうなと思います。


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前回のメトロノームの話にもつながりますが、周波数によって砂の模様が変わる実験の映像です。似た映像は以前にも載せたことあるので、見た人は覚えていらっしゃるかもしれません。



すべてのものが固有の周波数(振動数)をもっています。
それにより形が生まれます。

クロップサークルも高度な周波数技術を用いて作ったのかもしれないですね。


こちらの実験も興味深いです。


周波数を変えていくにつれ、輪が増えていきます。
輪が増えるときは、いったん輪が乱れて消えてからすっと新しい輪ができます。中心から輪ができて広がっていくわけではないのですね。


これを見ながら、この輪を「次元」と思うとおもしろなあと思いました。

1つの次元から次の次元に進む時に、それまでの世界はいったん形が崩れて混沌状態になり、新しい次元(輪)ができる。

周波数が高くなると古い輪(世界)では適応できなくなるので、新しい輪(世界)にならざるを得ない。そちらに移るには古い状態を保持しながらではいけない。

そういう風に見てとれます。


私たちの意識も次の輪(次元)に進むプロセスを歩んでいる最中です。
周波数が変わると形が変わってしまうように、価値観などががらりと変わってしまうのでしょうね。


こちらは音(振動)が液体を動かす様子です。
まるで生き物が生み出される過程のようです。
忙しい人は2:00から見てください。



これらの動画を見てから下の動画を見ると理解が増します。



音に形や色を観たり、形から音を聞いたり(観たり)するのは共感覚の一種ですが、周波数によって形が変わることを考えれば、そう不思議なことではないですね。

私は形に音を聞き、音に形を見る人なので、なるほどなーと思いました。
聞こえると言っても実際に音として聞こえるわけでなく、「音を観ている」と言うほうがしっくりきます。


世界は常にシンフォニーを奏でています。
いろんな音(振動、形)が共存して、いろんな協奏曲や模様を作っています。

そういう世界は、アーティストや、とくに知的障害の人でうまく表現している人がいますね。草間彌生の作品も振動を観て作品を作っていたように思います。

私たちの思考は理屈や観念で物を観てしまいますので、そういう世界になかなか接することができません。波動より固体を先に見てしまいますから。

これからは固体の物質としての感覚を超えて、振動、波動として感じる知覚も養うといいと思います。

そうすることにより、新しい世界が現れてくるでしょう。


今まではひとりひとりが楽器を上手に弾こうとがんばってきましたが、もうそろそろ全体の音を聴きながら自分の音を奏でていく、つまり共にひとつの音楽を作り出していく、そういう感覚にシフトしていく時期だと思います。


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バラバラに始まったメトロノームがだんだんと足並みを揃え、最後には完全に一致する様子は圧巻です。




ヤフー知恵袋の質問の答えにこのように書いてありました。

共振とよばれるものですね。条件は互いに運動を影響しあうように、例えばすべてを1つの板にのせ、板全体がつるされて自由に動くことが必要で、メトロノームの周期自体も揃えます。メトロノームの反作用で板が動くと考えられますが、同期していないとばらばらな動きになり板はほとんど動かないと同時に自分の運動が本来は動くべき板が動かないので邪魔されます。やがてお互いに揃うようになり、板は本来の動きで振動します。

一本の糸を平行に張り長さの等しい振り子を2つつけると、ばらばらで動いていたものが揃います。ブランコでこれをやっても同期しないのは上の鉄の横梁が強く互いの運動を孤立させるからです。


同期現象は自然の中でも見られます。
女性の生理が重なってしまうのも似た現象なのでしょう。

ホタルの同期



これらを見て思うのは、私たち人間も自然の一部であるからには、自然の法則には逆らえないということ。

「魚座から水瓶座の時代に入る」というような天体の出来事が引き起こす流れからは私たちは逃れられないですから、それに逆行しようとするよりは時代の波に乗っていくのが賢明でしょう。

新しい時代に向けて人の心も変化していっています。

宇宙船地球号の一員として、気づいた人たちから地球の意識に波長を合わせていくと、そのうねりはいつしか全体に広がっていくと思います。

メトロノームひとつひとつは小さな力ですが、全部が揃うとなかなかの圧巻です。
人間ひとりひとりは小さな力かもしれませんが、何かに対して波長が揃うとすごい力を発揮できると思います。


少し視点を変えてみると、

メトロノームが同期して同時に動いている姿は軍隊が行進しているようにも見えます。

誰も「合わせなさい」と言ってないのに、自然に同じ動きをするようになっていきます。

こういう現象や力を支配的に使うと、私たちは知らぬ間にそのように行動して、あたかもそれが正しい、あるいはあたりまえであるかのように思って疑いません。

疑わないどころか、違う動きをするのであれば、異端視されます。

私たちはそういう世界を生きていますが、気づかないということがなによりも恐いですね。


自分の生活のなかで、知らずして従っていることがないか?

実は山のようにあります。

それに気づいて、本当にそうするのがいいのか? 

今一度、見直してみるといいと思います。


それに気づいて初めて、それに対して自分はどうしたいのか?の選択ができるようになります。

悪いことだけでなく、いいことで気づいていないことも多いと思います。

洗脳されて行動していることに気づけば、それを見直すことができます。

気づいていなかった恩恵に気づけば、いかに自分が恵まれているのか、感謝の気持ちがわき起こるでしょう。

メリークリスマス! God bless you!


こちらは振り子の様子。まるで生き物のような動きです。



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人間の潜在意識は体験したこと、観たこと、聞いたことすべてを記憶しているそうだ。

水にも記憶があるという実験(動画)。
同じ水からスポイトで一滴一滴おとすと、すべて模様が違っている。
水の中に花を入れると、また模様が変わる。

江本勝さんとは少しとらえ方が違う実験。

記憶とみるか、波動共鳴とみるか?




私たちは水によって生かされている。
この地球も人体も脳も約70%は水。
身体で一番水分が必要なのは脳。

水が生じて以来の記憶をずっと保存しているとしたら?
多分そうなのだろう。

そうなると、私たちの無意識を海や水に例えるのは理にかなっている。
無意識にも水にもすべての記憶が保存されていることになるから。


毎日使う水。
台所の流し、お風呂、洗濯機、トイレ、etc,,,

何も考えずに流しているけれど、それらの水に祈りや感謝の気持ちを入れて流すだけでも違うのかもしれない。
清い水である必要はなく、日常的にそうするがいいのかもしれない。

となると、つまりは日々いい波動を発しているのが一番だということ。
自分にとってもまわりにとっても。



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白山から戻って何が起こったかというと、、、。

白山から戻った翌々日、東京に行くため、新幹線に乗っていました。
なにげなく外の風景を見ていましたが、何かが違います。

「なんだろう?」と思って見ていたら、粒子(波動?)レベルからこの世界を見ていることに気がつきました。

その数日後、図書館でたまたまディーパック・チョプラ氏の「迷ったときは運命を信じなさい―すべての願望は自然に叶う」を借りたのですが、読んでみれば、「そうそう!」の連続でした。そこからの引用です。

 意思がなければ、この世には何ひとつ存在しなかったでしょう。意思を抱くことで、脳内には一瞬のうちに相関関係が生まれます。
 物質的な現実を認識し、知覚する瞬間には、脳のさまざまの部分の神経単位の発火パターンに、かならず「一定の位相や周波数」が現れてきます。脳の各神経単位が、約40ヘルツ(一秒間に40サイクル)の周波数に、いっせいに統一されるのです。
 この現象は「バインディング」と呼ばれ、人間が対象を認識するために、なくてはならない作業なのです。バインディングがなければ、人間を人間として認識できません。家や樹木、写真の顔も、単なる黒と白の点、散らばった線、光と影の斑点にしか見えません。あなたの眺めているものは、脳のなかで点滅する電磁信号にすぎなくなります。世界は映像ではなく、点滅する電気インパルス、点、乱雑な電気発火のデジタル信号としてしか存在しません。
 しかし意思を抱くことで、点や散らばった線、放電、光と闇のパターンは組織化され、全体となり、主観的な経験として、この世の中の一枚の画像(形態、ゲシュタルト)に変化していくのです。つまり意思を働かせることで脳の神経単位がいっせいに点と線といった材料を組織化し、脳内で音、肌触り、形、味覚、においなどの経験に変換していくのです。


私は「点や散らばった線、放電、光と闇のパターンは組織化され、全体となり、主観的な経験として、この世の中の一枚の画像(形態、ゲシュタルト)に変化していく」過程を見て、世界が意思により形成されているのを体感したわけです。

現象としてはそうなんですが、意志、意図によりゲシュタルトができるという過程において、いのちとこの宇宙の成り立ちを理解することはやはり感動的であり、使い古された言葉になりますが、愛なんですね。

昔の日本人たちは八百万の神と称して、それを表現していたのでしょうね。


「微生物と同じになりたい」と思った私の願いはこのようなかたちで叶えられました。
後日、私が自分が属しているとずっと感じていた世界はそこだったのだと思いあたり、ついに自分のふるさと、原郷に戻ることができたのだと気づきました。

おかげさまで人生観が変わりました。


山は私のコーチだなと思います。
一言も発さず、共に過ごすだけで、このような気づきをもたらしてくれる。
見習いたいです。


images-1
クラインの壷のようにいったん白地(または黒地)から反対の画像を見ることができると、そのどちらをもすぐに見ることができるようになります。

これからあちら側(一なる世界)からこちら側(個々で成り立つ世界)を見る人は増えていくと思います。

私もどのようにそれを伝えていこうかとこれから模索していくと思います。


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ここ数回つらつらと書いてきたのですが、もう次なる意識になっているべき時期なんだろうなと思います。

でも今までの二元論的な世界と考え方に慣れてしまっている私たちにとっては、そのままの認識の仕方では見えてこない部分です。

昔から賢者といわれる人たちが言葉を変え、表現を変え、伝えようとしてきています。

今だから言えることですが、この二元論的な世界においては、賢者の教えが裏目に出たケースもすごくあるように思います。
二元的なマインドから抜けないうちに賢者の教えを学ぶことで、結局、真髄を追いかけてしまうかたちとなり、エゴの偽装した本質にたどり着いてしまいながらもそれに気づかないことも少なくないように思います。
といいつつ、私もそうだったらイヤだなあ(笑)

賢者と言われる人たちの中にもそういう人がいたりするのかなあ?


メギドの火」という本の最初に、
私たちは人間ではありません。人型をした生命体(人間)の中心に居すわって、この生命体のあらゆる経験を観察させてもらっている意識存在なのです。この高度に発展した知的生命体の人間がいかなるものなのか、そしてどのようにさらなる進化をするのか、観察しようとしている意識が私たちなのです。それを虚空といいます。

と書かれています。

空(くう) 舞い降りた神秘の暗号」で話題になったManaさんの著書です。

第一章の最初の文章がこれなので、なんとも爽快に感じました。

物質世界やエゴに囚われてしまうとこの視点が持てませんが、もう私たちはこういう視点が必要なんだと思います。

最近は自我自体がずいぶんと変化し、エゴ意識を卒業し、神意識に向かって成長していっているように思います。

その視野を持ちながら、この肉体ある世界でどう生きるか?というところがそれぞれにゆだねられると思います。

すべては情報、エネルギーでしかないのですが、それをどのように感じ、体験していくかは人それぞれです。

この本には、今までの私たちがいかに狭い思考にとらわれてきたかということと、そこから自由になり、本質を生きるあり方とが書かれていますが、なかなか言葉では表しにくいところを手取り足取り伝えようとされていると思います。

「虚空」というとても抽象度の高い視点を保ちながら、現実に根を下ろしたところから話を書かれていますので、エゴ意識で読んだり、言葉を追うより、筆者の視点に視点をあわせるように読んだり、言葉が醸し出している波動を感じながら読んでいくと良いと思います。


上記『 』に書かれている意識の存在はなかなか実感しにくいものだと思います。

私たちは今まで、肉体、エゴ、思考が一塊になって、それが自分だと思っていました。
そのひとつひとつが切り離されていって、自分は肉体でもない、エゴでもない、思考でもない、、とどんどんはぎ取っていくと、、、そこに残るのものはなにもありません。

自我もないし、魂もないし、意識も世界もない、、、。

無意識を私たちはかいま感じることはできますし、思考が消えた状態を観察することもできます。

空は「在る」状態ですが、その情報の「すき間」にあるものがこれから大事になっていくと思います。


昔、気を扱う指圧を習ったことありますが、「一番深い気のツボは深いがゆえに一番表面に出る」とあり、その頃は意味が分かりませんでしたが、最近、その言葉をよく思い出します。

この世界はそういう現れなんだろうなと思います。

前回、慈悲慈愛の世界のことを書きましたが、今、慈悲の世界のことが出てきたのはそういうことかとわかり出してきました。

またメルマガかブログで噛み砕いて書いていきたいと思います。


  

東京を皮切りにコーチングイベントがあります!
苫米地式コーチングは実は上記に書いたようなところにも切り込んでいるコーチングです。
それをうまくマインドの使い方として使えるようにしているからすごいなと思います。

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理想世界や神を外に求める必要がなくなったと書いておきながら、もっと高みを目指そうぜ〜と矛盾していること書いているなーと気づきました。

この場合は、外の世界にそれを求めることは終わり、内なる神に気づいていくということなのですが。

内なる世界は果てしなく広がり、外宇宙につながっていくので内も外もないですけど、言葉で表そうとすると矛盾が生じてしまいますね。

ってことは私の思考もまだ二元的だということなんでしょう。

二元的なのが悪いわけではないですが、二極化してどちらが正しいとかいい悪いという思考に留まるのは私は卒業したいので。

言語自体が二元論的なところもありますから、これからは今までの言語世界を越えていかないといけなくなりますね。

「外」と言えば、必ず「内、中」が生じるわけですから。


ごく最近、自分の言動の矛盾に気づくことがが増えています。
言語的なことだけではなく、思考や行動においても。

今回のように言っていることが矛盾しているようだったり、何か/誰かに対して批判的否定的に思った時に、自分も同じことをしていることに気づいたり。

気づけるということ自体、違う視点を行き来しているということだからいいことだとは思いますが、それに気をつけようと思うと何も言えなくなってきますね ^^;

それほど二元論的な考え方は浸透しているってことでしょうか。
言語自体がそうなら、それを使う時点でそこから逃れられないってことになります。

言語を使わなくても、空腹と感じたらそこには満腹も潜在的に存在しますもんね。

それこそ詩や和歌のように言語を用いながら言語の向こうの世界を示唆するとか、他の芸術表現などを用いるほうが伝わりやすくなるのかもしれないですね。
あるいは直接、気やエネルギーで伝えるとか。

何かをする、何かを考える、何かを感じる、言葉を使う、、、何らかの言動を行なったり感じたりする場合、必ず反対の事象も生じているのですから、しばらくの間、それに敏感になってみたいと思います。


   

5/29からセッションのメニューと料金が改訂になります。
5/28までのお申し込みは今まで通りです。

個人対面セッション、受付中。
 東京 5/25(日)   京都 5/17(日)21(火)

遠隔セッションは他日でも可能です。
ネームリーディングは5月下旬頃にできあがります。

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気づきと共鳴のお茶会はキャンセル待ちとなりました!
お申し込みをありがとうございました。

東京都内での対面個人セッションは3月25日(火)午前中、受付中です!
京都は3月29日です。

お申し込みはこちらへどうぞ。

  


とあることで昔書いた記事を探していたら、先日の記事に関連するいくつかの過去記事を見つけたのでシェアします。

一つは、宇宙の仕組み2。

いまだに私はこれが宇宙の真理だと思っています。
説明が十分かどうかはわかりませんが、逆回転でできるねじれ渦の中心で起こっていたこと、それがすべて。
始まりであり終わりである。

その中心が全てを生みだしているとしたら、中心自体を作り出しているものはいつできたの?という話になり、「宇宙の仕組み2」に書いているのと同じ時間のパラドックスが起きることに先ほど気がつきました。

卵が先かニワトリが先かという話ですね。

中心を生みだしているものが中心から生み出されていることになりますから。

でもその答えはすでにその記事に書います。
この構造を理解するのには今の時間感覚では対応できないです。
瞬間の刹那の奥行きの連続という感じです。


『この宇宙が始まるきっかけは、すでにその宇宙の誕生から終焉までの過程から得たことから導き出された「質問」によるということです。』と書いていますが、この「質問」を「気づき」に変えても同じだなと思いました。

私が体験した一つ一つの粒子がいのちで、それが流動的に変化しているのを感じましたが、そのいのちを「気づき」と言ってもいいと思います。

私は宇宙は好奇心でできていると思いますので、「知りたい」と思うことでこの宇宙ができあがったと思いますのが、「知りたい」ということは同時に「気づく」ことでもあります。

それはこちらで説明してあるようなことです。→ 「集合体としての「和音」」


『「大宇宙」は混沌で「ただある」状態で、自己の認識がない状態』と書いているのが、私が体験したイザナミに表される状態、あるがまま、混沌、、、、ある意味、黄泉の世界にとどまらざるを得なかったのは混沌のままだったからとも言えるでしょう。

イザナギが規律であれば、無惨な姿になったイザナミは封じられるべきもの。
これは橿原神宮の話と同じパターンです。

『「ただある」状態で、自己の認識がない状態』にはまたいくつかの段階というか、アスペクトがあるんだと思います。
イザナミのエネルギーはその中で一番私たちに理解できるものなのでしょう。
それ以降は「働き」になると思うので、見えないし、触れないし、自己を越えたところでのことなのでなかなか気づきにくいだろうと思います。


その意識のない「大宇宙」が原初だと思ったので、それ以前を考えたことがなかったけど、時系列ではなく、次元的に次があるんだなと気づき始めました。が、もうすでに2010年に答えを書いていたのを発見!自分で読んで、なんと前から知ってたのか!と思いました。どの部分かは想像にお任せしますが。→「空白」の利用法上級編

知識として頭で知っていてもあんまり意味がないので、感覚の世界で体験していってください。
もう私たちはこんなところまで来たんだなーと思います。



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