いのちおり - 本来の自分に還るために

さあ、未来の自分に還る旅に出よう!
人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 宇宙法則

time_zJ-8PQ9_
人類が進化して、物質次元の意識から波動レベルの意識になった時、
時間の概念もまるっきり変わる。

物質の世界だと、生じる(誕生)と消滅(死)することが対になっている。

人間も生まれると死ぬ。
これからはテクノロジーの発達で、死なない身体になる可能性もあるけれど。

波動で構成されている自分に気づくことは、自分という情報も波動であると気づくことだし、
その他すべてもそうだと気づくこと。

そこを自在に扱えるようになると、時間も行き来できる。

行き来できるというより、時間も幻想で作り出されているものだから、
一瞬で時間が作り出され、どの時空へも行けることになるだろう。

過去の人、亡くなった人に会うこともできるし、想像し得る未来に行くことも可能になる。

それは意識の世界で、無限に作り出されるタイムラインの一つにアクセスすることなので、
実際は過去や未来に行っているわけではなく、「今」の話になる。

「今の自分が、無限に広がる「現在」「過去」「未来」につながる」
という言い方のほうがいいだろうか?

でも「今の自分」ってのも刹那的な幻想だしな。

たくさんの人がそれができるようになると、死はあってないようなもの。

肉体の死はあってもその人の意識体はあるわけだし、
その意識体の情報が完全に離散しない限りは、その人の情報にアクセスすることができる。

「その人の情報」とはその人を成しているものなので、その情報にアクセスして、
その人と会うことを意図すれば、会うこともできるだろう。

けど、亡くなった人にそういう認識なければ、多分、一方通行のアクセスとなり、
やりとりをすることは難しくなるのかもしれない。

それさえも自分の意識によって織りなされている夢だと思えば、
虚しさを感じることもあるかもしれない。

生きている間にその認識を得てしまえば、あちらからこちら、
こちらからあちらとのやりとりもそう難しいことではないのではないだろうか?

と先日、思った。


私の場合、パッと図式で出て、「なるほど、そうかー!」となるんだけど、
それを言葉で説明しようとすると、すごく回りくどくなって、
なんか微妙に意味が違う気もします。
けど、書いてみたらこんな感じになりました。

もう時間も自在になる時期に来てるんでしょうね。
もともと時間も幻想だしね。


今月の最初にこの記事になるのも3月を示唆しているものがあると思います。
けど、これを思いついたのは先日の新月の日頃でした。

3月のメッセージは、明日載せます〜。


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何かで読みました。

昔、中国のとあるところで日照りが続きました。
困り果てた農民は、ある賢人に「どうにか雨を降らせて下さい」と頼みました。
彼はやってきて、用意された家に数日間こもり、瞑想しました。

すると,雨が、、、。

そうです。降ってきたのです。


農民は聞きました。

「一体あなたはどのようにして雨を降らせたのですか?」

賢人は答えます。

「ただ乱れていた気をもとにもどしただけじゃわい」


とまあ、こんな話だったと思います。

人間の心が乱れているとその波動が天にも地にも届き、
天候にも響いて天災も起こりやすくなります。
人が天地に影響を与えると同時に、天体も人に影響を与えます。

人の心がどのようであるかは地球の状態に影響します。
今の地球の状態を見れば、いかに私たちの心が荒んでいるかがわかります。
それは私たちの生き方にも影響を与えています。

同時に、地球の美しいところも山ほど残っています。

天気がよければどこでも見られる夕焼けの美しさ、今なら桜の美しさ、
自然はもったいぶることなく、美しい姿を見せてくれます。

私たちはまだまだ自然に学ぶことが多いです。

自分の幸せに目を向けることも大事ですが、自分のことだけ考えるより、
自分が好きなことをすることで人が幸せになり、
自然も元気になることを考えるほうが楽しいですね。


この記事はずいぶん前に書いて保存されたままだったのですが、
改めて読んでみて、以前よりよくわかると思いました。

これは賢人にしかできないことかというとそうではなく、
誰にでもできることです。

するにあたっては、自分の都合だけでするわけにはいきません。

雨を降らせることによって起こる影響をすべて把握して
それでもする必要があるか?と考えると、
なかなか自分のことだけ考えてはできませんね。

偉大な魔法使いは滅多なことでは魔法を使わない
というのはそういうことだと思います。

世の中の成り立ちや仕組みを深いところから理解するなら、
なにも変える必要がないというところに至るのでしょう。

この賢人も頼まれて必要性を感じたのでしたのでしょうが、
頼まれなかったがなにもしなかったかもしれないですね。

あなたの人生も今のままで最高にすばらしいんだと思います。

もしそう思えなかったら、気が不調和になっているでしょうから、
気を整えることを心がけましょう。


気とイメージと身体感覚を感じながら、
意識と無意識を探っていくワークショップです。

4月9日(土)13:30~15:30
京都四条駅/烏丸駅から徒歩5分
料金:4000円+飲み物代
定員:5名

お申し込みフォーム

「その他」にチェックして、メッセージ欄に「4/9セミナー参加」とお書きください。


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またまつこさんとの遠隔セッションでの話。
セッションも進んでいって、だんだんと深い意識の話になっています。

今日気づいたことは、私にはヒットでした!


それはなにかというと、

出来事そのものはピュアであるということ。


どういうことかというと、
私たちは何に対しても、
自分の価値観や信念、観念、知識などの色眼鏡をかけて体験します。

そう、何に対しても。

自我がある限り、自分のフレーム抜きに物事を見るのは不可能です。

自我意識がなくなれば「自分」という存在を認識できませんから、
客体的に物事を認知することはできません。

自分を感じることができる自我があるから、物事を認識します。


私たちはいろんなことに悩んだり、問題視したり、挑戦したりするわけですが、
それをどのように受け取っているかは自分の判断なんですね。

起こっている出来事に人間のなんの価値観も判断もはさまないとしたら?


そう、ピュアなのです。

ただ起こっているだけ。

これに気づいた時、ひそかに感動しました。


「出来事そのものはピュアである」

ということは、この世の中のことすべて、ピュアなんですねー。

いやー、素晴らしいですね。

人間が色付けしているだけって話。(人間の世界においては)


観念やパターン化された知覚を取り外して見た世界ってどんなでしょうね?

共感覚はその身近なひとつだと思います。

この世界は音(振動)でできています。

振動しあっておこる共鳴現象を音で受け取るのか、形を構成するのか、色で見るのか、etc.
そういうことなのかな?とふと思いました。


共感覚を感じるワークショップは明後日です!
今回はまだ空きがありますので、ぜひお越しください。

開催日 1月31日(日)14:30〜16:00(開場 14:20)

会場  KYOTO de MEETING
    京都駅から徒歩2分!アバンティを南へすぐ!
    京都市南区東九条西山王町16−5 
    アーチウェイH・C 5階(東側のお部屋)
    https://1lejend.com/c/jYt/YXL0/yhND7/

料金:5000円

明後日です。今すぐクリック!

こちらのフォームからお申込みできます


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「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」受付中です!

ショートメッセージの受付は明日30日までです!

あなたに向けてオリジナルメッセージを書き下ろします。
今年はロングバージョンも加わりました。

前に進みたい時、迷いが生じた時、凹んだ時、
そのメッセージはきっとあなたを励まし、軸に引き戻してくれるでしょう。


・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・


人はなぜ夢を叶えたいと思うのでしょうか?
人はなぜもっと豊かになりたいと思うのでしょうか?

人生を豊かにしていくには、自分自身が豊かになること。


私たちは不完全体としての認識を持ち、
完全なるものを求める傾向があります。


不完全ということは、何かが足りないということ。

それから発想している限り、
「満たされたい」という思いがつきまといます。


それがあるがゆえに私たちは成長してきたのだけれども、

不完全なままですでに完全である

としたらどうでしょう?


・・・というより、不完全/完全という認識自体が
まずは問われなければならないと思います。


完全になってしまえば成長が止まります。
つまりそこで終わりです。


不完全なままに、より完全に近い状態を目指して成長し続けること。

そうやって成長し続けることが
豊かになるということではないでしょうか?



「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」のお申し込みはこちらから。
ショートメッセージの受付は明日30日までです!お忘れなく!
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「自分に捧げる言葉・2016新年メッセージ」


今までのメッセージの一部がこちらに載せてます。
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つい先日、Amazonでたまたま見た本の説明を読んで泣いた。。。
量子力学の本で泣くか、、と思うのだが、泣けた。
その文章はこれ。
 ↓
--------------------------------------------- 
量子哲学の時代は、「人間復古」から「自然復古」へのイデオロギーのシフトで始まる。「人間復古」は神ではなく人間が意志を持つことを主張して始まったといえるが、「自然復古」では、人間のみならず全ての物質が意志を持つという主張から始まる。人間は機械ではなく自由意志をもつ多数の細胞が集まり、共生することにより成り立っている。21世紀が生命科学の時代であるのと期を一つにして量子哲学の時代が始まる。進化は突然変異では無く意志により起こる。細胞に意志が有り人間に意志が有るから進化が起こる。全ての個体に意志が有り、共生しているという思想が科学に価値観を付加する。それは量子力学がもたらした価値観である。
(「地球に真の平和をもたらす量子哲学」山田廣成著)

---------------------------------------------
 
「人間のみならず全ての物質が意志を持つ、、、」あたりから泣けてくる。
 
これはずっとずっと私の中にありながらも、実証されてなかった部分。 

こうして言葉にされ、学者さんに言われていることで、「そうなんだよ!ここにいるよ!いつもいたよ!」と私の中の60兆の細胞が喜び叫んでいるのか、私もこれを読んで「そうなんだよ!そうなんだよ!」と泣いた。
やっとわかってもらえる人に出会えた感じ。
 

「全ての個体に意志が有り、共生している」
 
そうなんだよ、、、と思って、著者さんのことを調べようと思ったら、
他の人のブログのこの人の本の記述でこんなことが書いてあって、
また「そうそうそうそうそう!」と連呼。
なんとなく感じていたことをはっきりと文章化してくれたうれしさでした。

それはこれ。
 ↓
---------------------------------------------
電子などの量子にも人間と同じ意志があるという学説。



山田教授が強く言われていた事に

電子と電子同士は常に対話を行っているという事。


対話とは情報のやり取りであり、それはエネルギーの移動は起きない。

その対話によって生まれるのが、場である。

場には階層が存在し、上位の階層は下位の階層に影響を与えていると。


例えば電子や原子などの量子同士が対話をして場を形成しています。

量子が集まって分子が構成され、分子同士の対話によって場が存在する。

分子が集まって元素になり、元素同士の対話で場が存在する。

そして元素が集まって細胞になり、細胞同士の対話で場が存在する。

細胞が集まって、様々な臓器が出来、臓器同士の対話で場が存在する。

その臓器がが集まって人間の肉体が出来、

人間同士の対話で場=人間社会が存在するというように。


そして同じ場の中にいる者同士は対話を行い

常に互いに影響を及ぼしあっている。


(中略)


すべての物質には、物質固有の意志が存在しており

その量子が自分の意志で結びつく事で

物質としての形を決定させ、その形を維持しているわけです。



この学説は、科学者として体系的に論理立てて組み立てられており、

電子には意志など無いというのであれば

それを否定するだけの倫理だった理論を持って

否定しなくてはいけない訳で、それは誰も出来ていないのです。

つまりこの事から、すべての電子、原子には

意志が存在するという仮説が成立します。


山田廣成教授とお会いして

---------------------------------------------


私はこれらを体感で感じていたわけですが、その小さな意志をもつものを「チ」「つぶつぶ」と呼んでみたり、微生物か細胞かなにかがそうなのか?と思って見たり、電子に意志があるのか?と思ってみたりしてました。
 
感じるけど、はっきりと「これだ!」とか「ここだ!」といえず、
感じるけど限定できなかった。
 
それを今こうして、言葉で説明してくれる学者さんに出会えたから
すごくありがたいですね。
 
まだ学説であり、証明されたわけではないでしょうが、
この学説に出会えた私はうれしいです。
  
先日の量子物理学者のゴスワミ氏のセミナーでも、秘教的宗教や禅、覚醒者などの体験に基づいて体系立てられていたものが、今こうして、量子物理学で説明がつくようになっているという話がありました。 

これから世界はこのような認識に基づいていくと思います。
人間界に違和感を感じ続けてきた私としてはうれしい限りです。
 
まだしばらくは移行期でしょうけど。


1ヶ月の集中コース、あと1名様(9日まで早割)。

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うちでは3年前からネコを飼ってますが、そのネコがよく生き物を捕まえてきます。

ここ数日、どういうことが展開されていたかはフェイスブックに書いたので、興味のある人はそちらをお読みください。

ネコが捕まえてきたた虫や小動物を見ていると、ネコに捕まえられるのを良しとしているように見えることがよくあります。
 
逃げられるのに逃げなかったり、どこかに隠れても数日後にまたネコの前に現れたり、外に逃がしたのにネコに捕まって戻ってきたり。

捕まったことで呪縛にかかるのか、、、?


私には、ブッタの逸話の、ウサギが「私を食べてください」と火に我が身を投げ込んだ話を思い出してしまいます。
 
ネコの獲物を見ていると、そんな感じなんですね。
 
もしネコに食べられ(あるいは遊ばれ)るために来たのだとしたら、「かわいそうだから」と逃がすことは、その生き物にとっては大きなお世話です。
 
捕まってきた生き物たちに尋ねたわけではないので真相はわかりませんが、捕まってからの様子を見ていると、そのように感じられる場合が多いです。
 
どんどんと弱っていく姿を目の当たりにするのは心痛みますが、私はそのままネコがするままにさせています。
ネコが飽きたり、ネコがいなくなったら逃がしますが。
 
 
畑仕事をしていても思いますが、自然界の営みは、人間の「殺すのはかわいそう〜」という同情や道徳をはるかに超えたレベルで行なわれています。
 
生態系、あるいは生命体として自分のいのちを他のものに捧げることは、他のものを活かすことになっているという当たり前のことをわかっているのは動植物のほうだなあと思います。
  
卵をたくさん生む生き物は、生存率が低いからそうなのではなく、他のもののエサになるためにそうなのだという話を聞いたことあります。 
 
これもまた人間が好きなように解釈しているのかもしれませんが、少なくともうちのネコや畑を見ているとそう感じます。
 

うちのまわりによく除草剤が撒かれるのですが、すごく自分勝手な話だと思うんです。
 
いわば、「邪魔だから殺す」って発想。
 「便利」「合理的」「好都合」という言い方もあるでしょうが。
 
それはそのまま人間社会にも反映されています。
 

ネコもトカゲをもてあそんで殺してるじゃないか?と言われると、確かにそうかもしれないですし、
「じゃあ、お前はどうなんだ?」と聞かれるなら、かなり自分勝手ですね。。。苦笑
 
ネコが獲物を捕まえてくるたびに、自然界の殺現場に遭遇するたびに、いろんなことを考えさせられます。


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私が思うことは私から発生したと思っているけれど、
本当はそうでないかもしれない。

私がここにこのようにいるのも、自分が歩んできた人生も、自分の感じたこともすべて、その時の関係性の中でなるべくしてなっているのかもしれない。

計りしれない知性がすべてを把握し、すべてを動かしているとしたら?
その大きな知性のために私たちは存在し、行動しているとしたら?


そこに自由意志がないわけではなく、
私たちの意識に浮かぶ逐一のことをその知性は知っている。

そのつど全体に影響し、その影響で私たちは思い、感じ、動かされていく。

私たちは動かされているけれど、動かしている。

私たちが考えること、思うこと、感じることはすべて宇宙全体に響き渡る。
その響きが私たちに考え、思い、感情をもたらす。

今この一瞬に自分から放たれるエネルギー(思考や感情など)によって
変化がもたらされる。

が、そのエネルギーは、宇宙の意図(知性)から縁起を通して与えられたものであり、私たちの自由意志のようで自由意志ではないが、自由意志が関与している。

このふたつは瞬時に同時に関係しあうので、
どちらが先と言うことはできない。

なぜならそこには時間は存在しないし、
この知性と自分の関係性も時間と空間を超えている。

私たちが大いなる知性に目覚める時、
宇宙のシンフォニーが聞こえ始めるだろう。




観ることすでに創造なり。
発することすでに創造なり。

宇宙の知性とつながり合う者、創造を知る。
想像から創造をもたらす者、この世界の秘密を知る。



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前にのせた動画ですが、新しい輪のでき方にすごく興味をもちました。



全体がいったん混ざりあって新しい輪が生まれて全体が整うという過程がとても気になったのですね。

そうしたらその意味がわかりました。

「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」という言葉を知り、私が気になっていたのはまさにそれだ!と思いました。

「クォンタム・リープ」というのは、量子物理学において、電子がひとつの軌道から別の軌道に移動するとき、間の空間を経ずに瞬時に移動することをいいます。
それと同じように、今までの思考から新しい思考のレベルへと一気に大きく跳躍することを「思考にクォンタム・リープが起こる」と表現しています。
驚天動地 クォンタムが解きあかす「世界の秘密」


この動画の実験はクォンタム・リープではなく、物理的に砂が移動していますが、輪ができるありさまがクォンタム・リープ的だと思いました。

そのうちクォンタム・リープが起こって、人類は大きな飛躍をするのだろうなと思います。


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前回のメトロノームの話にもつながりますが、周波数によって砂の模様が変わる実験の映像です。似た映像は以前にも載せたことあるので、見た人は覚えていらっしゃるかもしれません。



すべてのものが固有の周波数(振動数)をもっています。
それにより形が生まれます。

クロップサークルも高度な周波数技術を用いて作ったのかもしれないですね。


こちらの実験も興味深いです。


周波数を変えていくにつれ、輪が増えていきます。
輪が増えるときは、いったん輪が乱れて消えてからすっと新しい輪ができます。中心から輪ができて広がっていくわけではないのですね。


これを見ながら、この輪を「次元」と思うとおもしろなあと思いました。

1つの次元から次の次元に進む時に、それまでの世界はいったん形が崩れて混沌状態になり、新しい次元(輪)ができる。

周波数が高くなると古い輪(世界)では適応できなくなるので、新しい輪(世界)にならざるを得ない。そちらに移るには古い状態を保持しながらではいけない。

そういう風に見てとれます。


私たちの意識も次の輪(次元)に進むプロセスを歩んでいる最中です。
周波数が変わると形が変わってしまうように、価値観などががらりと変わってしまうのでしょうね。


こちらは音(振動)が液体を動かす様子です。
まるで生き物が生み出される過程のようです。
忙しい人は2:00から見てください。



これらの動画を見てから下の動画を見ると理解が増します。



音に形や色を観たり、形から音を聞いたり(観たり)するのは共感覚の一種ですが、周波数によって形が変わることを考えれば、そう不思議なことではないですね。

私は形に音を聞き、音に形を見る人なので、なるほどなーと思いました。
聞こえると言っても実際に音として聞こえるわけでなく、「音を観ている」と言うほうがしっくりきます。


世界は常にシンフォニーを奏でています。
いろんな音(振動、形)が共存して、いろんな協奏曲や模様を作っています。

そういう世界は、アーティストや、とくに知的障害の人でうまく表現している人がいますね。草間彌生の作品も振動を観て作品を作っていたように思います。

私たちの思考は理屈や観念で物を観てしまいますので、そういう世界になかなか接することができません。波動より固体を先に見てしまいますから。

これからは固体の物質としての感覚を超えて、振動、波動として感じる知覚も養うといいと思います。

そうすることにより、新しい世界が現れてくるでしょう。


今まではひとりひとりが楽器を上手に弾こうとがんばってきましたが、もうそろそろ全体の音を聴きながら自分の音を奏でていく、つまり共にひとつの音楽を作り出していく、そういう感覚にシフトしていく時期だと思います。


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バラバラに始まったメトロノームがだんだんと足並みを揃え、最後には完全に一致する様子は圧巻です。




ヤフー知恵袋の質問の答えにこのように書いてありました。

共振とよばれるものですね。条件は互いに運動を影響しあうように、例えばすべてを1つの板にのせ、板全体がつるされて自由に動くことが必要で、メトロノームの周期自体も揃えます。メトロノームの反作用で板が動くと考えられますが、同期していないとばらばらな動きになり板はほとんど動かないと同時に自分の運動が本来は動くべき板が動かないので邪魔されます。やがてお互いに揃うようになり、板は本来の動きで振動します。

一本の糸を平行に張り長さの等しい振り子を2つつけると、ばらばらで動いていたものが揃います。ブランコでこれをやっても同期しないのは上の鉄の横梁が強く互いの運動を孤立させるからです。


同期現象は自然の中でも見られます。
女性の生理が重なってしまうのも似た現象なのでしょう。

ホタルの同期



これらを見て思うのは、私たち人間も自然の一部であるからには、自然の法則には逆らえないということ。

「魚座から水瓶座の時代に入る」というような天体の出来事が引き起こす流れからは私たちは逃れられないですから、それに逆行しようとするよりは時代の波に乗っていくのが賢明でしょう。

新しい時代に向けて人の心も変化していっています。

宇宙船地球号の一員として、気づいた人たちから地球の意識に波長を合わせていくと、そのうねりはいつしか全体に広がっていくと思います。

メトロノームひとつひとつは小さな力ですが、全部が揃うとなかなかの圧巻です。
人間ひとりひとりは小さな力かもしれませんが、何かに対して波長が揃うとすごい力を発揮できると思います。


少し視点を変えてみると、

メトロノームが同期して同時に動いている姿は軍隊が行進しているようにも見えます。

誰も「合わせなさい」と言ってないのに、自然に同じ動きをするようになっていきます。

こういう現象や力を支配的に使うと、私たちは知らぬ間にそのように行動して、あたかもそれが正しい、あるいはあたりまえであるかのように思って疑いません。

疑わないどころか、違う動きをするのであれば、異端視されます。

私たちはそういう世界を生きていますが、気づかないということがなによりも恐いですね。


自分の生活のなかで、知らずして従っていることがないか?

実は山のようにあります。

それに気づいて、本当にそうするのがいいのか? 

今一度、見直してみるといいと思います。


それに気づいて初めて、それに対して自分はどうしたいのか?の選択ができるようになります。

悪いことだけでなく、いいことで気づいていないことも多いと思います。

洗脳されて行動していることに気づけば、それを見直すことができます。

気づいていなかった恩恵に気づけば、いかに自分が恵まれているのか、感謝の気持ちがわき起こるでしょう。

メリークリスマス! God bless you!


こちらは振り子の様子。まるで生き物のような動きです。



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人間の潜在意識は体験したこと、観たこと、聞いたことすべてを記憶しているそうだ。

水にも記憶があるという実験(動画)。
同じ水からスポイトで一滴一滴おとすと、すべて模様が違っている。
水の中に花を入れると、また模様が変わる。

江本勝さんとは少しとらえ方が違う実験。

記憶とみるか、波動共鳴とみるか?




私たちは水によって生かされている。
この地球も人体も脳も約70%は水。
身体で一番水分が必要なのは脳。

水が生じて以来の記憶をずっと保存しているとしたら?
多分そうなのだろう。

そうなると、私たちの無意識を海や水に例えるのは理にかなっている。
無意識にも水にもすべての記憶が保存されていることになるから。


毎日使う水。
台所の流し、お風呂、洗濯機、トイレ、etc,,,

何も考えずに流しているけれど、それらの水に祈りや感謝の気持ちを入れて流すだけでも違うのかもしれない。
清い水である必要はなく、日常的にそうするがいいのかもしれない。

となると、つまりは日々いい波動を発しているのが一番だということ。
自分にとってもまわりにとっても。



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白山から戻って何が起こったかというと、、、。

白山から戻った翌々日、東京に行くため、新幹線に乗っていました。
なにげなく外の風景を見ていましたが、何かが違います。

「なんだろう?」と思って見ていたら、粒子(波動?)レベルからこの世界を見ていることに気がつきました。

その数日後、図書館でたまたまディーパック・チョプラ氏の「迷ったときは運命を信じなさい―すべての願望は自然に叶う」を借りたのですが、読んでみれば、「そうそう!」の連続でした。そこからの引用です。

 意思がなければ、この世には何ひとつ存在しなかったでしょう。意思を抱くことで、脳内には一瞬のうちに相関関係が生まれます。
 物質的な現実を認識し、知覚する瞬間には、脳のさまざまの部分の神経単位の発火パターンに、かならず「一定の位相や周波数」が現れてきます。脳の各神経単位が、約40ヘルツ(一秒間に40サイクル)の周波数に、いっせいに統一されるのです。
 この現象は「バインディング」と呼ばれ、人間が対象を認識するために、なくてはならない作業なのです。バインディングがなければ、人間を人間として認識できません。家や樹木、写真の顔も、単なる黒と白の点、散らばった線、光と影の斑点にしか見えません。あなたの眺めているものは、脳のなかで点滅する電磁信号にすぎなくなります。世界は映像ではなく、点滅する電気インパルス、点、乱雑な電気発火のデジタル信号としてしか存在しません。
 しかし意思を抱くことで、点や散らばった線、放電、光と闇のパターンは組織化され、全体となり、主観的な経験として、この世の中の一枚の画像(形態、ゲシュタルト)に変化していくのです。つまり意思を働かせることで脳の神経単位がいっせいに点と線といった材料を組織化し、脳内で音、肌触り、形、味覚、においなどの経験に変換していくのです。


私は「点や散らばった線、放電、光と闇のパターンは組織化され、全体となり、主観的な経験として、この世の中の一枚の画像(形態、ゲシュタルト)に変化していく」過程を見て、世界が意思により形成されているのを体感したわけです。

現象としてはそうなんですが、意志、意図によりゲシュタルトができるという過程において、いのちとこの宇宙の成り立ちを理解することはやはり感動的であり、使い古された言葉になりますが、愛なんですね。

昔の日本人たちは八百万の神と称して、それを表現していたのでしょうね。


「微生物と同じになりたい」と思った私の願いはこのようなかたちで叶えられました。
後日、私が自分が属しているとずっと感じていた世界はそこだったのだと思いあたり、ついに自分のふるさと、原郷に戻ることができたのだと気づきました。

おかげさまで人生観が変わりました。


山は私のコーチだなと思います。
一言も発さず、共に過ごすだけで、このような気づきをもたらしてくれる。
見習いたいです。


images-1
クラインの壷のようにいったん白地(または黒地)から反対の画像を見ることができると、そのどちらをもすぐに見ることができるようになります。

これからあちら側(一なる世界)からこちら側(個々で成り立つ世界)を見る人は増えていくと思います。

私もどのようにそれを伝えていこうかとこれから模索していくと思います。


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ここ数回つらつらと書いてきたのですが、もう次なる意識になっているべき時期なんだろうなと思います。

でも今までの二元論的な世界と考え方に慣れてしまっている私たちにとっては、そのままの認識の仕方では見えてこない部分です。

昔から賢者といわれる人たちが言葉を変え、表現を変え、伝えようとしてきています。

今だから言えることですが、この二元論的な世界においては、賢者の教えが裏目に出たケースもすごくあるように思います。
二元的なマインドから抜けないうちに賢者の教えを学ぶことで、結局、真髄を追いかけてしまうかたちとなり、エゴの偽装した本質にたどり着いてしまいながらもそれに気づかないことも少なくないように思います。
といいつつ、私もそうだったらイヤだなあ(笑)

賢者と言われる人たちの中にもそういう人がいたりするのかなあ?


メギドの火」という本の最初に、
私たちは人間ではありません。人型をした生命体(人間)の中心に居すわって、この生命体のあらゆる経験を観察させてもらっている意識存在なのです。この高度に発展した知的生命体の人間がいかなるものなのか、そしてどのようにさらなる進化をするのか、観察しようとしている意識が私たちなのです。それを虚空といいます。

と書かれています。

空(くう) 舞い降りた神秘の暗号」で話題になったManaさんの著書です。

第一章の最初の文章がこれなので、なんとも爽快に感じました。

物質世界やエゴに囚われてしまうとこの視点が持てませんが、もう私たちはこういう視点が必要なんだと思います。

最近は自我自体がずいぶんと変化し、エゴ意識を卒業し、神意識に向かって成長していっているように思います。

その視野を持ちながら、この肉体ある世界でどう生きるか?というところがそれぞれにゆだねられると思います。

すべては情報、エネルギーでしかないのですが、それをどのように感じ、体験していくかは人それぞれです。

この本には、今までの私たちがいかに狭い思考にとらわれてきたかということと、そこから自由になり、本質を生きるあり方とが書かれていますが、なかなか言葉では表しにくいところを手取り足取り伝えようとされていると思います。

「虚空」というとても抽象度の高い視点を保ちながら、現実に根を下ろしたところから話を書かれていますので、エゴ意識で読んだり、言葉を追うより、筆者の視点に視点をあわせるように読んだり、言葉が醸し出している波動を感じながら読んでいくと良いと思います。


上記『 』に書かれている意識の存在はなかなか実感しにくいものだと思います。

私たちは今まで、肉体、エゴ、思考が一塊になって、それが自分だと思っていました。
そのひとつひとつが切り離されていって、自分は肉体でもない、エゴでもない、思考でもない、、とどんどんはぎ取っていくと、、、そこに残るのものはなにもありません。

自我もないし、魂もないし、意識も世界もない、、、。

無意識を私たちはかいま感じることはできますし、思考が消えた状態を観察することもできます。

空は「在る」状態ですが、その情報の「すき間」にあるものがこれから大事になっていくと思います。


昔、気を扱う指圧を習ったことありますが、「一番深い気のツボは深いがゆえに一番表面に出る」とあり、その頃は意味が分かりませんでしたが、最近、その言葉をよく思い出します。

この世界はそういう現れなんだろうなと思います。

前回、慈悲慈愛の世界のことを書きましたが、今、慈悲の世界のことが出てきたのはそういうことかとわかり出してきました。

またメルマガかブログで噛み砕いて書いていきたいと思います。


  

東京を皮切りにコーチングイベントがあります!
苫米地式コーチングは実は上記に書いたようなところにも切り込んでいるコーチングです。
それをうまくマインドの使い方として使えるようにしているからすごいなと思います。

Change the World 〜世界を変えるコーチング〜


悦月のセッション情報などはこちらから


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理想世界や神を外に求める必要がなくなったと書いておきながら、もっと高みを目指そうぜ〜と矛盾していること書いているなーと気づきました。

この場合は、外の世界にそれを求めることは終わり、内なる神に気づいていくということなのですが。

内なる世界は果てしなく広がり、外宇宙につながっていくので内も外もないですけど、言葉で表そうとすると矛盾が生じてしまいますね。

ってことは私の思考もまだ二元的だということなんでしょう。

二元的なのが悪いわけではないですが、二極化してどちらが正しいとかいい悪いという思考に留まるのは私は卒業したいので。

言語自体が二元論的なところもありますから、これからは今までの言語世界を越えていかないといけなくなりますね。

「外」と言えば、必ず「内、中」が生じるわけですから。


ごく最近、自分の言動の矛盾に気づくことがが増えています。
言語的なことだけではなく、思考や行動においても。

今回のように言っていることが矛盾しているようだったり、何か/誰かに対して批判的否定的に思った時に、自分も同じことをしていることに気づいたり。

気づけるということ自体、違う視点を行き来しているということだからいいことだとは思いますが、それに気をつけようと思うと何も言えなくなってきますね ^^;

それほど二元論的な考え方は浸透しているってことでしょうか。
言語自体がそうなら、それを使う時点でそこから逃れられないってことになります。

言語を使わなくても、空腹と感じたらそこには満腹も潜在的に存在しますもんね。

それこそ詩や和歌のように言語を用いながら言語の向こうの世界を示唆するとか、他の芸術表現などを用いるほうが伝わりやすくなるのかもしれないですね。
あるいは直接、気やエネルギーで伝えるとか。

何かをする、何かを考える、何かを感じる、言葉を使う、、、何らかの言動を行なったり感じたりする場合、必ず反対の事象も生じているのですから、しばらくの間、それに敏感になってみたいと思います。


   

5/29からセッションのメニューと料金が改訂になります。
5/28までのお申し込みは今まで通りです。

個人対面セッション、受付中。
 東京 5/25(日)   京都 5/17(日)21(火)

遠隔セッションは他日でも可能です。
ネームリーディングは5月下旬頃にできあがります。

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気づきと共鳴のお茶会はキャンセル待ちとなりました!
お申し込みをありがとうございました。

東京都内での対面個人セッションは3月25日(火)午前中、受付中です!
京都は3月29日です。

お申し込みはこちらへどうぞ。

  


とあることで昔書いた記事を探していたら、先日の記事に関連するいくつかの過去記事を見つけたのでシェアします。

一つは、宇宙の仕組み2。

いまだに私はこれが宇宙の真理だと思っています。
説明が十分かどうかはわかりませんが、逆回転でできるねじれ渦の中心で起こっていたこと、それがすべて。
始まりであり終わりである。

その中心が全てを生みだしているとしたら、中心自体を作り出しているものはいつできたの?という話になり、「宇宙の仕組み2」に書いているのと同じ時間のパラドックスが起きることに先ほど気がつきました。

卵が先かニワトリが先かという話ですね。

中心を生みだしているものが中心から生み出されていることになりますから。

でもその答えはすでにその記事に書います。
この構造を理解するのには今の時間感覚では対応できないです。
瞬間の刹那の奥行きの連続という感じです。


『この宇宙が始まるきっかけは、すでにその宇宙の誕生から終焉までの過程から得たことから導き出された「質問」によるということです。』と書いていますが、この「質問」を「気づき」に変えても同じだなと思いました。

私が体験した一つ一つの粒子がいのちで、それが流動的に変化しているのを感じましたが、そのいのちを「気づき」と言ってもいいと思います。

私は宇宙は好奇心でできていると思いますので、「知りたい」と思うことでこの宇宙ができあがったと思いますのが、「知りたい」ということは同時に「気づく」ことでもあります。

それはこちらで説明してあるようなことです。→ 「集合体としての「和音」」


『「大宇宙」は混沌で「ただある」状態で、自己の認識がない状態』と書いているのが、私が体験したイザナミに表される状態、あるがまま、混沌、、、、ある意味、黄泉の世界にとどまらざるを得なかったのは混沌のままだったからとも言えるでしょう。

イザナギが規律であれば、無惨な姿になったイザナミは封じられるべきもの。
これは橿原神宮の話と同じパターンです。

『「ただある」状態で、自己の認識がない状態』にはまたいくつかの段階というか、アスペクトがあるんだと思います。
イザナミのエネルギーはその中で一番私たちに理解できるものなのでしょう。
それ以降は「働き」になると思うので、見えないし、触れないし、自己を越えたところでのことなのでなかなか気づきにくいだろうと思います。


その意識のない「大宇宙」が原初だと思ったので、それ以前を考えたことがなかったけど、時系列ではなく、次元的に次があるんだなと気づき始めました。が、もうすでに2010年に答えを書いていたのを発見!自分で読んで、なんと前から知ってたのか!と思いました。どの部分かは想像にお任せしますが。→「空白」の利用法上級編

知識として頭で知っていてもあんまり意味がないので、感覚の世界で体験していってください。
もう私たちはこんなところまで来たんだなーと思います。



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私たちは物質界に意識をおきすぎて、一昔前までは見えないものは存在しないもののように思われてきました。
けれども今は見えない世界のほうが本質であり、広大であり、物質的な世界はその一部でしかないと感じられてきています。

情報空間が主流になりつつあり、私たちが体験しているこの世界は実は映写機から映されている映像のようなもので実体がないことを体感し始めている人が増えていると思います。


今年に入ってから、目の前の向こうのほうに銀河のようなものが見えていて、あれは情報空間で、私たちの本体でもあり、なるほど、宇宙の惑星やその他すべてのかたちあるものは、それぞれの情報がかたちになったものなんだなー、つまり宇宙ってのは情報がかたちとなって表現されているものなんだなと思ってみていました。

つまり情報が先でかたちがあとなんですね。


私は先日、とある空(くう)体験をしました。
それはとてつもないエネルギー空間に充ち満ちているキラキラと輝く情報の中にどっぷりと浸かるという体験でした。

いわば、キラキラのカラフルなラメがたくさん入ったマニキュアみたいな感じです。それが空間一杯に広がり、その中に浸っている感覚で、すき間なくいろんな色のつぶつぶ粒子がキラキラ輝いているんですね。

それひとつひとつがいのちでもあり、それらが常に流動的にうごめいてつながり離れ,変化しているから、ものすごくダイナミックなエネルギーなんです。
響きだらけキラキラ粒だらけの空間であり、それゆえに静寂でもある。

しばらくその中に浸っていて、「ああ、これは空(くう)だ!」とふっと気づいたわけです。
今年になってから見えていた銀河空間のようなものの中にどっぷりと入ってしまったわけです。

詳しいことは「いのちおり通信」に書いたのでこちらでは省きますので、あしからず。
前回書いたイザナミの混沌とした空間もそれに近いかもしれません。


氷は形を変えようと思うと力を加えないとできないですが、水も水蒸気もそれそのものの形はなく、流動的に周りにあわせることができます。

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固体の世界を唯一の真実と思っているとなかなか変えられないですが、気、情報の世界を主体と思うと、こちらの世界は印象派のつぶつぶの絵みたいなものです。

つぶつぶの集合であり、私たちの本質はその集合体であるわけで、それがいろいろと結びついた時に意思なり目的なりを持った存在として個別化していく、つまり、ひとつのいのちとして生じるということなんだなと思います。

印象派の人たちがそこまで意識していたとは思いませんが、ゴッホなどは案外、色彩レベルだけでなく、宇宙の本質に気づいていたかもしれないですね。

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草間弥生さんはその中に住んでいる人というか、そのものなんでしょうね。
アヤワスカのアーティストなどの絵もそれを喚起させられます。

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曼荼羅画やイスラム模様もその類いですね。

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この最後のイスラム模様など、うるさすぎて静寂、静であり動というのがよくわかります。砂漠で夜空を見上げているとこんな感じで、それと神という概念がくっついていくというのは容易に考えられますが、この状態であれば、一神教と多神教が同じというのもよくわかります。

このイスラム模様を星空といっても通じるし、森といっても通じると思います。
空(天)か地上かの違いが、その後、一神教と多神教を別物にする方向に向かったんだと思います。中沢新一氏の男性原理と女性原理の話が思い出されます。


静寂の無っぽいのも空であれば、密に埋め尽くされたのも空なんだろうなと思います。
人によって感じ方が違うと思いますが、ただ世間一般ではこういうのが「空」というのがあるように思います。それを体験しないと空体験をしていないと思うのは、すでに「空とはこういうものである」という限定された思考領域での体験で、自我の自己満足の疑似体験になってしまう可能性がありますので、それには気をつけたいですね。

実際の話、私はその時「あ、これは空だ!」とひらめいたわけですが、そうなのかどうかは知りません。自分がそう思っただけで。

でもそれが空なのかどうかは私にとっては重要でなく、それにより私の認識が広がったのが楽しいです。その先もまだあるので、これから楽しみです。


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明けましておめでとうございます!
2014年の幕開けですね。

今日は元旦にして新月。
めったにないことですね〜。

新しい始まり。実り多き年にしていきましょう〜

本年もよろしくお願いいたします。



思考のベールを脱ぎ捨て、いのちとの深いつながりを取り戻していきましょう。
今年はマインドを超越して、新しい間隔が開いていく年となると思います。

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東京都内での対面セッションのお知らせです。

9月24日(火)午前中、25日(水)です。
(18日の受付終了しました。)

お申し込みフォーム

お会いできるのを楽しみにしています


さて、今日は新月ですね。
そのせいか、朝から変な気分というか、ネガティブな思いがフツフツと浮かんできて、なんだろうなー、ヘンな感じと思ってました。

それとは関係ないですが、フッと思ったのですが、スピリチュアルや精神的な世界で言われているようなことが全部ウソだったら?と。

ウソというと言葉がきついですが、人間が長年かけて造り上げてきた思考の世界でしかないのに、それを信じてしまっている私たちがいるというだけの話かもしれないと。

私たちが信じたからそれは存在してる(た)のだと思います。


すべては在るけどない。
空の世界。

この「空」の認識が人それぞれいろいろな気がしますが、今日はそれは横に置いておいて。


ずいぶん昔、私が死んでも世界は存在するのか、それとも無に帰すのかと考えたことがありました。
多分、世界は存在するんだろうな〜と何となく思いましたが、またわからなくなっています。

実際、どうでもいい話ではあるんですが〜〜。

今、私たちが見ている世界は意識が作り出している世界だとしたら(ってかそうだと思いますけど)、その意識が自我を認識できなくなると、自我を認識できないんだから自分が存在しなくなります。

それを無になるというのかもしれないですが、実際はなくなっているわけでなく、自分の存在を認知できないだけで在る状態なわけです。

熟睡している時がそうですね。
自分の存在は感じていないけど、肉体は存在しているといえるんですが、何をもって存在というのかと思うとこの答えもあやふやになります。

熟睡している自分は少なくともこの世界では自分の存在に気づいてません。
そのまま熟睡し続けていくと自分の存在を知らないままになります。

が、こちらの世界の外部から見ると、横たわっているからだがあるわけですから存在していることになります。

熟睡している自分は深い意識の夢の世界で自分の存在の自覚があるかもしれません。


こういう話は、ここにいる肉体を持っている自分を基準としてますので、そもそもその設定がどうなのよ?と突っ込みたくなりますが。


が、自分がなくなってしまうのでは話が続かないので、自我を保ちながらひとつになることを私たちは求めるわけです。

悟りや目覚めについてもいろんな言われ方がありますが、それも正解などないと思います。
こんな神秘体験があったという報告に惑わされて、神秘体験がないと覚醒していないと思う人が増えたと思います。

輪廻転生もアセンションも悟りもワンネスも解脱も神様の世界も宗教も全部思考の産物。

どれほど私たちは作られてきた思考の世界の幻想の中に過ごしているんだろう?と思います。
これからそれがどんどんとはがれていくんでしょうね。


気づく人だけ気づくことができる世界。

でもそれが真実かどうかは誰もわからないですね。

私たちは自分が意識的にせよ無意識的にせよ、自分が信じた世界を生きるわけですから、信じることで創造しているともいえるでしょう。

それに気づけば,自分が何を創造(想像)しているか?をみるようになるんでしょうね。

でもそれもまた真実かどうかは誰もわからないですね〜。

なんとなくまんじりとしない新月の夜につらつらと書いた独り言でした〜。


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現在公開中の映画「クラウドアトラス」を再び(二回目)観ました。

それはなぜかというと、つい先日、自分もまたクラウドアトラス的状況にいることにはたと気づいたからです。

映画を見て、ブログ記事にも書いていたのにまったくそれに気づいてませんでした。
日が経ってから「あらっ!」と気づいて、もう一度観たくなりました。

2回目を観たらもっと理解できるだろうと思いましたが、ますますこんがらがってしまいました^^;
なぜなら1回目で見えてなかったものが見え出したからです。

新たな気づきも起こり、「思ったより深いぞ、この映画」と思って新しい視点ももちながら観るとまた新たに気づくことあり、ますます映画の中で起こっていることが把握しきれなくなって、これは〜〜もう一回観なくてはならんかと思ってしまいましたが、多分DVDになるのを待つことになると思います。

過去記事「クラウドアトラスの視点」に『ありとあらゆることが編み目のごとく関連し合っていて私の頭では追跡不可能』と書きましたが、まさにそれでした。
それを把握しようと思うと相当エンドレスな作業になっていくと思うし、だからどうなのさ?というところもあります。


映画を見ながらも、これは誰だろう?と思いながら、他の時系列と結びつけてましたが、そのうち、今現れている世界で何かが起こると、他のところではなにがどのようにおきているのか?というところも気になり出し、さっきまで見えていた世界と次に現れる世界のリンクづけなどいろいろと気になり出しました。

いくつかの違う時系列の人生が展開していくのですが、同じ俳優が同じタイムラインの過去と未来で違う役をしていたりというのもあったようですので、輪廻転生だけではなかったようです。

また同じ俳優が違う役をしていると、その役同士が同じ魂の生まれ変わりと思いがちですが、必ずしもそういえないかもしれないし、、、。

一つの世界でいい決断をした/しなかったことが、他世界にどう展開していくか?とか。

ある人があるところで言ったことばが他の世界でそのまま実現していたり,影響を及ぼしていたり。

もしこの人がその言葉を発しなかったら、その世界が起こったのか?起こらないのか? それらが関係あるのかないのか?

過去世でしたこと,気になったことが、他の世ではどのようになっているのか?

もちろん同じタイムラインの世界でも同様のことが言えます。


またそういう話だけでなく、現在社会の風刺、支配層とそうでないものとの関係や,同じ状況を親子関係にも関係させたり、現在の私たちへのメッセージも含め。

相当考えられて作られた作品、というより右脳的直感によって作られた作品なんだろうなーと思います。
それこそ高次元存在が働きかけてできあがった映画かもしれません。

また、見る側が関連づけていくことで新たな関連性が生まれていくのかもしれません。

輪廻転生も含め、時系列関係なしに、どこかで何かが変わったら宇宙全体に影響するといってしまえば簡単ですが、それがどこでどのように影響しているかは現実には把握不可能です。

バタフライ効果みたいなものだけど。


例えば、列車の人身事故。
事故自体は誰かが列車にひかれた。事故?自殺?何人の人に影響が出たというニュースで終わりですが、その事故による影響ははかりしれません。

例えば、それで大事な約束に行けなくて仕事がおじゃんになるとか、飛行機に乗り損ねたおかげで墜落事故を逃れたとか、足止め食ったおかげで思わぬ人に出会ったとか、とくに変わった出来事はなかったけどいらいらしたとか、関係した人たちすべてに対していくらでもストーリーが始まっていくわけです。

、、、列車が止まってイライラしたので降りた時、落ちてた缶を蹴った、、、それが前にいた人にあたり、、、その人が今、奥さんになってる、、、その子どもが時代を変える大発明をした、などそれに関わる人たちのストーリーもかわっていくわけで、これはきりがないです。

すべてのものはつながっていて、ひとつが変わると全体に影響するというのは頭では「なるほどそうだね」でわかるのですが、実体験でと思うと、なかなか私のくしゃみがアフリカの飢餓を引き起こしているとか思えないわけです。


仕組まれたように絶妙なタイミングで物事が起こることは今まででもよくあったことです。

が、だんだんと、以前誰かがした体験と似た状況を自分が体験していて、ああ、あの時この人はこのように感じていたんだろうなーと感じることや、誰かが誰かにしたこと/されたことを第三者が行なっていたりされていたり、またそれが違うところから戻ってきたり、、、集合意識/無意識的なところでのことを追体験しているとか、、、。

「あなたとわたし」という関係ではなく、いくつかの視点や立場を体験するために物事が起きているような状況がすごく増えてきているなーと感じていて、はたと「これってまるでクラウドアトラス、、、!」と思い至ったわけです。

なにかヒントが得られるかも?と再び見に行きましたが、ヒントになるより、もっと深いものがあると感じてしまいました。


前回は思わなかったですが、今回思ったことのひとつ。

あの「お告げ」はどこから来たのか?

映画を見た人は何のことを言っているかわかると思いますが、このお告げだけは現れていたどの世界のものでもないように思うのです。

私にはまだまだ気づけていないところがたくさんあるように思いますが、それぞれのタイムラインの世界があり、それらがつながりあって世界を構成していて、その世界は過去世も未来も地球外も含まれていて、どこかで誰かが体験することがすべてに影響して全体が変わっていきます。

けれどもそのようにこの物語を追っていっても本質には到達しないように思います。

なぜならそれは見えるところに表現されていないから。

結局また「うしろの世界」なんだけど、私たちを本当につなげているものが私たちの本質であり、現象や見えていることや経験していることはその部分でしかないんだろうなと思います。


「人間」は「人」と「間」。
人と人の「間」に本質がある。

「間」は門構えがあって、その真ん中に「日」がある。

「日」は○に点。いのちの始まり。

○だけだと「口」。となると「問」。
空、ゼロフィールドに問いを放つと、いのちが始まる。


私たちは体験するその部分を現実と思い、そこに真実があると思って探します。

が、本当の目覚めは個人レベルの話ではないんだろうな、、、。


今日ツイートで、「龍」という表現をしましたが、個人を超えたすごいものが目覚めつつあるのを感じます。
それは本当は龍ではなく、うしろの世界そのもの、うしろの世界は私たちの本質。裏返ったところの本質。

私が以前言っていた「しらたまさま」はそのところのものです。

私はその鱗片を感じているだけで、まだそのものを把握していないけれども、これからこれが大きく動き出していくと思います。

形も概念も名前もないものなので、いろんな呼び方がされていると思います。

それはまるで津波のごとく、すべてを飲み込んでいきます。
そこにいったん淘汰されることで、また新しい世界に生まれ直します。
(実際に津波が起こるという話ではなく、エネルギーの話です)

まさにこれはさなぎがさなぎの中でドロドロになって蝶になっていく過程と同じです。

なんとなく感じとっておくと、その時がきても大丈夫〜と思えると思います。
個人の目覚めがその大きな意識の目覚めを促すんだろうと思います。

この大きな意識は「新しい自我」が生まれるということかもしれない。
その自我は個々人ではなく、それ以外「間」で形成されるもの、宇宙自我といっていいかも?

それとも地球の精神圏(ヌースフィア)ができあがってきたということだろうか、、、?
でも地球というより宇宙全体のような気も、、、うーん、もうちょっと探ってみます。

なんだか「クラウドアトラス」からわけのわからない話になってしまいました。
すごいことになってきたなあ、、、。


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今、公開中の「クラウドアトラス」という映画を観る機会を得ました。
私、これ、ファンタジーアドベンチャーみたいな娯楽映画かと思ってたんですが、全然違ってました。

「ミッション・8ミニッツ」「ルーパー」と時間軸が交差する映画を見ましたが(どちらも記事に書いてます)、「クラウドアトラス」もそうでした。

「ミッション・8ミニッツ」はパラレルワールドを上手く表していて、現実や現在とはなにか?という問いかけがあったように思います。

「ルーパー」は過去〜未来を交差させながら、変わらずにあるカルマとエゴの死を取り扱っていたと思います。

そして「クラウドアトラス」は輪廻を取り扱い、過去世も今世も未来世でも関わり合う人たちがいて、全てが同時進行していて、一つが変わると他の世界にも変化が起きて相互作用があるという展開を見せています。

観ながら、手塚治虫の「火の鳥」を思い出しました。
「火の鳥」もサルタヒコが何度も輪廻転生をくり返し、いろんな時代を生きていきます。


やっぱりもう直線的時間感覚は終了し、同時進行相互作用の時間になったなーと思いました。

どのタイムライン、時間軸、エネルギーフィールドにおいても、そこの自分が変化すると、全ての宇宙に変化が起き、全体が変わってしまいます。

他の時空にいる自分やその環境、状況も同じように変化を受け、変わっていきます。


ここで注意していただきたいのは、自分は唯一の存在ではないということです。

今世,過去世、未来世の自分、昨日,今日、明日の自分、1歳の自分、30歳の自分、漁師の自分、医者の自分など無数に存在する自分が、別々に存在しているように同時進行していると思ってください。

自分がどこにいようと、何をしていようと、どの時にいようとすべてが関係し合っていて、今の自分(今ここのあなたが感じてる自分です)が変わると、今体験している現実も変わるし、他のあなたも変わってきます。

そういう意味では、すべてがつながっていてひとつですが。

ただ、無数の自分がいるとしても、今ここにいる自分は今ここにいる自分としてしか体験することができないので、他のタイムラインの自分になったとしても、また今「ここにいる自分という状態」で体験することになるでしょう。

もっと意識が拡大すると、複数の自分を同時体験することもできるようになるかもしれませんが。


「クラウドアトラス」はそういう視点を見せてくれる映画だと思いました。

各登場人物はそんなこと考えてないんだけど、客席に座って観ている私たちはその視点を持つことができます。

現実の生活でもこの視点を持つべき時代に突入したなと思います。

自分のためだけに生きているようでも全体に影響が生じる構造なので、自分がいかに生きるか?というところが大事になってきます。

自分を幸せにすること、自分を誇りに思えるように生きること、自分に誠実に生きることは、もしかすると違うタイムラインの世界(の誰か)を救っていることになるかもしれません。

バタフライ効果はこの地球上においてだけでなく、時空を超えてありとあらゆるところに影響を及ぼすのだと思います。

こういうのを縁起っていうのかな? 仏教のことはよく知りませんが。


正しく前向きに生きなさいというつもりは全くないですが、こういう視点は大事かなと思います。

もしあなたが古い思考から抜け出れなくてあきらめかけているとしたら、あなたがそれを乗り越えることで、時空を超えたなにか(例えば、それは自分かもしれないし、他のタイムラインで死にそうになっているあなたの恋人かもしれないし、ストリートチルドレンの誰かを救うかもしれないし、どこかの星かもしれない)の危機を救うとしたら?

そうしたらもうちょっと取り組んでみようかって気になりませんか?
まあ、もうがんばるって時代でもなくなってきてますけど。

そういう仕組みに納得できたら、今のあなたの在り方がもしかするとずいぶん変わるかもしれません?


昔の日本って、お天道さまがみているといって、大いなるものの存在に畏れと畏敬の念をもっていましたが、もしかするとこういう仕組みを感じてたのかな?

なんで人間、正しく生きなきゃいけないんだ?って思うととくに理由がない気がします。
道徳的に生きるのが正しいというのもひとつの観念でしかないから。

でも自分がいかに生きるかが時空を超えた全宇宙に影響を与えるとすると、まさにお天道さまが見ている状態といえないでしょうか?

お天道様が見ているから恥ずかしくないように生きようとするというのは、太陽が地上を照らしているからとか、神様が見てるからとかではなく、自分の行ないがまわりの宇宙に影響することを言い換えているだけなのかもな?と思いました。


自分の体内の各細胞も「自分」と同じように存在している生命で、それらにも同じことが当てはまると思います。

その細胞の一つの変化がこれまた宇宙全体に影響を及ぼし得ると思います。

また,人間だけに限らず、ありとあらゆる存在、目に見えようが見えまいが関係なく、すべてにこれが当てはまると思います。

そうなってくると、もう私の頭では関連づけができなく、ものすごい編み目構造ができあがっていくのですが、コンピュターにしろ脳にしろ、それをやっちゃっているなあと思います。

インターネットなんてのも、「輪廻転生」って検索したら、いつの記事とか関係なしで輪廻転生に関する情報が出てくるわけだから時間軸はごっちゃですよね。

それを今の自分が見ているという状態です。

なんて思っていたら、ちょうどいい具合にバシャールのこの動画に出会いました




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