いのちおり - 本来の自分に還るために

さあ、未来の自分に還る旅に出よう!
人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

カテゴリ: 潜在意識、インナーチャイルド

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先日、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ってきました。暗闇体験。
 
実は私、ずいぶんと前に、あるアート作品で暗闇体験をしたことあり、その時が印象深く、それ以来、真っ暗闇好きです。
 
その時の衝撃をもとに、現代アート制作をしていた頃に、ふたつの暗闇の作品を作りました。
そんな暗闇好きの私でしたので、すごく新しい体験というわけではなかったですが、いろいろ気づくことはたくさんありました。
 
その一つは、私たちは視覚が見えなくても記憶から見るということ。
 
真っ暗闇の中、テーブルに座って飲物を飲む時間がありました。
 
人の声や音、空気感、物の形などから、勝手にその部屋をイメージしているのですが、それを目で見るように(といっても形ぐらいですが)、空間的に把握しているんですね。

部屋の大きさや形、イスやテーブルの形など。
 
もし一度も見たことがないものであれば、そのような想像はしなかったでしょう。
が、生まれてこのかたいろんなものを見て、イスやテーブルはこんな形というのが記憶にあります。

形から「これはイスだ」と気づき、手探でだいたいの形がわかったら、それを頭の中でイメージしていました。
 
真っ暗で目がみえないのに、記憶で情景を構成しているんですね。
 
実際に灯りをつけてみたら全然違うかもしれません。

生まれた時から見えない人はどんなイメージを脳裏に描くのかな?と思いました。
物の形は手探で把握できるから、イスはこんな形、テーブルはこう、とパターンを覚えたら、結局似たイメージになるかもしれません。
 

あえて意識しない限り、私たちは記憶の中で生きてしまいます。
 
セルフイメージも、常識も教育も、幸せも、インターネットも、人生も、
過去から蓄積された情報によってそういうものだと私たちは思い込んでいます。
 
意識的にそれを疑ってみることは、暗闇で灯りを灯して、実際の様子を確かめてみるようなことでしょう。
 
そうして初めて、いかに自分が思い込んだ像を描いていたかを認識するのでしょうね。


また、物が見えていると「物体」を見がちですが、真っ暗闇だと空間をより感じます。
 
暗闇という空間に満ちているところに物があるという感じ。
 
感覚を研ぎすまし、気づくということは楽しいですね。
新しい世界が開けます。
 
そういうことにはとてもワクワクします。



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駅のホームで電車を待っていたら、
一人の女性に「二列に並んでおられますか?」
と聞かれました。
 
私は先頭の人の斜め後ろに
ちょっと間を空けて立っていました。
その方は私に、先頭の人の横に
二列に並んで欲しかったようでした。
 
混雑しているわけでもなく、
後ろの人たちもいい加減に並んでいたので、
「適当でいいんじゃないですか?」と答えると、
「二列に並んでお待ちください」とアナウンスが入りました。
 
彼女は「二列に並んでっていわれているし」と言われるので、
「どうぞ、前に並んでください」というと、
思いあぐねて先頭の人の横に立たれました。
 
言われたことを疑いもせず、従順に従う姿は
すごいなと思いました。
 
彼女にとってみれば、
「そのように言われたからそのようにする」
というごく当たり前のことなのでしょう。
 
私は、二列に並ばなくてもいいと勝手に判断し、
適当に立っていたわけです。
  
私たちは普段、随時、
このような無意識の選択をしています。 
  
「ホームでは二列に並ばなければならない」
という思考のフレームがある人は、
そうしないといけないと思って
自動的にそのように行動します。
 
私は反対に、自分の選択を重視していたので、
無意識にずれたところに立っていたわけです。
 
自分の行動一つ一つに対して
自分がそうしていることを意識にあげ、
なぜそれをしているのか?までわかると
人生洞察が深まりますね。


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現在公開中の映画「記憶探偵と鍵のかかった少女」を観た。おもしろかった。

クライアントの記憶の中にはいって何が起こったかを探る探偵と、たくさんの問題を起こしているIQの高い少女。


いったい何が本当で、何がウソなのか?

相手にそうだと思わせたら、それがその人にとっての現実となる。
自分がそうだと思い込んでいたらそれは自分にとっての現実だ。

記憶も偽造できれば、現実の物質的な物事も偽造できる。

いろんな現実が錯綜し始めると、いったいなにが本当なのか、何を信じていいのかわからなくなる。


現実も記憶もいかに曖昧か。
そして現実も記憶も書き換えられる。

人は自分の都合のいいように過去の記憶を書き換えていく。

記憶、個人の体験、現実、夢、仮想現実、、、
そこに確実なものはなにもない。


セッションをする時、最初は深刻そうで根が深そうな問題に思えても、簡単に変わってしまうケースも少なくない。

当人が、変えられない、変わるのは難しいと思い込んでいるから変わらないのだ。

あなたがくり返し再生している過去の記憶が本当にそのまま事実なのかなんてわかりゃしない。が、あなたがそう信じているのならそれはあなたにとってまぎれもない事実だろう。

それを疑う勇気を持つと、石のように固まっていた現実が揺らいでいく。


私にとっては「クラウドアトラス」につながる何かを感じた映画だった。
視点の多様さかもしれない。

「クラウドアトラス」は一点の変化が時間軸を超えて縁起で結ばれ、この映画はいろんな角度から現実の一点を見ようとするが、その現実は生き物のように変化していく。

自由になった少女。
彼女は私たちの中に眠る狂気であり天才性かもしれない。

1回見ただけではあまりわからないが、象徴的な暗喩がたくさん潜んでいるような気がする。


映画後、外に出てから、自分の記憶と照らし合わせてまわりを見ながら歩いてみた。
すごくおもしろい感覚だったが、当然のことながらほとんど記憶の再生だった。

自分の中でもまた現実が揺らいだと思う。

あちらからこちらを見る視点が最近増えてきているけど、この映画でもそれについて学べたので、またひとつ意識が広がった。


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再び、「3月のメッセージ」の『「ある」を知る』の話です。

少し前のブログコメントで、「ザ・チケット」という電子書籍を思い出して読んだら、このことが書かれていたとあったので、私も久しぶりに読んでみました。
「ザ・チケット」は、数年前にこのブログでもメルマガでも紹介しています。

そうしたら、あった、あった。とてもわかりやすい説明が。
私の言葉で説明しますけど、、、。


なぜ、『「ある」と知る』だけでいいのか?

真理は超シンプル。
シンプルすぎて私たちにはなかなか理解できないから、何世紀にも渡って何千冊もの本や修行で教えることになるんですが、実は『説明がいらないほどシンプル』(←この意味はものすごく深い)。


私たちは普段、顕在意識で物事を考えます。

それは私たちが生まれてから得た知識や、経験から学んだことなどをもとに理性的に考える意識であり、私たちが自覚している部分です。

普段あれやこれやと考えているのはこの顕在意識、エゴの部分ですね。

この意識は経験から成り立っているので、自分の考えや知っていること、常識などをもとに物事を現実的に見ていきます。
理屈が通らないことは非現実的、想像の産物と見ます。


例えば、今、お金がないのに、『お金があると知る』としましょう。
そうすると顕在意識はそれが理解できないんですね。

「今、お金はないし、入ってくる予定もないのに、なぜあるんだ??」

まったく意味不明。理解できない。

顕在意識は理性的だから現実的に考えるので、どうやってお金がある状態になるのかわからないのです。

一般的思考なら、世間一般や典型的親がいう言葉を想像すればいいですが、「もっと現実的になれ」「ちゃんと働け」「夢ばかり見るな」「この先どうするんだ?」という話になっていきます。

が、その方向に向かわないで、「お金はある」のエネルギーに留まったらどうなるでしょう?


顕在意識はそれについて考えるのをやめるんです。
なぜなら思考がついていかない理解できない領域だから。


顕在意識が理解不能な領域にもっていくと、お手上げ状態の顕在意識は身を引いてしまいます。

そうなるとその領域は顕在意識の縛りから自由になり、「ある」状態を作り出す方向に向かいます。
そこはなんでも可能な領域で理屈や常識にはとらわれません。


「ある」と知っていたら「どうしてあるのか?」という理由づけは必要なく、「あるんだからある」わけです。

そこに何の疑問も議論の余地もないぐらい「ある」んです。

目の前にモノとしてあるって意味ではないですけど。
(この話は「脳は知っている」を参考に)

もうすでに「ある」の領域ですから、現実にもあってあたりまえ、です。

それをどうやって現実化するか?を私たちが考えなくても、潜在意識が宇宙とコラボして、ベストタイミングでベストな状況を予期せぬ方法でもたらしてくれるんです。


エゴが理解不能な領域に投げ入れてしまえば、エゴはどうすることもできないから、どうにかしようとするのをあきらめてしまいます。

そうすると人間の固い理性的思考は排除されるので、潜在意識はとても動きやすくなります。
宇宙意識とつながって絶妙な仕事をしてくれることになります。


自分の思いを実現させるのは想像以上にシンプルなのですが、なかなかそれが信じられないから、私たちはいろんな理由づけをして難しくしてしまいます。

なんてったって、もともとは「想像=創造」だったのですから、想像するだけで創造できるのが本来の在り方です。

できて当たり前なんですね、ホントは。

と書いても、私もまだ想像するだけで創造できてないので大きなことは言えないんですけど〜〜。

今日は春分の日ですねー。
これからますます「ある」の世界が始まっていくんだろうな〜と思います。


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知人のやまがみてるおさんが1月に『「いまここ」にさとりを選択する生きかた』を出版されました。
そのなかですごくわかりやすい話がありましたので紹介します。

ではここで、「右手をうえにあげたい」と考えてください。

右手はうえにあがりましたでしょうか?

「右手をうえにあげたい」といくら考えてみたところで、私たちの右手はあがりません。

どうしてあがらないのでしょうか?

それはたんなる思考だからです。思考は現実化しません。現実化するのは思考したからではなく、私たちのなかの、それが起こることを確信している部分が、それが起こることを意図し、その結果を受け取っているからなのです。

ではじっさいに右手をうえにあげてみましょう。感覚の違いに意識を向けておこないましょう。

いかがでしたでしょうか?

右手をうえにあげたときには、それがただ起こることを確信している部分があり、その部分がその結果をただ受け取っていることが確認できたでしょうか?
それが起こることを確信している部分が、それが起こることを意図し、私たちはその結果を受け取ります。私はこれを「意図の力」とよんでいます。私たちには「意図の力」があります。これが宇宙が与えてくれた私たち自身の力です。

意図によって手にすることができるのは、出来事の結果ではなく、自分自身の行動です。行動が変わることによって、私たちの受けとる結果に変化が起こります。これによって世界の展開は変わっていきます。


以前も載せましたが、バシャールの物を拾う例え話とも共通しています。



「思考は現実化する」とはいえど、いくらイメージングしてもアファメーションしても実現しない場合,表向きの思考と内心感じていることが違うのか、まちがったオーダーをしていて違うことが実現しているのか、はたまた実現しているけど気がついていないか、になると思います。

確かに右手を上げようと思うだけではあがらない。
自分の右手を見ながら「あがれ、あがれ」と思ったり,あがった状態をイメージしてみたりするとよくわかります。

まず自分でやってみて、違いを感じられてからこの続きを読んでください。

頭の中で「あがれ、あがれ」と言っている状態のとき、頭と腕の意識が別々に存在している感じです。腕が他者のような。
頭では「あがれあがれ」と言いながら、腕は「あがりたくない」と拒んでいる感じです。

右手があがった状態を体感でイメージしてみると、腕がぴくぴくとあがりたがりますが、まだあがってません。

腕があがるときは一瞬であり、「あがれ」と思う前に腕があがっている感覚です。
思考と行動が同時、あるいは腕の方が早いぐらいです。


脳の中ですでに腕があがっている状態になっているので、そのように肉体の腕があがると思ってもいいのではないでしょうか?

つまり「右手をあげよう」ではなく、『すでに右手があがっている状態があるので右手をあげることになる』ということですね。

もちろん右手をあげようと思ってからあげることもできますが、その過程においてもやはり同じことが言えると思います。

脳のこのような実験があるそうです。
「意識による判断の7秒前に、脳が判断」:脳スキャナーで行動予告が可能

被験者が判断を下す7秒も前に、脳ではその行動が決定されているとのことです。
つまり被験者の意識にあがる7秒も前に脳は認識しているわけです。

ここでいえば、腕を上げようと思う7秒も前に脳はそうすることを決めているということです。
7秒ってけっこう大きいですよねー。


そうだとすると、自分の顕在意識でこうしようと決める以前に、脳はすでにそれを決めていることになります。つまり潜在意識の部分です。
自分の意志より先に脳が行動を決めているわけです。


というところで、「3月のメッセージ」の『「ある」と知る』につながっていくのですが、この「知る」というのは、「意識による判断の7秒前に、脳が判断」している状態なのかもしれませんね。

知っているからそうなるのがあたりまえというわけです。

腕があがるのを「知っている」からあがるわけです。

やまがみさんは『それが起こることを確信している部分が、それが起こることを意図し、私たちはその結果を受け取ります。』と書かれています。

脳がすでに「ある」という結果を知っている(決めている)から、そうなるわけです。


もうすでに、今のシステムや世界観をどうにか変えようとエネルギーを注ぐより、新しい基盤でいかに新しい世界を構築していくか?に気持ちを向けるほうが実現しやすい時代となりました。
個人においても世界や社会においても。

「今の世界を変えようとする」は「今こういう状況があるからどうにかしなきゃ」というスタンスです。

新しい世界は、そうなると「知って」いればそうなっていく世界なので、今がどのような状態かは全く関係ないんです。

もう「自分のここを変えれば」「・・を達成すれば」というアプローチではなく、まずはすでにそのような状態になっていることを知って、それに伴う行動をしていくほうがいいと思います。

「結果が先にあって今の行動」という流れですね。

先日つぶやいてた「今創る未来があとからやってくる。」はこういうことです。

もう創造性の世界が始まってますねー。

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前回の話に関連して、、、

神経解剖学者のジル博士は、「奇跡の脳」という本を出しておられます。
(私はまだ読んでないのですが、読んでみたいですね)

彼女は以前、脳溢血を起こし、左脳の一部が損傷を受けました。
職業柄、その経過をしっかりと自己観察されたようです。

右脳と左脳の違い、今の分離世界と一体感の世界などをとてもおもしろくわかりやすく説明されて,かなり面白いです。

脳の機能不全時の世界観、脳卒中、脳梗塞 1/2

脳の機能不全時の世界観、脳卒中、脳梗塞 2/2


右脳と左脳が,物質的にもあんなに別々だったとは驚き!

まずは左脳(エゴ)の独裁から自由になることです。
両方の脳をうまく行き来できるようになると、人間の価値観もかなり変わり、可能性も広がるでしょう。

これからの時代に必要なことですね。


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さて、先日は島田紳助さんの芸能界引退でにぎわいましたが、一歩遅れてその話を。
といっても、引退についてのあれこれではなく、私のことです。

私は、引退会見があるというのを聞いた途端に思ったのは「政界進出か?」だったのですが、その後、たまたま会見を生中継でテレビで見ることができました。その後ツイッターを見ると、『芸能人のニュースでにぎわうときは、裏に知られたくないニュースがあるから、そちらに注意せよ!』というようなツイートがあり、私もそれを感じてました。

その憶測はいろいろなされているので、ここでは書きませんし、あまりそのエネルギーに浸かるのもどうか?と思います。けれどもそのようなことが当たり前のごとく起きている世の中だということはしっかりとふまえておく必要があると思います。なので、最初はツイッターで固有名詞の出る記事をRTしていましたが、たくさんそのようなツイートが出た頃に消しました。


引退会見を見て、自分の中で何かまんじりとしないものがありました。本人の意思と関係なく動いているものがあるように思いました。

自分の中に同じようなものがあるから、そのニュースを見たんだろうな?と思いました。
それで、紳介さん引退にまつわることをすべて自分の内側で起きていることの現れ(象徴)としてみたら何が見えるのだろうかと内観してみました。

事実はどうであれ、あくまで、自分の内面の動きの現れとしてみました。

すると、出てくるのは、大きなシステムや体制に対するやるせなさや無力感。
人情や、人と人との心のやり取りみたいなところは全く無視され、世の中はこういうもんだという基準のなかで判断され、裁かれていく理不尽な社会。

以前、映画で、知的障害の親から子を引き離す話がありましたが、父と子はお互い一緒にいることを必要としているのに、役場側は、親に養育能力がないとして子を施設に預けるという話だったと思います。

ふたりの感情や人間的絆より一般論や通説が基準となり、優先されてしまうわけです。
よくあることですが、現場のことを知らずに書類だけ見て物事が進んでいくような世界ですね。

紳介さん引退の件も、本人も引退について考えていたらしいですが、どうしようもない大きな仕組みの中で、それに関してどうにもできない自分みたいなものを感じました。


ということは、自分にもそれがあるのか? 

はいはい、あります。
昔からアウトサイダー、少数派、反体制的なところがあり、今回の震災以後、ますますそれを感じてしまっている次第です。だから昔、パンクにはまったんだな

前回の記事で、ジブリ映画の宮崎親子の動画を載せましたが、ああいう生きた人間らしいものが失われてしまった背景には、このような資本主義の社会体制の中でにっちもさっちもいかなくなって機械的に生きてしまっている私たちがあると思います。

先日、イギリスで暴動がありました。(他国でも起きてますが)
私もイギリスに住んでいたことがあるのでわかりますが、労働者階級は労働者階級としての人生しか選択できないような風潮があり、たくさんの労働者階級の人々はその差別に不条理を感じていました。今回の暴動にその不満の蓄積の爆発があったとしても十分納得です。といっても私がイギリスにいたのはもうずいぶん前なので今の状況はわかりませんが。

今の世の中、その体制みたいなものがだんだんと成り立たなくなり、壊れていっているなあと思います。本当に支配社会が崩れつつあるのだと思います。

政治や金融、経済の不安定、暴動、原発問題など、最近起こっていることのほとんどは、自分ひとりではどうにも変えようのないような大きなシステムや体制に対しての反発や暴露、崩壊となっています。

種々の大規模な天災は人間が起こしているものではないですが(なかには人工的といううわさもありますが)、人間の自然破壊や自然に反した生き方の結果でもあり、人間にはどうにも太刀打ちできない大きな自然の成せる技でもあります。

自然災害だと、自然や神様を恨んだところでどうしようもないのでまだあきらめもつきますが、 そこに人的要因、それも人道的でない要因による被害が入ってくるとなかなか怒りが治まらなくなります。


とまあ、引退騒動の話から話が広がっていったのですが、これを自分に置き換えてみるとなんだろう?と思ったら、自我さんなんですねー。

今まで自分のコントロールで支配していた世界(自分自身)だったのに、もう一人の自我(客観的自我)がそれに気づいて、「いち抜けた〜!」と右脳サイドについたもんだから、今まで自我(エゴと呼びます)が作り上げた世界がどんどんと崩れていく。

フロイトは、『エス(イド)』『自我』『超自我』と分けていたみたいですね。

エゴは、まだ自分の築き上げてきた世界を手放すまいとがんばりますが、右脳世界は無意識世界であり、宇宙に扉を開いていますから、宇宙に対抗して勝てるわけありません。

自分の力ではどうしようもない大きなシステムや体制というのを、宇宙の流れと置き換えることができるでしょう。

私が感じた、紳介さん引退騒動や人災天災で感じている無念さ無力さは、私のエゴの宇宙に対してどうにも打ち勝てない無念さを表しているかもしれないと思いました。

私のエゴがまだそれを受け入れられていないから、外界にそのような現象をたくさんみるのであろうか?と。

となると、私の中のエゴがその思いをなくし、大きな流れに身をゆだねることができたら、状況は変わるのではないだろうか?

「人間万事塞翁が馬」、あるいは、バカボンパパの「これでいいのだ!」ではないけれど、宇宙に対してバーンと自分を明け渡すことができたら、自分の欲求を放棄して宇宙に融合できたら、私が見ている世界は変わっていくと思いました。

それができたら、「私=宇宙」であり、無我であり、真我なのだと思います。


と思ってみたら、なんだ、やっぱり、外の出来事はすべて自分の心の中の現れなんだ、、、おもしろいなと思いました。



・・・そんなことを思ったら、久しぶりに恐い夢を見ました。

誰かが殺され、天井から血が滴り落ちて、次は私の番!という夢で、その時、私はイギリスの自分の部屋にいたので、大急ぎで荷造りをして、「もうこれで日本に帰ったら二度とよそに行きたいなんて言わないから!」と慌てて逃げ出そうとしているのでした。
怖がってはいますが、まだ希望を捨てないで準備していました。殺されることから逃れようとする自分がいるということは、まだ生きていたい自分がいるのでしょうね。

そうしたら、その日、夢ではなく現実で、ぞっと恐怖を感じること(実際はたいしたことではなかったのですが)が2回あり(普段は滅多にないのですが)、もしかして私の潜在意識は危険を察知しているのだろうか?地震?それを私に伝えようとしているのだろうか?とも思いました。

でも多分、夢の中で殺されそうに感じている自分は私のエゴ自身だろうな、と思います。

これもまた、紳介さん引退やその他の出来事と同じ。
目に見えない大きな流れに消されそうになる恐怖。


自然や宇宙という大きな流れか、人間の支配という人的コントロールかの違いはありますが、どちらも自分が取り込まれている、自分ではどうしようもない大きな力や流れです。

そこで感じる無力さなのだと思います。

が、それを感じているのが自分の心の成せる技だと知れば、つまり、その現象に自分の心が反応しているわけですから、その反応を変えてしまえば同じものを見なくなります。

つまり、事実、現象が変わるわけです。

となると、ちっぽけで無力な私が、自分が見ている世界全部を変えることができるというパラドックスな世界が生じます。

これは、宇宙は ∞ 構造であるという話になっていくのですが、いわば、「今ここ」にいるかどうか?ということです。

私が宇宙の大いなる意志のもと、すべてを受け入れ、宇宙に身をゆだねることができれば、無力さや無念さも、消えてなくなる恐れもなくなります。

精神論でいえば、体制に対して反発してもネガティブな感情しか起こらないけど、それを包含してしまうと、全く違う世界が開け始めるということです。
「許す」とか「受け入れる」とかではなくて、「包み込む」という感じですね。


引退騒動から宇宙論になってきました
しかし、今この思考がとても大事になってきていると思います。

好むと好まざると、私たちは共同創造の流れの中に取り込まれていますので、何を創造(想像)しているか、よくよく注意したいものです。


Sex Pistols - Anarchy In The U.K


・・・と書いたけど、記事アップしようと思った時に、この動画見て読み返して気がついた。

私の一番のやるせなさは、本気の自分が発揮できていないことだ。
それを体制が悪いだのなんだのと他に転嫁して責任逃れをしているんだな。

思いっきり生きていない自分に対して無力感を感じている自分、これはエゴでもあるけど、客観的自我でもあるので、トータルなところでの自我が、こんなはずではなかったと悔しがっているんだな。

私の世界を支配しているのは、自分自身を過小評価して生きている私自身だ。
その支配から抜け出れない自分の無念さ。
それを世界に投影しているから、そんな世界を見ているのだろう。



自分が自分を制約支配していて、本来のパワーが発揮できない無念さ。

今、これを感じている人は多いと思います。
また災害が起こってほしくなかったら、自然界が爆発する前に、あるいは、人間の集団意識が爆発する前に、ひとりひとりが他者への投影と責任転嫁をやめ、自分の心の中で昇華していくべきだと思います。

まただんだんと煮詰まってきている気配がありますから。
私も自分のそれに努めます。


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また、前々回、前回の続き話となりますが、

十十十 ∞を越えて」に書いた「扉が開く」というのを心の話に例えると、ずっとフタをしていた心のある部分が開いた、ということにとれます。

すっかり忘れていた感情、あるいは、感じたことないと思っていた感情が浮かび上がってきて、私の中にもこんな気持ちあったんだ、、とか、実は私はこの気持ちをずっと封印していたんだな、とか、感じているかもしれません。

幼い頃、その感情を感じまいとして閉じ込めてしまったのでしょう。
その感情に気づいたときに、肩の荷が下りたような感覚があれば、その感情を封じるためにものすごくがんばっていた自分がいたということです。

最近、なんか昔の自分のいやなところがでてきたな、もうなくなったと思っていたのに、、と思う人いれば、その感情を感じたときが選択のチャンスです。

どうせ自分は、、と落ち込まず、その感情にとらわれず、どんな自分になりたいかを選択してください。

前向きな選択をしていたら、自然とその奥にある封じていた感情が出てくると思います。
封じていたのだから、自分でも持っているとは思っていなかった感情かもしれません。
この感情が出てくることはとっても大切なことです。

それが出てきても否定せず、ずっとこの感情を閉じ込めていたのだな、私はこの感情をずっと感じてきたんだなと認めて、その気持ちを受け入れてあげてください。

しっかりとその感情を感じて解放してあげてください。

感情を感じるというのは、判断や否定、分析、注釈などせず、その感情の感覚を体感するということです。
「ああ、この感じをずっと感じていたんだなー」と自分がその感情を持っていたこと、感じていたことを素直に認めてあげるということです。

いい悪いも、持っていたからどうした、というのもなく、「そうだね、寂しかったんだね」とか「恐かったんだね」「聞いてほしかったんだね」「甘えたかったんだね」など、本当に感じていた自分の気持ちを感じてあげることです。

自分がそれを認めてあげないことには、その気持ちは癒されません。

癒されないとどうなるか?

「癒してほしい」と、その感情を感じるような状況を何度でも引き寄せてしまいます。
となると、またこれか!と同じ感情を何度も味わう羽目になります。

だから、もし今、昔なつかし自分を悩ませてきた感情が出てきている場合、あるいは、そうでなくても負の感情が出てきている場合、その存在を認めてあげるよいチャンスなのです。
そのために浮上してきているのですから。

その感情が見つかった人は、それをしっかりと感じて認めてあげたのち、

「私は今まで・・な思いを閉じ込め、それを感じないように・・してきたことを認めます。私は、今ここで、・・(の感情)を解放し、手放します。私は二度と・・(の感情)を選択しません。私はいつも・・で幸せに生きていくことを選択します。」

と自分に何度も言い聞かせてください。

手放すために感じるのです。
その感情にのめり込むために感じるのではないので、悲劇のヒロイン(ヒーロー)にならないでくださいね。

感じながら、「あ〜、私はこの感情を感じるのは今回が最後だ。私は今まで自分にこんな感覚を与え続けていたのだな。もうこの感情にはさようならをするから、そのために今十分感じておこう。」と思ってください。
さよならするために感じていくのですね。

健闘を祈ります!


追記:
扉が開いてなにが起こるかと思えば、自我と真我の間に亀裂が生じました。
本来の自分、真我の自分が目覚め出して、どんどん自我の幻想をぴっぺがしています。

亀裂というと危険な感じがしますが、たとえ話でいえば、
薄いシリコンの皮膚もどきがべったりと肉体にはりついていたのが、本来の皮膚とその皮膚もどきの間にすき間(亀裂)ができてきた状態です。
「なんだ、今まで皮膚だと思っていたのは、偽物だったのだ、、」と知り始め、バリバリとそのシリコンをはがし始めている状態です。
皮膚が本来の自分(真我)、皮膚もどきが自我(エゴ)です。

真我と自我の区別がすでについている人は心地よくさえあるでしょうが、自我がすべてと思っている人はかなり恐ろしい心地を味わっているかもしれません。今まで信じていたことが崩壊するような感じかもしれないので、、。
参考までに→ 自我崩壊してしまえ!


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今日は、「蜘蛛の糸を登る私たち」「切り捨てるのか?共に生きるのか?」と書いてきた話題の日常風景バージョンです。

私は普段テレビをみないのですが、最近、週1〜3回、行くところがあって、
残念なことに、そこではいつもテレビがついていて見ざるを得ないです。

たまに見ると、テレビの影響がよくわかります。

相変わらず、なんでこれほどまでに悪いことばかり流すのだ?というほど、
不安をかき立てられることばかりしてます。
とくに、ニュースですね。

毎日見ていると気づきにくいですが、
たまに見ると、並の神経では見れんだろう、と思ってしまいます。

それほど私たちは知らない間に、不安を植え付けられています。

もちろんいい番組もしていますので、見る番組は選んだ方がいいですね。


で、先日テレビをみていたら、長く上にカールするマスカラの宣伝をしていました。

これもたまに見るからそう思うのでしょう。
毎日見ていたら当たり前だと思いますから、気にならないと思います。

そのコマーシャルでは、クリンと長くカールして上向いたまつげ(マスカラ)を見せていました。

その宣伝を何度か何気なく見ていて気づいたのは、長くカールするまつげの女の子はかわいいなあ、モテるだろうなあと思っている自分がいたということです。

かわいくなりたかったら、すてきな彼氏欲しかったら、マスカラをしっかりしてぱっちり目にならなきゃな〜なんて思わせしまうのです。

つまり、長いまつげがカールしているとぱっちり目に見えてかわいいからモテるという先入観があると同時に、その考えを刷り込んでいるんですね。

ああ、じゃあ、そうすればかわいくなれるのね、と単純にそれを実行してモテた場合はグーでしょう。

けれどもすべての女性がそうなるわけはありません。

表向きメッセージは「きれいにみえるからマスカラしよう」なんですが、裏を返せば、それ以外のまつげの女の子はカワイクない、モテない、という暗示にもなっています。

男性も女性も無意識にそれに操作されているから、
女の子は、長いまつげカールでお目目ぱっちりになろうとして、
男の子は、ぱっちり目の女の子がかわいいと思って、
そうでない子は、コンプレックスがつのる一方です。


とまあ、こんな風に、世の中、知らずして、
洗脳されまくっています。

まつげがカールしていなくても、すてきな女性はいるのですが、こういうコントロールを受けてしまうと、それがあたかも疑う余地もないぐらい普遍の法則で、社会共通の常識になっていたりします。

マスカラにかぎらず、世の中、そんな常識は山ほどありますね。

周りの人たちも洗脳されているものだから、周りからも同じことを言われるので、ますますその洗脳から抜け出れません。

その常識、無言のルールに従わないと、「変な人」といわれたり、あなた自身のコンプレックスになっていたりします。

そういう社会で、私たちは暮らしています。

ぼうっとしている時は潜在意識に入りやすいので、ぼうっとしながらテレビを見ていると、何度も同じコマーシャルやニュースがするので、知らぬ間にそれが刷り込まれています。

番組やコマーシャルを作る側は、そういうことはもちろん心得ているでしょうから、なにげなくテレビを見ているのはとても恐いことなのかもしれません。

見るもの、聞くものは選びたいものです。

不安がなかなかなくならない人は、せめて3ヶ月ぐらいテレビを全く見るのをやめてみるといいと思います。

いったい私たちは、どれぐらい知らずして洗脳や暗示を受けているのでしょうか?

特に、オトコは・・・オンナは・・・
についてはたくさん洗脳を受けていますね。

ほとんど、常識、当たり前になっていることの中に洗脳や暗示は潜んでいます。だからほとんど疑わないし、わかりにくいのです。

結局は自分が何を選びとっているか?なのですが、
今一度点検してみてもよいかと思います。

もしそれらしきことに気がつかれましたら、ブログのコメント欄に書いていただけるとうれしいです。

そんなこと、疑問に思わずにそのまんま受け止めてその通りに動いている方が楽なのかもしれませんが、、、。
それもまた個人の選択ですから。


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「インセプション」を見てきました。
今月にこの映画が公開されているとは、意味深〜。

このブログで8月について書いていることが、まさにこの映画で展開されていました。
映画に「虚無」まで出てきたので、このシンクロに驚きました。
が、映画の「虚無」は、潜在意識そのものの中という設定だったようなので、私の言っている「虚無の闇」とはちょっと違いますね。
「虚無の闇」は、心の闇まで映し出してしまう鏡なので。

映画の内容は、まだ見ていない人のために伏せますが、
人の潜在意識から情報を読み取ることと、人の潜在意識深くにアイデアの種を植えること。

読み取ることは、深さの違いはあれ、霊能者の方々やセラピストさんたちがされているようなことだと思います。
他人の潜在意識にアイデアを植えることも、実は私たちが日常にしたりされたりしていることですね。

その一番最初の種まきは、やはり親ですね。
受胎もそうですが、親子関係において人生の基盤になる種を植えられています。
それによって自分の人生が左右されていくので、いかにそれに気づいて、その種を書き換えるか。
この作業は、人生が思い通りにいっていない人たち皆が対応すべきところだと思います。

私も今年にやっと完全解消したという感じです。何年かかったかな?(汗)


すべての基本は親子関係だと思います。

「親を許す、受け入れる=自分を許す、受け入れる」なので、親に愛された、愛されていないに関係なく、自分がそのままの親を受け入れることができるか?というところがポイントだと思います。

子供は、親に認められる、愛されるというところに重点を置き、そうでないと感じられたら、自分は愛されていないと感じ、自分を責め、それを親に投影し、罪悪感が芽生えます。
その罪悪感を他者や出来事に投影して、それがもとになって人生が進んでいきます。
心のどこかに芽生えた罪悪感と自己否定感、無価値観はどんどんと成長していきます。

その思い込みの中で「現実」というものが作り上げられていきますが、本当は、親に愛されている(た)か?は関係ないのだとわかりました。

今の親が自分の親であることは偶然ではありません。
これほどたくさんの人口がありながら、わざわざその親の元に生まれているのです。
どんな親でも、どんなことをされようとも、あなたの親なのです。
なぜか他の人ではなく、その人があなたの親なのです。

そこに深い学びがあると思います。

「親が自分を愛してくれたら私も愛す」ではなくて、「親が愛してくれなくても私は愛す」となれるか?
親が自分を愛しているかに関係なく、親を許し、愛せるか?

たいていの親子関係は、勘違い、誤解の連続で、すれ違いの愛がとんでもない葛藤を生んでいっています。
その思い込みの世界から脱出できたら、憎しみは一瞬で愛に変わります。

愛を経験するための設定はいろいろとあるですね。


映画では、潜在意識の違う層で対応していますが、最後のところまで行くことができなければ、その途中段階で起こっていることが現実となっていきます。
ラストシーンでも、現実だと思っていたのが本当にそうなのか?という感じで終わっています。

いったい何が夢で何が現実か?

結局、自分の信じたことが自分の現実となるのだと思います。

映画で、社長の息子が最後に見たもの、それもまた現実なのか、彼が一番望んでいたことを現実として見たのか? それもまた夢なのか、、、?


この映画では、個人の潜在意識を扱っていて、集合無意識の方は扱っていませんでしたが、今の時期、この映画でなされていたことは、人類全体の潜在意識に必要です。
神話、元型の新しい解釈ともいえるでしょう。

すでに反転は起こり、裏返し現象は始まりだしていますので、そこにどんな新しい種を植え付けるか? とても大事なところです。

ヒントは日々の生活の中、自分の心の中に隠されていると思います。

映画では、アイデアの植え付けには、「感情が大事」ということと、「単純なアイデアが自然に成長していくような設定にしなければならない」といっていました。

いかに自分の潜在意識と関わっていくか?を教えてくれる映画だと思います。


親子関係といえば、二児を放置して死なせた若い母親が逮捕された事件がありました。
亡くなったお子様もかわいそうですが、このお母さんも相当辛い思いをされたと思います。
もちろん彼女はすべきでないことをしてしまったのですが、彼女は自分がしてしまったことを一生抱えて生きていくのですから、これからも相当たいへんだと思います。

ニュースあまり見てないので、事情はよく知らないのですが、彼女を責めるより、彼女がそのようなことをしてしまう背景にいろいろと考えるべき問題が見えるのではないでしょうか?

私もえな符を配りだして、人知れず、たくさんの女性が苦しみ、辛い思いをしているのを痛感しています。
女性が一人で悩むことのないような社会にしていきたいですね。


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ブログに下記の質問をいただきました。
-----------------------------
今日夕方丁度、「私っていっつもあともう少し
ってとこで幸せがどこかにいっちゃうんだよな〜。
だから期待すると後が辛いよな〜」って思ってたとこです。

多分幸せを手に入れると失う事ばかり考えてしまいそうで、
自分が幸せになれるはずが無いと思って拒否っているのしょうか。
-----------------------------

私もずっとそうだったので、そう考えてしまいたくなるのはよくわかります。
今でもまだ思ってしまうことあります。

この文章の中に、一通りではなく、いろいろな思い込みの可能性があると思いますが、いくつかをここに載せます。

「自分が幸せになれるはずがない」という思い込みがあると、幸せになれそうになると、無意識に幸せを手放して、それ以上のものを得ようとはしません。

自分でしていることに気がついていないので、「なんでいつも失うんだろう?」と思うのですが、

「手に入れてはいけない」とか、「幸せになるのが恐い」とか、
「手に入れたら、そのあと失いそうで恐い」とか、自分でいろいろ考えて、

「やっぱやめとこ、今までのままでいいや」と自分でも気づかずにそのように対応しています。

手に入らないのは悲しいですが、今までの「手に入らない状態」の方が慣れているので安心に思えます。
手に入れてから失う辛さを考えると、手に入れない方がマシと思ったりします。

でも、手に入れたいから、またがんばります。

ここで気づいた方がよいことは、
このような作用が自分に働いている、自分がそれを選んでいる、ということ。

手に入れたいけど、失ったら辛いから、手に入れるのが恐い、けど、手に入れたい、

と葛藤しています。
また、手に入れるよりは、追いかけている状態が好きなのかもしれない、、のかもしれません。

ここで、「幸せを追いかけているのが私の幸せなんだ、それをしているのが楽しい」と気づけば、何だ、すでに幸せじゃないか、という話になります。
あなたは自分の欲しい状態を手に入れている自分のですね。

「いや、私は、今のままでは嫌だ、幸せを手に入れたい」と思うのなら、自分の中の「信念(思い込み)」を見つめる必要があります。

私は幸せになれない。
幸せは、あと少しのところで去って行く。
期待すると、あとがつらい。
幸せは手に入ると、去って行く。

これ、全部、誰が決めたのでしょうか?


あなたは幸せになれない。
あなたの幸せは、あと少しのところで去って行く。
あなたが幸せを期待すると、あとで辛いことが起きる。
あなたが幸せを手に入れると、きっと去って行く。

誰かに言われたとしてもそれが真実だとは限りません。
それを信じてしまったのは誰でしょうか?


私たちの中には、山ほどのこのような信念があります。
宇宙人に気づかすにいれられるチップのようなもので、
知らない間に誰か(たいてい親)から埋め込まれます。
それが未来を作っていきます。

相手も意図していなかったり、よかれと思ってしていたりします。

「あなたのせい」といっているうちは、チップが埋まっている自分を見せつけたい、あんたがこれを埋めたのよ、どうにかしてよ、と訴えたい。

だからチップを取ろうとしません。
なくなったら、見せることができないからです。

この思いの根底には「愛してほしい」という思いがあるんですが、、、。


自分の持っている信念、思い込みに気づくことは大切です。
気づくことができて初めて、埋め込まれたチップの違和感を感じることとなり、自分で取り外そうとします。


自分が考えていることすべてに対して、「
これは、自分の思い込みではないか?」と疑ってみましょう。
新たな可能性や視点を探して見ましょう。


さて、これらをわかっていながらも、、、
考えちゃいけない、これは自分の思い込みだなと思いながらも、
つい、また同じようなことを考えてしまいます。

それはしかたありません。
何年も何年も続けてきた思考の癖です。

それに気づけた時に、アファメーションが有効になってきます。

自分に、「それは思い込みであって、その考えはもういらない」ということを言い聞かせるために、よい言葉を繰り返し言ってみてください。


私は最高に幸せになっていい。
私に来る幸せはずっと私のところに留まる。
どんどん幸せがやってきて、私のところから溢れ出す。

など。

自分のネガティブな信念に気づかずに、ポジティブなアファメーションをしても遠回りになります。
その場合は、自分のネガティブな信念を手放せるよう、まず働きかけていく方がよいでしょう。


カミの世界、人間社会だけでなく、自分の中にも、支配者と被支配者がいます。
「裏返し現象」は、この関係も裏返していますが、もうひとひねり、支配者側の心も裏返り始めています。

自分の弱さを認めた人が楽になれるんですね。

もう、ええじゃないか、、、

大いなる癒し、解放がおきそうな気がします。
そこに残るのは、愛、、なのでしょうね。
それを体験したい人はおいで下さい。
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私は、自分の潜在意識を「ウニちゃん」、インナーチャイルドを「えっちゃん」と呼んでいます。
いろいろな流れから、少し前に、ずっと押し込めていたえっちゃんを出してあげることに決めました。

その流れで、最近、インナーチャイルドのえっちゃんと対話しています。
最初は、自分の潜在意識のウニちゃんとの対話のつもりでしたが、どうもえっちゃんだったみたいで。
潜在意識とインナーチャイルドの関係がよくわかりませんが、多分、インナーチャイルドは潜在意識に含まれるのではないでしょうか? と私の解釈。


対話の仕方は簡単です。

インナーチャイルドが文章を書くと思って、利き手でない手で思いつくままに文章を書きます。

それだけです。
慣れてないと最初は言葉が出にくいかもしれませんし、書きにくいかもしれませんが。

私の場合、書いていて、やっと出てこれたと喜んでいるインナーチャイルドを感じます。

あとで読み返してみたら、なかなかおもしろい。
最初は、のんびりしたい、寝たい、遊びたいの連発でしたが、最近、違うことを言い出しました。

時々、このブログにも載せていこうと思います。
今日はまとめて載せます。

みなさんもぜひやってみてください。
きっと大きな癒しと解放につながっていきますよ。

 ↓ ↓ ↓ ↓

ウニのしたいこと
(わかりやすいように、下記での「えっちゃん」は大人の悦月を指し、ウニは、悦月のインナーチャイルドにしています)

ゆっくりと過ごす。絵を書く。おいしいものを食べる。
好きな人とともに過ごす。えっちゃんと一緒に過ごす。
植物と話をする。
寝る。ゆっくりと寝る。もっと寝る。ゴロゴロとする。
おいしいものを食べる。

好きな人と一緒にいるの好き。愛してくれる人欲しい。
でもまず、えっちゃんが愛をちょうだい。
えっちゃんが愛をくれないと、私、愛がわからない。
えっちゃんが何が欲しいかわからない。

えっちゃん、愛ほしい、ウニも愛ほしい、
えっちゃんが愛くれたら、ウニはうれしい。
とってもうれしいから、それ、えっちゃんにあげる。
えっちゃん、愛をもらって、またウニにくれる。

まず、ちょうだい。

今日は気分がいい。
こうして話を聞いてもらえるから。
もっとウニを出して。もっとえっちゃんに協力するから。

----------------

えっちゃんと一緒、遊ぶ。
のんびりした。うれしい。もっと遊ぶ。
ゆっくり。たのしい。楽。みんな幸せ。
楽しい。笑顔がいい。

夢見る。忘れてたこと、思い出す。
海があった。山があった。
山に行きたい。登る。ゆっくり。

草木が語る。聴く。教えてくれる、いろんなこと。
私、出る。
草木と話する。

昔、太陽、教えてくれた。
山、植物、教えてくれた。
いろんなものあった。まだまだある。

もっと遊ぼ。話しよう。もっと出して。
私、たくさんのこと知ってる。
えっちゃんに伝えたいよ、役に立つから。

まだまだ遊ぶ。
もっとからだ動かす。
ゴロゴロしたい。
もっとからだ動かす。
もっとゆるむ。ゆらゆらさせる。
 
----------------

今日は気分がいい、森の中に入りたい。
だんだん楽しくなる。
ウニ、もっと楽しむ。
えっちゃんと一緒になる。
今日は遊ぶ。外にいたい。土、草、楽しむ。

今日はいい、なんか軽い。
少し外に出れた感じがする。

生き生き。もっとワクワクしたい。
遊びたい。楽しみたい。

友人欲しい。一人はもういや。
楽しくしたい。

えっちゃんは強いの。強くても大丈夫なの。
でもね、それはひとりになるってことじゃないの。
生き生きするってこと、楽しむってこと。

おもしろいことする。
いろんなもの見たい、知りたい、楽しみたい。
気持ちのいいこと好き。楽しくしたい。
大好きって言いたい。

私は私らしくありたいから、もう抑えるのは嫌。
そのままでいたい。そのままでいる。
そのまんまが好き。そのまんまだよ。

いっぱい話ができるがいい。
いらないものは捨てよう。
もう違う自分になるよ。

のびのびする。もっとのびのびする。
手足をのばす。気持ちいい。
のばす、のばす。

ゆっくりと戻る。
あー、気持ちいいって言いたい。
そうなりたい。のんびりしたい。

(ウニちゃん、〜10.6.8)


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フーチとは、ひもの先に重しがついていて、その重しの動きによって、いろいろなことを占ったり、測定したりするものです。
ペンジュ(デュ)ラム、ダウジング、振り子占いなどとも呼ばれます。
ひもに5円玉をつけたものでも使えます。

ダウジングは、西洋で水脈などを見つけるのに、木の枝が股になったものを使ったことで有名です。

コックリさんで、紙の上においたコインに指を置くと、コインが勝手に動き出すように、
振り子の揺れで答えを得るなんて、なんて非科学的な!と思う人もいるでしょう。

易でコインを投げてそれで未来を占うことに、心理学者のユングが興味を持って、潜在意識や集合無意識との関わりを見たように、フーチも、波動,氣,エネルギーと呼ばれるものと関わって動くのです。

私たちの身体からは常に気が出ていて、その気は心の状態や意図に影響を受けます。
フーチはそれを利用しています。

フーチを持って、右に回れというと右に回り、左に回れというと左に回ります。
縦横、その他の動きも意図した通りに動いてくれます。
もちろん手で動かしているわけではなく、そのように動けと伝えただけです。

つまり、意図の力は、波動としてフーチに伝わり、それが動きとなるわけです。

フーチがなぜ動くのか?ということについては、いろいろな解釈があるようですが、
なにがしかの見えない力が働き、動くのです。
それを潜在意識が動かしていると言う人もあれば、神霊や他の霊の力、自己暗示という人もいます。

私たちの脳のほとんどは眠っている状態で、実際に使われているのはほんの3%だそうです。
私たちが質問を発することで、目には見えない力が働いて(といっても超常現象などではなく、私たちには見えない現存するエネルギーです)、その答えとなるエネルギーとつながり、フーチを動かすのではないか?と思います。

さてでは、フーチでなにができるのでしょうか?

フーチに文字は書けないので、答えが「イエス」「ノー」ででるような質問の仕方をします。
最初に、イエスなら右回り、ノーなら左回り、縦横無動はノー、というように決めておきます。

そして、質問をして、フーチの動きを見ます。
動きが悪ければ、質問を何度か繰り返します。

が、ここで、大切なのは、自分の思いを入れないことです。
先ほどフーチは自分の思うように動くと書きました。

例えば、相手の名前を書いた紙をおいてその上で、「彼は私のことを好き?好きなら右に大きく回ってください」と聞いて、フーチが動くのを待ちます。

でもその間に心の中で、「どうか右に回ってください、彼が私のことを好きでありますように!」なんて願っていたら、その思い(執念?)の力で右に回ってしまうかもしれません。
そうなっては、ただ自分の思い通りに動かしているだけで、純粋な答えを得ることができません。

今回開催する「古神道ペンジュラムWS」では、そのようなことがおきないように、場と自分を清め、神聖なる答えを得ることができる方法をお伝えします。

ヒーリングやボディワークを行っている人、パワーストーンを扱う人、カードセッションをする人、
すでに言う必要はないかもしれませんが、フーチを使って探すこともできます。

プロでなくても、家で自分でするのにいいかもしれません。
例えば、寝転んでもらって、身体の各部の上にフーチをもっていって、悪いところがないか、探すことができます。

人事採用や婚活でどの人がいいかを見る時に、名前を書いてフーチに尋ねることもできます。
食べ物が自分にいいか悪いかをチェックすることもできます。

自分の悩みごとに対する答えも聞けますので(この場合は自分の思いが入らないように氣をつけて)、
自宅でできる簡単な占いとしても使えます。

いろいろな使い方がありますね。

オーリングテストと言って、親指と他の指で丸を作り、人に引っぱってもらって、その離れ具合で答えを知る、という方法があります。筋肉反射で、自分のほんとうの気持ちを知ることができます。

フーチもその一種と言えば、そうなのかもしれません。

古神道ペンジュラムワークショップでは、フーチの正しい持ち方から始まり、自分の思いの入らない純粋なご神託を得るための方法、秘言、印などを教えていただき、自分の霊脈のある守護神などを調べていきます。
アドバンスコースでは、自分を一生お守りくださる産土神社を調べます。

ペンジュラム(フーチ)は、その他いろいろと活用できますので、この機会に学んでおかれると、いろいろと役立てることができると思います。
詳しくはこちらをご覧下さい。

古神道ペンジュラム(フーチ)ワークショップ


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先日のバスのなかでの高校生の会話。

「あれ、なんていったっけ? 不幸は寝て待て?」

「違うだろ、果報は寝て待て、だろ(笑)」

「あ、そうか、、」


不幸も果報も「寝て待て」かもしれません。
寝ている間にも不幸や果報は形成されています。
寝る前に何を思って寝るか、それは大きく潜在意識に影響します。

寝入りばなのうつらうつら状態は、とても暗示にかかりやすい状態です。
寝る前に自分に言い聞かせることばは、そのまま潜在意識に入りやすいです。

寝る前に「明日6時に起きます」と念を押して寝て、
めざましの鳴る直前に目が覚めたという経験がある人は多いと思います。
それはちゃんと潜在意識が働いてくれたからです。

目が覚めたときも同じです。
目が覚めてまず何を考えるのか、それもあなたの未来への大事なポイントです。

「仕事が辛いな〜」などと考えずに、「今日も一日すばらしい日になる!」と、
できるだけよいこと、楽しいことを考えるようにしましょう。

なりたい自分像や状況を音声に録音して寝るときや起きた時に聞くと、よいアファメーションになりますよ。

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アファメーションというのは、よいことばかりに働きません。
潜在意識には、いい悪い、あの人この人、というような区別はありませんから、
なんどもたたきもまれると、そのままそうだと認識します。

あなたが真実だと思っていること、
実はそれはあなたの思い込みでしかないのかもしれません。

私の兄は、大阪に大きな台風がきたときに、母が雨戸をおさえていたのを覚えていると言います。
(昔の話ですが)
しかし、母は「その時お前はお腹のなかにいたのだから、そんなの見ているはずがない」と言います。
何回か話に出たので、それを聞いて見たように思うのだろう、と。
ですが、兄は「いや、見た」と言います。

お腹のなかにいた兄が本当に認識したのか、見たと思い込んでいるだけなのか、
事実はどうなのかはわかりませんが、少なくとも兄にとっては「見た」というのが事実です。

思い込みは、過去をも変えてしまう力を持っています。

あなたがそうだと思っていること、それは本当に事実でしょうか?

実際にあったことかもしれませんが、あなたの見方でしかないのかもしれません。

芥川龍之介の「薮の中」の小説のように、殺人事件の目撃者がみんな違う証言をする、
そんな状況の一片でしかないのかもしれません。


あなたの意識次第で、過去はかわります。
なぜならそれはあなたの見方、感じ方、受けとり方でしかないからです。

もう一度、あなたがしがみついている過去を見てみましょう。
そうに違いないと思い込んでいるものは、もしかして幻想かもしれませんよ?

いらぬ幻想なら、早く手放して自由になった方が、人生楽になります。


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