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私はよく「すべては自己責任」と言います。

確かにそうなんですが、それは言い換えれば、
自分の状態が外の世界に反映する」からです。

同じ時刻、同じ場にいたとしても、
何を体験しているかは人それぞれ違います。
まったく同じ現実であることはあり得ません。


自分が体験する現実は、言い換えれば、
自分にはその現実以外は見えていない
ことになります。

でも人は違う現実を体験しています。

違う現実の可能性も山ほどあります。


自分が考えることは非常に限られた
自分の知識と体験の中での話です。

その中で私たちは必死に悩み、
「どうにかしなくては」と思います。


もしストレス多い人生なら、何かをする以前に、
なにを根拠にそれをしているか? そう思うのか?
の前提を見つめ直した方がいいです。

そこは見ずにやり方だけを変えて
どうにかしようとしても、

元を成すところがそのままであれば、
見えるものもそのままです。


錆び付いた水道管を使っていたら、
茶色の水が出ます。

いくら蛇口をきれいに磨いても、
水はきれいになりません。

それと同じです。


蛇口はすぐに磨けますが、土の中に
埋まっている水道管は簡単には掃除できません。

それなりの手間と時間がかかります。

だからよっぽど水が汚くならない限りは
後回しにしてしまいます。


自分の信念体系を変えるのも同じです。


例えば、

「私は悪い子。だからいい子にならなくては」
という前提のもとに、いい子になろうと
努力したとしても、そもそも

「あなたは本当に悪い子ですか?
”悪い子”ってどういうことですか?」

というところを問う必要があります。


誰かの影響を受けたか、そう思う方が
自分にとって楽だったり処世術だったりしたのでしょう。

しかし今もそうである必要があるのか?

客観的に見れば、デメリットのほうが多いです。


エゴの自分だけで考えようとすると、
どうしてもそれまで自分を支配してきた
感情や思いにとらわれやすくなります。

そこが自分にとってのコンフォートゾーン
なので、そこにとどまりたくなります。


「本当にそこから脱出する」と決める
ことができた人は出れます。

決断できるまでが長いんですね。

「決断」とは、決めて断つ。
決めたつもりでも、なかなか断てない。


しかし、そんなに気張らなくても、

「ちゃんとしなければいけない」と
思いがちなエゴ意識以外にも、

大きな視野を持ち、信頼に足る意識が
自分の中にあるのだと知ると気持ちが楽になります。

そちらがまっとうなことを言ってくれると、

「あれ?自分の中にそんなことを
 言ってくれる存在があるの?」

と不思議な気分です。


エゴががんばってがんばって
どうにかしようとしなくても、

なぜか私たちはその愛ある”内なる声”を
聞くと安心し、従いたくなります。


自分の中のその「何か、誰か」は
エゴにとっては未知の存在。

理解できないんです。
自分の外にあるから。
(いや、内だけど、笑)


主体だと思っているエゴ意識が弱まると、
もっと大きな存在を感じることができます。

それはエゴにとっては羊水の中にいた頃の
安堵感を秘めています。


昨年は「オートマティックライティング講座」
と称して自動書記の講座を開催しました。

自動で文章が書けることも素敵なことですが、

普段のエゴ中心の意識から解き放たれて、
自分の中にも神様みたいな存在やアドバイザーが
いるのだと気づけて良かった

「自分が頑張らなくては」という思いが
抜けて楽になった

という感想が多かったです。


右脳は無邪気です。

水道管を直さなくても、裏庭を掘ったら
飲料可能な美味しい湧き水が湧いてきたわー

なんてことが人生に起こりやすくなります。

そんな笑える奇跡を
人生に起こしていきたいですね。


エゴ支配から解放されたい人、
自分の想像力、発想力を鍛えたい人、
自分の内的世界を豊かにしたい人、

ゆる〜く楽しみながら
脱皮していきたい人はぜひどうぞ〜!
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