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令和についての記事はこちらを → 「令和の時代

人間関係の変化が面白そうに思えたので、もうちょっと探索してみましたら、
人間関係の話というより人の成長の話となりました。



「令和」「れいわ」という音は、
女性の名前のように柔らかで優雅な響きがあります。

また同時に、冷めた、冷たい印象もあります。
「れい」は「霊、冷、零」を連想させます。

「れい」という音はつかみどころがないです。

「い」だけなら強い音ですけど、「れい」となると、
「れぃー」と流される感じで、霊のように本体が掴めない感じ。
口の中も踏ん張れないです。

「令」の漢字だと固いですが、この意は
もともとは神の意に従うことなので霊的です。(参照:「令和の時代」)

「わ」は柔らかい音で、「和」や「輪」のように◯、丸い印象です。
口は丸く開いて、下はどこにもつきません。

「零」は、ゼロ、0ですから、◯です。

「れい」にも「わ」にも、◯、円が含まれます。

円は縁。
めぐりめぐって、すべてはつながっています。


これらから推測すると、音から観ての話ですが、
「れい」→「わ」→「れい・わ」→「れいわ」の推移と見て。

最初は「れい」。

冷たい、クール、人は関係ない(どうでもいい、投げやり)、
感情不感(ロボット的)、熱しない、分離感、孤独感、という部分が強調されます。

実体がないような状態です。
自分を見失って、自分の世界に閉じこもっている状態か、
自分がなくなってしまっている状態。

シャボン玉が宙に浮いているような感じで、その境界は強くありません。

ここはまだ自我の葛藤の時期。
どこかでゼロになる臨界点がくるのでしょう(個人差あり)。

最初はマンションの個室に一人いるような感じだったのが、
だんだんと薄い(心の)壁に変わっていきます。

霊的なこと、見えない世界への関心が増します。
趣味の合う人、ビジョンやライフスタイルが一致する人など、
同じような価値観や世界観を持つ人がつながるようになります。


そして、「わ」。

分かる。解る。
実体を失った自分が違う世界、次元に気づく段階。

いろんなコミュニティ、グループ、集団に分かれます。
複数にまたがる人もいますし、流動的に動きます。


「れい・わ」は、
豊かな人間性を失っている自分に気づいて、その状態に耐え難くなり、
「どうにかしなくては」「このままではいけない」と思う人が増えていく段階。

だからこそスピリチュアルなものがますます求められるでしょうし、
生き方やあり方を教えてくれるものを求め、
魂に沿った生き方をしたいと思う人が増えるでしょう。


また、外側の人間関係もそうですが、バラバラになった自分の統合の時期。
「霊・和」。

自分の内面を再統合して、霊的に成長しようとし始めます。
この時期にいったん今までの自分を捨てて、リセットする人もいるでしょう。


「れいわ」は「霊和」。
自分が統合された状態。

冷めた感は、一人一人の自立心につながります。
人に依存しなくなります。

人は人、自分は自分、とその部分はクール。
必要以上に人目を気にしないし、振り回されない。

自分の意志をしっかり持っているクールさがあります。
和することもできるので、孤独ではありません。

別々な違う存在だからこそ、創発が起きることも知っています。
相手も自分も尊重しながら、必要以上に関わらない自立心と距離感があります。

ニュートラルで淡々としています。
常に俯瞰的視野を持ち、この物理世界は幻想だという認識があります。

霊的に和合されるので、魂レベルで動きます。
今世で自分がどう生きればいいかをわかっています。
飄々としながらも強い信念を持って進みます。


書いてみれば、「令和」に限らず、普通に言えることですね(苦笑)
でもこういう流れになるでしょう。

ポイントは、西洋の個人主義と日本の集団主義、これがうまく融合されること。

つまり、個人の自由をかなり尊重するけど、和することを忘れない。
和することを忘れないけど、個人を大事にする。
集団主義に溺れない。

理性的にはクールだけど、心は温かい。
そういう人が増えていくのでしょう。


元号が「令和」になったのだから、
日本全体がその流れからは逃れられません。

結婚や家族というシステムが大きく変わる可能性があります。

上記に書いたことがベースとなりますから、
人間関係全般が、ゆくゆくはもっと穏やかに、
つながりも淡白になっていくと考えられます。

淡白といっても、愛情はそのままありますが、
無償の愛に近くなっていて、個人を尊重する方向に向かいます。

今までは愛と依存がごっちゃになって、愛憎が生じていました。

個人個人の強いつながりに”依存”する傾向は減っていくでしょう。
結婚にしろ家族関係にしろ。
恋愛はいつの時代も同じかなという気がしますが。

結婚しなければならない理由がなくなっていくだろうし、
血縁関係のつながりもさほど重要視されなくなるでしょう。

結婚制度も家族制度も、良くも悪くも強制的なつながりが作られます。
大体は自発的な愛情を持ってのことですが、
理想の結婚、理想の家族像が掲げられることで、
様々な問題を生じさせています。

自立心が芽生えることで、そこにあまり癒着しなくなるでしょう。

これから見ると、令和の時代には、自我がエゴの域を脱して、
新たな段階に成長していくのでしょうね。

けっこう「インシャー・アッラー」な感じです。
神の意のままに、というか、エゴ意識よりも全体意識が主だってくるので、
長年続いてきた個体の「生き残らなければ、勝たねば」という本能的な働きが減ります。

霊的な時代になっていくと、生へのこだわり(死へのこだわり)への執着が減ります。

物理世界が主体ではないとわかっているし、
すべてはひとつの意識であると知っているし、
霊、零である自分を知っているというか。

この幻想世界をいかに生きるか?というところと淡々と進む感じ。

エゴ主体の世界ではなく、ゲームをしていることがわかっている感覚。
そういう空気感が広がっていくと、皆「この世は幻想だよね」となんか納得してしまう。

だからと言って、肉体を持って生きているのはこの物理世界なので、
好き勝手すれば、因果応報、自分に返ってきます。

そんな中で、淡々と達観して生きる人が増えていくでしょう。

もちろんそうなるまでにまだまだかかります。
令和時代はその橋渡しの時代で、本格的にそうなるのは次の元号からかもしれません。

令和時代に生まれる子供たちは、AIの発達も伴って、
バーチャルとリアルの融合がかなり進むでしょう。

時代は確実に変化していってますね。




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