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先日、犬を犬と認識する人間の能力はすごいと書きました。

文字で書いた犬、いぬ、イヌ、狗や、絵で描いたイヌ、写真の犬、実物の犬、
いぬという音。
犬の種類もたくさんあります。大きい犬から小さい犬。短毛、長毛。

これら全部を犬だとなぜ認識できるのか?

そこには犬を犬たらしめん定義があるはずですが、
誰か「これだ」と言える人はいるでしょうか?

動物学的や遺伝子レベルで言えたとしても、
生きている犬と、文字で書く「犬」と音の「いぬ」が同じであると
それを理解しない人にはどう説明するのか?

実物の犬と、文字や音の「犬」は形も機能も全然違います。

「ものには名前がある」ということを知って初めて、この生き物は犬だと理解できます。


漫画の『ガラスの仮面』に出てくるシーンですが、
三重苦のヘレン・ケラーが最初、物に名前があることがわからなく、
(というか、個々の物の存在を認識できてなかったんだと思いますが)
サリバン先生の必死の教えで、ある時、物には名前があることに気づきます。

私たちは子供の頃に教えられ、すんなり認識しますけど、
先ほどの犬の話のように、すごい能力だなと思います。

実物の犬と、絵で描いた犬と、鏡に映った犬とが同一である。

それは本当?ウソ?

判断の基準をどこに置くかで、全くの別物にもなり、同じものの違う表現にもなります。


昨日の私、今日の私、明日の私についても、
連続する時間の中にいる同じ存在だと認識しているから、
子供の頃の私と今の私と、十年後の私は同一人物だと思えます。

これらの能力は、目の前の物体ということを超えて、
抽象的に物事をつなげて認識しています。

犬を犬であるとする何か、私を私とする何か、があるからこそ、
そうやって外観が違うものや、今存在してないものなどを同じものと認識できます。


ところで、「皮膚感覚と人間のこころ」で、著者の傳田 光洋氏は、

『単細胞生物が集合し始めた段階で原始的な「自己意識」が出現したと考えている』
『粘菌の「知性」と私の「自己意識」は、生物学的には同じ次元にある現象だと考えている』

と書いておられます。

粘菌に知性があると考えている学者もおり、私もそうだろうなと思います。

私たちは受精して生まれるまで、生物が発生して、単細胞生物、魚、両生類、爬虫類、哺乳類と成長していった5億年のプロセスをお母さんのお腹の中で歩むそうです。
私たちの無意識の記憶の中にはそれが詰まっています。

細胞レベルの知性、認識、記憶があり、それらが集まって肉体を作るのでしょう。
しかし多細胞生物であれば、そこにそれを統合する「意識」なり「意図」なりがなければ、
個は発生しません。


渡り鳥や魚がまとまって一つの生き物のように動いている時、何が起きているのか?

個を超えたところにある、全体をまとめる ”何か” が必要になってきます。
この言葉を言っている時点で、個であることが基準になっていますが、
本当は ”何か” が先になるでしょう。

粘菌が集まった時に、一つの単体の生き物のように行動するのも、
そこに意図があるからでしょう。

この世界はそのように成り立っているんだなと思います。

人間も同じです。

微細な細胞たちの意思がまとまって、みんなを統一する意識が必要だということになり、
その一つが人の自己意識というかたちを取ったのではないか?

と私は思います。

意識が進化して、バラバラに存在していた単細胞生物の意識が一つにまとまって多細胞生物になるという進化を遂げ、新たな集合意識を生み出し、それが一つの意識として統合され、人間を含めたいろんな生き物を生み出したのかもしれません。

これも時系列で今書いているので、原因と結果みたいな因果律のようですが、
この背後に、それをそうさせるべくもう一つの大きな意図というか、流れがあります。

長い間、人間の自我認識は個という枠の中で形成されてきていました。

地球上に生命が誕生して38億年、脳ができて5億年の年月を考えると、
今、私たちを支配している自我意識は形成されてからの期間が短いです。
進化は加速しています。

意識の実験として、自我をもたせたらどうか?ということがなされていたんだと思いますが、
その時代も終わりつつあり、今また新たな意識段階に移行する時期となっています。

単細胞生物が集まって多細胞生物になったのと同じような現象が
自己意識にも起こり始めているようです。

ひとくくりになった自己意識が、もっと大きな意識に気づくために、
個々の細胞が同じ意図を持ってまとまって他の生物を形成するように、
人間の意識もそのような段階へと移り変わっていくように思います。

シンギュラリティが一つのきっかけとなり、
関係性の中での自分が自己となっていき、
全体=自己とこの境界が曖昧になっていくでしょう。

自分の身体を見た時に、細胞が自分を形成しているのか(自分が細胞に含まれる)、
自分 > 細胞(細胞が自分に含まれる)なのか、

それを外側に見ると、自分が地球の細胞になって、、、

人間が地球上で一番賢い霊長類だったというのはとんでもない思い上がりで、
私たちは地球の小さな細胞の一つだったという「目覚め」。

それにより、全く違う世界が始まるのではないか?と思います。

そして、私たちの集合自我意識が持つ共通のゴールが変わります。
 
個としての自分の生存と子孫を残すというゴールが、
地球というシステムの成長というゴールになるのかな?
 
人間以外の生き物はすでにそのゴール設定の中で生きているかもしれないですね。
 
自我意識を持つという実験の一つの段階が終了するってところでしょうか。

仮説ですけどね。
探究を続けます。

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