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前々回からの話の続きです。
まだ読んでない人はそちらを先にお読みください。
 →「パラレルワールドをはしごする技術」「希望が生み出すスコトーマ

前回の記事で、
「何かを求めることは、その他をシャットアウトし、盲点を作り出す」
と書きました。

救いを外にばかり探し求めて、何かが自分を変えてくれるんじゃないか?
どこかに自分の求めているものがあるのではないか?

といろんなセミナーやワークショップに出て、
そういうものに参加してないと不安になったり、
参加していたら自分は進化しているんだと勘違いしていたり、

何か自分が打ち込めることを見つけたいと、いろんなセミナーや講座に参加し、
この資格、あの認定とたくさんの肩書きを得て、自分はがんばってると思っていたり、

いろいろ関わってはみたけれど、なにひとつ続かなかったり、、、

これらはみな、外に救いの糸を探しているから。

探すのはいいですが、やればやるほど
「救いの糸は外にはない」と気づいていくでしょう。


「自分の何がいけないのだろうか、、、?」

「何も悪いことないよ。その考え、やめたら?」

ってだけだったりするかも?

それに気づくまでに何十年、何百万と、
時とお金をかけることになるかもしれません。

その経験は価値あるものだし、宝ですが、
ずっと救いの糸を探しつづけていたいかどうか? ですね。


人によっては「探しつづけること」をしたい人もいます。

その場合は見つかってしまったら困りますから、
「救いの糸が見つけたい」と言いつつ、
本当に見つかることや救われることにすごく恐怖を抱いています。

だけど見つからないことは、それはそれでストレスになってます。

矛盾していますね。


違う角度からの同じ話ですが、

料理で、自分の一番好きな食べ物は最後に食べようと
とっておくワクワク感みたいなもので、

「手に入るまでのプロセスを自分は楽しんでいるんだ」と気づけば、
見つからないことはストレスにはなりません。

「見つけなければ」が「見つける楽しさ」に変わって、ワクワクします。

「見つけること」がゴール達成ではなく、見つかったらまた次の展開があると知れば、
早く手に入れて、次の段階に行きたいと思います。

手に入れることを恐れなくなるどころか、ワクワクし始めます。

自分がいったいどういう「救いの糸」を求めているのか?
注意してみてください。

その糸を求めている限り、他の方法や解決法は見えない
と頭の隅に置いておきましょう。

外に救いを求めることをやめたとたんに、
実は自分がすでに欲しい状況を手に入れていた、すでに叶っていたと気づいたり、
自分はこのままでいいと思えたり、自分に変えていく力があると気づいたり。

気づけば、状況が変わりだします。
スコトーマが外れますから。

それに気づくまで、私たちは長い時をかけて試行錯誤していきます。
それもまた経験値となっていきます。

救いの糸を求めるのも経験、内なる自分の光に気づくも良し。

結局は、自分が真に欲するものを選択しているか?なのでしょうね。

みんな、実は選択しているけど、
「自分が欲しているものがそれだ」と気づくまで求めつづけるんでしょうね。

それは往々にして、自分が本当に手に入れたいものとは違っています。
だからこそ自分を内観する必要があります。


(記事整理に伴い、過去記事を加筆訂正後、アップしています)

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