私の中で「先端理論」と呼んでいるものがあります。
簡単に言えば、人間は、自然の先っぽのところにある触手のようなもので、
本来は自然の手先足先となって、自然からの要望によって人間が動いて必要なことをなし、
またそれがシェアされて進展していくというもの。

櫛の形のように土台ではみんなつながっていて、
櫛の先端(っていうのかな?)ではみんなバラバラ。

この櫛の形、意識の図で使われることありますが、「自然」を当てはめても言えてます。

土台が自然、先っぽが人間たち。

ほとんどの人が、その土台で繋がっていて、
一つの櫛のようになっていることを忘れてます。
(櫛のような物質的なものがあるわけではないですよ)

この発想が進展して、
自然界が何らかの意図を持って人間を作ったのなら、それは何だろうか?
と考えてみました。

そこで思いついたのは、急速な進化。
それもクォンタムリープ(量子的飛躍)的な突然変異的飛躍。

地球が現れ、生命が生まれるに至って何億年という年月を経て進化も進み、
さらなる進化を加速させるため、自然が人間という生き物を作ったのではないか?

「自然が」というより「大いなる意識が」という方がいいのかもしれませんが、
それはさておき。

もしそうだとしたら生物学的にも何かそういう流れがあるだろうと思い、
読んだことのない生物学の本を少し漁ってみたら、これがおもしろい!

リンクする研究がいろいろとされてて、改めて私が思いつくことは
すでにその情報は情報空間に散らばってるんだなと再認識。

私はそれらを自分の関心とフィルターで感知して、自分に下ろしてきているだけ。
私が書くことすべては、すでにある情報を自分なりに再咀嚼しているもの。

前もそう思ったけど、本当にそうだとまた思った。

すべてはすでにある。

でも自分のRAS(網様体賦活系)が開いてないから気づいてない。
それらがリンクされた途端、私の中にひらめきとしてやってくる。

とまあ、改めて思ったね。

そんなこんなでつまみ食いした生物学が面白くて、いろいろあるけど、ここに一つ紹介。
自分のメモのためにも書いておきます。


時間の流れについて。

私たちは、過去から未来に向けて時間が流れるように感じていますが、
それはエントロピー増大の法則。

覆水盆に返らず。
割れた花瓶は元に戻らないし、墨を一滴、水に落としたら水に混ざって色が濁る。
それをまた墨一滴に戻すことはできない。

そういう現象ばかりを体験してきているので、時間は過去から未来に流れると感じます。

でもこれは閉鎖系だけで起こることらしいです。
つまり錯覚です。

時間が過去から未来に流れるのも、花瓶が割れたら元に戻らないのも、
閉鎖系の中での出来事。

でも生物は閉鎖系ではない。

細胞や微生物レベルでは量子力学的なことが起きているし、
エネルギーや情報という物質を超えたレベルでは、因果律が成立しない。
時間の概念が全く違う。

つまり生体の環境では、原因が結果をもたらしたり、過去が未来を決定するとは限らない。

未来が現在を決めることもある。

「時間は未来から過去に流れる」
コーチングの学びで苫米地英人博士が言われていることと同じ。

劇的な環境変化や危機に面した時、
新しい環境で存在しうるシステムに急速に移行する場合、
未来を先に見ているから、生命体は現状を一気に書き換えることができます。

これはまさにコーチング。

進化にはミッシングリンクがあり、どこかで大きな飛躍が起きています。
長い時間をかけて進化しながらも、時には急激に新しい種が現れます。

その急激な変化は、次に現れるべき未来を見据えたからこそ、起こった進化ではないか?

ちょっと話がコーチングの話にずれてきたけど、話戻して、
閉鎖系の中では、過去から未来、原因と結果という因果律が成立するとして、
それは今まで、肉体という個体を基準にした閉鎖系での話。

肉体を基準にしない、情報やエネルギーというつながりの中で起きることは
因果律も、原因と結果も全然違ったものになる。

生命を「個体」としてみることは、時代の常識だっただけであり、
そこが変わってしまえば、いろんなことが書き換わってしまう。

そして ”個” の基準が物質レベルから情報レベルに変わりつつある今、
「生命」という基準も大きく変わっていくのではないか?と思うこの頃です。

参考文献:第三の脳―皮膚から考える命、こころ、世界 傳田光洋著


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