ま今公開の映画「メッセージ」を見ました。
着眼点がすごくいいなと思いました。
面白かったのが、宇宙人は何もしていないのに、人間が勝手に解釈して
反応していく様がすごくエゴのあり方に似ているなーと思ったこと。
その辺りはうまく表現されていたなと思います。
二つ、見てよかった点があります。
以下、ネタバレあります。
一つは、宇宙人の使っていた言語というか、文字。
これは私が「象徴言語」というものと同じだと思いました。仲間がいてうれしい
つまり、情報を読み取る力。
アルファベットやひらがななどのように形が決まっていない文字なのですが、
墨で書かれた丸の形のハネや向きなどの微妙な違いに意味が含まれ、読み取ります。
私が何かのメッセージを受け取る時もシンボルや何かの形である場合が多いです。
そこに含まれる情報はたくさんあり、直感的に瞬時に「あ、そう」と理解できますが、
左脳的言語解釈になると、たくさんの説明が必要となり、なかなか伝えづらい。
自分に言語障害があるのではないかと思うほど。
言葉は、どういう状況でどんな風にそれが発せられるかによって意味が違います。
「すき」と言っても、恋愛の好きなのか、お愛想の好きなのか、友達としての好きなのか、
油断して隙があるの隙なのか、ただ音として「す」と「き」をつなげて言っただけなのか、
いろんな意味に取れます。
また「好き」と言っても、なぜ好きなのか、その理由や、相手に対する思いや自分への思い、お互いの間で起こっている微妙な感情など、その「好き」という言葉の中にいろんな思いや記憶が含まれています。
もっと言えば、人類が始まってその言葉が生まれて今に至るまでに、その言葉の集合的な情報場があります。
その言葉からどこまでを読み取るのかによって、その含蓄は全然変わります。
通常私たちは、その時のその場のコンテクストによってその意味を読み取ります。
言葉は進歩なのか、退化なのか?
微妙なところです。
言葉があることによっていろんな伝達が具体的にできるようになりましたし、文字が生まれたことで記録ができるようになりました。
でも昔は、情報空間にある情報を読み取る力が長けていたと思うので、一つを聞いて十を知るようなことがよくあったと思います。
例えば、天候についてよく知っている人は、空を見たり、風や湿気を感じるだけで、いろんな情報を読み取り、天気予報を見なくても「明後日雨だね」とわかったりします。
天候の知識をよく知っているからという場合は、象徴言語ではなくて知識です。
象徴言語は「ニュアンスを読み取る」に近い。行間を読む感じ。
そこに含まれる情報を、目に見えているものや今までの知識による理解ではなく、
ざっくり違うゲシュタルトを構成してしまうような。
私がいう「象徴言語」はそういうもので、実は日常に溢れています。
夢も一つの象徴言語です。
夢辞典を引くよりも抽象度高くその夢を省みることができたら、
そこに込められたたくさんの情報を読み取ることができるでしょう。
日常で起こっている全ても象徴言語ですが、それを読み取る(繋げる)のは意識です。
数式もその一つですね。
数学者や物理学者が描く数式は私にはチンプンカンプンですが、
彼らにとっては数式一つが宇宙の法則をあらわしていたりします。
数えられるほどの文字数の数式ですが、そこに含まれる情報は膨大です。
そういうものを私は「象徴言語」と呼ぶのですが、「右脳言語」と呼んでもいいでしょう。
映画では、宇宙人がそういう類の言語を使っていたのですが、
もともと日本語はそういうものだったようですね。
「あ」の音には、宇宙の始まりから始まる「あ」の意味があり、
「お」には「お」の意味があり、全ての音にはそれぞれの宇宙があります。
私たちはその音を忘れてしまいましたが、人間がもっと進化すれば、
また森羅万象が話す声が聞こえてくるでしょう。
結局のところ、情報を読み取る力です。
六芒星のシンボルを見て、三角が二つ合わさっているとだけ見るのか、
この形にまつわるいろいろなエネルギーまで読み取るのか?
1本の鉛筆を見て、その鉛筆の元となった木やその木のあった場所まで情報収集できるのか?
「バタフライ効果」という言葉があります。
アマゾンの蝶の羽ばたきがハリケーンを生んでしまうというように、小さな些細なことが起こったことがいろんな要因と繋がり、大きな変化を生み出すことを言います。
今日、私が蹴った石ころが十年後に地震を起こしたなんて関連付けはしようがありません。
けど、そのような事象のつながりを一瞬にして理解して、物事を見ることができるのが象徴言語です。
そしてこれからはそのような理解をする人が少しずつ増えていくでしょう。
これに長けた人たちが集まると、理解するのにほとんど言葉が入らなくなります。
テレパシーと呼ぶ人もいるでしょう。
でも超能力ではなく、超言語です。
アーティストはけっこう使えるのではないでしょうか?
あと、共感覚者も。
ということで、もう一つの気づきは次回へ、、。
これを書きながら気づいたことが一つ。
昨夜、夏至における変化で気づいたことがあったのですが、それにつながっていきますねー。
象徴言語のあり方と新しい自我形態と。
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着眼点がすごくいいなと思いました。
面白かったのが、宇宙人は何もしていないのに、人間が勝手に解釈して
反応していく様がすごくエゴのあり方に似ているなーと思ったこと。
その辺りはうまく表現されていたなと思います。
二つ、見てよかった点があります。
以下、ネタバレあります。
一つは、宇宙人の使っていた言語というか、文字。
これは私が「象徴言語」というものと同じだと思いました。仲間がいてうれしい

つまり、情報を読み取る力。
アルファベットやひらがななどのように形が決まっていない文字なのですが、
墨で書かれた丸の形のハネや向きなどの微妙な違いに意味が含まれ、読み取ります。
私が何かのメッセージを受け取る時もシンボルや何かの形である場合が多いです。
そこに含まれる情報はたくさんあり、直感的に瞬時に「あ、そう」と理解できますが、
左脳的言語解釈になると、たくさんの説明が必要となり、なかなか伝えづらい。
自分に言語障害があるのではないかと思うほど。
言葉は、どういう状況でどんな風にそれが発せられるかによって意味が違います。
「すき」と言っても、恋愛の好きなのか、お愛想の好きなのか、友達としての好きなのか、
油断して隙があるの隙なのか、ただ音として「す」と「き」をつなげて言っただけなのか、
いろんな意味に取れます。
また「好き」と言っても、なぜ好きなのか、その理由や、相手に対する思いや自分への思い、お互いの間で起こっている微妙な感情など、その「好き」という言葉の中にいろんな思いや記憶が含まれています。
もっと言えば、人類が始まってその言葉が生まれて今に至るまでに、その言葉の集合的な情報場があります。
その言葉からどこまでを読み取るのかによって、その含蓄は全然変わります。
通常私たちは、その時のその場のコンテクストによってその意味を読み取ります。
言葉は進歩なのか、退化なのか?
微妙なところです。
言葉があることによっていろんな伝達が具体的にできるようになりましたし、文字が生まれたことで記録ができるようになりました。
でも昔は、情報空間にある情報を読み取る力が長けていたと思うので、一つを聞いて十を知るようなことがよくあったと思います。
例えば、天候についてよく知っている人は、空を見たり、風や湿気を感じるだけで、いろんな情報を読み取り、天気予報を見なくても「明後日雨だね」とわかったりします。
天候の知識をよく知っているからという場合は、象徴言語ではなくて知識です。
象徴言語は「ニュアンスを読み取る」に近い。行間を読む感じ。
そこに含まれる情報を、目に見えているものや今までの知識による理解ではなく、
ざっくり違うゲシュタルトを構成してしまうような。
私がいう「象徴言語」はそういうもので、実は日常に溢れています。
夢も一つの象徴言語です。
夢辞典を引くよりも抽象度高くその夢を省みることができたら、
そこに込められたたくさんの情報を読み取ることができるでしょう。
日常で起こっている全ても象徴言語ですが、それを読み取る(繋げる)のは意識です。
数式もその一つですね。
数学者や物理学者が描く数式は私にはチンプンカンプンですが、
彼らにとっては数式一つが宇宙の法則をあらわしていたりします。
数えられるほどの文字数の数式ですが、そこに含まれる情報は膨大です。
そういうものを私は「象徴言語」と呼ぶのですが、「右脳言語」と呼んでもいいでしょう。
映画では、宇宙人がそういう類の言語を使っていたのですが、
もともと日本語はそういうものだったようですね。
「あ」の音には、宇宙の始まりから始まる「あ」の意味があり、
「お」には「お」の意味があり、全ての音にはそれぞれの宇宙があります。
私たちはその音を忘れてしまいましたが、人間がもっと進化すれば、
また森羅万象が話す声が聞こえてくるでしょう。
結局のところ、情報を読み取る力です。
六芒星のシンボルを見て、三角が二つ合わさっているとだけ見るのか、
この形にまつわるいろいろなエネルギーまで読み取るのか?
1本の鉛筆を見て、その鉛筆の元となった木やその木のあった場所まで情報収集できるのか?
「バタフライ効果」という言葉があります。
アマゾンの蝶の羽ばたきがハリケーンを生んでしまうというように、小さな些細なことが起こったことがいろんな要因と繋がり、大きな変化を生み出すことを言います。
今日、私が蹴った石ころが十年後に地震を起こしたなんて関連付けはしようがありません。
けど、そのような事象のつながりを一瞬にして理解して、物事を見ることができるのが象徴言語です。
そしてこれからはそのような理解をする人が少しずつ増えていくでしょう。
これに長けた人たちが集まると、理解するのにほとんど言葉が入らなくなります。
テレパシーと呼ぶ人もいるでしょう。
でも超能力ではなく、超言語です。
アーティストはけっこう使えるのではないでしょうか?
あと、共感覚者も。
ということで、もう一つの気づきは次回へ、、。
これを書きながら気づいたことが一つ。
昨夜、夏至における変化で気づいたことがあったのですが、それにつながっていきますねー。
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