映画「ドクターストレンジ」から始まってのつらつら書きの続きです。

「ドクターストレンジ」では、ダークサイドこそが善とする意見が出てきます。
命が限られることが恐れを生み出し、限界を生み出します。
時間を超越して永遠に生きることで、人間は解放され、自由になれるとします。

そもそも時間もこの世界も幻想であり、私たちはその幻想の中に生きています。
実際に個体としての物や身体があるわけではなく、脳がそのような像を見ているから、
実際にあるかのように感じています。

私たちは生の肉体を感じますし、食べたり排泄し、痛みを感じ、身体は老いていきます。
触ったら触れるし、ちゃんとあるでしょ?と言われたとしても当然だと思います。

私たちは物質主体の世界に生きてきたので、肉体を持つ私たち自身が幻想だと信じられなくても、当然と言えば当然です。

上腕をつねって「痛い」と思っても、上腕自体が痛みを感じているのではなく、
実際は、脳が「上腕が痛い」と信号を送っています。

理屈でそういうことがわかったとしても、やはり上腕をつねれば「上腕が痛い」と感じます。
「『それ、幻想だよ』と言われてもなー。今ここでリアルに感じるんだよ」と思って当然でしょう。

私たちは、自分が持っている記憶も、なぜか「正しい」と思い込んでいます。
そのようなことが起こったのだと。


映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」では、自分が誰かわからなくて、過去の記憶もなく、
どこにもつながっている感がない状態を主人公は感じます。肉体も脳以外が義体。
身体さえも自分でない。

そうなった時、何があなたを「あなた」として認識させるのか?

なんのために生きているのか? 存在しているのか?

自分が誰かわからずに生きているのは、宙に浮いた感覚に近いと思います。


”自分のことを「自分」と自覚しているその根拠は何?”

と聞かれたら、あなたはどう答えますか?


あなたをあなたたらしめているもの。

名前、外見、過去、人格、これらがあなたなのか?


「ゴースト・イン・ザ・シェル」では、記憶が塗り替えられて、
新しく植えつけられた記憶の人格や経験をそのまま信じている人物が登場します。

つい先日見たアメリカドラマの「ニキータ」でも、巧妙な心理作戦と脳への介入で、
新しい記憶を植え付けて、それがそれまでの自分の強い情動と重なり、
新たな人格と現実を作り出していくという話がありました。

自分にとっては確実に存在したと思える人物や経験が、実際は想像上の人物や経験で、
実際にはそれは起きていなかったとしても、あなたの意識の中で経験していたら、
それはあなたにとっての現実、本当にあった話です。

そして実際に、私たちが今持っている記憶はそのようなものです。
一緒に経験したはずの他の人は全く違う経験をしている可能性は大ですし、歴史はいい例です。起こっていなかったことが起こったとされ、起こったことが起こっていなかったとされていたり。

でも教育で「こうです」と教えられるので、それをそのまま事実として認識してしまいます。


もしあなたが違う記憶を植え付けられているとしたら、名前、外見、過去、人格などは、
あなたがあなたであると断言できるものではありません。

あなたが今記憶しているあなた自身、それは本当のあなたなのか?
それとも他の記憶の中で生きているのか? 自分が誰かわからずに生きているのか?

今、あなたをあなたと限定できるものは、
名前、性別、家族、出身地、生い立ち、経歴、仕事などなのではないでしょうか?

「ゴースト・イン・ザ・シェル」では主人公はその答えを見つけますが、
あなたはどうでしょう?


自分が誰かわからなくて悩む人、そこから逃げて何も考えなくなる人はこれからも増えるでしょうが、これからは「アイデンティティを持ちましょう」というより、その反対です。

記憶すら曖昧であり、私たちはホログラムの映像みたいなものですから、
アイデンティティからも自由になってしまっていいと考えましょう。

記憶も過去も自分もいらない。
というより、それらからも自由になっていい。
その方がなんでもできるし、何者にもなれます。

「アイデンティティを持つ」ことで、あなたは小さな枠に止まってしまいますから。

あなたが何者であるかは関係なく、あなたが何者であろうとするか、が大事です。

話が「ドクターストレンジ」から「ゴースト・イン・ザ・シェル」になっちゃいましたね。


次回もこの流れの話が続きます。


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