
この映画では、「自然の摂理」と人間の関係についても問いかけがなされていました。
自然の摂理に反することはよくないか? と。
人間がどこまでそれに介入できるのか?
人間が手出しをすると、カルマを生み出し、悪を生み出すのではないか?
悪が生まれると、それを正す善や正義も生まれます。
それらは対なので、いい悪いの区別はつけられないのではないか?
その区別をつけるのは人間側の都合でしかない。
悪も善になれるし、善も悪になる。
それは見る側がどう受け取るかでしかない。
事象は事象。
何かを決めたり、選んだりすることは、エゴによる作用であるから、
どんなに善良と思われることであっても、エゴの作用である。
自然の摂理は、人間の善悪の範疇にはない。
人が行動する限り、自分のエゴによって動いているので、
いつまでたっても反抗勢力(ダークサイド)は現れる。
善側より、悪側の方がこのエゴの作用についてはわかっているので、
ある意味、自分に素直である。
善側は大義名分を掲げ、自分のエゴではないと思いたがる傾向にある。
エゴだと思った途端、悪と大差ないことを知るので、それを避けたがる。
エゴで行うことは、自然の摂理に沿っていることが大事。
自然の摂理に反したことをすると、それは必ず自分に返ってくる。
そのループ(カルマ)からは逃れられない。
人間が人間である限り、エゴを持っています。
そのエゴをどのように使うのか、自分のために使っても、人のために使っても、
善に使っても、悪に使っても、それによって生じるものは、いわば善悪の両方。
そのループからいかに抜け出すのか?
あるいは、抜けださずに解決法を見出すのか?
ここに書いたことは、あくまで問いかけであり、正しい答えなどありません。
その問いかけに、自らがどう答えを見つけていくか?
がこれからの世界に影響を与えていく、というスタンス。
今までの時代はどこかに正しい答えがあるように思われてきましたが、
各自が自分の答えを見つけていくことがそれぞれの未来を形成していきます。
答えを「探す」のではなく、答えは「作り出す」ことが大事になってきています。
クリエイティビティの時代ですね。
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