前回の「女性の意識」からの続きです。


女性のとっては「個」というのはそんなに重要ではなく、「集合体」としての自分、つまりは、自分が属する情報場やコミュニティのほうがもっと「自分」として感じられるのかもしれないと思います。

共同体的な感覚が自分かもしれないです。

そのつながり(情報場)が自分であるから、そこを整えること、成長させることが大事になります。だから協調や共感が大事になってくるのでしょう。

そして、その中で自分がするべきことを見つけていく。

そこにいることで情報が降りてきて、やるべきことをやっているという感じ。

現代はほぼ全くそれが機能していません。
なぜならそれが発揮されるような「場」が整っていません。

これが利用される方向に向かったり、依存的な集団に持ち込まれると、宗教的な集団やお互いが監視し合うようなコミュニティになります。

これが確立するには、まずは「個」として自立していることが大事になります。

そういう人たちが集まってこそ成り立つ「場」なので、やはり一人一人の意識が大事ですね。


本来、女性に限らず、人間の役割も「場(情報場)」を成長させることなのかもしれません。

集団で住む生物などはそんな感じでしょうか?

アリや蜂や植物など、、、。
大きな意味では自然界も。


女性にとっては、そのようなつながりが、自分にとって「主たるもの」になっているほうが楽だし、つながりの自分を感じていて一人ではないので寂しくないです。

個であることは本来、女性には向いてないんでしょうね。
どちらかといえば、男性向き。

だから女性は「愛されたい」という思いが強いのかもしれません。


これは根本的に今の社会と構造が違います。

web状ですね。

子宮がなぜ「子宮」なのか?

「宮」は情報場。

子宮はアカシックレコードのようにすべての情報と繋がっているところ。

そこにある情報で子供が育まれます。

その情報は女性たちの間で無意識内で共有されています。


ということが、先日のヒーリング時に出てきたことですが、仮説です。

私は「なるほどなー」と腑に落ちましたが、本当にそうなのか、私の潜在意識が私の都合のいいように出してくれた情報かはわかりません。
でも私はそうなんだろうなーと思うので、これらが育まれていく方向に進んでいきたいと思います。

女性は「個人」であるより「共有する情報場的存在」であることは、
考えてみれば納得のいく話です。
古代からのいろんな寓話や女性原理を見てみても頷けます。

個人も解体すれば情報の集まりですが、「個人、個体」という括りが現在は強いので、
あまり集合体と認識はされてないですね。


こういう言い方がわかりやすい例えかもしれません。

情報場を女性ととらえると、
情報同士が繋がって、新しい情報を生み出すという働きが男性。

でも現代の女性はほとんど情報場としての機能を果たしてません。
男性化しちゃってますから、自分も一つの情報として動いてます。

わかります?この例え。

これからはまた女性がこの機能を取り戻すべく、少しずつ社会も変わっていくのでしょうね。


この話は「えなふ通信」(女性のみ)からの転載です。

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