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コミュニティが重視される社会に向かっていっていますが、
女性性が主になる時代になるのだから自然な流れだと思います。

その時「コミュニティ」が、ただ単に「人の集まり」というのではなく、
「情報場を共有するグループ」になることが大切だと思います。

「エネルギー場」の共有に気づいているコミュニティ。
なので、肉体的に同じ場にいる必要はありません。


意識的にしろ無意識的にしろ、それを意図する人達が必要になります。
その人たちが形作った「場」(ここでは「情報場の環境」といったがいいかも)に加わるなら、そこにある暗黙の世界観を共有するというか、自分もそのパーツとしてそこに存在する感じ。作った人も同じくパーツ。

パーツといっても、身動きが取れない歯車の一つではなく、全体の中のバランス的に自分が何をすればいいのかがわかるような、そんな感じでしょうか。

一人の身体があっても、手足、内臓、脳、心臓、目鼻口と機能があり、
たくさんの細胞や血液、骨、筋肉、微生物などいろんなものがその人体を形成しています。

「あなたは目だけど、私は鼻ね」というような感じですね。
トータルで人体として機能するわけで、目だけ取り出してもどうにも機能しないわけです。
そんな感じですね。

これは新しいことではなく、以前からあったことですが、『意図する側とそこに組み込まれていく人たち』という構図ではなく、『みんなで作っていく』という感じが増していくと思います。


まだまだこれからの話ですが、一人一人の意識が変わり始め、「コミュニティ」自体がひとつの生き物のようになって、そこにいるひとりひとりがそこに含まれる機能の一部を担うようになるでしょう。

日本はもともとそういう風潮のある国ですが、これからはもっと意図的にそれがなされるようになっていくと思います。

支配層の人たちが自分たちの都合のいいようにそれをしようとする流れと、意識の高い人たちが新しい時代を形成しようと新感覚のコミュニティに取組み始める流れと両方あると思います。


「コレクティブ・エフィカシー」という言葉があります。
「エフィカシー」は、「自分はゴールを達成できる」という自己評価です。
そのグループのみんながそのように思うことで、すごい力が発揮できるようになります。

みなのエフィカシーが高く、共通の大いなるゴールに向かって行動していきながら
お互いが影響しあっていく、、、

これはそのまま「いのち」の活動と言えます。

豊かな森が様々ないのちを育み続け、それ自体が一つの生命であるかのように、
地球もそのような存在なのだから、人間が壊したバランスを取り戻すためにも
人間の意識が変化していく必要があります。

その変容が進むと同時に、その反対のエネルギーも増えると思います。
心が前向きで楽観的になれるか、ネガティブになるかで体験する世界が違ってきます。


今まで人間は、地球は自分たちのためにあると思って好き放題してきました。
が、個としての自我から、ネットワーク状にすべてとつながっていることを認識している大きな自我に移行していくにつれ、『コミュニティとしての地球』の一員(というより地球そのもの)であることの認識と、高まるエフィカシーを感じていくと思います。

シシ神さまはそんな感覚なんだろーなーとふと思いました。
人はシシ神さまを殺してしまったけど、たくさんの人がシシ神さま的感覚になれる時代が
この先やってきたらいいなと思います。
 

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