ほとんどの人が知っているであろう「ぞうさん」の歌。
ぞうさん、ぞうさん、おはながながいのね。
そうよ、かあさんも ながいのよ。
ぞうさん、ぞうさん、だれがすきなの。
あのね、かあさんが すきなのよ。
それについてこんな話を読みました。
↓
童謡ぞうさんの「そうよ、かあさんも長いのよ」この詞の意味が、想像以上に深かった。
私がこれを最初に読んだ時の感想はフェイスブックに載せてますので、
読みたい方はそちらをご覧ください。
今回、この記事を読むまで、ぞうさんの歌に
悪口や差別の歌という論議があるとは思ってもいませんでした。
気になったのでもう少し検索してみたら、いくつか記事がありました。
が、この記事がいろんな角度からの意見を書いておられていいです。
↓
〈ぞうさん〉とまど・みちおの思い
「おはながながいのね」を「人とは違うところを指摘されている」と取る人もいれば、
特に気にならない人もいます。
気になる人は、自分の人生経験の中で、いじめや差別的な扱いを受けたことがあるか、
そういうことに敏感な人だと思います。
悪口を言われている歌かどうかを言いたいのではなく、
この「ぞうさん」の歌を一つの現実としてみた時、
いろんな受け取り方をしている人がいるなあということをここでは言いたいです。
とうさんぞうのことが気になる人、
自己肯定感の歌だと思う人、
学校で人と違うのをからかわれて、この歌を歌って自分を励ました人、
ただの童謡と思って歌っている人、
母への愛慕と感じる人、
いじめられても気にしない人、など。
「おはながながいのね」をからかいや意地悪とうけとめると、
「いじめられた」という意識が生まれます。
けど、ただ「事実を述べられただけ」と受け止めれば、
「あなたは日本人ですね」と言われるのと同じぐらいスルーできます。
常に物事はその背景、コンテクストによって変わってきます。
「日本人なのね」と言われて差別されたと感じる時もあれば、
「はい、そうです。あなたはアメリカ人ですね。」というように
事実を述べただけと感じる時もあります。
また相手が悪意を持って「おはなが長いのね」と言ったとしても、
当人がそれをなんとも思っていなかったら
「そうよ、かあさんも長いのよ」と無邪気にいったり、
「それがなにか?あんたは鼻ぺちゃだね」と全然気にならなかったりします。
悪口としてそれを言った人には、
偏見を持つようになったなんらかの経験なり、観念なりがあるのでしょう。
自分の問題ではなく、相手の問題としてうけとめることができます。
「言われたこと」を自分が認め、受け入れることにより、
自分で自分はそういうものだと同意してしまいます。
言われる側はそれに動じないぐらいの強さと自己肯定感をもちたいですね。
また「現実」は何通りもの受け取り方があるので、
自分が体験している現実は自分の受け取り方を変えさえすれば、
いかようにも変わっていくというところも踏まえておきたいところです。
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ぞうさん、ぞうさん、だれがすきなの。
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今回、この記事を読むまで、ぞうさんの歌に
悪口や差別の歌という論議があるとは思ってもいませんでした。
気になったのでもう少し検索してみたら、いくつか記事がありました。
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〈ぞうさん〉とまど・みちおの思い
「おはながながいのね」を「人とは違うところを指摘されている」と取る人もいれば、
特に気にならない人もいます。
気になる人は、自分の人生経験の中で、いじめや差別的な扱いを受けたことがあるか、
そういうことに敏感な人だと思います。
悪口を言われている歌かどうかを言いたいのではなく、
この「ぞうさん」の歌を一つの現実としてみた時、
いろんな受け取り方をしている人がいるなあということをここでは言いたいです。
とうさんぞうのことが気になる人、
自己肯定感の歌だと思う人、
学校で人と違うのをからかわれて、この歌を歌って自分を励ました人、
ただの童謡と思って歌っている人、
母への愛慕と感じる人、
いじめられても気にしない人、など。
「おはながながいのね」をからかいや意地悪とうけとめると、
「いじめられた」という意識が生まれます。
けど、ただ「事実を述べられただけ」と受け止めれば、
「あなたは日本人ですね」と言われるのと同じぐらいスルーできます。
常に物事はその背景、コンテクストによって変わってきます。
「日本人なのね」と言われて差別されたと感じる時もあれば、
「はい、そうです。あなたはアメリカ人ですね。」というように
事実を述べただけと感じる時もあります。
また相手が悪意を持って「おはなが長いのね」と言ったとしても、
当人がそれをなんとも思っていなかったら
「そうよ、かあさんも長いのよ」と無邪気にいったり、
「それがなにか?あんたは鼻ぺちゃだね」と全然気にならなかったりします。
悪口としてそれを言った人には、
偏見を持つようになったなんらかの経験なり、観念なりがあるのでしょう。
自分の問題ではなく、相手の問題としてうけとめることができます。
「言われたこと」を自分が認め、受け入れることにより、
自分で自分はそういうものだと同意してしまいます。
言われる側はそれに動じないぐらいの強さと自己肯定感をもちたいですね。
また「現実」は何通りもの受け取り方があるので、
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いかようにも変わっていくというところも踏まえておきたいところです。
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