ホセ・ムヒカ氏来日の時の講演からの抜粋の最後。
以前の記事はこちら (

しっかり学ぶ必要があります。自分自身の考え方を、いろんな情報源を当たりながら、自分の考えを構築する必要があります。必ず疑いの目を持って、裏を取る必要があると思います。

一般の市民、一般の市井の人々というのはわりと無邪気で、何か言われたことを鵜呑みにして信じてしまいます。でも、みなさま方はもっと高い教養を持っている人だとすれば、さらに深い洞察をする義務があります。

もっと深く考えること。
ほかの人が表面的な部分しか見ていないことを、しっかりと見ていく。
そういったことをみなさま方がしなければいけません。
それが闘争の一部でもあると思います。

私たちは理性で考えなければいけません。しっかり物事を見なければいけません。それに基づいて、現在、社会に何が起きているのかを、深い洞察をすることによって分析し、それをほかの見えない人に伝えなければいけないと思います。

生きるということは、コンフリクトを持つことなんです。
コンフリクトがない人間は墓場にいる人だけでしょう。
生きてる人なら、誰でもコンフリクトは抱えています。

問題は、どうやってそのコンフリクトをマネジメントしていくのか。
コンフリクトを持つことは避けません。ですから、みなさんは家族のために、
例えば家族を守るために戦うというのは当然です。それはいいことです。

でも、だからといって、ほかの人のために何にもできない、ということではないですよね? 
ほかの人にも何かができたとすれば、自分と家族にとってもすごく幸せに感じるでしょう。
隔離されて、社会の中で生きていくことはできません。 logmi


コンフリクトと書かれているけれど、「葛藤」「対立」「戦い」「衝突」などのどの日本語訳にすればいいか、、と迷います。だからそのまま「コンフリクト」と英語をカタカナにされたのかもしれません。

とにかくはなにかしら対立することがあり、それをどうしようかといろいろと試行錯誤するわけですね。

私たちは常に選択をして過ごしていますから、そこに葛藤があるかないかで、ストレス度が違ってきます。


通常、葛藤がないほうがいいように思われがちですが、果たしてそうでしょうか?

葛藤がないということはとくに問題がないということでしょう。
問題がなければ楽ですが、成長もない。


『もっと深く考えること。
ほかの人が表面的な部分しか見ていないことを、しっかりと見ていく。』

そうすることでコンフリクトも生まれます。

「問題」というと悪いことのようですが、「課題」「改革」という言い方をすれば、今ある状態を変えていくことと言い換えられます。

そこには現状否定があるではないか?と言われそうですが、結局のところは青い鳥であり、それが見えてない状態です。
そこにたどり着くまでにいろんなことを経験するから葛藤のない状態にたどり着きます。

その状態に至るとまた新しい視点が見えますから、また新たなコンフリクトが現れ、それに対応していくことで、新しい気づきや経験を経て、また成長していきます。

それの繰り返しですね。
そうやって自分も世界も変化していきます。


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