
前回の続きで、中沢新一の「精霊の王」からです。
私が何をこの話にリンクしているかというと、人間の根源的な「力の源泉」となるもの、それは自然界にリンクしたものであり、それについてうまく表現されていて、自分の言葉で一生懸命説明しようとするより引用する方が明らかだと思うからです。
人間の思考が作り出してきた世界から、それの背後にずっとあった自然界の秘められた力がこれから私たちを通して顕現していくのだと感じています。
部分部分を抜粋しているので、全体を読みたい人は「世界の王・力の源泉」を読んでください。以前も転載しました。この部分だったかは定かでないですが。
「翁=宿神」の内部には、イニシエーションの儀式を司る「人食いの王」のイメージが隠されていることも、私たちはすでに見てきた(第六章)。中世の摩多羅神である。人は生まれたまま、そのまま素直に成長をしても、世界の表面から隠されている真実を見ることはできない。その心が常識でがんじがらめにされているからだ。イニシエーションは、常識によってつくられた心の状態を作りかえて、いままで見えなかった真実を見えるようにしようという、慈悲深い儀式なのである。そのとき、イニシエーションを受ける者の前に、暗闇のなかからさまざまな姿をした「人食いの王」が出現する。
この「人食いの王」は、イニシエーションを受ける者の古い自我を食い尽くして、破壊する。北方の狩猟文化では、しばしばこの役目を神としての熊がつとめた。熊こそが、死の領域の支配者であるからだ。熊は古い自我を抱えた人間をずたずたにひき裂いて、そこから真実を見る目を備えた新しい主体を生み出すのである。この事態は、イニシエーションを受ける者の側からすると、荒々しい自然力にさらされながら、真実の「主権者」の姿を見届けることによって、認識の構造を根底から作りかえられることを意味するだろう。力と認識力の源泉。「翁=宿神」はそのままで、別の形をした「聖杯」なのである。
この「人食いの王」は天災の姿をして現れることがあります。
人は逆境に直面することにより、通常の意識とは違う意識状態になります。
精神的に弱くなる場合もあれば、火事場の馬鹿力のように通常は出せない力を発揮することもあります。
いつもの状態はコンフォートゾーン、自分にとっては慣れ親しんだ状態であり、居心地の良い領域にいます。そこにいる限り、その自分にとって最高のパフォーマンスが出せますが、「その自分」でいる限り、それ以上にはなれません。
私たちは現状の居心地の良さに甘んじる傾向があります。
変わるべき時期に変わらず、そこに居続けようとすると、外的状況により
強制的に変わらざる得ない出来事が起きることは誰もが経験しているでしょう。
自分の人生の流れを見て、とどまるべき時、進むべき時を見極めたいですね。
強制的に状況が変わると、古い自我にしがみついている今のままの自分でいるより、新しい状況に合わせて変化することを選ぶ方が流れはスムーズにいきます。
新しい状況を受け入れることはとても怖く不安になりますが、
新しい自分になるためには必要なイニシエーションとなります。
今までのあり方に固執すればするほど苦しくなりますので、
流れに沿って柔軟になることが大切です。
人間が「力の源泉」を自分の能力の外に求めていた頃には、「世界の王」はまさしく世界の中心に、はっきりと認められていたのである。ところが、この世の王、世俗の王なるものが出現し、そこから国家という怪物が立ち上がって以来、真実の力(主権)の秘密を握る「世界の王」は、私たちのとらえる現実の表面から退いて、見えなくなってしまった。そうなってしまうと、「世界の王」はむしろこの世で虐げられた人々、賤しめられた人々、無視された人々のもとに、心安らかに滞在するようになり、現実の世界の中心部には、「主権」を握っていると称する偽の王たちが君臨するようになってしまったのだった。
古代の王たちから現代のグローバル資本主義にいたるまで、偽の「主権者」たちによってつくりあげられてきた歴史を終わらせ、国家と帝国の前方に出現するはずの、人間たちの新しい世界について、もっとも正しいヴィジョンを抱きうるものは、諸宗教の神ではなく、長いこと歴史の大地に埋葬され、隠されてきた、この「世界の王」をおいて、ほかにはない。しかし、すべては私たちの心しだいである。この王の語りかけるひそやかな声に耳を傾けて、未知の思考と知覚に向かって自分を開いていこうとするのか、それとも耳を閉ざして、このまま淀んだ欲望の世界にくりかえされる日常に閉塞していくのか。すべては私たちの心にかかっている、と宿神は告げている。
この「内奥の力」「力の源泉」につながることは自我を超越することです。
自然と人間を切り離した時点で、この力と自我との関係は別物として扱われてきましたが、それが再び融合していくでしょう。
この「王」は外の世界にいるのではなく、自分の内奥に潜むものです。
自我を超えた領域は特別な人しか感得できないと思われてましたが、「新しい常識」として今後、定着していくでしょう。
それはまだまだ先の話でしょうが、テクノロジーの進化もあり、魔術が魔術でなくなり、日常になる、そんな日もそう遠くないと思います。
昔の人からしたら、飛行機が飛ぶのもインターネットができるのも電気があるのも、その仕組みを知らなければ、魔法ですよね。
新しい世界はそんな魔法が盛りだくさんの世界となるでしょう。
そこに到達するには古い自我世界が大きく変わらないといけないです。
とくに自然と人間との関係。
それは古い自我と新しく拡大した自我、そのせめぎ合いです。
強制的に変わらざるを得ないことになるよりは、先に意識変化が起こることにより無難に変化していきたいですね。
熊本の人は現在たいへん状況におられて、本当に早く安全安心な毎日が得られることを願います。
が、もしかするとこの逆境を通して、のうのうと暮らしている人より一足先に、この新しい感覚を体得していかれるのかもしれないです。
より自然とつながった生き方や感覚。
それは東京より地方から始まるのでしょう。
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