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昨夜、熊本で震度7の地震がありました。
余震がなんども起こっているようで、現地の方々は不安な一夜を過ごされたことと思います。

亡くなられた方のご冥福をお祈りする共に、被害に遭われた方々が一日も早く通常生活に戻れますよう心より願っております。


熊本で地震が起こって私が最初に思ったのは「中央構造線」。
日本列島を横断する大断層です。

ちょっと気になったので、久しぶりに「自動書き下ろし」をしてみました。


熊本は中央構造線の南端の近くになります。
この地震は中央構造線に関係しています。
南海地震の予兆ではありません。歪みの修正として起きたものです。

鹿島と連動していますので、南海より関東の方が要注意です。
でもすぐに大地震が起きるかというとそんなことはありません。
小出しされる可能性もありますので、そうナーバスになる必要はないでしょう。

地質学的な話ではなく、霊的なところから読み解いていくと、
これは黒カラスに関係あります。
くまモンは黒です。カラスも黒。八咫烏も黒。
金鵄は金。金色は伊勢、諏訪。太陽の道も金。
と書いてもなんのことかわからないかもしれません。

人の背骨に当たるのが中央構造線です。
その末端、鹿島と霧島とどちらを頭にしてどちらを尾にするのか、
これは決まっていません。どちらもどちらにもなり得ます。

要するに結び目、交差点、あちらとこちらの境目の結界はずし、
が今回の地震だったと思ったらいいでしょう。


「くま」は何を表すのか?

熊本、熊の本、熊は自然界でなくてはならない生物。
森を豊かにしてくれる森の守り人です。
その熊の本が揺れたということです。

これを警告と受け取ることもできますが、
それよりはいくつかのメッセージとして受け取るがいいでしょう。

警告と受け取るなら、自然が危ういということ。
自然が壊されたら人間もいずれ壊されますからその警告。

熊(自然界の象徴として)の根元が揺らぐ。
これ以上自然の循環を乱してはいけないというメッセージと受け取ることもできます。

他メッセージとしては、自然界を無意識の顕現化として、
無意識とこちらの普段の意識界の境目にある扉が外された(元がぐらついた)と見ることもできます。

(精霊的)エネルギーの世界においての出来事の、
現象界においての表現が熊本の地震であったということです。

自然界と人間界(人間が作り出した意識界)の境目が外されたことになります。

これは鹿島の要石につながっていきます。
なぜ鹿島が動かず、熊本かというと、そこがメビウスの輪のような裏表のしくみなので、熊本に現れたというわけです。
一つのサインとみればいいでしょう。

これにより、うしろの世界と表の世界の境界が取り払われましたので、
新しい段階に移行し始めます。

その二つが融合し始めるということですので、ある人にとってはうれしいことであり、またある人にとっては不気味で気味悪いことかもしれません。

より自然体になっていく過程です。
より自然でナチュラルになっていく人と、獣化していく人といます。

「人とは何か?」「人間とは何か?」という命題が再び浮上していくことになります。

動物との違いは何か?
本当に人間は今まで私たちが思ってきた通りのものなのか?
なぜ他の動物と違うのか?

キリスト教的視点で見るのではなく、
原点に戻った時にどういう答えが導き出されるのか?

今回の地震はタガをひとつ外す役割を持っており、今まで人間が人間たるゆえんとしてもっていたものへの問いかけが起こります。

無意識と顕在意識、あちらの世界とこちらの世界、表と裏、動物や自然と人間。

今までは理性がこれらの境界に一線を引いていました。
それが今回揺らがされ、そこにあった境界がなくなったと思ったらいいでしょう。

なくなったといっても、私たちの意識は記憶に動かされていますので、
境がなくなったことに気づくのは今しばらく時間がかかります。

けれども、なんかヘン、なんか妙だな、何かが違う、、と感じ出すと思います。

その時に、対岸のものに理解がある人はより自然体に近く、
そうでない人はより獣化していく、あるいは恐れが増していくことになります。

ヘンな言い方かもしれませんが、あまりに「人間」すぎる人はこの先しんどくなっていくでしょう。
なぜなら全体的な流れとしては、より「自然」に近づいていくことになるからです。

顕在意識が氷山の一角の見えている部分で、無意識が水の下に隠れている部分ですが、「自然」は無意識領域に属しますので、その境界がなくなったら、水面下にあるもの(自然)が圧倒的に多いのがわかるでしょう。

その世界がじわじわこちらの世界に侵食してくるということです。

昔話で、動物が人間に化け、人間と結婚する話や、妖怪と人間が共存していた時期などありますが、それが再びやってくるということです。

といっても、これは物質以前の意識領域でのエネルギー交流としての話です。

意識内でそういうエネルギーが分けられていたのが、道が開通して行き来できるようになっていくので、人によってはそのエネルギーに妖怪を見たり、動物が話をしたり、なんてのを見る人もいるということです。

まあ、これはゆくゆくは、、ということで、今はまだその境界が外された、というところだけを心に留めておけばいいです。
すぐに変わるわけではないですから。

「和音」2016.4.15


途中、鹿島と霧島とでてきますが、霧島は中央構造線の末端ではないのでは?という疑問が私の中で起こりましたが、調べてみたら「鹿島霧島レイライン」という約1000キロのレイラインがありました。

霧島神宮、高千穂→剣山→伊勢神宮→富士山→明治神宮→皇居→スカイツリー→鹿島神宮


今回の熊本の地震は、人が人らしくなるために、より自然に戻る段階の一つとして、顕在意識と無意識領域の一つの封印が解かれ、架け橋がかけられた印であると私は受け取りました。

私の単語の捉え方は曖昧なところもありますので、細かいところはともかく、言わんとするところだけ受け取ってくださればいいです。自分でも?と思う記述もありますんで。

私は自分の言葉を通してこのように書き出していますが、
同じエネルギー場を感じたとしても千差万別の受け取り方があります。

もし今回の地震がここに書かれているように「裏と表の間にあった関所のひとつがなくなった」ということであれば、あなたはそれををどう受け取るでしょうか?

私の言葉で言えば、「自然」と「人」をつなぐ道が開いたという現象であり、
うしろの世界への道がついた、という表現になります。


熊といえば、熊野、、、。
つい先日、水木しげるが南方熊楠のことを書いたマンガ「猫楠」を読んだところでした。
水木しげる氏も南方熊楠氏もこの架け橋がすでに開通していた人ですね。


ちなみに、こんな記事を見つけました。面白かったです。
金鵄の真実

メビウスの輪のようになっている表と裏。
うしろの正面、だあれ?

ちなみにこの言葉を使って言い表せば、「うしろの正面」の「の」が外れて、
「うしろ正面」「正面うしろ」と一つの単語になったという言い方もできます。

ここに働いている原理を読み取って、その働きを他のことにも当てはめてみてください。

それはともかく復旧作業が早く進みますように。


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