blogranking←ランキングにプチッと応援お願いします!


ふたつのメルマガにて月1回、無料一斉遠隔ヒーリングを告知して行っていますが、
今日はその時の気づきの話です。

一つの遠隔は先月21日に、もう一つは今月10日に行いました。
どちらも「何も起こっていないような感覚」がありました。

思い出したのが「十牛図」。

いなくなった牛を探して見つけて戻る話ですが、
牛を「悟り」、童子を「修行者」に例えています。

以下、ウィキペディアからです。

十牛図は以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。

1. 尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。

2. 見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。

3. 見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。

4. 得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。

5. 牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。

6. 騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。

7. 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。

8. 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。

9. 返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。

10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。


伝 周文 筆:相国寺
55


8の「人牛倶忘」。

8 の絵は人も牛も景色も消えて、ただ円が書かれているのみです。
9 になるとまた風景が戻り、10では人がまた登場します。


今、時期的にそういうところだと思います。
2月半ばの今、2月のメッセージをもう一度読んでみてください。

そこに書いてある

『過去と未来をつなぐ橋渡し。それは過去に得たことを未来に活かすという意味で、自分が本当にすべきことを見つける道標となります。』

の部分。

今ちょうどそのかけ橋を渡っている頃のように思います。

悟りや自分を探して求めていた時期を過ぎ、それも自分の自我が作り出す世界の話だったんだと気づき、自分探しをするのをやめ、もっと根源的な自分の内から出てくるものを感じだしている

というところでしょうか?


(次回に続く)



この内容はメルマガ「コンシャスA」からの転載です。
メルマガ登録はこちら → メルマガ「コンシャスA」

もう一つのメルマガ「えなふ通信」は女性限定メルマガです。

セッションメニューはこちら!

blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m