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節分の日の京都の下鴨神社の御真木神事です。
祝詞ビートがとても心地よく響き、炎が生き物のごとく燃えています。
御真木(みまき)神事がどういうものかよくわからないし、検索しても出てこない。
「御真木」で出てくるのは、御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえ)、つまり、崇神天皇。
崇神天皇の兄弟にあたる日子坐王(ひこいますのおう)については、以前記事にしたことがあります。 → 日子坐王
崇神天皇を調べていくと、興味ふかいことがどんどん出てきますが、今日は本題でないのでパス。
この神事を見ながら思ったこと。
世の中は全て情報だなあと思いました。
ただ私たちはその情報をほとんど言語にて理解しています。
「御真木」に含まれている情報と炎という情報がミックスされ、進行形で燃えていく。そして、下鴨神社の神主さんと、彼らが繰り返し唱える祝詞。
普通に見れば、神事で祝詞を唱えているというよくある光景に見えます。
けどここで繰り広げられていることは、見えている現象ではなく、その現象が引き起こしている見えないレベルでの影響。
それがなんなのかは知る人ぞ知るですが、本来、神事とはそういうものだろうし、祝詞や言霊もそういうものだと思います。
先日、共感覚は動的だという話を書きましたが、右脳言語もまた動的だなと思いました。
祝詞があげられ、御真木が燃えていく中でどんどんと情報が変化していっています。
過去から連綿と続いている情報が今この時、書き換えられていて、それにより未来も変わっていきます。
右脳にとっては、形も動きも音も、存在するもの全てが言語です。
言語なんだけど、言葉化されている言語ではありません。
右脳が感知する世界は、言葉化されていない情報の言語化(イメージや象徴としての)です。
そしてそれはリンクさせていくチカラがすごい。
見えるところによる情報と、見えないところにある情報と、
リンクすることによって現れる情報。
形があると形に惑わされるし、形がないと在ることに気づかない。
これからはそれを読み取れるチカラが必要になってくるなあと思います。
これまでの言葉としての言語が支配した世界から、再びシャーマン的な世界になっていくんでしょうね。
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祝詞ビートがとても心地よく響き、炎が生き物のごとく燃えています。
御真木(みまき)神事がどういうものかよくわからないし、検索しても出てこない。
「御真木」で出てくるのは、御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえ)、つまり、崇神天皇。
崇神天皇の兄弟にあたる日子坐王(ひこいますのおう)については、以前記事にしたことがあります。 → 日子坐王
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この神事を見ながら思ったこと。
世の中は全て情報だなあと思いました。
ただ私たちはその情報をほとんど言語にて理解しています。
「御真木」に含まれている情報と炎という情報がミックスされ、進行形で燃えていく。そして、下鴨神社の神主さんと、彼らが繰り返し唱える祝詞。
普通に見れば、神事で祝詞を唱えているというよくある光景に見えます。
けどここで繰り広げられていることは、見えている現象ではなく、その現象が引き起こしている見えないレベルでの影響。
それがなんなのかは知る人ぞ知るですが、本来、神事とはそういうものだろうし、祝詞や言霊もそういうものだと思います。
先日、共感覚は動的だという話を書きましたが、右脳言語もまた動的だなと思いました。
祝詞があげられ、御真木が燃えていく中でどんどんと情報が変化していっています。
過去から連綿と続いている情報が今この時、書き換えられていて、それにより未来も変わっていきます。
右脳にとっては、形も動きも音も、存在するもの全てが言語です。
言語なんだけど、言葉化されている言語ではありません。
右脳が感知する世界は、言葉化されていない情報の言語化(イメージや象徴としての)です。
そしてそれはリンクさせていくチカラがすごい。
見えるところによる情報と、見えないところにある情報と、
リンクすることによって現れる情報。
形があると形に惑わされるし、形がないと在ることに気づかない。
これからはそれを読み取れるチカラが必要になってくるなあと思います。
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