
「申」という字はもともと「かみ」という意味で、稲妻が光るかたちであったそうです。
昔は雷が鳴ると、雷様におへそをとられるよ〜と言われたものですが、今でも子供はそれを言われるのでしょうか?
昔は「お天道様のバチが当たる」とよく言われました。
それは親でも先生でも警察でも社会でも行政でもなく、「天が見てる」から悪いことをすると天罰が下るよという戒めでした。
さすがに天には隠し事ができないです。
誰も見ていなくても天が見ています。
これは今思うと、「自分の良心に従いましょう」ということなんだろうなと思います。
子供の頃は、例えば、ゴミを道に捨てようと思っても、「天の神様が見ているかもしれない」となんとなく感じて、ちゃんとゴミ箱に捨てるということをしたものです。
天の神様がいるかどうか?などを真面目に考えたわけでなく、上から見られているような気がして悪いことはできないと感じたものです。
日本人が礼儀正しかったり、国民性としてあんまり悪いことをしない傾向があるのはこのせいもあると思います。
悪いことをする人もいますが、例えば、自動販売機が外にあっても壊されない国は日本ぐらいだそうですし、災害時にも他国よりは強奪が少ないようです。
「私」より「公」を重んじる国民性があると言われますが、この「公」は天の神様にも通じると思います。
昔、タブーがもっとはっきりしていたころは、悪人になって牢屋に行くよりも鬼になる方を怖がりました。
ここでいう鬼は「人間ではない何か」ですね。
天の神様に背くと人の道を外れて鬼になる、、、それはとても怖いことだったと思います。
そのタブーの一線は、ハレとケがあることで保たれていました。
昔は、闇は闇として存在してよかったのです。
それがあることで光が保たれてました。
近代社会では闇を排除する傾向にありましたので、そのバランスが崩れてしまいました。
そのため、ハレとケの一線がどこなのかわからなくなってしまい、本当に邪鬼と化す人が現れるようになりました。
何事もバランスが大事ですね。
不登校児が増えたり、いじめが増えたりも同じような現象だと思います。
すべてを「明るく正しい」方向に持っていこうとすることで歪みが起きているのでしょう。
「申」という字は、「日」の真ん中に棒があります。
陰陽のバランスをとっているのでしょう。
猿といえば、猿田彦大神という神様がいらっしゃいますが、十字路に立って道を示してくれる神様です。
今年は陰陽のバランスを取り戻し、二元性を超えた新しい段階に進んでいきたいですね。
猿田彦大神が指し示してくれるでしょうか?
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