この記事は、昨年かもっと前に書いて、そのまま保存されていたもの。

なぜ地球では他のいのちをいただくことで生きていく構造になっているのか?
そうしないとありがたみがわからないからか?

また暖かい季節になって、ネコが生物を捕まえてくる。
昨年も思ったのだけど、ネコに捕まえられる生物は、そのために現れてくれたのではないか?と思うことがよくある。

その理由の一つに、いったん捕まると、本気で逃げないものが多い。
生理的現象や自然現象で、いったん捕まったら何かが麻痺して逃げなくなるのかもしれない。

本で、ある実験で、あきらめることを覚えた犬はもう挑戦しなくなったという話を読んだ。
それと同じ現象か。

でも、捕まえてきた獲物(とかげなど)をまだ元気な時に逃がしても、
いつもまたつかまって戻ってくるのは、その理論では解せない。

先日は、押し入れに逃げたトカゲが数日後、わざわざネコの前に現れて、また遊ばれてご臨終された。

そういう光景を何度も見ると、私が途中で猫を遮って逃がすことは
つかまったトカゲにとっては迷惑なことではないのだろうか?と思ってしまう。

トカゲはせっかくネコにつかまりにきているのに邪魔しないで、という感じ。

なので、人間的な判断は介入させず、獲物を捕まえてきたときは、
ネコが飽きてしまうまではそのままにしている。


今日は蝶を捕まえてきた。
食べてくれたらよかったが、羽がちぎられ、触覚がひとつになった状態で生かされてしまった。

見てて心が痛むのだが、どうしようもない。
逃がしてももう生きていけないことはわかっている。

いっそのこと殺したほうが楽なのか、そのままでも寿命が続く限り生かしておくべきか?

と思いながら、外の草の上にそのまま生かして置いた。

猫が獲物を捕まえてくるたびに思うことだけど、これがこの世界なのだなと思う。
ただ自然界は生死について、人間とは違う価値観で動いている。

畑仕事をしていても思う。

虫がいて、植物があって、微生物がいて。
その中で食いつ食われつ、共存している。


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