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「私は死ぬのが怖くてたまりません」と、ある弟子がインドの導師に訴えた。

「子供のころから、ずっと死の影につきまとわれてきました。私はなぜ生まれたのですか。死んだらどうなるんでしょう」

導師はしばし考えてから言った。

「おまえはなぜ、自分が『生まれた』と思うのか」

「な、なぜって・・・お聞きになったことが、よくわかりませんが」

「おまえはなぜ、自分が『生まれた』と思うのか」導師はくり返した。

「両親がおまえにそう言ったので、おまえは自分が『生まれた』と思いこんでいるのではないか。
実際に生まれてくるところを体験したのか。何もない状態から、あるとき突然この世にあらわれたのか。それとも、子供のときに『僕はどこから来たの」と親に聞いたら、『お母さんのおなかから生まれた』と言われたので、その答えを鵜呑みにしたのではないか。

生まれたと思うから、死が怖いのだ。誕生があれば、死がある。この二つは、同じ概念の両極だ。

もしかしたら、おまえはずっと生きていたのかもしれない。だとすれば、これからもずっと生きていくだろう。
だが、両親のような考え方をすれば、死を恐れることに同意したようなものだ。死は終わりということになるからだ。
ひょっとすると終わりなどないかもしれない。それについてよく考えてみるがいい。


弟子は驚いた。死は人々の合意のうえにのみ成り立つ幻想にすぎないのか!

導師の言葉に従えば、誕生と死は時空間のできごとだが、真の存在はより高次元にある。
自分の内側を見つめれば、かすかだが、はっきりとした記憶があるはずだ。自分はずっと存在してきたという記憶が、、、。

 「エイジレス革命―永遠の若さを生きる」 ディーパック・チョプラ


この肉体の自分が自分のすべてだと思うといずれ死が訪れます。

私たちの大半は死を忌み、恐れます。
自我は消えてなくなることをとても恐れます。

私たちは「なくなる」ことをとても恐れ、『「ない」の世界』を基盤としてきました。

つまり、欠乏感、不足感を感じて、得ることばかりを目指してきました。

もっと勉強をして、もっとお金を稼いで、もっと情報を得て、もっといい人になって、もっときれいに/かっこよくなって、もっと幸せに豊かになりたい、、、etc.


私たちの本体は仮想領域の全体なる意識だと感じることができたら、
そこは『「ある」の世界』です。

ずっとそこにあるのですから、なくなることがありません。

仮想領域はあらゆる可能性が眠っているところですから、意図が生じるとなんでも可能になります。

何でも手に入るとしたら、あなたはなにをしますか?何を得たいですか?

きっと自分が一番やりたいこと、欲しいものを選ぶと思います。
何だって手に入るのですから。

それはすばらしい成功や幸せかもしれませんし、人に裏切られたり、悲惨な思いをする経験かもしれません。

どちらの経験も宝です。

生も死も宝です。
この世界を体験できることに感謝です。


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