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自分のためのメモとしてフェイスブックに書いていたら、ずいぶんと長くなってきたので、ブログに載せておこうと思うが、どちらかと言えば、個人的メモに近い。
新年メッセージを書いていたら「もののあはれ」という言葉が出てきた。
正確にはどういう意味だろう?と検索してみたら、ビンゴ!
本居宣長、、、名前は知っているけど、どういう考えを持っていた人かはしらなかった。
見つけたサイト『本居宣長研究ノート「大和心とは」』を見てみたら、、、
スタニスラフスキーシステムとバッチシつながった!
先日のスタニスラフスキーシステムのセミナーでは、超意識につながるために知っておかねばならないことをいろいろと教えていただいた。
それはとても貴重な学びであり、これから実践していけることがたくさんあった。
今回は60もある法則の基本の7つを教えていただいた。
これらには順番があり、飛び級はダメらしい。
もし飛び越して先を先に学んでも必ず最初からやり直しになるという。
本居宣長のことが書いてあるサイトを読んでその意味がわかった(と思う)。
そこでは「漢意(からごころ)」と書かれているが、「あらゆる物事の善悪や是非を論じ、物の道理(事象の背後にある、我々に理解可能な、概念化された原理・原則)を論定していうこと」をさすという。
つまり飛び級して学んでしまうと、漢意で学んでしまう危険性が高いということではないだろうか?
概念や理論では理解し得ない領域なので、段階を踏まないといけないということと理解した。
昔の日本人が「カミ」と呼んでいたものは「情報空間」だろうと私は思っている。
問いたてをすると答えが得られる、すべての情報が詰まったエネルギーフィールド。
すべてがそこに含まれているのだから、まさに八百万の神々。
国の統一のために、一神教的にして神と人を分けてしまったが、もともと分けられるものでもないだろう。
これからはもう一度その混沌世界に戻っていくのだけれど、怖れを持っていくのではなく、創造性に満ちたその世界をともに創造していくために私たちは今その方向に向かっている。
日本では、昔は八百万すぎてみんないっしょくたになっていた。
昔話では人間と動物の結婚や交流も多い。
これはエネルギー交流としての話がそのように伝えられてきたのではないかと思う。
それを感知する能力は個人の成功や自己実現のためというより、それはそのようにしてあったのでそれをそのように感じて、同じくそのように生きることをよしとした、という上にも下にも行かない自然のままの受け取り方だっだと思う。
日本では、その智慧や領域の研究はされてもそう体系化する必要もなかったのだろう。
それはあり方であり、体系化することによって「漢意」的になってしまうのを避けるためにも「感じとる」ことが大事とされたのではないだろうか?
なによりもそのような風土がすでにあったので、古来日本人にとっては言葉での認識よりも感じればわかることだったのだろう。
スタニスラフスキーシステムはロシア120年の歴史だが、日本はもっと長い期間、似たような感性や智慧はもち得ていたと思う。
日本に限らず、古代の人はそうかもしれない。
そんなことを考えていたら本居宣長の「もののあはれ」に出会い、スタニスラフスキーシステムでいうインスピレーションが降りてくるところとの関連を見た。
願望実現はもとより、現代日本人がそういう心を取り戻すのにスタニスラフスキーシステムは役立つように思うし、私はそこのところを探求していきたい。
アニシモフ氏が古事記の舞台に関わったのもまさにその部分が共鳴したのではないだろうかと思ったりする。
最先端機能科学の智慧が盛り込まれている苫米地理論との共通点も多く、イメージングの仕方、臨場感のもち方をもっと詳しくわかりやすくトレーニングできる良さもある。
昔ながらのいろんなモノを感知する能力や、インスピレーションを得ることもコーチングによるゴール達成もすべてつながってくるからおもしろい。
苫米地理論にしろスタニスラフスキーシステムにしろ、背景には長年のいろいろな研究の成果が基盤としてあるので、そこはちゃんとふまえながらも自分なりのカタチを工夫していきたい。
(スタニスラフスキーシステムも「もののあはれ」も私はまだ浅い理解しかないので、また考えが変わることもあるかもしれません)
悦月のコーチングセッションはこちら!
2015年の新年メッセージ受付中!
お申し込み者ひとりひとりにメッセージを書き下ろします。
今までの事例はこちら→ショートメッセージ
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m
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本居宣長、、、名前は知っているけど、どういう考えを持っていた人かはしらなかった。
見つけたサイト『本居宣長研究ノート「大和心とは」』を見てみたら、、、
スタニスラフスキーシステムとバッチシつながった!
先日のスタニスラフスキーシステムのセミナーでは、超意識につながるために知っておかねばならないことをいろいろと教えていただいた。
それはとても貴重な学びであり、これから実践していけることがたくさんあった。
今回は60もある法則の基本の7つを教えていただいた。
これらには順番があり、飛び級はダメらしい。
もし飛び越して先を先に学んでも必ず最初からやり直しになるという。
本居宣長のことが書いてあるサイトを読んでその意味がわかった(と思う)。
そこでは「漢意(からごころ)」と書かれているが、「あらゆる物事の善悪や是非を論じ、物の道理(事象の背後にある、我々に理解可能な、概念化された原理・原則)を論定していうこと」をさすという。
つまり飛び級して学んでしまうと、漢意で学んでしまう危険性が高いということではないだろうか?
概念や理論では理解し得ない領域なので、段階を踏まないといけないということと理解した。
昔の日本人が「カミ」と呼んでいたものは「情報空間」だろうと私は思っている。
問いたてをすると答えが得られる、すべての情報が詰まったエネルギーフィールド。
すべてがそこに含まれているのだから、まさに八百万の神々。
国の統一のために、一神教的にして神と人を分けてしまったが、もともと分けられるものでもないだろう。
これからはもう一度その混沌世界に戻っていくのだけれど、怖れを持っていくのではなく、創造性に満ちたその世界をともに創造していくために私たちは今その方向に向かっている。
日本では、昔は八百万すぎてみんないっしょくたになっていた。
昔話では人間と動物の結婚や交流も多い。
これはエネルギー交流としての話がそのように伝えられてきたのではないかと思う。
それを感知する能力は個人の成功や自己実現のためというより、それはそのようにしてあったのでそれをそのように感じて、同じくそのように生きることをよしとした、という上にも下にも行かない自然のままの受け取り方だっだと思う。
日本では、その智慧や領域の研究はされてもそう体系化する必要もなかったのだろう。
それはあり方であり、体系化することによって「漢意」的になってしまうのを避けるためにも「感じとる」ことが大事とされたのではないだろうか?
なによりもそのような風土がすでにあったので、古来日本人にとっては言葉での認識よりも感じればわかることだったのだろう。
スタニスラフスキーシステムはロシア120年の歴史だが、日本はもっと長い期間、似たような感性や智慧はもち得ていたと思う。
日本に限らず、古代の人はそうかもしれない。
そんなことを考えていたら本居宣長の「もののあはれ」に出会い、スタニスラフスキーシステムでいうインスピレーションが降りてくるところとの関連を見た。
願望実現はもとより、現代日本人がそういう心を取り戻すのにスタニスラフスキーシステムは役立つように思うし、私はそこのところを探求していきたい。
アニシモフ氏が古事記の舞台に関わったのもまさにその部分が共鳴したのではないだろうかと思ったりする。
最先端機能科学の智慧が盛り込まれている苫米地理論との共通点も多く、イメージングの仕方、臨場感のもち方をもっと詳しくわかりやすくトレーニングできる良さもある。
昔ながらのいろんなモノを感知する能力や、インスピレーションを得ることもコーチングによるゴール達成もすべてつながってくるからおもしろい。
苫米地理論にしろスタニスラフスキーシステムにしろ、背景には長年のいろいろな研究の成果が基盤としてあるので、そこはちゃんとふまえながらも自分なりのカタチを工夫していきたい。
(スタニスラフスキーシステムも「もののあはれ」も私はまだ浅い理解しかないので、また考えが変わることもあるかもしれません)
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