blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪


前回の「アナと雪の女王」と「ミッキーのミニー救出大作戦」の話の続きです。メルマガでは全部まとめて書きました。

反対に、「そういう風に気にするのが大人であって、子供は無邪気にああいうのを楽しむんだよ〜」という考えもあると思います。

子供の無邪気な残虐性というか。

・・・でもやっぱり違うなと思います。

子供に無邪気な残虐性があるのは認めるけど、これは大人が作っているアニメだから、大人が子供に「それが正しい」と言っていると同じだと思います。

正統派であれば集団リンチしていいって感じでしたから。

自分の家族は自分で守るというアメリカらしい考えに見せながらも体制側に従わないとひどい目に合うよ〜って言っているような気もしました。

体制側にしてみれば、正義心を振りかざして国家のために働いてくれるような人材は扱いやすいと思います。
裏からの差し金でそういう風に作りなさいと言われたのだろうか?とも勘ぐってしまいます。今ではアメリカ国民もアメリカの起こす戦争が正義ではなかったと気づき出してますから。


ところで、私はもう15年ぐらい?家にテレビがない生活をしているので、あんまりテレビを見る機会がありません。だいたい1〜2週間に一回ぐらいどこかで見る機会がありますが、久しぶりに見るとニュースの毒々しさに驚きます。

殺人やら事故やらのニュースを見ながらみんな平気に朝ご飯や夕ご飯を食べているのか!?と思うと、慣れることの恐さにびびります。

私も毎日テレビをつけていたら、そのようなニュースに全然慣れてしまいます。「またか」ぐらいに思うだけでしょう。

毎日聞いていると慣れちゃうんですね。
実際、昔テレビがを見ていたときはそれとなく見ていましたからね。

でもたまに見ると、よくもこんなの平気で見ていられるなと気持ち悪くなります。

一番恐いのは、そういうことを素通りできる体質になることではないでしょうか?

間接的にそういう情報に慣れてしまうと、テレビのニュースでまた殺人かと思うのと同じように、気にならなくなります。

これが最大に拡大されると、ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンになってしまうのではないでしょうか。

数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った人です。
彼はユダヤ人に対して怨恨などなく、残虐な性格でもなく、任務だったから遂行したというだけらしいです。
彼にとって重要だったのは任務遂行であり、それが大量殺人でも、そこは問わなかったみたいですね。


ハンナ・アーレントが名付けた<悪の凡庸さ>、
『彼が20世紀最悪の犯罪者となったのは思考不能だったからだ。』

数百万の人々を殺すことも思考不能だったからこそできたことなのでしょう。

東日本大震災のような惨事では、場合によっては思考停止することが必要かもしれません。

が、日常のいろんな場面において、私たちの思考を停止させようとする作為がたくさんありますから、それに気づいて、そうならないようにすることが大事だと思います。


何が正しいかなんて、その人の価値観や時代の価値観でいくらでも変わります。
絶対的な真理を探す時代はもう終わったのではないでしょうか?

まわりに振り回されたり合わせたりということなく、おのれの心眼で物事を見極めたいですね。


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m