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映画「アナと雪の女王」を見ました。
その話はさておき、私がとても恐く感じたことがありました。
それは「アナと雪の女王」の映画の前に放映された「ミッキーのミニー救出大作戦」。

私は子供の頃からディズニーもトムとジェリーもポパイも、なぜかアメリカアニメは好きじゃなかったです。日本のアニメは好きなんだけど。

ミッキーマウスのアニメは初めて見たのですが、驚きました!
これって子供が見るんだよねーとそら恐ろしくなりました。
「アナと雪の女王」の前にわざとこういうのを作ったのかもしれないと思ってみたり。

モノクロから現代のアニメチックになって、スクリーンの中と外を行き来するのはおもしろいんですが、後半の悪者役に対するやっつけ方がこてんぱんで、ヒーローは悪者をやっつけていい的なアメリカンちっくな展開で、くり返しくり返し痛めつけるシーンが出てきます。
アニメだからおもしろおかしく描いているんですが、大人数でみんなでひとりの悪者を懲らしめます。

ミッキーとその仲間たちは仲間だからみんなミッキーの味方をして、懲らしめられる方は悪者だから痛い目にあって当然みたいな。

確かにミニーをさらった奴は悪い奴かもしれませんが、みんなで一人をやっつけるという図がいじめに見えて、もしこういうものを子供たちが毎日のように見ていたら、それをまねるでしょうから恐いなーと思いました。

勧善懲悪で、集団で一人(悪者)をいじめ(征伐し)、何度も何度もやっつけるシーンを流すので、なんでそこまでするの?と思ってしまいました。

一人が悪者にまつりあげられたら、みんながその人を叩く図。
日本でもよくある光景かもしれませんけど。

悪者はとことんやっつけていい。正義は正しい、正義は勝つみたいな思想を子供に植えつけてしまいそう。もしアメリカの他のアニメもそんな感じのものが多かったらとても恐いです。・・・まあ、子供ものに限らず、そういうストーリー展開ものが多いのは事実ですが。

私が好きでなかったトムとジェリーもそんな感じだったような気もします。
なんかいつもトムがやられていたような、、、。


そのあと上映の「アナと雪の女王」の導入部分で、ごっつい男たちが氷を切って運んでいくシーンで男性的な要素を強調してましたので、男性性と女性性との対比でわざとああいうミッキーアニメを作ったのかもしれません。そうだと思いたいです。

「アナと雪の女王」と「ミッキーのミニー救出大作戦」と対比すると、ミッキーのほうではすべて正義側の視点から描かれており、悪者はやっつけられてハッピーエンドという流れですが、アナは悪役にされし者の苦悩やそこから自由になっていくさま、いい人だと思った人が悪い人、あるいはその逆だったというぐあいに視点が移り変わっています。

悪を罰するのが男性的なら、悪を愛で溶かすのが女性的なのかもしれませんね。


「アナと雪の女王」も「かぐや姫の物語」も男性社会の中で女性がどのように生きなければならなかったかというところで女性の共感が多いと思います。

「風立ちぬ」が男性的生き方を描いているとしたら、「アナと雪の女王」も「かぐや姫の物語」もその裏で思うように生きれなかった女性の苦悩が描かれているともいえるでしょう。

「男らしくあらねばならない」と言われ続けてきた男性の中の女性性も同じですね。

でももうその時代も終わりを告げつつあります。
映画もそれを物語っていますね。

『アナと雪の女王』特別映像:「Let It Go」/イディナ・メンゼル


この歌、とっても好きです


本来の女性性を活性化するえな符について


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