
「超瞑想法」(苫米地英人著)にわかりやすい話が書いてありました。
概要は、
東京のとある飲食店は、パスタやピザ、ワインなども出しているのでイタリアンレストランっぽく見えるそうですが、来る人はみな、そこがカフェだと知っているので、入ってきたら勝手に空いている席に着席するそうです。
ある日、著者がアメリカの友人たちと一緒にそこに行ったら、そのアメリカ人たちはそこをイタリアンレストランだと勘違いして、入口で立ち止まって、ホールスタッフが案内してくれるのを待ったそうです。
カフェがイタリアンレストランに変身したわけですが、その場所自体は何も変わっていません。
そのアメリカ人たちにとっての「カフェ」とはこういうところ、「イタリアンレストラン」とはこういうところという情報場からみれば、そこはイタリアンレストラン。
日本人とアメリカ人の「イタリアンレストラン」や「カフェ」に対する情報場が違っていたわけです。
情報場は過去の記憶(情報)によって生み出されますが、ちょっとした経験の差によって情報は変わり、場も変わってしまいます。情報場が変わることで、その写像である物理場も変わってしまいます。
物理空間の事象は何ひとつ変わっていないのに、情報空間の場の因果関係がちょっと変わるだけで、物理場は自由自在に変わってしまうのです。
詳しいことは本を読んでください。この本、おすすめですよー

これはもちろんカフェ、レストランに限ったことではなく、私たちの生活のあらゆる面において起こっています。
日常では、この話は「勘違いだった」で済まされることですが、同じ場所なのに人によって違うものになるということをあえて考えてみるとすごくおもしろい現象だなあと思いました。
そこがカフェだということを知らされた瞬間に、イタリアンレストランがカフェに変わるんです。
不思議だと思いませんか?
魔法使いが魔法の杖をくるんとひと回しすると、ア〜ラ、不思議、そこにはきれいなお姫様

私たちは「そこにカフェが存在する」という前提を確固たる事実として受け入れていますので、場所が変わらなくても、「アメリカ人が勘違いした」で済む話です。アメリカ人にとっても「自分が勘違いした」で済む話です。
けど違う視点からみると、一瞬でイタリアンレストランからカフェに変化した(あるいは逆)という現象が起きたということになります。
情報や情報空間の場の因果関係が変われば、現実が一瞬にして変わるかもしれないということです。
出来事や場所や物や人そのものが変わらなくても。
私たちが現実だと思っていることは、みなそのようにしてそれぞれが受け取っています。
何かに対して自分がどういう情報をもっているかによって現実が違ってきます。
その情報を変えてしまえば、あなたがそうだと思っている現実が一瞬で変わるかもしれないです。
「イタリアンレストラン」という情報場が「カフェ」に変わったように。
例えば、
悪い人だと思っていたが、いい人だった。
嫌われていると思っていたが、向こうが恥ずかしがりやなだけだった。
本当のお父さんだと思っていたが、義父だった。
30歳だと思っていたら40歳だった。
男と思っていたら女だった。
家が貧乏と思っていたが、お金はたんまりあった。
などなど、日常でもいろいろありますね。
子供の頃、まわりから植えつけられた情報(悪く言えば「呪縛」ですが)を信じてしまったがゆえに、そのような自分になり、そのような人生を歩んでいる確率は大です。
頭が悪いのは、親にいつも「お前はばかだ」と言われつづけて、勉強をしなくなっただけかもしれないし、ばかだと思い込んだため、頭が回転しなくなったのかもしれません。
まわりの人たちもそれに気づかず、社会や国が求める人物像になろうと努力しているのが大半だと思います。
自分がどういう情報とつながっているのか、いちいち検討してみる価値はあると思います。
そのお手伝いをさせていただいています。→ セッション詳細

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