
対面個人セッションのお知らせです。
東京都内 3/25(火)、京都市内 3/29(土)です。
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先日の「すき間と祓戸の神」の続きです。
『瀬織津姫の視点に立つということが大切だと思います。』と書きましたが、これがどういうことか?
こちらの世界から見るか、あちらの世界から見るかという話をちらりと書きましたが、前の記事を書いていた時に気づいたのがあちら側からの視点。
これはこちら側からあちら側の視点を想像するのではなく、あちら側に立ってあちらからこちらを見て初めてわかる視点。
このふたつはだいぶん違うとわかりました。
こちら、あちらってどちら?と思うかもしれませんが、ここでは、「こちら」は私たちのいるこの世界、顕在意識の世界といってもいいでしょう。
『瀬織津姫は「すき間」あるいは「すき間の向こう」。』と書いていますので、「あちら」は「すき間」あるいは「すき間の向こう」と思ってください。
「じゃあ、『すき間』って?」という人は過去記事を読んでください。
あちら側には立とうと思って立てるものでもないですが、わかるときは一瞬にしてわかって「ああ、そうなの」となります。
前回の記事で説明しようと思ったけど、文章を読むと頭での解釈となり全然伝わりません。表現力がなくてすみません。
海を知らない人に海はこんな感じと説明しても、実際に海辺にいる時のあの体感は実感できないでしょう。そんな感じです。
瀬織津姫がどういう神様かということはいろんな人が論議していますが、はたして瀬織津姫の視点になってそういう話をした人がいたかどうか?
瀬織津姫のチャネリングとか生まれ変わりという人がいますが、「私は瀬織津姫です」と言うこと自体、もうすでにまがいものだと思いますが、それでも瀬織津姫のエネルギーにつながって話をする人もいるでしょうし。
そういうことはさておき、私も考えました。
瀬織津姫の視点になるってどういうこと?
すぐに答えが来ました。
それはあちらの視点を体感したせいだったと思います。
瀬織津姫は水の神様といいます。
地球上(実際は宇宙中かもしれないですが)の水すべてを把握している意識。
地球上の海の水、川の水、雨、地下水、身体の水、その他あらゆる水が自分の身体、または意識だとしたら?
前に書いたつぶつぶやすき間の話と根本は同じです。
肉体がすっかり裏返っています。
つまり、自分の肉体以外のすべてが自分の肉体になっているようなもので(実際は自分の肉体も含みます)、地球上の水すべてに気づいている状態。
あそこの水は淀んでいる、あちらは洪水、怒りを感じる、あちらは清らかな水、あちらは勢いよく流れている、あちらは水蒸気となって雨になる模様、人間ひとりひとりの体内の水の様子、それら全てを網羅している状態。
言い換えれば、瀬織津姫さまは私たちにこのような視点を持つことを望んでいるのでしょうとも言えますが、私が神様の名前を言う時はあるエネルギーとしてみています。
瀬織津姫と呼ばれているエネルギーはこのような視点というか意識状態にあるものなのかなと思いました。
神を崇めることはなんか違うなーと思うので不敬な人間です。
多分、人間以外の地球上の生き物はすべてこの視点を持っていると思います。視点というより感覚や集合的無意識かな。
私たち人間はこの点、かなり退化してしまいました。
個としての経験を積む必要があったんでしょうが、もうそろそろ卒業する時期でしょう。
上に書いたこと、体感しようとしてみてくださいね。
私もとてもじゃないけど全部はできませんが、少しずつ意識を広げていこうと思います。
もうちょっとわかりやすい書き方をすればいいですが、話の流れで書いたのでこのようになりました。
すごく大事なことなので、違う言い回しでまた書くことになると思います。
もう「ひとつになる」という時期は過ぎたんだと思います。
「ひとつになる」と言う時点でひとつじゃないじゃんーという話なのですが、今はもう「私はそれである」になっていると思います。
英語でありましたよね。
I am that I am. これですね。

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