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とあることで昔書いた記事を探していたら、先日の記事に関連するいくつかの過去記事を見つけたのでシェアします。

一つは、宇宙の仕組み2。

いまだに私はこれが宇宙の真理だと思っています。
説明が十分かどうかはわかりませんが、逆回転でできるねじれ渦の中心で起こっていたこと、それがすべて。
始まりであり終わりである。

その中心が全てを生みだしているとしたら、中心自体を作り出しているものはいつできたの?という話になり、「宇宙の仕組み2」に書いているのと同じ時間のパラドックスが起きることに先ほど気がつきました。

卵が先かニワトリが先かという話ですね。

中心を生みだしているものが中心から生み出されていることになりますから。

でもその答えはすでにその記事に書います。
この構造を理解するのには今の時間感覚では対応できないです。
瞬間の刹那の奥行きの連続という感じです。


『この宇宙が始まるきっかけは、すでにその宇宙の誕生から終焉までの過程から得たことから導き出された「質問」によるということです。』と書いていますが、この「質問」を「気づき」に変えても同じだなと思いました。

私が体験した一つ一つの粒子がいのちで、それが流動的に変化しているのを感じましたが、そのいのちを「気づき」と言ってもいいと思います。

私は宇宙は好奇心でできていると思いますので、「知りたい」と思うことでこの宇宙ができあがったと思いますのが、「知りたい」ということは同時に「気づく」ことでもあります。

それはこちらで説明してあるようなことです。→ 「集合体としての「和音」」


『「大宇宙」は混沌で「ただある」状態で、自己の認識がない状態』と書いているのが、私が体験したイザナミに表される状態、あるがまま、混沌、、、、ある意味、黄泉の世界にとどまらざるを得なかったのは混沌のままだったからとも言えるでしょう。

イザナギが規律であれば、無惨な姿になったイザナミは封じられるべきもの。
これは橿原神宮の話と同じパターンです。

『「ただある」状態で、自己の認識がない状態』にはまたいくつかの段階というか、アスペクトがあるんだと思います。
イザナミのエネルギーはその中で一番私たちに理解できるものなのでしょう。
それ以降は「働き」になると思うので、見えないし、触れないし、自己を越えたところでのことなのでなかなか気づきにくいだろうと思います。


その意識のない「大宇宙」が原初だと思ったので、それ以前を考えたことがなかったけど、時系列ではなく、次元的に次があるんだなと気づき始めました。が、もうすでに2010年に答えを書いていたのを発見!自分で読んで、なんと前から知ってたのか!と思いました。どの部分かは想像にお任せしますが。→「空白」の利用法上級編

知識として頭で知っていてもあんまり意味がないので、感覚の世界で体験していってください。
もう私たちはこんなところまで来たんだなーと思います。



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