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東京都内での対面セッションです
2月25日(火)10:00~11:00, 11:30~12:30 です。
お申し込みはこちらです。


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昨日の話の続きのようで、反する話のようでもありますが、以前、大昔、天津神系と国津神系は和合していたが、敵対しているように仕向けられたようだという話を書きました。(→巧妙にしかけられたワナ

橿原神宮で観た「彼ら」がめざしたもの。
今気づいたのだけれども、その「神域」は彼ら自身ではなく、彼らがめざしたものであり、求めたものであり、守ろうとしたもの。

「彼らの道はその世界へ入ることであって、その世界になることではありません。」という話を思い出しますね。(→女性的な悟り方)


YouTubeで中沢新一氏が、多神教と一神教について話しておられますが、とても興味深いです。長いですが、ピンと来た人は中沢氏の話だけでも聞いてみてください。


大昔、男性たちは男性原理に基づいた高きところに向かう思考により、抽象性、超越性を求め、それが一神教のもとになりました。

女性は女性原理に基づき、自然なかたち、生物のかたちをもとにしたものや、生みのかたちに基づき、多神教となりました。

以前はどちらの原理も共存していたそうです。
それを聞いた時、やっぱり大昔、天津神系と国津神系は和合していたんだなと納得しました。

以前、ユダヤ教は一神教ではなく、多神教だという話を聞いて、なるほどと一つなぞが解けたのですが、一神教も多神教ももとは同じであるのに敵対するようしむけられ、私たちもすっかりその流れにはまってしまいました。

それにより分離感、二元性、善悪,敵味方などの概念や縦ライン(階級)が強調されることとなりました。

一神教のゆがめられた延長上が男性原理に偏りすぎた今の時代となりますが、これからは女性性の時代です。

再びそれらが融合され、敵対関係ではなく、多神教的であり、自然であり、なにかをめざすのではなく、自分がその世界になっていく時代となります。

そういう時代がいったいどんな時代なのか?

創造力をたくましくして思い描いてみるといいと思います。


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