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話はこの記事の続きになります。

岐阜から白山へ向かう美濃禅定道の南にもなにかありそうと地図を見てたら、日子坐王墓を見つけました。

日子坐王が誰か知らなかったのでググってみると、京都の大江で土蜘蛛族を制圧した人、つまり鬼退治をした勇者として書かれていました。
最近、洪水をくり返し、先日橋が落ちた酒呑童子の鬼伝説のある大江町です。

「鬼」というのを十把一絡げで言ってしまえば、体制に反抗する側、制圧された側と言えると思います。

土蜘蛛は穴ぐらに住んでいる手足が長い妖怪のようにいわれますが、『本来は、上古に天皇に恭順しなかった土豪たちである。日本各地に記録され、単一の勢力の名ではない。蜘蛛とも無関係である。』とwikiに書かれています。

『『古事記』や『丹後風土記残缺』及び『但馬世継記』によれば祟神天皇の治世に丹波国に日子坐命が遣わされ玖賀耳之御笠(陸耳御笠 / くがみみのみかさ)と匹女を頭とする土蜘蛛討伐を誅したとあります。(「日子坐王をば、旦波国につかわして、玖賀耳御笠を殺さしめ給いき」『古事記』より。) (因みに「クガミミ」とは国神の事なのでクガミミノミカサとは国神ミカサという意味。)』
「日子坐命御墓」より)

制圧した側が自分たちを正当化するために「鬼」を作り出し、退治した武勇談に書き換えます。
最近で言えば、アメリカが世界の秩序や正義を守るためとして戦争をするようなものでしょう。


長滝白山神社に初めて行った時、ここでも土着民や自然崇拝の流れをくんだ人たちが制圧されたであろうビジョンを見ましたが、今回白山に行くことになったのも鬼側のことででした。
私自身そちら側のルーツを感じますしね。

なので、一番川下になるところに土蜘蛛を退治したという日子坐王墓があるのはどういうこと?
ここで封じているの?でもなんかヘン、、、と思い、連れて行ってもらいました。

お墓の手前に日子坐命が祀られている伊波乃西神社があります。
系図があるのですが、人の名も神社の名も知らないんですけど腑に落ちない。

見れば見るほど、歴史の記述がちがうんじゃ?と思われました。

日子坐王は皇統のようですが、どうも殺した側ではなく、土着系の人たちの味方になった人みたい?
歴史がゆがめられ、反対に征伐した人にされてしまっているような?

連れて行ってくれた人も同じ感覚を得て、神社とお墓にお参りしましたが、やはりその思いは強くなりました。

神社もお墓もとても良い気でしたので、私たちもうれしかったです。
その場も私たちの訪問を喜んでくれていたように思いました。


白山〜美濃禅定道〜伊雑宮のラインは封じられてきた鬼側のラインといえるのではないでしょうか?

ここのエネルギーが通ると困ることがあるから遮断するわけですが、それは制圧した側の見方です。

制圧された側から見たらまったく真逆の意味が出てくるんでしょうね。
だから白鳥ラインなのかもしれないです。
少しずつ飛び立つ準備がなされているのでしょう。

九鬼文書も「くかみ」と読むそうでは,昔は「カミ」とも読んだらしいです。
「見えないもの」という意味だったとか。

ここでも敵対していなかったものが敵対していたかのように,歴史がすり替えられているのを感じました。

でも今はもう封じた/封じられたという話ではなく、すでに融合のエネルギーにたどり着き、そこからどんどんとこんがらがったエネルギーがほどけていっている状態なので、作られた歴史を知ることで、するすると糸が解けていくように誤解が解けていくような気持ちよさがあります。


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