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やっとこさ、先日白山に登ってきました。
15日が山の上の山荘の閉山最終日でしたので、ぎりぎりとなりました。

今回は美濃禅定道を行くことに意味があったので、別山経由で行ってきました。
白山に関してはいろんなことが深くつながっていて、それをどう文章化していけばいいかわかりませんが、大きな転換期ですので、書けるところから書いていきたいと思います。

その前に、先日エグい夢を見ました。
わざわざ載せるので、そういうものが嫌いな人は飛ばして読んでください。

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9日朝、夢を見た。

横断歩道で知人3人と信号が変わるのを待っていると,変なおじさんがやってきてからんできた。無視していると、落ちてたガラスボトルを手にもって割った。

殴れるかも!と思ったら、おじさんはそのボトルの割れた側を口に入れたんで、「ウワー、口切れるで〜」と思ったけど、信号が変わったので渡り出したら、知人らが「からまれたら大変だ」と走って逃げ出したので私も逃げる。

近くの大きなショップに入り、2階に上がっていくと停電となり、真っ暗になる。
全く何も見えなくて、知人らもどこへやら。
あまり動かないほうがいいかな?と、変なおじさんに見つからないことを祈りながら、そこらでじっとしているとそのうちライトがついた。

私は1階のホールが見える階段の踊り場にいたのだけれど、ホールで女の子が人を刺してぐりぐりしている。

すぐ近くにも一人倒れていて、どんどんと血が流れている。
すると一人の女の子がそこへ行って寝転んでゴロゴロ転がるので、そこら中が血の海になり、彼女は全身血だらけになって喜んでいる。

「さっきのおじさんより壮絶だな」と思ったところで目が覚めた。

今も映像でしっかりと覚えていますが、恐怖や気持ち悪さはなく、感情も揺れず、私はけっこうクールでした。
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で、その翌日10日に半日がかりで石徹白まで行って一泊して、白山に向けての登山となりました。

この夢を見る少し前に「エリジウム」を観ましたが、こちらもなんであそこまでエグい描写をしなければならないのだろうか?と思いました。

エンターテインなのか、極端を演出することで何かを感じてほしいのか?


夢を見た翌日、白山に登りましたので、血まみれの壮絶な感覚は残っていました。
今回は濃霧と風と小雨の中を歩き、この天候では精神力が要されるなーと思いましたが、登山の話はまた後日に。


そして「凶悪」の映画を見ました。
これは実話に基づいた話だそうです。

これも残酷なシーンや人殺しを何とも思わない人たちがでてきますが、問題提起している内容はおもしろいと思います。

でも正直いって、答えがない。

人それぞれいろんな意見があると思いますが、「これが正しい」と言えるものがないというのが私の見解。
どんなに考えても普遍の真理なんてないという気がしました。


「あのような凶悪人は死刑にすべきだ」を正しいと思う時、その人の中にある「誰かを(死刑という名において)殺そう」という気持ちは殺人者のそれと大差ないかもしれない。

本人にとっては善や正義という名のもとにあるものかもしれないけど、殺人者にとってもそのときは自分の価値観による何らかの基準において成されているでしょう。

死刑にされるべき極悪人が牢獄で生きる希望を持ち始め、改心し始めると(ふりかもしれないが)、人々の中には「心を改め始めたんだから」と生きる道を与えようとするかもしれません。

でも被害者の家族などは「なぜあいつが死刑にならないんだ?」と思うでしょう。

これらのことは相手のことや正義の制裁をいっているようで、実は自分自身の悪や弱さを見たくないだけだったり、投影していたりしているかもしれません。

デリケートな問題なので、考えれば考えるほど袋小路に入っていくようで、正しい答えなどないように思います。


放射性物質に苦しめられている人たちも理不尽以外のなにものでもないと思います。
普通に暮らしていて突然の被害を被って。自分たちは何も悪くないのだから。
原発マネーで潤ったというところはあるかもしれないけど。


世の中の数々の理不尽なこと、不条理なこと、それらはどうしようもなく、答えもなく、解決法もなく、、、。

自分の観た血まみれの夢と相まって、そのどうしようもなく不条理で理不尽で無力で、理性では解決できない、どうするすべもない感覚をしばらく感じていました。

そういう感覚に陥ったときは、なんの判断もせずにすべてをそのまま受け入れて達観するしかないと思いました。

自分ではどうしようもない。
いくら考えても答えがない、解決法がない袋小路。

それについて一生をかけて取り組んでみることもできるけど、多分答えはない。

それを判断しようとしているのは理性をもったエゴですから、もうそういうところを脱して達観してしまえば,善悪の判断もなく、そのままあるがままを受け入れることができ、かつそれにとらわれずにすみます。

一歩まちがえれば、逃げのように見えるかもしれませんが、ここでは善悪や正義を問いたいのではなく、タブーを超えた時に何が起きるか?というところの話なんだと思います。


なんて思って、次に観たのが「R100」。
松本人志さんの映画を観たのは初めてですが、この人はすごいなーと思いました。


続く、、、


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