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東京都内でのセッション 10/28 
14:00~ 、17:30~、19:00~ あと3名様です。

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Hさんのネームリーディングです。
掲載許可をいただきましたので、シェアするといいと思えるところを載せますが、長いので3回に分けて載せます。
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自分が信じることができる対象を求めているところがあるようです。
真実を求めるがゆえに宗教に傾倒することもあるかもしれません。

キリスト教の信者さんの中にはキリスト様に絶対の忠誠を誓っている人がいますが、そのような感じで、何かの対象に忠誠を捧げたいという思いがあるようです。

忠誠というか、何かに身を捧げて師事したいという願望だと思います。


その「何か」とは自分が信じることができるもの。

それは宗教者に限らず、会社の上司や尊敬する人、恋愛対象者などいろいろです。
人でなければ、仕事に対してそのような作用が働くかもしれません。

宗教に入っていなくても、信仰心が強い、あるいは信じることができるものを求めるという意味で宗教的かと思います。


自分が主体となって何かを行なっていくというよりは、誰か/何かに師事することで自分の幸せが満たされると思っておられるような感じがあります。

なので、自分がしたいことを見つけてそれをかたちにしていくというより、誰か尊敬できる人の夢を叶えるために自分も一生懸命にそれに協力するというようなかたちを好まれるように思います。

尊敬できる人や自分が望む世界を実現してくれそうな人の夢やミッションに協力することが自分の夢というような感じだと思います。


そのことを認識してしまえば、人との出会いにもそのような意味づけがなされ、目的も達成しやすくなりますが、それに気づかないとどうもぎくしゃくしてしまいがちです。

自分は共感して応援したいと思うのですが、それが過剰になったり、相手が自分の才能に気がついていなかったりすると、応援されてもピンと来ず、話が噛み合なくなってしまいます。


過剰な期待は、反対に劣等感を強めることもあります。

他の人を応援することはいいことなのですが、「この人なら」と自分の期待を押しつけるかたちになってしまうと相手は負担に感じることがあります。

自分はそのように期待される存在ではないと反発してしまうかもしれません。


相手の本質を見抜き、相手の中にある才能を見据えて相手を応援すると、その人はだんだんと「自分はできるんだ」と思うようになっていきます。

しかし自分の中にある理想像を相手に見て、そのように期待してしまうと、それは相手の可能性ではなく、あなたの心の投影となります。

その場合、相手は本当の自分を見てもらえてないと感じ、居心地が悪くなって苛立ってしまうかもしれません。


これは人のことを言っているようで、結局は自分が自分をいかに見ているか?というところの話になります。

自分自身に潜む可能性を見る場合と、自分の中にある理想像を見る場合とは違います。
(本来、理想像は自分自身の本質を活かして生きている姿だとは思いますが)


前者は自分の中にあるもの(希望,可能性)を見ていて、後者は今の自分とのギャップとして見てしまいます。

『もともと自分はそうだから/それがあると知る』というあり方と、『今の自分はそうではないからもっと良くならなければとがんばるあり方』とは根本が全然違います。


自分が自分を見ているのと同じように人のことも見てしまいます。

自分の評価基準が必ずしも人のそれと同じとは限りませんので、人それぞれいろんな対応の仕方があると思ってください。

自分の基準にあわないとイライラとしがちですが、多種多様性を認めるようにして柔軟に対応していってください。

(続く、、、)


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順番待ちのため、リーディング結果が出るのは11月以降となります。


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